Raison d'etre
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一章 救世主
9話 橋本恵
優が亡霊対策室での生活にようやく慣れ始めた頃、司令室から呼び出しを受けた。
「司令、お話とは何でしょうか」
司令室に入って早々に、優は話を切り出した。奈々はデスクから立ち上がって、優と目線を合わせるように少し前屈みになった。黒い髪がはらりと落ちる。それを見て、本当に綺麗な人だな、と思う。
奈々は少し迷うような素振りを見せた後、言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。
「わざわざ司令室まで足を運ばせてごめんなさい。いきなり本題に入ると、取材を受けて欲しいの。と言っても、大袈裟なものじゃなくて、簡単な質問に答えるだけ。後、少し撮影も」
「撮影、ですか?」
優が不思議そうな顔をする。
「そう。まだ男性初のESP能力者が発見されたという情報を公表してるだけで、優君の具体的な個人情報は公には何も出してない。もちろん、それが普通なんだけど、君の立場は少し特殊だわ。どうしても一般人とは区別されてしまう。それで、情報の開示をする事になったの。君には関係ない大人の事情だけど、受けてもらえないかしら?」
本当に申し訳なさそうに奈々が言う。何となく奈々の立場を理解して、優は快諾した。
「はい。記者の方と話すだけなら大丈夫だと思います」
「ええ。質問に答えるだけ。ありがとう、助かるわ」
奈々は安心したような笑みを見せた。
「えっと、日時なんだけど、明日なの。予定とか大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
コクリと頷く。
「良かった。場所は本部内の……」
◇◆◇
翌日、優は奈々に指定された部屋の前に立っていた。亡霊対策室の中に備え付けられた来客用の部屋の一つだ。
取材、という言葉に緊張する。優は深呼吸してから、恐る恐るノックした。
数秒後、ガチャリと開いたドアから、まだ若い女性の顔が覗いた。
「桜井優君?」
高い、ソプラノの声が響く。
もう少し年輩の人が相手だと思っていた為、優は軽く面食らった。
「はい」
「私、橋本恵(はしもと けい)。今日はよろしくね!」
「こちらこそよろしくお願いします」
「礼儀正しいなぁ。あ、入って、入って!」
恵が一歩下がる。優は一礼し、中に入った。
「あ、腰おろして楽にしてて」
シンプルな部屋だった。真ん中に机と椅子があるだけ。
指示に従い、椅子に腰かける。続いて恵も腰をおろした。
恵は机の上で両手を組み、少しだけ身をのりだし、笑った。
「君、かわいいね」
予想外の言葉に、たじろぐ。その様子を見て、恵は悪戯に成功した子どものような笑みを浮かべた。
「ごめんごめん。緊張してるみたいだからほぐそうかな、と。逆効果だったかな」
でも、と恵は続けた。
「でも、可愛いのは本当。あー、何だか私犯罪者ちっくだなぁ」
そう言って恵はコロコロと笑った。
対照的に、変わった人だなぁ、と優の顔が引きつっていく。
「うーん、じゃあさ、ちゃちゃっと終わらせちゃおうか」
ごそごそと、恵が鞄を漁り始める。何をしているのだろうと優が首をかしげると、恵は手帳とボールペンを取り出した。
「これからいくつか質問するけど、嫌な質問には答えなくていいからね。これ、他から頼まれたもんだから、遠慮なく切っちゃって」
「他からって……代行ってことですか?」
「そう。奈々に頼まれちゃって。各新聞社とかの質問をまとめて私が聞くの。あからさまにデリカシーのない質問は私が勝手に落としとくけど、個人的に答えたくないのもあるだろうから、ね?」
「神条司令の……」
どうやら恵は奈々の知り合いらしく、優は少し気が楽になるのを感じた。
確かに、新聞社の人たちに質問責めされるよりはいい。裏で色々と場を整えてくれた奈々に優は感謝した。
「じゃ、一つ目。初陣で大活躍したらしいけど、怖くはなかった?」
「ええっと、もちろん怖かったですが、それよりも必死な感じで……何とか我慢できました」
つっかえながら、かろうじて答える。恵はうなずいて、軽快にペンを走らせた。
「じゃ、次。特技は?」
「えっと、あの、……空を飛ぶことです」
咄嗟に浮かんだことをいうと、恵がクスりと笑った。
「うん。良い答えだ。次は……」
恵の顔が曇る。少し迷っているような素振りだった。
「……戦争についてどう思う?」
亡霊との闘いは、戦争とは呼ばれない。わざわざ戦争という表現が使われている事で、十六歳の優でもその答えが政治的に利用される類いのものだとすぐ理解した。
望まれている答えはこうだろう。
『戦争はとっても悪いことです』
恐らく何かのドキュメンタリー番組で、戦争に投入される子どもの本音、として使用されるのだろう、と思った。確かに根元的な思考を放棄して、子どもを使って感情に訴えかけることは最も効果的な方法だ。
優は、頭の中が急速に冷えていくのを感じた。
第二帝国主義が終わった今、戦争というものはただの浪費でしかない。ユーラシア連合やヨーロッパ連合と多くの経済圏ごとに連携を強めている中、実際的な戦争というものは起き得ない。あるのは、ユーラシア連合による小国の弾圧のみ。そして、ユーラシア連合は経済的解放運動と称して、これを正当化している。日本はユーラシア連合には加盟していないが、地理的な特性上、それに強く反発する事ができない。
戦争を起こすのは、経済的な疲弊から大国への反発が強くなり始めている小国でしかありえない。この質問がどういった視点から利用されるのか透けて見えた。
少し考えた後、優は恵の顔をじっと眺めた。
「戦争に突入せざるをえなくなった構造を何とかしないといけないと思います」
恵が少し驚いた顔をする。
しかし、彼女はすぐに笑顔を繕って、質問を続けた。
「じゃあ次は――」
◇◆◇
順調に三十ほどの質問に答え、ようやく優は質問責めから解放された。
思っていたよりも疲れる。背伸びすると、腰からパキッと小気味の良い音が聞こえた。
「お疲れさま、と言いたいところだけど、次撮影お願いね!」
「……そういえばそんな話もありましたね」
思い出したくなかった事を言われ、げんなりする。
優はため息を吐いて、机に突っ伏した。
少し、懐かしい。学校に行っていた頃は退屈な授業中によくこうやって寝たものだ。亡霊対策室に来てからは机に座る機会が食事以外に殆んどなくなってしまった。
普通の生活とは違うんだな、と思うと寂しいような、悲しいような何とも言えない気持ちが渦巻いた。
「とりゃっ」
「わっ!」
不意に頬に冷たいものが触れ、優は大きく飛び退いた。見ると、缶ジュースを持った恵がクスクスと笑っている。
優は無愛想に感謝の言葉を述べて、それを受け取った。
「桜井君」
突然、恵の声色が変わる。慈悲に満ちた、柔らかな声。まるで別人のようで、優は驚きの表情を隠せず、恵の顔を見つめた。
「これ」
そう言って、彼女は名刺を取り出した。反射的に受け取り、目を通す。
肩書きはフリーライターになっていた。それと連絡先が載っている。
「困った事があったら何でも相談して。これから先、外部の協力者を得るのって難しいと思うから。あ、夜なら雑談電話もオッケー」
優は、じっと恵を眺めた。そして、信頼に値する人だと確信する。もしかして、奈々は取材を理由に、優に外部とのチャネルを持たせたかったのではないか、とふと思った。
「じゃ、撮影行こうか」
恵がドアに向かって歩き出す。
優は名刺をしっかりと財布の中にいれ、「はい」と小さく返し、後を追った。
廊下には三人の男が待機していた。恵は男たちに合図した後、優に向かって着いてくるように手招きし、少し離れた部屋に向かった。
その部屋の一角には、撮影用の照明器具や白い背景が設置されていた。男達が手際よく準備を始める。優が困ったように視線を恵に向けると、恵は手に持った布を前に差し出した。
「はい。これ、衣装」
「衣装?」
優は戸惑いながらそれを受け取った。
「撮影用のね。私は外に出てるから、その間に着替えて」
そう言って、恵はさっさと部屋の外に出て行ってしまった。残された優は準備を進める男達を見た後、部屋の隅で邪魔にならないよう着替え始めた。
恵から受け取った衣装は、軍服のようだった。深い緑色の、コートのようなデザイン。胸元からチェーンのようなものがぶら下がり、中尉の階級章が取り付けられている。
着替え終えた後、優は外で待っている恵を呼びに廊下に出た。途端、恵が歓声をあげる。
「わぁ! 似合ってる! 似合ってる!」
優は曖昧な笑みを浮かべて、小さく頭を下げた。優にとっては下手なコスプレをしているようにしか思えず、複雑な気分だった。
「じゃ、始めよっか」
妙にハイテンションな恵が楽しそうに言う。優は嫌な予感を覚えながらも頷いて撮影に入った。
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