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ルヴァフォース・エトランゼ 魔術の国の異邦人

作者:織部
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ロクでなしども、出会う

 
前書き
 原作小説『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』10巻。
 本日発売!
 大切なことなので二度投稿しました。 

 
 清水義範という人の作品に、二一世紀初頭の東京で暮らす若者が時間をさかのぼって一九八〇年に迷い込むSF小説がある。
 テレビを消したりチャンネルを変えるには立ち上がってそこまでいかねばならない。缶ビールの蓋を開けると、蓋のつまみが取れて指にぶら下がる。ガラケーはおろかスマートフォンもない。インターネットで情報を得ることもできない。
 主人公は大いにとまどった。
 わずか半世紀にも満たない短い間だけでも、ここまで大きな違いがある。
まして蒸気機関やガス灯が普及しはじめたばかりという、元の世界よりも文化や文明の低い異世界に飛ばされてはどうだ。
 秋芳の飛ばされたのはそんな世界だ。
 電気もインターネットもコンビニもカップラーメンも水洗トイレもない(魔術関連や富裕層など一部の人たちの住まいにはある)。スマートフォンはただの金属の板切れと化す、そのような世界なのだ。
なじんだ世界との違いを克服するには、とにかくその世界で生活することだ。
 そして生活するというのは、働くことである。
 秋芳は働いた。
 薪割りや買い出しといった屋敷での雑用から、街中での路上清掃や下水処理。
 ウェンディからの個人的な依頼で、錬金術で使う素材を集めたりもしたし、貴族らの遊興のお相手や、狩猟の勢子も務めた。





「――一〇日で一〇万本の矢を用意できるかと言われた諸葛亮。しかし彼はなんと一〇日どころか三日で用意すると宣言したのです。軍中で戯言はご法度、前言を翻すことはできません。もし三日で一〇万本の矢を用意できなければ処断されることになりました。しかし諸葛亮、それから二日の間はなにもせず、期限の前夜に二〇艘の小船に藁の人形をならべて深い霧の立ち込める中を敵の陣へと向かいました」
「藁のゴーレムかしら? でもストローゴーレムなんて聞いたことありませんわ」
「もう夜も更けてきましたので今宵はこれまで。続きはまた明日の番に……」
「ちょっと、そういう焦らしはいらなくてよ!」

「侮辱を浴びせられたアンドレは思わず手にしていたショコラを投げつけ、一喝しました。『そのショコラが熱くなかったのをさいわいに思え!』と」
「アンドレ、なんて情熱的! でもなんでショコラは熱くなかったのかしら?」
「それは……、オスカル様はぬるめのショコラを好んでいたからです」
「あら、わたくしもぬるいショコラが飲みたくなりましたわ。ミーア、用意してちょうだい」
「はい、お嬢様」

 一番受けが良かったのがこのような語り聞かせだ。芝居や小説はあっても映画やテレビ、ラジオもない世界で物語ものは貴重な娯楽なのだ。
 さらにフェジテの南西にある港町シーホークまで足を延ばし、港湾労働者たちにまざっての荷運び作業など、秋芳はよく働いた。
 労働もまた知識を得るための手段だ。
 知識を得る、すなわち魔術を習得する修行のひとつだ。
 この世界についてのことを少しでも多く知るよう、秋芳は様々な仕事に手を出した。
 秋芳は、働いて、働いて、働きまくった。
そして学んだ。
 一般常識や基礎教養、神話や伝説、歴史や地理、芸術や文化――。
 この世界のことはなにも知らない。生まれたばかりの赤子にひとしいほど無知なのだから、必死になって学んだ。
 陰陽師にとって知識の有無、多寡は命の次に大事なことなので、それはもう寝る間も惜しんで学んだ。
 そう、文字通り寝ている間にも学習した。
 出神の法をもちいたのだ。
 出神の法。いわゆる幽体離脱だ。
人の魂は魂と魄、ふたつの霊体からなり、魂は精神を支える気にして陽に属す陽神。魄は肉体を支える気にして陰に属す陰神。このふたつを合せて魂魄と呼び、これこそが魂である。
 陽神のみの幽体離脱では意識はあっても肉体がないため物をつかんだり人に触れたりはできず、陰神のみでは疑似的な肉体こそあるものの本人の意識がなく、ただの肉人形に等しい。
 陰と陽。魂と魄を合わせて体外に出すことではじめて半体半霊の分身を作り出すことができる。
 他の陰陽術同様に使用不可能にならなかったのは僥倖だった。見鬼とおなじく自身の気を直接もちいるような術はある程度は再現可能。融通が利くらしい。
 あるいは式神作成がコール・ファミリアになったように、このような魔術がこの世界にも存在しているからだろうか――。
 もっともこれも不完全な発現であった。
 まず脆い。
 わずかな衝撃で霧散してしまうし、駆けたり殴ったりといった激しい運動もできない。
 少しでも大きい、重いものを持ち上げようとするとすり抜けてしまう。
 具現化できる気の総量が薄いのだ。
 また本人の身体からあまり離れることもできない、せいぜい目の届く範囲にしか飛ばせない。
元いた世界であれば簡易式の強化版として戦闘やおとりにつかえたが、これでは心もとない。
 それでも本を読む程度のことはできる。だから秋芳は肉体が睡眠をとっている間にも書物を漁り、知識を得た。
 寝ている間にも勉強ができる。まことに便利な術だが、欠点と言えばきちんと寝た気がしないことだろうか。とうぜん夢を観ることもない。
 酒や女とおなじくらい惰眠を貪ることを好む秋芳にとってはあまり好ましくない術ではあるが、いまは知識欲のほうが勝っていた。





 ナーブレス邸厨房。

「いま帰りました、料理長」
「おお、おかえり。シーホークはどうだった?」
「潮風が気持ち良かったですよ」
「そうだろう、そうだろう」
「はじめてフェジテの外に出ましたが、このあたりの街道は立派ですね。きちんと舗装されていて馬車がほとんど揺れなかった」
「とうぜんさ、なにせアルザーノ帝国魔術学院のある都市だからね。みすぼらしい道なんて恥ずかしくて造れないよ。すべての道はフェジテに通ず、さ」
「異世界ファンタジーだから、ちょっと道を歩いているだけで熊やサーベルキャットに襲われて骨折熱や知減病になったり、街中でもドラゴンや吸血鬼が平気で襲撃してくるかもと思ってヒヤヒヤしていました」
「アキヨシ、きみはたまに変なことを言うね」
「むこうでいくつか酒を買ってきたので、よかったらみなさんでどうぞ」
「おお、気が利くじゃないか。ナーブレス邸で働いていると良いワインが安く飲めるんだが、葡萄酒ばかりってのも飽きるからね。きみもいっしょに飲みなよ」

 屋敷や庭の規模にくらべると、使用人の数は少ない。これは魔法で呼び出したお手伝い妖精ブラウニーがほとんどの仕事をこなしているからだ。
極端な話、ブラウニーを使役できる魔法使い(この場合ウェンディ)がひとりいれば家事全般は彼らに一任してもいい。
 ただ公爵家であるナーブレス家には世間体や見栄というものがあるし、生身の人間にしか頼めないデリケートな仕事というのもある。
 そのためにある程度の人数の使用人を雇う。
 秋芳はそう多くない人数の使用人たちとはすっかり打ち解けていた。

「っかーッ! さすがオーガ殺し。効くぜぇ」
「無理せずにゴブリン殺しあたりにしとけよ」
「おいおい、あんなの酒のうちに入らないぜ」
 
 同僚の使用人たちが秋芳の手土産を飲んでは酒精の混ざった息を吐く。
 この国ではアルコール度数の高さを○○殺しと表現するのが流行っているらしい。
 アルコール度数ひとけたのものはコボルト殺し。
 一〇度以上はゴブリン殺し。
 ニ〇度以上はオーク殺し。
 三〇度以上はケンタウロス殺し。
 四〇度以上はオーガ殺し。
 五〇度以上はトロール殺し。
 六〇度以上はワイバーン殺し。
 七〇度以上はジャイアント殺し。
 八〇度以上はドラゴン殺しといったぐあいで、九〇度以上のものはドワーフ殺しという。
 この世界のドワーフも酒には滅法強いらしい。

「あまり強い酒を生のまま飲むと胃に穴が開きますよ。ライムやミント、トニックウォーターもあることだし、なんぞカクテルでも作りますか」
「カクテルってなんだい?」
「カクテルですよ、カクテル」

 ? ? ? ? ?

 みんなの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。

「いや、カクテルというのは、えーと――ベースとなる酒に他の酒やジュース。果物とかを混ぜて作るアルコール飲料のことで」

 あたりまえのことを改めて説明するのはむずかしい。思わずウィキペディアのコピペみたいな説明になってしまった。

「せっかくの酒に混ぜ物をするなんてもったいない!」
「酒を薄めるなんて邪道だぜ」
「果物やジュースを入れるなんて女子供の飲み物じゃないか」

 どうもカクテル文化には馴染みがないようだ。
 それなら直にお見せしようとジンにライムの搾り汁、シロッテの樹液を入れてギムレットもどきを作ってみせる。
 秋芳が作るカクテルをゲテモノ料理を見るような目つきでながめる料理人達。
 氷がないので入れられず、ミキシング・グラスやシェイカーもなしで作るのははじめてだが、できたものをスプーンでひとくちすすって味見すると、悪くはない。

「うん、美味い。メジャー・カップがないんで目分量たが、上手くできた。だまされたと思って飲んでみてくれ」

 恐る恐る口にする料理人達。

「こ、これは!?」
「どうだ、悪くないだろう?」
「う」
「う?」
「うー、まー、いー、ぞぉぉぉぉっっっッッッ!」
「いや、そんなミスター味っ子みたいなリアクションするほどじゃ……」
「あんた、すげえな! こんな革命的な飲み方知らなかったぜ」
「そんな大げさな……ハッ! これはあれか? 異世界ものによくあるアレなのか? 肉を両面焼きしたり金貨を一〇枚まとめて数えたり、椅子と机に座って食事しただけで天才呼ばわりされる、アレなイベントか!? なんてこった、俺はカクテルでそれをやっちまったのか……」

 嬉しいやら恥ずかしいやら、赤面して変な汗が浮いてくる。

(いやまあ、考えすぎか。酒になにかをくわえる飲み方なんて紀元前からあるんだし、たまたまここの人たちに酒を混ぜて飲む習慣がなくて『カクテル』という言葉を知らなかっただけにすぎない)

 カクテルの歴史は古く、紀元前のエジプトではビールに蜂蜜や生姜を入れて飲んだり、ローマではワインに海水を入れて飲んでいた。唐の時代の中国でもワインに馬乳を加えた乳酸飲料が飲まれていたと伝えられている。
 江戸時代の日本にも柳蔭(やなぎかげ)という、焼酎と味醂のカクテルが存在する。
 人は古くから酒になにかを入れて味わっていたのだ。

「なに突っ伏してるんだアキヨシ。なぁ、他にもなにか作ってくれよ」
「ああ……、それじゃあ次はモヒートでも作るか」
「美味い! もう一杯!」
 
 あるもので作れるだけのカクテルを作っているうちに興が乗り、もはやカクテルなのかチャンポンなのかわからない代物をみんなでがぶ飲みして夜が更けていった。





 魔術学院を擁するフェジテは他の都市にくらべて文化的な気風がある。
 それでも荒っぽい連中はいるし、いかがわしい店が軒を連ねる場所もある。
 どんな街にも表の顔と裏の顔。光と影があり、いま秋芳が歩いている下町の裏通りはフェジテの暗部。そんな場所だ。

「さあさあ、お立ちあい。御用とお急ぎでなかったら見ていっておくれ。手前ここに取り出だしましたるはトロールの脂肪。これを塗ればどんな傷もあっという間に治ってしまうという――」
「綺麗な安物と光り輝く宝石があるよ」
「ちょいと兄さん、いい子がそろってますよ。一休みしてかないかい?」

 あやしげな口上の物売りやら、昼間から客を引くポン引きが声をかけてくる。
 油断をすれば懐の物をすられてしまいそうだ。

「さあさあ、はったはった!! はって悪いは親父の頭、はらなきゃ進まぬ帆掛け船」

 広場のそこかしこでカードやダイスを使った遊技がおこなわれており、積んである貨幣が賭け事であることを示していた。

「賭場か」

 普段の秋芳なら軽く無視して通りすぎるところだろう。彼はギャンブルが嫌いだった。
 まずシステムがいただけない。ギャンブルというものは必ず胴元がもうかる、客が損をする仕組みになっている。一度や二度のまぐれ当たりでアブク銭を手にすることはあっても、長い目で見れば必ず損をする。
 そんな遊びに手を出す輩は阿呆だ。
 公営ギャンブルなどもってのほかだ。競馬もパチンコも江戸時代にヤクザが仕切っていた賭場よりも高い寺銭を取っている。
 ただでさえ高い税金を徴収されているのに、さらに金を出すなど愚者の所業だ。
 ギャンブルだと認識している人は少ないが、 宝くじも似たようなものである。
 宝くじの寺銭(配当率)はおおよそ四八パーセント。これは仮に宝くじを一人で買い占めても半分は損するという計算になる。
 当選金が増えただの高額になっただの言うが、この数字が変動しない限り意味はない。
 そしてギャンブルで勝って得た金は負けた人の金だということ。
 お金というのは労働の対価、みずから働いてはじめて手にするものであり、だれかの不幸の上に成り立つ稼ぎなど盗んで手にした金にひとしい。そんな汚れた金はいらない。
 秋芳はそう考えている。

「あまり気は進まないが、先立つものが必要だしなぁ」

 アルザーノ帝国魔術学院の入学金は高く、入れたとしてもこれまた高額な学費を払い続けなくてはならない。今は少しでも多くの金が欲しい。
 秋芳は広場に入り、ひとつひとつの賭け事を見て回った。
 もっとも注目するのはゲームの内容やイカサマの有無ではなく、客だ。
ついている客とついていない客を探す。
 運が良い、悪いという意味のついてる、ついてないという言葉は本来ならば「憑く」と書く。憑依の憑く、だ。
 ギャンブルで大勝ちしたときに「今日はついている」と言う。負けたときは「ついてなかった」と言う。呪術にうとい一般人は意識していないだろうが、これらは「憑いてる」「憑いていない」と書かれるべきなのだ。
 すなわち超自然的な「何か」が作用した結果、ギャンブルに勝てたのである。逆に「何か」が作用しない。あるいは反対の方向に作用してしまったので負けるのだ。
 「何か」とはなにか?
 それは気。運気である。
 通常の見鬼で視える類の気ではない。だが一流の陰陽師は見鬼にたよらずとも気を読む術に長ける。
 秋芳は一時間ほど賭けに参加せず様子を見ていると大勝ちするような強運の持ち主はいないが、ずっと負け続きの男を発見した。

(今日こいつは憑いていない。だからわざとこいつの逆目に賭ける!)

「さぁ、黒出るか白出るか。どっちだどっち!」
「ええい、黒や!」
「なら俺は白で」

 男が二沢の片方に賭けたらその逆に秋芳が賭ける。
 男ははずれ、秋芳は当たる。
 
「く、くそーっ! こ、今度こそ……、白だ!」
「じゃあ黒」

 男ははずれ、秋芳は当たる。

「や、やっぱり黒!」
「白だ」

 男ははずれ、秋芳は当たる。
 これの繰り返しだ。
 逆に運気のある者がいたなら、その者の選択に乗っからせてもらい勝ちを拾う。
 陰陽師流のギャンブル必勝法だ。

「おまえ、さっきからなに人の逆目にばかりはってやがるんだ!」

 などと因縁をつけられる前に身を引くのがコツである。
 あまり大勝ちして周囲の気を引くのも厳禁だ。自身が大勢の人の運気の渦中にあっては気の流れを読むのがむずかしくなる。
 目立たず騒がず、地味に勝ち続けて確実に手元の金を増やしていく。
 
(そろそろ潮時かな)

「おい、こいつでいくらか貸してくれ」

 黒髪黒眼で長身痩躯の青年が着ていたローブを胴元に差し出して金をせびっている。

「お客人、うちは質屋じゃねえんだ。金の貸し借りもやってないし、いつもニコニコ現金払いが信条なんだよ。金がないならおとなしく帰ってくれ」
「そう堅いこと言うなって、こいつは上物だぜ。なにせ魔術学院のローブだからな」

(なに?)

 青年の言葉通り、ローブには学院の正式な講師職の証である梟の紋章が入っている。

「おいおい、いいのかい?」
「俺には重すぎなんだよ、こんなの。それよりも金だ金!」

 学院のローブには防御魔法がかけられていて見た目よりも丈夫だ。さらに暑さ寒さを和らげる種の魔法も付与されており、これを身につけていれば一年中快適に過ごせる優れものだ。こんな場所で叩き売っていい代物ではないのだが、賭け事に熱を上げ、頭に血がのぼっている青年には目先の賭け事のことしか頭にないようだった。

(もったいない。あれ、どうにか手には入らないかな。いや、それよりもあの男、学院の関係者か? ならいくらか貸して、ここでよしみを通じてみようか)

 そんなことを考えていると、見るからに堅気ではない風体の男たちが人ごみを乱暴にかき分けて出てきて秋芳を囲み、リーダー格とおぼしき巨漢が声をかける。

「ずいぶんと楽しそうじゃないか、オレとサシで遊ばないかい」

 喧噪に満ちていた広場が、水を打ったように静まり返った。

「あの兄さんついてないなぁ、ゴンザレスのやつに目をつけられちまった」
「見ない顔だが、ゴンザレス相手にバカな真似はしないでくれよ。とばっちりはごめんだ」

 そこかしこからひそひそと、そんなささやきが聞こえる。どうもこの男、ゴンザレスというヤクザ者らしい。
 街の用心棒気取りで横暴な額のみかじめ料を取り立てているチンピラ。秋芳はそう直感した。

「兄さんここらじゃ見ない顔だけど、ずいぶん稼いだなぁ。どうだい、ここらでもうひと勝負して運試ししようじゃないか。その有り金賭けて。もちろんオレもおなじだけ賭けるよ。兄さんツイてるから勝てばもうけは倍だ。なぁ」
 
 どうも一足遅かったらしい。勝ち逃げはゆるさないつもりだ。

「カードやダイスなんかじゃ物足りないだろう、ここはひとつフェジテ名物競鶏といこうや。勝負は簡単。あの木の下に餌を置くから、先にあの餌に食らいつくのはこの大きなほうか小さなほうか、どっちだ! 先に選びな、好きなほうを選ばせてやる」

「ゴンザレスのやつ、またなにかイカサマするつもりだぞ」
「あの兄さん、今からでも遅くないから早く詫び入れたほうが……」

「じゃあ、小さいほう」
「いいだろう、ならオレは大きいほうだ」

 ざわ……ざわ…ざわざわ……ざわ…ざわ……。

「そうこなくっちゃなぁ、さぁ今日一番の大勝負だ。いくぞぉ!」

 広場の端に二羽の鶏を置いてけしかける。
 けたたましい鳴き声をあげながら疾走する大小の鶏。

「おおっ、せっかくの大勝負だ。近くで見るぞ!」

 大金のかかった本日一番の勝負に、広場にいる全員が注目する。もし小さいほうが勝てばかなりの大金が手に入る。だがロドリゲスがおとなしく金を出すとは思えない。さらなる難癖をつけて血を見ることになるかもしれない。
 とばっちりは御免だが他人のトラブルには興味がある。どうなることやらと注視する人々の視線の先には大きな鶏を引き離して駆ける小さな鶏の姿があった。

「小さいほうが優勢だぞ!」

 小さいぶん体重が軽くて速いのだろうか、秋芳の賭けた小さな鶏がどんどん加速していく。

「こりゃあ小さいほうのぶっちぎりだ、勝ちにまちがいない!」

 ゴールである餌に食らいつく寸前。

「ワンッ!」
「コケェーッ!」

 突然飛び出してきた犬が先を走る小さな鶏に噛みついた。

「コケェッ! コケッ、コケェェェ……」

 憐れ犬の顎に囚われの身となった小さな鶏は抗議の鳴き声をあげてばたつくが、犬はそれを無視してゴンザレスの足下に近寄るとお座りをした。
 その間に大きな鶏が餌にたどり着く。

「なんてこった、ひどすぎる……」
「こんなイカサマありかよ……」

 この犬の行動はあきらかにゴンザレスの命令を受けてのものだ。
 周囲からささやかれる非難の声を軽く無視してゴンザレスが勝利を宣言する。

「ぐはははは! でかいほうの勝ち~、残念だったなぁ、でも勝負ごとに多少の事故はつきものだしな。そうだろ、兄さん。オレの勝――」

 秋芳の姿が見あたらない。

「んなな!? どこに行きやがったあの野郎!」

 広場にいた全員が全員、競鶏に夢中になっている間に消えてしまった。
 そして消えたのは秋芳だけではなく――。

「ご、ゴンザレスさん。金が、金も……、あいつも金も消えちまった」
「な、な、なぁにィィィッッッ!!」

 おたがいの賭け金まるごとごっそり、ついでに黒髪黒眼の青年が質草にした学院のローブもなくなっていた。あきらかに秋芳の仕業だ。
 こんなにも堂々とした盗みがあっただろうか。
 こんなにも間抜けな盗まれかたがあっただろうか。

「あの野郎、なんてふてぇやつだ!」
「ふてぇのはてめぇだ、イカサマ野郎!」
「あえひゃ!」

 ローブを質草にした青年の拳がゴンザレスの顔面にヒット。張り倒す。

「そ、そうだそうだ」
「よくも今まで薄汚いイカサマしやがったな」
「うるせー、バレなきゃイカサマじゃねえんだよ!」
「なんだとコンチクショー!」
「あ痛ッ!? やりやがったな!」
「真のアルザーノ人は退かない!」
「勝利かヴァルハラかだ!」
「もういいだろ!」
「殺さないでくれ~!」

 今までたまりにたまった鬱憤が、青年の一撃をきっかけにぶちまけられた。
 広場のあちこちで乱闘がはじまり、大混乱と化す。

「スタァァァップ! 女王陛下の名に置いて止まれ、さもないと全員逮捕するぞ!」

 衛兵が駆けつけてきてようやく沈静化したが、一〇人以上ものけが人や逮捕者を出す大騒ぎになってしまった。





「っきしょー、ついてねえぜ」

 黒髪黒眼で長身痩躯の青年――グレン=レーダスが毒づく。

「あのイカサマ野郎ども、俺がちょーっと引きこもってるうちに、あんなやつらがのさばるとか、世も末だぜ……」

 財布の中にはセルト銅貨が数枚。これでは明日の食事はおろか、今夜の食事もままならない。

「腹減ったぁ、ダメだ。今なにか食わないと死ぬ。学園のシロッテはあらかた食っちまったし、どうしよう……」

 空腹でふらふらとした足取りになって家路につくと、一軒のパン屋が目に留まった。
 できたての香ばしい香りこそしないが、パン特有の匂いは食欲をそそる。
 グレンはたまらず店に入った。

「……大きいのが4セルト、小さいのが2セルトか。小さいのをくれ」
「まいどありー」
「なあ店長、ものは相談なんだが、これ1セルトにまからんか?」
「いやぁ、悪いですけどうちは値引きはしない方針なんです」
「まあそう言うなって、もうすぐ店じまいの時間だろ。売れ残ったやつをまた明日並べるわけにはいかないんだし、それなら1セルトばかし安くして俺に売った方が得だとは思わないか?」
「それはそうだけど……」
「今日はもうお客がこないかもしれない。そしたら俺に売れば1セルトの損じゃなくて1セルトの得になるんだ」
「ものは考えようか……わかりました。1セルトでいいです」
「それじゃ、ほい。1セルトな」
「まいどあり~」

 グレンは入り口の前でくるりと振り返った。

「あー、考えたんだが、やっぱり大きいパンにするわ。いくらだっけ?」
「小さい方の倍の値段です……ん? ……お客さん、買い物が上手ですね」
「2セルトだな」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 1セルトならまけてもいいけど2セルトは!」
「さぁ、そこが商売だ。ここで2セルトまけてくれれば、毎日買いに来てやるぜ。たった2セルトのサービスでお得意がひとり増えるんだ。悪い話じゃないだろう?」
「まいったなー! お客さんには負けましたよ。2セルトでいいです」
「そうこなくちゃ。となると小さい方はいらなくなるから2セルトで引き取ってくれるな?」
「いいですよ」
「このパンが2セルトと、それにさっき渡した1セルトがあるからそれで3セルトだ。1セルトのお釣りだな」
「はい、確かに」
「邪魔したな」
「ほんとに毎日買いにきてくださいよー」
「ああ、ついでに知り合いにもこの店のこと宣伝しとくぜー」

 1セルトと大きなパンを手に入れて帰路につく。

「ぐへへへへ、もうかったぜ」

 ゲス顔でほくそえむグレン。みごとなロクでなしである。
 そんなロクでなしに声をかけてくる人がいた。

「もし、そこのひと」
「ん?」
「これ、忘れ物ですよ」

 学院のローブを手渡されたグレンはいぶかしげな目で相手を観察する。
質素だが清潔な服装に短身痩躯で東方の武闘僧(モンク)のように剃り上げた頭。このあたりではちょっと見かけない髪型だが、危険なにおいは感じられない。比較的治安の良いフェジテの住人らしく、身に寸鉄も帯びず丸腰に見えた。
 瞳や肌の色といい、本当に東方の武闘僧なのかもしれない。

「……あんた、だれ?」
「俺も昼間の騒動に巻き込まれたくちでしてね、その時にたまたまあなたがローブを担保に金を借りているのを見て、どさくさにまぎれて取り返しておきました。あ、俺はナーブレス家で働いている賀茂秋芳というものです」
「カモ・アキヨシ? 東方の人間だな。すると名字(ラストネーム)がカモで名前(ファーストネーム)がアキヨシか」
「そうです。そのローブ、あなたひょっとして魔術学院の関係者ですか?」
「まあな」
「俺の生まれはここから遥かに遠い辺境にありましてね、魔術なんて存在しないんです。だからこの国の魔術に興味があって、色々と聞きたいことが――」
「あっそう、じゃあね」

 すたすたと歩き去ろうとするグレン。

「パン屋でのやり取り見てましたが、商売上手ですね。夕食がまだならご一緒にどうです。おごりますよ」
「……あー、どうしよっかなぁ。あんまショボいとことか行きたくないしなー」
「『空の骨休め亭』なんてどうです」

 それなりのものをそれなりの値段で提供する、冒険者の店だ。

「ちっ、しょうがないなー。行ってやるよ」

 ただ飯にありつける。グレンはふたつ返事で了承した。 
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