ドリトル先生と和歌山の海と山
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第九幕その二
「まさに」
「そうだね、それはね」
「先生もそう思うよね」
「ここまで凄い場所だとね」
「何ていうかね」
中をじっくりと見ながらです、ジップは思いました。
「神聖な気持ちになるね、ここにいると」
「高野山に入った時からそうだけれど」
チーチーがジップに続きました。
「ここにいるとね」
「高野山の中でも特にかな」
ガブガブも言いました。
「神聖な気持ちになるかな」
「僕達もそうしたことを感じるからね」
ホワイティは空気自体が違うと感じていました。
「だからね」
「ここにずっといたら」
トートーが言うことはといいますと。
「心が清らかになるね」
「そして修行もしたら」
「もうね」
それこそとです、オシツオサレツは二つの頭でお話します。
「悟り開けるかな」
「密教の極意に辿り着けるかも」
「そうなったら」
それこそと言った老馬でした。
「解脱出来るんだったね、仏教だと」
「解脱ね」
「何か夢みたいな話ね」
チープサイドの家族はちょっと想像出来ませんでした、解脱ということについては。
「私達も出来るかしら」
「人間じゃないけれど」
「仏教は輪廻転生を繰り返すのよね」
ダブダブは金堂の中を見回しつつ言いました。
「そうよね」
「六界の中でね」
ポリネスアはガブガブに続きました。
「そうなるのよね」
「じゃあ僕達もかな」
「解脱出来るの?」
「そうなるの?」
「修行をしていけば」
「こうした場所で」
「場所は何処でもいいんだよ」
先生は皆に解脱についてもお話しました。
「それはね」
「そうなんだ」
「場所は何処でもいいんだ」
「高野山でなくても」
「何処でも」
「そうだよ、普通にね」
ごく普通にというのです。
「どのお寺でももっと言えばね」
「お寺でなくてもいい」
「何処でもなの」
「修行していけば」
「それでいいのね」
「解脱出来るんだ」
「そうだよ、だから色々な宗派やお寺があるね」
このこともお話した先生でした。
「そうだね」
「あっ、そうした場所でもだね」
「修行してもいいんだ」
「そうなんだ」
「高野山でなくても」
「こうした物凄く清らかで峻厳な場所でなくても」
「いいんだよ、そしてね」
そのうえでと言った先生でした。
「究極的に言えばお寺でなくても」
「いいんだ」
「修行をしていけば」
「それで」
「お釈迦様はお寺にいなかったよ、ただね」
それでもと言った先生でした。
「やっぱりお寺は修行するに適した場所だからね」
「それでなんだ」
「解脱に向かいやすい場所なんだ」
「涅槃に辿り着くには」
「凄くいい場所なんだ」
「そうなんだ、そして高野山は確かに凄く修行しやすい場所だよ」
先生は今は不動堂の前にいます、勿論皆もです。
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