おぢばにおかえり
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90部分:第十三話 詰所へその四
第十三話 詰所へその四
「そういうのですよね」
「ええ。音楽なんかかけてね」
「TMレボリューションとかですか?」
「ちっちそれが好きなの」
「はい、結構」
他にも色々聴きますけれど夏はやっぱり。TUBEもいいですよね。そのTUBEのことを頭の中で考えたら先輩が早速。
「私はTUBEが好きよ」
「夏はですか」
「やっぱり実家の教会が海の側にあるじゃない」
これが大きいみたいです。
「だから夏はそれを聴いてってのが多かったわ」
「そうなんですか。私のところは」
「ちっちって神戸の何処?」
「長田です」
神戸の下町です。地震の時は大変でした。
「そこなんですけれど」
「じゃあ海水浴場とかは近くよね」
「はい、須磨まで行けば」
それですぐです。子供の頃よく行きました。
「そうよね。私はもう本当に近くだから」
「それで海なんか見ながらですよね」
「貴方の腕の中で少女をってね」
さよならイェスタディですね。何気にお母さんはジャニーズとかチェッカーズが好きなんでそっちの曲がよく出ますけれど。お父さんの前でミセスマーメイド歌ってふそくに思われたりしたこともあります。何かその曲は自分の前では歌わないで欲しいって言って。
「よく砂浜で聴いてスイカ食べて」
「凄くいい感じですね」
「これも教会のお勤めだからね」
どうやらそれが理由みたいです。
「それに連れて行かれたし」
「お勤めですか」
「子供って大事じゃない」
天理教では子供の存在がかなり大事です。神殿なんか行っても小さな子供が笑ったりしているのがよく見られます。天理教は飾らないんでそうした風景も普通なんです。
「だからね。私も兄弟も」
「先輩も兄弟の方おられるんですね」
「当たり前でしょ」
今の言葉には苦笑いで返されました。
「何人もいるわよ、そりゃ」
「そうだったんですか」
「だっておみちって」
ここでおみち独特の話になります。
「子供多いじゃない。四人も五人もって普通でしょ」
「確かに」
先輩の一人には八人兄弟の方もおられます。流石にこれには驚きましたけれど。
「ちっちだっているじゃない」
「はい、私は」
「弟さんだったっけ」
何故かここで全然存在もしない男兄弟のことが出ます。何故でしょう。
「確か」
「妹ですよ」
私はそれに少し反発する顔で言いました。
「妹が二人ですけれど、私って」
「あら、そうだったの」
何故か先輩は驚いた顔になられます。
「てっきり弟さんがいるかなって思ったんだけれど」
「どうしてそうなるんですか?」
「あっ、何となくよ」
何となくって。よく言われるような。
「そんな気がするのよ。ちっちを見ているとね」
「それ皆から言われるんですよ」
「そうなの」
「はい。それで凄く不思議に思ってもいるんですけれど」
「いんねんかもね」
先輩はその奇麗な顔をくすりとさせて言うのでした。
「やっぱりそれが」
「いんねんって」
「だから。それで皆から言われるのよ」
こうも言われました。やっぱり先輩も同じことを。
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