東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
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万聖節前夜祭 2
十一月一日。万聖節、あるいは諸聖人の日。
カトリック教会の祝日の一つで、すべての聖人と殉教者を祝う日。
この日の前日はハロウ・イブと呼ばれる、キリスト教伝来以前からの神々や精霊たちを祭る、アイルランドやケルトの人々の祝祭日でもあった。
そして十月三十一日は古代のアイルランドやケルト人にとっての年末であり、この日は秋の収穫を祝い。先祖の霊が帰ってくる、日本のお盆のような日なのだが、それと共に人に害をなす悪霊や魔物もおとずれるため、そのような魔物に魂を奪われぬように人々は同じ魔物の格好をして彼らの目をあざむき、難を逃れたという。
こんにちのハロウィンの原型である。
これは一種の穏形であり、呪術的な行事といえた。
骨格標本のような骸骨人間が自分の頭蓋骨をはずして空高く放り投げる。
『Trick or Treat!』
空中でガチガチと歯を鳴らしてお決まりのフレーズを口にする。
「ああいうふうに子どもたちが家々を周って菓子をねだるのは、祭り用の食料をもらって歩いた農民の姿を真似たもので、中世の名残なんだってな」
黒い三角帽子とコート、ミニスカートからは黒と白のストライプ模様のハイタイツの脚がのび、ヒランヤつきチョーカーを身につけたGOTHい魔女っ娘の肩にとまったカラスがそんなうんちくを披露する。
「へぇ、そうなんだ。…て、そんなこと言ってる場合じゃない! あたしたち百鬼夜行に巻き込まれちゃったのよっ、これからどうするのよ!」
魔女っ娘が怒鳴る。
「さて、どうしたものか……」
魔女っ娘は京子、その肩にとまるカラスは秋芳の式神だ。
あの後――。
ウクライナの愛のトンネルを模した緑の小路内に出現し、異形の群れを吐き出した黒い穴はいつの間にかなくなり、かわりに反対側に新しい黒い穴が出現した。
新たに開いた黒い穴に異形の群れは吸い込まれるように殺到し、中へと入っていったのだが、場所が悪かった。いかんせん狭い一本道である。通勤ラッシュさながらの群等に押し合いへし合いされて、京子と秋芳も異形の群れと一緒に黒い穴に吸い込まれてしまったのだ。
動的霊災ならば幾度となく見てきた京子たちだったが、このような奇怪な現象は今まで見たことも聞いたこともない。
思わず圧倒され、なんらかの呪術を使って押しとどめることも避けることもできずに飲み込まれてしまったのだ。
あたりは不思議な闇につつまれていた。
闇といっても真っ暗ではない。いったいどこに光源があるのか、ほのかに明るい。この世ともあの世ともつかない異界。暑くもなく寒くもない、摩訶不思議な空間。
そのような場所で数十体の魔物に囲まれ、歩を進めているのだ。
「……なぁ、京子。たしか十月末日は夜行日だったよな?」
夜行日とは陰陽道の忌み日で、正月の他に。二月の子の日、三月四月の午の日、五月六月の巳の日、七月八月の戌の日、九月十月の未日、十一月十二月の辰の日。これらの日は百鬼夜行が出現する夜行日であり、昔は物忌みの日として人々が夜に出歩くことを戒めていた。
「ええ、たしかそうだったわね。でも霊災対策の鬼気祓えは陰陽庁がきちんとしてわよ」
「そうだが、万霊節。ハロウィンに対する鬼気祓えはしてないよな」
「そりゃそうよ。だってハロウィンは西洋の行事だし」
日本の年中行事には陰陽道の思想の影響が見られる。
元旦の屠蘇、正月七日の七草、二月節分の豆まき、桃の節句のひな祭り、端午の節句、夏越しの祓え、七夕、八月朔日、重陽の節句、大晦日の追儺。などなど……。
これらはただの伝統行事というだけでなく、土御門夜光の執り行った大儀式の失敗により、こんにちの日本で猛威をふるう霊災への備え。霊気の偏向を正す儀式でもあった。
そのため陰陽庁は季節の節句などで鬼気祓を実施している。
「ハロウィンという習慣が日本に定着したことにより、霊的呪的なパワーを得てフェーズ4の霊災と化したんじゃないかな?」
ハロウィンはもともと呪術的な意味のある祭事。それが東京という日本有数の霊災多発地帯の霊脈に感化され、霊災化する可能性は否定できない。
「……もしそうなら、来年からは夜行日と節句の鬼気祓えの他に万霊節の鬼気祓いをする必要があるわね」
「仕事が増える一方だな」
その時、変化がおとずれた。
周りの魔物たちの歩きが急に速くなった。それだけではなく、彼らの間にざわついた期待感のような空気が流れていた。これからちょっとしたイベントがあるぞ。そのようなわくわくした感じが伝わってくる。
流れる気の速度も早まる。前方に小さな光が見えたが、そこからこことは異なる気が感じられた。
「お、外の気だ。たぶんうつし世に出られるぞ」
「じゃあ一気に抜け出しちゃいましょ」
場所もさだかでない異空間で下手に動きまわるのは危険と判断し、まわりの魔物を刺激せず、百鬼夜行に交ざり歩いていたが、脱出の好機はすぐにおとずれたようだ。
かすかな光は見る見る大きくなり、近づいて来る。いや光が大きくなっているのではなく、こちらがあの光にむかって押し流されているような感覚だ。
強い風圧にも似た力が百鬼夜行全体にかかり、光へと押し出される。
もとの世界に出られる。京子たちはそう確信した。
原宿表参道は日本で始めてハロウィンパレードが実施されたことで有名だ。
そのためこの界隈でのハロウィンイベントは他とは一味ちがう。仮装した多くの人が原宿表参道を約一キロメートルに渡って行進し、周辺の店舗ではハロウィンメニューの提供や子どもたちへのお菓子のプレゼントをおこなっている。
そんな表参道に近いホテルのパーティー会場でも贅沢なハロウィンイベントが催されていた。
なにせ一人の男性に対して数十人の女性コンパニオンがはべっているのだ。これが贅沢でなくてなんであろう。
「ユミちゃんのお菓子はどこかな? ここかな?」
裏地が赤い黒マントに夜会服というドラキュラの姿に仮装した龍鳳院宮寺光輝がコンパニオンたちを目隠しをして追いかけまわしている。
特筆すべきは女性たちの装いだ。ビキニタイプの水着や下着姿のような露出の高い衣装なのだが、それらにキャンディーやチョコレート、スポンジやグミといった菓子類が飾られているのだ。
声優オタク諸氏はたかはし智秋が写真集やDVDで披露したキャンディー水着を思い出して欲しい。あれをさらにエロく、どぎつくした感じだ。
「お菓子をおくれ。でないといたずらしちゃうぞ~」
「いや~ん、光輝さんのエッチ~」
「ハッハッハ、おとなしくぼくに捕まりたまえ。今夜はチュパリコさ!」
エターナルランドの事件で意気消沈した彼は当初おとなしく帰宅しようとしたのだが、どうにも気分がくさくさしてしょうがない。
自 宅に帰るのをやめて憂さ晴らしに、このような遊びを思いついたのだ。
「や~ん、そんなに舐めたらエミコのキャンディが全部溶けて見えちゃう!」
「ハッハッハ、よいではないか、よいではないか!」
「あ~れ~」
「ハッハッハ、よいではないか、よいではないか!」
その時、会場の壁に黒い点が浮かんだ。
点はまたたく間に広がり、壁をおおうと、そこから異形の群れがあふれ出した。
『Trick or Treat!』
「ヒ、キャアアアァァァァァァ――ッッッ!!!!」
甲高い悲鳴が会場内に響きわたった。
「ハッハッハ、みんなも興がのってきたみたいだね。遠慮なく楽しみたまえ」
どこかのパーティー会場だろうか。かなり広い部屋で、いくつかのテーブルの上にクッキーやチョコレート、キャンディーやマシュマロといったお菓子や。モンブランやショートケーキやガトーショコラ、シュークリームやエクレアなどのケーキ。プティングやサンデー、パフェなどの甘味類。さらに瑞々しいフルーツが盛りだくさんに置かれ、アルコールの瓶もたくさん置いてある。
『Trick or Treat!』
そこへ魔物たちが乱入し、彼らの巻き起こす乱痴気騒ぎで広間はたちまち騒乱の巷と化した。
フルーツポンチに顔ごとつっこみ中身を吸い上げるもの。
マチャアキよろしくテーブルクロス引きに挑戦し、見事に失敗して卓上物をすべて床にぶちまけるもの。
チョコレートファウンテンの頂上に立ち、ふらちにも小便をするもの。その小便をチョコと思い飲んでいるうっかりもの。
もう、めちゃめちゃだ。
『Trick or Treat!』
「え、これ? お菓子が欲しいの? あげる、あげるわ。あげるからアッチ行って!」
身につけた菓子の一部を魔物に与えたコンパニオンはその場を逃げ出すことに成功したが、そうでない者はたちの悪いいたずらの洗練を受けることになった。
「ギャー、なにこの頭!? いつの間にアフロになってるの!」
「あんたなんてまだマシよ、あたしなんてモヒカンよ!」
「やだぁ、うんこみたいな髪型になってる…」
「臭ッ!? あんたそれ、ほんとうのうんこよっ! うんこがのせられてるわ!」
「巻きクソよ!」
「エンガチョ!」
「ぐぎゃーっ!!」
金持ちに媚びへつらい、寵愛を得ようと着飾った女たちは、いとあはれ。たちまち無惨な姿へと変貌を遂げた。
阿鼻叫喚である。
「ハッハッハ、みんな楽しんでるね。けっこうけっこう……、おっ! つかまえたよ。君はだれかな?」
みずから目隠しを取った光輝の目の前にいたのは、顔のすべてが吸盤状の口になったバレリーナ・デンタータだった。ヤツメウナギのような円口にびっしりと牙が生えている。
「まあぁああーまあぁーああーあ!」
関根勤のような奇声をあげてのけぞり、卒倒した。
二度あることは三度ある。あわれ光輝はこの日三度目の気絶をすることになった。
「うわぁ……。酷いありさまね、これ」
「なんかジョー・ダンテ監督の『グレムリン』のワンシーンみたいだな。……お! これモロゾフのチョコじゃないか。ゴディバもあるぞ」
「せっかくだからいただいちゃったら」
「そうしたいのは山々なんだが、あいにくとこの式神には賞味・消化機能はまだつけてないんだよ。しかし一口数百円のチョコをこんなに用意するだなんて、どこのブルジョワだよ、まったく」
京子の目が床にのびる光輝を発見し、続いて魔物たちにいたずらされて逃げまどうコンパニオンたちの姿を捉える。
「こいつ、なにやってんだか……」
「ん? なんだ、あの成金じゃないか」
「お見合いしたそのすぐ後で女遊びなんて普通する? 信じらんない!」
「いたずらしてやれ」
「ええ、そうさせてもらうわ」
京子はおもむろに取り出したマジックペンで光輝のひたいに『肉』の一字を書いた。
「マジックなんて持ってたんだ」
「え?」
言われてみれば、と心底意外そうな顔で手にしたペンを見下ろす。
「そういえば、なんであたしこんな物を……」
「どっから出した?」
「……気がついたら手の中にあったわ」
「そいつの顔にペンで落書きしようとしたら、出てきたのか?」
「そうなの、かしら……」
周りを見まわすと逃げ遅れたコンパニオンの顔や身体に『メス豚』『bitch』『Fuck』などの落書きをしている魔物たちの姿があった。彼らの手にもどこから調達したのか、ペンが握られていた。
「なぁ、ほかにどんないたずらがしたい?」
「えっと、こういうパーティー会場だし、やっぱパイ投げとか?」
すぐ横のテーブルの上にホイップクリームがふんだんに盛られた円形のパイ皿が置いてあることに気づく。
「これ、さっきからあったか?」
「……さぁ」
「ほかになにかいたずらしたいことは?」
「え~っと、タライ落とし!」
バイ~ン! 天井から金タライが降ってきて、近くではしゃいでいた小鬼の頭を直撃した。
「…………」
「…………」
「やだ、なにこれ。なんか怖い」
「そうだな、ちょっとどこかに行こうか」
狂騒する魔物たちを祓うのも忘れ、この場を去ろうとした二人だったが――それができなかった。
目に見えないやわらかい壁が京子の前に立ちふさがったのだ。
「なによこれ!」
両手を広げてなにもない空間を押してみると、ゴムのような抵抗を感じた。
あわてて見鬼を凝らして視る。
部屋全体が不可視の天幕におおわれているように、結界が施されているように感じられた。
「まさか、祓魔官が!?」
「え? やだ! 修祓に巻き込まれるだなんて、まっぴらよ!」
百鬼夜行を修祓せんと、祓魔官が結界を敷いた。一瞬そのように思ったが、どうもそういうわけでもないようだった。
そうこうしているうちに出てきた穴とは別の穴が開く。そこにむかって魔物の群れが、百鬼夜行が押し込まれる。京子たちもまた強風に煽られるがごとく穴にむかって吸い寄せられた。
「な――!?」
異界から出る穴と戻る穴。その間に一本の道があり、そこから一歩も出られない。
いつでも下船が可能だった船から急に橋げたをはずされて降りられなくなったような気分。このままどこに運ばれるか皆目見当もつかない。そのような危惧を感じた。
ふたたび異界、闇の中。あの世ともこの世ともつかぬ、暑くもなく寒くもない空間で百体近い動的霊災がひしめいていた。
まわりは夜のように暗いのに、なぜか姿はよく見える。
吸い込まれた時とちがい、気の流れはゆるやかになってはいたが、完全には止まっておらず、そよ風のように流れている。
気の流れのせいなのか、足を動かさなくても自然に身体が押し出される。まるでムービングウォーク。歩く歩道に乗っているようだった。
「ねぇ、なんかこいつら増えてない?」
「ああ、増えてるな。さっきの倍くらいいる」
「増殖でもしたのかしら?」
さきほどのパーティー会場での騒乱はどこへやら、ハロウィン霊災たちはすっかり落ち着いて、そぞろ歩きの雰囲気をかもし出していた。
隣同士でぺちゃくちゃとおしゃべりをし、けたたましく笑ったり、急に踊り出すものたちもいた。まるでこの摩訶不思議な空間をみなで漂い流れること自体を楽しんでいるかのようだった。
「なぁ、京子」
「なぁに」
「なんだか俺たちも楽しくなってこないか?」
「……うん、そうかも」
「楽しいよな」
「楽しいわね」
「こいつらの、ハロウィンの毒気にでもあてられたのかなぁ」
「そうかも。次はどこに出るのかしら」
「金持ちや権力者の家が良いな。ウィキペディアや他人の文章を丸写しにした報告書を国に提出したり、都議会で品のないヤジを飛ばすような恥知らずの議員の家とか」
「いいわね、それ。いたずらのしがいがあるわ」
二人の要望に応えたかのようなタイミングで前方に光の穴が現れ、気の流れが早くなる。またうつし世に出るのだ。
ふたたび風圧に似た圧力がかかり、魔物たちの間にふたたび期待と興奮が広がる。たちまち百鬼夜行は異界からうつし世へと押し出される。
他民党の東京都議会議員である浩木一郎は妻と三人の子どもをニュージーランドへのスキー旅行へ送り出したあと、青山学院の女子大生を家にひっぱりこんで、寝室でせわしなく身体を動かしていた。
『Trick or Treat!』
そこへ突如として魔物の一群が乱入してきたからたまらない。女子大生は金切り声をあげて卒倒し、魔物たちは室内を荒らしまくる。惑乱した浩木は大声を張り上げた。
「おい、妖怪ども。わかっているのか! 私はおまえらバケモノとは身分がちがうんだぞ。東京を、ひいては日本を支配するパワー・エリート様だぞ。こんなことをして無事にすむと思うなよ!」
そのようにわめいて警備会社に直通するセキュリティ・システムのスイッチを入れようとしたが、顔面に生卵をぶつけられてキングサイズのベッドの上から転げ落ちた。
醜い中年男性の身体にどこからか毛布がかぶせられる。
「パンツくらいおはきなさい、この好色おやじ」
マスカレードでつけるようなマスクで顔の上半分を隠した魔女が侮蔑の色もあらわに吐き捨てた。
「見覚えのある顔だぞ。まさか本当にセクハラヤジ議員のお宅に出るとはね、これはちょっと偶然とは思えないな」
魔女の肩にとまったカラスが浩木の顔をのぞきこんでそう言った。
少し前、東京都議会で質問していた女性議員に対して『早く結婚しろ』『産めないのか』などのヤジを飛ばした者がいて、海外のニュースでも取り上げられた。
当初は否定していたものの、騒ぎが大きくなってから発言を認め、しぶしぶ謝罪したのがこの浩木一郎という男だ。
セクハラ、ヤジという単語に浩木が反応する。
「わ、私は愛国者だ。国を愛しているからこそ少子高齢化を憂い、産めよ増やせよとあのようなことを言ったのだ。国を思っての発言のなにが悪い!」
「顔が悪い」
「頭が悪い」
魔女とカラスの声が重なる。
「ぐ、ぐぬぬ……」
乱入者たちの非礼さに浩木は恐れも忘れて憤然としたが、すっ裸に毛布だけという格好では怒ったところで迫力もありはしない。
「産めよ増やせよ。ですって? 女は鶏舎で卵を産ませる養鶏なんかじゃないのよ」
「……しかし愛国者ってのはよほどもうかる商売らしいな」
寝室に飾られている絵画や陶磁器の類がどれもそこそこ値の張る代物であることを見抜いた。もっとも今やそのほとんどは魔物たちの手によって見るも無残な姿に変えられていたのだが……。
「たしか議員サマは報酬にくわえて期末手当やら政務活動費やら込みで年収二千万以上にもなるそうだったな」
「そ、そうだが、そこから税金が引かれるし秘書の人件費やら活動費がかさむやらで手元にはほとんど残らないだぞ」
「ぬかせ。さらに費用弁償と称して出勤のたびに一万円も小遣いをもらっているだろうが、この金食い虫め。……これは高いお菓子が期待できそうだな」
「お菓子!?」
「そうだ。俺たちはハロウィンのお化けだからな、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ」
「も、もうじゅぶんしているじゃないかっ!」
「まだまだこんなもんじゃないぞ。おい、そこのでかいの」
「ふがっ?」
「そう、おまえだ。いいか――」
カラスは首にボルトの刺さったツギハギだらけの大男の肩にとまると、なにか小声で命じた。
「ふがっ」
大男は寝室から出て行くと、すぐに荷物を抱えて戻ってきた。
浩木の目が驚愕に飛び出る。大男の持ってきたのは鋼鉄製の耐火金庫で、二トンはある。人力で動かせるような物ではない。
大男は金庫を無造作に床に置くと、金庫の扉を思いきり引っ張り、ロック・キーを弾き飛ばして強引に開けてしまった。
この異様な集団が人ならざる者だとあらためて痛感した浩木は腰を抜かし、反抗の気力を失った。意気消沈する浩木の前で金庫の中身が床に積み上げられてゆく。
百万円の札束が五十もある。日本やアメリカの国債、株券、預金通帳、不動産の権利書、宝石類や貴金属などなど……。
「『ダークナイト』て映画を観たことはあるか?」
「な、なんだそれは? 知らん」
「ふん、議員サマともなると映画などという庶民の娯楽はたしなみません、というわけか」
「たしかヒース・レジャーがジョーカーの役を演じていた映画よね?」
「そうだ、俺はこの映画の中でも特に好きなシーンが二つある。ジョーカーが鉛筆を消すマジックを披露するところと、同じくジョーカーが札束の山を燃やす場面だ。ここにこんなに火種がある、ちょっとばかし豪勢なたき火でもしてみようか?」
「なにをする気だ、やめろ!」
「やめて欲しいならお菓子をよこすんだな。きょ…、マイ・ソルシエール。なにかご所望の甘味はあるか?」
ソルシエールとはフランス語で魔女を意味する言葉だ。魔女――京子はそれが自分を指す言葉だとすぐに理解した。
「ラスクとエクレア。あとミルクティー」
「さぁ、出せ」
「急に言われても無理だ」
「なら買って来い」
「わ、わかったから服を着させてくれ」
「いいぞ、だが早くしたほうが良い。さもないと現金、国債、株券、預金通帳の順序で焼いてくからな」
「不動産の権利書もあるわよ」
「じゃあ現金の次にそれをほうりこもう」
「ひ、ひ~っ!?」
パンツ一枚で必死になって走り、一番近いコンビニから希望の品を入手して部屋に帰った浩木が目にしたのは、開いた扉口を上にして置かれた金庫の中で灰と化した全財産だった
「ひ、ひどい。あんまりだ……」
浩木の顔は真っ白に変色し、舌を出して狗のようにあえいで気絶した。
東京湾。
竹芝埠頭から東京湾を周遊する大型レストラン船の船上でくすんだ金髪の中年女性――駐日アメリカ合衆国大使――によるハロウィンパーティーを兼ねたレセプションが開かれていた。
「――ですのでクジラはホエールウォッチングの対象として見るものであり、いまや食べるものではありません。戦後の食料不足の時代ならともかく飽食の日本でわざわざクジラやイルカを虐殺して食べなくてもいいのです。世界中が反対しているにもかかわらず捕鯨を続けることは日本の立場を悪くすることでしょう。国際社会から後ろ指を指されるような行為に無垢な子どもたちが知らないうちに加担するようなことがあってはなりません。日本政府は世界の人々の環境保護への願いを真摯に受け止めるべきです。クジラの生態調査は殺さなくてもできます。彼らのように知能の高い生物を殺すことは残酷なおこないだと、どうか日本の人々に気づいて欲しいのです」
食料自給率が四〇パーセントで、食糧不足の危機はつねにある国を飽食と言ったり、捕鯨に反対しているのは食料供給のために水産資源に依存する必要性が低い欧米諸国が中心であることを失念していたり、どうもこの駐日大使は日本と世界についてよく知らないようだった。
わー、パチパチパチパチ。
それでも中年女性によるスピーチが終わると周りから拍手が起きた。
一人の男がひときわ感激して話しかける。
「素晴らしい演説でした。日本人が捕鯨・食鯨という野蛮人の風習を捨てられないどころか、それが日本の食文化だなどと言って開き直る人がいるだなんて、同じ日本人として恥ずかしい!」
「あなたのように過ちに気づく人を増やすのが私の役割です。日本人の精神はいまだに鎖国していると言えるでしょう、こうしてハロウィンという欧米の文化に接する機会をもっともっと作って、欧米の、人類普遍の真理に目覚めるように啓蒙していきましょう」
「ははーっ、よろこんで!」
男が平伏せんばかりに頭を下げた時、激しい揺れが船を襲った。
「な、なにごとですか!?」
ふたたび衝撃が船体をつらぬく。一度や二度ではない、短い間隔で断続的に衝撃が走り、船体がきしみをあげる。
「津波? 地震? 原発事故!? まったくこれだから極西の島国は……」
船上に設置してあるサーチライトが一方を照射すると、巨大な魚影が見えた。
飛沫をあげて船体に体当たりを繰り返す大きなクジラの姿が確認された
「なんですかアレは!? なんで東京湾にクジラがいるの!?」
「迷いクジラでしょうか?」
SPの一人が律儀に応える。
「射殺なさい! このままでは船が破壊されてしまいます」
「え? で、ですがこの船には銛も機銃もありません。それにクジラを傷つけるのは野蛮な行為かと」
「野蛮というのはアメリカ人に対してアメリカ人以外が暴力をふるう行為を指すのです。そしてあなたも私もアメリカ人です。このような蛮行はけっしてゆるされません。この現状を見なさい、あのクジラそのものが大量破壊兵器のような脅威をもって私たちを脅かしています。殺してもかまいません」
「いや、ですから殺傷する装備はこの船にはないのです」
「それでもアメリカ男子ですか、情けない!」
「素手で立ち向かえと?」
「素手とは言いません。消防手斧があるでしょう」
「手斧でクジラに立ち向かえと?」
「そうです、エイハブ船長を見習いなさい。そもそも私たちアメリカ人はやつらを狩る側の人間であり、刈られる側ではないのです」
開拓時代に産業らしい産業のなかったアメリカは東岸近海に大量にいたセミクジラやマッコウクジラなどを獲って、油を売ることが重要な産業の一つだった。
石油が発見され、その精製技術が向上するまではロウソクを作るのに植物油も利用されていたが、クジラの油を使ったロウソクは炎が美しいうえに本体が真っ白に仕上がったので非常に人気があったそうだ。
獲りすぎて近海にクジラがいなくなると、もっと遠くに行き。それでもいなくなると、さらに遠くの海まで行って、とうとう鎖国していた日本にまでたどり着いたというわけだ。
アメリカが日本との国交を欲したのは日本近海の海域にマッコウクジラの大群が発見されたため、日本本土に捕鯨船のための母港が必要だったからだ。
他国に迷惑かけず鎖国していた平和な日本を武力で脅し、強引に開国させたというわけである。
それだけ当時のアメリカにとってはクジラの油は重要な外貨獲得手段であり、その外貨は近代産業勃興の起爆剤となった。
アメリカの捕鯨最盛期には七百隻もの捕鯨船があったそうだ。
それだけ乱獲すればクジラも減るわけである。
アメリカは綿花栽培での黒人奴隷の酷使と、クジラの大量殺戮によって貯め込んだ資本を元手に世界一の工業大国になったといえる。
クジラを殺すだけ殺したアメリカ人だが、その肉を口にすることはほとんどしなかった。
基本的に欧米人は自然のことを人間が征服すべき対象としか考えていないので、クジラの体重の一割しかない油を採ったあとに肉を捨てても、命を粗末にする。などという考え方はしなかったようだ。
縄文時代からクジラを獲り、肉も油も皮も骨も髭も、なにもかも無駄にすることなく使わせてもらい、慰霊碑まで建てる日本とはおおちがいだ。
閑話休題。
我々に暴虎馮河の勇をふるえというのか!
SPがそういう意味の言葉を心中で叫んだ時、現実世界でも別の叫び声がした。
『Trick~or~Treat~!』
海面が丘のように盛り上がると同時に、えらくまのびした声がとどろいた。
クジラだ。
クジラが甲板に乗りだし、その大きな口からお菓子をおくれと言っているのだ。
「Oh my goodness……!」
それだけではない、口の中から異形のものたちが次々と踊り出て、唖然呆然とする人たちをさらにおどろかせた。
「こ、これは霊災じゃないか!?」
「陰陽庁に連絡を!」
「祓魔官を呼べ!」
船上を逃げまどう紳士淑女たち。パーティー会場をめちゃくちゃにした先ほどの騒ぎがここでも繰り広げられた。ある男など鹿の足と山羊のひづめを持った毛深い獣人ウリシュクに追われ海へと落ち、落ちた先でさらに魚の尾に藻のたてがみをはやした半馬半魚ケルピーに小突き回される始末だ。
「派手に騒ぐのはいいが死人が出たら寝覚めが悪い。あまりハメをはずさず、海に落ちたやつは助けてやろう」
「そうよね。ちょっとそこのギルマン! ご婦人へのちょっかいはそのくらいになさい。そこで泣いてるミノタウロスとオーク、ステーキやミートローフを見て泣いちゃう気持ちはわかるけど、暴れちゃダメよ?」
クラスのまとめ役であり、鬼神を使役する陰陽師でもあるからか、京子はごく自然にこの異形の群れを仕切るようになっていた。
ひと通り見て周り、魔物たちの手綱を締めたあと、まだ無事な姿をとどめているテーブルに近づいて料理を物色する。
「ターキーのクランベリーソースがけがあるわ。前に食べたことあるけど、しみじみと不味かったわね」
「唐揚げにレモン汁じゃあるまい、肉に果物の甘いソースなんて普通に合わないよな」
秋芳と京子。二人とも酢豚にパイナップルは不要派であった。
「トマトをゆでて食べたり、ポテトサラダにリンゴを入れたり、欧米人の味覚はよくわからん」
「料理はともかく夜景は素敵よ。ナイトクルーズだなんてお洒落よねぇ」
「海か……、船も良いかもな。鄭和みたく長い船旅を満喫するのも悪くない」
「テイワって?」
「明の永楽帝に仕えた宦官で、遠くまでアフリカ航海して貿易ルートを築いた人物だ。一説によるとその艦隊の一部はアメリカやオーストラリアまでたどり着いたとか」
鄭和の前後七回、三十年間にわたる南海遠征は有名だ。東南アジアからインド洋、アラビア半島、アフリカ東海岸にまでいたった。アフリカの東海岸にある港などの遺跡を発掘すると、当時の中国のお金や陶磁器などの遺物が出てくるという。
鄭和の率いた船団は百隻近い大船に兵士や官吏、さらに通訳、医者、学者など合わせて二万数千人の大所帯で、海賊退治や王位継承争いなどの現地の政治にも介入したが、ヨーロッパ諸国のように遠征した先で略奪だの奴隷狩りだの植民地化だのをおこない、現地の富を搾取するような真似はいっさいしなかった。
もっともこれは鄭和や永楽帝が平和主義だからというわけではなく、海の向こうに植民地を作ろうという発想自体が中国にはなかっただけで、かわりに朝貢を迫ったわけだが。
「それってヴァスコ・ダ・ガマやコロンブスよりも前の話?」
「前の話」
「すごいわねぇ、中国史どころか世界史レベルの偉人じゃない」
「他にも中国には王玄策という国をまたにかけて活躍した人物が――」
「魔女め、滅びなさい!」
突如物陰から消防手斧による一撃が迫る。
「カァッ!」
秋芳カラスがそれを羽で防ぎ、手斧を叩き落とした。羽にわずかなラグが生じたが、凶刃が京子の身に害をおよぼすことはなかった。
手斧をふるった者はと見れば、仕立ての良いスーツを着た中年女性が恐怖と憎悪に歪んだ顔でにらみつけてくる。
「イエスの御名において悪魔よ去れ! 大天使聖ミカエルよ、戦いにおいて我らを守り、悪魔の凶悪なるはかりごとに勝利したまえ。天主の彼を治めたまわんことを伏して願いたてまつる。天軍の総帥、霊魂をそこなわんとて、この世を徘徊するサタンおよびその他の悪魔を天主の御力によりて地獄に閉じ込めたまえ。アーメン!」
「……あのう、それ宗旨がちがうんですけど」
京子があきれ顔でつぶやく。
「おや? この女の顔、見覚えがあるぞ……」
「あ! この人、父親が暗殺されたことで有名な駐日大使よ」
「ああ、あの夫が殺されたあとにマフィアのボスと再婚したことで有名な女性の娘か」
「そうよ、大使の新任式に平服のまま出た駐日大使よ」
「畏れ多くも天皇陛下を始め宮内庁のお歴々が礼装で迎えた式に、平服で現れた駐日大使か」
「日本を舐めてるわよね」
「土御門夜光はおらずとも、その意志を継ぐ陰陽師は数知れず。呪術大国日本を軽んじるとどうなるか、思い知らせてやろう」
「ヒッ!」
不穏な気配を漂わせて迫る魔女の姿に思わず後ずさる駐日大使。だがその時甲板上に黒い穴が開いて、京子たちをはじめ百鬼夜行を吸い込み始めた。
「あら、時間ね。これでかんべんしてあげるわ」
京子は油性ペンで駐日大使のひたいに手早く落書きする。
「じゃあね、駐日大使さん」
「地震と霊災が多い国に失望したらいつでも帰国してもいいんだぜ」
こうして霊災プラス一人の人間という嵐がすぎ去ったあと、ひたいに『米』と書かれた駐日大使はしばらくその場に立ちすくんでいた。
ふたたび異界。
暗灰色の世界を異形の群れとともにそぞろ歩く。
山も林も海も川も、建造物のない空間ではどのくらい歩いたのか、時間の感覚もおかしくなる。
「ここも景色にもっと変化があれば楽しめるんだけどなぁ」
「そうね。でもその代わり周りの連中が変化に富んでるじゃない」
「たしかに」
ハロウィンという特別な夜に生じた霊災だからか、鬼や天狗、鵺や野槌、牛鬼といった比較的目にしやすい和風の造形をした動的霊災ではなく、洋風の動的霊災が目立つ。
先頭で元気にはしゃいでいる小鬼たちはゴブリンだろうか、仲良く寄り添って歩いているランタンを持ったカボチャ頭と雪だるまはアイルランドやイングランドの伝承に伝わるジャックランタンとジャックフロストだろう。たまにランタンにぶつかって雪だるまが溶けている。鼻歌も美しい鳥乙女はセイレーンかも知れない。
映画に登場する怪物の姿をしたものもいた。あの赤い巨大な果実は有名なキラートマトだろう。
「……て、なじんでる場合じゃないわ。つい一緒になってはしゃいじゃったけど、あたしたち霊災に、百鬼夜行に取り込まれちゃったのよ!? どうするのよ!」
「ああ、そのことなんだが……。おそらくこの霊災は、そうこれは『ハロウィン』という名の霊災だ。ハロウィンという一つの巨大な霊災を中心にして無数の霊災が連鎖的に発生し、霊的存在が実体化して暴れ回る。まさに百鬼夜行なわけだが、こいつは明日の夜明けとともに自然消滅して、俺たちも解放されるんじゃないかと予想している」
「……あくまで万聖節の前夜限定の霊災ってわけ? その予想通りならいいんだけど」
「いざとなればうつし世に出た時に一気に修祓するか、強引に結界を破ればいい。今の君なら、如来眼の力を使えばどちらも可能だろう」
「たしかに、そんな感じがするわ。でもなるべくなら力ずくの解決は避けたいわね。作法があるのならその作法に則ったやりかたで修祓したいわ」
天神を祀り地祇を祠り、荒ぶる怨霊を慰撫し、鎮魂を司るのが日本の信仰・呪術の原点だ。京子はそのことを言っている。
「京子、君は星読み。一種の巫女だ。そしてハロウィンは祭祀。君がこの百鬼夜行に巻き込まれたのはたんなる偶然ではないような気がする。こいつらを導いて正しく祓うよう、天が求めている気がする」
「天の求めに応じたら、なにかご褒美でもあるのかしら?」
「寿命がのびる、来世で良いことがある」
「てきとう言ってない?」
「あとは、う~ん……。俺からなにかプレゼント」
「よし、のった!」
「現金だなぁ」
「現世利益は道教の特徴でしょ」
秋芳のもちいる呪禁の術は道教がもとになっている。
「じゃあ、こいつらが人界で暴走しないよう、さっきみたいに監督してくれ。あと霊脈を、気の流れを読んで行き先を決められたりできそうか?」
「やってみるわ」
京子は俄然やる気になって、異形たちの先頭に進み出た。
陰陽庁祓魔局情報課、第一オペレーション・ルーム。
巨大なディスプレイには東京二十三区を中心とした東京都の地図が映されていた。
その地図には今日これまでに発生した霊災がいくつかのデータとともに発生個所に表示されているのだが――。
「ど、どうなってるんだ、これは……」
祓魔局情報課課長、大春日敬は大勢の部下たちの前だというのに驚愕と狼狽と焦燥。それら三者の色が入りまじった表情を隠すことができなかった。
フェーズ3、フェーズ3、フェーズ3、フェーズ3、フェーズ3、フェーズ3……。
都内を描いたMAPは動的霊災の出現を示す真っ赤な色で塗りつぶされつつあった。
「これじゃあほとんどフェーズ4、百鬼夜行じゃないか。ありえない、こんな状況はありえない……」
そうつぶやいた瞬間にも霊災発生を告げるオペレーターたちのうわずった声が続く。
「霊災発生! 千葉県浦安市です」
「都外でだと!?」
「霊災発生! 横浜です」
「神奈川じゃないか、また都外でもか!?」
「同じく神奈川県の横須賀、綾瀬、大和にも霊災! 巡回霊視官からの報告です。どの隊を向かわせますか?」
「霊災発生! 東京湾です」
「なにぃ、海上でもだと!?」
「第十六小隊から報告! 修祓にあたっていた霊災の霊圧が上昇中。損害多し、応援を要請しています!」
「アメリカ大使館から修祓要請がきています」
「なんだと、大使館付きの祓魔官はどうした?」
「連絡がとれません」
息つぐ間もなくオペレーターたちが報告を上げてくる。
現在のところ霊災を自動的に探知する、レーダーのようなシステムは開発されていない。霊気は見鬼でなければ感知することができないからだ。そのため特に見鬼の才に秀でた陰陽師は霊視官と呼ばれる役職に就き、都内やその近郊で霊気を監視し、その情報をもとに現地にかけつけた係員が実際の状況を情報課に報告するという流れになっている。
メイン・ディスプレイに表示されているのは、それらの各段階の情報をまとめたものだ。
一般には知名度の低い霊視官だが、祓魔局にとっては欠かすことのできない人員といえた。
「ぐぬぬ……」
「そうテンパりなさんな、大春日」
あわただしい中、低めのバリトン・ボイスが響く。声の主はと大春日が振り返ると、そこには彫の深い顔立ちと口髭が舞台役者を彷彿とさせる中年男性が立っていた。
「宮地室長……」
宮地磐夫。祓魔局修祓司令室室長にして独立祓魔官。国家一級陰陽師。当代最強の陰陽師と謳われる、十二神将の一人だ。
「俺たちは俺たちの仕事をする。ただそれだけだ、どんな時でも変わらずにな」
「しかし、この状況は異常です。祓魔官の数が追いつけません」
「そのことだが、今夜の霊災は数が多いだけでなく、ちょいと妙な動きをしているみたいなんだ」
「と、言いますと?」
「現場にむかった祓魔官や霊視官からの報告によると、やつら街中で暴れるだけ暴れたらドロンしちまうそうだ。こんなことは今までちょっと例がない」
「たしかに、妙ですね」
「その暴れかたもなんというか特殊でな、子どもの悪戯。というにはちょいと性質が悪いが、死者がでるような類のものじゃない。今のところは」
「どういうことでしょう?」
「さてな、あいつらもハロウィンを祝いたいんじゃないか」
「ご冗談を……」
「実際やってることはハロウィンで悪ノリしてる若者レベルなんだよな。まぁ、それはおいといて、注目すべきは祓魔官が現場に到着したら消えちまう点だ。おそらく霊脈に潜み込んでいるんだろう」
「それでは、まるで禹歩ですね」
「そして次の場所に移動する」
「……はっ! ということは、同じ個体が複数の場所に出現していると?」
「そういうことになるかな、図面上は真っ赤だが出現している動的霊災の数はここまで多くはない。……はずだ」
それでも百鬼夜行と呼ぶにふさわしい数の霊災が都内を中心にあふれているのだが、あえて口にはしない宮地だった。
「霊脈を使っての移動はやっかいだが、それを逆に利用する手もある。流れを制御して一か所に集め、一気に修祓するプランを検討中だ。現場の祓魔官たちに一時待機を伝えてくれ」
「はい、ただちに!」
落ち着きを取り戻した大春日が指示を出し始めるのを確認した宮路はそっと部屋のすみにさがり、軽く腕組みして壁によりかかる。
今回の作戦。公式には霊災修祓となってはいるが、実際には数多の動的霊災の討伐、つまりは調伏だ。それも陰陽の均衡を重んじる修祓ではなく魔を降す一方的な調伏になるだろう。
可動護摩壇の投入にくわえ、かってない規模の調伏作戦になるはずだ。
十二神将たる自分も現場に出ることになるだろう。
「やれやれ、ひさしぶりに本気を出すことになりそうだな……」
宮地の顔にわずかに浮かんだ苦笑は、髭に隠されて見えなかった。
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