ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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人狩りの夜 3
屋敷に入れば贅沢の限りをつくした部屋がいくつも続く。
玄関ホールの床には異国の珍しい絨毯が敷かれ、壁には有名な画家の作品や美しいタペストリーが掛けられている。
応接室には免状や権利書、狩猟大会のトロフィーなどが自慢げに飾られている。
各寝室には天蓋つきのベッドが鎮座し、書斎には革装の立派な書物が並ぶ。
大広間では夜ごとのように晩餐会や舞踏会が開かれていることだろう。
その大広間の中央に光輝くルーン文字と様々な紋様が浮かび上がった。
魔方陣だ。
「転移……いや、召喚門か」
秋芳は魔方陣に記された文字列と紋様の内容を読み取る。
召喚用の魔方陣――。ゲートの奥から、たくましい人間の体に雄牛の頭を持った怪物が現れた。かぶりものではない、本当に人の体に牛の頭が乗っているのだ。
おそるべき怪力と狂暴さで知られる魔獣ミノタウロスだ。
牛頭の魔獣人が両手持ちの戦棍をかかげて咆哮をあげると、鳳凰の間にいる貴族たちの口から歓声があがった。そこには流血を期待する気持ちだけではない。他の感情も込められていた。
ミノタウロスの股間にある男根は隆々と屹立している。
ミノタウロス――。
屈強な人の体躯に牛の頭を持つこの怪物はきわめて狂暴で残忍な生き物だ。肉食性で、特に人間の肉を好む。空腹になると人里を襲うため、田舎の村では若い娘をミノタウロスの生け贄に捧げる儀式がしばしばおこなわれる。というのもミノタウロスはすべて雄なので子孫を残すには人間の女性を利用しなければならないのだ。
このミノタウロスは発情している。
男のほうを無惨な肉塊に変えて、女のほうは別のお楽しみに観賞できる。
色欲を求める下卑た笑い声が貴族たちの口からもれていた。
そんな哄笑が魔術による伝声手段を通じて広間に反響する。
「民草の救世主を気取る貴族の敵、ペルルノワールよ。今宵この場こそ、おまえの墓場となるのだ。ただで死ねると思うなよ。暴力と苦痛、恐怖と恥辱。凌辱の魔界で朽ちるがいい!」
GOAAAAAAAッッッ!
鼻息も荒くミノタウロスが猛る。
「さぁ、いけ。まずは男を挽き肉にしてやれ」
「派手にやってくれよ」
「すぐに殺すな。手足から潰してやれ」
「とどめは頭をかち割るんだ!」
秋芳とペルルノワールは自分たちのおかれた状況を理解した。
「人狩りのお次は悪趣味な鑑賞会か。つくづく他人の流す血がお好きなようだ」
「有力貴族のなかには魔戦武闘用に魔獣を飼育している者もいるわ。クェイド侯爵ご自慢のミノタウロスのようね」
牛頭の魔人は戦棍を振り上げ、うなりをあげて秋芳に襲いかかった。
なんの変哲もない戦棍も、ミノタウロスにかかると、肉を裂き骨を砕く致命的な武器になる。
その前にペルルノワールが割り込む。
「おい!」
「ここはわたしにまかせて」
先ほどのゲスな哄笑に込められた、いやらしい展開を期待する観客たちの鼻をあかすつもりだ。
ペルルノワールの漆黒のマントがひるがえり、戦棍を受け流す。
受け流すと同時にマントがミノタウロスの胴体に吸い込まれるように斬り込まれた。
ミノタウスの厚い胸板から激しい血しぶきが上がる。
鉄の盾で受け止めても衝撃で腕をへし折られるような圧倒的な剛力を受け流し、鋭利なすそで斬撃をあたえる。
武器と鎧と盾の役割を果たす、ペルルノワールの身にまとうマントはただのマントではない。
魔導具だ。
だがミノタウスはまだ倒れない。人ならば一撃で戦闘不能になる深手を負って苦悶と怒りの声をあげ、ますます猛り狂っている。
戦棍の連打がペルルノワールの身に降りそそぐ。まともにあたれば彼女の華奢な体なぞ、一撃でへし折れてしまうことだろう。
だが、その身につけたマントのみならずペルルノワール自身もただの人ではなかった。右に左と体を動かし、マントを閃かせて戦棍の猛打を紙一重で避け続ける。
彼女はミノタウロス相手の接近戦で、一歩も退かないのだ。
そして避けると同時に、細剣で突く。マントで斬る。
(攻撃を左右に散らし、転身することによる遠心力を利用して突く。円滑な重心移動がなければできない芸当だ。まるで一流のダンサー並の身体能力だな)
秋芳は下手な格闘家などより、ダンス。特にクラシックバレエを習っている者のほうがよほど強いと思っている。よく鍛えられた下半身と体軸により身体の軸が安定し、重心を瞬間で取れる。基本的な身体能力も高く、背筋や腹筋をはじめ全身の筋肉も強靭で体力、スタミナに優れ柔軟だ。
戦闘に必要な要素をすべて持っている。
舞踏は武闘に通じる。
剣とマントの舞によってミノタウロスの全身が赤く染まり、さすがに動きが鈍くなった。
それを見逃すペルルノワールではない。
レイピアが一閃しミノタウロスの顎に下から突き刺ささる。
血と脳漿のついた先端が頭頂部から突き出る。脳を貫通していた。
二度、三度と痙攣して弱々しい鳴き声を漏らすと、さすがのミノタウロスも息絶えた。
相手を血だらけにした美少女仮面の身には返り血ひとつついていなかった。
「…………」
予想外の展開に鳳凰の間に並ぶ貴族たちは言葉を失った。
怪盗としての噂は名高いペルルノワールだが、これほどの武技を持っているとはだれも思いもしなかった。
正体は若い娘のようなので、庶民の間で人気があるが所詮は泥棒。少しばかり盗みの技に長けただけの義賊と称するコソ泥風情にミノタウロスを一方的にたおす実力があることに驚愕した。
ここにきて貴族たちにはじめて危機意識が生じた。
合成魔獣を倒すだけの実力を持つ者が、館に侵入してきているのだと。
「これはおどろいた! あのような華奢な乙女が、かの牛頭人身の魔人を屠るとは、このマスク・オブ・イーグル、感嘆の極み!」
「ははは、初戦の賭けは私の勝ちですな」
あまり危機意識を持たない者もいた。
「ううむ、まさかペルルノワールがあそこまで強いとは、あの華麗な剣さばき。闘技場の剣闘士でもあのように動ける者は限られているぞ」
「まさかとは思うが、やつらここまで来ないだろうな」
「なぁに、まだ最初の一匹がたおされただけ。お手持ちのカードはまだまだあるのでしょう、館主殿?」
「ハイエナ卿のおっしゃるとおり。まだまだお楽しみはこれからです」
クェイド侯爵は内心の動揺をさとられないように、ことさらおもむろに魔方陣の操作盤に手をのばした。
魔方陣が光り輝き、次なる魔獣を呼び出した。
水牛ほどもある巨大な黒い獅子――。
いや、獅子ではない。
体の前半分が獅子、後半分が黒山羊で、背中から山羊の頭を、尾の代わりに大蛇が生えていた。
シャンデリアから照らされる魔力灯の下で、艶のある黒い体毛が煌めき、獅子のたてがみは黒い炎のようだった。
たてがみの後にある角の生えたもうひとつの獣の、山羊の顔。鎌首をもたげる大蛇の顔。
それぞれの顔から王者の余裕と、賢者の思慮、殺人気の冷徹さを感じさせた。
「キマイラ!」
「おお、これがあの有名なテュポーンとエキドナの子――じゃなくて『最初の合成獣』か」
キマイラ。魔術師たちが創造した最初の合成獣といわれる、合成獣の代名詞のような存在。獅子の頭からは灼熱の息吹を、山羊の頭は数多の呪文を、蛇の頭からは毒を吐き出す、おそるべき怪物。
「西洋風の『鵺』か。タイプ・キマイラどころか、ザ・キマイラだな」
異形ではあるが、醜悪ではなかった。いや、美しいとさえ言えた。ただし、それは恐怖と狂気によって彩られた美しさだ。
名匠によって鍛えられた剣の冴え冴えとした輝きが見るものをぞくりとさせるように、キマイラからは戦慄に満ちた美を感じられた。
「きわめて不自然な造形にもかかわらず、妙に合っている。これは、異形の美だ」
「あなたの感性もまんざら間違ってはないわ。グリフォンやワイバーン、キマイラを紋章に使う貴族は多いから」
「よし、今度は俺の番だな」
「素手であの怪物と渡り合うつもり?」
「指先は寸鉄、腕は白刃、足は槍。それが空手だ」
「まぁ! 翁とおなじようなことを言うのね」
「翁?」
「ええ、知り合いの魔闘術使いのおじいちゃん。わたしに武術とか教えてくれる人よ」
「なるほど、たいした体術だと思ったが、やはりきちんとした師匠がいたんだな。その魔闘術とやら、興味がある。縁があれば俺もその翁さんにご教授願いたいものだ。なにせ俺の空手はまだまだ未熟でね。だから武器を使わせてもらおうか」
秋芳はテーブルクロスに手をかけると、一気に引き抜いた。
速い。テーブルの上の食器や燭台は、微動だにしない。
そのまま腕をまわすと、テーブルクロスは雑巾を絞ったように巻き固まる。
布棍だ。
「……? 【ウェポン・エンチャント】したわけじゃないわよね、それ。でも、魔力が宿っている。あなたも魔闘術の心得があるの?」
秋芳のいた世界の見鬼ほど正確ではないが、ルヴァフォースにも霊的な感覚の鋭い人は存在する。【センス・オーラ】を使わずともなにか魔術的な作用の有無を直感できる人が。ペルルノワールの優れた感覚は布棍に込められた秋芳の気を感じ取った。
「魔闘術ではないが、まぁ、そんなところだ」
気を張り廻らせて肉体を鉄のように硬化させる鉄布衫功の応用で、手にしたテーブルクロスをほどけないように絞り上げ、硬質化したのだ。
「ヒージャーグスイもシェーブルチーズもハブ酒も……俺はけっこう動物好きだから、こいつをたおすのは心が痛むな」
「あなたのその『好き』って、食べものとしての好きじゃない?」
最初に動いたのはキマイラだった。黒山羊の口が呪文を唱える。
「《穢れよ・爛れよ・朽ち果てよ》」
第二ラウンドを告げる酸毒刺雨が大広間のなかを降りそそいだ。
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