SAO -Across the another world-
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五話 矛盾の予兆
東京都 千代田区 [11:30]
園原歩美・レクト社員/プログラマー
「NNR7....あ、これはF2のグリッドか.....」
一般人から見たら何かの呪文を唱えているようにしか見えないであろう、ゲームプログラマーである私の仕事。仮想空間という新しい世界を作り出せる、世界でも唯一の立場に居る筈なのだが、今はそのありがたみが感じられる余裕は私には無かった。
時刻は現在午前十一時半。今日も毎日の例に漏れず五時近くに出社してきてから朝礼以外、休まずに自分のデスクのモニターとにらめっこ状態を続けていた。余裕が無いのは六時間不休で作業した疲れからか、はたまた精神的な疲れなのかは良く分からない。が、間違い無く言えるのは、「ALOの中に未帰還者が居る」という事実に、私が衝撃を受けすぎている、ということだ。
これほどまでに前例の無い事態は、私も初めて遭遇した。VRゲームで、他ゲームへのプレイヤーデータの転送。SAOとALO、規格も制作者も異なる二つのゲームに、接点があるのか、という初歩的な疑問は、ALOのゲームパッケージ解析によってすぐに解決する事が出来た。
ALOの内部データの中でもかなりの深層部に位置する所に、普通ならあり得ない物が混入されていたのだ。強固なファイアウォールで閉ざされていたそれは、SAOの基礎データベースであった。それを更に詳しく解析してみると、特定プレイヤーのステータスや武器のステータス、それらのテクスチャ等のデータがわんさかと出てきた。
今はそのデータをコピーし、ダミーデータを置き換えている最中であった。作業は順調に進み、データもUSBにコピーする事が出来た。あとはダミーデータのみである。データをコピーした後は、自宅に持ち帰り、自室にあるハイエンドスペックを誇る自作機で解析していくつもりであった。
白いLED灯が灯る仕事場に、私以外の人の姿は無い。部長の松川以下、自分を除く研究室の全スタッフは、朝早くから千葉にあるレクトの生産ラインの視察へ向かっている。そのため、今日一日はこの部屋に私しか居ない事になる。データを解析するのにも好都合な環境である。
時折、廊下の方から足音や話し声が聞こえたりして冷や汗が滴る事はあるが、それらがこの部屋に入ってくることは無いので、結局は杞憂に終わる。
「これがバレたら私クビだろうな...」
なんて事は言葉にしているだけで実際にはかなり軽い気持ちで事を進めている。勿論、その言葉が現実にならないように細かな対策は怠っていない。最も警戒すべき部長の松川は、元々営業畑を歩んできたエリートであったが、不況の際に起きた銀行とのトラブルで、左遷という形でこの研究室の部長をしている。ハゲワシを思わせる鋭い容貌から、切れ者という印象を醸し足す、園原が苦手なタイプの上司である。しかも苦労人である彼は、トントン拍子で出世してきた園原を快く思ってはいない。留守番を命じられたのは本社の意向だが、それに松川は最後まで反対していたらしい。それは、専門分野でないこの研究室を上手く纏めることが出来ていない松川が抱えている不安の現れであった。
目的のデータを証拠を残さずダミーデータに置き換えることは、園原にとって容易い作業だ。しっかりと用意周到に隠蔽工作もしている。だが、園原には不安要素が無い訳ではない。問題は、部長に付き従う研究員達である。いくら松川が営業畑出身の、コンピューターやプログラミングの専門知識が無かろうとも、その部下達にその手の知識があれば話は違う。専門技術を持っている研究員であるのなら、今園原が置き換えているデータを見れば、一瞬で異変に気付くだろう。気付かれてしまえば、上層部まで話が行ってしまい、この事件の元凶が有耶無耶になってしまうかもしれない。園原は一技術者として、物事をはっきりさせなければ納得しない性分であった。だから、今回の事件の首謀者についても徹底的に洗い出し、始末を付けさせるつもりである。
ダミーデータを置き換える作業が終了したのは、作業開始から約八時間が経過した午後一時の事である。基礎データベースのセキュリティ解除やら膨大なファイルのコピーに時間が掛かったのが原因で、予定では五時間で終わらせる筈が、プラス三時間と大幅に遅れてしまった。
途中で昼休憩も挟みつつの作業であったのだが、こうも遅れては本来処理してなければならない仕事の方に支障が出てしまう。ええい面倒臭い、と園原は机上のファイルを手に取ると、用紙を一枚一枚検分し始めた。内容はALOサーバーの保守点検についてのレポートで、これを渡してきた松川からは要点を纏めたレジュメを作成し、今日の十七時までに提出してほしい、との依頼が来ていた。
レポートファイルの分厚さはちょっとした冒険小説くらいにはあり、しかもA4サイズの紙一杯に文字があるというのだから気は滅入る。別に速読術に精通している訳でも無いから、これを読んで要点を纏めろというのは今の園原にとっては酷であった。
壁に掛けてあるデジタル時計の液晶が示す残り時間は四時間。一分一秒が惜しい、と園原は慌ててファイルの表紙を捲った。
「....ん?」
違和感に気が付いたのは、A4紙の右下にあった、Excelで作ったのであろう関数表を何気無く見た時であった。表のタイトルは「サーバー保守予算表」、内容は表題通り、レクトが保有しているネットワークサーバーの保守予算についてである。上から予算の高い順に並び、一番上が会社内のあらゆるデータを一括にして保管するサーバーで、本体はこの本社の地下に設置されている物だ。
そしてその次の項目が、違和感の正体であった。項目の名前は「VR系サーバー警備費用」、値はなんと保守対象であるVRゲームサーバー本体の約二倍であり、一位の本社サーバーと対して差がない程の費用を警備の為に費やしている事になっていた。どうもおかしいと思った園原は、内線で経営部門へと電話掛け、同じ大学出身、同期入社でそこそこ親しい間柄である正田を研究室に呼び出した。
少しすると、正田は保守関係と警備関係の予算案を纏めたファイルを持ってきて現れた。その傍らには、園原の知らない女性がくっついていた。
「突然ごめん、正田君。彼女は誰?」
「俺と同じ経営三部の三矢だ。前、予算案を纏める会議に出席してたから役に立つと思って連れてきた」
「経営第三部門所属の三矢です。勝手に着いてきてしまって申し訳ありません」
「問題無いよ。むしろ、一つでも情報が欲しいから来てくれて助かった。あ、私は研究第一部の園原歩美よ。宜しくね」
お願いします、と三矢は俯いたまま小声で呟いた。どうやら気弱な性格であるらしい。小柄な見た目と相まって、小動物の様な印象を園原は三矢に対して持った。
その三矢と正田を研究室内に招き入れ、先ほどの資料にある関数表を見せる。二人とも、数字の一つ一つを吟味するように見ていき、そして二人とも、同じ箇所で視線が止まっていた。
「こいつは.....」
「明らかにミスですね」
「じゃあ、営業部の方ではこんな予算を組んでないって事?」
「組めるかこんなもん。大体、どこの警備に何千万も掛けるってんだ。サーバールームなんか、十人居れば十分にカバーできる筈だろ」
「前回、保守予算についてのヒアリングした時とはまるで違います。例えばここ.....」
三矢が指を指したのは、序列第五位にある「法人レンタル用」と名の付いた項目である。大学や研究機関などにサーバーを貸し出す為の機材調達、それのメンテナンスの費用などを計上した予算だ。おおよそ三千万少しの金額がそこには記されている。
「今年度は機材の新調も無い筈ですから、こんな多額の予算は必要無いです」
「貸出サーバーのメンテナンスににこんな費用を注ぎ込む訳無いもんな.....」
「じゃあ、誰かがこの数字を変えたって事?」
「意図的に間違えたのかうっかりミスなのかは分からないけど、間違いには変わりない。誰からこれを渡された?」
「部長の松川だけど.....そうか、資料の原本があるはず....」
部屋の一番奥にある松川のデスクへ近づき、一番下の引き出しを開けた。そこには大量のファイルが中身の種類別に仕舞われていた。
「お、おい。大丈夫なのか?」
「バレなきゃ大丈夫。バレても言い訳すれば大丈夫」
がさがさと引き出しの中を漁っていると、「予算関連」との名の付いたファイルに行き当たった。それをデスクの上に起き、中身を検分し始める。
「あった。これだ」
資料に付けられたタイトルは先ほどの表と同じ「サーバー保守予算表」、ただしこちらは項目ごとに予算が記されているだけで、表で表されてはいない。
その紙の上に人差し指を這わせ、件の項目を探し続ける。序列五位、三千万、法人レンタル.....。しかしその条件が一致した項目は、いくら探しても見つからない。
「法人レンタルの項目はあるけど.....予算は表に記されている三分の一以下だよ」
「警備費用の項目も、表のものとは大分金額が違いますね」
「つまり、松川部長の資料とお前に渡されたコピーとは何かが違うという事か」
「うーん.....でも腑に落ちないな.....」
「どういう事ですか?」
「この資料を私に渡したのは確かに松川だけど、作ったのはこの研究室の人間じゃ無いと思うんだ」
「どうして思うんだ、園原?」
「いや、ここの部署さ、あくまでもALOの運営とVR技術の研究をメインにしてるからいくら管理職でも事務仕事をする余裕なんか無いんだよね。でも機材調達とかそういう類いの資料作成はしたりするから、無いとは言い切れないけど。しかも今回みたいな大量のプリントをコピーしたとなると必ず人目に付くと思うんだ。でもここ最近研究室に籠ってたけど一度もそんな所を見たことが無いし」
「じゃあ、誰がこの資料の数値を改竄したって言うんだ?」
「恐らくだけど、この研究室より上位にある部署の誰か.....」
「ここより上位....研究部門のティアトップには、社内中枢部に何かしらの繋がりを持った役員が多いですから」
三矢が苦々しい顔で呟く。案外、大人しそうに見える彼女も上の文句の一つくらいは言えるらしい。
「改竄した目的って何だろう」
「資金の横流しか横領、それか極秘事業の資金調達とかじゃないかと思う。ここは赤字企業じゃないから、水増しして何か金に色が付くわけでもないしな」
「なんでそんなのがこっちに回ってくるかなぁ.....」
「当たっちまった物は仕方が無い。取り敢えず、松川部長が帰ってきたら俺に連絡を入れろ。これの事について聞いてみる。お前は散らけた書類の後片付けでもしてろ」
それだけ言い残すと、正田は三矢を従えて研究室を出ていった。再び残されたのは、園原一人だけである。
そして正田に指示された通りに、松川の机にばらまいた書類を元通りにするため、机上のプリントをかき集め始めた。
「全く....誰がやったのやら....」
園原の呟きは誰に聞かれる訳でも無く、ただ虚空に浮くだけのものであった。
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