ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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辺境異聞 8
「――たった二、三〇〇年生きた程度で人生の重さ苦しさに耐えきれないだの――」
秋芳のその言葉がセリカの胸中に引っかかった。
とっくの昔に克服したはずの心の痛手が妙にうずく。
自分がまったく歳を取らない、謎の不老体質であることが判明した時のこと。
だれもが気味悪がって、はなれていった。
永遠の愛を約束し、将来を誓い合った人までもが、セリカを化け物と罵り、去って行った。
それでも変わらずに接し、側にいた数少ない人たちも年老いてこの世から消えて逝った。
不老であることに加え、セリカの持つ強大な力を恐れ、妬み、嫉み、僻み――。孤立していった。
人が我を人と思わぬなら、我もまた人を人と思わぬ――。
自分を忌み嫌う者と仲良くするつもりはない。人々の冷たい態度は彼女を偏狭な枠組みに捕えさせ、傍若無人な振る舞いに駆り立てる。
やがて『灰燼の魔女』などと呼ばれはじめた。
その魔女が通った後には塵ひとつ残らない、破壊と死を振りまく災厄の化身だと。
(……〝あいつ〟に出会う前の私は終わりの見えない永遠の生と記憶のない不安と孤独にいつもムカついていたっけ。あいつのおかげで、私は救われた。でも、それはいつまで続く? あいつの生きている時間と私の生きている時間はちがう。いつの日か、あいつも――)
パァァァンッ!
秋芳の超高速によって生じた炸裂音が室内に響く。
「ヨーグゥゥゥッ!?」
一瞬のうちに血肉の塊と化した同胞の姿に動転したフーラが光闇の鎌を滅茶苦茶に振り回した。
「ちッ!」
技もなにもない、吸血鬼の怪力にまかせたでたらめな攻撃など、エリエーテの剣技の前では児戯にひとしい。
光の刃を軽く受け流し、闇の刃を捌く。
だが、物思いに耽っていたセリカの動きにわずかに鈍さが生じた。
闇の刃が膝の上を軽くかすめ、かすかな痛みをおぼえる。
「う……ッ!?」
目の前が唐突に暗くなった。
視界も狭くなり、まるでひどい貧血になったかのように全身の力が抜け落ちる。
心臓の鼓動が早鐘のように鳴り、意識が薄くなってくる。
(毒? ……いや、ちがうこれは)
闇の刃がかすめた膝の上を見る。たしかに切られた痛みを感じたが、スカートにもその下に隠されたガゼルのようにしなやかな脚にもかすり傷ひとつついていない。
「その黒い刃。肉体を傷つけず精神を破壊する【魂砕き】か、それとも吸収する【魂喰らい】か……」
セリカに答えることなく霧と化してその場から逃れるフーラ。
「おい、どうした!?」
「おまえが、変なことを言うから……」
「はぁ?」
「あの両刃の鎌、黒いほうの刃には斬った相手の精神を破壊、あるいは吸収する能力があったらしい。私は霊魂を、エーテル体を壊されちまった、みたいだ……」
「たしかに、そのようだな」
セリカの気が急激に衰弱しているのを、秋芳の見鬼が見て取った。
「霊魂の損傷は自然回復を持つしかない。だが、かすっただけだが、かなりやられちまったみたいだ……。私はもう魔術を使えないかもしれない」
霊魂の損傷は魔術師にとっては致命傷だ。霊的な感覚を使用する魔術において、霊魂――エーテル体の状態は大きな影響をおよぼす。魔術がまったく使えなくなるとまではいかなくても、なんらかの障害が残ってしまう可能性がある。
「この程度の霊障で大げさなことを言うな」
「大げさだと? 他人事だと思って……。そもそもおまえがあんなことを言うから!」
「あんなこと? とにかく俺は呪禁師だ。このくらいすぐに治せる」
「なんだと? あ、こらっ。どこを触ってるんだ!」
秋芳はセリカを抱きかかえると客室へ行きベッドに横たえさせると、フーラや下僕の吸血鬼と思われる召し使いたちの奇襲に備えて結界を張った。
「体を楽にして力を抜くんだ。なにがあっても力を入れてはいけない」
「…………」
自信に満ちた秋芳の言葉に、セリカは黙ってうなずく。
秋芳は左手を胸にあて、右手の人差し指でゆっくりとセリカの頭の百会穴を点いた。
「あ……」
熱い気が頂門から下りてきて、セリカの体がかすかに震え、吐息が漏れる。
秋芳は指をすぐに離すと次は百会穴の後ろの後頂穴を点く。
「あっ、んっ……」
さらに強間、脳戸、風府、大椎、陶道、身柱、神道、霊台と続けて点き、湯が沸くよりも短い間にセリカの頭から背筋を走る督脈の三〇大穴をすべて順番に点いた。
「あっ、ああっ……くっ、んっ」
さらに顔から胸、腹へと続く任脈の二五大穴を、陰維脈の一四穴、陽維脈の三二穴を順番に点く。
「あ、あぁん……」
さらにくるぶしかの内側から喉にいたる陰蹻脈、くるぶしの外側から耳の後ろの風池穴にいたる陽蹻脈、足から胸にいたる衝脈を次々と点く。
「あっ……ああっ……んっ」
最後に残ったのは腰のまわりの帯脈。章門穴をはじめとする帯脈の八つの穴を点く。
「ああっ……あっ……あ、あぁん……ひぁあっっ!」
セリカの奇経八脈をすべて点き終わった。
「ひあっ……やあぁ……かふっ………あぁっん……くぅうんっ……はふぅうっ!」
痛いやら痒いやら、セリカは今まで感じたことのない摩訶不思議な感覚にとまどい、唇を噛みしめて耐えていた。そのひたいからは汗がしたたり、細い眉を伝って落ちる。
秋芳も通常の指圧などとは異なる、内力を込めた点穴治療に汗を浮かせるが、指先の動きに寸分の狂いもなく、セリカの治療を続けた。
ウサギ肉と玉ねぎのシチュー、鶏肉パイ、マッシュポテトをそえた鱒のグリル、アンチョビー・ペーストをそえたバタートースト、それに山盛りのポテトフライ。バニラのアイスクリームとリンゴのタルト。
セリカの目の前に食べきれないほどの料理がならんでいた。
遠慮なく手にとって口にすると妙に味気ない。というよりも味がまったくしない。
それどころかいくら食べても腹がふくれる感じがしない。
「なんだこりゃ、まるで夢の中で食事をしているみたいじゃないか」
そのとおり、これは夢だった。
「……腹が減った」
食事をする夢を観るくらいの空腹に目が覚めると、どこからか食欲をそそる香ばしい匂いがただよってきた。
ベッドから身を起こすと、見覚えのないネグリジェを着ていることに気づく。自分で着替えた記憶はない。
「あいつ、まさかあたしが寝ている間になんかしたんじゃないだろうな……」
意識を失う前とおなじ下着を身につけているし、妙な悪戯をされた形跡もない。
それでも服を着替えさせられたということは下着姿をバッチリと見られたはずだ。
「まぁ、たしかにたくさん汗をかいたしな……」
一〇代のおぼこ娘ではない。羞恥心を頭のすみに追いやると、匂いのする方にむかった。
厨房で秋芳が調理をしている。
「目が覚めたか、体に異常はないか?」
「おかげさまでね、なにを作っているんだ」
「雉とリーキのスープ」
「いただこう」
雉は肉質こそ硬めだがしっかりとした味があって美味。出汁がよく出るので汁物にするとさらに味が深まるうえ、身が柔らかくなり食べやすくなる。
「こりゃあ美味い!」
「あいつら、自分らは血しか飲まないくせして大量に食料を蓄えこんでやがった」
「そういえば、フーラや残りの吸血鬼はどうした。私はどのくらい寝ていた。着替えさせたのはおまえか、脱がしたときに私の裸を見たのか。その時にエロいことをしたか」
「フーラをはじめ残りの吸血鬼はすべて退治した。あんたはちょうど一晩ほど寝ていた、今は朝だ。着替えさせたのは俺で、服だけ取り替えたが下着は脱がしていないから裸は見てない。当然エロいこともしてない。下着の色が黒だったが、酒場で違うとか言ってたな。俺の卜占はあたっていたのに嘘をついたのか!」
「ちっ、こまかいことを覚えてるやつだね」
「着ている服も下着も黒とか、どんだけ黒が好きなんだよ。ギークやナードみたいなファッションセンスだな」
「黒は汚れても、飲み物をこぼしても、洗濯するにしても、あんまり気にしないで一日を過ごせるだろ。素晴らしい色じゃないか、黒」
「だからってこぼすなよ」
「ふん、子どもあつかいするな」
パンをほおばり、スープを三杯ほどおかわりをしてようやく人心地ついたセリカは、お返しとばかりにルーマティーを淹れて振る舞う。
淹れたての茶の放つまろやかな香気が食堂をただよう。
「……静かだな」
「この城の中で生きている人間は俺たちふたりだけ――て、最初からそうだったな。やつらを始末するのに剣を借りたぞ」
秋芳が腰に帯びたエリエーテの真銀剣をセリカに返した。
「ウェンディに借りた魔剣も凄かったが、それもたいした業物だな」
「ああ、なにせ《剣の姫》エリエーテの佩剣だったからな」
「魔導大戦の英雄のひとりか」
魔導大戦。
二〇〇年前に外宇宙から侵略してきた邪神とその眷属らと人類の間で発生した戦い。
人類がなすすべもなく蹂躙され、滅亡の淵へと追いやられた悪夢の如き死闘。
「たしか六英雄のひとりだったな」
魔導大戦で活躍した六人の英雄。
《灰燼の魔女》セリカ=アルフォネア。
《剣の姫》エリエーテ=ヘイヴン。
《聖賢》ロイド=ホルスタイン。
《戦天使》イシェル=クロイス。
《銀狼》サラス=シルヴァース。
《鋼の聖騎士》ラザール=アスティール。
邪神との激戦でセリカ以外は全員戦いの中で散っていった。
「あいつらだけじゃない、邪神どもに戦いを挑んだ《百の勇者》のうち、最後まで立って戦っていたのが私たち六人。……最後の最後まで、生き残ったのが私だ」
「ほう!」
「少し、昔の話をしてやるよ――」
セリカの脳裏に二〇〇年前の情景がよみがえる。
地平線の果てまでを、奇怪な軍勢が埋め尽くしている。
数千、数万のその軍勢には、どれひとつとしておなじ姿をしたものはいない。
ねじくれた角を生やしたもの。
蝙蝠と白鳥の羽をともに持ったもの。
百の目ですべての方向を睨んでいるもの。
獅子のたてがみと蛇の鱗を持つもの。
漆黒の影のようなかたまり。
足のかわりに五本の尾を持つもの。
毒蛇の牙から炎をあげる毒液をしたたらせたもの。
邪神の群れであった。
ある夜、突如として空がすっぽりと欠け落ちたかのように、漆黒の月が現れた。空間に開いた巨大な穴。
そこから、外宇宙からの侵略者が、邪神がやってきた。
歪みが具現化した邪悪の象徴。ルヴァフォース世界を根底から破壊するもの。極限まで堕落した究極の混沌。
邪神の存在そのものが、このルヴァフォース世界と相容れないのだ。
かくして戦いがはじまった。
いくつもの森が燃えた。
海は灼熱に沸騰した。
大地は腐った。
山がくずれた。
空気は淀み、空は闇に閉ざされた。
五つの国が滅び、七つの島が海に沈み、九つの都市が瘴気で腐り果てた。
そして、その時。反抗の狼煙が上がった。
邪神の前に立ちはだかるのはアイコーンの城塞。人類最後の希望の砦。
そこで兵士たちを率いるのは《聖賢》ロイド=ホルスタインと一〇〇人の仲間たち。
栄光の担い手たる、百の勇者たち。
セリカが天空へと向けて放った一発の光弾。
それこそが、邪神を追い払う、最初の一撃だった。
後の世に六英雄と称される者たちだけではない、邪神との戦いでは数多の英雄や悪人。超人魔人妖人が現れた。
深く傷つきながら、だれを憎むことなく、すべての浄化と救済につとめた《癒しの姫》アンジェリカ。
素手で魔鋼鉄のゴーレムを砕いた東方の《武王》マス・タイザン。
竜の王(ドラゴン・ロード)と心を通わせ共に大空を翔けた最初で最後の《竜騎士》リシャール。
悪魔に肉体を奪われながらも最後に残った哀しみと喜びの心によってその支配を跳ね返したという《悪魔人》アキュラ。
血のつながった姉を愛し、その愛ゆえに邪神と通じ、数万の血を流した《狂騎士》ガーランド。
外宇宙から飛来し、大地に落ちた見えない船から魔法の源を奪い、邪神と手を組んで人々を支配した《魔盗賊》ドルコン。
狂気の芸術家にして合成魔獣の生みの親《黒の創り手》モロウ。
魔導大戦は邪神との戦いと同時に人類同士の殺し合いでもあったのだ。
「――魔導大戦の頃から今に至るまでのニ〇〇年の間、その剣と、そこに込められた技のおかげで私は数々の危難を払いのけてきた。……おまえは、私が齢四〇〇を超える灰塵の魔女だと知って、なんとも思わないのか」
「そんな歳には見えないな」
「だが、事実だ」
「疑っているわけじゃない。その桁違いの魔力容量(キャパシティ)を視たら信じざるをえないさ、そのくらい長いこと修行を積んだ魔術師だと」
「恐くはないのか。何百年も歳を取らない、化け物だぞ。東方に伝わる仙人の話なら私も聞いたことがある。だが私は仙人なんてありがたい存在じゃない、魔女だ。《灰燼の魔女》セリカ=アルフォネアだ」
「なんでそんなに卑下するんだ。いいじゃないか、高い金を出して美容整形だのアンチエイジングだのしなくてすんで」
「そういうお気楽なことを言うやつが今までいなかったわけじゃない。だがそんなことを言った連中も、自分が歳月と共に老い衰えていくのに、私だけが刻に取り残され変わらぬ姿でいると、恐怖や嫉妬を抱くようになる」
「俺のいた国には一〇〇〇年以上生きている鬼だの荒御魂だのがいてな、この国の人ほどあんたのことを怖いだの変だのとは思わん。それに、俺も純度一〇〇パーセントのまっとうな人間とは言い切れない身の上でね〝化け物〟なのはおたがい様さ」
「なんだと? どういう意味だ」
「さて、どこから説明すればいいものか……。実は軽く記憶を失っているみたいでな――」
………… ………… ………… ………… ………… ………… ………… …………。
「――なるほど、異授卵丹ねぇ……。あんたの国。いや、世界にもとんでもない外道魔術師がいるもんだね」
「そのとんでもない外道のもちいた、とんでもない外法で俺は生まれてきたってわけだ。さて、俺が自然の摂理に反する人造人間だと知って、嫌悪感を抱いたか?」
「出自がどうこうは問題ない。世間の連中からどう思われようが、大切なのはそいつ自身がどういう人間かだ」
「そうだ、自分でもわかってるじゃないか」
「…………」
「それとも、声に出して言って欲しいのか。『不老不死だの記憶喪失だの、そんなことはどうでもいい。大切なのは今の君自身だ』と」
「やめろよ、恥ずかしい」
「だが、事実だろう」
「まあな、《造られし者》カモ・アキヨシ」
「そうだ、《灰燼の魔女》セリカ=アルフォネア」
「あたしたちは似たもの同士ってわけだ。……なぁ、昨日の妙な治療。あれはなんだ? 私は助かったのか?」
「あれは経絡治療と呼ばれるものだ。完治させるにはもう少し治療を続ける必要がある」
「ケイラクとはなんだ」
「経絡というのは人の身体に流れる気の通り道で――」
その日の夜。
「内功修練の時の姿勢は五心を手に向ける。五心とは両手の掌心、両足の掌心、頭の頂心、それで五心。内息を身体中に廻して丹田に収めるには背中、頭部を走る督脈と胸腹部を走る任脈を、舌を上顎につけて繋ぐことで可能になる。だが今回は内功修練ではなく治療だから、あんたはなにもしなくていい。俺の気に合わせるんだ」
「その気を合わせるというのすらわからん」
「手と手を合わせるだけでいい。妙な感じかも知れないが、力まずに流れに身をまかせるんだ」
秋芳とセリカは向かい合って座り、おたがいの両の掌を合わせる。
「俺が気を廻らすから、舌を上顎につけて……」
「ふむゅ、こふか?」
「そのまま、俺の気の流れに逆らうな」
秋芳は落ち着いた気持ちでじっと目を閉じ、視線を体内に向ける。
体の熱い内息を尾てい骨のあたりに集め、そこから腎関、背中の両側の夾脊を経て、耳のつけ根の天柱、後頭部の玉枕とまわし、最後に脳の中の泥丸宮へ入れる。
それらの動きを掌で伝え、そのままセリカに移す。
「あっ……ああっ……んっ、ああっ……あっ……」
しばらくして今度は下を上顎につけて内息を額の神庭から鼻と口の間の水溝、さらに舌でつないだ鵲橋、喉の重楼、肺の右の黄庭、腎臓上の気穴を経て、へそ下の丹田へとゆっくり下げていった。
「ひあっ……やあぁ……かふっ………へあぁっ……くぅうんっ……はふぅうっ!」
「いいぞ、セリカ。その調子だ、覚えが良いな。これならすぐに良くなる」
「んんんっ、ンッっ、んんーっ、んふぅうううっ、ふむぅうっぅっ、ンゥウンンゥウンッ!」
こうして七日の間、一日に三回。気功による治療を施し、セリカの負った魂の損傷。秋芳の世界で言うところの霊障の治癒を続けるのであった。
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