ドリトル先生と奈良の三山
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第八幕その七
「いけるよ、牛蒡とも合っていて」
「鮒ってこんな味だったんだ」
しみじみとして言ったガブガブでした。
「これも美味しいよ」
「何ていうか」
ジップは沢蟹の味を食べています。
「いいね」
「そうだね、どれもね」
チーチーも沢蟹を食べて言いました、既に他のお料理を食べています。
「美味しいいって言っていいよ」
「こうしたのなら」
ホワイティが言うには。
「どんどん食べてもいいんじゃ」
「あたると怖いにしても」
「それでもね」
チープサイドの家族は今は御飯をついばんでいます、当然先生も御飯を食べています。
「そこに気をつけたら」
「美味しいものよ」
「これなら歌に謡われても当然だね」
老馬の感想はこうしたものでした。
「食べたいってね」
「そうそう、これならね」
「いけるよ」
最後にオシツオサレツがお話をします。
「歌に謡われるのも」
「わかるよ」
「うん、今も食べていいね」
先生はたにしでお酒を飲んでいます、この日も奈良のお酒を飲んでいます。
「これなら」
「そうね、じゃあね」
「また三山を観て回るのね」
「そうするのね」
「そうするよ、幸い車で移動してるし」
こちらは白鹿が特別に用意してくれたのです、運転手さんも車も実は神様の使いとそちらの持ちものなのです。
「また見て回ろうね」
「午後もね」
「そうするのね」
「一回見ても見落とすものがあるから」
だからだというのです。
「ここはね」
「もう一回だね」
「見てね」
「もう一回学ぶ」
「そうするのね」
「学んだ時に習う」
先生はこの言葉も出しました。
「それが学問だよ」
「一回学んで終わりじゃない」
「もう一度同じものを学ぶ」
「それが学問ってことね」
「これが学習って言葉になってるけれど」
学んで時にこれに習う、の文章からです。
「学問もね」
「そうなのね」
「新しいことを学ぶだけじゃなくて」
「同じことを見直す」
「それも学問なのね」
「そうだよ、だからね」
それ故にというのです。
「午後にもう一度ね」
「うん、三山をね」
「見て回ろうね」
「そうしようね」
「是非ね、あとお酒は」
見れば先生が飲んでいるお酒は清酒です、その清酒については笑ってこうしたことを言った先生でした。
「万葉集の頃はね」
「そうそう、濁酒ね」
「そこは違うわね」
「今の時代の清酒とは」
「同じ日本酒でも」
「やっぱりね、そこは違うよ」
どうしてもというのです。
ページ上へ戻る