Secret Garden ~小さな箱庭~
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『忘れ去られた人々編』
――世界の何処かにはこの世の叡智の全てが納められいる図書館があるという噂があった。その図書館に保管されている書庫は、神を信仰する聖書や異界から悪魔を召喚する魔導書から、人の歩んで来た歴史や滅びを招いた失敗例または今では限られた者しか使えなくなってしまった魔術や最近発見された機械工学などが記されているらしい。これらを欲する輩はごまんと居よう。だが誰一人としてこの図書館に辿り着いた者はいない。広がるのはそんな図書館が世界の何処かにあるという"噂話"のみ。
しんと静まり返った空間に佇む一軒の建物。外観は朽ち果て苔が生えている様子からもう何百年も誰も手入れをしていない事がうかがえる。人々から忘れ去られ進行されなくなった教会のような外観の建物だ。
両開きの木で出来た扉を開けば出迎えるのは暗闇の中に点々と蝋燭が立てられた蜿蜒と続く螺旋階段。それを永遠と感じられるような長い時間上り続けた先に見えて来るのは巨大な本棚に囲まれた空間。本棚だけも何台あるのだろう、目の前にあるものだけを数えたとしても数百はくだらない。地平線の彼方に見えるものや更に上へとつながる階段を見上げれば、まだまだありそうだなと予想される。
では本棚にしまわれている本の数だと、どうなる? 一つの棚に収納できる数は五十冊程と仮定する。それがしまわれている棚が百……二百……数百万はくだらなそうだが建物とは違い収納されている本は時代の劣化はあれど酷く痛んでいる様子はない。誰かが定期的に補正修正をしている証拠だ。
「№654.これは錬金術の使用方法の本、ですね。Kの棚に収納ようです」
建物の中央、まるで受付カウンターのような場所に佇みせっせと機械的に本の仕分けをしている女が一人。白く細い指で握られているのは羊の皮で表紙が作られた一冊の本。パラパラと捲れば白い紙暗号のような文字がびっしりと事細かく書かれ、たまに円の中に人が書かれている絵などの挿絵が描かれている。どうやらこれは魔術とは別の魔法技術を記した本のようだ。新しい知識に女は釘付けになった、アップルグリーンの瞳が色鮮やかに輝いている。女の口から少し垂れているのは涎だろうか。楽しい読書の時間を愉しむ女だったが、その時間は一人の来訪者によって邪魔される事となる。
「オディーリアさん、こんにちは」
急に声をかけられ少し驚いた。だが振り返れば声の主はよく此処へ遊びに来る兄妹の兄の方だった。鶏のようなトサカヘアが印象的な少年の名前は確か……。
「ルシア様ようこそいらっしゃいました」
本に夢中になっていた顔を動かし僅かに口角をあげると女は機械音声のような声を出した。無表情であるがこれでも友好的に歓迎しているつもりだ。身体をルシアと向かい合うように動かす、その動作と連鎖して高等部にあるねじ巻きも僅かに動き回転する。背中に装着した金色の機械で出来た天使のような二枚の羽もぴこぴこと動く。それで飛ぶ事は出来ないが数センチ浮かぶ事なら出来る。
「本日はどのようなご用件で?」
「ヨナの為に本を借りてあげようかなって。いつも寂しい思いをさせているからせめてもの償いでね」
「そうですか。ならこちらの本は如何でしょう」
取り出したのは分厚い本。表紙には白い花の絵が描かれている。
「この本は? あまり文字ばかりの本はヨナは読まないと思いますよ? でも絵本とか絵ばかりの本はすぐに読み終わっちゃうから沢山借りないといけなくなっちゃうか……」
「その点についてはこちらも了解しています。これは分厚いですが、世界各地に咲く花の絵をまとめそれを紹介している図鑑と呼ばれる本です。前にヨナさんが此処へ遊びに来られた時、熱心に読まれていらしたので、喜こばれると思いますよ」
「そんな、また一人で外出したんですか!?」
ルシアが出かける前には必ず家で大人しくしていると約束しているのだが、いつもヨナは約束を守らず勝手に外へ遊びに出かけてしまう。図書館は家からさほど遠くはないとは言え病人の身だ、道中でもしなにかあって倒れたりしたら大変だと言うのに、それをヨナは判ってくれない。新しい本が読みたいのなら、いつでもお兄ちゃんが借りて来てあげるのに……と思う気持ちはただのお節介焼きなのだろうか。
「じゃあその本をお願いします」
「はい。では手続きをしますので少々お待ちください」
背を向け、カタカタと何かを操作する音が響く。数秒後、振り返ったオディーリアから花の図鑑を受けとるとルシアは急いで家路へと帰宅した。
気が付けば外は夕日で茜色に染まっていた。蝋燭の灯りしかないこの村では真っ暗な闇が支配する夜に出歩く事をあまり良しとしていない。
――日が昇れば、人の時間。日が沈めば、獣の時間。村に古くから伝わる言い伝え。これを護らない悪い子は悪い獣が黄泉の世界へと連れ去って喰っちまうぞ! 親が幼い子供に夜歩きを禁じさせる時の言いつけ。それをヨナに今一度言い聞かせないと、とルシアは家路を急ぐ。悪い子はちゃんと叱ってあげないと、それは親のいない子供が父親代わりを頑張る証拠であり、押し潰すように伸し掛かる重圧。自分しかヨナを護れる人はいないんだ。自分だけしか――だがそれはヨナも同じ事。自分だけが兄を幸せにしてあげられるんだ。すれ違う兄妹の想いは皮肉かな。
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