ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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シーホーク騒乱 1
前書き
原作小説『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』10巻。絶賛発売中。
南国の珍しい果物や北方で獲れた珍獣の毛皮、東方の貴重な薬草など、シーホークの港湾監視員はその職業柄、様々な希少品を目にする機会がある。
蛇のように長い鼻と帆のように大きな耳をした象という巨獣や、黒と白にくっきりと分かれた体毛の熊などにくらべれば、目の前にある物はさして珍しくもなかった。
時代遅れの板金鎧。
攻性魔術や銃砲火器の発達によって戦場からは姿を消し、もっぱら儀式や儀礼の場でしか見かけないようになった古めかしい金属製の全身鎧が木箱の中に納められている。
問題は、その数だ。
「ここにあるものすべて、ですか?」
「そうです。合わせて五〇〇とニ〇、ご確認ください」
五ニ〇個の木箱すべてにおなじサイズ、おなじ装飾の板金鎧が入っているのを、監視員たち複数に分かれて根気強く確認していく。
「この大きな箱は?」
「同様の物が入っています。ただし、大きさは少々異なりますが」
「これは……、人が身につけるようなサイズじゃないですな。巨人用の鎧ですかね」
「そのあたりのことをくわしく調べてもらうため、運んできたのです」
帝都の貴族たちが出資している調査団が異国の地で発見した品々。それを学院の魔術師に鑑定してもらうため、ひと月ほどシーホークの倉庫を借りたいという話だ。
「なにせ数が数なのでフェジテまで輸送するのは困難でして。しばらくの間ここに置かせてもらい、むこうから魔術師さんに来てもらう手はずになっています」
「たしかに、これを陸路で運ぶとなると容易ではないでしょうな。しかしよくもまぁ、こんなに発掘されたものですなぁ」
旧古代前から後期(聖暦前八〇〇〇年から四〇〇〇年)前後に超魔法文明が存在していた関係で、各地に多くの遺跡や碑文が残され、魔法遺物(アーティファクト)が発見されているセルフォード大陸以外の場所でこれほどの量の遺物が見つかるのは珍しい。
「では、こちらの種類にサインを――。それではカルサコフさん、シーホークを満喫してください」
監視員のチェックを滞りなく済ませたカルサコフは手配されたホテルへ向かう前に街中を歩いてまわった。
だが目的は観光ではない、偵察だ。
近日中に遂行する任務のため、ある程度街の造りを知る必要があるためだ。
シーホークはヨクシャー地方の玄関口である港町であり、交易が盛んなほか観光地としても栄えている。
浜辺のある区画では水着姿の若い男女が歓声をあげて人生を謳歌している姿が見られた。
「退廃主義者どもめ」
堕落、放蕩、享楽、不埒、不届き、不健全、不道徳――。
そのような言葉しかカルサコフの頭には浮かんでこない。
貴族や豪商といった裕福な人々が居を構える富裕地区にも足を運ぶ。ここがもっとも重要なポイントだ。いかにも観光客といった風情をよそおい、くまなく観察する。
「ブルジョアジー……」
いますぐにでも攻性魔術を連発して拝金主義者どもを粛正したくなる欲求を抑え、あやしまれないうちにその場を後にして手配されたホテルへむかった。
「なんだ、これは……!」
たったいま偵察してきた富裕地区。そこに軒を連ねる豪邸に勝るとも劣らないような豪華なリゾートホテルに眉をしかめる。
しかも用意された部屋は最上階にあるもっとも高級なロイヤルスイートルームだった。
質実剛健を良しとするカルサコフにはまことにもって不愉快極まりない宿の選択にいら立ちを覚えつつ部屋に入る。
そこでは床のそこかしこに酒瓶がころがり、小太りの中年男性が薄着姿の若い女性たちと戯れていた。
「おお、遅かったじゃないか同志カルサコフ。悪いが先に楽しませてもらってるぜ。フィヒヒヒ!」
下卑た笑い声をあげて女の白い乳房に脂ぎった顔をうずめる。
「これはどういうことだ、同志ウェルニッケ! 部外者を中に――ッ!?」
女たちの目は虚ろで、表情に乏しく、意思や知性というものが感じられない。
「きさま、壊したな」
「フィヒヒヒヒ! ご名答!」
【マインド・ブレイク】
対象の思考を破壊し、強制的に朦朧状態にする精神攻撃呪文。精神操作系の白魔術のなかではもっとも高度で危険とされ、相手を廃人にしてしまうこともある。
ウェルニッケと呼ばれた小太りはこの呪文をもちいて女たちを意のままに操っているのだ。
「こいつらは今夜のことなんて覚えちゃいないのさ、だからなにをしてもいいってわけだ。いや、今夜だけじゃなくてもうずっとなにも覚えられないかもしれないな。フィーヒヒヒ!」
怒りと軽蔑にカルサコフの頭の芯が研ぎ澄まされていく。彼は怒りで頭に血が上るのではなく、逆に血の気が引くタイプの人間だった。
「ほら、遠慮しないでおまえもどうだ。赤毛が好きか? 黒髪か? 金髪はどうだ。酒だってあるぜ、イクラやキャビアもだ。ハラショー! どうせ一週間後にはみんな殺しちまうんだ、今のうちに楽しめよ、ズドーラヴァ!」
ウェルニッケは女におおいかぶさると酒臭い息を吐きだして腰を振りはじめる。
「……天の智慧研究会に下品な男は不要だ――《雷精の紫電よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ・焼き尽くせ・消し炭と化せ》」
「ん? ――ギャッ!?」
カルサコフは両手を前に出してウェルニッケの頭をはさみこむ。両のこめかみに指圧のように指先を押し当てた状態で【ショック・ボルト】を放った。
【ショック・ボルト】は魔術学院に入学した生徒が一番はじめに習う初等の汎用呪文で、微弱な電気の力線を飛ばして対象を電気ショックで麻痺させて行動不能にする殺傷力の低い呪文だが、非殺傷系の攻性呪文でも時間をかけて魔力を練り上げ、三節以上の詠唱節数をかけて呪文を唱え、威力を最大限に高めればじゅうぶんな攻撃力を得る。
あたり所が悪ければ致命的だ。高圧電流がウェルニッケの脳神経を焼き切った。
脳死――魔術によって他者の心を壊し、廃人同然にした男は、皮肉にも自身が魔術によって廃人となった。
目の前で人が害されたというのに女たちは逃げもせずに茫洋とたたずむのみ。
口封じするのは簡単だ。唾棄すべき輩とはいえ同志をいとも簡単に殺めたカルサコフにとっては造作もないこと。
だが彼はそうしなかった。
ウェルニッケの言うとおり、一週間後におこなう〝粛正〟によってこの街の人々の多くが死ぬことになるだろう。だがカルサコフの目的はあくまで任務の遂行であって殺害ではない。無意味に殺す気にはならなかった。
ひとりひとり丹念に白魔術による精神治療をほどこしたあと、偽りの記憶を植えつけて家に帰らせた。後遺症が残る可能性はあるが、さすがにそこまでは面倒を見切れない。
続いてまだ息だけはあるウェルニッケだった肉の塊の処理にかかる。
「《貪るものよ・暗き砂漠より・来たりて啖え》」
カルサコフの唱えた召喚呪文に応じて異界よりなにかが現れる。
人に似た四肢を持ってはいるが、前かがみになった姿勢や顔つきは犬めいており、肌は赤と緑を混ぜたような不気味な色をしている。手には鋭い鉤爪が生え、脚には蹄があった。
グール。
人の骸を好んで食べることから食屍鬼とも呼ばれる怪物だ。
「こいつを食え」
「GISYAAA……!」
脳死という極めて新鮮な状態の獲物に歓喜のよだれを垂らして食らいつく。
がぶり、ぞぶり、ごそり、くちゃり、ぞぞり、こつり、じゅるる、くちゃ、ぱく、ごぼ、ばり、べき、ぼこ、ぞぼぼ、ぺちゃ、ばり、ぼり、ぺき、ぱき、ぽき、ぺきん、ごぶり――。
食屍鬼の食欲は旺盛だ。肉のひとつまみ、骨のひとかけら、血のひとしずくも残さずにたいらげるのに、さして時間はかからないだろう。
同志だったものが処理されていくのを見ながら、カルサコフはこれからのことに思いを巡らせる。
一週間後、フェジテとシーホークの二か所で同時に起こす破壊活動。
任務とはいえおなじ魔術師の卵たちを弑することに抵抗があったため、この腐敗した街の粛清を任されたことは幸運だ。
せめてこの協力者がもう少しましな人間だったら良かったのだが、済んでしまったことはどうしようもない。ことを終えたら包み隠さず報告し、沙汰を受けるだけだ。
たとへ死をたまわることになっても悔いはない。組織によって処断された死体は魔術の実験に利用され、魔術のために貢献できるからだ。
カルサコフの所属する組織――その名を天の智慧研究会という。
アルザーノ帝国に最古からある魔術結社。魔術を極めるためならばなにをしても良い、どんな犠牲を 払ってもゆるされる、むしろそうするべきだ。
この世界を導くのは優れた人間、すなわち研究会に所属する魔術師であり、それ以外。特に魔術の使えない人間はすべて盲目の愚者であり、家畜。そのような思想に取りつかれた者たちの集団だ。
「天なる智慧に栄光あれ。魔術は偉大なり」
虚空にむかって腕を斜め上に突き出す独特の敬礼をしたカルサコフの腕には短剣に絡みつく蛇の紋が彫られていた。
ナーブレス邸にはウェンディ専用の浴室が存在する。
巷の大衆浴場よりも広く、普通にお湯を張る浴槽のほかにも水練用のプールや足湯用の浅いバスタブ、北方で主流の蒸し風呂やシャワーも完備してある。
「清き水よ・溢れ出で・満たせ」
ルーン語のコマンド・ワードを唱えれば水晶石から水が沸きだし。
「炎よ・熱くたぎる・炎熱と化せ」
炎晶石で熱し。
「冷たき氷よ・吹雪け・冷やせ」
熱すぎるようなら氷晶石で冷ましてほどよい湯加減に調整できる。
魔法に縁のない庶民が見たら大いにうらやむ、あるいは恐がることだろう。
「はぁ……、お嬢様のお肌、白くて綺麗できめが細かくて玉のようです」
スポンジでウェンディの身体を優しく丁寧にこすっているミーアが、主の肌の美しさにため息を漏らす。
「当然ですわ。でもミーア、あなたのお肌もモチモチしていて、美味しそうな肌触りですわよ」
ウェンディは自分の身体についた泡を両手ですくい、ミーアの身体になすりつけて愛撫する。
「ああ、ダメですよお嬢様。そんなに動いたら洗えません」
「手じゃなくてあなたの身体をスポンジにして洗いなさいまし★」
「くすぐったいです~」
「にょほほほほ」
「ああ、お嬢様! 『にょほほ』は、『にょほほ』はいけません!」
ミーアはいま入浴用のメイド水着を着てウェンディにご奉仕している。
この水着はノワール男爵という文化と芸術を解する風流貴族が考案したもので、エプロンドレス+ワンピース水着というデザインをしている。フリルつきで紺と白の配色はひとめでメイド服を彷彿とさせると高評価を得た。ちなみにビキニタイプも存在する。
貴人はなにをするにも使用人まかせだが、魔術学院で集団行動をしているウェンディはまだ自分で動いているほうで、他の王族や貴族など、着替えや歯磨きすら使用人にさせている。
「今日のお風呂はいつもよりも彩り鮮やかですこと。……あら?」
身体を洗い終え、お湯に浸かろうとしたウェンディは薔薇の花びらや各種ハーブの浮かんだ湯船に、あまり目にしない果実が交ざっているのに気づく。
「これは、スカイベリーじゃありませんこと?」
「はい。おっしゃる通りです、お嬢様」
スカイベリー。雲ひとつない青空に似た色合いと、高所にしか生えないことからその名のついたベリー種の果物。
人がそのまま食べるにはむいていないが、薬効があり、錬金術の材料にするほか、このように湯船に浮かべて利用することが多い。
「まだ新鮮ですわね。このあたりではグロスター山でしか採れないはずですけど」
「アキヨシさんが採ってきてくれました」
「ああ、そういえばルドウィン卿の狩りのお手伝いをするとか言っていましたわね」
「そのお仕事が終わったあとに、山で色々と採ってきたそうです」
「ふぅん、でも空も飛べないのにスカイベリーだなんてよく採取できましたわね」
「なんでもシュゲンドウの修行で山中をさんざん駆けずり回ったから、ヘキココウの心得があって平気だとかなんとか……」
「シュゲンドウにヘキココウ……。また、わたくしの知らない単語が出てきましたわね」
当初悪魔だと思っていた秋芳が普通の人間だとわかった後も、本人が言うように異世界から来たという話は信じられなかった。
それだけ遠い、辺境の地から召喚されてしまったことへの嫌味や皮肉で異世界などと称している。
最初はそう思っていた。
たが秋芳が語る物語の多くはウェンディのまったく知らないような話ばかりで、たまに語るむこうの世界についての話にも前後の内容に矛盾はなかった。
「ミーア。あなた彼、カモ・アキヨシについてどう思いますこと?」
「よく働いていますね~、他の人ならめんどくさがってやりたがらないような遠くへの荷物運びも、『スカイリムやジルオールの冒険者みたいでこういうお使いクエストはきらいじゃない』とか、意味不明なこと言って引き受けてくれますし。人間的にも悪い人ではないと思いますよ。たまに――、ううん、よく変なことを口にするのは気味が悪いですけど。今日もいきなり『この世界の人は猿から進化してないのか』とか訊いてきて、びっくりしちゃいました」
「人が、お猿さんから……?」
いったいどこからそんな発想が出てきたのか検討もつかない。
「そんなわけないじゃないですかって答えたら、一八〇〇年代ならウォレスとダーウィンがどうのこうのとか、ミッシングリンクだとか、ぶつぶつ言ってました」
「…………」
このようにときおり意味不明な言動をとることはあっても、カモ・アキヨシという人物の立ち居振舞いに卑しいところはない。
貴族として高い教育を受けた自分とくらべても、遜色のない教養や知識を持っている。ウェンディはそう思えてならない。
頻繁に口にする未知の言葉の数々も、創作ではない現実味を感じる。この世界にはない語彙を豊富に持っていることを感じさせる。
少し前にも、こんなことがあった。
領内の農園開発のために用水工事に取りかかっていたのだが、軽石地帯のために水を引いてもすべて吸い取られてしまい、完成できずにいた。
なにか良い案はないかと広く意見を求めたところ、秋芳がひとつの提案をした。
「ひとつ考えがある」
「なにかしら」
「コストを度外視してもいいなら、水を引く手段がないこともない」
「もったいぶらないで話しなさい」
「これはかの弘法大師空海が一ニ〇〇年前に唐の国より伝えた最新の治水技術で」
「一ニ〇〇年前なのに最新技術とか、おかしくなくて?」
「その名も『綿埋(わたうずめ)の水流し法」といい、軽石の部分に綿を貼り、底に敷き詰めることで水漏れを防ぐことができる」
「綿ですって!?」
半信半疑どころか一信九疑だったが念のために試してみるとたしかにした。
結果は秋芳の言うとおり、見事に成功。
このような方法はウェンディの知るどの文献にも書いてないし、聞いたこともない。
異世界云々は道化じみたホラ吹きでも妄想でもない、事実なのかもしれない。
「――それで、そこの名産の蜂蜜をお土産にくれたんですよ。他の人もよくおごってもらったりしているみたいで、太っ腹です~」
「学費を貯めないといけないのに、よくそんな余裕がありますわね」
「ここのお仕事の他にも、街の人たちのお手伝いをしてやりくりしているそうで、そのお手当てを元手にシーホークの漁師さんから余った魚を安く買って干物にしてフェジテ近隣の村々で売りさばいたら、けっこうな利益になったそうです」
「たまに見かけなくなると思いましたら、そんなお小遣い稼ぎをしていましたの。器用な人ですこと」
如才ない働きぶりで従僕として大いに役に立っているが、それ以上に魔術師としての素養が気になり出していた。
あれからロクでなしだと思っていた非常勤講師のグレンが思いもよらなかった有意義勝かつ楽しい授業をはじめたことでそちらのほうに意識がむかい、ウェンディ自身すっかり失念していたが、オンミョウジという「異世界の魔術師」である秋芳がいかに特異な存在か、今さらながら気になってきた。
いちど学院で魔術の適性検査を受けさせて、その結果次第ではナーブレス家が出資して入学させてもかまわないだろう――。
「決めましたわ。来週にでも彼を学院に連れて行きましょう」
「まぁ、きっとアキヨシさんも喜びますよ。……あ、お嬢様。でもその前にシーホークで商工ギルドの寄り合いの件ですが……」
「ああ、そういえばそんなのもありましたわね。ちょうど授業が五日間休講になりますし、今回はわたくしも顔を出しますわ。ミーア、あなたも来なさい。ついで彼も、アキヨシも同行させましょう」
「わ~い、楽しみですぅ」
「ぐおおぉぉぉおおッ! 遅刻、遅刻ぅッ!?」
学院へと続く街中で叫び声をあげて疾駆する者がいた。
グレン=レーダスだ。
パンを口にくわえながらの全力疾走で叫んでいるのだから器用なことである。
「つーか、なんで休校日にわざわざ授業なぞやんなきゃならんのだ!? だから働きたくなかったんだよっ! ええい、無職万歳!」
学院の教授や講師たちはそろって帝都オルランドでおこなわれる魔術学会に出席する。それに合わせて学院は休校になるのだが、グレンの担当クラスだけ例外だった。
彼の前任講師だったヒューイがある日、突然失踪してしまったことで生じた空白期間にくわえ、グレン自身の最初のやる気のない講義内容のため、彼の担当する二年二組のクラスだけ授業の進行が遅れていた。
そのためその穴を埋める形で休校中にも授業が入っているのだ。
グレンは居候先の屋敷から学院まで道のりをひたすら駆けて表通りを突っ切り、いくつかの裏通りを抜けてショートカットし、ふたたび表通りに出て学院への目印となるいつもの十字路にたどり着いた時。
「……っ!?」
異変に気づいて足を止める。
さて、ここから先グレンの身に降りかかる災難については原作本編にあるとおり。
授業があることをすっかり忘れてシーホークへとむかったウェンディと、彼女に同行した秋芳。
これから先は「if」もしもの話がはじまります。
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