ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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辺境異聞 2
「月蝕の夜、翡翠の塔に人狼の影。マールバッハ侯爵の遺言状は全文が人間の血で書かれていた……」
「なんだそりゃ」
「知らないのか、 ライツ=ニッヒの『夜の血族』のなかの一節だ」
「ゴシック・ホラーか、こういう場所でマーヴィン・ピークの『タイタス・グローン』とか読んだら雰囲気が出るだろうな」
「聞いたことのない名前だね、おもしろいのかい?」
「いつの時代、どこにあるのかも知れない巨大な迷宮のような城塞都市のような建造物のただなかで展開される奇怪で異様で、それでいて魅惑に満ちた物語だ」
清潔な着替えと暖かい部屋を貸しあたえられるだけでなく、城内を自由に歩き回ってよいという格別のゆるしまで得た秋芳とセリカのふたりは談話室のなかでくつろいでいた。
「たしかに、雰囲気はあるよな」
暗灰色の空を稲妻が走り、大粒の雨が窓を叩く音が年代物の調度品や遊具で埋め尽くされた古色蒼然とした室内に響く。
「うん、さすがボルツェル辺境伯の居城だ。どれもこれも年代物だぞ」
辺境伯とはアルザーノ帝国における貴族の称号のひとつだ。
もともとはレザリア王国との国境や、帝国の法に従わない異民族が支配する領域付近に防備の必要上置いた軍事地区の指揮官として設けられた地方長官の名称であった。
敵体勢力と接しているため他の地方長官よりも広大な領域と大きな権限が与えられ、一般の地方長官よりも高い地位にある役職とされる。
「ボルツェル家というと、歴史の教科書にも載っていたような……」
「そうだ、嵐が丘の戦いの英雄さ」
嵐が丘。
広大な丘陵地帯と激しい風雨が頻繁に起こるため、この辺り一帯はそう呼ばれている。
四〇年前の奉神戦争のさい、アルザーノ帝国の領土を侵そうと迫るレザリア王国の大軍を寡兵で撃退したのが、嵐が丘の領主である先代のボルツェル伯だ。
視界を妨げるほどの豪雨に乗じてレザリア軍の本隊に奇襲をかけ、敵将を討ち取った武勇伝は今も語り継がれている。
「まるで桶狭間の戦いだな。それにしても……」
「うん?」
「なんでフェジテから馬で四日もかかる、下手すると帝都オルランドよりも遠いところにいたんだ、俺たちは。どう考えてもヘベレケになってから半日しか経っていないだろ」
「う~ん、なんか【ラピッド・ストリーム】の連続使用で競争しようとか、そんなこと言っていたような」
「マジかよ……。いや、そういえば、そんなことしたような……」
黒魔系補助呪文【ラピッド・ストリーム】。気流操作による機動力補助の魔術。指向性の風をまとうことによって身体の動作を風に後押しさせ、圧倒的な素早さ、移動力を得ることができる。ただし操作が難しいのと燃費が悪いせいで使用する者は少ない。
これを連続起動することによる高速機動術を帝国軍では『疾風脚』と呼ぶが、制御を誤れば高速状態で障害物に衝突したり転倒するという危険な魔導技だ。
「あと【レビテート・フライ】と【サイ・テレキネシス】の組み合わせで空中移動を試みたような……」
黒魔【レビテートフライ】。飛行呪文だが基本は浮くのみで、機動力を維持しながら長時間飛ぶためには専用の魔導器が必要。昔は箒型の、現在は指輪型が主流だ。
「酔っぱらってすることじゃない。よく事故らなかったもんだ」
散策のゆるしを得たとはいえ人様の家をあちこち見て廻るのも趣味が悪い。談話室の中で過ごしていると、ボルツェル家に仕える侍女が顔を出した。
「失礼します、お客様。お食事の用意ができましたので、食堂に案内いたします」
ことわる理由はない、ふたりは食堂へとむかった。
席に着くと夜会服を着た紳士が現れ、城主のヨーグ・ボルツェルと名乗った。すぐにフーラも現れ夕食が始まったのだが、彼は早々に食事を済ませてすぐに自室へと戻る。
(どうも俺たちは歓迎されていないようだな)
それだけではない、娘のフーラともひと言も口を聞かず、目も合わせなかった。どうもここの親子仲は良好ではないように思えた。
「ごめんなさいね、こんな田舎臭いものしかなくて」
骨つき羊肉とマッシュポテトに季節の野菜のサラダとスープ。洗練されたフェジテの料理や新鮮な魚介類を使ったシーホーク料理にくらべれば素朴で、味つけも単調だった。
たしかに良く言えば野趣のある、悪く言えば田舎臭い料理だ。
「なぁに、たまにはこういうのも悪くないさ。塩と胡椒があれば大抵のものはごちそうだからね、塩気のない川魚なんて味気ないものだよ」
「その味気ない川魚をひとりで三尾もたいらげておいてよく言う。次からは塩を錬成して振りかけてやるよ」
「それは遠慮しておこう、高速錬成された物質は一定時間でもとにもどるからな」
「まぁ、おふたりには魔術の心得がありますの? わたしも多少は使えますの」
フーラは腰に差した短杖を見せる。
貴族の令嬢なら魔術を習得していてもおかしくはない。
アルザーノ帝国では、魔術、剣術、拳闘、乗馬、学門の五つは貴族の五大教養とされ、人の上に立つ者は文武両道たれ。というのが古典的な帝国貴族の考えだ。
「差し支えがなければおふたりのことを聞かせてください。ここは旅人も滅多におとずれない田舎で、外の話が知りたくて――」
ヨーグ辺境伯が退席した途端にフーラは饒舌になり、堰を切ったようにしゃべりだした。
この娘、やはり父親が苦手な様子だ。
「とても楽しい夕食でした。こんなにお話したのは久しぶりです。おふたりとも、おやすみなさい」
洋の東西を問わず田舎の夜は早い、フェジテならまだ宵の口の時間に消灯となった。
薄暗い城内を照らすのは時おり走る稲光のみのなかで、談話室だけに明かりが灯る。
「この国の魔術は軍事用に特化していて総じて剣呑だ。遊び心にとぼしい」
「その紙のおもちゃがおまえの言う遊び心というやつか」
テーブルの上で小さな紙人形が踊りを踊っている。
パペット・ゴーレム。人とおなじか、それよりも小型のゴーレムをそう呼ぶが、これもその一種だ。
「ま、子どもは喜びそうだな」
「こういうのを俺のいた国では式神といってな、感覚共有や発声機能をつければ汎用性のある便利な代物になる。外装を変化させて花や蝶の姿に変えることもできれば室内の装飾にもなる」
「こんなにちんまりしたのを動かせて、実際器用だよなぁ、おまえ。……そういえば学院の魔術適性はなんだったんだ? この調子だと召喚系か?」
「ああ、それは――」
その時、談話室の扉がノックされ、遠慮がちに開かれた。
そこにはランプを手にしたフーラの姿があった。
妙に思いつめた表情をしている。
「こんな遅くにごめんなさい、実は悩みを聞いて欲しくて――。何の関係もないあなたたちに、こんなことをお話するのは本当に申し訳ないのですが……」
彼女は自分の出生になにか秘密があり、父のヨーグは城内にそれを隠し、その秘密に近づき、触れることのないよう、監視の目を光らせていると言うのだ。
それだけではなく近頃妙な夢をなんども観るという。
母が何者かに殺され、それを見たいた自分を冷たい手が抱き上げる――。
これはなにかの兆しや託宣ではないか?
亡霊となった母がなにかを訴えてきているのではないか?
実はその夢のせいで出生に疑問を持つように鳴ったという。
「まさか父も行きずりのあなたたちが調査をするとは思わないでしょう。お願いです、どうか私の過去を調べてくれませんか? お金はあまり用意できませんが、もしよろしければ報酬としてこの城にある物をいくつか差し上げます」
「ああ、いいよ」
即答するセリカ。
「おい、いいのかそんな簡単に引き受けて」
「外をごらんよ、雷雨はまだ止みそうにないよ。今夜中に嵐が去っても道はぐちゃぐちゃで、城から出るのは当分先になりそうだろう。暇つぶしにはもってこいさ。それにあんな美少女の頼みを断るだなんて、物語の主人公のすることじゃないよ」
「主人公て……」
こうして、秋芳とセリカはフーラ・ボルツェルの依頼を受けることにした。
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