ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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人狩りの夜 4
前書き
セリカの中の人のニューシングル「妄想帝国蓄音機」本日発売。
鮮やかな色をした蠍の下半身に美しい人間の上半身を持つパピルサグ。
キチン質の肌と怪力を持つ蟻人ミュルミドン。
身体の両端に頭のついている双頭の怪蛇アンフィスバエナ。
下半身から六本の大蛇の頭と一ニ本の蛸の触手を生やした妖女スキュラ。
虹色に煌めく大蛇の下半身をした魔女ラミア。
青銅の皮膚をしたひとつ目の猛牛ストーンカ。
獅子の体躯に老人の顔、蠍の尻尾、蝙蝠の翼を持つ妖獣マンティコア。
ねじくれた二本の角を持つ双角妖馬バイコーン。
単眼単脚で瘴気の息吹を吐く巨人フンババ。
球状の体に一メトラを超える巨大な目玉と無数の触手と手足を生やし、麻痺や睡眠、火炎や冷凍、破壊光線を放つ魔眼生物ヴィデーレ――。
辺境に生息する魔獣や神話や伝説に伝わる幻獣を模した奇々怪々、多種多様な怪物たちが魔方陣から次々と召喚されてはペルルノワールの剣技と秋芳の体術。あるいは両者の魔術の前に葬られる。
白金術の粋を集めた合成魔獣が無惨に骸を重ねる姿を見て貴族たちは大いにあわて、うろたえた。
これはもう、賭けどころではない。
「これほどの魔獣を相手にして一歩も引かず、息ひとつ乱さないとは、なんたる手練れ。このマスク・オブ・イーグル、感嘆の極み!」
「魔獣どもでは埒が明かない。ここはこのマンティスが出張ろうか?」
「イーグル卿もマンティス卿も、まだそのようなのん気なことを……」
「あ、あのデタラメな強さ。ただの盗賊とは思えぬ。も、もしや特務分室の手の者ではないか?」
「まさか、嗅ぎつけられたのか!?」
帝国宮廷魔導士団特務分室。
おもに魔術がらみの案件を専門に対処する部署で、その最大人員は二二名。
それは、少数精鋭を意味する。
構成員それぞれに大アルカナにちなんだコードネームがつけられ、ひとりが一軍に匹敵するとも言わしめる実力者そろいだ。
この特務分室の室長は代々イグナイト公爵家の者が務めるのが慣例となっていると言われるが、政府中枢に座する者もその全容は把握しきれない、影の軍団。
「館主殿! 遊びはほどほどにして、残る魔獣をいっせいにけしかけましょう!」
「うむ、その隙に裏から散り散りに退散しましょう」
「ぬぅ、たしかに特務の輩と剣を交わすのはいささか気が引ける」
「でしょう。マンティス卿もイーグル卿も、今宵は早々に退出なされよ。さぁ館主殿、早く次の魔獣を」
「……ない」
「え?」
「たったいまやつらが倒したのが最後の一匹だ。もうこちらに手札は残ってはいない」
「なんと! こ、こうしてはいられない。やつらがひと息入れている間に退出しましょう!」
「館主殿もお早めに!」
ひとり、またひとりと姿を消していく仮面の貴族たちを無表情で見送るクェイド侯爵。館主である自分が退くのは客人の退席を見届けてから。
などという殊勝な心がけからではない。
操作盤に手を伸ばして新たな合成魔獣を、真の最後の一体を呼び出す操作をする。
貴重な魔鉱石をふんだんにもちいて造った、宝石獣を呼び出すために。
宝石獣。
帝国がひそかに行っていた合成魔獣研究の最高傑作で、様々な魔鉱石を掛け合わせて造った大亀型の魔獣。
その外皮は三属の攻性呪文が効かず、真銀と日緋色金以外のいかなる武器でも傷つけることができないとされる。
「レザリア王国への手土産か、オルランド鎮圧のさいの切り札として用意していた秘蔵の宝石獣。まさか盗人風情に使うことになるとはな」
先代から続く女王の弱者救済、福祉優先政策はクェイド侯爵のような人民の命を軽視する貴族たちや、保守的な富裕層、既得権益者たちから唾棄されていた。
この男は自国であるアルザーノよりもレザリアに傾いていた。
隙あれば反旗をひるがえし、帝都を我が物にすることを考えていたのだ。
宝石獣『タラスクス』はそのための決戦兵器。
たとえ高度な剣術と一通りの軍用魔術を修めた王室親衛隊――アルザーノ帝国軍の帝都防衛師団に属する、女王の警護を主任務とする帝国軍屈指の精鋭部隊であっても、一体で相手取ることができる目算だ。
この強力な存在は秘中の秘。たとえ人狩りの同士であっても知られるわけにはいかない。
「もしも本当に特務分室の者なら好都合。ここで女王の駒を潰しておくに越したことはないし、良い実戦データも得られそうだ。さぁ、いけ。タラスクス。思う存分荒れ狂え!」
天鵞絨の絨毯の上に怪物たちの屍が重なり、異臭を放っていた。
水晶の杯や銀食器。絹のテーブルクロスは怪物の体液にまみれ、贅を尽くした大広間は死屍累々の惨状と化していた。
「――消化器官がない。どんな食性をしているのだろうな、この生物は」
体の前半身がライオン、後半身がアリの姿をした異形の合成魔獣ミルメコレオの骸を検分する秋芳。
いにしえの賢者が書いた数多の博物誌や旅行記、図鑑や辞典。魔術学院の蔵書に幻獣魔獣を記した書物は多いが、さすがに本で知るのと肉眼で見るのはちがう。
「…………」
知的好奇心に駆られて合成魔獣の死骸を調べる秋芳とは異なり、沈痛な表情で怪物たちの屍の山にむかって黙祷を捧げるペルルノワール。
「俺たちの命を奪おうと襲ってきた怪物のためにも祈るのか?」
「彼らはみずからの意思で襲ってきたわけじゃないわ。魔術によって自然の摂理をねじ曲げられ、無理矢理この世に産み落とされたあげくに闘争の道具にされた、哀れな犠牲者よ」
「そのわりには、容赦がなかったな」
「殺さなければ、殺されていたから」
合成魔獣たちは野生の獣とはちがう。
たとえ相手との実力に雲泥の差があろうが、たとえ大きな手傷を負おうが、たとえ命を落とすことになろうが、主である魔術師の命令は絶対だ。
生存本能に従い逃走することはゆるされない。
そして秋芳とペルルノワール側には次々と召喚される魔獣相手に手心をくわえる余裕はなかった。
死なない程度に攻撃しても回復したら再度襲撃してくるだろう。新たな魔獣を相手にしているときに背後から襲われてはたまらない。
一体一体、完全に息の根を止めるしかなかった。
それが、もっとも安全で効率の良い対処法だったのだ。相手の数が不明な以上、余計なことをして体力魔力の浪費はできない。
マナ欠乏症にならないよう、可能なかぎり剣で応戦し、魔術の使用は極力控えて的確に行使する。
その戦いかたもあって秋芳もペルルノワールも消耗は最小限に抑えられていた。
「合成魔獣を兵器利用するための研究開発は禁止、凍結されているわ。所持するにも国からの許可が必要で、愛玩用や魔戦武闘用に何匹か飼育している貴族や魔術師はいるけど、クェイド侯爵がこんなにも大量の魔獣を用意しているなんて話は初耳よ。あきらかに無許可ね」
「罪を問うことができそうか」
「ええ、人民の誘拐、暴行、虐殺にくわえて合成魔獣の不法所持。たとえ大貴族とはいえ言い逃れはできないわ」
「そうか。……その合成魔獣だが、これで打ち止めかな?」
新たな魔獣が召喚されない。
たおして一分もしないうちに呼び出されていた魔獣たちが呼び出されない。
なんの反応もない魔方陣の代わりに、正面の壁に掛けられたクェイド侯爵の肖像から音声が流れた。
「よくもやってくれたなネズミども。おまえたちが殺したキメラは一番安いものでも屋敷のひとつふたつ買えるだけの値打ちがあったのだぞ」
「無辜の民をかどわかし、虐殺する。非合法な合成魔獣を大量に所持する。帝国の法に従い、おとなしく縛につきなさい」
「ふんっ、ろくに税も納めぬ非市民など、どうあつかおうが大貴族である私の勝手だ」
「王家の領民に危害をくわえることは、王家の財産を傷つけるに等しい。貴族であっても許可なく殺害すれば法に背く行為よ」
「盗人風情が大貴族たるこの私に王家の法を説くとは、笑わせるな」
「この顔を見忘れましたか、クェイド」
ペルルノワールが顔の上半分を隠している仮面をはずす。
象牙細工のように整った鼻梁、長いまつ毛で縁取られた蒼氷色(アイス・ブルー)の瞳。
仮面の下には秋芳が想像したとおりの美しい少女の貌があった。
さらに夜闇のような黒髪が一変。黄金を溶かしたかのようなまばゆい金髪となる。
【セルフ・イリュージョン】の魔力が宿った仮面の力で金髪を黒髪に染めていたのだ。
「ひ、姫様っ!?」
思いもしなかった人物の登場にクェイド侯爵は度肝を抜かれた。
仮面の下に隠されていたペルルノワールの美貌は、アルザーノ帝国第一王女、レニリアその人のものだったからだ。
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