Raison d'etre
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二章 ペンフィールドのホムンクルス
16話 望月麗(6)
随分と国道を進んだ時、無言で歩いていた麗が口を開いた。
「何か聞こえます」
立ち止まり、振り返る。
麗が深い霧の中で空を見上げていた。
釣られて空を見上げる。霧で何も見えない。
しかし麗の言う通り、確かに何か低音が聞こえた。
「これ、ヘリですよ。対策室の機動ヘリです」
「ヘリ?」
言われればローター音のようにも聞こえた。
「……まさか、ここに着陸して僕達の捜索を開始するつもりじゃないよね……」
「……わからないです。どうなんでしょう?」
優は少し悩んだ挙句、空に向かって右手を向けた。そしてESPエネルギーの信号弾を打ち上げる。
「一応、位置情報を送っておこう。神条司令に何か考えがあるのかも」
「そうですね」
ローター音が大きくなる。
じっと空を見上げるが、霧の中に機影は確認出来ない。相応の高度を維持しているようだった。
「あ」
麗の声と同時に、視界の隅で何かが動いた。
続いて破裂音が響く。
「何か落ちましたよ」
十数メートル離れた車道に黒い物体が落ちていた。霧のせいで良く見えないが、かなりの大きさと質量を持った物体だった。
小銃を構え、警戒しながら落下物の確認に向かう。
「……ドローン?」
アスファルトに叩きつけられて破損しているのは、軍用のドローンのようだった。
機体に取り付けられたカメラを覗き込む。あらゆる表示灯が沈黙していて、正常に動いているようには見えなかった。これを使って本部とやり取りを行うのは無理だろう、と判断する。
「……この霧はあらゆる通信を妨害する機能があるみたいだね。通信機も使えないし」
「あ、また何か来ます」
麗が叫ぶ。
空を見上げると、ドローシュートが取り付けられたボックスがゆっくりと落ちてくるところだった。
「次はなんだろう」
恐らく機動ヘリが投下したであろうボックスを取りに向かう。かなり大型のボックスだった。
「ゲームに出てくる宝箱みたいです」
本部との繋がりが出来て余裕が出たのか、麗がどこか呑気そうに言う。優はそれを無視してボックスを開いた。
中には医療用ナノマシンの注射器と飲食料、小銃が入っていた。
「うーん。支援物資かな」
ボックスを漁り、一つ一つを念入りに確認していく。
「本部からの命令とか指示を示すものはないんですか?」
「メッセージはなさそうだね。食料が結構入ってる。神条司令はこの事態が長期化する可能性も考えてるのかも」
優はそう言って、小銃を肩にかけるとボックスを両手で抱え上げた。
「一度休憩しよう。麗ちゃん、周囲の警戒をお願い」
「はい」
支援物資を運びながら歩道に寄って適当に休めそうな場所を探す。
「……コンビニの中、入ろうか」
近くにあったコンビニ。
自動扉に近寄ると、センサーが反応してドアが開いた。店内は通常通り明かりがついている。電気は高梨市外から通常通り届いているらしい。
補給物資の中にあった予備の小銃を、何となく外の駐車場に置いておく。
もしも中隊員がこの前を通って落ちている小銃に気づいたら、向こうから中に入ってくるだろう。
「暖房、ついてますね」
麗が店内に足を踏み入れながら呟く。
「人がいない事を除けば、ごく普通のお店だね」
優はそう言って、レジカウンターにもたれかかるように座り込んだ。
その隣に麗が腰を下ろす。
「ご飯、食べる? 色々あるみたいだけど」
ゴソゴソと補給物資を漁り、食料を取り出す。
固形食料に缶詰、クッキーのような保存食、レトルト品。
どれも見慣れないもので、優は興味深くパッケージを眺めた。
反対に麗は興味なさそうに店の外をガラス越しに眺めていた。
「お菓子みたいなのもあるよ。缶に入ったチョコケーキだって。ちょっと固そうだけど」
緊張と不安を解こうと麗に声をかけたが、彼女は何も答えなかった。
沈黙が落ちる。
優は水の入ったペットボトルに手を伸ばし、口に含んだ。
水を飲み込む音が、妙に大きく聞こえた。
ペットボトルの蓋を閉め、ふと天井を見上げる。
換気扇の静かな低音が唸っていた。
静かだった。
目を瞑る。
そこでようやく、疲労が溜まっている事に気づいた。
どっと眠気に襲われる。
「先輩」
麗の声。
薄く目を開く。
彼女の栗色の瞳が、すぐ目の前にあった。
「先輩は」
麗の手がゆっくりと上がり、優の頬を撫でた。
「私のこと、どう思っていますか」
優はぼんやりと麗を見つめた。
答えを待つように、麗は何も言わない。
「……麗ちゃんが何を考えてるのか分からない」
「なにって、そのままですよ。答えが聞きたいだけです」
優は少しだけ考える素振りを見せて、それから首を横に振った。
「この状況で話すような事じゃないよ」
「この状況だから、です」
麗の表情が、崩れた。
今にも泣きそうな顔を浮かべ、口を開く。
「先輩は、先輩が思ってるよりも遥かに重要な存在なんですよ」
麗の言葉が理解出来ず、優はじっと彼女を見つめた。
「亡霊は無限に出てきます。少なくとも、たくさんいます。でも、私たちESP能力者はたった500名弱で、しかも特殊戦術中隊に入ってるのはその半分にも満たない200人ほどです」
麗の言っていることは正しい。
しかし、何を言おうとしているのか、優にはわからなかった。
「だから、過去にESP能力者を増やす為の研究がされてきました。でも、結局何も分からなかったんです。妊娠したESP能力者も過去にいましたが、能力が子供に遺伝することはありませんでした」
でも、と麗は言葉を続けた。
麗の澄んだ瞳が、真っ直ぐと優を射抜いた。
「父親もESP能力者ならどうでしょうか?」
「それは――」
優の言葉を遮るように、麗が動いた。
甘い香りが全身を包む。
柔らかな感触が、唇に触れた。
麗のツインテールが、頬を優しく撫でた。
目を見開く優に、唇を離した麗が宣言する。
「先輩、もう一度言います。私を好きになって下さい」
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