ドリトル先生と奈良の三山
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第八幕その十
「やっぱりね」
「ううん、そうなのかしら」
「かなり大昔の」
「それこそ飛鳥時代より前の」
「古墳時代の」
「そうなのかな、この時代はね」
古墳時代はといいますと。
「まだまだわかっていないことが多いんだ」
「飛鳥時代と違って」
「そうなのね」
「文字もなかったしね」
古墳時代の日本はです。
「古事記だって全文知ってる人がいて」
「そんな人いたの」
「そうだったの」
「それを口述筆記で書き残してね」
そうしてというのです。
「今もあるんだ」
「そういえばそうだったね」
「古墳時代にはまだ日本に文字なかったんだね」
「あるという説もあるよ」
先生はこちらも説も出しました。
「神代文字っていう文字があったとも言われているんだ」
「あれっ、文字あったの」
「そうだったの」
「その頃の日本にも」
「そうも言われてるけれど」
それでもというのです。
「その辺りはっきりしなくて記録もね」
「あまりなんだ」
「残っていなくて」
「それではっきりしていないんだ」
「そうなんだ、だからね」
三山を見ながら皆にさらにお話します。
「この山のこともね」
「どういったものか残ってなくて」
「しかも神様達も忘れていて」
「どうにもならないんだ」
「うん、どうしたらわかるのか」
先生も首を傾げさせつつ言います。
「それは僕もね」
「わからないんだ」
「どうしても」
「文字として文献も残っていないし言い伝えでもね」
そちらでもというのです。
「残っていないからね」
「残っていないとね」
「どうしようもないよね」
「それは」
「まだ文献とかが見付かっていなくて」
こうもお話した先生でした。
「それが将来発見される可能性はあるよ」
「その場合はあるんだ」
「そうなの」
「うん、エジプトでもそうだから」
この歴史の古い国でもというのです。
「古い資料が見付かってね」
「それでわかっていく」
「そうしたこともある」
「それで日本もなのね」
「新たなことがわかっていく」
「そうなのね」
「そう、古墳とかその中の副葬品にしても」
そうしたものもというのです。
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