リング
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97部分:イドゥンの杯その三
イドゥンの杯その三
「何もありませんでした、細部でさえも」
「ふむ」
トリスタンはそれを聞いて考え込んだ。
「何もなし、か」
「そうですが」
「しかもとりあえず、か」
「おかしいと思われているのですね」
「あまりに完璧だとな。かえってな」
これはトリスタンの勘から来る言葉であった。
「疑ってしまう。職業病かな」
「いえ、それ位でなければ」
苦笑したが家臣はそれでよいと答えた。
「危機には。対処出来ませんから」
「では卿はどう思うか?」
「クンドリー殿に関してですか?」
「そうだ。どう思うか」
「怪しいですね」
答える家臣の目が鋭く光った。
「そうか」
「これも私の勘なのですが」
流石に調査を命じられただけはあった。彼もまた鋭い勘を持っていた。
「どうも。密偵の匂いがします」
「密偵か」
「彼女には注意が必要であると思います」
「ふむ」
言われてみれば思い当たるふしがある。あの金色の目。それは何かを探っている目であったからだ。
「では引き続き任務を与える」
「はい」
「彼女のさらなる調査をだ。よいな」
「はっ」
その命を受けて彼はそこから姿を消した。後にはトリスタンだけが残った。
「見る場所は同じか」
部下の報告を頭の中で反芻していた。
「やはり用心に越したことはない。ここは研究は一人で進めていくか」
そう考えるようになっていた。しかし決断を下す前に彼女は動いていた。
次の日のことであった。研究室に行くとそこにはいる筈の者がいなかった。そして資料の中でもとりわけ重要なものが数冊なくなっていたのだ。
「やられたか」
トリスタンはすぐにそれを察した。そして部下達を収集した。
「クンドリーを探せ」
彼は一言述べただけであった。
「金色の髪に目を持つ女だ。まだ遠くに逃げてはいない筈だ」
「金色の髪と目ですか」
「そうだ」
彼は部下の一人の言葉に答えた。
「わかり易い特徴だと思うが」
「確かにそうですな」
「わかったな。ではすぐに探し出すのだ。よいな」
「はっ」
こうして部下達を自身の領地に走らせた。彼は当初簡単に捕まるだろうと思っていた。彼の領地は治安もよく、目もよく行き届いていたのである。だが彼女の行方は遥として知れなかった。
「まだ見つからないのか」
一週間経った。だがまだ見つからない。彼はそれを受けて眉を顰めさせたのである。
「残念ながら」
部下達が申し訳なさそうに答える。
「何処に消えたのか。影一つありません」
「匿っている者がいるのか」
「そこまではわかりませんが」
「犯罪組織等にいる可能性は」
「これを機にめぼしい組織を一斉捜査しましたが」
「いないか」
「はい。見つかったのは彼等の悪事だけです」
「それはそれで処罰せよ」
「はっ」
政治家としての配慮も忘れてはいなかった。
「しかし。本当にいないのか」
「若しかすると既にこのカレオール藩王領から脱出しているのでは?」
「馬鹿な、そんな筈がない」
部下の一人の言葉を別の部下が否定した。
「真っ先に航路に兵を送ったのだぞ。そして国境付近にも」
「警護は厳重だった筈だ」
軍人の一人も言った。
「それで逃げ出せるなぞ。並の者では」
「並の者だったならばな」
トリスタンはそれを聞いて静かに呟いた。
「陛下」
「それで逃れられは出来なくなっていた」
「はい」
「だが並でなかったならば。どうか」
「それは」
「私にも卿等にも気付かれない様に去った。そうは考えられないか」
「まさか」
「いや、有り得る」
トリスタンはまた言った。
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