殺人鬼inIS学園
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第二十五話:生存者
前書き
ISのアプリって面白いのだろうか?
某年某月某時刻。ドイツ某所の駐屯地、懲罰房にて。
監禁されてから約2周間、ドイツIS部隊、黒兎部隊副隊長のクラリッサ・ハルフォーフ大尉は4日目の食事無き朝を迎えていた。監禁された理由は単純明快、新しい隊長が素行不良の兵士や士官達と結託して反乱を起こし、自らはそれに参加しなかったからだ。
結果、こうして本来なら「やらかした」手合が反省用途で軟禁される檻の中で、餓死を待つ身分となっている。しかし、同じ部隊のよしみなのか基本的に三食昼寝付きといった、収監された者にはあるまじき対応でもって遇されていたが、此処数日は食事を持参するものどころか見回りの憲兵さえ現れず、明らかに何か異常が起きていることが伺えた。
懲罰房エリアは基地の最深部に設置されているとはいえ、完全に通常勤務のエリアからは隔離された場所である。故に外部は愚か、通常エリアの状況さえ全く把握できない状況にある。幸運なことに、無駄に発言力の強い┃IS部隊《黒兎部隊》が配備されたことにより、基地司令一行がご機嫌取りのために予算を回したおかげで、水道水は日本のものに引けを取らない安全かつ上質な軟水が出るようになっていた。よって、水分の問題だけはどうにか解決していた。
「だがしかし、栄養が摂取できないとなると弱ったな……」
──かつて読んだ漫画の中には、水と眉毛だけで一日の空腹を乗り越えた豪傑が居たと記憶していたが、果たして可能だろうか。といった投げやりな思考のサイクルにクラリッサが耽溺しかけたその時、牢獄の扉が前触れもなく開いた。
「へ?」
人の良さそうな柔らかい表情のアジア系の顔つきをした青年兵士が、カードキー片手に独房の入り口に立っていた。肩に担がれたアサルトライフルが現状の緊迫感を如実に表していた。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ。大丈夫だ」
立ち上がろうとしたが、三日間の絶食が足をもつれさせたのか、クラリッサは唐突にバランスを崩した。青年兵士は直ぐに手を伸ばしてこれを支えた。
「やはり体が弱っていらっしゃるようですね。必要なら救助を呼びますが?」
「い、いや。ダイジョブデス……」
漫画の中でしか見かけたことのないメルヘンチックなシチュエーションに、クラリッサは数瞬、そこが修羅場の中にある独房であることを忘れた。眼前にはいま熟読している漫画に出てきても遜色ない顔立ちの優男が此方を見つめている。心臓は早鐘を通り越して壊れたチェーンソーの様に荒ぶっていた。
「く、クラリッサ・ハルフォーフでしゅ?」
「しゅ?」
たどたどしい自己紹介に青年は怪訝な表情を浮かべるも、クラリッサには眼中にない。この瞬きすれば醒めてしまいそうな光景を、五体に刻み込む事に全力を尽くしていたからだ。
「階級は大尉……認識番ご」
埒が明かないことを察したのか、青年はクラリッサをベッドに座らせると、敬礼した。
「ご無礼をお許し下さい、ドイツ陸軍第291猟兵大隊所属、ハンス・イイジマ一等兵であります!」
実直を絵に描いたような真っ直ぐな敬礼に、クラリッサは囚われのヒロインと化したと錯覚し、自らに酔いかけたものの、瞬時に正気を取り戻した。ハンスが入ってきた足跡に濃厚な血痕が付着していたからだ。
「その足元は……そ、そうだ。黒兎部隊はどうなった!?」
慌てて状況を確認しようとしたクラリッサに対し、ハンスは淡々と述べ始めた。
「今回の蜂起は、主犯格の黒兎部隊のISの内の一機が暴走した事により失敗しました。主犯格のエレナ・ディートリヒ少佐は即死。その他の蜂起に参加した兵士たちも暴走したISによって全滅した模様です」
「暴走……だと?」
思いもよらぬ単語の登場にクラリッサは青ざめる。
「何故だ!?定期検査では……」
「VTシステムですよ。隊長機にはアラスカ条約で禁止されていたVTシステムが搭載されていたんです」
「VTシステムだと!?」
クラリッサは今度こそ凍りついた。ISに携わる者達ならば遵守することを義務付けられている条約を、あろうことか国家が破っていた事実が急激に体温を奪っていく。長期にわたる絶食も相まって、彼女は文字通り意識を手放した。
脳を揺さぶる轟音によって、クラリッサは意識を取り戻した。視界に映ったのは眩い夏の空を焦がす猛火と黒煙。そして原型を留めぬ程空爆された基地だった。
「何が……あったんだ!?」
「先程、最寄りの基地から発進した爆撃機による空爆です。周到に用意されていたみたいですね。これでは調査しても消し炭くらいしか発見できないでしょう」
振り向くと、倒木に腰掛けて水筒を傾けているハンスと目が合った。周囲を見渡すと、雑木林が散在していることから、現在地は基地から数キロ離れた山中に居るようだった。
「基地の食料庫から頂戴したのですが、食べます?」
ハンスはポーチから携帯糧食を取り出すと、クラリッサに手渡した。意識を失うほどの軍人としての矜恃を揺るがされたクラリッサは、唐突に空腹であることに気付き、赤面しつつもそれを受け取った。
「どうします?ニュースでは生存者なしと報道されてますね。この分だと、我々救出部隊の突入は無かったことにされているでしょう」
糧食を食べ終えたクラリッサにハンスは取り出したスマートフォンを投げ渡した。表示されているニュースサイトでは、クラリッサ達の基地が搬入中の爆薬の爆発事故によって吹き飛び、壊滅したと報道されていた。
「そんな……私たちは何のために──ラウラ隊長は何のために……」
クラリッサは生きながらにして走馬灯のようなものを見ていた。──初めて自我が芽生えた瞬間、血を見た瞬間。誕生日にプレゼントされた絵本。鈍色の銃。いけ好かない隣人。お気に入りのコミック。電球の切れたシャワールーム。そして、ISとの出会い。産まれてから今日の今日まで積み重ねてきたモノ全てが、土足で踏みにじられてしまったかのようだった。
「どうします?」
ハンスの声でクラリッサは我に返った。逆光に照らされて表情は全く伺えないが、その眼光だけは爛々と輝いていた。何度も見た輝き──教官だった織斑千冬が幾度となく見せていた──試すような色を含んだ威圧的な眼差しが寸分の狂いなく此彼女を射抜いていた。
「どうしたんですか?」
息ができない。瞼も見開かれたまま凍りつき、瞳が痛みとともに緩やかに乾いていく。全身が壊死していくかのごとく、クラリッサの体が末端から感覚を失っていく。それを見越しているかのごとく、ハンスは歩み寄る。只々歩いているにも関わらず、その歩みは肉食獣のそれに酷似して見えた。
ハンスとクラリッサの間隔があと数歩に迫った瞬間、稲妻のような銃声が轟いた。同時に、クラリッサの胸から僅かばかりの肉片を伴った鮮血が、噴火のごとく飛び散った。
「!」
ハンスは表情を変えること無く身を翻すと、近くの茂みに身を隠した。しばらく銃弾の雨が降り注ぐと、真っ黒なコンバットスーツに身を包んだ男たちがゆっくりと現れた。手に持ったアサルトライフルや腕章の類から、ドイツ軍の所属ではなくPMCといった、雇われ兵の人間であることが予測できた。
ISによる女尊男卑が浸透して以来、軍縮を声高に叫ぶ勢力の台頭によって職を追われた軍人が急増し、意図せずしてフリーランスとなったところをPMCの様な民間企業が役職を問わず大量に雇い入れたのだ。
彼らの能力は総じて高く、女尊男卑によるゴリ押しによって後釜に座った正規兵よりも有能なものも多かった。それにより国内犯罪率の増加に伴って治安維持の為に国に再雇用されるという頓珍漢な出戻りを果たす者も居たが、この場に居合わせた輩はその機会からも零れ落ちた存在である。その一挙手一投足は極めて厳しい訓練課程を高い成績で修了したもののそれだが、心中は様変わりしすぎた世間によって擦り切れており、戦争協定から逸脱した行為も厭わぬ不定の徒と化していた。
隊員の一人が、鉛玉を叩き込んだクラリッサに歩み寄る。急所を射抜いていなかったのか、さほど出血はひどくなく、撃たれたショックのせいか意識を失っていただけだった。
「死に損なったか、気に食わん」
自然と口から呪詛が漏れた。彼は嘗てそれ相応の武功を立てたが、ISの登場によって職を追われた数多くの兵士の一人だった。
──いたずらに現場をかき回しておきながら、何一つ終わらせることの出来ないお遊戯にうつつを抜かす出来損ないの集団。
というのが、ISを駆る者達に対する彼らの反応だった。実際彼らは、主にIS部隊の後始末やIS操縦者・そのスポンサーが起こした諸々の問題に対する火消し行為によって糊口を凌いでおり、軍人としての矜恃や意義を土足で踏みにじってきた彼女たちに並々ならぬ憎悪を滾らせてきていた。
そして、自分たちと同じ様に零落してきたIS界隈の連中を、こうして蹂躙することだけが生きがいとなってしまっていた。女尊男卑派やIS操縦者は基本的に一枚岩ではなく、様々な派閥が無意味に争いを繰り広げており、落ちぶれるものには事欠かない状況なのだ。
「こちら第一小隊、ワイバーン・リーダー……第一目標を確認。第二目標は現在逃走中につき、第一目標を射殺後、追跡する」
背後に待機している部下たちに、ハンドサインを出して集合の合図を送りつつ、型落ちの無線機を取り出して定時連絡ついでに目標の一人を発見したことを報告し、無線を切った瞬間。ワイバーン・リーダーと名乗った兵士は、ふと追従してくる部下達が何の反応も見せていないことに気付いた。自らと同じIS関係者を憎むに値する過去を秘めた者達が、何のリアクションも見せていないのだ。
──振り向くと、目が合った。アジア系の黒い目だ。彼の部隊にアジア人はいない。
部隊のものは皆地に伏していた。皆「うつ伏せに倒れながらも天を仰いでいる」状態だった。
「コンタクトォ!」
会敵のサインを叫びつつ、ライフルを構えるワイバーン・リーダー。眩いマズルフラッシュと共に漆黒の双眸の片方が弾け、ぬるぬるとした赤黒い塊と脳の欠片がミックスされたものと共に飛び散った。
「くそっ、くそっ!ナメやがって!即死させちまった!!」
同胞を惨殺された恨みを即死というカタチで晴らしてしまった事に、彼は悪態をついた。死者は何も反応を返さないが故に、恨みつらみを晴らしている感覚がどうしても薄くなる。
「鼻の一つでも削いでやるか、残ってたらの話だが」
ワイバーン・リーダーは鞘からナイフを抜くと斃れた相手に歩み寄った。しかし、眼前に居たものはヒトの形をしていなかった。真っ黒なコールタールを思わせる粘性を帯びた物体が、痛みを堪える生き物のように痙攣している光景に、ワイバーン・リーダーは一瞬思考が真っ白になった。
「遠隔操作はこんな感じか、協力してくれてありがとな」
「!!」
背後から聞こえた声に反応したワイバーン・リーダー。しかし、彼の視界は両断された。脳天を両断されたことに気付いたが、既に利き腕は微動だにせず、一歩前進しようと辛うじて足を動かした時点で、視神経は残された瞳に何も映すこと無く、只々ナイフが虚しく宙を掻いただけで終わった。
ハンス・イイジマ一等兵改め編田羅赦は、ワイバーン・リーダーの血と脳漿がこびりついた鉈を近くの木の葉で拭った。粗方拭い終えると、鉈は光の粒子と化して消滅した。彼の胸部に埋め込まれた忌々しいコアに格納されたのだ。
新たな生命を啜れたことに狂喜しているのか、リズミカルに脈動するソレを忌々しげに一瞥すると、ラシャは茂みに隠した自らの装備を回収し、未だ地面を蠢いている泥のようなもの──手懐けたVTシステムの残滓──に向けて手を伸ばした。すると、泥は飼い主を前にじゃれつく犬のような勢いで腕に絡みつき、皮膚に沈み込んで吸収されてしまった。
刹那、ラシャの脳裏に様々な情報が五感を通して流れ込んできた。手を通して伝わるワイバーン・リーダーの部下達の首を折った感覚。鼻を通して伝わる今際に吐かれた吐瀉物と煙草の臭い。│耳《聴覚》を通して伝わるくぐもった断末魔の声、祈りの声、家族の名前。
「っ……」
あまりの情報量の多さにラシャは重度の目眩を起こし、膝をついた。嘔吐したかったが出来なかった。痕跡を残したくないという理由もあるが、一番の理由はソレではなかった。
「今更ヒトに戻れるかよ」
──泣きわめく訳にはいかない。なぜならたくさん泣かせてきたから。悔いる訳にはいかない。なぜならもう後戻りが出来ないことはとうの昔に解っているから。
なんとか立ち直ったラシャは、倒れているクラリッサに近寄った。弾は貫通しているが、出血がひどく、下手をするとショック症状で死んでいても可笑しくはない状況にあった。
ラシャは兎に角治療をすべく、ファーストエイドキットを引っ張り出すと出血を止め始めた。素人の手腕にしては上々の出来だったのか、止血は簡単に終わった。
「違和感の正体が漸くわかった。陸軍第291猟兵大隊は、2010年からずっと海外で任務に従事している……国内で任務につくなんてありえないんだ」
クラリッサが口を開いた。弱々しい声だが、瞳はまっすぐにラシャを見据えていた。
「イイジマ一等兵。君は、何者だ……?」
ラシャは暫しの沈黙の後、照れくさそうに微笑みながら口を開いた。
「殺人鬼だ」
数日後、黒兎部隊の正式な解体が行われ、部隊が所持していた全てのISが回収され、再分配された。しかし、隊長機であるシュヴァルツェア・レーゲンのコアは確認できず、隊長機の紛失による責任を取ってかドイツの国防次官の一人が拳銃自殺し、大規模な人事の入れ替えが起きた。
そして、黒兎部隊副隊長クラリッサ・ハルフォーフ大尉の行方は未だに掴めていない。
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