| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

出会いの夜

「それで、私になにを聞きたいのだね。定命の者よ」

 漆黒のマントに身をつつみ、夜会服を着た、いかにも貴人然としたその人物は言った。
 すらりと背の高い色白の瀟洒な紳士。だがどこか、妙な野性味が、独特の獣性を身に帯びている。

「生と死の秘密を」

 相手の答えを聞いて黒マントの貴人は青い唇の左右をゆっくりと持ち上げた。長すぎる犬歯がちらりとのぞくと、いっそう野性味が増した。
 まるで、狼だ。

「どうして私がそれを知っていると思う? 永劫の命を得たからとて、いいや、それゆえにこそ死の秘密は私より遠い」

 地下墓所(カタコンべ)から吹き上げた風にあたれば、このような寒気を感じるのだろうか。黒マントの貴人から定命の者と呼ばれた男は思わず身震いすると、腰の皮袋に手をのばし、その中身を胃にそそぎ込む。
 ようやく人ごこちがついたところで無作法に気がつき、相手にも酒を勧めた。

「飲まないのだよ……、葡萄酒は。私はけっしてワインは飲まない。飲むものは、べつにある」

 そう言うと目の前に置かれたタンカードに、かたわらのビンからお気に入りの飲み物をそそいだ。
 青い唇に、真っ赤な液体がなみなみと湛えられたタンカードが触れる。
 高貴な人々は銀の食器を好む。
 銀には殺菌作用があるのにくわえて、青酸カリやヒ素などの毒物に反応し黒く変色する。毒殺を恐れる王侯や貴族たちに重宝された。
 だが、このタンカードは銀製ではない。銀食器をそろえられるだけの財力があるにもかかわらず、この貴人は銀食器を使っていない。
 タンカードの液体は、まるでそれ自体に意志があるかのように、彼の唇を赤く染め、喉を滑り落ちていった。

「それでも君の知らないことの多くを私は知っているだろう。それを知りたければ私を楽しませることだ、死霊術師どの」
 
 この日、ヨーグ伯爵の屋敷に新しい使用人がひとり増えた。





 窮屈で不自由な階級制社会にも利点はある。
 たとえば場違いな場所に場違いな者が出入りすることがない。というような。
 貴族たちは大衆酒場に顔を出さないし、庶民は高級店になど足を運ばない。
 夜――というにはまだいささか早い、夕闇の街にくり出したセリカ=アルフォネアがむかったのは、ちょうどその中間点にあたるような店だった。
 ていねいに磨かれたオーク材で作られた内装や。趣味の良い器や酒瓶が整然とならぶ棚。キャンドルの炎がゆらめき、明かるくまなく暗くもない、独特の雰囲気を演出している。
それなりの懐具合で、節度と礼節をわきまえていれば、だれでも利用可能な趣味の良い大人の社交場。
 路地のつきあたる少し手前、右手側にある扉を開けたとたんに歓声があがる。

 彼女に、ではない。 
 腰までのびた流麗な金髪。漆黒のドレスの上からでも一目でわかるほど豊満で、それでいて均整のとれたしなやかな肢体をした彼女は、あらゆる場所で驚嘆と羨望、あるいは嫉妬や情欲まじりの視線を受け、歓声をあげられる。
 だがめずらしいことに、今日にかぎって歓声の対象はセリカではなく、べつの人物だった。
 店の奥の壁際。テーブル席でなにやら盛り上がりを見せている。

「今夜はずいぶんとにぎやかじゃないか」
「これはアルフォネアさん。おさわがせしてすみません」
「べつにいいさ、たまにはこういうのも。ここは酒場であって葬儀場じゃないんだから」

 いつもの席につき、お気に入りの赤ワインをたのむ。
 赤い唇をしめらしていると、件のテーブル席のやり取りが聞こえてきた。

「すげえな、これで六回連続だぜ」
「なにか魔術でも使ってるんじゃないよな」
「種も仕掛けもない。言ってるだろう、俺は陰陽師。占い師なんだ」

 どうやら店に入ってくる客が男か女かを言い当てているらしい。

「占い師(フォーチュンテラー)ねぇ」

 セリカがいぶかしげに話題の男を見る。
 東方の修行僧のように剃りあげた頭をした短身痩躯の青年。
 このあたりでは見ない顔で、セリカの記憶にもない。
 テーブルの上には空になったボトルがいくつもころがっているが、ひとりで飲んでいるというより周りの人たちにおごっているようだった。

「ずいぶんと羽振りが良さそうじゃないか、あの男」
「噂のシーホークの英雄ですよ」
「ああ……」

 数日前、フェジテの魔術学院襲撃と時をおなじくして起きた。シーホーク無差別テロ。
 この事件のせいで、時をおなじくして起きたフェジテの魔術学院襲撃事件はすっかり影が薄くなっている。
 外敵の侵入をやすやすとゆるしてしまったことにくわえて、死者まで出してしまった不祥事だ。人々の関心がよそにむいたことに胸をなでおろしている学院関係者も少なくはない。

「ほ~う、あいつが噂の騎士爵様か」

 卓越した剣技と体術。奇策をもって街を襲ったリビングアーマーとゴーレムを掃討し、悪魔まで退けてシーホークを壊滅の危機から救った秋芳に対して国から金一封と騎士爵を下賜されたのだ。
 
「ロットやハーレイたちが大騒ぎしていたな」

 それだけではない。魔術学院への入学を希望し、適性検査を受けたところ全魔術分野に対して非常に高い数値を出して講師陣を驚嘆させた。もっとも今の時期に編入するのはどうかということと、未知の異能反応も発見されたことで入学を認めるか否か、認めるとしてだれがどのように受け持つのか。ただいま喧々諤々の議論中だ。
 もっともナーブレス公爵家の後押しもあり入学自体はほぼ確定している。その関係ですでに学院に自由に出入りできる許可をもらい、図書室や実験室をはじめ学院内の施設を使っているそうだ。
 どんなやつが入学しようがしまいが、セリカには関心がなかった。
 魔術学院に教授として籍をおいてはいるが、彼女の興味の対象は地下に広がる古代遺跡の調査のみ。
 この場で、偶然目にするまでは。

「剣と魔術の両方に長けたチートキャラ。気に入らないねぇ」 

 絶大な魔力と強力な魔術特性【万理の破壊・再生】――すべての物理法則を破壊し、それを自在に再構築する。時間の理すらも破壊し、支配する――を持つ、みずからを棚に上げてうそぶくセリカの前にグラスが運ばれてきた。たのんだおぼえはない。

「これは?」
「騎士爵様からです。入学祝だと言って、今夜は来るお客様全員にふるまっています」
「もう入学したつもりか、おめでたいやつだな。……ん? なんだこれ、美味いじゃないか」

 鮮やかなピンク色をした液体を紅唇にひとくちふくむと、果物の持つ爽やかな甘みと香りが口腔に満ちた。

「騎士爵様に教えていただいたレシピで作ったベリーニというお酒です」
「酒の好みは悪くないみたいだな」

 店の扉が開いて新たな客が入ると、ふたたび歓声があがった。例の性別当てゲームはまだ続いているようだ。

「どれ、一杯おごってくれたお礼に少しつき合ってやるか。占いのお手並み拝見だ」

 魔術をもちいた卜占術も存在するが、巷の占い師のたいていはいんちきだ。
 たとえば――。

 客が来るとまず最初に「あなたの父親は死んでいないでしょう」と言い、もしその客が
「父は存命ですが」とでも言えば「そうでしょう、父親は死んではいないでしょう」と返す。
「三年前に亡くなりました」とでも言ったら「そうでしょう、死んでこの世にはいないでしょう」などと、どちらにころんでも自分の言ったことが当たったと無理やり思わせる。
「あなたの家の庭に樫の木があるでしょう」と言い、ないと答えれば「なくて幸せだ、あれば命にかかわる」と返し、あると答えれば「顔を見ただけで庭の様子がわかるのだ」とはったりをかます。

 などなど……、言葉巧みに相手を惑わす。
 良心的な占い師にはお悩み相談、心理療法士としての側面があるが、そうでない者のほうが圧倒的に多い。
 セリカはベニーニを飲み干すと早口で《センス・ライ》《センス・エネミー》《センス・マジック》を唱え、秋芳のテーブルに近づいた。
 どんなトリックを、あるいは魔術をもちいているのか見破るつもりだ。

「ごちそうさま、騎士爵様。おもしろい遊びをしているようだが、どんな魔術を使っているんだ。【アキュレイト・スコープ】かい? それとも【シースルー】? ああ、あるいは外に使い魔でも放っているとか」

 特殊呪文(エクストラ・スペル)【アキュレイト・スコープ】。光操作による遠隔視。指定された座標の観測地点が発する光を曲げて術者の視界にとどける呪文。
 おなじく【シースルー】は障害物のむこう側や物体の中身を透視できる呪文だ。

「この人ってばあたしの職業も当てたんですよ!」

 秋芳が応じるよりも早く近くのテーブルについていたピンク色のドレスを着た女性が興奮気味に声をあげた。

「ふぅん、見ない顔だね」
「あ、あたしは――」
「おっと、まった。私もあんたの職業を当ててみよう」
「え?」
 
セリカは女の周りを軽く一瞥した。席の位置、荷物、衣類掛け――。

「……ずばり、帝都の芸能関係者だ」
「えええッ!? あたしこれでもお芝居してるんです。当たりです、なんでぇ? あなたも占い師さん?」
「明白なことさ」

 派手なピンク色の服から芸能関係の仕事。所持していたスーツケースから数泊の予定でフェジテへ来た。フェジテはここ数日晴れているのに外套は湿っていて、襟を立てた濡れかたから風をともなう雨だった。
 住まいは遠いが外套が乾かない距離で風雨があった場所は帝都オルランド方面である――。

論理的推論(アブダクション)てやつだ、占いでもなんでもない。騎士爵様も外見と所持品で相手の特徴を言い当てたんじゃないのかい?」
「そういう芸当なら俺にもできる。……君は強い意思と信念があるが、同時にストレスで心に重いものを抱えている。他人に自分のことを知って欲しいと思う反面、深入りして欲しくないとも思っている」
「この服の色を見て思いついただろう、色彩心理学のテンプレート通りの言葉だな。しかも内容はだれにでも該当する曖昧で一般的な記述だ。ところが言われたほうは自分だけに当てはまる性格だと捉えてしまうまう。心理的な現象てやつだ。論理的推論を続けようか騎士爵様」
「賀茂秋芳だ」
「セリカ=アルフォネア」
「マスター、アルフォネアさんにベリーニを」
「セリカでいい。ベリーニか、あれは美味しかったが次はべつのものが飲みたいな」
「飲めるほうなのか」
「もちろん」
「リュ=サフィーレを。それとベルーガのキャビアを薬味つきで」

 たがいに杯を交し、サフィーレ地方の厳選された葡萄から生み出された濃厚かつ清純な美味を喉に流し込む。

「シーホークじゃ大活躍だったそうじゃないか、カモ・アキヨシ」
「秋芳でいい。賀茂だとダックみたいだからな」

 セリカの指先が酒を注ぐ秋芳の手を悩まし気に撫でる。

「左手の小指と薬指の根元と、両手の人差し指と中指の拳頭にタコがある。剣をたしなむようだが純粋な剣士ではない。格闘術など、それ以外の身体能力にも長けている。……錬金術にも興味があるみたいだな」

 セリカは秋芳の袖についた紅鉛鉱の粉末を目ざとく見つけ、魔術溶液のかすかなにおいを嗅ぎ取った。

「ご明察。たいしたコールド・リーディングだ」
「さっきの質問に答えてくれ。入ってくる客の性別をどうやって見分けているんだ。【アキュレイト・スコープ】か【シースルー】か。【コール・ファミリア】で外に使い魔でも放っているのか」
「いやいや、こいつは射覆(せきふ)といって俺の国に伝わる占術の一種さ。魔術のたぐいはいっさい使っていない」

 うそはついていないようだ。セリカの【センス・ライ】にはなんの反応もない。

「ほう、射覆ってのはどんな占術なんだ?」
「隠されたもの、見えないものを当てる占術だ。この国に伝わる魔術とはちがう」
「へぇ、そりゃ凄い。なら私の下着の色も当てられるのかい?」
「当てて欲しいのか?」
「ああ、ぜひ当ててくれ」
「黒だ」
「はずれだ、インチキ占い師。罸杯だな」
「おいおい、そいつはおかしいぞ。見せてくれ」
「淑女になんてこと言うんだい」
「淑女は下着の色を当てろだなんて言わないだろ。もっと無難な質問はないのか」
「なら私のスリーサイズは?」
「それが淑女らしからぬ質問だと言っているんだ。だいたい下着だの体形だのを言い当てるのが射覆じゃあない。俺は気の流れを見て様々な事象を――また来たぞ。男と女のふたり連れだ。マスター、女性にはベリーニを、男性にはジン・ビターズを」

 はたして秋芳の予想通り、男女のふたり連れが入ってきた。これがセリカには解せない。
 気を読むとはどういう意味か。
 いや、気の意味ならセリカにもわかる。
 人の身体や天地に満ちる魔力(マナ)、霊脈、自然界に存在する精霊力、それら霊的エネルギーを『気』と呼ぶのは知っている。
 だが魔術を使わずになぜそのようなことができるのか。
 たしかに東方には東方の魔術があるだろう。マントラやタオという東方魔術の名なら聞いたことがある。だがそれは名称が異なる、表層の術式がちがうだけで本質はルーンをもちいた魔術と大差ない。
 このルヴァフォース世界に魔術はひとつしかない。
 そのはずだ。

「東方の〝魔術〟も使っていないだよな」
「そうだ」

 やはり、うそはついていない。

「異能か?」
「ああ……、たしかに異能といえば異能か。見鬼といって対象の気を感知する術というか能力で、遠視でも透視でもない。男女の気にはちがいがあるので、俺はそれを壁越しに感知しただけさ」
「男女の気のちがいだと?」
「そうだ。男には陽の気が、女には陰の気が――」





 いくつもの酒瓶が空けられ、カウンターやテーブルの上どころか、床にもころがっていた。
 客のほとんどは帰るか酔いつぶれており、マスターでさえ手洗いに立ったままそれっきりだ。
 その酔いつぶれて寝ている客はみな異様な姿になっていた。
 エルフのようにとがった耳やドワーフのようなビア樽体形にされた者はまだましなほうで、下半身を馬や蛇にされたり、全身に鱗を生やされたり、頭髪をイソギンチャクの触手にされたり、謎の発光器官をそなえた名状しがたい存在にされた者までいた。
 すべてセリカの変身魔術によるものである。
 秋芳の予想をはずすために入ってくる客の姿を戯れに変えたのを皮切りに、なにに変身させるか当ててみろという話になり、こうなった。
 事情を知らない者が入ってきたり、うっかり外に出ようものなら大騒ぎになることだろう。
 一応短時間で、ほうっておいても日が上る頃には自然に解除するよう手をくわえてあるが、いかんせん酔っぱらいの仕事である。

「少女の純真さと大人の女性の色香が微妙に混じり合って、天上の人とも見まごうばかり。まさに女性美の化身。優雅で愛らしいエロティシズムを体現している。きみがもつそんなエロティシズムに我を忘れて耽りたい……」
「そうなれば、おまえはもっと恋に落ちるぞ」
「それは地獄だな、すでに恋の地獄、略して恋獄におちいっているんだ。俺を破滅させたいのか?」
「うん、おまえを破滅させたい」
「いいね。それは俺が望んでいることでもある」
「愛が答えさ。でも答えが出るまでに、セックスという手段でとても愉しい質問ができる」

 異形の群れにかこまれたなか、秋芳とセリカが杯と言葉を交わしているが、こちらも頭の中はぐちゃぐちゃの酔客で、もはやおたがいになにを言っているのか理解していなかった。

「峨眉山の霧、洞庭湖の月、廬山の朝日、長安の牡丹、銭塘江の波……。俺のいた世界にはいたるところに絶景がある」
「セルフォード大陸にも絶景はあるぞ。四方を美しい森林と湖にかこまれたリリタニアという場所がな。神秘的な霧のヴェールにつつまれた水と緑の楽園で――」
「黄河の鯉、松花江の鮭、松江の鱸、太湖の白魚……、中国四大名魚だ。とにかく死ぬまでに食してみたいものだ」
「セルフォード大陸にも美味いものはあるぞ。リリタニア地方の湖で捕れる鯉は絶品で、かつて皇帝が特に好んで食べたことから皇帝魚『鰉』と呼ばれるように――」
「リリタニア推すね~、そんなに良いのかよ」
「良いとも」
「行きたいな」
「行きたいか」
「行きたいとも」
「行くか」
「行こう」

 そういう話になった。





 そして、ふたりの酔っぱらいが次に気づいた時、リリタニアどころかまったく、ぜんぜん、これっぽっちもちがう、見知らぬ場所にいたのだった――。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧