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ソードアート・オンライン 少年と贖罪の剣

作者:星屑
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幕間の物語:スリーピング・ナイツ
  第二十話:近づく最期

 
前書き
お久しぶりです!
そろそろ幕間も終わりに近づいてきました。最早ご覧になってくださる方は少ないと思いますが、長い目で見てもらえるとありがたいです。 

 
 
 新進気鋭の実力派ギルド。
 血盟騎士団や聖竜連合などの大規模ギルドと比べれば構成人数は雲泥の差だが、一度ギルド間の抗争が始まればかなりいい戦いになってしまうのではないか。つまりは一人一人の戦力がそれほどまでに卓越しているという化け物たちの巣窟―――

 それが、神の盾(アイギス)に与えられたプレイヤー達の評価だった。

 赤装の麗人として名が広く知られている紅蓮の大剣使い、ギルドマスター『ネロ』

 あらゆる武器を自在に操り、その実力はヒースクリフに匹敵すると噂される『レン』

 穏やかな表情とは裏腹に身の丈を覆い隠すほどのタワーシールドで鉄壁を誇る『ダイル』

 機動力に長け、持ち前の快活さで味方を鼓舞するだけでなく、情報収集にも長けていた短剣使い『リン』

 やや生意気だがその剣の実力にはあの黒の剣士も一目置いている大剣使い『シュウ』

 彼らの信条は『守る』こと。現に、彼らが参加した攻略作戦での死亡率はそうでないときと比べると非常に低い数値を記録している。
 何よりも圧巻だったのは、第五十層攻略作戦に於ける『レン』の大立ち回りである。当初予想されていた死者よりも若干多い数だったが、作戦開始直後からの指揮系統の瓦解、プレイヤーの殆どが狂騒状態にあったことを鑑みると、レンの功績が如何に多大なものであったかがよく分かる。
 ただ皮肉にも、レンが英雄として名を轟かせることになったこの作戦が、神の盾(アイギス)壊滅の始まりになってしまうのだが。


 そんなアイギスだが、結成当初、彼らにはもう二人だけ仲間がいた。しかし一人はレッドギルドの策略に巻き込まれ、もう一人は伸し掛かる重責から解放されるため、自ら死を選んだ。
 名をそれぞれ『カムイ』、『カリギュラ』と言った。

 結局、アイギスのメンバーとして生き残ったと()()()()()のは、レンだけだった。



†    †



 今になって思えば。
 オレは、スリーピング・ナイツの皆にアイギスの面影を重ねていたのかもしれない。

 共に戦う仲間を守り抜き、やがてあの城から脱出することを目指していたあの頃は、辛く苦しい思い出ばかりの鉄城の記憶の中で唯一輝いていた思い出だった。
 ただ純粋に、彼らと共にあることが楽しかった。共に戦って、共に冒険して、時にはぶつかり合うこともあったが、それでも、ああ。

 それでもあの時は、楽しかった。


「兄ちゃん、そっちよろしく!」

「ああ、後ろだノリ!」

「おぉっとぉ!? サンキュー、レン!」

 眩い光を放つ世界樹の内部。
 その頂点を目指すオレ達を阻むのは、壁面から溢れ出る夥しい数の白い騎士だ。

「そぉりゃあああ!!」

「ジュン、飛び出しすぎですよ!」

「僕がフォローするから大丈夫だよ、タルケン」

 剣を携えた白騎士に、弓を構える白騎士。遠近に隙のない騎士団が群れを成して一発の銃弾となったスリーピングナイツを叩き落そうとしてくる。

「もっとスピードを上げます!
 ―――ついて来れますか!?」

「勿論、補助はお任せください!」

「よぉーーっし! 行くよ皆!!」

「なんでユウキが仕切ってるんだよ!」

 楽しいな。互いが互いを信頼して、背中を預ける。こんな感情は、久しく忘れていたが。

「兄ちゃん!」

 ――ああ。

「悪くない」

 大太刀を抜き放ち、先頭を行くランに襲い掛かる白騎士を三体纏めて斬り伏せる。作戦会議で予想していた通り、数こそ問題だが一騎ごとのレベルは高くない。

「流石です、レン!」

「おう、やっと『レン』って呼べたな」

「なっ!? 今そこを指摘しますか!?」

 ただ、このまま突破できるとは到底思えない。現在は世界樹の三分の一に到達したところだが、騎士達が生成されるスピードが上へ進むほど早くなっている。それに、出てくる敵もこの騎士たちだけではなくなってくるだろう。

「そら、もたついてる暇はないぞ?」

「言われずとも!」

 まあ、どんな敵が出てきたとしても、こいつらが怯むようなことはないだろう。



†    †



 多くのプレイヤーが焦がれる世界樹の頂点。妖精王の住まう空中都市が存在していると信じられているそこは、実際にはただ白い壁の続くなにかの施設でしかなかった。
 その施設の先、巨大な世界樹の幾重にも分かれた枝の一つに、巨大な鳥籠がぶら下がっていた。だがそこに囚われている者の背にあるのは翼と言うには頼りなく、しかし翼よりも美しい翅だった。

「さっきのアラートは何だったの?」

 それは少女だった。はしばみ色の美しい少女だ。
 かつて鉄の浮遊城にて『閃光』の異名を誇っていたアスナという剣士は、今、囚われの身となっていた。その手に愛剣たるランベントライトはなく、傍らに黒の剣士もいない。
 この金色の鳥籠で目を覚ましたのは何時のことだったか。この鳥籠に時計はなく、この世界は現実の時間軸ではない為、日時はおろか、現実世界の今は昼なのか夜なのかも分からない。彼女に出来たことと言えば、彼女をこの世界に捕らえた元凶からの責苦に耐えて、いつ来るとも分からぬ助けを待つことだけだった。

 だが、この変化のない日常にたった今異変が起きた。彼女を捕らえている鳥籠に、けたたましい騒音が鳴り響いたのである。その音を聞いた元凶は血相を変えて鳥籠から出ていったため、アスナは少し機嫌が良かったのだが、なにがあったのかと少し気になる。

「なにか不具合でも起こったのかしら」

 この世界はゲームだ。
 あのナーヴギアの後継機、アミュスフィアの代表的ソフト。そのように元凶である男は自慢気に語っていた。で、あるならば、ゲーム内の異常で思い当たるのは何らかの不具合だろう。

 しかし、このアスナの予想は半分は間違っていた。
 確かに不具合が起こったのはこのゲームの中だったが、一般プレイヤーが遊ぶ分には何の支障もない。異常が起こったのはこの妖精郷に隠されたとある計画だ。一人の男の狂気から始まる悍ましい企てに関してだ。

 ズシン、と地鳴りのような音が響く。何事かと顔を上げたアスナの目の前で、彼女を捕らえる鳥籠と同じ造形のものがもう一つ現れていた。つい先ほどまでこんなものはなかったはずだ。つまり、今の地鳴りに関連のあるもの。

そこまで思考を終えると同時、もう一つの鳥籠に二つの人影が出現した。一人は長身痩躯の男。アスナに背を向けているため顔は見えなかったが、それが誰なのかはすぐに分かった。この世界で皆が目標とする天空都市に住まう妖精王オベイロンにしてこの世界の創造主――――ゲームマスターでもあり、そして、アスナを閉じ込めた元凶でもあった。
 そのオベイロンによって鳥籠に投げ込まれたのは、一人の少女だった。長い黒髪をサイドテールに纏めたアスナと同い年くらいの少女だ。

「ユメちゃん!?」

 その少女をアスナは知っていた。あの鉄城で出会った情報屋にして、攻略組の槍使い。血盟騎士団の副団長という立場から色眼鏡で見られることの多かったアスナと対等に付き合うことのできた数少ない本当の友人だった。
 アスナの声が向こうに聞こえたのだろう。ユメを乱雑にベッドへ放り投げたオベイロンは、アスナの方へ顔を向けた。

「これは驚いた。友人だったのかい、ティターニア?」

「その呼び方はやめて。それより、どういうことなの須郷さん。なんでユメちゃんがこの世界に、それもSAOの装備のままでいるの」

 SAOはクリアされ、生き残っていたプレイヤーは無事に解放された。それが、アスナがオベイロン/須郷から聞かされた情報だった。だが、かつて共に戦った戦友が、あの時のままの姿でここにいる。

「嫌だなぁ。確かに僕はそう言ったけど、()()解放されたとは言っていないよ。違うかい?」

「貴方は、一体なにが目的なの」

 怒りに身を任せるようなことはしない。もしこの手に剣があればと思わずにはいられないが、それでもアスナは堪えた。

「さて、いずれすぐに分かるさ。その時を楽しみに――――」

 再びのアラートが鳴り響く。須郷の表情が不快感で染まった瞬間、彼の前に大型のディスプレイが現れた。そこに映し出されたのは一体のモンスター。ナメクジを巨大化させたような造形に、思わずアスナは腕を摩った。

「一体何事だい?」

『不味いです、このままでは世界樹が突破されます!』

 そのナメクジの声は焦りに満ちていた。しかし須郷は先ほどよりも不快感を顔に滲ませて言った。

「取り合えずモブの数を倍にしてから映像を見せろ」

『は、はい!』

 そして画面が切り替わる。刹那、耳を塞ぎたくなるほどの轟音が鳥籠中に響いた。

『くっそ、さっきより多くなってるぞコレ!!』

 聞こえてきたのはまだ年若いであろう少年の声。映像に映し出されたのは、長大な剣を振るいながら毒づく赤髪の少年だった。

『だめ…回復が追い付きません!』

『くぅっ!』

 墨にも似た色の霧を突き抜けてきたのは陣形を組んだ色とりどりのプレイヤー。だがその数は一パーティ程しかいなかった。須郷自ら極悪難易度と称し、その証拠にこれまで一度もクリアされることのなかったグランドクエストにこの人数で挑むには、本当の生死の懸かったあの世界で生きてきたアスナから見れば、無謀にしか見えなかった。
 だが。

『焦るな。矢はオレとユウキが叩き落す。お前たちは目の前の敵を潰せばいい!』

 その声が聞こえてきたとき、アスナの中にあった懸念は吹き飛んだ。

「レン君!」

 SAOの時よりも髪が大分伸びているが、それでも見間違えるはずはない。あれはかつて英雄と呼ばれていた少年だ。
 それなら、と淡い期待を抱いてプレイヤー達を見る。だがその中に、アスナが待ち望んでいる人はいなかった。

「そんなバカなことがあるか!クソ、クソ、クソッ!!」

 微かな落胆を覚えるアスナとは裏腹に、須郷はそれどころではなかった。
 天空都市へと繋がる世界樹の内部。そのフロアは、上へ登れば登るほど敵のリポップが加速していく本当の意味で攻略不可能なレベルのクエストだった。それはそうだろう、プレイヤー達が夢見た天空都市などそこにはなく、あるのはただ須郷の目論見を完遂させるためだけの実験施設なのだ。絶対に、辿り着かせてはなるものか。

「おい! アレを出せ!!」

 須郷の声に返答はなかった。だが代わりに、ディスプレイの向こうに変化が起こる。
 最早聞きなれてしまった、ドラゴンの雄たけび。総数五体のドラゴンが、世界樹の頂点から飛来する。
 最早、須郷がこのゲームをクリアさせる気がないのは明らかだった。だがアスナはそれを指摘することはなかった。ただ祈る。どうかこの世界から解放されて、愛おしい彼と再会する時を。

『オレがやる。下がっていろ!』

 その願いを、英雄に託しながら。



†    †



「オレがやる。下がっていろ!」

 何か、些細な不信感が燻っている。
 かつてキリトにSAOはカーディナルというシステムが全てを管理していると聞いたことがあった。全てが数字によって構成されているシステムが運営であるからこそ、SAOには些細なバグはあるにしても、ムラのようなものはなかった。敵のポップ数しかり、レベルしかり。だが、このALOはどうだろうか。まだこのゲームを始めて日は浅いが、ある程度の冒険はしてきた。故に思うことがある。
 今のこの現状。四方をドラゴンや騎士に囲まれ、進路は愚か退路すら塞がれたこの状況は、果たしてシステムが支配しているのだろうか。

「兄さん!?」

 名言するなら、何者かの意志によってこの現状が創り出されている気がしてならない。更に言うならば、“この先は通させない”という執念を感じてしまう。

「邪魔だ!」

 殺到する騎士を斬り捨て、ドラゴンの爪を掻い潜る。その際肩を浅く斬られてみると、掠っただけにも関わらずオレのHPは半分も削れた。

「シウネー、回復を兄さんに重点的に回してください!」

「はい、ランさん!」

 これまで戦ってきた騎士たちと比べ物にならないフロアボス級のドラゴンが同時に四体。あの世界(SAO)ならば即時撤退していた所だが――――

「ユウキ、見てるだけじゃいられねぇ。レンのフォローするぞ!」

「勿論!ジュンこそ、油断して死なないでよ!」

「タルケン、テッチ、シウネーの警護任せたよ!アタシは周りの邪魔もの蹴散らすからさ!」

「任せて!」

「は、はい!」

「全く、頼もしい限りだな?リーダー」

「自慢の仲間ですから!」

 傍らの妹は目に涙を浮かべながらそう言った。ならば、オレもその末席に加えてもらえるように励むしかない。

「行くぞ、合わせろよラン!」

「はい!任せてください、レン!」

 二人同時に翅を全力で広げてドラゴンへ向けて加速する。
 オレは大太刀を、ランは直剣を肩に担ぎ、ドラゴンの肩口めがけ振り下ろす。悲鳴を上げてバランスを崩すドラゴンの体躯をなぞる様に滑空し、翼の付け根、大腿部、尾の順番 に斬撃の雨を降らせた。ランはオレの動きに寸分違わずついてきた。その介あってか、ドラゴンのHPは残りわずかになっていた。

「ランは次の奴に!トドメは刺しておく」

「はい!」

 オレはこの時、柄にもなく興奮していたのだろう。かつての仲間たちを想起させる光景を前に、全ての懸念材料を忘れてしまっていた。
 
 オレはこの時の決断を一生後悔することになるとは思ってもみなかった。



「ランさん!?」

 シウネーの悲鳴が聞こえてきたのは、一体目のドラゴンが地に落ちていくのを見届けた直後のことだった。
 聞きなれないシウネーの焦った声に急いでランの姿を探す。
 その姿はすぐに見つかった。オレが指示した通り、二体目のドラゴンの、その顎の中に。

「藍子!!」

 この時ばかりは我を忘れてランの下へ飛んだ。群がる守護騎士を大太刀の鞘すら使って薙ぎ倒し、ランを噛み切ろうとしているドラゴンの鼻面へ切っ先を突き立てる。

「ギャァァァァァァ!?」

 悲鳴を上げた途端投げ出されたランの身体を抱き留める。
 彼女のHPは僅かにだが残っていた。彼女のアバターは自壊してはいない。だから間に合った、そう思った。

「シウネー、早く回復を!」

「もうやっています!」

 バカな、と叫びそうになるのを堪える。視界の端で確かに回復していくランのHPバーが見えたからだ。だが、彼女は目を覚まさない。そればかりか、彼女の指先が透けてきているではないか。

「――――まさか!」

 ここまで来て、オレはようやくラン、否、藍子が目を覚まさない原因に思い当たった。
 限界を迎えたのはランではなく、藍子のほうだ。彼女の消えかかっていた命の火が、今正に、消えていっているのだ。

「うおっ!?」

「ジュン!」

 ユウキと共に仁藤のドラゴンを抑え続けていたジュンが、ブレスに巻き込まれ吹き飛んでいく。

「タルケン、下がって!」

「僕はまだやれます!」

 スリーピング・ナイツは、瓦解していた。精神的支柱でもあったリーダーの意識が不明。これまでにない程の強敵があと三体。既に全員のHPは危険域を指示している。
 
 どう見ても、もう、これ以上は進めなかった。

「全員、撤退!! バラバラでも良い。世界樹の入口まで引き返せ!」

「そんなこと…っ!!」

「ランがお前達が倒れていくのを望むと思うか!! 全員生きて戻る、これがランの意思だ!!」

 この一言が功を奏したのか、全員が悔し気に引き返していく。幸いなことに、追ってくるのは守護騎士だけで、ドラゴンは上空に滞空しているだけだった。
 消えかかっているランを背負い、オレも騎士の矢を避けながらなんとか入口目がけて飛ぶ。事ここに至って、ダメージなど気にしている暇はなかった。



†    †



 世界樹の頂点で、須郷は詰めていた息をゆっくりと吐きだした。

「まさか、今の能力値で世界樹の八割を昇り切るとはね……いやはや、流石のボクでも尊敬の念を隠せないよ。君のお友達は、随分と面倒な存在だ」

 須郷の嫌味に、アスナは唇を噛んで耐えることしかできなかった。
 助けが来ないことに絶望しているわけではない。ただ、あのレンが敗走したことに、少なからずショックを受けていたのだ。

「成程ねぇ。彼があの終世の英雄『レン』君、か」

 少し、牽制しておく必要があるな。そう呟いた須郷の声は、アスナの耳には届かなかった。

「ああ、確か、アイツが何か言っていたなぁ」

 悪意の牙が、レンに襲い掛かろうとしていた。



†    †



「ラン!」

 躱しきれなかった矢を肩から引き抜き、背負っていたランを降ろす。彼女の瞳は閉じられており、握った手に力は籠っていない。

「姉ちゃん!!」

 駆け寄ってくるスリーピング・ナイツの皆は一様に不安げな表情を浮かべている。
 ああ、そういえば、彼らは既に仲間を二人見送っているんだった。不安を覚えるのも、仕方がない。

「……オレの責任だ。ランが不調だということを知っていながら、無理をさせてしまった」

「そんな、レンさんの責任では―――!」

 叫ぶタルケンの声を遮るように、ランの手がオレの頬に添えられた。

「――――タルケンの言う、通りですよ…?兄さんの、せいではありま、せん」

 その手は震えていて、とても頼りなかった。薄れかかった彼女の姿は、まるで彼女の命の残量を表しているかのようだった。

「皆、ごめんね…?最後まで、昇れなかっ――――」

「ラン!?」

 最後まで告げられず、ランの姿は金色の光になって消えていった。恐らく、意識が消失したことによる強制ログアウトだろう。だとするならば。

「レン、ユウキ、今すぐ現実世界に戻ってくれ」

「うん…ジュン、後はお願い」

「すまない、落ち着いたら戻ってくる」

「うん、早く行ってあげて」

 最悪の事態だけは免れていてくれ、そう思いながらログアウトのボタンを押す。電子世界から意識が離れていく間、柄にもなくそう祈り続けていた。



†    †



「結果だけ言おう。最悪の事態は回避できました」

 倉橋さんのその言葉に、安堵のため息が漏れる。隣に座る兄ちゃんの身体からも、力が抜けていったのが分かった。だが、倉橋さんの表情は険しいままだった。

「……けれど事ここに至って、私が改まって話すことはなんであるか、君たちはもう知っていると思う。だから、勿体ぶらずに簡潔に言います」

 その言葉で、分かってしまった。姉ちゃんの未来が、もう残りわずかなことが。

「紺野藍子さんの命はもう長くありません。いつ生命活動が停止してもおかしくはない状態です」

 あの時と同じだ。パパとママが亡くなったあの時と同じ光景だ。目の前には険しい表情をした倉橋さん。やがてボクの視界は涙で濡れていって―――

「え……?」

 大きくて暖かい手が、ボクの頭に触れていた。ああ、そうだった。あの時と同じなんかじゃない。今のボクには、悲しくてどうしようもないときにその悲しみを分かち合ってくれる人が隣にいたんだ。

「……二人で、心の整理をつけるといい」

 そう言い残して、倉橋さんは席を立った。
 病室には、ボクと兄ちゃんだけが残った。
 ボクは兄ちゃんに縋り付いて、赤ん坊のように泣き続けた。



†    †



「おやすみ、木綿季」

 泣きつかれて眠ってしまった義妹を病室のベッドへ寝かせる。これまでずっと一緒だった双子の姉がもうすぐいなくなってしまうのだ。彼女の心の傷は、オレ程度では到底計れるものではない。

「計れていなければ、ならなかったのにな……」

 オレは両親亡き後の二人を守るために引き取られた。彼女たちが追ってしまうだろう心の傷を一緒に背負ってあげるために紺野家の一員となった。だが、両親が亡くなった時にオレは彼女たちの傍にいてあげることができなかった。それどころか、守るべき義妹が今際の際にいるというのに、オレはなにもしてあげることができない。

「……いや、まだだ。まだ、できることは残っているはずだ」

 鬱屈した思考を振り切る。こんな出来損ないの兄貴でも、彼女たちからある程度慕われていることは感じられる。ならば、藍子のため、木綿季のためにできることは全てやらなければ。
 現在の時刻は十時を回ったところ。まだ、倉橋さんはいるはずだ。
 病室の扉をゆっくりと開ける。既に消灯時間を過ぎた廊下は暗かった。まるでオレ達家族の行く末を暗示しているかのようだ。それでも、止まってたまるか。



†    †



「ちょうどいい時に来てくれたね、縺君」

 倉橋さんは、【第一特殊計測機器室】という場所にいた。ナースセンターにいた夜勤のナースに教えてもらって、入室許可証たるパスコードも渡してもらえた。恐らく、病院側がそのように配慮してくれたのだろう。なにせここはメディキュボイドのある場所、つまりは藍子が必死に病と闘い続けている場所なのだから。

「今しがた、藍子君の意識が回復したよ。予断を許さない状況なのは確かだけど、会うかい?」

「それを、藍子が望むのならば」

「ええ、望んでいるとも」

 倉橋さんに連れられて、オレは機器室の隣にある部屋に入った。そこは機器室の半分程の狭い部屋で、黒いレザー張りのリクライニングシートが二脚あるのみだった。シートのヘッドレスト部分に、未だ見慣れない円形型のヘッドギアが掛けられているのを除けば。

「そういえば、縺君はまだナーヴギアを使っているんだったね」

「ええ。アミュスフィアを買う金も惜しいですし。それに、あれはあれで、思い入れがあるので」

 当初ナーヴギアは政府によって回収されるはずだったが、提出を渋ったオレを見てあの総務省仮想課の菊岡さんが特例として所持を許可してくれた。あの人には借りができてしまったが、それでも、オレはナーヴギアを手放す気にはなれなかった。
 勿論、忌々しい道具ではある。だがそれ以上に、この機械には沢山の思い出が詰まっている。あの世界で出会い、友人になり、そして死に別れ、救えなかった人たちとのかけがえのない繋がりがある。そして何より、これは今は亡き義両親がオレに与えてくれたものだ。手放したくは、ない。

「そうか……縺君、できればなんだが、その思い入れというのを藍子君に話してあげてはくれないか?」

「SAOの話を、ですか?」

「ええ。君は藍子君と木綿季君が幼かったころ、よく物語を読み聞かせしていたそうですね。もう一度兄さんの物語を聞きたいと、藍子君はいつも言っていたんです」

 確かに、オレはよく藍子や木綿季に物語の読み聞かせをよくしていた。それはまだオレが引き取られたばかりの頃、うまく家庭に馴染めないオレを見た義両親が提案してくれたことだった。

「……分かりました。藍子がそれを望むのなら」

「ああ、よろしく頼んだよ」

 そう言って倉橋さんは部屋から出ていった。
 その姿を見送ってから、オレはアミュスフィアを手に取り、頭に装着した。冷ややかな感触が頭を包む。これが、藍子と最後の会話になるかもしれない。
 それでも――――



†    †



 目を開く。
 そこはスリーピング・ナイツが宿として使っている一室だった。恐らくオレとユウキがログアウトしたあの後、みんなが宿まで運んでくれたのだろう。
 体を起こす。
 隣にはユウキのアバター、そして離れた所にはジュンたちが眠っていた。藍子――ランの姿は、この部屋にはない。

「外、か」

 窓からは朝焼けの光が差し込んでいるが、まだ一日の始まりには早いだろう。 
 皆を起こしてしまわぬよう気を付けて、宿屋のドアをゆっくりと開けた。

「――――」

 燃えるような朝焼けに、そしてその向こうに立つ後ろ姿に、目を奪われた。
 その姿はなんて儚いのだろう。なんて、脆いのだろう。
 朝焼けの中に溶け込む彼女の姿に得も言われぬ不安を覚えて、気づけばオレは、華奢な彼女の身体を背後から抱きしめていた。

「もう…苦しいですよ、兄さん」

「……すまない。藍子」

 藍子の声は酷く穏やかで、苦しいとは言いつつも、彼女の手はオレの腕を離そうとはしなかった。

「ねえ、兄さん。昔のように、お話しを聞かせてもらえないですか?」

「……ああ、いいさ」



†    †



 それからオレは、藍子にSAOでのことを全て話した。オレが攻略組として最前線で戦っていたこと、神の盾(アイギス)という仲間がいたこと、そして彼らを失ったこと、オレがそれをやったこと、茅場との最後の戦いも、全て。

「それが兄さんの、掛け替えのない思い出なんですね」

「ああ。良い思い出ばかりではなかったが、決して切り離すことはできない思い出だ」

「そう、ですか……。すみません兄さん、少し、眠くて…」

「ああ、おやすみ、藍子」

 微睡む彼女の頭を撫でる。すると藍子は、安心したように瞼を閉じた。

「兄ちゃん!?」

 宿に入ったオレを出迎えたのはユウキの叫び声だった。恐らくは眠る藍子を見ての反応だろう。眠っているだけだということを伝えると、ユウキは安心したようにテーブルに座り込んだ。

「ねえ、兄ちゃん」

「何だ?」

 藍子をベッドに寝かせ、ラウンドテーブルに座るユウキの対面に座る。ユウキはどこか思いつめた顔で、オレを見つめていた。

「ボク、やりたいことがあるんだ。でも、それはみんなに迷惑をかけるだけなのかもしれない。姉ちゃんやみんなの思いを、踏み躙っちゃうかもしれない」

 ユウキのやりたいことが何なのか、オレには分からない。けれどオレは、否定するつもりはなかった。

「ユウキが悩んだ末に出した案なら、オレは支えるよ。まずは――」

 寝室と隔てる扉をチラリと見やると、暗闇の中でもよく見える水色の長髪が揺れているのが見えた。きっと他のみんなも起きているのだろう。

「話してごらん、ユウキの思いを」

「――うん」



To be continued 
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