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東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
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巫之御子 1

「う~ん、あなたのために歌うことが、こんなにもつらいことだなんて……」
「わけのわからん寝言を言ってないで起きろ!」
「ああっ! だめだよ秋芳……。ボクたちは姉弟なんだから……、そんなことしちゃいけないんだ」
「いったいどんなシチュエーションの夢なんだよ!?」
「歯磨きプレイなら、いいよ。それが兄弟姉妹の超えてはならない最後の一線……」
「うるせぇよ!」
「……て、ボクどうしちゃったの? たしか桃矢君にキスされて同調ナントカして――わ! 肩、どうしたのさ?」
 
 笑狸をゆさぶる秋芳の肩の部分。そこの布地は破れ、まわりに血がついていた。

「おまえが噛みついたんだよ。おぼえてないのか?」
「……うん」
「同調性共鳴症と言ったな。能力者を媒介にたがいの霊力を同調させる、て言うから、てっきり片方に二人分の意識と霊力が集中し、もう片方は意識を失うとでも思ったが、肉体が完全に融合するとは、予想外だったわ」
「す、すみません。まさかこんな結果になるだなんて、いつもはちがうんです」

 かたわらで呆然としていた桃矢があわてて声をあげる。

「なぬ?」
「今、秋芳さんが言ったとおり、普段はシンクロするだけなんです。相手の身体に僕の意識と霊力が移って、僕のほうは抜け殻になる、みたいな」
「そうか……。うん、やっぱり積極的に使って制御する方向で修練したほうがいい。自分の中にわけのわからない力があるのはいやだろう?」
「……はい」
「よし、じゃあ明日からよろしくな」
「あ、はい! こちらこそ、よろしくお願いします」





 道玄坂の路地裏。
 秋芳にのされた男たちがころがっている。 
 ぞぶりぞぶり、ごつんごつん、ぬちゃぬちゃ 、こつりこつり、ごぶりごぶり――。
 そこに水気をはらんだ異様な音が響いていた。
 男の一人が目をさます。一番最初に秋芳に殴りかかり、そけい部を強打されて気絶した茶髪男だ。
 起き上がろうとするが、できない。なにかが、なにかが身体の上におおいかぶさっている。
 よく飼い猫が寝ている人の上に乗ることがあるが、そのような感じでなにかが乗っているようだ。首から上だけを動かして、茶髪はそれを、自分に乗っているものを見た。
 最初、それは裸の子どものように見えた。小さかったからだ。だが子どもではない、子どもはこんな姿をしてはいない。
 骨と皮だけに痩せ細っているにもかかわらず、腹部だけが妊婦のようにふくらんでいた。猿のような顔をしている。
 茶髪が餓鬼草子や地獄草子を見たことがあったなら、そこに描かれている『餓鬼』というものに似ていると思ったことだろう。
 猿のような顔をしたそいつは、しきりになにかを口にしている。
 赤黒い、肉のようなものを口にはこび、ぞぶりぞぶりと咀嚼していた。
 やめろ。オレの体の上でなにをしている。なにを食べているんだ!?
 大声でそう叫んだはずだったが、空気が漏れただけ。恐怖のため声が出なかった。
 左右に首を動かして助けを求める。仲間は、他のみんなはどこにいる? 助けてくれ!
 いた。
 そこには自分と同様に横たわる金髪の姿があった。
 食われている。
 猿のような顔をした異形が群がり、金髪の全身をむさぼり食っていた。
 のど笛を喰い裂かれ、そこからぞぶりぞぶりと血をすすられている。
 頭に噛りつき、ごつんごつんと頭骨を噛み砕かれている。
 膝を割り、こつりこつりと軟骨を咀嚼されている。
 悪夢のような光景に目をそむけると、腹の上にいたそいつと目が合った。
 細長い、腸のようなものをぬちゅぬちゅと頬張っている。
 ちがう。
 腸のようなものではない。あれは腸だ。腸そのものだ。オレはこいつに食われている。
 手足をバタつかせ、全力で飛び起きようとしたが、できなかった。肩口から先の両腕が、ない。足の感覚も、ない。おそらく食われたのだ、こいつらに。
 これは夢だ。
 自分は悪い夢を見ているにちがいない。
 早くさめてくれ。
 茶髪はそう願いながら両目を閉じて眠ろうとした。夢の中で寝る。そうすることで夢からさめると信じて――。
 腹を食われ、頭を食われ、髪も爪も歯も食われ、地面に流れた血の一滴残らず舐めとられ、男たちはこの世から姿を消した。

「ああ、食った食った」
「ああ、食った食った」
「たらふく食べた」
「たらふく食べた」
「だが、腹が減ったな」
「ああ、腹が減ったな」
「たりぬ」
「たりぬ」
「ひもじいのう」
「ひもじいのう」
「いかん。食うのに夢中で桃の童を見つけたこと、忘れていたわ」
「腹が減っていたのだ、しょうがない」
「桃の童を追って食うか?」
「桃の童を見つけたことを知らせるか?」
「どうする?」
「どうする?」

 異形の群れはしばらく話し合った後、ふた手にわかれてその場から去った。





 巫女クラス専用の宿舎は女子寮の敷地内にある。
 男子寮からさほど遠く離れてはいないが、先ほどチンピラにからまれた件があったので秋芳はそこまで桃矢を送ることにした。

「まわりが全員女子だと肩身がせまくないか? つうか逆にモテモテか?」
「モテモテって感じはないです。最初はやっぱり警戒されてたというか、奇異の目で見られたというか……、でも今はもうおたがいに慣れてきたので、拘束されることもなくなりました」
「拘束?」
「ええ……、乙女の園に男がいるなんて危険! て、首輪につながれたり、女子の着替え中は目隠しされたり、女子が使った後のトイレは一時間入室禁止だったりで、さすがにきつかったです」
「どんなプレイだよ、それ。M男にはたまらんだろうな」
「でも最近はわりと自由にさせてくれるようになったんですよ。僕がふしだらなことをする男子じゃないってわかったみたいで」
「それはそれで、複雑な気もするが……」

 秋芳はあらためて桃矢の顔をながめる。
 夕暮れ時の薄明かりに照らされた桃矢の容貌はどこからどう見ても少女にしか見えなかった。見た目がこうなると、性別は男でも気にならないものなのかも知れない。
 風が吹いた。
 秋らしい、涼しげな風だ。

「あー、涼しい。気持ちの良い風ですね」
「……桃矢、おまえ見鬼は不得意みたいだな」
「え? それ、どういう意味です?」
見鬼。霊気の流れや霊的存在を視認したり、感じ取る力。いわゆる霊感能力のこと。
「この風。わずかだが血の臭いと、瘴気がふくまれている」
「な!? それって――」
「問題だ。一日のうち霊災がもっとも多く発生する時間帯は?」
「え、ええと……。夕方から深夜にかけてです」
「正解。逢魔が時から丑三つ時にかけてが多く、日の出とともに減少する。そして今は逢魔が時、霊災多発時間の始まりだ」
「こ、この近くで霊災が起きてるんですか?」
「そうだ。修祓するぞ」
「そんな、急に言われても――」

 ぞわり。
 身の毛がよだつとはこのような感覚なのか、桃矢の全身が震えだす。
 こわい。
 恐ろしく、怖い。恐怖。陰の気を、闇の気を、邪なる気を感じ、体の震えが止まらない。周囲に満ちる瘴気を、見鬼によって察知したのだ。

「こわいか?」
「こ、こ、こっ、こわいですッ!」
「こわくない。俺がついてる」

 賀茂秋芳。この人は、強い。いざとなったら自分を守ってくれるだろう。そう頭で理解していても、こわいものはこわいのだ。
 ガタガタと脚が震え、腰がすくみ、萎えかけた腕で秋芳の服の裾をひっしとつかむ。

「こわくない。俺が、ここにいる」

 秋芳はその手をやさしく握り返し、ゆっくりと離した。

「わかりました。霊災を、修祓しましょう」
「よく言った」

 桃矢が覚悟を決めるのを待っていたかのタイミングで周りに黒い影が生じ、ぐるりと取り囲まれた

「見ぃつけた」
「見ぃつけた」

 影の中から声が響く。地獄の底から鳴り響くような、陰々滅々とした声が。

「桃の童じゃ」
「桃の童じゃ」
「憎き怨敵ぞ」
「憎き怨敵ぞ」
「陰陽師がおる」
「陰陽師がおるな」
「ひとりじゃ」
「陰陽師は一人じゃ」
「ともにとりて食らおう」
「おう、ともにとりて食らおう」

 影がゆっくりと迫ると、その中に潜むあやかしの姿があらわになる。
 土気色の肌をした小柄な体躯に枯れ枝のように痩せ細った四肢、ざんばら髪の下には猿のような顔がある。なにより異様なのはその腹だ。ガリガリに痩せているのに腹部だけは妊婦のように膨れている。

「が、餓鬼? フェーズ3の動的霊災が、こんなにたくさん!?」

 桃矢が驚くのも無理はない。自然レベルでの回復を見込めない霊気の偏向、災害へと発展する直前の フェーズ1から始まり、これが進行し、強まった瘴気が周囲へ物理的な被害をあたえるフェーズ2と段階をへて、実体化した瘴気が鬼や鵺といった異形の存在となり周囲に瘴気をまき散らす移動型・動的な霊災。フェーズ3へとうつるのだ。
 本来ならフェーズ3レベルの霊災など、そうそうあるものではない。

「……いや、ちがうな。見た目は動的霊災だが、実際の障気の強さや霊相から察するにフェーズ2。こいつらは〝群れ〟の一部だ」
「群れ?」
「妖怪。動的霊災の中には自分の分身のような存在を大量に召喚できる能力を持ったものもいる。鳥山石燕の画図百鬼夜行に火を吹く子蜘蛛たちをあやつる絡新婦(じょろうぐも)の姿が描かれているが、その子蜘蛛らみたいのが〝群れ〟だ。平安時代の阿闍梨、頼豪が鉄鼠と化して大量のネズミを放って延暦寺の経典を食い破ったり、藤原実方の入内雀が農作物を食い荒らしたという話を聞いたことはないか? このネズミやスズメも群れだな。実際の動物とは異なる、妖力や呪術で作られ、召喚された魔の眷属だ」

 説明しつつ無造作に刀印を切る。牙を剥いてにじり寄ってきた餓鬼の一体はそれだけで消滅してしまった。

「群れの一体一体はこのとおり、たいして強くはない。よし、せっかくだ。ここで少し講義をおこなおう。課外授業だ。――御幣立つるここも高天の原なれば、集まりたまえや助けたまえや四方の神々――」

 祝詞を唱え柏手を打つと、あたりが神聖な気につつまれた。秋芳が珍しく神道系の呪術を使ったのは、桃矢が巫女クラスの生徒ということを意識してのことかもしれない。

「うぬ、消えたぞ?」
「どこへ隠れた?」
「さがせさがせ――」

 すぐ目の前にいるにもかかわらず、こちらの姿を見失ったかのように餓鬼の群れがきょろきょろとあたりを見まわし始める。
 しかも不思議なことに近づいてきた餓鬼は接触直前でなぜか向きを変えてあらぬ方向へと向かって探りを入れている。

「これは……、隠形ですか?」
「いいや、こいつら自身を結界で捕らえたんだ。動いてもしゃべってもいいが念のため俺から離れるなよ。さて、桃矢。穢れとはなんだ?」
「え? あ、あの、よ、汚れてることですよね?」
「うん、まぁそれもそうだが、神道。呪術における穢れとは時間や空間、物体、行為などの万象が理想ではない。通常ではない状態や性質になっていることを指す。また穢れは『気枯れ』すなわち気が枯れた状態のことでもある。これは生命力や霊力の枯渇した状態で、そのような時に人は過ちを犯しやすいといわれる。心の平静をたもてなくするような事象。すなわち『気枯れ』だ」
「あ、それって、つまり霊災ってことですか?」
「そうだ。自然界に満ちる霊気のバランスが崩れて瘴気へと転じ、これが自然界が持つ自浄作用の限界を超えることで発生する霊的災害。ここまでがテストに出てくる範囲だな。……だがなにが正常でなにが異常かなてのは、その時その時。個々人によって異なるもんだ。あんがいこいつら霊災からして見りゃ、俺たちのほうが『瘴気』や『霊災』なのかもな」

 この理屈は桃矢にも理解できた。立場を変えて見れば良いことも悪いことに、悪いことが良いことにもなりうる。だが、だからといって襲ってくる霊災、この餓鬼たちに食べられてしまうのは絶対にいやだ。

「霊災修祓の手順は知ってるな?」
「はい。まず霊災を結界で隔離して周囲への被害を抑制。そのうえで霊気の偏向を分析して是正するか、強力な呪力をぶつけてかたよった霊気を強引に散らす……」
「正解。実に教科書とおりの模範解答だ、中途編入にしてはよく知ってるなぁ、春虎も見習って欲しいよ」

 いまだに小テストで赤点を連発するクラスメイトの顔を脳裏に浮かべつつ話を続ける。

「こいつらはすでに結界に封じてある。少々の呪力をぶつけたところで破れはしないから、一体でもいい、修祓してみろ」
「ううう、わかりました……」

 桃矢は意を決して餓鬼の姿を『視る』。五気が偏在しているが、強いていえば土気が強い。
それにしてもひどい瘴気だ。まるで見えないキャンプファイヤーが燃え盛っているかのようで、秋芳の結界が隔てているにもかかわらず体が焙られているかのような錯覚がした。霊災に慣れていない身にはこたえる。
 それに醜い。見るからに不潔なざんばら髪を振り乱し、よだれを垂らしながら人とも獣ともつかない奇怪な動きで徘徊する、絵草子に描かれた餓鬼そのものの姿。ホラー映画などに出てくる作り物のクリーチャーすら苦手で、グロテスクなものに耐性がない桃矢は注視していた餓鬼からつい目をそむけてしまった。

「汚いもの、醜いものから目をそむけてはいけない。それらを祓い清め、鎮めるのが巫女だ。目を閉じていたら修祓はできないぞ」
「は、はい!」

 桃矢はくじけそうになるのを懸命にこらえて、祝詞を唱える。

「神火清明、神水清明、神風清明。祓いたまえ浄めたまえ……」

 神道式の九字を切り、刀印が走るたびに浄化の光が餓鬼を打つ。

「あなや!」
「どうした?」
「わからぬ、どこからか礫でも投げられたようじゃ」
「気をつけよ」
「うむ」
「あなや!」
「どうした?」
「わからぬ、どこからか礫でも投げられたようじゃ」
「気をつけよ」
「うむ」
「あなや!」
「どうした?」
「わからぬ、どこからか礫でも投げられたようじゃ」
「気をつけよ」
「うむ」
「あなや!」
「おまえもか」

 桃矢の霊力では一度に修祓はできない。だから同じ相手を狙って何度も九字を切っているのだが、いかんせん相手は多数でつねに動いている。移動する目標に命中させるほどの技量がないため、毎回ちがう餓鬼にあててしまう。
 しだいに霊力も尽き――。

「はぁはぁはぁはぁ――」

 ひたいに玉のような汗を浮かべ、息も荒くなる。

(さすがにもう限界だな。まぁ一般の塾生レベルならこんなものか)

 京子のような秀才や夏目のような天才、霊力だけならえらくタフな春虎、筆記も実技もそつなくこなす冬児。眼鏡の天馬。
 身近にそういう逸材がそろっていると、ついつい錯覚しがちになるが、霊災の修祓というのは見習いレベルでできるほど簡単なことではない。本職の祓魔官ですらフェーズ1の霊災に対し二、三人であたる。

「よし、それまで。よくやった、今の感覚を忘れるな」
「も、もうダメ。倒れそう……」
「すぐに終わらすから、倒れるなら寮にもどってからにしろ」

 相手は土気が強いので木気の術で一掃しようか、一体一体禁じようかと考えたが、ふと過去の出来事が脳裏をよぎる。

(そういうえば以前ヒダル神に憑かれたことがあったが、あの時の飢えと渇きは地獄の苦しみだった。こいつらも同じ苦しみにさいなまれているとしたら実に哀れだ。楽にしてやろう)

 弾指を打ちつつ呪文を唱える。

「ノウマクサラバ・タタギャタバロキテイ・オン・サンバラ・サンバラ・ウン――」

 施餓鬼会でもちいられる無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼。
 掌に指で『米』の字を書き、それを食べる真似をすると、秋芳の身体から暖かい光があふれ、餓鬼たちをつつみこんだ。

「おお、なんと心地よい」
「腹がくちる」
「満腹じゃ」
「満足じゃ」

 その光りにふれた餓鬼たちはおだやかな笑みを浮かべて一体残らず霞のようにかき消えてしまった。

「今のはいったい……」
「捨身飼虎。お釈迦様は餓えた虎の親子に我が身をさし出したが、俺は餓鬼どもに自分の霊力を食べさせてやったんだ。満腹になって成仏したのさ」
「こういう修祓のしかたもあるんですね……」
「本来はきちんと供物を用意して儀式をとりおこなう。今みたいに自分の霊力を食わせるやり方は割に合わないからオススメはできないがな」

 脅威は去ったがずいぶんと時間がかかってしまった。桃矢をうながし女子寮へといそぐことにした。





「おそいぞ桃矢! どこで道草してたんだっ! すぐ帰ってくると思ってみんなご飯を食べないで待っていたんだぞ!」

 ぱっつん前髪の姫カット、長い黒髪を後ろで一つに結んでポニーテールにした気の強そうな女子が帰宅した桃矢に食ってかかる。
 二之宮紅葉。桃矢の所属する緋組拾参番隊のまとめ役。リーダー的存在の女子だ。

「ええっと、それはその……」

 不良にからまれたところを助けられ、その助けた人というのが明日から講師として来る予定の賀茂秋芳。男子寮にある彼の部屋でお茶を飲ませてもらい、ここまで送ってもらったのだが、途中で霊災に遭遇。修祓した――。ちょっと一言では説明できない。どのように言葉にするか逡巡する桃矢に助け舟が出された。

「あらあら紅葉さん。そんなふうに言わないで、もっとこう、幼なじみが照れ隠しに怒ってる感じで言わないと、桃矢さん萎縮しちゃいますよ」

 三亥珊瑚。腰までのびるゆるやかに波うった長髪と眼鏡が印象的な、いかにも優しい感じのする女子が、そう紅葉をたしなめる。

「もみもみ~、お小言は後にして夕ご飯食べようよ~。もうお腹ぺっこぺこだよ~」
「もみもみ言うな! それと変なとこさわるな!」 

 アニメのようなアホ毛をのばした茶髪ショートの少女が背後から紅葉にすがりつき、鼻にかかった声で懇願する。この娘の名は一の瀬朱音。
 この三人の少女たちが桃矢のルームメイト。緋組拾参番隊の構成員だ。

「くっ、しょうながないな。よし、とりあえず食事だ。道草の言いわけはその後で聞こう」
「わ~い、ごっはん~ごっはん~♪」

 こうして桃矢たちは遅めの夕餉をとることにした。





「――ということがあったんです」
 
 女子寮の食堂。
 五穀米に味噌汁、焼き魚と旬野菜のサラダ、デザートは果物。主食と主菜、副菜。栄養バランスをきちんと考慮した寮母さんお手製の食事をすませ。ひと息ついた桃矢は今日のできごとを紅葉たちに話した。

「……そうか。まだ私たちと同じ学生が講師をするというから、少々不安だったが、その様子だと呪術者としての実力はたしかみたいだな。それに腕っぷしも強いというのも気に入った。そうでなければ武道の実技もある巫女クラスの講師は務まらないからな」

 麦茶をすすり最後まで桃矢の話を聞いた紅葉はそのような感想をのべた。ちなみに食堂では朝昼は緑茶、夜は麦茶が置かれている。これはカフェインを摂ると夜寝つけなくなるからという配慮からだ。寮母さんはつねに学生の体を気づかっている。

「そうですわね。でも今のお話に出てくる賀茂秋芳さんて方、想像していたルックスとちょっとちがいますわ。賀茂氏の末裔というから、もっとこう貴公子って感じの方かと思っていたのですが、坊主頭だなんて……」
「いいじゃないか、お坊さんみたいで功徳がありそうだ」
「ふぁぁぁ……。ねぇ、ご飯食べたら眠くなってきちゃった。もう戻ろ」
「あ、そうですね。僕も今日は色々あって疲れちゃいました。早めに眠りたいです」
「なにを言ってるんだ、そろそろ刀会が近いんだぞ。惰眠をむさぼるいとまがあるなら鍛錬するんだ。

 特に桃矢、おまえはチンピラ相手に怯むとはなにごとだ、修行がたりん! 今夜ちょっとつきあえ」

「ええ~、そんなぁ。僕、さっき霊災を修祓してクタクタなんですよ」
「最終的に修祓したのは賀茂先生だろ。問答無用、来い!」
「あらあら、うふふ。お二人とも無理せずほどほどにしてくださいね」
「がんばってねぇ、おやすみ~」

 刀会とは竹刀やなぎなたをもちいて試合をおこなう、武道実技を兼ねたクラス対抗の紅白戦で、巫女クラスの中でも派手で盛り上がる人気講義の一つだ。
 争いを好まない桃矢にとって苦手な講義になる。

「男子なんだろう、ぐずぐずするんじゃない。胸のエンジンに火をつけるんだ!」
「うう、今日はついてない。不幸だぁ……」




 
 紅葉は竹製の薙刀を八双に構え、そこから袈裟と逆袈裟の二連撃を絶えずくり出す。受けにまわった桃矢は防戦一方で、反撃するいとまもない。

「せいっ」

 パシーンッ!
 乾いた音を立てて桃矢の手から薙刀が落ちる。と同時に紅葉は薙刀を反転させ、石突きの部分で桃矢の鳩尾を突く。

「あうっ」

 もちろん手加減してあるとはいえ急所に攻撃を受けてはたまらない。思わずつっぷして、呼吸もままならない地獄の苦しみに耐える。いやな汗が流れ、地面に数滴の染みを作った。

「ハァ、ハァ、ハァハァハァハァハァ……、はぁ、はぁ、はっ!」

 ようやく息がととのい、おもてを上げると、巫女装束に身をつつんだポニーテールの少女が月光の下で薙刀を構えている。その姿は凛としていて実に絵になっていた。桃矢は疲労や痛みも忘れてその姿に一瞬見とれてしまった。

「なんだ桃矢? はぁはぁして、いやらしいぞ」
「い、いきが、息が上がってるんです! も、もう少し手加減してください」
「手加減したら桃矢の訓練にならないだろう? でも……、今日の桃矢。よくがんばったぞ」
「え?」
「いつもならとっくに音を上げてるはずなのに、打ちかかってきた。えらいぞ、よくがんばった」
「そ、そうですか?」
「ああ、そうだ。……なんか気持ちの変化でもあったのか?」
「気持ちの変化……」

 あった。
 今日、男たちに襲われた時。まるで映画やドラマのように颯爽とあらわれ、自分を救い、介抱してくれた人がいた。それだけにとどまらず、霊災までもこともなげに修祓したその姿は桃矢の脳裏に焼きついていた。
 かっこいい。自分もあんなふうになりたい、と――。
 普段ならへこたれてしまうところを、憧れの心が支えている、のかもしれない。

「む、その顔は心あたりがあるな」
「え、ええ……」
「そうか、わかったぞ!」
「え?」
「さっきの話。桃矢は賀茂先生の式神とキ、キ、キ……」
「樹木希林?」
「ちがう! なんでここでジュリーのポスターに愛を叫ぶ婆さんの名前が出てくるんだ!」
「す、すみません。つい」
「賀茂先生の式神とキスしたと言ったな。ひょっとしてそれが原因じゃないのか?」
「う~ん、たしかに今までしたことのない変な同調をしましたけど、別にそれは関係ないと思います」
「私たち緋組拾参番隊のメンバーを差し置いて他の子とキスするとは、この浮気者っ!」
「浮気って……、相手は僕と同じ男の子ですよ」
「なに? そうなのか……。て、それでもキスはキス。浮気は浮気だ。けしからん!」
「そんなこと言われても……」
「桃矢、さっきの新しい同調というのを、私で試してみろ」

 紅葉はそう言い、手の甲を上にして桃矢の眼前にさし出す。ここに口づけしろというのだ。

「さぁ、早く」

 怒ったように急かす。こうなった紅葉に『いや』とは言えない。桃矢は覚悟を決めた。

「わかりました、でもどうなっても知りませんよ」

 手の甲にそっと唇を落とす。触れるか触れないかの絶妙な間隔――。
 脳内に光が奔り、桃矢の中に紅葉が流れ込んできた。勝ちたいという純粋な想い。けれども他のメンバーにそれを押しつけることの戸惑い、逡巡、焦り、葛藤、誇り、矜持、自身、不安……。
 次の瞬間、二人は一人になっていた。

「な、なんだれは? 今までの同調とはちがうぞ」

 身の内からあふれ出さんばかりの霊気が湧き出し、全身に力がみなぎる。背中からは緑色の光沢をした鳥のような翼まで生えていた。
 身体が軽い。ひょっとしたら飛べるのでは?
 紅葉がそう思うと翼が広がり、ふわりと宙に浮いた。実際の鳥類のような羽ばたきによって発生する揚力によるものではない、呪力による飛翔。

「す、すごい。すごいぞ桃矢! 霊力が上がるだけじゃなくて、空まで飛べるようになんるなんて……」
(なんだか、キスする人によってちがう能力が発現する……。そんな気がします)
「どのくらい飛べるのか、ちょっと試してみるか!」
(だ、ダメです! 危険です! いつ同調が、融合が解けるか、まだちょっとわからないんですよ)
「む、なんだそうなのか……。飛んでる時に解けでもしたらおしまいだな。でも桃矢、この力、すごく面白いぞ! もっと色々調べて、試してみよう!」
(ははは、そうですね……)

 自分に重くのしかかっていた忌まわしい異能の力。それがこんなふうに変化し、受け入れられるだなんて……。
 今日は本当に色々なことがあった――。





 翌日。
「――島根県にある美保神社の氏子は修行中の間、鶏の肉と卵を食べてはいけないという決まりがある。これは美保神社に祭られている事代主という神様が大の鶏きらいだからだ。なんでそんなに鶏がきらいかというと、この神様は夜遊びが好きでな。それで夜な夜な出かけていたんだが、夜明け前には家に帰らなければいけないという決まりがあった。事代主に朝を告げる役目を一匹の雄鶏がになっていたが、ある朝、雄鶏は鳴くのを忘れてしまう。日が出てから大いそぎで家に帰る途中、事代主はあわてていたためケガをこしらえてしまったそうだ。それ以降というもの事代主はその雄鶏どころか鶏そのものがきらいになったとか」
「「「へー」」」
「「「へー」」」
「「「へー」」」
「なんか日本昔話にありそう」
「これは神話の時代のできごとが、精神が今の時代にもしっかりと伝わり、息づいているということの証左だな。土御門夜光が呪術というものを再編成してからは、とかく技術が重視されがちだが、みんなは巫女としてこのような精神を大事にしなければならない」

 言い終えたその時、ちょうど授業の終了を告げるチャイムが鳴った。

「はい、おしまい。午後の授業は武道実技だから、昼食を食べすぎないように注意すること。それじゃあまた後で」

 秋芳は退室する前にあらためて教壇から教室内を見まわした。機能的な階段教室という造りは陰陽師クラスのそれと同じだが、広さは二倍以上ある。八〇人近い巫女たちに見下ろされて講義するというのも、なかなかできる経験ではない。

「賀茂先生」
「ああ、桃矢――。て、どうしたんだ、その全身の生傷は!? さてはきのうの連中に仕返しでもされたのか?」
「あ、いえ、ちがいます。これは刀会の練習をして作った傷で……」
「そうなのか。それにしてもまたずいぶん派手にこしらえたもんだな」
「あはは、相手の人が熱心でしたからね」
「賀茂先生」

 その『相手の人』が秋芳に声をかけた。

「緋組拾参番隊の二之宮紅葉といいます。きのうはうちの桃矢がお世話になったようで、ありがとうございます」
「同じく一の瀬朱音です。えへへ、先生の授業すっごく面白かったですよ。賀茂先生てあだ名とかあるんですか? 出身地てやっぱり京都か奈良なんですか? 血液型は? 好きな食べ物は? 趣味は? 好みのタイプの女性は? あ、恋人っています?」
「あらあら、うふふ。朱音さんてば、そんな急に質問攻めしたら賀茂先生がこまっちゃいますよ。あ、私の名前は三亥珊瑚。緋組拾参番隊の者です。これからよろしくお願いしますね、賀茂先生」

 おお……。
 内心感動に震える秋芳。この反応、この質問攻め。まるで転校生に対するそれではないか。入塾初日はすっかり笑狸に持っていかれたが、自分はこういうのを期待していたのだ。

「はじめまして紅葉君」

 この左手でエレキベースを弾いたり、テレアポセンターで働く勇者みたいな凛とした声の子が二之宮紅葉だな。

「俺にあだ名はないよ、生まれは奈良葛城、血液型は知らない、好きな食べ物は日本蕎麦、趣味は映画観賞、好みのタイプはクリスマスとハロウィンに『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』を独りで見るような女の子、恋人はいる」

 この十万三千冊の魔道書を記憶してたり、白ワイン一滴で酔っぱらう男装の執事みたいな鼻にかかった声の子が一の瀬朱音、と。

「こちらこそよろしく。『あらあら、うふふ』て、なんかサザエさんみたいだな」

 このつねに専用の机と椅子を用意しているお嬢様みたいな声の子は三亥珊瑚。
 よし、おぼえた。三人娘の顔と名前と声が秋芳の脳に刻み込まれる。

「桃矢、紅葉、朱音、珊瑚。緋組拾参番隊か……。今後ともよろしく」
「はい! よろしくお願いします、賀茂先生」
「こちらも自己紹介してもいいですか、賀茂先生?」

 そこに別の声が割って入る。

「私は白組壱番隊の四王天琥珀。よろしくね、先生」
「白組壱番隊、七穂氏白亜」
「同じく白組壱番隊の十字眞白です。よろしくお願いします」
(ええと……、変身(トランス)能力を持った、えっちぃのは嫌いな殺し屋の女の子のような声をしているのが四王天琥珀。つねにモデルガンを持ち歩きモフモフしたうさぎのいる喫茶店でバイトしてる女の子のような声をしているのが七穂氏白亜。水系統の魔法が得意で香水の二つ名を持ってる女の子のような声をしているのが十字眞白……)

 次々と少女が出てきては自己紹介をして、これではまる萌えアニメの一話目や、ギャルゲーの序盤ではないか。
 少女たちのかしましい喧騒につつまれる中、巫女クラスの講師を続けてみるのも悪くはないのでは――。
 そのようなことを考え始める秋芳だった。





 職員室。
 早々に昼食をすませて巫女クラスに依頼された案件を確認しようとする秋芳の姿があった。

(しっかし他所のPCてのはなんでこんなに使いにくいんだ。レスポンスがちがうというかなんというか……)

 映画などで潜入した先にあるPCを操作してミサイルの発射を止めたりなんとかするシーンがあるが、よくあんな芸当ができるものである。
 もとより機械の操作は苦手な秋芳が不慣れな手つきで依頼の数々を見てまわる。
 お祓いや呪いの解呪といった高度なものから、占い全般に個人的なお悩み相談。引越しの手伝い、コスプレ撮影会、農作業の手伝い、野球や囲碁の練習相手に失せ物探し、清掃やビラ配りなどなど――。

(本当にいろんな依頼があるんだな……。妹になってくださいとか、姉になってください。てなんなんだよ、ここはイメクラじゃないんだぞ)
 
 たしかに宗教上の儀式としてセックスをする巫女は存在した。古代メソポタミアなど、神殿に寄進した者に神の力を与えるために性行をする神聖娼婦と呼ばれる巫女がいたし、日本にも歩き巫女や渡り巫女という、特定の神社に属さずに全国を巡って祈祷や託宣のほかに芸者や遊女の仕事もする者たちがいて、そのような者は特に巫娼とも呼ばれた。
 小柴垣草紙という平安時代の末に描かれた絵巻物では、やんごとない巫女である斎王がアレやコレする話が描かれている。
 巫女に萌えたり、エロいことさせてハァハァするのは日本人のDNAに刻み込まれた性癖なのかも知れない……。

(そういうのは駒王学園オカルト研究部のみなさんにお願いしなさいってんだ)
「あら、ちょっと意外。きちんと仕事してるのね」
「いつも言ってるだろ、俺は真面目なんだ」

 背後から京子が声をかけ、身を乗り出して秋芳の頭越しにPCをのぞき込む。

「これが巫女クラスへの依頼? ……ふ~ん、いろいろあるのねぇ」

 むにゅ。

 あたたかく柔らかで、それでいて適度な弾力を持ったふくらみが双つ、背中にあたるではないか。

(おお、これは……)

 たわわに実った果実、豊かな双丘、くずれることのないプリン、男を惑わす魔性の魅力と男を癒す神聖な気に満ちた神秘の至宝。
 
 おっぱい。
 
 京子のおっぱいが背中に押しつけられている。

(今の京子には悪戯をしているという、あえて胸を押しつけているという認識はない。つまり無自覚のエロス! これは良い……)
 全神経を背中に集中。日だまりにまどろむ猫のような表情を浮かべて、京子の乳圧をしばし堪能する。

「……ねぇ、このプール清掃の案件なんだけど――」
「――うん、それは良いな。やってみよう」

 京子の出した提案には心惹かれるものがあった。双乳の感触で夢見心地にな中、秋芳はふたつ返事でそれを承諾した。
 
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