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FAIRY TAIL ―Memory Jewel―

作者:紺碧の海
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第2章 鬼神の目にも涙編
  Story 16 鬼化の呪い

 
前書き
こんにちは~!紺碧の海です!
今回からいよいよ新章が始まります!イブキの過去がメインのお話となっております!
それでは早速参りましょう!Story16……スタートです! 

 
―魔導士ギルド 妖精の尻尾(フェアリーテイル)

よく晴れた昼下がり、ここ妖精の尻尾(フェアリーテイル)ではいつもと変わらずあちらこちらで賑やかな声が飛び交っていた。

「てめェ、今何つった!?」
「いちいち暑苦しいっつったんだよ、ツンツンピンク頭!」
「ンだとォ!?」
「やンのかよっ!?」
「上等だァッ!火竜の鉄拳ッ!」
「アイスメイク、槍騎兵(ランス)ッ!」
「うごっ!?」

ナツとグレイのいつもの言い合いから魔法のぶつけ合いになる。グレイが放った氷の矢の内一本が鉄屑を食べていたガジルの後頭部に直撃する。

「キャー!あたしの服ーーー!?っていうか熱ッ!」
「あわわわ……!ルーシィ鎮火ァ!」
「ぎゃあーーーーーっ!?」

ナツの拳から飛び散った火の粉が傍にいたルーシィの服に燃え移り、チリチリチリ……と焦がしていく。それを見たコテツが慌てて自分が飲んでいたクリームソーダをルーシィにかける。無事火は鎮火出来たはいいが、ルーシィの髪や肌はベトベトだ。
そして素肌が露わになったルーシィのその姿にマカオとワカバの目が釘付けになり、大人げない父親の姿を見て「父ちゃん!」とロメオが声を上げた。

「グレイ様~!素敵です~!」

ジュビアは相変わらず目をハートにしてグレイだけを見つめている。

「何すんだてめェ等ッ!」
「んがっ!」
「ぐえっ!」

食事の邪魔をされたガジルが怒り任せにナツとグレイをそれぞれ殴り蹴り飛ばした。

「お?喧嘩か!?俺も混ぜろーっ!」
「何で混ざりに行くのよ?」
「いいじゃねーか!ティール、お前も来いよっ!」
「は!?何で俺も!?」

ガジルも加わり更にエスカレートした喧嘩を見てジーハスが鞘に納めたままの荒刀(こうとう)山吹旋風(ヤマブキセンプウ)を上下に振り回しながら喧嘩に混ざろうとするのにレーラがツッコミを入れ、ジーハスに腕を引っ張られながらティールが驚嘆の声を上げた。

「リンさん、止めなくていいの?」
「元気が有り余ってるみたいだし、たまにはね?」

オレンジジュースを飲んでいたサーニャが首を傾げながら隣に座っていたリンに問うと、リンは小さく笑いながらサイダーを飲むだけで、ジーハスを止めようとはしなかった。
そのまま観念したように肩を竦めるティールと一緒にジーハスも喧嘩に加勢しに行った。

「いいのか?ホントに止めなくて?」
「いいのいいの。若い内に思いっきり暴れさせてあげないと。」
「若い内って、あんたもまだ23でしょ?」
「俺もベイビーたちと混ざりにいこっかなー?」
『いこっかなー?いこっかなー?』
「やめておけ。」

リンとサーニャとレーラがいるテーブルの近くの柱に寄りかかっていたラクサスが改めて問いかけるが、やはりリンは小さく笑うだけ。年老いた人のような発言をするリンの言葉にエバがツッコミを入れ、頭上でふよふよと浮かぶ5体のベイビー達と共に喧嘩に参加しようとするビックスローをフリードが肩を竦めながら止めた。

「漢ォォォォォ!」

よくわからない叫びを上げながら喧嘩の輪へとエルフマンが突っ込んでいく。

「キャア!」
「ひいいいいいっ!?」

ラキとキナナは相手に当たらなかったナツの炎やグレイの氷の(つぶて)やガジルの鉄屑、喧嘩の巻き添えになった皿やグラスが飛んできてそれを必死にかわす。

「ひっ、く……ん~………?喧嘩、かい?血が滾るねぇ~……ひっく。どぉ~れ、私も…ひっく……混ざっちゃおっかなぁ~……?ひっく。」
「えっ、混ざるの!?」
「その状態で!?」

酒に酔い潰れべろんべろんになったカナが酒瓶片手に立ち上がる。喧嘩に参加しようとするカナを見てレビィとリサーナが驚嘆の声を上げた。

「あはは、皆元気だね。」
「アルもお腹、たぷたぷさせてる場合じゃないわよ。」
「パパはたぷたぷー!」

喧嘩の様子を見ていたアルザックの言葉にビスカと娘のアスカが笑いながら言う。

「エルザが喧嘩を止めないなんて、珍しいね?」
「ふっふっふっ。今はお前達とケーキを食べているのに忙しいからな。」
「ははっ、つまり…機嫌がすこぶる良いって訳か。ここまでアイツ等の攻撃が飛んでくるとも思えないしな。ていうか、俺までいいのか?こんな……高そうなケーキを食わせてもらっちまって?」
「問題ない。たっくさん買って来たからな!一人5個食べてもいいからな!」

喧嘩をしている場所から一番遠く離れたテーブルで大きなイチゴがのったショートケーキを前にエルザが目をキラキラ輝かせながら言った。
エルザは今日朝一で今女性に大人気のケーキ屋で大量のケーキを買い占めることが出来てとてもご満悦なのだ。エメラとアオイも半ば強引にエルザにケーキをご馳走されることになり、それぞれの目の前にガトーショコラとモンブランが置かれていた。
もちろん、ルーシィやウェンディ達の分……いや、ギルド全員分は余裕でありそうな大量のケーキが箱詰めにされている。

「よしっ!早速食べ」
「吹っ飛べエエエッ!」
「うごあああ!」
「「「………。」」」

目を更に爛々と輝かせ、フォークを手にし早速食べようとした直後だった。
ナツの拳を左頬にもろに食らったガジルが吹っ飛んで来て、3人が今食べようとしたケーキはもちろん、箱詰めにしていた大量のケーキを巻き込んで壁に激突してした。
その瞬間、エルザの顔が黒く翳り、エメラとアオイが顔面蒼白しながらガタガタと恐怖で震えだす。

「いっ、てェなぁ……。」

箱詰めにされたケーキは無残にもガジルの下敷きになりぺっしゃんこで、頭に崩れたモンブラン、お腹に潰れたガトーショコラを乗せ、顔に付いたショートケーキの生クリームをペロリと舐める。

「あ?何だコレ……ケーキ、か?」

その瞬間、怒りで緋色の髪を逆立て目をギラリと光らせたエルザが席から立ち上がった。握り締めた拳がわなわなと震えている。

「貴様等……いい加減にしないかああああああああああっ!」

怒号がギルド中、いや街中に響き渡った。マグノリアの街の人々がその恐ろしい怒号にビクッと肩を大きく震わせた。

「オラーーーッ!」
「喰らえーーーっ!」
「覚悟しろーーーーーっ!」
「どらァ!」
「でェりゃアアアアアッ!」
「どォりゃアアアアアッ!」
「オラオラオラァッ!」
「はあああああっ!」

怒りに狂ったエルザが加わったことで更に更に喧嘩はエスカレートし、いつの間にか被害者として巻き込まれてしまったウォーレン、マックス、ジェット、ドロイ、ナブ、ビジターの4人は涙を流す。

「ウィ……皆、動きすぎ……。」

仲睦まじいのかよくわからないが、その様子をリーダスは絵に表わそうとするのだが、あまりにも皆が激しく動きすぎて描くのに苦戦していた。

「……今日は、一段と賑やかだな。」
「ホント、よく飽きないわよね。」
「あい。」

バーカウンターの上でリリー、シャルル、ハッピーがそれぞれキウイ、ダージリンティー、魚を飲み食いしながら言う。

「ふふっ、もう見慣れちゃった光景ね。」
「あはははは……。」

お皿を拭きながら喧嘩をするナツ達やその周りを取り囲むルーシィ達の姿を見てミラは微笑み、ウェンディは苦笑した後、ギルド内をキョロキョロと見回す。

「ウェンディ、どうしたの?」
「あ、うん……。そういえば、イブキさんがいないなーって思って。」
「そういえば、そうねぇ。」

そう……。こういう喧嘩には必ずと言っていいほど参加していくイブキの姿がないのだ。
ウェンディのその言葉にハッピー達もキョロキョロと見回す。

「イブキなら、今日はまだギルドに来ていないわよ。」
「え、そうなんですか?」
「えぇ。」

ミラの言葉にウェンディは目を丸くした。珍しいこともあるものだ。

「仕事か?」
「ううん、イブキが1日以上かかるような仕事は今のところ受理していないはずよ。」

リリーの言葉にミラが首を振ったその時だった。

「俺が……何だよ?」
「あ、イブキさ―――えぇ!?」

噂の張本人であるイブキがギルドに姿を見せ、ウェンディがその名前を口にしながら振り返ってイブキの顔を見た瞬間、ウェンディは目を丸くした。
イブキの目の下に、黒い隈が浮かんでいたのだ。

「ど、どうしたんですかイブキさん……!?」
「何なのその隈?」
「あー……最近、寝不足なん()。隈…そん()……ひ()()……?」

どうやらなかなか重症な寝不足のようだ。顔色も悪いし、本人は気づいていないが呂律もまわっていない。
イブキはずっとあくびを繰り返し目元を擦っている。

「……眠そう、だな。」
「よくそんな調子でギルドまで来れたね。」
「し()()は、しねェと……思っ()()らなぁ……。ふあぁ~~~……。」

最早何て言っているのかさえあやふやだ。目尻に涙を浮かべながらイブキは大あくびをする。

「と()あえ()……ミラ、()きかららー()ん、頼む。」

ウェンディ、シャルル、ハッピー、リリーの目が思わず点になった。
……どうやらいつもイブキが食べている「激辛ラーメン」を頼んだみたいだ。呂律がまわっていなくてもきちんとミラは理解したみたいで大きく頷いた。

「あら?大盛りじゃなくていいの?」
「あぁ……。寝不足のせいか、あん()食欲もねェん()……。」

そう言うと、イブキはふらふらとした足取りで本を読んでいるバンリの正面の席に行き、座った瞬間糸が切れたように前に倒れ込み、ゴン!という鈍い音を立てて額を強打しながらもそのまま突っ伏した状態で盛大ないびきをかきながら寝てしまった。
鈍い音にバンリは顔を上げたが、それがイブキだとわかると何も言わずにまた本に集中してしまった。

「寝ちゃったよ?」
「あんな調子で、ホントに仕事に行けるのかしら……?」
「さぁな。」

ハッピー、シャルル、リリーの順に言葉を紡いだ。

「あのままじゃ、イブキさん風邪引いちゃうよね……。」

そう思い立ったウェンディは椅子から立ち上がると、すぐさま医務室に駆け込み布団を一枚手にすると、寝ているイブキの肩にかける。

「ぐー……ぐー……ぐー……。」

規則正しい寝息と普段見れないどこかあどけないイブキの寝顔にウェンディは微笑んだのだった。





―1週間後―
あの日からイブキの寝不足は回復するどころか悪化していく一方で、目の下の隈は墨を塗ったように濃く、顔も青白くなるばかりだ。
ミラお手製の激辛ラーメンや激辛カレーも、「食欲がないから」という理由で寝不足から3日目くらいで食べなくなってしまっていた。げっそりと痩せこけており、恐らく3食ろくに食べていない様子だ。そして今日、イブキが寝不足になってから1週間が経った。

「ぐー………がー………ごー………ぐー………がー………ごー………。」

今日もイブキはギルドに足を運んだのはいいものの、相変わらず食事はせずバンリの向かいに座ってはそのまま突っ伏して盛大ないびきをかきながら寝ていた。

「ぐー………がー………ごー………ぐー………がー………ごー………。」

聞こえるのは寝ているイブキのいびきだけ。
ギルドにいる人間誰もが、黙って視線をイブキに向けていた。寝ているイブキに気を遣っている訳ではない。誰もが皆イブキのことを心配しているのだ。あのバンリでさえ、本を読まずに寝ているイブキの事をじっと見つめている。

「……ねぇ、やっぱり病院で診てもらった方がいいんじゃない?」
「俺もそう思う。」

ルーシィの言葉にアオイがゆっくりと大きく頷く。

「でも、イブキが「問題ない」って……。」

エメラが眉尻を下げて言った。
ルーシィ達はイブキに病院に行こうと促しているのだが、イブキはその度に誘いを断っている。

「イブキはそう言っているが、ただの寝不足が1週間も続くとは思えんしな……。」
「つーか、寝不足なら何で家で寝ないんだよ?」

エルザが顎に手を添えて考える隣で、グレイが眉を顰めながら問う。

「もしかして、家にいるから寝れない……とか?」
「は?何でだよ?」
「それはさすがにイブキ本人に聞かないとわかんないよ~。」

首を傾げるナツの問いにコテツも「こればかりは……」といった感じで肩を竦める。

「とにかく、何かがあってからでは遅い。このまま病院に」
「だから、問題ねェっつってんだろーが……。」
「!」

イブキの後ろに周って手を伸ばしたエルザの手を振り解きながらイブキは目をガシガシと強く擦りながら起き上った。相変わらず隈は消えていない。

「起きた。」
「こんな近くで話されてちゃぁ……い()でも、()()える…からな……。」

バンリの短い言葉にあくびを噛み殺しながら相変わらず呂律のまわっていない口で答える。そして寝不足のせいで充血した目でナツ達を見回すと口を開いた。

「……なん()も言ってるが、ホントに…ただの、寝不足……なん()。た()()から、ホッとい()…く()……。」
「ンな何言ってるかわっかんねー状態で言われても、説得力ねーぞ。」
「………。」

ナツに正論を言われイブキは悔しげに唇を噛み締めた。

「イブキさん、病院に行って診てもら」
「大変だーーーっ!」
「一大事だァーーーっ!」

ウェンディが座っているイブキと目線を合わせるために少し屈みながら言葉を紡いだのと同時に、ジェットとドロイが大慌てでギルドに駆け込んで来た。ジェットの右手には新聞が一束握られている。

「どうしたの2人とも?」
「何じゃいったい、騒々しい。」
「レビィ!マスター!皆も……大変なんだよっ!」
「だから何だってんだい?」
「いいからコレを見てくれ!」

肩で大きく息をする2人を取り囲み、レビィを筆頭にマスター、カナが問う。
そしてジェットは持っていた新聞のとある一面を広げてテーブルに置いた。

「『謎の生物出現! 魔物か?怪物か?はたまた未知なる異生物か!?』って……?」
「何だそりゃ?」

エメラが広げられた一面に堂々と書かれた見出しを読み上げ、その内容にグレイが首を傾げる。
その見出しの下には一枚の写真が載せられていた。そこに映っていた“それ”を見た全員が首を捻った。

「何、コレ……?」

最初に呟いたのはシャルルだった。
“それ”は遠くから撮ったもので小さくてよくわからなかったが、頭部から2本の角が伸びた2足歩行の得体の知れない生物の後ろ姿だった。

「一昨日の夜、マグノリアの東の森で狩人2人が目撃した化け物なんだ!」
「で、その情報を聞きつけた記者がその狩人2人に話を聞いて、昨日の夜聞いた話と同じ場所に行った時に撮った写真がコレなんだよっ!」

ジェットとドロイが興奮気味に捲し立てる。

「マグノリアにこの化け物がいたっつー事は……。」
「……ヤバい、よね?」
「ふえぇ……!リ、リンさん怖いよぉ~……!」
「大丈夫大丈夫。」
「昨日と一昨日……もう2回も目撃されているのか。いやむしろ、もしかしたらそれよりももっと前からこの化け物は既にマグノリアに現れてたっていう可能性も考えられるな……。」

写真を凝視しながら呟いたジーハスの言葉にレーラが同意するように言い、薄ら大きな目に涙を浮かべながら怯え震えるサーニャをリンが背中を擦って宥める。その隣でティールは一人黙々と何かを考え込むように腕を組んでいた。

「朝からマグノリアはこのニュースで大騒ぎなんだぜっ!?」
「街に危害が出る前に早いとこ始末しといた方がいいっていうところまで話になってるんだ。」

どうやら事態はそこそこ大きくなり始めてきているようだ。

「う、うーーーん……?」
「………。」

そんな2人とは対照的に、ルーシィは口をへの字にしながら首を捻り、エルザは顎に手を当てたまま渋い顔で黙り込んだままだった。

「な、なんだよルーシィもエルザも……?」
「いやー……なんか、胡散臭いなぁ~?って思って?」
「この写真は正真正銘本物だとは思うが、撮ったのは夜なんだろ?暗かったからただの人間と勘違いしただけなんじゃないか?」

苦笑しながらルーシィとエルザが言う。

「で、でも!この角はどー説明すんだよっ!?」

反論するようにジェットが写真に写っている角を指差した。

「た、確かに……こんな尖った角なんて、人間にはないよね?」
「帽子とかなんじゃねーか?」
「随分シャレた帽子ていうか……すっごく個性溢れる帽子…なんだね……?」
「いやまずコレが帽子ってことを前提で話すのやめようぜっ!?」

コテツが改めて写真を見て混乱したように目をパチクリさせ、ナツとハッピーのまるで漫才(コント)のような会話にアオイがツッコんだ。

「イブキさんは、どう思いますか?」
「まさか、アンタもアイツ等みたいに帽子がどうのこうのーとか言うんじゃないでしょうね?」

ウェンディとその腕に抱かれたシャルルがイブキを振り返って問いかけた。

「………。」
「イブキ、さん……?」
「ちょっとアンタ、どうしたのよ……?」

振り返ったイブキは、寝不足の影響で赤く充血した紫と赤のオッドアイを大きく見開き、苦しそうに、辛そうに、微かに開いた口から荒い息を吐き出していた。顔はさっきよりも真っ青だ。
イブキの尋常じゃない様子にウェンディとシャルルは声を上げ、それに反応した皆もイブキを振り返り目を丸くした。

「お、おいイブキ!しっかりしろ!」
「ちょ、ちょっと!どーしちゃったのよォ!?」
「イブキ!」

グレイとルーシィ、コテツが真っ先に駆け寄る。

「おいイブキ!何か言え!返事しろっ!」
「イブキ!ねぇイブキってばぁ!」
「………。」

ナツがイブキの肩を掴み、エメラが何度も名前を呼ぶが、イブキは言葉を発するどころか視線も動かそうとしない。ただただ何かに怯え、困惑し、恐れているように震えるだけだった。

「ミラ、医務室。」
「う、うん!」

バンリは手短にミラを振り返って指示を出すと、ミラは大慌てで医務室にすっ飛んで行った。

「ジーハス!レーラ!急いでポーリュシカを呼んで参れィ!」
「お、おう!」
「は、はいぃ!」

マスターの声に驚きながらジーハスとレーラがギルドを飛び出して行った。
それと同時に、イブキの体がガクッ崩れるように傾いた。

「イブキさん!」

倒れそうになるイブキの体をエルザとバンリが支える。バンリはイブキの額に手をやった。

「熱い。」
「熱があるのか?」

エルザの問いにバンリは黙って頷く。

「と、とにかく!医務室に寝かしておこうぜ。」
「あぁ。ウェンディ、すまないが……ポーリュシカさんが来るまでイブキの事を頼めるか?」
「は、はい!もちろんです!」

エルザの言葉に大きく頷くと、ウェンディはイブキを抱えたバンリと共に医務室へと行ってしまった。

「イブキ、大丈夫かな……?」
「大丈夫よ。普段ナツ達と一緒に大暴れしてるくらいだもの。きっとすぐに良くなるわよ。」
「……うん、そうだね。」

ルーシィの言葉に頷いたコテツだったが、それでも視線は医務室から離されることはなかった。





その後、医療器具が大量に入ったカバンを持ってジーハスとレーラに連れられてやって来たポーリュシカは医務室でベットに寝かされたイブキをウェンディとミラと一緒に診ていた。

「ふむ……。」
「ポーリュシカさん、あの……イブキの容体は……?」

しばらく黙ってイブキの診察していたポーリュシカにミラは恐る恐る尋ねる。

「……かなりマズいね。」
「!……か、かなりって…そんなに危ない状況なんですか!?」
「そんな……!」

紡がれた言葉にミラとウェンディは息を呑んだ。

「あぁ。……かなりマズい“寝不足”と“栄養失調”だね。」
「「……え?」」

付け足すように後に続いた言葉に今度は素っ頓狂な声を上げた。

「診たところ魔法による損傷や魔力の枯渇、それ以外の病気や怪我も無いからね。敢えて言うならば、心臓が普通より速く脈打ってるぐらいだ。」

優しい手つきでポーリュシカはイブキの胸に手を添える。

「……えっと、それはつまり?」
「わざわざ言わなくてもわかるだろ?きちんと寝て、きちんと3食食べればいつも通りになるってことだよ。」
「よ、よかったぁ~……。」

ミラの問いに少々投げやりに答えたポーリュシカの言葉にウェンディは心の底から安堵の息を漏らした。

「しかし、ここまで重症な寝不足と栄養失調とはね……。この子はいつからこんな状態だったんだい?」
「えっと、寝不足は1週間前からで……ご飯を食べなくなったのは寝不足になってから3日後ぐらいからです。」
「ふむ……。」

ミラの説明にポーリュシカはまた黙ってしまった。

「とにかく、今日はここでゆっくり寝かせておやり。目が覚めたら、強引にでも何かを食べさせるんだ。でないとこの子―――――死んじまうよ。」
「「!」」

静かに、だがハッキリと告げられたその言葉にウェンディとミラはゴクリと喉を鳴らした。

「私、皆にイブキのこと伝えてくるわね。ついでに軽食でも持って来るわ。」

そう言うとミラは医務室を出て行った。
そして、ミラと代わるように医務室に入って来たのはシャルルだった。

「イブキ……ただの寝不足と栄養失調なんですってね?」
「うん。大事に至らなくてよかったよ。」
「全く……。心配して損したわ。」

大きく肩を竦めるシャルルにウェンディは苦笑するしかなかった。

「ウェンディ、シャルル。」
「はい?」
「何かしら?」
「アンタ達に、こんなことを言うのもどうかと思うけどね……。」
「「?」」

目を伏せてしみじみと語るポーリュシカに2人は首を傾げる。

「ひょんな事から私は、妖精の尻尾(ここ)に加入する少し前のこの子と出会っていてね……。私が、行く宛の無かったこの子をマカロフの元に―――妖精の尻尾(ここ)に連れて来たんだ。」
「えっ!」
「そうなのっ!?」
「昔も今も、相変わらず暴れん坊なようだけどね。」

予想外の事実に2人は驚嘆の声を上げた。
ポーリュシカは寝ているイブキに視線を移す。

「暴れん坊で強がりで、だけどそれ以上に寂しがり屋でね……。」
「ポーリュシカさん……。」

イブキを見ているポーリュシカの目がとても慈愛に満ちた優しい目をしていることにウェンディは気づいていた。

「だからウェンディ、シャルル……もしこの子に()()()()()()()―――――傍に居てやっておくれ。」
「「………。」」

その言葉に、2人はすぐには返事をすることが出来なかったが、

「…はい!もちろんです!」
「私は、ウェンディがそうするなら。」

ゆっくりと大きく頷きながら元気よく返事をした。それを見て安心したのか、ポーリュシカは肩の力を抜くと、

「さて、私は帰らせてもらうよ。」
「えぇ!もう帰っちゃうんですか?」
「いつまでもこんな騒がしくて酒臭くて人間臭が漂ってる空間に居たくないからね。」
「あ、わわ!待って下さいポーリュシカさ~ん!」

医療器具をカバンに戻しさっさと医務室を出て帰ろうとするポーリュシカを見送るため、ウェンディはシャルルを抱き抱えながら医務室を出て行った。
―――――残されたのはイブキ一人。

「―――――ったく。何でンな昔なこと覚えてンだよ……。」

掛け布団から右腕を出して目元を覆いながら誰もいない医務室で一人愚痴を零す。
ミラとシャルルが入れ替わるように入って来たあたりでとっくのとうに目を覚ましていたが、そのまま動かずにじーっと3人の話にこっそりと耳を傾けていたのである。

(まぁ、ばーさんには起きてることバレてたかもしれねェけど……。)

ごそごそと起き上がると、イブキは服の上から右手で左胸を触る。ポーリュシカの言った通り、心臓がやけに早く脈打ってる。

「ハハッ……。そろそろ、時間切れ(タイムアップ)か……。」

渇いた声で自嘲しながら小さく呟くと、イブキは悔しそうに唇を強く噛み締め右手で左胸を強く鷲掴みする。
その時、医務室の扉が開いた。顔を上げ扉の方に視線を移すと、

「あ、イブキさん!目が覚めたんですね!」

入って来たのはウェンディだった。イブキが無事に目が覚めたことに安堵し顔を綻ばせる。
ウェンディはベットに駆け寄ると、(おもむろ)にイブキの前髪を掻き分けて額に手を当てる。いきなりのことにイブキの体が一瞬だけ硬直した。

「うーん……熱はあまり下がってないみたいですね。まだ安静に横になっててください。」

そう言うとウェンディは額から手を離し、今度はイブキの両肩に手を添えてそのままベットに再び寝かせる。イブキはというと為されるがままになっていた。

「ぐっすり、寝れましたか?」
「……あぁ、お陰様でな。なんか、迷惑かけたみたいで悪かったな。」
「いえ、私のことは気にしないでください。」

ウェンディは話しかけながらイブキが起き上った拍子に額から落ちた濡れタオルを手に取ると、傍にあった冷水の入った盥桶にそれを浸し、しっかり絞ると再びそれをイブキの額に乗せる。

「ポーリュシカさんが来てくれて診察してくれたんですけど……。」
「言った通り、寝不足だっただろ?」
「はい。それと、栄養失調だそうです。」
「……まぁ、ここ2~3日何も口にしていなかったからな。」

ウェンディは椅子に腰かけながら、イブキは濡れタオルの気持ち良さに目を細めながらぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。

「とりあえずイブキさん、今夜は医務室(ここ)で休んでください。私もここで看ることに」
「無理だっ!」
「!」

突然大きな声を出したイブキに驚いてウェンディは身震いをする。

「あ、わ…悪ィ……。」
「だ、大丈夫です……。」

妙な沈黙が2人の間を駆け巡る。最初その沈黙を破ったのはイブキの方だった。

「……具合はもう、大丈夫だ。家に帰ってもちゃんと寝るし食べる。だから、心配するな。」
「……わかりました。でも、無理だけは絶対しないでくださいね?」
「あぁ。」

懇願するように言われ、ウェンディは渋々了承した。
再び妙な沈黙が2人の間を駆け巡る。違ったのは、その沈黙を破ったのがウェンディだったということだ。

「ポーリュシカさんが、今日は強引にでも何かを食べさせろって。それで、ミラさんが何かを作ってくれるそうなんですが……イブキさんは、何か食べたいものありますか?」
「……激辛カレー。」
「そ、それはさすがにマズいんじゃ……?」
「……じゃあ、サンドイッチ。」
「サンドイッチですね?わかりました。今、ミラさんに伝えてきますね。」

そう言うとウェンディは椅子から立ち上がり医務室を出て行こうとする。

「ウェンディ!」
「えっ?」

ガバッと起き上がり、イブキはウェンディの細い手首を掴んで引き止めた。突然の事にウェンディは目を丸くし素っ頓狂な声を上げながらその場で立ち止まる。

「あ、あのさ……。」
「?」

ウェンディは小首を傾げながらも言い淀むイブキをじっと見つめる。
そしてイブキは意を決したように一度深呼吸をすると、紫と赤のオッドアイでウェンディのことを真っ直ぐ見つめながら口を開いた。

「もし明日、時間があるなら……一緒に来てほしいところが、あるんだ……。」
「……え?」

予想を遥かに超えた言葉にウェンディはさっきとまた違った素っ頓狂な声を上げた。

「そこで、ちゃんと寝不足とか栄養失調になった()()も話す。……ダメ、か?」

最後の方は普段のイブキからは想像もつかないほど弱々しい声になっていた。
ウェンディは数回目をパチクリさせた後、にっこり微笑んで、

「はい、私なんかでよろしければ。」

二つ返事で了承した。

「悪いな……。」
「いいんですよ。私も明日は、仕事をしないでギルドでのんびりしようかな~って考えてたとこだったんです。ほらイブキさん、ちゃんと横になっててください。」

ウェンディは再びイブキを寝かせ、布団を整えまた落ちた濡れタオルをイブキの額に乗せた後、ミラにサンドイッチを作ってもらうよう頼むために軽い足取りで医務室を出て行った。

「ハァー……。」

ウェンディが医務室を出て行ったあと、イブキは深いため息を吐いた。聞こえるのは自分の呼吸音と、いつもより早く脈打つ鼓動だけ。



「―――――俺は、あとどれくらい“俺”でいられるんだ……?」



ベットの脇にあるサイドテーブルに置かれた青い雫型ペンダントが悲しげに光を帯びた。





―翌日 汽車内―

すっかり熱も下がり、幾分かは寝不足も栄養失調も回復したイブキはウェンディと共に気侭に汽車に揺られていた。シャルルは気を遣ったのか気紛れなのかわからないが、ウェンディから今日の事を聞いて自ら行くことを断りギルドで留守番することにしたのだ。それでもやはりウェンディの事が心配なのか、出かけるギリギリまで「お金は持ったの?」「切符は無くさないようにね!」などと声をかけていた。
イブキはというと、いつかのようにミラに「ウェンディに迷惑かけちゃダメよ」「デート楽しんできてね~♪」と茶化されながらも笑顔で見送られ、非常にイブキは落ち着かないでいた。

「イブキさん、どうかしたんですか?」
「な、何でもねェよ。」

流れゆく景色を楽しんでいたウェンディが落ち着かない様子のイブキを見て首を傾げ、イブキは思わずぶっきらぼうに答えてしまった。

「あ!イブキさん見てください!あそこ…妖精の尻尾(フェアリーテイル)が見えますよ!」

満面の笑みで振り返ったウェンディが指差す方へと視線を移し目を凝らすと、確かに遥か南に小さく独特の屋根と「FAIRY TAIL」と書かれた看板が見えた。

「……よく見つけたな。」
「外を見てたら、偶然。」
「あー…そーいやー、お前も滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)だったよな。」
「はい!」

他愛無い会話をし、お互いの視線が絡み合うと笑い合う。
2人はそのまましばらく他愛無い話をし続けた。汽車は2人を乗せてゆっくりと海を、山を、森を、川を越えていく。





―――――どれくらい時間が経っただろう?
イブキと楽しく談笑を続けていたウェンディはいつの間にか眠り込んでしまっていたようだ。

「あ…あれぇ……?」
「お、起きたか。」

目を瞬かせていると、窓の(へり)に頬杖をついて面白おかしそうに白い歯を見せながらこちらを見て笑っているイブキと目が合った。
そして、肩に少し重みを感じ視線を落とすと、イブキがいつも羽織っている黒いジャケットが肩にかけられていた。

「す、すみません!私寝ちゃって…しかも上着まで借りてしまって……。」
「長い間汽車に揺られてりゃあ眠くなンのも仕方ねェよ。それに、それで風邪とか引いたら俺がシャルルとミラから大目玉を食らうからな。」

申し訳なさそうにジャケットを返しながら謝るウェンディにイブキが苦笑を浮かべながら言う。
そしてウェンディは改めて窓の景色を見た。眼下には広大な草原が広がっており、白と黄色の草花が咲き乱れ風に揺れていた。

「もうじき駅に着く。それから馬車に乗って目的地まで行くからな。」
「そういえば私……まだどこに行くか聞いていないんですが……?」

そう言いながらイブキに視線をやると、窓の外を愁いに満ちた目で見つめていた。なんだか見てはいけないものを見た気がして、ウェンディは慌ててイブキから視線を反らした。

「―――――俺の生まれ故郷だ。」

淡々とイブキが呟いた。





それから3時間乗っていた汽車を降り、2人は駅から出てる馬車に乗り込んだ。
ゆっくりと目的地まで進む馬車の中で、先程までの汽車内での和気藹々とした雰囲気は嘘だったかのように2人は互いに終始無言だった。
ちらり…とこっそりウェンディはイブキに視線をやる。イブキはずっと正面を向いたままで、吊り気味のオッドアイが微かに震えていた。何かに耐えているような、何かを決め兼ねているような―――それ以上見ていられなくなり、ウェンディは目を反らしてからバレないように息を吸い込んだ。



―――――そして、ほんの20分程度で馬車はゆっくりと停車した。2人が降りると馬車は来た道を戻って去って行った。
そして2人の目の前には白いペンキで塗られたアーケードがあり、黒い文字で「Violet Village」と書かれていた。

「スミレ村?」
「果物が中心の農業が盛んな村だ。マグノリアの商店街にある八百屋で売ってるリンゴとオレンジはここで獲れたモンだ。」
「そうなんですか!私もシャルルと一緒に、あそこのリンゴとオレンジ買って食べたことがあります!すごく瑞々しくて香りも良くて……とっても美味しかったです!」
「ハハッ!そりゃあ地元民としてありがてェ話だな!」

ウェンディのその言葉にイブキは嬉しそうに笑った。
そして、一歩踏み出した。―――――アーケードを潜らずに。

「え?……イ、イブキさん?村の入り口はここですよ?」
「少し行ったところに、()()()()()()()裏道があるんだ。そっから入るぞ。」

袖を掴んで引き止めたウェンディをまたどこか愁いを帯びた顔で振り返ってイブキは淡々と言った。
ウェンディはそのまま歩き出したイブキに黙ってついて行くことしか出来なかった。





イブキが言った通り、アーケードから5分ほど西に歩いたところに茂みに覆われた小さな通り道があった。2人はその小さな通路を四つん這いになって潜る。木の葉と枝でトンネルのようになった通り道は、ほどよく日光を遮ってくれる。
そしてあっという間に小さなトンネルを潜り抜けた2人が辿り着いたのは小高い丘の上だった。そしてウェンディが最初に視界に捉えたのは、小さな小さな墓石だった。

「……お墓?」

ウェンディは呆然と四つん這いの状態から立ち上がれないでいた。
艶やかな墓石の表面には「エリカ・ギャレット」と掘られている。イブキはそのお墓まで歩み寄ると、お墓の前でしゃがみ込み両手を合わせ目を閉じる。風が吹き抜け、イブキの髪とペンダントを揺らす。

「………。」

ウェンディは何とかその場で立ち上がり、膝に付いた土も掃わずにイブキの丸まった悲しげな背中を見つめていた。

「―――――さてと……。」

イブキが立ち上がって、ウェンディはようやく我に返った。イブキはウェンディの目の前まで来ると肩を竦めながら口を開いた。

「こんな殺風景で小せェ墓しかない薄気味悪ィとこで申し訳ねェけど、ここが一番落ち着いて話せるって思ったんだ。結構長話になっちまうけど、順を追って話すな。」

そう前置きしてから、イブキは口を開いた。

「まず……スミレ村出身の人間は皆、必ずと言っていいほど髪も目も鮮やかな紫色をしているんだ。」
「え……。」

ウェンディはイブキの紫と()の目を凝視する。

「片目が赤色の俺は、生まれた時から村に災厄をもたらす忌子(いみこ)として恐れられてきたんだ。……その忌子(いみこ)を産んだ、母親と一緒にな。外に出れば野次を飛ばされ蔑んだ目を向けられて、家に居れば石や卵を投げられ窓ガラスが割れ壁が壊れて……直しても直しても、またすぐ壊される。父さんは、俺が生まれる前に死んだらしい。母さんはどんなに辛くても苦しくても、女手一つで俺のことを育ててくれたんだ。……俺の幼少期は、ざっくり言えばこんな感じだ。」
「そんな……。」

イブキの悲惨な子供時代を聞いたウェンディは口元に手を当て息を呑む。

忌子(いみこ)だから周りから恐れられ除け者にされていた俺はもちろん親しい友人もいなかった。いつも誰も来ない静かな荒れた原っぱで一人で遊んでたんだ。だけど9年前のある日、いつものように俺は一人で原っぱに向かったら、既にそこに先客がいたんだ。」
「もしかして……。」

ウェンディはその名を呟きながらお墓を見遣る。

「エリカ・ギャレット―――8年前に病死した、俺の初めての友達だ。」

冷たい風が吹き抜ける。

「エリカは体が弱くて、生まれた時からずっと病院生活をしている世間知らずな女だったんだ。案の定、忌子(いみこ)と呼ばれて恐れられている俺の事も知らなかった。その日エリカは体調が良かったらしく、こっそり病院から抜け出して近くのその原っぱで遊んでたんだ。すぐさまその場を離れようとした俺の事をエリカは病弱な体からはとても想像出来ないバカデカい声で俺の事を呼び止めたんだ。……バカだよな俺も。その声に思わず立ち止まっちまったんだから。」



『待って!』
『!』

バカデカい声に驚いて思わず立ち止まってしまった俺の元に、淡い水色の患者服の裾をたくし上げ長い紫色の髪の毛を揺らしながら“そいつ”はこちらに駆け寄って来た。

『もぉー!どうして逃げるのよっ!』

ぷくぅと日に焼けていない異様に白い頬を膨らませながら、“そいつ”は純粋無垢な紫色の大きな瞳で俺の顔を覗き込んでくる。

『わぁ……!あなた、変わった目をしているのね。』
『み……見るなァ!』
『きゃっ……!』

思わず俺は“そいつ”を突き飛ばしてしまった。地面に尻餅をついた“そいつ”を見て俺は急に怖くなってきた。

(コイツの泣き声を聞いてたくさんの人間がここに来たら……!)

冷静に考えている暇はなかった。俺は誰かが来る前に全速力でそこから立ち去りたかったのだが、それが出来なかった。自分の足元で未だ尻餅をついたままの“そいつ”が手を伸ばし、俺の腕を掴んでいたからだ。

『離せよっ!』
『イヤよ。あなたが私を突き飛ばしたんだから、あなたが私を起こして。』
『はぁ!?』

またぷくぅと日に焼けていない異様に白い頬を膨らませながら俺の事を見上げて訴えてくる。このまま言い争ってても埒が明かない、そう思った俺は呆れてため息を吐きながらも“そいつ”の白くて細すぎる腕を掴んで立たせた。立ち上がった“そいつ”はお尻に付いた土をぱんぱんと掃うと、

『ありがとう!』

満面の笑みでお礼を述べた。
少々面食らった俺だったが、一刻も早くここを立ち去りたくてくるりと“そいつ”に背を向けて歩き出した。―――――が、一歩歩いたところで俺の足は止まった。また“そいつ”に腕を掴まれて引き止められたからだ。

『ねぇ、どうしてバイバイしようとするの?』
『どうしてって……。お前、俺が俺が怖くねェのかよ?』
『どうして?全ッ然怖くないわよ?』
『なんでだよッ!?俺は片方の目が赤いんだぞッ!?』
『それがどうしたっていうのよ?赤い目の人なんていっぱいいるじゃない。まぁ確かに、紫と赤の目ってちょっと変わってるけど……。』

『でも……』と続けて“そいつ”は言った。

『私は、すっごくキレイな目だと思うわよ!』

予想外の言葉に、初めて言われた言葉に、俺はしばらく放心していた。

『私、エリカっていうの!ねぇ、私と友達になってよ!』
『は……はあぁ!?』

これが、俺とエリカの出会いだった―――――。



「互いに今まで友達がいなかった俺達は、その後もこっそりとその原っぱで会っては一緒に遊んでたんだ。エリカの体調が優れない時は、俺がこっそり病院に行って、1階だったエリカの病室の窓から他愛無い話をしてたんだ。」
「……エリカさんには、村で忌子(いみこ)って呼ばれてることは?」
「伝えてない。」
「!」

即答だった。

「恐らく、忌子(いみこ)のことを話していたとしてもアイツならそんな事も気にもしないで、変わらず俺と友達にならうってバカデカい声で言ってきだだろうけどな。」

イブキは当時の事を懐かしむように空を仰いだ。そして、首から提げたペンダントに優しく触れる。

「このペンダントも、エリカがくれたモンなんだ。“俺の事を守ってくれる”おまじないがかかっているんだってよ。……如何にも、ガキがやりそうな事だよな。」
「………。」

イブキが、そのおまじないをどう思っているかなんてウェンディにはわからない。だけど、今にも泣きだしてしないそうな儚い笑みを浮かべて、ペンダントをギュッと握り締めるイブキを見てると、ウェンディの胸は酷く痛み、締め付けられる。

「そんな忌子(いみこ)の俺が、神から罰を食らったのはエリカと出会って1年が経とうとしていた頃だ。」
「罰って……。」

イブキの口から紡がれた恐ろしい言葉にウェンディは息を呑む。

「ある日、家の割られた鏡を覗いたら……額から小さな2本の角が生えていたんだ。」
「……え………?」

ウェンディは自分の耳を疑った。同時に、自分の聞き間違いであってほしいと願った。

「この村で、紫以外の髪と目を持つ人間が忌子(いみこ)と呼ばれて恐れられている理由は、昔から言い伝えられている伝承で、その人間が災厄をもたらす“鬼”だからだ。」
「……え………?」

カラカラに乾いてしまったウェンディの口からは、それ以上何も言えなかった。

「驚いたよ、俺も母さんも。ただの古い伝承だからって、心の底から()()()いたんだからな……。」
「で、でも!それはイブキさんの魔法が、接収(テイクオーバー)鬼の魂(オウガソウル)だからなんじゃ……。」
「それは()()()、そう名乗っていただけだ。」
「!!?」
接収(テイクオーバー)鬼の魂(オウガソウル)なんて魔法は、この世界に存在しない。―――――全て、でっちあげだ。」

ウェンディの否定を意味する言葉もあっさり打ち砕かれてしまい、それどころかあまりにも突然で衝撃的すぎる事実に頭が追いつけない。

「そしてバカな俺は、角が生えた翌日に帽子を被って病院にいるエリカに会いに行ったんだ。そんな俺を更に追い詰めるかのように、神は更なる罰を与えてきた。」



屈んで、エリカのいる病室の窓へと忍び足でゆっくり進んで行く。

(こんな変な姿になっても、エリカは俺の友達でいてくれるのか……?)

唯一無二の友達を失うという不安と恐怖、だけどエリカならきっと……という淡い希望を胸に抱きながら俺は足を速めた。
そしてエリカのいる病室付近まで来たところで、何やら騒がしいことに気づいた。

(何だ……?エリカの病室の方からだ。)

近づいていくに連れて、騒がしさはどんどん増していく。それが大勢の人間の声だということに気づいたのは、エリカの病室の窓の真下に辿り着いてからだった。
耳を澄ますと、『エリカ!エリカ!』という悲鳴に近い甲高い女の声が一段と大きく聞こえた。名前を呼ばれているのに、エリカの声は一切聞こえない。
好奇心と衝動に駆られ、俺は窓の(へり)を両手で掴み部屋の中を覗き込んだ。
中に居たのは、大粒の涙をボロボロと零しながら『エリカ!エリカー!』と叫び続ける若い女と、同じように『エリカ!しっかりしろ!』と叫び続ける若い男、数人の看護婦、白衣に身を包み眼鏡をかけた医者、そして―――――その医者に心臓マッサージをされている、口に酸素マスクを着けぐったりと目を閉じたエリカの姿だった。
最初、何がどうなっているのか俺には分からなかった。ただただ呆然と、目の前の光景を見ていた。そのせいで、俺は涙を流している若い女がこっちを見たことに気づくことが出来なかった。

『キャアアアアアアアアアアッ!』

女の悲鳴で、そこにいた人間の視線が一斉に俺に注がれる。一目で、俺が忌子(いみこ)であることを見破ったようだった。同時に俺も我に返り、一目散にその場から逃げ出した。
被っていた帽子が脱げて地面に落ち、角が露わになるのにも拘らず、ただただ走った。どうして涙が溢れてくるのか、当時の俺には全然わからなかった。



「その後、体調が回復に向かっていたエリカが急死したことを知った。災厄をもたらす“鬼”の俺と度々会っていたことがそこでバレて、そのせいでエリカは呪い殺されたんだっていう噂が村中に広がったんだ。」
「そんな……。」
「仕打ちは更に酷くなって、俺や母さんの事を殺そうとする奴も出てきた。外に出れば刃物を突き付けられるようになって、家に居れば火を放って焼き殺そうとする。俺だけならまだしも、母さんにはこれ以上辛い目に合わせたくなかった。」

俯いたまま、イブキは淡々と言葉を紡いでいく。

「エリカが死んで、確か……2週間くらい経った頃だ。俺は悲惨な現状からどうにかして母さんだけでも救いたくて……。何か方法はねェのかってガキの頭で必死に考えたり探したんだ。」
「え?探したって……?」
「生まれる前に死んだ父さんの趣味が、魔法書集めだったんだ。家の地下に、埃をかぶった大量の魔法書が山みてェに積まれててな……。毎日毎日夜中まで読み漁って探しまくった甲斐あって、ある日俺はついに、とある魔法書に書かれた記憶魔法を見つけたんだ。」
「え……。」

息を呑んだ。イブキの紫と赤の目に迷いはない。

「魔法の名称とか発動条件とかは忘れちまったけど、対象とした全ての人間の記憶の一部を改正する魔法だったのは覚えてる。その魔法を使って俺は、当時のスミレ村出身の人間全員に“母さんが忌子(いみこ)を産んだ”という記憶を“母さんは忌子(いみこ)を産んでいない”という新たな記憶に改正したんだ。……ガキが考えたにしては、上出来だろ?」

引き攣った笑みをウェンディに向けながらイブキは言った。

「……いや、全員じゃねェな。」
「え?」
「母さん自身が、記憶を改正されることを拒んだんだ。」



『バカなこと言わないで!』
『ッ!』

山のように積まれた父さんの魔法書を胸に抱いて、母さんに村人全員の記憶を改正させることを話すと、母さんは一度静かに息を呑むと、今まで聞いたことも無かった大きな声で俺を叱った。

『最近、地下に籠ってお父さんの魔法書を読んでいるとは思ってたけど、まさか…そんな事考えていたなんて……。』

ため息と共に吐き出された言葉に、俺はただ唇を噛み締めることしか出来なかった。

『イブキ……お願いだから、そんな魔法使わないで?』
『……何でだよ?この魔法を使えば、もう母さんは辛い目には合わない。怖い目にも合わない。悲しまなくていいんだよっ!?周りの人達みたいに普通に買い物したり、外で洗濯したり、散歩したり……家だってもう壊されないし燃やされない!それなのに、何でだよ……!?』

魔法書を持つ手を強く握り締めた。

『俺がいなくなれば……。俺が母さんの子供じゃなくなれば……!母さんは、ずっと笑っていられるんだ……!』

そう叫んだのと同時に、俺は屈んだ母さんに強く強く抱き締められていた。持っていた魔法書が床に落ちる。

『…じゃあイブキは、誰の子供になるの……?』

俺の肩を抱く母さんの両手は酷く震えていて、嗚咽が漏れ出ていた。

『イブキは、何も悪くない。イブキは、忌子(いみこ)でも、“鬼”でもない。正真正銘、私とお父さんの子供なんだから……。この角だって、いつか消えるはずだから……。』

俺の額から生えた2本の角は、生え始めた時と比べて伸びており、もう帽子では隠し切れなくなっていた。

『……大丈夫。イブキが大人になるまで、お父さんみたいにカッコ良くなるまで、例え家が無くなっても、腕や足が無くなっても―――――私が守ってあげるから。だから……お願い………!』

ギュウッ……と、痩せ細った腕で更に強く抱き締められた。

『―――――私を…お母さんを……一人にしないで……!』



「結局俺は、ボロボロ涙を零しながら懇願する母さんの記憶だけをそのままにして、母さん以外の村人全員の記憶を“母さんは忌子(いみこ)を産んでいない”という記憶に改正させた。もちろん、そのまま母さんは無事記憶を改正された村人達に保護された。今もきっと、この村のどこかで一人で暮らしてるはずだ。帰る場所を自ら無くした俺は、行く宛も無いままひたすら歩き続けて、マグノリアの東の森で力尽きて野垂れ死にそうだったところを、ポーリュシカのばーさんに拾われたんだ。で、そのまま妖精の尻尾(フェアリーテイル)に加入したっつー事だ。」

そこまで話し終えると、イブキは両肩をぐるりと回す。知らぬ間に体を硬くしていたみたいだった。

「悪ィな。こんな……長ったらしいつまらねェ話に付き合わせちまって。」
「そんな、つまらないなんて……。私は、嬉しかったです。イブキさんが……自分の事について話してくれて。」

そう言うとウェンディは、目を伏せ胸の前で祈るように両手をそっと握り締める。

「イブキさんにはいつも助けられてもらうばかりで……。それに私、イブキさんについて何も知りませんでしたから。だから、話が聞けて嬉しかったです。」

眉尻を下げて微笑むウェンディを見て、イブキはどうしたらいいかわからなくなっていた。気まずくなって、イブキはウェンディから目を反らした。

「あの、イブキさん……。」
「……何だよ。」
「今日、ここに―――エリカさんのお墓に来たのは……?」
「……あぁ。今日が、エリカの命日なんだ。それと、エリカにもお前にも、聞いてほしい話があるからだ。」
「え?」

エリカの墓を一度見つめてから、イブキは再び忌子(いみこ)と呼ばれる原因となった紫と赤の目で、ウェンディのことを真っ直ぐに見つめた。

「昨日、ジェットとドロイが持って来た新聞に載ってた写真……あれは間違いなく、俺だ。」
「!」

再び息を呑む。

「さっき、()()()接収(テイクオーバー)鬼の魂(オウガソウル)って名乗ってるっつったが……この能力の正体は、簡単に言えば“呪い”なんだ。」
「……へ………?」
「3年前、突然今まで必死に制御してきたはずの角が、勝手にまた額から生え始めて来たんだ。最初は1ヶ月に一度だけ、ただ角が生えるだけだったんだ。でも、日が経つに連れて2週間に一度、1週間に一度……ここ最近は毎夜当たり前のように、な……。角だけじゃない。硬い皮膚に覆われて、歯が牙になって、耳が尖がって……!そして同時に、俺は次第に()()()()()()()()を失い始めてきたんだ。」
「それって……。」

イブキの言葉に、ウェンディは大きく目を見開いた。

「“鬼化(おにか)の呪い”―――――。夜に鬼と化して、人間としての理性を失って暴力的になり、仕舞いには完全な鬼と成り果てて、人間だった頃の記憶が全て消えちまうんだ。」

ウェンディは言葉を失った。

「ンな顔するなって。今ンとこ、朝になればちゃんと元の姿に戻ってるからよ。」

呆然としたままのウェンディを見てイブキが笑って言う。その笑顔が苦しそうに歪んでいることにイブキは気づいていない。

「鬼と化している間、理性を失っている俺は気づかないうちに勝手に家を飛び出して東の森で暴れ回っていたみたいだな。」
「……もしかして、最近寝不足が続いていて、ギルドでお昼寝していたのは………。」
「あぁ。毎夜、鬼になって森で暴れ回ってたからだ。その時の記憶は、今の俺にはこれっぽっちもねェけどな。」

ようやく、全ての糸が繋がった。同時にウェンディは、恐ろしい事に気づいてしまった。

「あの…イブキ、さん……。さっき、完全に鬼となってしまったら……人間だった頃の記憶が、全て……!」
「……あぁ。俺は、真の意味で恐れられる存在と成り果てて、お前等に危害を加えることになるだろうな。」
「そんな……!」
「その証拠に、さっき言ったように毎夜当たり前のように鬼になって暴れてるし、心臓が異常なくらい速く脈打っているんだ。―――――もう、時間もねェんだ……。」
「!」

聞きたくなかった。知りたくなかった。目尻に涙を浮かべながらウェンディは両拳を爪が食い込むほど強く、固く握り締める。

「ポーリュシカのばーさんと、じーさんはこの事を既に知ってる。じーさんとは、ギルドに加入する条件として、約束したんだ。」



『お主が人間の時の記憶と理性を失い、狂暴な鬼としてワシの大切な家族を傷つけた……その時は、ワシは容赦はせん。』



「そ…そん、な……。」
「賢明な判断だ。鬼になっちまえば、何を仕出かすかわからねェからな。」

手の、足の、体の震えを止めることが出来ない。

「最悪の場合、俺はお前等を」
「イブキさんは絶対にそんな事しませんっ!」
「!?」

イブキは自分の言葉を遮った、ウェンディの大きな声に目を丸くする。「ひっ……ひっ、く……」と肩を震わせ唇を噛み締めながら、ウェンディは今にも零れ落ちてしまいそうな大粒の涙を溜めた目で、イブキの事を真っ直ぐ見つめる。

「イブキさんは…イブキさんは……!うっ、うぅ……絶対に、そんな事…しません……!だって、ひっく…だって……!優しいイブキさんが、ぅう……ギルドの皆を…傷つける、こと…なんか……するはずが、ありません……!」

それがまるで限界だったかのように、言い終わったのと同時にウェンディの両目から滝のように涙が零れ落ちた。

「だ、だから……ひっ、ひっく…私、は……信じ、ませんっ……!イブキさんが、鬼に…なって……私達、を……うぅ、う~……!」

溢れて止まない涙を袖で必死に拭いながら涙声で必死に言葉を紡ごうとするウェンディに向かってイブキは手を伸ばす―――――が、その手を途中で止めて、引っ込める。

「―――――あぁ。俺は、絶対に……お前等を傷つけねェ。」
「ぅっ、ひっ……イブキ、さん……。」
「誰一人、傷つけねェ。だから―――――」

黒いジャケットの懐から折り畳み式のサバイバルナイフを取出し、柄をウェンディの方に向けて差し出す。





「傷つける前に、お前が俺を―――――殺してくれ。」





時がまるで止まったかのように、全ての音が一瞬にして消えたようだった。

「……え………?」

さっきまで溢れて止まなかった涙が嘘のように引き、ようやく口から発した声は自分でも驚くほどか細かった。

「イブキ、さん……今、何て……?」

滅竜魔導士(ドラゴンスレイヤー)であるため、並の人間よりも遥かに耳のいいウェンディは一音一音ハッキリ聞こえたはずだが、聞き返すしかほかなかった。否―――聞き間違いであってほしかった。

「俺を殺してくれ。」
「っ―――――!」

さっきよりも淡々と冷たく言い放ったイブキのその言葉は代わらず、酷く無機質で悲惨で無慈悲なものだった。
サバイバルナイフの柄をウェンディの方に向けたまま、イブキは一歩ウェンディに歩み寄る。ウェンディはイブキから一歩離れる。

「俺が完全な鬼と化して、ギルドの連中を傷つけるくらいなら、最悪の事態を引き起こすくらいなら……俺が一刻も早く死んだ方がマシなんだ。」
「そんな事言わないでくださいっ!」

一度止まったはずの涙が再び溢れ出した。だけどさっき流した涙とは訳が違う。

「ウェンディ……お前にしか、頼めねェんだよ……!俺を殺して、ギルドに帰ってじーさんに訳を話せば、あとはじーさんが何とかしてくれるはずだ。だからお前は、何も気にしなくていいんだよ……!早く俺を」
「気にするとか気にしないとか……私の事はどうでもいいんですっ!」

二度目のウェンディの大きな声に、イブキは驚き一歩たじろぐ。

「どうして……どうして……!?何も悪くないイブキさんが、そんなに傷つかなきゃならないんですかっ!?」

顔を真っ赤にして、涙をボロボロと零しながらウェンディは言葉を紡ぐ。

「イブキさんも……!どうしてそんな簡単に、楽で、誰かが悲しむ道を進もうとするんですかっ!もっと何か……もっと何か、別の方法が」
「ねーんだよっ!」
「!」

イブキが声を荒げて言った。言葉を遮られたウェンディはあまりのその声の大きさにそれ以上何も言えなくなってしまった。
ウェンディの方に柄を向けたままのサバイバルナイフの刃の峰を持つイブキの手が酷く震えていた。

「言っただろ!毎夜毎夜鬼になって暴れ回る回数が増えてるって!それに合わせて心臓の鼓動も日に日に異様に速くなってるって!俺が完全に鬼になっちまうまで……もう、時間がねェんだ―――――。」
「イブキ、さん……。」

最後に吐き捨てるように呟いたイブキの言葉はとてもとても小さかった。

「……感覚的な俺のただの勘だけどよォ…遅くても、あと3~4日もすれば、俺は完全な鬼と化しちまう。」
「……え?」
「そんな短時間で、俺が死ぬ以外の方法が見つかる訳が…思いつくはずがねェだろ……?だから……!人間だった頃の記憶も理性も全て無くなって、完全に鬼と化して、お前等を殺しちまうくらいなら―――――!」
「っ―――――!?」

逃げようとした時には、既に遅かった。
イブキは一瞬の隙を突いてウェンディとの距離を一気に詰めると、強引にウェンディの両手を掴みその手にサバイバルナイフを握らせる。そしてそのまま、刃先を自分の首筋に突き付けた。

「止めてくださいイブキさん!」

ウェンディは渾身の力を込めてサバイバルナイフを握る自分の両手をイブキの両手ごと首筋から遠ざける。

「俺を殺せェ!」
「絶対にイヤですっ!お願いだから、放して……!もう、止めてください!」

サバイバルナイフを持ったウェンディの両手を自分の手で包み込みながら、イブキは自分を刺し殺そうとする。ウェンディも負けじと涙を零しながら必死にそれに抵抗する。

「イブキさん……!」
「ッ……!」

悲痛な声で名前を呼ばれ、イブキは苦渋の表情を浮かべる。
ウェンディもイブキも、互いの事しか見えて、考えていなかったからだろうか……?二人は近づいてくる人影に気づくことが出来なかった。

「っ――――――――――!」

ウェンディとイブキ、二人のどちらでもない息を呑む音が聞こえた。そして、パサリ…と何かが地面に落ちた。その微かな二つの音が聞こえた方にウェンディとイブキはナイフを握り締めたまま視線を移す。そこには、紫色の長い髪と同色の驚きと恐怖で目を大きく見開いた一人の女性が立っていた。震える口元に両手を当てている女性の足元には、白い菊と黄色いカーネーションの花束が落ちていた。

「い…忌子(いみこ)……。“鬼”……!」
「ヤベェ……!」
「きゃ……!」

女性は真っ青な顔で呟くと、落としたと思われる花束に見向きもしないで一目散に来た道を戻って行ってしまった。イブキもウェンディの手を乱暴に放すとその女性を追いかけて行ってしまった。イブキが手を放した拍子に尻餅をついてしまったウェンディも慌てて立ち上がると、土も掃わずに二人の後を大急ぎで追いかけた。
誰もいない小高い丘に風が吹き、落ちた菊とカーネーションの花びらを揺らす。
あの女性がいったい誰なのか、それは初めて会うウェンディもすぐにわかったことだ。エリカの命日である今日、そこに花束を持って現れるなんて……。答えは一つしかなかった。

(エリカさんのお母さんだ……。)

イブキの言う通りならば、自分の娘を殺した(ということになっている)忌子(いみこ)であるイブキの姿を目にすれば……一刻も早く村全体に伝え、追い出すか最悪殺そうとするはずだ。

(早く、止めないと……!)

急かす気持ちが募ると、坂を下るウェンディの足は勝手に加速する。

「あっ……!」

案の定、ちょうど坂を下り終えたところでウェンディは盛大に転んでしまった。坂が砂利道だったせいで、掌と膝を擦り剥き血が出る。ズキズキする鈍い痛みに耐えながらなんとか立ち上がり、再び走り出す。
そして、辺りをキョロキョロと見回しているイブキの姿を見つけた。

「イブキ、さん……!」
「!ウェンディ……!?お前、何で……!?」

肩を大きく上下させ乱れた呼吸を整えながら、イブキはウェンディの姿を見て目を丸くした。

「お前、怪我してンじゃねェかよっ……!」
「ハァ…ハァ……や、っと…追いつき、ました……!」
「ッ……。」

手の甲で額の汗を拭いながらウェンディはイブキに笑いかける。イブキは申し訳なさそうに唇を噛み締めた。そしてガシッとウェンディの華奢な両肩を掴むと、赤と紫の目でウェンディを真っ直ぐ見つめた。

「すぐにこの村から出ろ!」
「え?」
(ここ)忌子(いみこ)だって恐れられている俺と一緒にいりゃぁ、お前にも酷い目に合わせる羽目になっちまう!それだけはぜってェに嫌だっ!」

皮肉にも、こんな状況下で自分の事を優先し気遣ってくれるイブキはやっぱり優しいのだとウェンディは思ってしまった。―――――その直後だった。

「危ねェ!」
「!?」

イブキに抱かれるように、ウェンディはイブキの腕の中で横に倒れ込む。すると、さっきまで二人が立っていたところに一筋の青白い稲妻が轟いた。ウェンディはゴクリと喉を鳴らす。

「クッソ!外した!」
「でも、狙いはよかったんじゃねーか?」

いつの間にか二人は大勢の村人たちに四方を囲まれており、その中で先程の稲妻を放ったと思われる魔水晶(ラクリマ)がついた杖を持った二人の年若い男がいた。

「まさか、魔法を使うようになっていたなんてな……。」

予想外の出来事にイブキは舌打ちをし、ウェンディに手を貸し立たせながら自分達を囲む村人たちを睨み付けた。

「村を荒らしに山から下りてくるクマやイノシシを対峙するために、数年前に若いモンに導入したんじゃ。……まさか、9年経った今頃になって復讐しに姿を現した忌子(いみこ)を殺す為に使うことになるとは、思ってもなかったがな。」
「……村長。」

杖を突きながら前に歩み出た老人―――村長がイブキを睨み付ける。

「よくも私の娘を……!」

村長の背後から聞こえた声にウェンディは身震いをする。それは殺気立ったエリカの母親の声だった。斧を片手に、怒りで目が血走りワナワナと手が震えている。

「尊い命を奪った分際で、今までのうのうと生きていたわねっ!」
「そうだーっ!」
「二度とこの村に来ないで!」
「さっさと地獄に落ちろーっ!」

エリカの母親の言葉がまるで火に油のように、村人たちの罵倒が次々に飛び交い始めた。イブキは顔を伏せ、浴びせられる罵倒にグッと我慢する。

「イブキさん……。」

見ていられなくなったウェンディはイブキの震える肩にそっと手を置いた。そこで村人たちは初めてウェンディの存在に気づいたようだった。

「おい!“鬼”の傍に女の子がいるぞっ!」
「怪我をしているわ!」
「きっと忌子(いみこ)にやられたんだ。」
「え?ま、待ってください!この怪我は」
「まぁ、かわいそうに……。」
「なんて酷い……。」
「更に襲われたら大変よ!」
「誰か!すぐにその子を避難させろ!」

ウェンディの言葉に村人たちは聞く耳も持たない。そして屈強な若い男が一人、イブキに警戒するように恐る恐る近寄るとウェンディの腕を掴む。

「さぁ、早くその化け物から離れるんだ!」
「やっ……!は、放してください!」
「ッ……。」

男の腕を振り払おうとするが屈強な男の強い力にはウェンディに為す術はなく、そのまま村人たちの方に引きずられていく。イブキは伸ばしかけた手をそのまま下ろす。

(ウェンディには酷い目に合わせたくねェ……。)

虚空を掴んだ手を爪が食い込むほど強く握り締めた。

「イブキさん!」
「おいコラ!忌子(いみこ)の傍に行ったらダメだ!」
「きゃ……。」

村人たちの輪の方へと引き摺り来られたウェンディは男が手を離したと同時にイブキの元へ行こうとするが、また腕を掴まれ引き止められてしまう。

(どうしよう……!このままじゃ、イブキさんが……!)

ウェンディが困惑していた、その時だった。

「女の子に乱暴しちゃダメよ、レト君。」

優しい声が聞こえたかと思えば、ウェンディの腕が男の腕からやんわりと外された。
振り向くと、ウェンディと男の間に紫色の髪をピンク色のシュシュでルーズサイドテールに束ねた女性が立っていた。その女性の面影にウェンディは目をパチクリさせる。

「別に乱暴にはしてないですよ。ていうかサツキさん、まーた痩せたんじゃないですか?」

レトと呼ばれた男は不服そうに肩を竦めながら、サツキという名の女性をまじまじと見つめる。

「それに、いつもはあまり街中にも出て来ないのに、なーんで忌子(いみこ)が現れた今日に限って外出歩いているんですか?」
「あ、えっと……ちょっと気分転換、に?」
「なーんで疑問形なんですか?まぁ、いいですけどね。それより離れててくださいよ?忌子(いみこ)が何仕出かすかわからないんですから。」
「………。」

軽い調子で言ったレトの言葉にサツキは俯く。

「あ、あの……」

そんなサツキにウェンディが声をかけようとした瞬間だった。

「殺っちまえーーーっ!」

誰かの叫びを合図に村人たちは一斉にイブキに向かって石を投げ、斧を振り上げ、矢を放ち、槍を構え、魔法を放ち始めた。

「ぐっ……!あがッ…う、うぅ…ぐ……ぐァア!」
「イブキさん!」
「おいコラ!近づくなって!」

イブキは抵抗は一切せず、石ころを右目に食らい、振りかざされた斧を肩に食らい、放たれた矢を足に食らい、突き刺された槍を腕に食らい、魔法を腹に食らう。あっという間にイブキの体は忌子(いみこ)の色に染まる。
助けに行こうとしたウェンディの腕をまたレトが掴んで引き止める。サツキは細くて白い両手で顔を覆っていた。

「ァ…ァ、ァア……ガハッ!」
「お願いですっ!止めてくださいっ!」

ウェンディの涙と叫びは誰にも伝わらない、聞こえない。
頬を涙が一筋伝い流れ落ちた。大きく息を吸い込み、ほんのり鮮血の香りがする空気と共に吼えた。

「天竜の咆哮ッ!」

天をも貫く咆哮が、イブキと村人たちの間を吹き抜けた。沈黙が流れる。

「あ……。」

その威力と轟音にウェンディの腕を掴んでいたレトと二人の背後にいたサツキはもちろん、イブキに寄って集って傷つけていた村人全員が動きを止め呆然としていた。「しまった!」と思った時には、既に遅かった。

「化け物……。」

誰かが呟いた言葉に「キャーーー!」と恐怖に満ちた悲鳴が上がる。

「こ、このガキも忌子(いみこ)と同じ化け物だァ!」
「殺せ殺せェ!」
「相手はガキだっ!怯むんじゃねーっ!」
「災厄をもたらす化け物はすべて残らず殺しちまえェ!」

滅竜魔法を見たことが無い村人たちはウェンディを化け物だと思い込み、殺意の籠った矛先をイブキからウェンディに向ける。

「ッ……!」

石が、斧が、矢が、槍が、魔法が雨のように降り注ぐことに覚悟を決めウェンディは硬く目を瞑った。

「ウェンディに触れるなあああああああああああああああッ!」

地をも震える怒号が鳴り響いた。

「うわぁっ!」
「ヒ、ヒィ……!」
「キャアアア!」
「逃げろーーーーーっ!」

ウェンディが目を開けると村人たちは斧や槍を投げ出し、一目散に走り去って行くところだった。ただ一人、サツキだけは紫色の目を大きく見開いてはいるものの逃げずにその場に佇んでいた。そのサツキの視線の先には、

「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

赤黒い紋様が刻まれた紺色の巨体に黒い爪、背中に生えた悪魔のような黒い翼に額から生えた緩やかな弧を描く2本の黒い角、紫と赤のオッドアイを不気味に光らせる“鬼”が癇癪を起こしながら叫んでいた。その声は怒り、悲しみ、悔しさ……負の感情に満ちていた。

「……イ、ブキ…さん……。」

震える声で名前を呼びながら“鬼”―――イブキに向かって手を伸ばす。ウェンディの声が聞こえていないのか、イブキの視線はサツキに向けられる。

「イブキさんダメです!その人は……!」

サツキの元へ駆け寄る先に、ウェンディの体は黒い腕に抱き締められる。

「え……?」

ウェンディの頭は混乱しており何が起こったのか現状についていけないでいる。
イブキは自分の腕にウェンディを抱いたまま、背中に生えた翼を羽ばたかせ空に舞い上がる。

「イブキ、さん……?」
「………。」

困惑した状態のウェンディを安心させるため、イブキは声をかける代わりにウェンディを抱く腕の力を強めた。
そしてほんの一瞬横目でサツキを見遣ると、空を飛んで村を後にした。

「―――――。」

サツキのか細い声が風に攫われていった。





ウェンディを右腕に抱えたイブキは茜色に変わりゆく空を颯爽と翔けていた。

「イブキさんも……お空、飛べたんですね?」
「あー…まぁ、な?飛翔の鬼、ソアラは巨体ながらも尋常じゃない速さで動くことが出来るし、他の鬼と違って背中に生えた翼で空も飛べるんだ。つっても、シャルルみてェに上手く飛べねェけどな。居心地悪ィだろ?」
「いえ、全然大丈夫ですよ。」
「そーかよ。あ、あと俺も滅多に空飛んだりしねェから……落としたら、悪ィな?」
「えぇ!?」

ウェンディは素っ頓狂な声を上げるとイブキの体にしがみつく。

「……いや、確かに飛ぶことは滅多にねェけど、お前を落とすようなヘマはしねェって。」
「え、あ…す、すみません!」

軽い冗談のつもりで言った言葉を真に受けるウェンディを見て、面白可笑しそうにイブキは笑う。

「あの…イブキさん、怪我は……?」
「あー…ナツ達とドンパチ遣り合ってるのと比べりゃあ、こんなの大したことねェよ。」

口ではそう言っているものの、イブキの左肩には矢が刺さった後の傷口から血が流れ出ており、右目の瞼が腫れ上がっていた。痛みで顔も若干引き攣っている。

「すみません、イブキさん……。」
「何でお前が謝るんだよ?」

何も出来なかった自分を悔やみ、ウェンディは唇を噛み締める。そして肩の傷口に手をかざし治癒魔法をかける。

「……ありがとな。」

イブキは嬉しそうに、安心したように、牙が覗く口元に弧を描いた。

「あの、イブキさんにかけられているその鬼化(おにか)の呪い……何とかして解くことは出来ないんですか?」
「無理だ。9年も経ってんだ、遅すぎる。たとえ解く方法があったとしても、ずっと言ってるように……もう時間がねェ。」
「そう…です、か……。」
「ウェンディの治癒魔法で、何とかなんねェのか?」
「あ、えっと…それは……。」
「ハハッ、悪ィ悪ィ。軽い冗談だ。……忘れろ。」
「………。」

夕日に照らされた“鬼”の悲しげな横顔を見つめる。

「せめて、鬼眼(きがん)じゃなければ…何か違ったはずなんだけどな……!」

空いている左手で赤い左目―――鬼眼(きがん)を鷲掴みにするように覆いながら、イブキは今にも泣きだしそうな声で言う。ウェンディにはどうすることも出来なかった。



「さァーって…()()()()どーっすっかなぁ~……。」
「え?」

しばらく沈黙が続き、もうすぐマグノリアに差し掛かろうとしたところでふいに口にしたイブキの言葉に、ウェンディは思わず治癒の手を止めてしまった。

「どういう、意味ですか……?」

その言葉の意味を尋ねるウェンディの方を見ずに、イブキはその答えを静かに告げた。

「俺は―――――ギルドを……抜ける。」
「……え………?」
「いや……マグノリアを去る、っつった方がしっくりくるな。」

ズン…と頭に鈍い衝撃が走った。
イブキの言葉に、ウェンディは目を白黒させる。

「いつ完全に鬼と化するかもわかんねェ状況で、これ以上ギルドに籍を置いとく訳にはいかねェ。早いうちに去らねェと、お前等に危害を加えかねェからな。」
「そ…そん、な……。」

声が、手が、体が震える。涙が溢れ、視界が滲みだす。

「マスターには、ギルドの連中には……ウェンディから、伝えてくれ。」
「……どうして―――――!」

涙で濡れた目を、真っ赤になった顔を上げイブキを真っ直ぐ見つめる。そんなウェンディの表情にイブキは面食らう。

「どうしてイブキさんは!一人で抱えようとするんですかっ!?自分を責めるようなことばかりするんですかっ!?イブキさんは何も悪くないのに……誰も、誰も悪くないのに……どうして―――――!」
「ウェンディ……。」

イブキが、涙声で必死に言葉を紡ぐウェンディの涙でぬれた頬に思わず手を伸ばしかけた瞬間だった。

「イブキさんがギルドを抜けるなら……私は、()()()()()()()()。」
「は……?」

その言葉の意味を、すぐに理解することが出来なかった。
()()()()―――――それが空を飛んでいるこの状態を表していることに気づくと、イブキはウェンディを抱く右腕の力を強めた。

「お前…何言ってやがる!ここが、どんだけ高いのか知って言ってんのかよっ!?」
「私は本気ですっ!」
「ッ!?」

思わずイブキは空中で止まってしまった。
頬が涙で濡れたウェンディは両手に空気の渦を纏っている。
眼下に広がるのはマグノリアとオニバスを繋ぐ杉の木の森だ。目測だが、地上から二人は50~70m付近にいる。その高さから落ちれば、いくら魔導士とはいえ怪我では済まないだろう。……いや、むしろ怪我で済むはずがないのだ。

「イブキさんが「ギルドに帰る」と言ってくれれば、この手を下ろします。もし言わないなら、私はイブキさんを攻撃して、ここから落ちます。」

目が、本気だ。

「………。」

冷や汗が流れ落ち、目を閉じ、ゴクリと生唾を呑み込むと、

「―――――ゴメン。」
「わっ。」

ウェンディの顔の前で手をかざすと、ポワッ、と泡のような魔法が放たれる。

「あ。」

その泡を顔に浴びたウェンディは意識を手放す。
眠ってしまったウェンディの細くて小さな体を抱き締め直す。

「昔、ミラに教わった眠り魔法だ。ぜってェに使うことはないって思ってたんだけどな……。まさか、こんな形で使う時がくるなんて……思ってもみなかったぜ。」

腕の中で眠るウェンディの顔にかかった長い藍色の髪を除けながら、イブキはもう一度小さく小さく呟いた。





「―――――ゴメン。―――――ありがとう。」





妖精の尻尾(フェアリーテイル) 医務室―

ウェンディが目を覚まし視界に最初に映り込んだのは、心配そうにこちらを見つめるシャルルとルーシィ、ミラの顔だった。

「ウェンディ!」
「よかった!気が付いた!」

シャルルとルーシィは心底嬉しそうに声を上げて喜ぶ。

「具合はどう?どこか、調子悪い?」
「いえ……大丈夫、です。」

問いかけるミラにウェンディは首を振って答える。

「あたし、ウェンディが起きたって皆に伝えて来るね!」

そう言うとルーシィは医務室を飛び出して行った。

「……それで?ウェンディ、いったい何があったのよ?」
「え?」

ベットの傍に置かれた丸椅子に座って腕を組むシャルルの言葉にウェンディは首を傾げる。

「昨日の夕方、仕事から帰って来たバンリがギルドの扉に寄り掛かって眠っているウェンディを抱えて戻って来たのよ。」
「あ……!」

シャルルの言葉に付け足すように言うミラの説明を聞いて、ウェンディはベットから飛び起きた。

「ちょっと、一応まだ安静にしときなさいよ。」
「イ、イブキさんは!?」
「え?」
「イブキさんはどこにいるの!?」

ベットから下りると、ウェンディはシャルルの肩を掴んで揺さぶりながら問いかける。

「イブキはまだ、帰って来てないわよ?」
「……え?」
「だけど、一緒に出掛けたはずのアンタだけが先に帰って来てるし、しかも眠ってるから私たちにも何がどうなっているのかわかっていないのよ。」

シャルルの言葉に、ウェンディは自分が血の気を失っていく感覚を覚えた。

「ウェンディ、どういうことなの?イブキと……何かあったの?」
「………。」

シャルルの声が遠くに感じる。立っていられるのもやっとだ。

「ところで……昨日扉の前で眠ってたウェンディの肩と首に、これがかけられていたんだけど……?」

そう言いながらミラが持っていたものをウェンディに見せる。

「ッ―――――!」
「ちょっ、ちょっとウェンディ!?アンタ…いったいどうしちゃったのよぉ!?」

膝から崩れ落ち、声を上げて泣き出したウェンディを見てシャルルが驚嘆の声を上げた。
ミラが持っていたのは、イブキがいつも身に着けている黒いジャケットと、肌身離さず首から提げていた、エリカからもらった青色の雫型のペンダントだった。



『“俺の事を守ってくれる”おまじないがかかっているんだってよ。』



ペンダントが悲しげに、僅かな光を発して輝いた。
 
 

 
後書き
Story16終了です!
すみません、めちゃくちゃ長くなってしまいました。そして鬼の描写が上手く表せれない……。イブキが接収(テイクオーバー)するのは、一般的な黄色と黒の縞々パンツを穿いたような鬼ではなくてですね、ファンタジー系のゲームや小説に出て来る悪魔に近いような鬼なんですが……。
次回はナツ達が姿を消してしまったイブキを探すために奮闘……する予定です!一方そんな中、ウェンディはシャルルととある場所へ……。
どうぞお楽しみに~! 
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