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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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刀会 1

 
前書き
 『東京レイヴンズ RED AND WHITE』のキャラクター、梅桃桃矢のお話がもう少し続きます。 

 
 陰陽塾地下呪練場。

「せいっ」
「やっ」
「たぁっ」

 竹と竹の打ち合う乾いた音と乙女たちのかけ声がひびき渡る。いよいよ一週間後にせまった刀会。武道実技を兼ねたクラス対抗の紅白戦にむけ、巫女たちの稽古には常にない気合が込められていた。
 女子とは思えぬ猛々しい荒稽古。巫女クラス唯一の男子である梅桃桃矢(ゆすらとうや)もそのような中にまざって竹薙刀をふるっている。
 桃矢はくり出される打撃を受け流し、避け、突き返す。

「あ!?」

 クラスメイトの首筋に打ち落とされようとした竹薙刀は寸前で止まった。

「すごい。梅桃君てば、いつの間にあんなに強くなったの?」
「拾参番隊のお荷物だと思ってたのに……」
「呪術のほうも凄いのかしら?」

 あなどっていた桃矢の思わぬ実力に周りからおどろきの声がもれる。
 だが一番おどろいているのは他でもない、桃矢自身だった。

(身体が勝手に動いてるみたい。こんなふうに戦えるだなんて、自分でも信じられないや)

 桃矢は秋芳の指導のもと、五行拳の修行に励んでいた。もっぱら套路と呼ばれる型稽古に近いものだったが、それでも成果は出ていた。
 型の動きというのは身体の運用理論であり、実戦に対応するための動きを作り上げるために必要なものだ。型にはちゃんと意味がある。
 武道の型にはすり足をもちいた独特の重心移動や軸の固定など、日常的な動きから離れた身体運用を要求してくる部分が多い。
 これらの動きを身につけるのはとても困難ではあるが、型の要求通りに正しく動くことができれば動きの質が変化する。肉体ではなく神経レベルで〝戦える身体〟になるのだ。
 常人がその動きに反応するのはむずかしい。
 もちろん表面の動きだけを似せるだけではだめだ。そのような形骸化した型稽古にはなんの意味もない。
 型稽古というのは型の動きをおぼえるのではなく、型を通して戦いの動きをおぼえることに真の意味があるのだ。
 桃矢はただ型をなぞるような練習はせず、その動きを自分のものにしていた。
 稽古が終わると同じ拾参番隊のメンバーたちが桃矢に駆けよる。

「やるじゃないか桃矢、見直したぞ!」

 長い黒髪を後頭部でたばねて腰まで垂らした少女が、息せきかけて声をかける。二之宮紅葉だ。

「今まで打たれっぱなしだったのがうそのようだ、やればできるじゃないかっ」
「薙刀とは関係ない中国拳法の修行をしていると聞いた時はどうかと思いましたが、杞憂だったみたいですね」
「桃矢くんがいれば百人力だよ、もう刀会は桃矢くんに全部おまかせしちゃう!」

 続いて眼鏡をかけた長髪の三亥珊瑚と一の瀬朱音も喜色の色を浮かべている。
 称賛の声は拾参番隊以外からもあがり、桃矢をよろこばせた。
 チヤホヤされたからうれしいのではない、認められたからうれしいのだ。同調性共鳴症(シンクロニシティ)という特異な能力の持ち主ゆえに異例中の異例として巫女クラスに編入されたのはいいものの、八〇人近い女子の中で唯一の男子ということで、能力どころかその存在自体が白眼視されていた感はいなめない。
 それが実力をしめしたことで少しは受け入れられたようなのだ。
 うれしい。桃矢は心底そう思った。

「ふん、まるで自己紹介しただけで女学生たちが色めき立つ。どこぞの精霊使いのようなモテっぷりね、梅桃桃矢」

 栗色の髪を二つ結いにした少女が腕を組んで桃矢を〝見上げ下して〟いた。小柄な桃矢よりもさらに背が小さいのだが、えらく尊大なオーラをかもし出している。
 白組壱番隊の四王天琥珀だ。

「そういえばあの精霊使いも女装していたな。梅桃桃矢、きさまさては『本当は強いのに実力を隠している俺TUEEEEやれやれ系主人公』にでもキャラチェンジする気か?」

 同じく白組壱番隊、艶やかな黒髪に凛とした風貌の七穂氏白亜がそう続ける。

「あら大変、そうしたら私たちみんな梅桃さんのハーレム要員にされちゃいますね」

 同じく白組壱番隊、朱色のカチューシャつきリボンが妙に巫女装束と合っている十字眞白がさらに茶化す。

「……それはないですよ。だって僕、あのコミックの空気担当だって公式に書かれちゃってますから」
「そんなこと言って、性格改変・能力強化なんて二次創作ではよくあることだから油断ならないわね。……まぁ、いいわ。言っておくけど本番では呪術の使用もありなのよ。ちょっと腕っぷしが上がったからって、白組壱番隊最強、ううん、巫女クラス最強の呪術姫である私に勝てるとは思わないことね」

 琥珀たちはそう言ってきびすを返すと、呪練場を後にした。

「なんなんだあれは! 気にするんじゃないぞ桃矢、ただの負け惜しみだ」
「そうですわ、気にしちゃだめです」
「ねぇねぇ桃矢くん、刀会の戦勝前祝いに美味しいもの食べに行こうよ!」
「こら朱音、いくらなんでも気がゆるみすぎだぞ。さっきの四王天の科白じゃないが、本番では呪術の使用も許可されているんだ。今は武と呪、両方の鍛練をおこたらずだな……」
「あらあら、今ダイエット中なのよ。桃矢さん、私のぶんまで美味しいもの食べてきて、あとで感想を聞かせてくださいね」
「こないだ見つけたお店のチョコバナナが絶品だったの。んでその路地裏にあるクレープ屋さんもね――」
「おいっ、人の話を聞けっ」

 結局桃矢は朱音に押し切られるかたちで彼女に同行することとなった。





 コーンフレークやイチゴ、オレンジ、キウイ、バナナ、ベリー、マンゴーといったフルーツ。ミニサイズのケーキ類にたっぷりの生クリームとチョコレート、ミントにおおわれたデカ盛りサイズのパフェに火のついた花火が何本も刺され、火の粉を散らす。
 朱音の見つけたフルーツパーラー名物のビッグバンパフェだ。

「あははははっ、すごいね、すごいね!」
「う、うわぁ……。いいのかな、食べ物でこんなことして」

 気おされつつもスプーンを手にして甘い塊を口にする。たしかに美味しい。
 体調管理に余念のない紅葉と珊瑚をおいて、朱音と共に甘味を堪能する。二人で一つの器に盛られたパフェを食べる。これはまるでデートの一場面、恋人どうしじゃないか。そう思うと急に気恥ずかしい気持ちがわいてくる。

「でねでね、その子ってのがね――」
 しゃべる、食べる、しゃべる、食べる、しゃべる、しゃべる、食べる、食べる、食べる、しゃべる――。
 つねに口と手を動かし、せわしない朱音に合わせるのは大変だった。こちらはしゃべるか食べるか、どちらか一つに集中しないとできない。よくも器用におしゃべりと食事ができるものだなぁ。桃矢はあらためて女子の能力に感心した。男子には真似できない特殊技能だ。

(たしか男性と女性では右脳と左脳をつなぐ脳梁が女性のほうが太くて、そのため女性は男性にくらべ、複数のことを同時にこなすのが得意。だったっけ)

 秋芳の吹聴したあやしい豆知識が脳裏をよぎる。

「ところで賀茂先生の授業っていつも脱線しちゃうよね」

 偶然であろう、桃矢が秋芳のことを考えていたら朱音の口から秋芳のことが話題に出た。

「この前の乙種呪術のお話はおもしろかったね。なんだっけ? 呪術の神髄は……」
「嘘である?」
「そう、それそれ!」

 呪術の神髄は嘘である。
 土御門夜光が言ったとされる、有名な言葉だ。この前後に色々と言葉がつらなるのだが、そのことよりも秋芳の解説が耳に残った。



「戦国時代には様々な呪術的・宗教的なタブー、禁忌が存在した。たとえば血の穢れ、女性の月経のことだな。女には血の穢れがある、甲冑を身につけた後で女に触れてはいけない。もし触れたら血を流すことになる……。だがこれはいわれのない女性差別ではなく、乱取り防止のための方便。乙種呪術とも解釈できる」
「乱取り。合戦の後で兵士たちがおこなう略奪行為のことだが、当時の戦国大名は雑兵たちのおこなう虐殺や略奪、凌辱行為を認めていた。自軍の志気の上昇、敵国の弱体化にもつながるからで、義将と呼ばれた上杉謙信でさえ、このような蛮行を黙認していたんだ」
「頭ごなしな規律でそれを抑えるのはむずかしい。さぁ、そういう時の呪術だ。雑兵たちが暴徒化して女性を襲わないように、そういう呪をかけたのさ。無知蒙昧な輩なら本気にして恐れ、知恵者ならば真の意味を察する。そういう呪だ」

 桃矢がおもしろいと感じた話は他にもあった。

「今でこそ霊災修祓が主な役割だが、昔は陰陽師といえば卜占。占いが主流だった。怨霊だの祟りだのを鎮める宗教関係は神祇官という神道系の人らがになっていたんだ、君たち巫女クラスのほうがそれに近い。で、卜占なんだが式盤だの筮竹だのいろいろと占う方法はあるがいずれも万能ではない。陰陽師だからといってすべてがわかるわけじゃない」
「大きな天変地異は天文、星の動きである程度の予測はつく。だが一人一人の身に降りかかる細かい事象までは普通は読み切れない。異変の卦が出てもそれがなにを示しているかは卦を読んだそれぞれの陰陽師の解釈によって大きく変わってくるんだ。凶事も見方を変えれば吉事となりえる。結局は起きてからじゃないとわからないのさ」

 卜占そのもの、ひいては陰陽師への否定ととらえかねないような発言。

「しかし人という生き物はそれでは不安で不安でたまらない。自分や親しい人に災厄が降りかからないように悪いことよりも良いことが多くなりますようにと願わずにはいられない。陰陽師はその手助けができる、たとえば凶事を吉事に乙種呪術で変えるというもの。中国の明の時代、燕王という皇族に仕えた姚広孝(ようこうこう)という人物がいる。この人は政治家だが出家して仏教や陰陽術を学んだ宗教家でもあった。ある日のこと主である燕王はみずからが皇帝になろうと兵を挙げた。その時に突風が吹いて燕王の屋敷の瓦が落ちて割れてしまった。大事の前にこんなことが起こるだなんて不吉だ凶事だと言って一同がざわめくなか、姚広孝ただ一人が『これは吉兆である、このような古い瓦を壊して新たに黄色い瓦に替えよという天意である』と言ってその場の空気を変えてみせたんだ。あ、なんで黄色い瓦かというと、当時は黄色い瓦は皇帝のみが使用できたからだ」
「陰陽師の言葉一つで吉にも凶にもなる。だが機転を利かせるのに失敗した例もある。壇ノ浦の合戦のさい、平氏方には安倍晴信という陰陽博士が同行していた。海上で船を並べ源氏とにらみ合いをしていた時のこと、沖のほうからイルカの大群が進んで来るのが見えた。これは吉か凶かと平氏の大将が晴信に問うと『イルカが引き返せば吉で源氏が滅び、通り過ぎたら凶で平氏危うし』と答えたところ、イルカは平氏の船を間を泳いで通り過ぎて行き、志気がガタ落ちしてしまったという。――なんで晴信はイルカが引き返せば吉だと言ったかというと、当時の陰陽師は一種の博物学者で海洋生物の習性にも通じていた。イルカは本来ならば臆病な性格なので、それが大量の船団にむかって押し寄せることはない、方向を変えるだろうと判断したのではと俺は思っている」
「陰陽師は今でもお偉方に請われて吉凶を占う時があるし、君らも巫女として託宣を求められることがあるだろう。だがそのさいに出た卦や降りた言葉をバカ正直に伝えるだけではいけない時もある」
「時には機転を利かせることが必要であり、それに下手を打たないよう日頃から物事をよく学び、考える癖をつけておくんだ。いいか、脳というのは使うことで研ぎ澄まされる器官なんだ。思考を自分に課す者は、それだけ脳の機能が先鋭化している。そいつがどんなに馬鹿に見えても、思考を好む人間の脳は、どこかしら必ず発達している。使い方をまちがわなければ、それは大きな力になり得るんだ。だから考えるのを止めてはいけない。勉強でも人生でも思考停止は楽だが、それに安住すると脳の成長はそこでおしまい。論理、計算、想像、妄想……、なんでもいいから考えるんだ。思考をすれば必ず脳は応える。脳はそのための器官だからな」


 
 あまりにあさっての方向に飛ばしすぎて生徒一同『?』となることもあったが、賀茂先生の脱線授業はおおむね好評だった。





 アクセサリーショップやゲームセンターなど、桃矢と朱音はジャンボパフェをやっつけてフルーツパーラーを後にしてからも街中を散策し、呪術と縁のない日常というものを楽しんで、帰ろうかという時にそれは起こった。
 女の子の二人連れ。そう思って声をかけてきた若い男たちがいたのだが、桃矢が男と知ると自分たちの見誤りを恥じての逆ギレか、急に乱暴な口調になり大声で恫喝しだした。

「オラァ、なめてんのかっ」「ゴラァ、死なすぞっ」「オラァ、ふざけんなっ」「ゴラァ、ちょずくな」
 オラとゴラからなる、あまりにも語彙に乏しい男たちの言語のうったえるところは『金を出せ』だった。

(うわぁ、めんどくさいなぁ……)

 かつての桃矢だったなら恐怖に立ちすくんでいたであろう。だが今の桃矢は秋芳の指導のもとに武の技を身につけていた。暴力の気配に緊張はしている、だが彼らに対する恐怖は感じない、怖くはなかった。

「っめんなよっ、ゴラァっ」

 男の一人が桃矢めがけて拳をふるった。桃矢はとっさに五行拳の一手をくり出し、それを防ぐ。崩拳の一打が男を打ちすえた。かの見えたのだが、桃矢の拳は寸止めに終わった。

「っんだ、っこのっ、オカマ野郎っ、けんなっ」

 男の腰の入っていない大ぶりのケンカフックにケンカキックはいずれも不発に終わる。
 炮拳がうなり、劈拳が空を切る。だがいずれも寸止めに終わった。桃矢は相手に拳をあてる気にはなれなかった。殴られる痛さは身に染みて知っている。
 だがそのことが男たちをさらにいきどおらせた。なめられていると思ったからだ。
 数人がかりででたらめに殴りかかる。たまに武道の技は一対一の戦いを想定しているので実戦では使えない。という意見を聞くが、一対一の戦いを念頭においているのはむしろ近代スポーツ格闘技のほうであり、慈恩、太極、鉄騎(ナイファンチ)平安(ピンアン)――。伝統空手に伝わる型の多くは一対多数を想定している。これは中国拳法も同じであり、蔡李佛拳という流派など、あのブルース・リーをして『大勢の敵と戦うのに最も効果的なスタイルである』と言わしめた。
 あらゆる方向に身体を転身しつつもバランスをたもち、姿勢をくずさずに受け流し続ける桃矢。
 男たちが飽きるか疲れるかして退くまでこうしていようかと考えた矢先、男の一人が奇声をあげて朱音にむかっていった。

「朱音ちゃん!?」

八つ当たりの攻撃か、それとも人質にでもしようと思ったのか。狼狽した桃矢の口からあせりの声がもれた。

「えいや~」

 えらくのんきな響きのあるかけ声とともに朱音が腕をふるうと、打撲音とともに男が倒れる。朱音の手には竹薙刀が握られていた。
 さっきまで素手だったのにどこからそのような物を取り出したのか? 桃矢は数拍の間をおいて、それが薙刀を象った簡易式苻だと気づいた。

「とりゃ~」

 ふたたび緊張感のないかけ声。だがそれとは裏腹に痛烈な打撃が倒れた男の顔面にあびせられ、赤い花を咲かせた。

「っけんなっ、バッカっ、チネっ」

 くみしやすいと思っていた女子にまで武器で反撃され、鼻血をまき散らしてほうほうのていで一人が逃げ出すと、他のメンツもそれに続いて遁走し出す。しょせんは群れなければなにもできない雑魚である。

「んも~、なんなのアレ。ほんと最悪! 激おこぷんぷん侍だよっ。いきなりナンパしてきて、いきなりキレるとか、わけわからない!」
「あ、朱音ちゃん。だいじょうぶだった?」
「うん。へーき、へーき。あ、痛っ」
「どこかケガしたの!?」

 朱音の親指と人差し指の間に血がにじんでいた。あまりに力んで薙刀をふるったので生じたものだろう。

「ちょっとこすっただけ。それより桃矢くん、やっぱりすごいよ! あんなに動けるなんて、まるでジャッキー・チェンだね! ジェット・リーだね!」

 我がことのように喜びはしゃぐ朱音とは対照的に桃矢の心中には自責の念が広がっていた。
 自分が暴力から逃げた結果、かすり傷とはいえ彼女にケガを負わせ、そして人を傷つけさせてしまった。
 戦うべき時に時に戦わなければ、自分どころか大切な人があぶない目に遭うし、その手を汚してしまうこともある。
 そんなあたりまえのことに、たった今気づいた。いったい今までなんのために武道を習っていたのだろう。
 技だけではだめだ。戦うには心が必要であり、自分にはそれがない。桃矢はそのことをたった今、痛感した。





「――それで人を痛めつけても平気な人間になりたいと思ったわけか」

 種を取ったスモモを鍋に入れ、砂糖とくわえ、レモンをひと絞り。厨房に立って作業をしつつ、秋芳はあえて身も蓋も無い、意地の悪い言い方をしてみた。
 ここは道玄坂にある、かつてバーだった場所。秋芳がもぐりの陰陽師として仕事をしていた頃、店内で起きた霊災を修祓した縁でオーナーから格安でゆずってもらった物件だ。
 横浜港の倉庫小屋と同様、全国にいくつかある秋芳の『かくれ家』の一つだ。
 木製のカウンターにテーブル席、古びた柱時計やギリシャ風の彫刻などが置かれ、壁に作られた大きな水槽の中では魚が泳いでいる。青い光にライトアップされた中、ゆうゆうと泳ぐネオンテトラ、プラティ、ブルーベタ――。もっともこれら熱帯魚は幻術で作られたまやかしだったが、なかなか趣のある店だった。

「……はい、そういうことになります」
「冗談だよ、おまえは人に暴力をふるってもなんとも思わないような人間じゃないし、そういう類の輩には絶対にならない」

 しばらくして鍋の中の水分が上がってきたら強火にし、沸騰してきたら中火にして焦げつかないようにかき混ぜ、アクを取りながら煮ていく。やがて果肉は綺麗なルビー色に煮とろける。自家製のジャムを作っているのだ。

「普通に生活している一般人にとって身につけた武術ってのは鞘に納まった刀みたいなもんだ。本来ならば抜くべきではない、抜くにしても一生に一度あるかどうかってくらいのしろものだ。だが俺たちのような呪術者にとってそいつを抜く必要はひんぱんにある、霊災や呪術を悪用する者たちを相手にだ。そして抜いたからには確実に相手を斬らなければならない、絶対に斬られてはいけない」

 できあがったジャムをタッパーに敷いて、その上に一口サイズに切った食パンを詰め込み、牛乳で煮溶かした市販のプリンの素を流し込み、冷蔵庫に入れた。冷えて固まればパンプティングの完成だ。
 秋芳は今だに京子との料理勝負を続けており、これはそのための一品だった。

「変わりたいと思った時点で人はすでに変わっている。人がなにかを成すには意思が必要だ。どんな能力や才覚のある者でも現状に甘んじているままならなにも変わりはしないし、能力の低い者でも努力すれば努力した分だけ変われる。桃矢、おまえの望みはもう九割がたかなっているよ。すでに技は身につけたんだ、そして戦おうと決心した。戦うための心はすでにそなわっている。自分じゃ気がつかないだけさ」
「でもいざとなると身体が動かないんです、どうしても攻撃するのが怖くて……」
「まぁ、それが普通だよ。平気で人に暴力をふるえるとしたら、そのほうが異常だわ。よし、型稽古のほかに散打。組み手もくわえて殴り殴られることへの耐性でもつけるか」

 ふと春虎のことが秋芳の脳裏をよぎった。春虎は実戦に即したかたちで経験をつみ、呪力の使い方や呪術戦そのものに慣れようとして、いつも放課後に呪練場でだれかしらつかまえて対人呪術戦の訓練をしている。
 術者同士が向かい合ってよ~いドンで戦闘開始。などという状況はまれなので、その行為に有用性はあるのかと正直疑問に思っていたが、考えてみれば生きた人間を相手にするのは良い訓練になる。
 あらかじめ入力された動きしかできない簡易式などと異なり生きた人間の反応は千差万別だし、なにより血肉の通った生身の人間と相対する経験を重ねるのは大事だろう。
今の桃矢にもっとも必要なことだった。

「百冊の本を読むより一人の人間に会え、か……」
「え? 今なんて言いました?」
「いや、気にするな。それより対人呪術戦の訓練ならちょうど良い相手がいる、陰陽師クラスの土御門春虎ってやつなんだが」
「え、あの土御門ですか!?」
「そう、あの土御門だ」
「陰陽師の大家じゃないですか、そんなすごい人の相手なんて無理ですよ」
「すごいのは主のほうの土御門だよ。いや、春虎は春虎で非凡なところがあるが」

 秋芳は春虎と夏目。二人の土御門のことを簡単に説明した。

「模擬戦なんだからそんなに気張ることはない。それに行動する前から無理だと決めつけるものじゃないぞ、呪術者同士の戦いや霊災の修祓には『絶対』だの『百パーセント』なんてないんだ。相手の使う術。霊気や瘴気の種類や強さなんてわからないのが普通だ。ほんの一瞬のおびえやひるみ、弱気が一発逆転、起死回生の致命傷になる。一見した霊力や瘴気の総量が多い少ないなんて気休めにもならない。生きるか死ぬか、勝ち負けなんてサドンデスがあたりまえ。それが呪術戦であり、戦闘そのものだ。だが、それでも絶対に勝つ気で挑むんだ。霊力や手数の多寡で勝敗が決まるのではなく『勝つ』という気概をより強く持った方が勝つんだ」

 これは以前にも京子に言った言葉であり、秋芳の思想をあらわしていた。

「春虎には話をつけておくとして、今日は俺が組み手につきあおう。刀会の本場同様に呪術の使用もありだ」
「え、ええっ!? 今からここでですか?」
「なにをおどろく。いつ何時戦いになるのかわからないのが実戦というものだぞ、思い立ったが吉日だ」
「でもこんな狭い場所じゃあぶないです。椅子やテーブルにぶつかりますよ」
「まさにそれだ、なにもないのは道場だけ。まわりにあるすべてを武器にするんだ。『ザ・レイド』という映画を観てみろ、壁なんかの角に相手をぶつけまくってて、ケンカの参考になるぞ。とはいえ稽古でそんな危険な真似はできないからな、広くしよう」
広くするといっても椅子やテーブルを壁によせたとして、できるスペースはたかが知れる。桃矢がどうするのかと問おうとした矢先、秋芳が導引を結び口訣を唱えた。

「我知世理広地、疾く」

 我、世の理を知り地を広げる。周囲にあった椅子やテーブルが十メートル以上も遠ざかった。桃矢は瞬間移動でもしたのかと思ったがそうではない。床が、のびたのだ。変化があったのは床だけではなく、部屋の奥ゆきも広がっていた。空間そのものだ拡大したのだ。

「道教系の呪術に縮地というものがある。地脈を縮めて長距離をわずかな時間で移動したりするやつだ。今のはその逆をしたのさ」

 世界を循環している陰陽五行の気の流れ、濃淡がさまざまな地形を作りだし天候を左右する。陽の気が濃ければ生命の成長に良く、そこに住めば家は栄える。風水は地形などから地脈の流れを読み説く技術であり、それは空間の構造を変化させる呪術にもつながる。

「さぁ、広くしたぞ」
「……わかりました、お願いします」
 瀟洒な雰囲気の薫る店内で、無骨な訓練が始まった。
 
「後ろに避けるのと後ろに退くのとはちがう。人間は後ろにさがるよりも前に突進するスピードのほうが速い。バックステップを続ければ追い込まれるぞ、相手の攻撃をさばいて側面にまわりこめ」
「はい!」
「攻撃と防御を別々に考えるな、動きにパターンが生じて読まれやすくなる。攻防一体を旨にするんだ、これは呪術も一緒。突いたり蹴ったりするように術を使え、切り替えるような間を生じさせるな、流れるように動け」
「はい!」
「正面に立って打ち合うことが正面を突くことじゃない。自分にとっての正面を作ればいいんだ、相手の正面に合わせる必要はない」
「はい!」
「打撃は相手と接触するためのきっかけにすぎない。自分から相手との接触点を作って手首をつかんだり、横や後ろにまわったり、投げたりと変化するんだ。打撃、さばき、つかみ、くずし、投げを一貫させろ」
「はい!」
「一の瀬朱音とジャンボパフェを食べたんだって? いいなぁ、ちなみにパフェの語源はフランス語のパルフェで、その意味は『完全』。六月二八日はパフェの日で、一九五〇年のその日に巨人軍の藤本英雄という投手が日本プロ野球初のパーフェクトゲームを達成したことにちなんでいる」
「ちょ、その豆知識は今の訓練となんの関係があるんですか!?」
「ツッコむひまがあるなら身体を動かし呪力を練ろ!」
「おまえがオーディオドラマの音響監督だったとして、脚本に『夜の街を音もなく走る』というト書きがあったら、どう録る?」
「え? ええっ!? ええ~と、どうしよう……」
「すきあり!」
「あ痛っ」
「今のが乙種呪術による精神攪乱だ」
「いや、ちがうでしょ!」
「いやいや、マジで。扇を閉じる音でも相手の集中を乱せば立派な乙種呪術だ。て、天海大善がテレビだか広報誌だかで述べてただろ。乙種ってのはそういうものだ」
「じゃあ秋芳先生がオーディオドラマの音響監督で、渡された脚本に『夜の街を音もなく走る』て書いてあったらどう録るんですかっ?」
「普通に無視して走る音のSEを入れる。もしくは登場人物に『俺は夜の街を音も立てずに走っていた』とモノローグで言わせる」
「なるほどなー」





 桃矢にまともに呪術を行使する余裕はなかった、もっぱら素手による組み打ち中心の模擬戦。秋芳は顔面や股間といった急所には寸止めしたが、それ以外の場所には攻撃をくわえた。もちろんじゅうぶんに加減しての攻撃だ。
 対して桃矢のほうもぞんぶんに拳脚をふるい、教えられた技を実践して見せる。

「まだまだこんなもんじゃないはずだ、相手を傷つけまいとインパクトの瞬間に無意識に力を抜いているな。俺は平気だから全力を出せ」

 刀会は一試合五分ということで、それを想定して五分間スパーリング、インターバル一分のフリーバトルを五回ほどおこなった。

(ほう、体さばきや足のはこびといった技術面にくわえて筋力や敏捷性もなかなかじゃないか。こうして実際に拳を交わしてみると、それが良くわかる。非常に高い水準の身体能力が身にそなわっているな)

 桃矢の全身に心地良い疲労感が広がる。秋芳に打たれた場所や秋芳を打った手足には痛みが残るが、けして不快なものではなかった。
 悪意や敵意のともなわない、純粋な武技によって生じた痛み。それは――心地良いものに感じられた――。

「――よし、今日はこのくらいにしておくか。さて、運動の後の一杯といこう」
「ボク、フローズン・ダイキリ」

 それまで一言も話さず、秋芳と桃矢の組み手にも我関せずにカウンターのすみで携帯ゲーム機をいじっていた笑狸が口を開いた。

「そうだよな、夏といえばフローズン・ダイキリだよな」
「……でも今は十一月ですよ?」
「いいんだよ、俺の中では気分は八月なんだ」

 秋芳はなれた手つきで酒瓶をたぐり、メジャー・カップでラム酒、ライムジュース、ホワイトキュラソーを量り、クラッシュドアイスと一緒にブレンダーにかけた。
 砂糖やシロップはくわえない、ワイルドダイキリスタイルだ。

「桃矢はなにか飲むか?」
「僕はお水でいいです」
「なにぃ? 俺たちが酒を飲んでいるのに、一人だけノンアルコールだと?」
「だって僕は未成年ですよ。いいんですか? 学校の先生が教え子にお酒なんかをすすめても」
「俺は塾の講師であって学校の教師じゃない。はい、とある高名な苻咒師は言いました『戦った後は酒で憎しみを追い出すのさ』と、それに酒は憂いを掃う玉箒というぞ。今日の憂いは今日の酒で流すんだ」
「僕はべつに憎しみの心とかありませんし、今の運動で汗をかいたらなんだかスッキリしたから憂いもないです。……でもそこまで言うなら軽くてサッパリしたのを一杯ください」
「いや、でもよく考えてみたら未成年に酒を飲ませるのって普通にダメだよな。水にしとけ」
「飲ませたいのか飲ませたくないのか、どっちなんですか!」
「大人の楽しみは大人になってから経験するのが一番だ。若くして知っちまうと、それだけ後の人生の楽しみが減ることになる」

 などともっともなことを言いながら桃矢のぶんの飲み物を作り、カウンターに置いた。飲酒をすすめてはいない、勝手に飲むのはこちらのせいではない。という体裁である。
 スパークリングワインに市販のピーチネクターとシロップを少々、ベリーニだ。
 さらに自分用に一杯作る。ミントの葉と氷がたっぷり入ったロングタイプのグラスから柑橘系の爽やかな香がただよう。ラム酒をライムジュースとソーダ水で割り、シロップを入れたモヒートだ。

「フローズンダイキリにベリーニにモヒート……。ヘミングウェイの愛したカクテルだ。こいつらを飲んで、ヘミングウェイのような文才を身につけたいものだなぁ」
「え~、でもさぁ。『李白は酒飲みだが、酒飲みがみんな李白とはかぎらない』て、秋芳が前に言ってたよ。じゃあ無理じゃない?」
「なぁに、最初は見た目や形から入るのもありさ。似ているものは同じ性質を持つ。厭魅や厭勝の基本原理だ」

 厭魅・厭勝。共感と類似という二つの基本原則に則った呪術だ。
 かつて一つだったものはいつまでも目に見えないどこかでつながっており、たがいに影響をおよぼしあう。
 似ているものはよく似た力をもっている。
 丑の刻参りを例にあげる。人形は人間に似ている。そこにもとは人間に生えていた髪の毛を埋め込む。人形は人間に似ているので、傷つければ人間と同じように痛みを感じ苦しみをおぼえる。そこに髪の毛を入れることによって人間とのつながりが生まれる。
 もともと人体の一部であった髪はまだもとの身体ともつながっており、髪を入れた人形を傷つければ髪の持ち主も傷つくというわけだ。
 このような考えは類感呪術と呼ばれ、世界中に存在する。

「この呪術は見立てが重要だ、たとえば二つに割れた石や二枚貝の貝を触媒にして――」

 秋芳はもののついでにと厭魅についての講釈をしだし、桃矢はそれを真剣に聞いた。巫女クラスは陰陽師クラスほどには呪術に重きを置いたカリキュラムをしてはいないが、それでも呪術の授業はある。真面目な桃矢にとって興味深いことだった。

「――安倍晴明が葉っぱで蛙を押し潰した逸話は知っているな? 晴明が若い公家たちに『陰陽術で人を
殺せるか?』と問われ、『殺せることは殺せるが、生き返らせることはむずかしいのでそんな術は使いたくない』と答えたら、『できないからそのようなことを言う』『できるのなら庭にいる蛙を呪殺してみよ』という流れになった。しかたなしに術を使ったのだが、その術というのが草の葉をつみ取って呪文を唱えてカエルにむかって投げるとカエルは葉っぱに押し潰されて死んでしまった。というのだ。霊力や呪力を込めることで物体を強化することはできる。だが――」

 秋芳は紙にペンで字を書いて説明した。

「〝葉〟は〝破〟に通じる。言霊をもって厭魅の呪をもちいればより少ない呪力で同様のことができる。晴明ほどの術巧者だ。このときにこの厭魅の呪を使ったのでは、と俺は思う。――そうだ、桃矢。おまえの同調性共鳴症(シンクロニシティ)のことなんだがな、密教系の呪術に似たようなのがあった」
「ええっ、それはどんな術です?」
「歓喜天の呪法でな、陰陽和合。男の陽の気と女の陰の気。このふたつを合わせることによって生じる相互作用によって高い霊力を発揮するという術だ」
「歓喜天、ですか……。なんだかエッチそうですね」

 象頭の男女が抱き合っている姿をした双身の神仏で、夫婦円満・子宝を授けてくれる利益のほかにも、七代の富を一気にもたらしたり、どんな悪人の願いもかなえるという。その反面、誤った祀りかたをすれば容赦のない罰を降すという変わり種の神仏だ。

「実際エロい。性的な力をエネルギーとするシャクティ崇拝やタントラ密教とも関連のある仏様だからな。だいたい仏教系はエロいんだよ、龍樹菩薩なんて陰形を駆使して後宮に侵入してやりたいほうだいしてたし、帝釈天は阿修羅の娘や人妻に手を出したりしてるしな。……と、今はそんな話はどうでもいい」

 秋芳はロンググラスのモヒートを一気に飲み終えると、また別のカクテルを作り出した。

「おまえの同調の効果は歓喜天の和合術に似ているが、より深い場所でつながるというか、対象の深層心理にまで影響をおよぼしていると見た」

 以前のこと、ためしに笑狸に同調をこころみたさい、桃矢はあまたの化け狸たちの霊を感じ、笑狸は妖怪の本性があらわになり理性を失ってしまったことがあった。
 またそれ以外の例を聞くと、たとえば紅葉と同調したさいは鳥の翼が顕現したというではないか。

「さらには対象のルーツ、祖霊の力を引き出しているのかもしれない」
琥珀色の液体に満たされたグラスにカットしたライムをひとつまみ、フルーティーな香りがただよう。ジャック・ターのできあがりだ。
「桃矢、俺に同調をためしてみろ」
「いいんですか?」
「ああ、術の系統はわかった。だいたいの術理も想像がつく。だからのまれたりはしないさ、この前の笑狸みたく暴走したりはしないから安心してやれ」
「わかりました、それじゃあ――」

 桃矢は秋芳に近づくと遠慮がちに顔をよせ、キスをした。硬質の唇は冷たいカクテルのせいで冷やされていて、秋芳には桃矢のベリーニ、桃矢には秋芳のモヒート。それぞれが口にした酒精の味をたがいに感じる。
 ――なにも、おこらなかった――。
 霊力の波動も呪力の脈動もない。魂がゆさぶられるような同調能力発動の気配すらなかった。

「あれ? なんでだろう……」
「あー! ずるいっ、なに勝手に秋芳とキスしてるのさ。返してよ」

 なにをどう返してもらうつもりか、笑狸が桃矢のほおを両手ではさみ自分にむけると強引にキスをした。
 重なる唇と唇、魂と魂。たがいの気と気が混ざり合い、一つになる。光のヴェールにくるまれた次の瞬間、そこにいたのは笑狸でも桃矢でもない長髪の青年だった。
 長い黒髪に金色に輝く瞳。白い牙に銀色の爪と赤い舌。とがった耳と太い尾……。
 いつぞやの時と同じ姿だった。

「わっ、なにこれ変な感じ。桃矢の霊力が流れ込んできてる!」
(これが同調性共鳴症です。ボクという能力者を媒介にたがいの霊力を同調させ、共鳴効果によって強化させる)
「あっははは、なんだか合体技みたいだね。……今なら秋芳に勝てるかな?」
「この前もそんなことを言って襲いかかってきたよな、おまえ」
「あ、そうなんだ。で、けっきょく勝てなかったと……。んー、残念賞!」
「なにが残念賞だ。桃矢、とっとと同調を解け。今ならおまえ自身の意志でできるはずだ」
(はい!)

 同調性共鳴症、解除。桃矢と笑狸は元通り二つにわかれた。

「……なんで秋芳先生とは同調しなかったんでしょうか?」
「そんなことよりもな、桃矢」
「はい」
「なにおまえサラっとナチュラルに俺とキスしちゃってるの? 俺の唇に唇を合わせちゃうの? おかしくない? おまえの同調性共鳴症てのは相手に自分の唇を接触させれば発動するんだよな、この前そう言ってたよな」
「え、ええ。そうです」
「そっちの唇が触れさえすればべつにどこでもいいのに……、なぜだ?」
「あ! そう言われれば……。ええっと~、ついなんとなく口にしちゃいました」
「なんとなくだぁ~、俺にキスするということは京子と間接キスするということだぞ、このヴォルール・レーヴルめ。ゆるさん!」
「ええ~!? ていうかなんでフランス語!」

 秋芳の全身から呪力があふれ、陽炎のようにゆらめく。

「うわあぁぁぁぁッ! こ、殺される~ッ!!」
「殺しはしない。……さっき話に出た帝釈天の逸話だがな、聖仙ガウタマの妻であるアハリヤーに懸想した帝釈天がガウタマに化けてまんまとアハリヤーと床入りするも、それがすぐにばれてガウタマに呪いをかけられてしまう。その呪いというは全身に千の女性器をつけられたうえに男の性的能力を奪うという恐ろしいやつだった。京子と間接キスをした間男め! おまえにも同じように恥ずかしい呪いをかけてやる!」
「キャーッ!? やめてーっ!」

 悲鳴をあげ、逃げようとする桃矢。だがそれよりも速く秋芳の手がのびて、桃矢の顔をなでた。
 顔の中央に違和感が広がり、なにかが口にあたる。おそるおそる手でさわってみると、鼻がのびて垂れ下がっていた。
 いや、なにかちがう。これは鼻ではない。妙にやわらかく、なじみのある感触。先端部分にふたつあるはずの穴はなく、皮につつまれている。皮は簡単にめくれて親指サイズの肉塊の先に鼻穴よりもっと小さな穴がひとつ。これは――。
 ペニスだ。
 鼻があるべき場所から男性の生殖器が生えていた。

「くぁwせ●×△○▲■□drftgy◎※☆★◆ふじこlp◇◇◇⊿ッッッ!!??」

 桃矢はみずからの身に生じた異常な現象に驚愕し、声にならない悲鳴をあげて卒倒した。

「あははっ、すご~い。鼻がチンコになってる! 山田風太郎の『陰茎人』みたい」
「鼻の大きな男はいちもつも大きいと言う俗説がある。鼻ってのは男性器のメタファーなんだろうな」

 似たものは性質を共用する。厭魅の呪詛で鼻をペニスに変えてしまったのだ。

「もっもももッ、ももももモモモもとっ、も、もと。もともともと――」
「モト冬樹?」
「もとにもどしてくださいッ!」
「せっかく変態したんだ、もう少し肉体の変化を楽しめ」
「こんな変態みたいな変態楽しめませんっ」
「ふんっ、昼みたく女子にかこまれて鼻の下をのばすようなやつにはお似合いの変態だ。俺は今までの人生で女子どもに持てはやされたことなどないというのに、チヤホヤされやがって……。鼻の下どころか鼻そのものをぞんぶんにのばすといい」
「嫉妬してる!? 器の小さな人だ!」
「小さな器おおいにけっこう。器の小さな者はそれだけ正確におのれの器量を計れるが、デカいやつはそれがわからず大ポカをしでかしておのれの寿命をちぢめるのだ。織田信長や岳飛のようにな」
カウンターの下からおもむろに麺打ち棒を取り出した秋芳はそこに『梅桃桃矢』と書き記す。
「な、なにをするつもりですかっ……」

 いやな予感を感じて桃矢の胸中がざわつく。

「厭魅の効果をその身をもって体験し、この呪術のなんたるかを知るといい」

 そう言うとなにかの呪を唱え、棒の先端部分をゆっくりとなでまわし始めた。

「あっ!?」

 桃桃の〝鼻〟がピクリと反応する。触れてもないのに外部からの刺激を感じたのだ。

「あっあっアアッ! こ、これは……」

 秋芳は棒の先をなでまわすのをやめて、こんどは上下にしごきだした。甘い刺激がいっそう強まり、その甘美な刺激に反応して鼻がむくむくと屹立し、反り返る。

「ほほう、桃矢は仮性か」
「み、見ないでっ、見ないでください! あっ、アアッ!?」
勃起しても皮のかぶったままの鼻を見られた。恥ずかしくて両手で顔を隠す桃矢を容赦なく悦楽の波が襲う。
「どうだ、自分でするよりも気持ち良いだろう? 厭魅において形代や媒体を矢で射抜く方法を仙法(そまほう)、槌などで叩くものは天神法、釘や針で突き刺すものは針法と呼ばれるが、これはまぁ撫で物の一種だろうな」

 なでたりしごいたり、たまに手を休めたり。ときにやさしく、ときに激しく。緩急をつけての手技に思わず前かがみになり、股間を押さえようとしてハッとなる。
 ちがう。いつもとはちがう。本来ならば腰の奥に感じる気持ち良さが脳の奥から生じるという未知の感覚に恐怖と戸惑いをおぼえた。
 だがそんな感情はエクスタシーの嵐によってすぐに消し飛んだ。

(と、溶けちゃう! 気持ち良すぎて脳みそとろけちゃうッ!?)

 血圧と心拍数が上がり、息も荒くなる。乱れた呼吸に桜色の唇が小刻みにふるえ、あえぎ声まじりの吐息が漏れる。

「うっわぁ~、桃矢ってばエロかわい~。えい☆」

 笑狸が舌で俸の先をなめる。それがとどめになった。

「――――ッッッ!!」

 ビクビクッ、ぶるぶるっ。
 快感という名のハンマーが脳髄に直接叩き込まれ、意識がピンク色に染まった。全身をオーガズムが駆け巡り、身体をふるわせて絶頂をむかえた。

「ら、らめぇぇぇ! 出ちゃうっ! 出ちゃうッ! 脳みそザーメン鼻から全部出ちゃう! バカになりゅぅぅぅっ!」

 びゅくるるるるっ! ぶびゅッびゅっびゅー! びゅっびゅ、びゅくっ、びゅく、びちゅるるる……。どぷっ……どぷっ……。

 痙攣してのけ反りかえり、鼻から大量の白濁液を放出するも、それらは床に落ちる前にかき消えた。呪術によって一時的に生じた疑似的な器官から出る体液もまた現実のものではないからだ。
 床に伏せ、息も絶え絶えな桃矢の〝鼻〟は急速に萎えしぼみ、もとの形にもどった。

「おい笑狸、勝手なことするなよ。このあと『イキたいのなら自分でしごくんだな』て言って棒をわたして様子を見るつもりだったのに」
「なにそれ鬼畜すぎ!」
「これからは鬼畜系ドS主人公の時代なんだよ。押しの弱い草食系主人公や、やれやれ系主人公の時代は終わりなのだ。いやマジで絶対そっちのほうが受けるって」

 勝手なことを言いながらライムをかじりラム酒をすする秋芳を涙目で見つめる桃矢が口をひらいた。

「――ですか――」
「うん?」
「僕がまた秋芳先生にキスしたら、いつでも今みたいなお仕置きをしてくれるんですか?」
「「え?」」

 上気して朱に染まった頬に潤んだ瞳、せつなげな息づかい。

「今の、すごく良かったです……、もうクセになっちゃいそう……」

 そうつぶやく桃矢の表情は欲情もあらわで、とろけるようだった。

「ええと、桃矢くん。酔っぱらっちゃったのかな? かな?」
「なんか妙なスイツチが入っちゃったみたいだね。でも良かったじゃない、鬼畜系ドS主人公にふさわしい被虐系ドMヒロインの誕生だよ」
「いや、こいつ男だから。ヒロインじゃないし」

 しなだれかかってくる桃矢をてきとうにあしらっていると、秋芳の脳裏にある疑問が浮かんだ。なぜ自分のときには同調性共鳴症が発動しなかったのか、と――。





 翌日。

「ああ、いいぜ。……正直京子の式神は強すぎてこまってたんだ。同じ生身の塾生とガチで訓練できるなんて願ったりかなったりだぜ」

 桃矢との模擬戦の話を秋芳から聞いた春虎は二つ返事で承諾した。
 自己紹介をすませたのち、さっそく放課後に地下の呪練場で模擬戦がおこなわれた。

「せいっ」

 桃矢の竹薙刀の切っ先が円を描く。春虎はかまえた錫杖の石突きを跳ね上げて鋭く受け流すと同時に輪先を反転させて打ち込んだ。
 よける。桃矢は右に左に体をうつして、春虎の攻撃をたくみにかわす。けして正面から受けたりせずに受け流す。
 春虎の手にある錫杖は担任講師である大友陣が呪力付与した特製の呪具で、大量の霊力を消費する代わりにその霊力を呪力の刃に、あるいは盾にと変幻自在に姿を変えて戦えることができる逸品だった。呪術は未熟でも霊力の強い春虎にとって理想的な武器であり防具といえた。
 これでは桃矢のほうが不利に思えるが、霊力の差を技術で埋めていた。霊力(ちから)では春虎が、技では桃矢が勝る。
 そして呪術の腕では――。

「お、急急如律令!(オーダー)」
「うわっ、急急如律令(オーダー)!」

 木行苻から生じた蔓を金行苻の刀が切り裂き、水行苻の水流を土行苻の石がせき止める。

(二人とも呪術となるとまだぎこちないな)

 一応は五行相剋のセオリー通りだが、両者ともになんともたどたどしい。できれば五行相生を利用した攻めをして欲しいものだが、呪術は座学がメインの一年生にそこまで求めるのは酷だろう。
むしろよく動いているほうだ。

(あとは馴れだな、場数を踏めば自然に相生相剋。五行の連環ができるようになる。……うん? 桃矢のやつ、なにか仕込んだな。春虎は気づいてない、か……)

 秋芳がそんなことを考えていると勝負がついた。たがいの呪苻が舞う中を裂いて春虎の錫杖が桃矢の胴に入った。のだが、苦痛の声をあげたのはしかし春虎のほうだった。背中に一枚の札が貼りついている。
 札には漢字でも梵字でもない、模様のような奇怪な呪字が書きこまれていた。その文字が意味するものは等返害。等しく害を返したり。
 ダメージを受けたさい、それを相手に返す呪だ。本来ならばそっくりそのまま損傷を送り返すのだが、今の桃矢の呪力では痛みのみを返すのがせいいっぱいだった。

「それまで。たがいに技あり。と言いたいところだが、春虎のほうが有効だな」
「よっしゃ!」
「おいおい春虎、あんまり調子にのるなよ。桃矢の呪力が高かったら今のはやばかったんだぞ」
「高かったら、の話だろ」
「まぁ、たしかにそうだな」

 げんに春虎は五体満足で立っている。戦いに『たら』『れば』の話など不要だ。
 秋芳はかつて剣道家が不良と私闘をする現場に居合わせたことがある。その不良は不意打ちで竹刀を投げつけ、スライディングで足を蹴るという方法で剣道家を倒した。
『せめて防具をつけているところを攻撃しろ。でないと試合にならない』
『そんなことしてたら負ける。おれは勝つために戦ったんだ』
『今のはおまえの負けだ。突っ込んできた時に先に面を入れた、剣道なら一本だ』
『相手が倒れてもいないのに一本もへったくれもあるか』
『今のが侍の決闘で持っていたのが真剣だったら、おまえ死んでたんだぞ』
『そんなの、もし、の話だ。おれは生きてるぜ』
 そんなやり取りがあったのだが、はたから見ていた秋芳は不良の言葉に妙に納得してしまったものだ。いわゆるドキュンと呼ばれ忌み嫌われるチンピラの中にも、たまにこのような手合いもいるのであなどれない。
 さて、春虎のような高い霊力を前面に押し出してくるパワーファイターは巫女クラスにはほとんどおらず、良い経験になる。
 二勝二敗二引き分け。実力的にも伯仲しており、春虎と桃矢は良い勝負を繰り広げていた。

「二人とも白兵戦から呪術戦に移るさいどうしても切り替えの間ができるから、それをなくさないとな。その呪術も、いまいちぎこちない。息をするように霊力を呪力に変換し、それを練り続けてつねに術式を展開できるようなるのが今後の目標だな。術を選んでから呪力を練るのではなく、術を使う間に次の術を用意するんだ」
「おまえサラっと言うけど、それってプロに求められるレベルのスキルだぞ」
「このくらい京子はできるぞ。あとたぶん夏目も」
「あの二人とくらべるなよ……」
「春虎はプロの陰陽師になるんだろ? プロを目指す人間がプロの技術を身につけないでどうする」
「おれはまだ一年生だぜ、そんな高等技術まだ無理だって。早すぎ」
「……毛利元就は言いました」
「は?」
「毛利元就がまだ元服前、松寿丸の名で呼ばれていた頃、家臣たちと厳島神社に参拝に行ったことがある。そのおり元就が家臣たちに祈願の内容を訊くと、家臣らは『松寿丸様が安芸の主になられるよう願いました』と答えた。それに対して元就は『なぜ天下の主になれるように願わなかったのだ」と言った。家臣は『実現不可能なことを祈願しても意味がないでしょう。今はせいぜい中国地方ですよ』と笑ったが、元就は『天下の主になると祈願して、やっと中国地方が取れようというもの。まして、最初から安芸一国を目標にしていたのでは安芸一国すら取れずに終わってしまう』と、おのれの理想の高さを示して家臣一同を感心させたという」
「ふ~ん、目標の高い人だったんだな。毛利元就ってオクラみたいな兜で部下たちを捨て駒にする冷酷な武将ってイメージだけど」
「それはゲームの話だろ。苦労人だったからか、身分の低い者にも気をくばれる君主だったそうだ」

 毛利元就、尼子経久、宇喜多直家……。彼らはいずれも謀将と呼ばれる策略家で、冷酷な印象があるが、三人とも家臣はとても大事にしていた。直家など暗殺や謀殺のエピソードにこと欠かないが、暗殺を実行させた者を使い捨てたり口封じしたりせずに、その後も厚遇している。

「へぇ、じゃあひょっとして『米がなければ麦を食べるが良かろう』とか、マリー・アントワネットみたいなことは言わなかったの? 作り?」
「言ってない。そんなこと言ってたら一揆で国が滅ぶわ。あの時代の農民なめんなよ、半農半武のヒャッハーな人たちなんだからな。つうかマリー・アントワネットの『パンがなければお菓子を食べればいいじゃない』てのも作りだぞ。……晋の恵帝が『米がないなら肉を食え』て言ったのは史実だそうだが。そういえば江戸時代にも米がないなら犬を食えとか言って大ひんしゅくを買ったお奉行がいたな。……て、そんなこと今はどうでもいい」

 なにやら話が脱線しそうになったのを自覚した秋芳は話をもとにもどす。

「早すぎるとか自分にはまだ無理だとか言っていたらいつまでたっても上達しないぞ、最初からあきらめたりするな。おまえの夢を妨害する最大の敵は自分自身と思え。自分さえくじけることがなければ、たとえどこのどいつが邪魔をしてきても、やりとげることができるんだ。逆に言えば自分がくじけちまえば世界中の人達すべてから応援されても夢を実現することはできない。さぁ、春虎よ。自分の夢をもう一度思い出せ。その夢をかなえることから遠ざかるような言い訳を自分自身でしちゃいないか? どんなに達成することが簡単な目標であっても『たら』『れば』を言っているようだと永遠に達成することはできないぞ。独立しようと思っていても自分に力がつい『たら』やろうと思っているようじゃ独立なんかできっこない。一定の条件下でないと望むことができないと思い込むのは自分に枷をはめる行為だ。演技の経験がないので芝居ができない人は芝居がほんとうにしてみたいのであれば、やってみればいい。それをせずに芝居をしろと言われ『たら』やります。なんて言っていたら、いつまでたっても舞台に上がれない。自分からやると言えば言いだけだ。やってみればいいんだ。そして失敗をたくさんして、そこから多くを学べば良い。『たら』『れば』を使って夢を後まわしにするな。あきらめるな。今の状況を作ってるのは自分自身だ。打開することができるのも自分自身だ。『たら』『れば』はただの言い訳だ。できない自分を正当化するだけの乙種言霊だ、呪いだ、呪詛だ。やりたいことがあるのなら『たら』『れば』を使わずに今すぐ実行あるのみ! 行動を起こすことこそが夢を実現させるための一番の近道なのだ!」
「お、おう」
「はい!」

 春虎よりもむしろ桃矢のほうが秋芳渾身の長口上に感銘を受けた様子で力強くうなずいた。

「いや~、語ったわ~。上条さんばりに口舌をふるったわ~。と思ったけど、あの人は四ページにわたって長科白を言ってるから、俺なんてまだまだだな。――それじゃあもう一勝負、こんどは呪術のみでやってみよう」
「え~、呪術しばりとか無理だって!」
「言ったそばから『無理』とか自分に呪詛をかけない! 苦手な分野を克服する良い機会じゃないか。つうか夏目からいろいろと教えてもらってないのか?」
「授業について行くのもやっとなのに、そんな余裕ねえよ」
「だから授業で教わらないような実践的なやつをだよ」
「う~ん、九字切りとかなら……。他にもなんかあったけど、おぼえてない。術理とか術式とかサッパリなんだよ。……なぁ、頭の良くなる呪術とかないか?」
「あるぞ」
「マジで!?」
「求聞持聡明法といってな、無限の記憶力と知恵を手に入れることができると言われる術で、かの弘法大師空海が高知県の御厨人洞で修行し、身につけたという密教の秘法だ」
「すげぇ! 教えてくれ」
「まず外界から隔絶された場所にこもり、心を無にした状態で印を結び虚空蔵菩薩の真言を一日に一万回唱える。それを百日の間続ける」
「は?」
「首尾よく進めば阿頼耶識に通じることができる。このとき阿頼耶識に飲まれれば魂を持っていかれ自我が消滅するから気をつけろ。さらに阿頼耶識より生じた魔に魅入られることもある。この魔とは原始から未来に至るまでの人の記憶そのものであり、まともに受け入れればその情報量の多さに常人の脳は耐えきれず焼き切れてしまうだろう。そうなれば命が助かったとしても廃人だ。阿頼耶識に飲まれず魔にも捕われず、真の智慧までたどり着くことができれば成功だ」
「……秋芳はそれ、したことあるのか?」
「するわけないだろう、こんな危険な呪術」
「もっと安全でお手軽に頭の良くなる呪術はないのか!?」
「知恵と学問を司る八意思兼神(やごころおもいかねのかみ)の祝詞を唱えることで一時的に頭の回転を速める術なら……」
「それはどういう術なんだ?」
「これこれこういう術式で――かくかくしかじか――術理は――うんぬんかんぬん――祝詞は――」
「長い! わけわからん! おぼえられるか!」
「武の道にも呪の道にも近道なんてないんだよ、地道に勉強しよう。あの大陰陽師、安倍晴明だって陰陽寮入り。つまり陰陽師になったのは四十になってからで、活躍したのは五十、六十の頃。遅咲きの人だったみたいだが、それだってそれまできちんと勉強していたからこそ遅くにでも花開けたんだ、のんべんだらりと過ごしていたわけじゃない」

 安倍晴明が陰陽師として歴史の表舞台に登場したのは齢四十を過ぎてから。それまでは大舎人寮という部署に属する下級官吏で、宮中の雑務をこなしていた。
 西暦九六〇年。内裏で起きた火災により守護の霊剣が損失してしまった。この剣を元に戻すよう村上天皇に命じられた晴明は役目を見事に果たしたという逸話があるが、これなど年代的にみてまだ業績の浅い晴明に勅令が下るのはおかしい。師である賀茂保憲の功績ではないかといわれる。

「なぁに? ま~た春虎がごねてるの?」

 美しい声とともに亜麻色の髪をアップにした少女が姿をあらわすと、まるで大輪の華が咲いたようにきらびやかな気が呪練場に満ちた。ぱっちりとした瞳に長いまつ毛。健康的な肌色にローズピンクの唇。可憐にして豪奢な美貌と均整のとれたスタイルの持ち主。倉橋京子だ。

「巫女クラスの生徒と模擬戦をおこなうと言ってたけど、迷惑はかけてないだろうね、春虎?」

 黒絹のような髪に白磁のような肌をした怜悧な美少年、土御門夏目が続く。

「相手が巫女さんだからって鼻の下のばしてたら、足もとすくわれちまうぜ」

 ひたいにヘアバンドを巻いた目つきの悪い少年、阿刀冬児。

「あれ? たしか巫女クラス唯一の男の子だって話だよ」

 地味眼鏡、百枝天馬。
 春虎の自己練習につき合うことの多い、いつものメンバーたちがやってきた。

「それ、マジかよ天馬?」
「うん、たしか梅桃桃矢くんだったよね」
「なんだって!?」

 血相を変えた夏目が桃矢に近づくと、その顔をじっと見つめる。

「な、なな、なっ、なんでしょうか、僕がなにか?」
噂の『すごいほうの土御門』につめよられ、思わず後ずさりをしてしまう。
「……そうか、君も同じなのか」
「は?」
「みなまで言わなくていい。わかるよ、君の気持は。うんうん、木ノ下先輩だけじゃなかったんだね。世間は広いようで狭いんだな、感動だよ!」
「は、はぁぁ?」

 どこかでだれかにしたのと同じようなかんちがいをした夏目が興奮して桃矢の手をとる。

「呪術戦の相手が必要ならばくも一肌脱ぐよ、遠慮しないでくれ」
「あら夏目君のほうからそんなこと言うなんて珍しいわね。でもあたしも巫女クラスの子の実力には興味あるわ、ひとつお相手願おうかしら」
「あ~、俺もいいか? いつも春虎の見てばっかだったからな、たまには運動したくなってきた」
「あ、あれ? 僕もしなくちゃダメな流れなのかな? かな?」

 めずらしいことに夏目と京子に続いて冬児と天馬も手合せに立候補してきた。
 刀会本番までの間、桃矢は模擬戦の相手には不自由しなくなった。
 




 そして、一週間が経った――。 
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