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越奥街道一軒茶屋

作者:綾瀬紫陽
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尸蝶の夢

 この越奥街道、普段から人の往来が少ないお陰で、盗賊の類が滅多に出ないんですよ。バケモノの類が物取りをすることはありやすがね……。
 なので、あっしはあまり戸締りをしねえんです。勿論夜中も。
 街道に一人暮らししてる割にゃ、不用心だなあと思う人もいると思うんですがね、仮に人が入ってきたとして、どんなに気配を消そうとしてても消しきれない一寸の気配ってので気づいちまうんですよ。
 そんなもんで、その晩もぐっすり寝てたんでさぁ。

 でも、珍しく夜中に目が覚めた。

 体よく丑三つ時ではなかったんですが、どうにも変な気配がする。
 直感でバケモノの気配だってわかりやしたね。しかしそれにしてもちょっと奇妙なんですよ。ここいらのバケモノが、こんな夜中にあっしを訪ねてくることなんて、そうそうない筈なんでさぁ。それに連中はあっしの顔を覚えてるんで、気配だけさせて顔を見せないなんてこともする筈ない。

 どうにもおかしいと思って、外を覗いてみたんですよ。
 するとあっしが今まで一度も見たことのないバケモノが、軒先からあっしを睨んでるのが見えた。

 びっくりして腰を抜かす……ってことはしなかったんですが、流石にちょっと驚きやしたねえ。
 後ろからの月光でカゲになったその姿は、ツルみたいな形をしている。逆光で色はよくわかんねえんですが、目は灯火みたいにゆらゆらと光ってた。なんとも不気味な姿だと思いやした。

 その鳥は、すごい目であっしを睨んでた割に、それ以上なにもしなかったんですよ。ただじーっとあっしを見つめたあと、バサバサとどっかへ飛んでいっちまったんでさぁ。
 その後なんも変わったことはなかったんで、あっしは寝に戻ったんです。

 話が変わるようで恐縮なんですがね、朝ってのはなんか不思議な力があると思うんですよ。前の日にあった事全部、水に流せるような気分になる。
 そんなわけで、その鳥の事も、店を開けるまではすっかり忘れちまってた。
 でも一番初めのお客さんが来たとき、否が応でも思い出す羽目になったんですよ。

 そのお客さん、店を開けてすぐに来たんですがね、背中にでっかい桐の棺桶をしょってたんでさぁ。

「いらっしゃい。どうです? 一服していきやせんかねぇ」

 普段通りそうやって聞いたら、縁台に座ってくれた。
 その旦那は、黒っぽくて目立たない色の服を着ていやした。黙ってるとちょっと怖そうな感じもするが、話しかけてみると悪い人ではなさそうだ、って感じがする。
 縁台の横に置いた棺桶は結構大きくて、一人で運んでるのに感心しやした。

「旦那、棺運びですかい? すげえなあ。あっしは初めて見かけやすよ」

 注文を受けて菓子と茶を出したあと、あっしは旦那に言ったんです。
 棺運びってぇのは、故郷から離れたところや、人里離れたとこで死んだ人らの身体を棺に入れて、ちゃんとした墓に届けるしごとなんですよ。その風貌から毛嫌いされることも多いって聞くんですがね、中々他の人にゃできねえことをしてる連中じゃあないですかねえ。

「その棺、気を付けてくれ。中に入ってるから」

 あっしの言葉に対しての旦那の返事はこうだった。
 お客さんの数を間違えてたみてぇだ、と思って、棺に軽く黙とうみたいにしやした。
 そして夜中の鳥を思い出したのはこの時だったんですよ。

 オンモラキ、ってのがいましてね。昨日の鳥はそれだったんじゃねぇかなあと。
 試しに旦那に聞いてみたら、どうやら昨日はこの近辺で野宿をしたらしい。ってことは、昨日の晩から旦那の背負ってる人はあっしからさほど遠くないとこにいたってことになりやす。
 オンモラキは、新しい死体から出る気、死気って呼ばれてるらしいですが、それが変化したものなんですよ。別に怨念とか、そういうのの類ではなくて、ちゃんと供養されてる死体からでも化けることがあるとか。

 あっし、この事を旦那に話したんですよ。
 旦那はちょっと驚いた様子でしたね。まあほとんどの人がする反応なんですが……。

「兄さん、その類に詳しい人かい」

 そう聞いてくるんで、まあ多少は、ってな感じで答えたんでさぁ。
 すると旦那は、手に持った湯飲みの辺りに目線を落として、少し黙り込んだ。

「だったら、死体から出てくる蝶ってのを、見たことはあるかい?」

 これぁ何か訳ありの質問だなってのは、すぐわかりましたね。

「生憎、死体を見ることすら稀なんでねえ」

 あっしが答えると、旦那はほう、と一つ息を吐く。

「俺ぁ、十年くらい前にこの仕事を始めたんだ。切っ掛けは、恋人が死んだことだった。死んだ理由はよくわからねぇ。死体は最初に俺が見つけた。あいつが一人で住んでた家で、人形見たいに倒れてたんだ。そこで俺ぁ、あいつの身体から出た蝶を見たんだ」

 魂が虫になって体から出ていくって話は聞いたことがありやす。蜂とか蝶とか、色んな場合がありやすが、実際それを見たって人は初めてでしたねえ。
 ちょっと興味が湧いて、どんな蝶だったのか聞いたんですよ。

 曰く、黒に白の斑点がある翅をもった奴だと。その黒は、高級な漆みてぇに、光りの加減で緑とか青とかが浮かぶような色で、それが死体からヒラヒラと飛んで行ったんだとか。
 想像してみりゃ、絶対に見たら忘れられない光景だと感じやしたね。

「自分の恋人が死んでんだ。普通はびっくりして大騒ぎすると思う。だが俺ぁその蝶に見入ってた。蝶のほうは、空いていたとこからすぐに外へ出て行ったんだ。それ以来その蝶が頭から離れなくなって、この仕事を始めた。棺運びは長い間死体と旅をする。だから、その蝶を見られるかもしれねえってな」

「それで、蝶は?」

 話の続きが気になって、あっしはちょいと被り気味に言ったんです。
 したら旦那は、首を横に振った。

「もしかしたら、縁深い奴にしか見えねえものだったかもしれねえなって思うんですよ」

 旦那は、そう話を締めくくりやした。
 あっしも旦那も、次に出る言葉が浮かばずに少し黙ってたんですよ。
 一途というか、憑りつかれてるというか、旦那がどっちなのかよくわからない。十年も同じものを目指し続けるってのはすごいことだとは思うんですがね……。

「想いってのは、何かを引き寄せるもんなんですよ。だから、旦那にもきっと何かがあると思いやす。一介の茶屋の主人が何言ってんだって感じですがね」

 そう言ってみると、旦那は軽く肩を竦めるんです。

「まあ、信じてやってみるしかないわなぁ」

 そして、茶を飲み干した。

 旦那は棺を背負うと、あっしに分かれを告げて店を後にしやした。独特の雰囲気がある背中でしたねぇ。

 旦那が見えなくなってから、片付けをしようと振り向いたんですが、縁台の上に、一匹の蝶が止まってやした。

 黒くはなかったんですけどね。 
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