ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人
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ロクでなし魔術講師、買収される
とりあえずエール。
大地のもたらす芳醇な麦の雫で喉を潤す。
そして料理が運ばれてくる前に秋芳は軽く自己紹介を済ます。
「――グレン=レーダスさん、ですね。俺の生まれはここから遥かに遠い辺境にあると、さっきは言いましたが」
「あ?」
「あれは言葉の綾でして」
「んー?」
「単刀直入にお聞きします。もし俺が異世界から来た人間だと言ったら信じてくれますか?」
「エール一杯でもう酔っぱらっちまったのか」
「信じられないのも無理はありませんが本当です。センス・ライを使ってもかまいませんよ」
「そんなマイナーな呪文、よく知ってるな」
「多少は勉強しました」
センス・ライ。
噓か否かを判別する呪文。対象が嘘偽りを口にすると、術者は嘘だと知ることができる。
「だがセンス・ライで知ることができるのは『相手が嘘をついているかどうか』だけだ。偽りの情報を心底信じこんでいる場合は意味がない」
だがだまされて信じている偽りを述べても嘘だと判定されない。これは真偽を判断する術ではないのだ。当人が真実だと思いこんでいれば、それは嘘をついているとはみなされない。また対象は発言するたびに抵抗可能だが、成否に関わらず抵抗したことは術者に知られてしまう。
「それと、狂人の妄想も、な……」
「俺の頭がおかしいと思っているなら、サニティをかけてくれてもかまわない」
「あれは一時的な混乱や恐慌状態を回復させるもので、精神に深く根づいた妄想や狂気を取り除くことはできない」
「それは知らなかった、勉強になります」
「…………」
なにか誘導尋問にかかっているような気がしてきた。グレンは改めて相手をよく見る。
なにかよからぬことをたくらんでいるようには見えない。
悪意や狂気とも無縁に思えた。
しかし――。
(こういうやつを、俺は知っている)
かつてグレンが所属していた帝国宮廷魔導師団特務分室。
そこには任務のためなら心のうちを表に出さず、眉ひとつ動かずに汚れ仕事に手を染める者たちがいた。
それはグレン自身もおなじこと。そしてグレンが処理してきた標的のなかには人を騙し、傷つけ、殺めることになんの抵抗も感じないほど壊れた者もいた。
殺気とは、殺すという強烈な意思があってはじめて生じる気配だ。
卵の殻を割るのとおなじくらいの感覚で人を殺すほど壊れた人間からは殺気は放たれない。
自身のおこないを正義や善だと信じて疑わない人間からは悪意も害意も感じられない。
「センス・イービルやセンス・エネミー。あるいはマインド・リーディングで心を読んでもかまわない。とにかく嘘はついてない、信じてくれ」
前菜がはこばれてきた。オーブンで焼いたカマンベールチーズからは湯気が上がり、かぐわしい匂いが胃袋を刺激する。
グレンはつけあわせの野菜スティックでチーズをからめとり口にした。
「まぁ、とにかく飯だ、飯。こまかい話は食ってからな」
豚肉の腸詰め、牛のキドニーパイ、鴨肉のロースト、鮭の香草焼き、兎とキャベツのスープ。ライ麦パン 、野菜の盛り合わせ、揚げ芋――。
テーブルの上に広がる料理を葡萄酒で流し込むように食べる。グレンは痩せの大食いというやつで、ほとんどひとりでたいらげていく。
「――というわけでナーブレス家のお世話になっているのですが、故郷に帰るため、そして後学のためにもぜひ魔術を習いたいのです。ですが学院に入るのも大変でして――」
「ふんもっぐ、うまうま。はん、そう。くびっぐびっ、ぷはぁー。もぐもぐ、んまんま」
「――お金と信頼は一朝一夕には得られません。日々の務めを果たしつつ独学でルーン言語をおぼえたのですが、その次の段階に進むのがむずかしくて――」
「ガプがぷガプがぷガッ、むしゃむしゃモグモググァツもりもり、グビグビ、ぷはぁーっ!」
繰り返すがグレンは痩せの大食いである。よく食べること食べること……。
秋芳のほうは料理にはほとんど手をつけず、ドライフルーツとラルゴ羊のチーズをつまみに蜂蜜酒で喉を湿らせつつ、自身の境遇の説明を続ける。
メインディッシュを胃袋に収め、食後のデザートをたのんで一息入れたところでようやくグレンは咀嚼音以外の言葉を口にした。
「……いや~、アキヨシさんだっけ。あんたが嘘をついているようには思えないし、頭がイカれているようにも見えないけどさぁ。けど正直、異世界云々て話は信じられないんだよなぁ」
「では呪術を、むこうの世界の力を見せましょう」
全身の気を巡らし、もうひとりの自分をイメージする。すると秋芳の身体から魂魄が抜け出し、かりそめの肉体を生成した。
出神の法だ。
半透明の秋芳の魂魄体がテーブルの上のボトルを手に取りグレンのグラスに酒を注ぐ。
「レイス・フォーム……! それも無詠唱で……、しかも物をつかめる、だと!?」
「「ああ、やはり似たような魔術が存在しましたか」」
周りに気づかれて騒ぎになる前に魂魄を引っ込める。
「どうもこの世界に存在する魔術と似たような効果を発揮する呪術は多少なりとも再現できるようなのですが、それでもできるものとできないものがあり、実にもどかしい限りです」
「……いまみたいなの、人前で使わないほうがいいぜ。魔術どころか〝異能〟だと認識されて追われることになる」
異能。
ごくまれに人が先天的に持って生まれる特殊な超能力。それを指す言葉。
魔術に依らない特殊な能力で、それを持つ者を異能者と呼ぶ。
基本的に学べばだれでもあつかえるようになる魔術とは異なり、異能は生まれついての異能者でなければ行使することはできない。
魔術と異能。そのどちらにも縁のない一般人から見ればどちらもおなじ『不思議な力』だが、アルザーノ帝国では悪魔の力だと忌み嫌われている。
魔術は畏怖の対象であり、異能は嫌悪の対象なのだ。前者は強固な社会的地位を確立する後ろ盾となりえるが、後者は差別と迫害の対象なのだ。
辺境の精霊信仰や土着信仰において、異能者は信仰や崇拝の対象になることもあるが、ここアルザーノの文化圏において、それは禁忌の力以外のなんでもない。
「ご忠告感謝します。しかしよそ者の俺がこの国の風潮に物申すのもなんですが、異能も魔術も似たようなものなのにおかしな話ですね」
「あんたは、そういうふうに考えるのか」
「どちらも便利な力なのに、いっぽうを尊び、いっぽうを蔑むなんてアホらしいですね」
「その考えは、この国では異端だな」
異能のなかには現代の魔術では再現できない様々な効果を持つものが多い。
そのため自身ではけっして持ちえない卓越した力に対する羨望や嫉妬のため、異能嫌いの魔術師は少なくない。
「よそ者の放言ですが……、学究の徒たる魔術師とは思えない反応ですね。未知なるものや脅威に対しては拒絶や排除ではなく、分析と理解によってみずからの力として取り込む。それこそが知恵というもの。賢者たる魔術師の取るべき行動でしょうに」
「あ~、おまえさんがオンミョウジとかいう、むこうの魔術師(俺ら)だって、なんとなく納得だわ」
秋芳の感想はグレンの知る魔術師のなかでも学者肌の連中の好みそうな考え、発言だった。
「だが魔術が便利って考えにゃ、諸手を挙げて賛成はできないな」
「なぜです」
「便利ってのは人の役に立ってはじめて便利っていうもんだろ、魔術は役に立たないから便利とは言えない。なぁ、たとえば医術は病から人を救うよな? 冶金技術は人に鉄をもたらした。農耕技術がなけりゃ人は飢えて死んでいただろうし、建築技術のおかげで人は快適に暮らせる。この世界で術と名づけられたものは大抵人の役に立つが、魔術だけは人の役に立たない」
魔術を使うことができ、魔術の恩恵を受けられるのは魔術師だけだ。魔術師でない者は魔術を使えないし、魔術の恩恵は受けられない。だから魔術は人の、人々の役に立てないと、グレンはそう言っている。
「いや、単純に考えて白魔術とか錬金術とか、むっちゃ医療に貢献しそうなんですが」
「ああ、貢献してるぜ。あくまで帝国軍内、魔術師たちの間だけでな。魔術の恩恵が一般人に還元することはない」
魔導大国であるアルザーノ帝国では魔術=軍事技術。国家機密であり、その研究成果が一般国民に還元されることを頑として妨げている。そのため今でも魔術は多くの人々にとっては不気味で恐ろしい悪魔の力であり、普通に生きていくぶんには見ることも触れることもない代物だ。
(なるほど、この世界ではまだ一部の人間による技術や知識の独占がおこなわれているわけか)
古代から中世まで、民衆は支配者層によって意図的に文盲状態のままにされ、いいように支配されてきた。
貴族や聖職者などの特権階級層が権力と支配を存続させるために、自分たちだけが高い教育を受け、最新の技術や知識を独占してきた。
自分たちだけが優秀であるために。
(だが長い目で見れば技術も知識もより多くの人々に開放し、みんなで共有して高めていったほうが国家の益になる。さらに大局的な視野で見れば人類全体の利益になる。独占して野中の一本杉として栄えるより、大きな森となって発展したほうが良い)
「あ~、そういやあったわ。魔術が軍人や一般人問わずに貢献している、魔術がすっげえ役に立っている分野が」
「それはどんな分野です?」
「人殺しさ」
軽薄な笑みが酷薄な冷笑に変わった。
「魔術ほど人殺しに優れた術は他にないんだぜ、異世界人さん。剣術がひとり殺している間に魔術は何十人も殺せる。戦術で統制された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くす。どうだい、役に立っていると思わないか? このアルザーノ帝国は魔導大国なんて呼ばれていて、帝国宮廷魔導士団なんていう物騒な連中に毎年、莫大な国家予算がつぎ込まれている。これがどういう意味かわかるよな? 少し前に起きた戦争じゃ多くの若者が――いや、年寄りも女も子どもも魔術の犠牲になった。平和な今の時代でさえ魔術を使ったおぞましい凶悪犯罪が後を絶たない。今も昔も魔術と人殺しは切っても切れない腐れ縁だ。魔術ってのは人を殺すことで進化・発展してきたロクでもない技術だからな!」
(うわぁ、なにこの人。自衛隊と陰陽師は人殺し集団とか言っちゃう系?)
グレンのあまりの極論にドン引きする秋芳。
先の戦争の遺産である陰陽術に対する世間の風当たりは強く、呪術関係者はよく糾弾される。
特に偏った思想の人々からは目の敵にされ、なにかにつけて難癖をつけられ、批難をあびせられ、心底辟易しているのだ。
だが内心の動揺をさとられまいと、つとめて冷静に返す。
「ものごとには必ず陰と陽、ふたつの側面があります。あなたが先ほど言った数々の技術にも、良い部分と悪い部分があります。医術は薬とともに毒も生み出し、冶金技術の発達で生み出された鉄は青銅器や石器以上に人を殺傷しました。農耕技術の進歩には自然破壊の一面があり、建築術により築かれた城塞は戦争を長引かせ、より多くの兵士たちの命を奪ったことでしょう。優れた鍛冶屋はヒゲソリを打たず刀剣を打ち、秀でた大工は長屋を建てず砦を築きます。悲しいかな技術の最先端とは得てして戦いのなかにあるもの。だからといって戦争が必要悪だとか、戦争のおかげで人類は進歩できるなどとは言いません。俺の祖国はもう三四半世紀近く戦争をしていませんが、呪術もそれ以外の技術も絶えず進歩しています」
いささか嘘がまじる。呪術に関しては原則として霊災修祓か、呪術がらみの犯罪に対してのみ使用が認められるという陰陽法の縛りにより、他分野への転用ができず思うように研究を進められないというのが現状だ。
だが〝嘘〟こそ呪術の真髄であり、秋芳は呪術師だ。さらに舌を動かす。
「かつては戦争の道具として使われていた呪術が、平和利用されているのです。この国の魔術も使い方次第でいくらでも人々の役に立つことになるのでは」
「ふん、力は使う人次第だの、剣が人を殺すんじゃない、人が人を殺すんだとかいうありきたりな理屈か?」
「機械あれば必ず機事あり、機事あれば必ず機心あり」
「……なんの呪文だ、そりゃ」
中国の古典『荘子』に出てくる言葉。
あるとき孔子とその一行が井戸で水を汲んでいる老人に会った。
老人は井戸から水を汲むのに縄につけた桶を井戸に下ろして引っぱっていたので、孔子の弟子のひとりが滑車という物があるのを知らないのかと訊くと、こう答えた。
「もちろん知っている。力をほとんど使わずに重い水を上げることができる機械だろう」
「それをご存じなのになぜお使いにならないのですか?」
「滑車を直す術を知らないからだ。機械は便利な道具だが、壊れてしまってはどうすることもできない」
対処できない事態、機事が起こり。機械に頼る心、機心がいちど宿ってしまうと、もう機械のなかった時代にはもどることができない。
こうして人は機械無しでは生きられなくなり、人間本来の営みさえ忘れてしまう――。
「ずいぶんと含蓄のある話だが、それがどうした」
「あなたの言うとおりに『魔術』がロクでもない技術だったとします。しかし現実にそれが世に浸透している以上、いくら忌み嫌っていても詮の無いこと。となれば考えることはふたつ。ひとつは魔術と魔術師をこの世から抹消すること。もうひとつは魔術が人に害をあたえないようにすること。前者と後者、どちらがより現実的かはわかりますよね」
「…………」
軽い既視感。グレンの脳裏に教え子である金髪の少女の言葉がよぎる。
『――それがすでに在る以上、それが無いことを願うのは現実的ではありません。なら、私達は考えないといけないんです。どうしたら魔術が人に害を与えないようにするか――』
(盲目のままに魔術を忌避するより、知性をもって正しく魔術を制する――全ての魔術師がそうなるように働きかける――か――)
「まず国家が独占し、それを戦争にしか利用しないというのがおかしい。魔術という技術ではなく、それをあつかう制度に問題があるのです。すべての人が平等に知恵と力を得ることができれば、魔術を知ることができれば差別も偏見も一方的な殺戮も減少するのでは?」
「……あんたも魔導省の官僚にでもなるつもりかい?」
「は?」
「いや、なんでもない」
ちょうどデザートがはこばれてきたので会話は一時中断。スコーンにクロテッドクリームとジャムが添えられている甘味は、例によってほとんどがグレンの胃袋におさまることになる。
「いささか話がそれましたが、学院に入る前に少しでも実践的な魔術に触れたいという欲求に駆られまして、どうかひとつご指導のほどよろしくお願いいたします」
「あー、いやでも魔術ってのは基本的に国家機密でね。個人的に教えるのは色々とヤバいんだよなー」
「もちろん、ただでとは言いません」
「ふっ、俺も安く見られたものだな。金でなびくようなグレンさんじゃないぜ」
秋芳はふところから皮袋を取り出すと、紐を解いて逆さにする。鈍色の輝きを放つ無数の塊がテーブルの上に広がった。
銀貨だ。
「おおっ……」
めったにお目にすることのできない光景にグレンの目が見開いた。
庶民が普通に生活するぶんにはセルト銅貨だけでじゅうぶんこと足りる。
銀貨は少し贅沢な買い物をするときくらいにしか使わない。
庶民にとっては大金、金持ちにとっては小銭。銀貨とはそのようなものだ。
現代日本人の感覚的には万札の束を見たに等しい。
「一〇〇枚あります」
「ひゃ、ひゃくまいも……」
「どうです、これで俺に魔術を教えてくれませんか」
「ぐぬぬ……」
グレンの顔が懊悩で歪む。
黙っていればわかりっこない。
殺傷能力の低い汎用の初等呪文をいくつか教えるくらいなら安全で簡単だ。
これだけあればしばらくは豪奢な暮らしを満喫できることだろう。
しかし――。
だがしかし――。
「い、いやいやいや! そいつを受け取ることはできないな。俺は自分のポリシーを曲げることは絶対にしない主義なんだ」
「それなら銀貨を……」
「一枚ずつ増やして気を引くつもりか? ふふん、無駄だぜ。どんな大金を積もうが、俺は金なんかじゃ動かされない。動かされない! 動かされない! 絶対に!!」
「減らそう」
「え!?」
指先で銀貨をつまむと皮袋にもどす。
「もう一枚」
「えっ? えっ!? えええっ!?!?」
「さらにもう一枚。さあどうしました、時間が経つほど報酬は減っていきますよ」
「なにそれこわい。意味わかんない!」
もう一枚、もう一枚、もう一枚――。
「あ……」
「もう一枚」
「ああっ!」
「もう一枚、もう一枚!」
「あああっ!」
「めんどうだ、もう一〇枚ずつ減らしていく!」
「わーっ!! わかった、魔術を教えてやるよッ!! ……ハッ!?」
みるみるうちに銀貨がなくなっていく。
早く了承しないと取り分がなくなってしまう。
パニックに陥ったグレンは、まんまと秋芳の策略にハマって、了承してしまったのであった。
報酬が増えていくならかたくなに拒んでいたことだろう。だが逆に減っていくという予期せぬ展開に混乱と焦りが生じ、理性による正常な判断ができなくなり、ついついお金が欲しいという本心に流されてしまった。
妖言惑衆。
これもまた呪、相手の心の機微と隙を巧みに突いた乙種呪術である。
真の陰陽師は甲種呪術などもちいずとも人の心を操ることができるのだ。
「今後ともよろしくお願いしますよ、グレン=レーダス先生」
「あ……、ああ……。お、おう。こちらこそ、よろしくな。カモ・アキヨシ」
こうして秋芳アルザーノ帝国魔術学院に入る前に、グレンからの個人的な魔術指導を受けることになった。
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