リング
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
95部分:イドゥンの杯その一
イドゥンの杯その一
イドゥンの杯
銀河を覆う戦乱はただ単に戦乱で覆っているだけではなかった。そこにいる全ての者を巻き込み、そしてその命や希望さえ奪おうとしていた。
中には己の目的を失うことになる者もいた。トリスタン=フォン=カレオール。かって帝国きっての天才科学者と謳われ、帝国科学技術院顧問であった。この人物もそうであった。
茶色い髪とそれと同じ色の濃い髭を顔中に生やしている。髭のせいで目立たないがその顔は黒い目を持ち、知的な端整さを持っていた。白い服を身に纏っており、それが彼の知性をさらに際立たせていた。
彼はカレオール藩王の家に生まれた。幼い頃からその頭脳を知られ、長じて科学者となったのである。家柄もよく、そしてその際立った才能により若くして科学技術顧問となったのである。だが他の多くの者達と同じように彼もまた戦乱の影響を受けたのである。
彼は多くの分野でその才能を遺憾なく発揮していたがとりわけ遺伝子工学の権威であった。そしてその研究に携わっていたのだがここで問題が生じたのだ。
科学技術院の科学者達の一部はその研究に生きた人間を使おうと考えていたのだ。その中心にはミーメがいた。それに彼は反対したがミーメの策謀によりバイロイトを追われることとなった。
「ミーメを放っておいてはいずれ恐ろしいことになる」
彼はそう言い残したがそれは残念なことに残りはしなかった。ミーメは狂気の研究に没頭するようになり多くの命が密かにではあるが犠牲になった。彼はそんな状況をどうにかしようとしたがどうにもならなかった。そのかわりであろうか彼は独自の研究に没頭するようになった。
それは命の再生についてである。ミーメの命を犠牲にする研究に対する反発であろうかそれに没頭していった。そして研究は進みやがて生命と肉体を再生させるその薬のことをイドゥンと呼ぶようになった。彼はその薬への研究に多くの時間と費用、そして資料を割くことになった。
だがその研究が進むにつれ資料の整理や資材の調達に間に合わなくなってきていた。費用はあった。これは彼が生家に戻ったことにより気兼ねなく行うことが出来た。彼はそこでは王でもあったからである。王、即ち統治者としての彼は賢明であり、そして公平な政治家であった。
科学者としての彼はここで助手を雇うことにした。そしてやって来たのは金色の髪と瞳を持つ美しい女であった。トリスタンは彼女を見てまず問うた。
「君の名は」
「クンドリーと申します」
女は表情を変えずにこう名乗った。
「クンドリーというのか」
「はい。科学への心得はあります」
「ふむ」
その金色の目を見る。嘘をついている目ではなかった。
「では助手に雇いたい。いいか」
「はい」
彼女はやはり表情を変えず、こくりと頷いた。
「お願いします」
「わかった。では早速頼むぞ」
「わかりました」
こうして彼女はトリスタンの助手となった。政治家でもあり王でもある彼はそちらでも多忙であり、科学の知識のある助手の存在はそれだけで有り難い。だが彼女はただの助手ではなかった。
実に優秀な助手であった。全てを知っているかの様に動き、そして忠実であった。彼女の存在でその研究はさらに進み、遂には完成まであと一歩まで近付いていた。しかしその研究が進むにつれて彼女の行動に不審なものが見られるようになったのであった。
「妙だな」
トリスタンもそれに気付いていた。
「クンドリーのことだが」
側近の一人に密かに問うた。
「どう思うか」
「私は科学のことはわかりませんが」
その側近はまずこう断ったうえで述べた。
「優秀な方だと思いますが」
「その動きについてはどう思うか」
「動きですか?」
「そうだ。おかしいとは思わないか」
「それは」
「最近。妙なのだ」
「といいますと」
「何かを隠しているのだ」
「陛下にですか」
「そうだ。何かを探っている」
「何かを」
「イドゥンに関することをな。どうやら密かに探っているようなのだ」
「研究の為ではないでしょうか」
側近はまずはこう答えた。
「クンドリー殿は優れた方ですし」
「だといいがな」
しかしトリスタンの声は懐疑的なものであった。
ページ上へ戻る