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艦隊これくしょん 災厄に魅入られし少女

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第十話 決して埋まらない溝

「提督は何もしないでくださいね」

加賀が抑揚の無い声でそう言う。
その言葉は凰香の鼓膜を確実に揺らし、彼女が何と発したのかはわかる。それは防空棲姫、時雨、榛名、夕立も同じだ。

しかし、凰香は言葉を発さない。
この状況を理解するのに少し時間がかかってしまったからだ。

いきなり加賀に抱きつかれて押し倒され、凰香に馬乗りになった加賀が服を脱ぎ始めてこう言った。

『今宵の伽を務めさせていただきます』、と。

伽ーーーー随分と古い言い方だが、要するに夜の営みをすること。正確に言えば、女が男に奉仕することだ。この際、女同士であることは置いておく。
そして加賀はこう言っていた。
『今宵のと伽』と。

「提督は何がご所望ですか?」

不意に加賀の声が間近で聞こえ、それと同時に胸の辺りに柔らかくて暖かいものがあたる。
声のした方を見ると、上半身を露にした加賀が凰香の身体にピッタリと寄り添いながら、凰香の顔を覗き込んでいた。

茶髪に白く透き通った肌、そんな白い肌の中で映える赤く控えめな唇。白く透き通った肌に、空を支配し深海棲艦を一撃で沈める正規空母なのかと疑問に思うほど細く華奢な肩や腕。
そして華奢な肩や腕と対称的な、凰香と彼女の身体の間でふっくらと盛り上がる凰香よりも圧倒的な二つの胸部装甲。
どれをとっても、女性として非常に魅力的な姿だった。



その目に、『涙』さえ浮かんでいなければ。
 

「提督?」

凰香が何も言わないことを不審に思ったのか、加賀が小さく呟く。先程の抑揚のない声ではなく少し震えた、明らかに恐怖を孕む声だ。
その様子に、凰香は無表情で加賀の手を取る。
その瞬間、加賀はビクッと身を震わせてからギュッと目を閉じる。
凰香が取った加賀の手は震えている。手だけでなく、彼女の身体全体が震えていた。あれほど艶っぽく見えた唇や白く透き通った肌に、若干青みがかかる。

言葉の意味を吐き違えない、まさに『伽』がそこにあった。

すぐさま時雨が動こうとするが、防空棲姫がそれを止める。今から凰香がやろうとしていることを察したからだ。

「誰の命令ですか?」

凰香がそう声を漏らす。それは今までに出したことのないほど低く、冷たい声だ。
その声に加賀がビクッと反応し、恐る恐る目を開けて凰香を凝視する。

「誰ですか?」

凰香は再度同じ質問を投げ掛ける。対して加賀は凰香の顔を凝視しながら呆けた顔を向けている。『言っている意味が分からない』といった感じである。

その姿を見た凰香は不意に胸の中に不快感が湧き上がる。それは榛名や夕立から前任者の所業を聞いた時のものに似ている。
しかし、今のこれはあのときと比べ物にならないほど熱く、今にも噴き出しそうなほど煮えたぎったどす黒いものであった。
それはどんどん大きくなっていき、全身を満たしていく。それに呼応するかのように右腕の赤いオーラが噴き出していき、籠手の隙間から漏れ出していく。
それに対して頭はどす黒いものを抑え込むほど非常に冷静であった。

「これを命令したのは誰ですか?」

凰香はもう一度加賀に問い掛ける。頭の中で徐々に増えながら回るそれを向ける先を。恐らく、一度暴発すれば人を殺しかねないほど溜まりに溜まったそれを向ける先を。
加賀は凰香を凝視しながら、フルフルと顔を横に振った。その際に涙が四方に飛び散り、凰香の服を濡らす。しかし今の凰香はそれを気にすることはない。

「前任者ですか?」

凰香の問いに加賀の目に更に恐怖が映る。ビンゴと見ていいだろう。
しかし前任者は今ここにいない。つまり、今現在鎮守府に所属している誰かが彼女に命令したことになる。
 
「あなたに命令したのは誰ですか?」

再度同じ質問を加賀に投げ掛ける。しかし、加賀はまたもや首を横に振るだけであった。
このままでは埒があかない。聞くだけ無駄である。

そう判断した瞬間、凰香の頭に一つの仮説が頭の中に浮かんできた。

榛名や夕立の話や加賀の様子を見るに、伽の件や食堂の件は前任者が強いた体制である。
それを強いた前任者はとうの昔に消え去っている。それにもかかわらず今現在でもそれが続けられている。つまり、前任者と同じ権力をもった何者かがこの体制を強いているのだ。
では、今現在前任者ほどの権力をもった何者かは一体誰か。
まず人間ではない。ここには凰香以外の人間がいないまらだ。
ここにいるのは艦娘ばかり。つまり、艦娘の中にその何者かがいる。
 
 
『Hey、テートク。ワタシ、この鎮守府でテートク代理をしている金剛デース。よろしくお願いしマース』

ふと頭の中に過った言葉。
その瞬間、抑え込んでいたどす黒いものが爆発した。

「……なルほどォ、金剛サんですカぁ」
「ヒッ……!?」

凰香の絶対零度に凍える声に加賀が引きつった悲鳴を漏らし、凰香から飛び離れる。
身体が自由になった凰香は飛び起きると、廊下に続いている扉に近づいた。
そしてーーーー

ーーーーードゴォォォン!!ーーーーー

ーーーー扉を右腕で思い切り殴りつけた。それにより扉は吹っ飛び、反対側の壁に激突する。

今の凰香は完全にキレていた。まだ防空棲姫化してはいないが、眼は赤く染まり、全身は赤いオーラを纏っている

「て、提督!」

加賀が凰香を引き止めようと右腕に抱きついてくるが、今の凰香にとっては鬱陶しいことこの上ない。
凰香は迷うことなく加賀を振り払う。

「キャッ………!」

加賀が小さな悲鳴をあげて吹き飛ばされるが、壁に当たる寸前で榛名が加賀を受け止める。

「く、黒香さん!落ち着いてください!」

加賀を受け止めた榛名がそう言ってくるが、凰香は耳を傾けることなく廊下に出て、『敵』と認識した艦娘の姿を探す。

「金剛さァン、何処ニいルンですカぁ?」

地獄の底から響くような低い声を出して歩く。
夜も更けているために寝ている艦娘もいるだろう。しかし凰香はそれに気を配っている余裕などなかった。
今、少しでも気を抜けば凰香は『防空棲姫』と化す。凰香がまだ防空棲姫と化していないのは、凰香の頭がまだ冷静さを失っていないからである。

「静かにするネ!!」

不意に横から怒号が聞こえてくる。凰香がそちらの方を向くと、そこに目的の人物が立っていた。

榛名と同じように露出の激しい和服にカチューシャ、丈の短い黒色のスカート。加賀や榛名と肩を並べられるほど透き通った白い肌に浮かぶ目に深い隈が刻まれているその姿の艦娘は、まごうことなき凰香が探していた艦娘『金剛』である。
 
「もう就寝している子たちの迷惑を考えてくだサイ!!」

顔に深いシワを刻み込みながら、金剛は凄味を効かせてくる。今まで見せてきたことのないその顔に、大概の人なら怖気づいてしまうだろう。ましてや子供なら悲鳴を漏らして泣いてしまってもおかしくはない。
しかしーーーー

「見ィつケマしたヨぉ、金剛さァン」

ーーーー今の凰香にそんなものは通用しない。何せ今の凰香には感情は存在しない。故に『恐怖』という感情も存在しないため、金剛の凄みなど通用しない。
凰香は赤く染まった眼で金剛を見つめながら一歩踏み出す。

それを見た金剛は近づいてくる凰香の異様な姿を見て顔を引きつらせ、一歩ずつ後退りを始めた。
遠い昔、世界が大規模な戦乱に見舞われた際に最古参のブランクをものとのしない怒涛の活躍で名を馳せた戦艦、あの金剛が『災厄』と恐れられた防空棲姫の魂を宿した人間の少女に後ずさる。おそらくこのようなことは初めてだろう。

金剛が一歩後ずさるのに対し、凰香は二歩歩いて距離を詰めていく。凰香が近づいていくのに対して、金剛は引きつらせた顔を何とか持ち直し、戦艦『金剛』の名にふさわしい殺気染みた視線を向けてくる。
しかし凰香にそんなものは通用しなかった。

凰香がどんどん距離を詰めていくと、後退りしていた金剛はやがて顔を背けた。それにより、彼女の殺気染みた視線が消える。
凰香はここぞとばかりに一気に金剛との距離を詰め、そして金剛の腕を捉えた。

「ッ」

金剛の小さな声が聞こえるのも構わず、捉えた腕を力任せにこちらに引っ張る。金剛は引っ張られる腕に抵抗することはなくこちらに引き寄せられる。
凰香は俯いたまま沈黙している金剛の襟首を掴む。それにより金剛は膝立ちの状態になり、凰香が金剛を見下ろす形となる。

「加賀サんにアのヨウな酷イことヲさせルとハ、いイ度胸シてマスねぇ」

凰香は怒り狂って『防空棲姫』になりそうになるのを懸命に堪えながら、地獄の底から響くような低い声で金剛に向かってそう言う。しかし金剛は凰香にそう言われたにもかかわらず、顔を上げようとしない。
それを見た凰香は右腕の拳を握って振り上げる。金剛が顔を上げた瞬間に拳を叩き込む準備をするためだ。
そして俯いたままの金剛の表情を見るために掴んでいた襟首を捻りあげる。
それにより俯いていた金剛の表情が露わとなった。

「ひぐッ……うッ……うぅ……」

金剛は泣いていた。

固く目を瞑り、血が出るほど唇を噛み締め、これから来るであろう激痛に耐えるかのように、彼女は泣いていた。
そこに、さっきまで凰香を睨み付けていた、数々の戦いを切り抜け、帝国史上最も活躍した戦艦『金剛』の姿はなかった。

ただの、一人の女性がいた。

「ッ」

泣いている金剛を見た凰香は思わず振り上げていた拳を止めてしまう。それと同時に全身を満たしていたどす黒いものは急速に治っていき、眼は元の黒色に戻り、赤いオーラも霧散する。

「ていとくぅ……」

加賀の声が聞こえ、足に抱き付かれる。
凰香が足元を見下ろすと、涙でぐちゃぐちゃになった顔の加賀が必死に凰香の足に縋り付いていた。
 
「こんごうさんはかんけいありません……すべて、わたしがわるいんです……ゆるしてくださぃ……」
 
嗚咽交じりのか細い声で凰香にそう懇願してくる加賀。捻り上げられて何も抵抗することなく込み上げる嗚咽をかみ殺す金剛。

そこに、深海棲艦を一撃で沈める戦艦と正規空母の姿を微塵も感じることはできなかった。

「凰香、それ以上は止めておきなさい。それ以上やったら『人』でなくなるわよ」

防空棲姫が凰香の肩に手を置いてそう言ってくる。
彼女の言う通り、無抵抗な金剛にこれ以上手を出せば凰香は弱者を虐める下衆となんら変わらなくなる。それこそ、前任者と同じになってしまう。

「………ごめんなさい」

凰香はそう言いながら金剛の襟首を離した。解放された金剛はそのまま床にへたり込み、涙にぬれた顔を必死に拭う。
それを確認した加賀が小さな嗚咽を漏らしながら凰香の足を離れ、金剛に近付いて肩に手を置く。
肩に手を置かれた金剛は拭っていた手を止め、いきなり立ち上がる。それに一瞬驚いた加賀であったが、すぐに顔を曇らせて俯いた。

「……加賀、『伽』はするなとあれ程言ったはずネ。これに関しての処遇を決めますカラ、この後すぐにワタシの部屋に来てくだサイ」
「……はい」
「では、これにて失礼しマース」

先ほどよりも低い金剛の言葉に加賀が小さくつぶやき、それを確認した金剛が何事もなかったかのようにそう言って歩き出す。
それを見た凰香はすぐに金剛を呼び止めた。

「待ってください」
「……何ですカ?」

凰香に呼び止められた金剛が立ち止まるも、こちらに振り返ようとせずにそう言った。
横に付き添う加賀は俯きながらも金剛と凰香を交互に見ており、時雨敵意を滲ませた眼で金剛を、榛名と夕立は心配そうに凰香を見ていた。防空棲姫はこの状況を静観している。
そんな中、凰香は口を開いて金剛に確認した。

「『伽』は、あなたがが命令したことですか?」
「……違いマース。加賀が勝手にしでかしたことデース。まったく、困ったものですヨ」
 
金剛はこちらを振り返ることもなく砕けた口調でそう言い、肩をすくめるジェスチャーをする。
凰香が加賀に視線を向けると、加賀は凰香を見て申し訳なさそうに頭を下げてきた。
この反応を見る限り、加賀が独断で行ったと見ていいだろう。

凰香はさらに金剛に聞いた。
 
「もう一つ、食堂のあれはあなたが指示したことですか?」
「ハイ、そうですヨ」

金剛が躊躇することなくそう答える。
それを聞いた凰香は視線を鋭くして聞いた。

「なぜですか?あれは前任者が強いた体制です。前任者がいなくなった今は続ける必要などないはずですが?」
「簡単デース。ワタシたちは、『兵器』だからデース」

凰香の言葉に金剛が躊躇うことなく即答する。
それを聞いた凰香は金剛に言った。

「へぇ、あんな地獄みたいな状況を強いる必要があるというのですか。戦場の食事によって自軍の士気を容易く変えられる。それがどれほど重要なことか提督代理のあなたなら分かっているはずですが」

凰香の言葉に、金剛は一切反応しない。一切微動だにせず、彼女は凰香の言葉を背中で受け止めるだけであった。

「大体、あなた達はただの兵器ではありません。ちゃんと意思を持って動く人間と同じ『艦娘』です。だから――――」
「テートク」

凰香の言葉は、金剛がこちらを振り返った際に発した一言によって掻き消された。
金剛は生気のない、暗く冷たい眼で凰香を見ながら言ってきた。

「貴女達たちは、艤装を付けることが出来ますカ?海の上を自由に走れますカ?深海棲艦に傷を付けられますカ?奴らの攻撃を喰らっても生きていられますカ?手足を吹き飛ばされても砲撃を続けられますカ?手足を吹き飛ばされるなどの大怪我をしても入渠すれば傷は癒えますカ?燃料や弾薬を補給出来ますカ?それさえ摂取すれば普通に食事をしなくても生きていけますカ?」
 
立て続けに放たれた質問。
人間は艤装を付けることも出来ないし、船に乗らなければ海の上を自由に走れない。
深海棲艦に傷も付けられないし、深海棲艦の攻撃を喰らったら間違いなく死ぬしかない。
入渠してもかすり傷すら治らないし、燃料や弾薬も食べれず、普通の食事をしなければ生きていけない。

どれもこれも、凰香を除いた人間には『不可能』と答えるしかできない。

「……ホラ、ワタシたちと貴女はこれだけ違うんですヨ」
 
そう呟いた金剛は小さく息を吐く。そして生気のない眼を再び凰香に向け、こう呟いた。

「……たかが『人間』風情と、艦娘(ワタシ)たちを一緒にするんじゃねぇヨ」

その言葉に、凰香は何も言い返せない。言い返そうと思えば言い返せるのだが、言い返すための言葉が見つからなかった。
それは時雨達もおなじであった。
 
「あ、テートク。明日合同演習を行うから、工廠近くの港に来てくださいネー。では、失礼しマース」

何も言わない凰香に思い出したかのようにそう言った金剛は、クルリとあちらを振り向いて速足に去っていった。
その後を追う加賀は凰香と金剛を交互に見ながら、凰香に一礼だけして廊下の向こうに消えていった。

「凰香さん………」

その場に残された凰香に夕立が心配そうに声をかけてくる。

「……今日はもう部屋に戻ろう」

凰香は気にした様子なく、いつも通りの無表情で夕立達にそう言う。
夕立達は凰香の言葉に頷き、凰香達は部屋に戻る。
そして凰香は着替えることなく、ベッドに横になった。
凰香の隣には時雨が、向かいのベッドには榛名と夕立が横になる。防空棲姫は以前のように椅子に座って眠り始めた。

全員が眠りについたとき、凰香はポツリとつぶやいた。

「……なら、あなた達は人類を護るべき艦娘に家族と友達を殺された私の気持ちがわかるって言うんですかねぇ?」

その声は凰香から失われたはずの感情『憎悪』が篭っていた。 
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