ドリトル先生と奈良の三山
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第十一幕その六
「あちらにも神社が多いです、お寺にしても」
「あっ、そうだね」
「確かにね」
「あっちで結構見たね」
「石上神社とかね」
「お寺もあって」
「神仏が和している国なので」
だからと動物達にもお話します。
「だからなのですよ」
「あらゆる神様が一緒にいるなんて」
「天理教の神殿のすぐ近く、歩いて行ける場所に神社も普通にある」
「それが日本ね」
「まさに」
「そうだね、日本だね」
先生も笑顔で言います、そして白鹿に笑顔のままこうも言いました。
「君にしても今ね」
「お寺にいますね」
「そうだよね」
「はい、ここは御仏の場所ですが」
「君みたいな神様の使いでもだね」
「出入りさせて頂いています」
それが出来るというのです。
「この通り」
「それも神仏が和しているからだね」
「御仏のお使いも神社に自由に出入り出来ますし」
「神様の使いもだね」
「この様にです」
「行き来出来るんだね」
「そうです、それも親密に」
ただ行き来出来るだけでなく、というおです。
「有り難いことに」
「そういえば違和感ないね」
「白鹿さんがここにいてもね」
「何か自然よね」
「お寺にいても」
「特にね」
「自分でもそう思います、こうしてです」
実際にというのです。
「行き来出来るのは有り難いことです」
「むしろ先生よりも自然よ」
「ここにおられても」
「特にね」
「何の違和感もないから」
「神仏を同じとして考えるから」
先生がここでまた言いました。
「こうしたこともあるし日本人の素晴らしい考えの一つだよ」
「神も仏も共に敬い間近にある」
白鹿も先生に応えます。
「まさに日本ですね」
「南アジアから東のアジアでは結構あることだね」
「あらゆる宗教が共存共栄していることは」
「日本では特に顕著だけれどね」
「何しろ皇室の方々からです」
「神道のお家だけれどね」
何しろ天照大神の子孫なのですから。古事記にもこのことが書かれています。
「仏教も信仰されていてね」
「そうですね」
「法皇様もおられたし」
「そういえば法皇様って日本にもおられたね」
トートーがふと気付いたお顔になりました。
「ローマ以外にも」
「そうそう、平安時代とかね」
ジップはトートーのそのお話に応えます。
「おられたよね」
「確か上皇様が出家されたんだよね」
ホワイティは先生に教えてもらったことをお話に出しました。
「そうだったね」
「神道のお家の方でも出家出来るのね」
ポリネシアもこう言います。
「それが日本ね」
「皇室の方でも出来て」
「それが普通で」
オシツオサレツも言うのでした。
「両方を同時に信仰出来る」
「そうでもあるのね」
「何ていうか」
ダブダブが言うことはといいますと。
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