提督はただ一度唱和する
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犠牲を糧に
帰ってきたといわれても、新城にはなんのことだか理解出来なかった。だが、自身も理解していないような顔をしている下士官の後ろから、こちらを覗いている影を見て、理解せざるを得なかった。
反射的に出てきそうになった怒声を噛み殺し、新城は立ち上がる。
入室したその艦娘は、おどおどとした態度とは裏腹に、見事な敬礼をして見せた。
「枝幸駐在艦娘、吹雪です。皆さんの撤退支援のため、避難誘導任務より帰還しました。あの、街があんなになっちゃってるんですけど、もう深海棲艦が来たんですか?」
敬礼を解くなり、尋ねてくる彼女に、海軍には海軍のやり方があるのだと、いい聞かせる。
「市民の避難は完了したのか?」
新城の質問に少し怯えた様子を見せて、吹雪は答えた。
「はい、釧路まで」
新城は天井を仰ぐ。それでは意味がない。
陸にいると分かりにくいが、常に、休みなく、あらゆる場所が、深海棲艦の侵攻に晒されている。彼女らを外海に押し返し、複数の艦隊を常時遠征任務に貼り付けることで、何とか本土は平和を保っているのだ。それがこの二日、北方海域は空になっている。外からの圧力に負けて撤退したからだ。
猶予は一日あるか、ないか。その間に、せめて北海道から脱出しなければ、いや、日本海側に誘導すべきだったか。新城の中で、後悔と怒りが湧き上がる。
「君は避難要領を知らないのか?」
吹雪はキョトンと首を傾げた。
「君は軍から教育を受けたことがあるか?」
「・・・・・・任務の説明は受けました」
なけなしの自制心が、爆発する感情を押しとどめた。
「釧路から、避難民は脱出したか?」
吹雪はもう、怯えを隠していない。
「いいえ、海上は危険だからって、あの、私たちはもう必要ないから好きにしろっていわれて、だから」
耐えることは出来なかった。奇妙に浮いて見える離れた眉が大きく弧を描き、ごつい顔の造りに不似合いな三白眼が、金壺の奥で昏い光を放つようだった。無目的に大きな鼻と口にしわが寄り、嗤っているようにも見える。部屋中に耐え難い殺気が充満した。千早が悲しげに身を捩って、新城から逃げる。運の悪い下士官と吹雪には無理だった。
「・・・・・・安全と確認出来るまで、全力で支援せよと命じたはずだが?」
「だって、釧路は大湊から艦隊が来るから、安全だって、駆逐艦の出番はないから、大人しくしてろって、でも、皆さん武器もなくて、私、お役に、立ちたかったんです」
吹雪は泣いていた。新城は一切の感情を見せない顔で教えた。
「安全とは、深海棲艦が襲撃してこないと確認された場所のことだ。釧路は襲撃されない場所か?」
「海上で迎撃するそうですぅ」
新城は居心地の悪そうな下士官に顔を向けた。下士官はもの凄く言いにくそうに報告した。
「あー、駐在官殿が前装式小銃を小隊分、運んでこられました。弾薬もいっしょです」
吹雪の泣き声が響いていた。千早が非難の唸り声をあげる。新城はしばらく黙った。
「ありがとう。吹雪駐在官。少なくとも、我々は助かった」
新城はやっと敬礼した。投げやりでも、いい加減にはしなかった。
「ごめんなさーいぃ」
「伍長。彼女を休ませてくれ。僕は小隊を呼び戻す」
「取りあえず、荷物は開けて使えるようにしとりますんで」
伍長は姪っ子を相手にするような様子で退室していった。ついでに、千早が新城を叱るように睨んで付いていく。
新城は一人残された。
§
深海棲艦の上陸が確認されたのは、小隊が全員戻った後、未明のことだった。未だに火を吹き続ける港で右往左往している姿を見届けると、新城は任務が達成されたものとして撤退を開始した。
海でならともかく、陸上で狩猟採集生活を続けられるほど、彼女らも器用ではない。
稚内から避難民を連れて撤退してきた部隊と合流し、旭川でようやく自分の大隊に戻った新城は、吹雪の面倒を押しつけられた。
ちなみに、日本海側の駐在艦娘は、一部市街地防衛のために残ったらしい。新城は気にしなかったが、彼女らは統合幕僚本部直轄であり、駐屯する軍と行動するようには命令されていなかった。市民が陸路で避難する以上、漁船警護の名目で町を離れることも出来ない。
可能な限り迎撃せよと言われた彼女らは、それが不可能になるまで任務を続けるのだろう。既に、本州との連絡は途絶えていた。
説得に応じた艦娘は少ない。というよりも、彼女らも自分たちがやり切れるとは思っていなかったのだろう。貴重な重巡など、強力な艦娘ばかりが同行している。人混みから離れ、通夜よりも酷い雰囲気で蹲っている。
彼女らは託されたのだ。きっと、避難民だけでなく、軍すらも護ろうとしているのだろう。そんな有様でも、彼女らは常に海側を意識している。
ついでとばかりに彼女らの世話まで押しつけられた新城は、何食わぬ顔を装って近づいていく。
「残った艦娘と連絡は取れるか?」
「あぁ?」
もう艦娘が軍人であるとは思わないことにした新城に、動揺はない。この頭からアンテナの生えた女子高校生は何といったか。スカートの短さは置くとしても、セーラーの下にシャツ位は着てもよいのではないか。
「君たちは深海棲艦の影響下でも通信が可能と聞く。残留した艦娘と連絡は取れるか」
「そんなもん、今さらどうしようってんだっ!」
注目が集まるのがわかった。新城はだから何だという気分だった。
「出来るなら、すぐさま呼び寄せるべきだ。無駄に死ぬべきではない」
最初から剣呑だった艦娘の態度が、噛みつかんばかりになる。
「無駄だと?」
確か摩耶だ。艦娘の名前を思い出せて気分がよくなった。千早に比べれば、子犬が唸っているようなものだ。重巡とて、恐ろしくもない。
「ああ、無駄だ。奴らに餌を与え、燃料、弾薬まで呉れてやる。むしろ、害悪といっていい」
「あいつらはっ!」
「彼女らが、どういうつもりであったかは関係ない。行動には結果が伴う。その責任は取らねばならない」
悲鳴といってよいほどの怒声すら、新城は無視した。彼女らは彼の監督下にある。手加減をする理由はなかった。
「腹を満たし、燃料と弾薬を補給した深海棲艦が、今この北海道に上陸している。その意味がわからないはずがない」
やはり可愛いものだ。押さえ切れぬ興奮で、大きな目から涙が零れようとしている。自分はよっぽどの外道に見えているのだろう。軍人とはそんなものだ。陸軍に所属したことに、思うことがないでもなかったが、艦娘を見ていると軍人でよかったとすら思う。
「連絡は出来るか?」
重巡摩耶は、唇を噛んで俯く。結論など、わかりきっていた。新城は無言で待った。摩耶も答えない。それが答えだ。
だが、容赦はしない。
「・・・・・・さっき、最期の通信があった。数え切れない位、イ級が来て、もう護りきれないって、ごめんなさいって」
摩耶が根負けした。それは仲間の、その死の、献身の、存在を否定したということだった。それでも涙を堪えているのは評価に値した。新城は言った。
「報告は正確にしろ」
摩耶の顔が上がった。真っ直ぐに新城の目を貫く。彼女は背筋を伸ばし、大声で怒鳴る。
「稚内駐在艦隊は通信途絶!! 残留した艦娘は全滅の模様!! 敵は無数の駆逐艦イ級!! 敵戦力の総数及び構成は不明!! 稚内は落ちた!! これでいいかっ!!」
どうやら真面目にやっているらしい。その目に憎しみはあったが、誠実だった。彼女らを戦場に放り出した間抜けは、気が狂っているに違いない。自分もそう変わりはないと思い、新城は一つ頷く。
「では、飯を食え。向こうに用意してある。兵に言えば、渡してくれるだろう」
「こんな時に飯かよっ!」
「戦争だ。むしろ、腹が膨れねば始まらない。さ、急げ。彼女らを食っている間は、奴らの進軍も止まるだろう。僅かではあるが」
「お前ぇっ!!」
「もうやめよ。摩耶ちゃん」
別の方向を警戒していた艦娘が近寄って、摩耶の肩をそっと押さえる。左目の色が違う、というよりも、仄かに光っているようだ。
「味わっている暇はないぞ。君も、全員で食事だ。陸での警戒は、我々の方が得手だ」
「ありがとうございます。みんなを呼んできますね。ね、行こ?」
彼女は古鷹だったか。穏やかな性質らしいが、新城に嫌悪感すら見せなかった。笑顔で頭を下げ、摩耶の手を引く。一瞬、新城が後ろに組んで隠している手に視線を向けた。摩耶は古鷹の手を振りほどき、新城を睨みつける。
「あいつらは絶対に無駄死になんかじゃない」
「それを、彼女たちは証明出来ない」
摩耶は何か言おうとして出来ず、全てを振り切るように踵を返した。離れた場所で、目を擦っている。古鷹が寄り添っていた。
「何とも、まあ。これで、尻に火が付いてくれればいいんですがね」
新城の傍らに、中隊最先任下士官の猪口が立った。新城は顔も向けない。彼とは古い知り合いだった。
「覗きは感心しないな」
「申し訳ありません。しかし、任せて頂いてもよかったのでは?」
猪口の言いたいことはわかった。だが、難しい。
「あれで士官待遇だ」
猪口はむしろ楽しそうだ。
「厄介ですな。中尉殿にはご同情申し上げます」
新城は、顔も向けなかった。
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