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見上げ入道

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第一章

                見上げ入道
 阿澄恵利は福岡から大阪に出てもう十年になる、大学の四年と就職して結婚してそれだけだ。夫の和人とは上に男の子、下に女の子の二人の子供がいる。
 茶色の背中の途中まで伸ばしている少し癖のある髪の毛を後ろピンクのリボンで束ねている、眉は細く奇麗な形で全体的に整った顔立ちであるが二重のやや切れ長の目はいささか鋭い。一六二程の背の身体はいつも穏やかなスカートと上着というファっションで覆われており九十以上はあろうかという胸がやけに目立っている。
 家は夫の会社の都合で西淀川区の団地である、今はそこから家族で北区の梅田に出ているが。
 後ろにいる四つ年下の弟である豊後伸一にだ、その鋭い目を向けて言った。娘を乗せているベビーカーを押しながら。
「いい、今からね」
「うん、俺のスーツをだよね」
「買いに行くから」
「スーツなんて適当に選べばいいんじゃ」
「そういう訳にはいかないのよ」
 恵利の目は鋭いままだった、そのうえでの言葉だ。
「リクルートスーツはリクルートスーツでね」
「会社に着て行くスーツはなんだ」
「そうしたスーツだから」
 だからというのだ。
「これから八条百貨店まで行って買うわよ」
「そこ俺の就職先だよ」
 伸一は自分のすぐ前に彼女の夫と並んで進んでいる姉に言った、上の子である二人の息子は夫の和人が抱いている。
「俺は何処勤務になるかわからないけれど」
「それでも行くのよ、あそこはいいスーツ売ってるから」 
 だからだと弟に言う姉だった。
「行くのよ、今からね」
「どうしても買わないといけないんだ」
「お金はお姉ちゃんが出すから」
 こうも言う恵利だった。
「そっちの心配はいいわよ」
「お金って俺もバイト料あるし」
「こういうことはいいの、お姉ちゃんが選んであげるからお姉ちゃんが出してあげるわ」
「そこまでしなくていいよ」
「いいっていったらいいのっ」
 有無を言わせぬ口調を一八五はあるがっしりとした体格で逞しい顔立ちの青年に言う、黒い髪は短い剛毛だ。
「お姉ちゃんが言うんだから」
「ちぇっ、昔からそうなんだから」
「強引だっていうのね」
「そうだよ、俺いつも何でも姉ちゃんにだから」
「じゃあ福岡の地元の大学に行けばよかったのよ」 
 姉は自分と同じく福岡から大阪に来た弟にこうも言った。
「そうでしょ」
「だって大学八条大学にしか合格しなかったし」
 多くの大学を受けたがだ」
「姉ちゃんと一緒で」
「それで神戸に出てね」
「これまで大学の寮にいたのに」
 それがというのだ。
「就職活動の前からあれこれ呼び出してこうなんだから」
「あんた昔から図体はでかいけれどしっかりしてないからよ」
 自分のすぐ後ろを下僕の様に歩いている弟にさらに言う。
「こうして言ってね」
「服とかもなんだ」
「用意してるのよ」
「お節介だよ」
「じゃあもっとしっかりしなさい、あんたはいつもそうなんだから」
 完全に主導権を握って言う姉だった、弟は言われっぱなしのまま百貨店に連れて行かれスーツ以外にも仕事で必要なものは全部買ってもらった。
 そして恵利がトイレに行っている時だ、伸一は姉の夫である和人、背は伸一より十センチ程低く穏やかな顔立ちの三十歳の男性にこう言われた。
「伸一君にはいつもだよね」
「はい、子供の頃からなんですよ」
 伸一は子供達を見ている和人に百貨店の中の休憩場所に並んで座ってジュースを飲みつつ話した。
「俺ずっと姉ちゃんにはです」
「あんな感じだね」
「親父もお袋も何も言わないんですが」
「恵利ちゃん、いや妻にはだね」
「ああなんです」
「僕にも子供達にもご近所にも凄く優しいよ」
 和人は伸一に普段の恵利を話した。 
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