東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
まぼろしの城 3
眼鏡をかけた童顔の少年。百枝天馬は豊臣秀頼と名乗った。
「……なぜに秀頼? 天馬よ、どうせなりきりするなら秀吉か秀次にしろよ、ここは聚楽第なんだし」
「こらぁ、天馬! 人が助けに来たってのに、なにコスプレなんかして遊んでるのよ。帰るわよ」
「なにを言ってるの、僕……。余は右大臣、豊臣秀頼だよ」
「いや、今『僕』って言ったよな『僕』って。それに口調も普段通りだぞ。なりきるならなりきれよ」
「あはは、演技ってむずかしいね。……僕は秀吉にはなれないよ。彼みたいな天才じゃないからね、僕に
はせいぜい秀頼が関の山なんだ」
どこかうつろな表情で、天馬はそう自嘲する。
「いやいや、堀尾吉晴あたりなら合うんじゃないか?」
「……秋芳君は凄いよね、僕とちがって霊力も知識もけた外れ。京子ちゃんも、倉橋家の跡取りに、『天将』倉橋長官の娘にふさわしい実力者だよ」
「…………」
「ちょっと、いきなりなに言い出すわけ?」
「夏目君は土御門の次期当主としてもうしぶんない天才だし、その土御門の血筋だけあって春虎君は霊力だけならけた違いだし、冬児君も。あの二人って転入してくるまで呪術と無関係の生活してて、見鬼だって後から使えるようになったそうだけど、信じられない。だってプロの呪捜官や鬼をやっつけちゃうんだよ」
これは秋芳が入塾する前に起きた、夜光信者による夏目拉致事件のことを言っている。
「ねぇ秋芳君。この一週間、お祖父ちゃんに頼まれたから何度か僕の勉強を見てくれたよね。どうだった? 僕はプロの陰陽師になれそう?」
「まだ一年の二学期だぞ、そんなこと今からわかるものか。二年以降の実技の成績や、今後の霊力の成長度合いにもよるだろう。だが今の調子で学習し、積み重ねていけば、なれないことはない」
「……呪術って、陰陽術ってやっぱり持って生まれた才能がすべてなのかな? 努力じゃどうにもならない資質ってあるの?」
「ない」
はっきりと、秋芳はそう断言した。
呪術は当人の資質と血筋がものを言う分野とされている。呪術の世界が閉鎖的なのはその象徴であり、呪術者に古くからその道に関わってきた旧家出身の者が多いのも事実だ。
素質、才能、血、遺伝。だがなによりも大事なのは――。
「努力に勝る天才なし。千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。一に鍛錬、二に鍛錬。三四がなくて五に休養。武にせよ呪にせよ、その道の高みへの近道なんてない。ひたすら修行あるのみだ。さっき俺や京子が凄いとか言ったが、俺達は座して今の実力を身につけたわけじゃないぞ。特に京子は努力っ娘だ」
京子の朝は早い。早朝から禊と呪術の鍛練を日課とし、身だしなみにしても名門倉橋家の娘として恥ずかしくないよう、同年代の女子の倍近く時間をかけている。
身だしなみはある種の乙種呪術。というのが倉橋家の考えなのだ。服装はもちろん、言葉つかいから作法まで、相対する人間に与える心的影響のことごとくを意識するよう、ひいてはそのように意識することによって己を律することの重要さを、幼少の頃より叩き込まれているのだ。
「でもさ、同じ時間、同じ量の訓練をしても人によって差が出てくるでしょ。持って生まれた才能って、やっぱあるよ。そんなの不公平だと思わない?」
「まぁ、目指す場所は同じでも、だれもが同じスタートラインから出発。てわけにはいかないってのも事実だわな」
「でしょ? 秋芳君がうらやましいよ、古い呪術の血筋に生まれて、名門の賀茂家の養子になれたなんて、生まれも育ちも僕とは大ちがいだ」
「……ちょっと天馬、いい加減に――」
「俺はおまえがうらやましいけどな」
「え? なんでさ、なんで秋芳君が僕をうらやましがるの?」
「天馬には両親の思い出があるだろ? 俺にはそれがない。まったくない。母親は俺を生んですぐに死んじまったし、もの心ついた頃には賀茂の家に養子に出されて父親との交流なんてほとんどなく、その父も早くに死んだ。賀茂家で育ったと言うが、ガキの時分から山にこもって修行修行の毎日だったからな。いわゆる『家庭』の記憶なんてないんだ。同じ年頃の子が家族と一緒に食事したり遊園地に行ったりしてるのを後から知って、そういう生活に憧れたもんだ。天馬はどうだ? そういう家族の交流ってあったか?」
「うん……、父さんも母さんもいそがしかったから家族旅行とかはなかったけど、たまに仕事場に遊びに行ったりしてたっけ……」
天馬の脳裏に幼い頃の記憶がよみがえる。母にお願いして試作段階の式神を使わせてもらったことがあった。あの蜘蛛の形の式神はなんという名だったか――。
「あと遊んだ記憶もないな。滝に打たれ、山々を駆け、真言や祝詞をおぼえ、唱える毎日……。友達といっしょに遊んだり、アニメ見たりゲームしたりしてる同い年の連中がうらやましかったよ」
ふたたび天馬の脳裏に記憶がよみがえる。誕生日にもらった携帯用ゲーム機。当時流行ったゲームソフトもついてきた。
「俺は生まれてから十余年を修行に費やし、ありとあらゆる娯楽を犠牲にして今の力を手に入れたんだ。これってそんなに不公平か?」
「…………」
「俺にないものを天馬は持ってるし、天馬にないものを俺は持ってる。みんなそうだろ?特別なものなんてなにもないってことに関してはだれもがほとんど同じなんだ。 だれもが一長一短のある個人に過ぎない。生まれついての稀有な才能だの秀でた能力だのなんて、香辛料みたいなものさ。あれば料理の味が引き立つが、それだけで料理全体の出来を左右したりはしない。今できることだけをすればいい」
「そうよ天馬。不平や愚痴を言うヒマがあったら努力するのが大切よ。……ま、今のあなたの言葉って本心からのものじゃないんでしょうけど。だって天馬はそんなウジウジするタイプじゃないものね」
「京子ちゃん……」
「天馬が小さい時からちゃんとがんばってるの、あたし知ってるんだから」
「あ、そうだ! それだ、それもあった」
「「それって?」」
「京子との思い出だ。おたがいの小さい頃のこと知ってるんだろ? くそっ、うらやましいぜ」
期せずしてハモった京子と天馬の問いかけにも、わずかに眉をしかめてそう述べる秋芳。
「また蒸し返してる……」
「ああ、もっと早く京子に出逢いたかった! そして俺は小一の時にプロポーズして、そのネタで小学校の六年間京子に『あいつあたしにプロポーズしたのよ、うふふ』てバカにされ、 中学校でも三年馬鹿にされ、高校でも三年馬鹿にされ、そして今だに夕食の時に馬鹿にされる……。そんな新婚生活がしたい!」
「んも~、そんなこと大声で言わないの!」
「ハハッ、本当に仲が良いね。二人とも」
天馬の顔からうつろな色が消え、いつもの明るい表情がもどる。と、その時――。
クツクツクツ――。
秋芳のものでも、京子のものでも、天馬のものでもない、不気味な笑い声が響いた。
もはや秋芳も京子も『だれ?』とは口にしない。即座に見鬼を凝らして気配を探る。
妖しい気配は壁から、壁にかかった掛け軸から発せられていた。
掛け軸には川を流れる舟の姿が描かれている。その舟の上に一人の老人が、例の小さな老人が乗っていた。笑い声はその老人のものだ。
絵の中の舟が動き、見る見る大きくなる。こちらに、絵の外側へと迫ってきているのだ。本紙いっぱいまで迫ると、舟から老人が降り、『現れ』た。人が、絵の名から抜け出てきたのだ。
「また幻術? もう驚かないわよ」
「クツクツ……、飽きるにはちと早いのではないかな?」
老人とは思えない、若々しく豊かな情感を感じさせる声。
「ほれ、これはどうじゃ」
老人の声が京子のすぐ隣から聞こえた。
いつの間に移動したのか、秋芳がいるはずの場所に老人が立っているではないか。思わず身構える京子の前で、老人の口から耳慣れた口訣が唱えられた。
「禁幻則不能惑、疾く」
幻ヲ禁ズレバ、スナワチ惑ウコトアタワズ。
すると老人の姿はかき消え、そこには秋芳の姿があった。
「幻術は二種類ある。その場にないものをホログラムのように作り出すのと、対象の精神に働きかけて、そいつにしか見たり聞こえたりできない幻を知覚させる。今のは後者だ」
「……出会いがしらに人の頭をいじるとか、ここのいやらしい罠とか、もう、ね。趣味悪すぎ。急急如律令!」
京子の打った木行符はつる草と化して老人を捕らえようと展開し、それを見た老人は金行符を取り出し、金剋木で打ち消そうとする。
だがその直前。京子は呪力を投与してつる草と化した木行符の術式を組みかえた。
バチリッ。
紫電がほとばしり、つる草から一変、雷の鞭と化した木行符が老人の体を打った。
かに見えたのだが、雷は老人の手にした針に吸い込まれていた。金行符を針に模して、文字通り避雷針にしたのだ。
「雷とて木気は木気。金気で剋するのが道理よ。あわてて下手を打たなければ造作もない。しかしその齢で雷法をあつかえるとは珍しいのう、これは愉快。なかなか楽しめそうじゃ」
老人はそう楽しげに言ったが、その口ぶりが楽しげなのに反して表情はまったく変化しない。機械的に唇が動き言葉を口にしているだけ、まるで口だけが機械仕掛けで動く能面のようだった。
「それ、返すぞ。風っ」
手にした針を大きく振るうと、墨を溶いたかのような重たい風が強烈に吹きつけた。漆黒の颶風が御座の間を吹きすさぶ。
「急急如律令」
激風の中、一枚の呪符が舞った。金行符。
風は木気と金気のいずれかに属する。これ見よがしに針を振るう動作で金行符を打ったかのように見せて、実際は木気の風術をもちいたのを、京子は瞬時に見抜いていた。
金剋木。五行相剋の理にもとづき、漆黒の風は相殺される。
「あわてて下手を打たなければ造作もない。だったわね。そんなせこい手は通用しないわよ」
「ほっ! 目ざといのう、お嬢ちゃん。クツクツクツ……」
秋芳は不気味に笑う老人の姿をあらためて見る。杖を手にしているが足腰が悪そうには思えない。 まっすぐに伸びた白い髪に白い髭は鶴のような印象を感じさせる。まるで闇夜を切り取ったかのような漆黒の小袖と羽織。なにより不気味なのは老人のかけている血のように赤いレンズの入った眼鏡だった。眼鏡といっても現代の眼鏡ではなく、時代劇に出てくるような紐つきの鼻眼鏡だ。
霊力はほとんど感じない。もちろん無いのではなく、隠しているのだ。これほどの隠形の使い手は秋芳が今まで直接会った中では担任講師の大友陣くらいだろう。
(いや、それ以上かもな……)
内に秘めた巨大な霊力がひしひしと伝わってくる。見鬼で感じているのではない、これは本能が知らせているのだ。
こいつは、強いと。
さらに――。
(霊相が微妙にずれている?)
どうも身におびた霊気の形や流れが妙だ。どこがどう妙かと説明はできないが、おかしい。人の気ではない。
この老人、人にあらず。
「ご老人のその眼鏡、ずいぶんと古そうですが、鼈甲ですか?」
「む? おう、いかにも。これは天文の頃より愛用しておる玳瑁作りの年代物よ。宣教師よりちょうだいした、本物の舶来品じゃ」
「ハイカラですね」
「あの当時はの。義隆や義晴よりも先に眼鏡をかけたのは、なにを隠そうこの儂じゃよ」
日本へ眼鏡が伝わったのは1551年。イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが周防の大名、大内義隆に献上したのが最初とされている。また室町幕府十二代将軍の足利義晴が所持していたという眼鏡は現存しており、これが日本最古の眼鏡ということになる。
この老人は室町時代から生きていると、そう言っているのだ。
「わたくし、賀茂秋芳。陰陽の先輩に挨拶もうしあげます。さて? 先輩のことはなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「ちょ、ちょっとちょっと、秋芳君。なんでそんなにかしこまってるのよ!?」
「相手は一応お年寄りだからな、とりあえずは礼をつくすさ。俺は敬老の精神を持ち合わせているんだ」
「ふぅむ、儂の名か……。さてさて、なんと名乗ろうかのう? 加納随天か天竺徳兵衛か仁木弾正か、多くの者が多くの名で呼ぶゆえ、名乗りにこまるのう」
「では……、果心居士とでもお呼びしましょうか?」
「ほ! これはまた懐かしい名じゃ、たしかにそのように呼ばれ、名乗っていた時もあったわ」
「果心居士って、まさか本物……?」
果心居士とは七宝行者とも呼ばれる室町時代後期の呪術師で、特に幻術に長けていたという人物だ。今の世の人ではない。
「その果心居士がなぜ私の友人をかどわかすような真似をするのです?」
「なに、ほんの座興よ。あちらこちらを歩いておると、呪の道を歩まんとする雛を、おぬしらを見つけたのでな、ついついからかいたくなってしもうたのじゃ」
「人が悪い。さらうだけならともかく、頭の中をいじるのは感心しませんね」
「いじってはおらぬ。少々なでた程度じゃ」
「――ッ!」
老人、果心居士に食ってかかろうとする京子だったが、秋芳に目で制される。
「座興はこれにておしまい。私たちは帰りますので」
「まぁ、待て。せっかくじゃ、もう少し遊びにつき合ってもらおう」
「いい加減にしてください」
「術くらべなど、どうじゃ? 先ほどのおぬしの持禁といい、嬢ちゃんの反応といい、そこの『秀頼様』とは大ちがい。雛だと思いきや、たいした成鳥よ。これは久々に楽しめそうじゃ」
秋芳は無言で京子と天馬をうながし、二人を先にしてその背をかばうように退出しようとする。
「行かせぬよ――」
目の前の戸が消え、壁になった。
「幻術!?」
「いや、これは本物の壁だな。部屋を、この空間を直にいじったんだ」
「なんでもありね、もうっ」
「ごめんね秋芳君、ごめんね京子ちゃん。僕が捕まっちゃったからこんな目に、僕のせいで、ごめんね……」
「天馬があやまることはないわ。悪いのは百パーセントあのジジイなんだから」
「そうだぞ天馬、おまえにはなんの落ち度もない」
「クツクツ、行かせぬよ。さような無礼、断じて許さぬ」
「……無礼はどっちだコラ。人様をかどわかし、くだらん座興につき合わせようとする。そっちこそ無礼千万だろうが」
無礼に無礼で返すのは、畜生の所業。という言葉があるが、礼を欠く者に礼は要らん。という言葉もある。かしこまった口調を改め、怒気もあらわに果心居士をねめつける秋芳。
「存外つまらぬことを言うの。儂らの世界において『礼』とはすなわち『技』を指す。『技』とはなにか? 古くは神と人、のちには人と人とのつながりによってずる力。それを良くもちいるための技、作法、式こそ『礼』じゃ。おぬしの言うところの道徳だの礼儀作法だのも、もとを正せばこれにあたるがの。あいにく儂らの世界では『礼』はより原始の姿でもちいられる。技のともなわぬ形だけの『礼』など、たんなる懇願。いっそ無礼じゃ。儂はここでそのような『礼』をつくす気はない」
「破落戸の屁理屈ね」
「ああ、まったくだ。今の屁理屈を孔子様にむかって言ったらどんな言葉が返ってくるだろうな」
「なんとでも言うがよい。そちらにその気がないのなら、その気にさせるまで――。秀頼様、いやさ百枝天馬よ!」
「ええッ!? ぼ、僕?」
「――すべての中心がおのれであれば、おのれを活かせば世界も生き、おのれを壊せば世界も滅びるが道理。ならばおのれの思うがままに生きれば、それこそが世界を支配することに他ならない。誰にも負けることはない。勝つ。負ける。それは心のありよう。欲しいものを手に入れ、不要なものを壊す。おのれが世界の中心なのだ。手に入らぬものはいらぬもの、壊せぬものは必要なもの――」
「天馬! こいつの言葉なんて聞いちゃダメ!」
「おのれの思うがままに生きる力。欲しくはないか? 欲しければくれてやろう。目覚めよ、目覚めよ、目覚めよ。力よ、目覚めよ……」
果心居士の言葉。その一言一言が呪詛となって天馬の心を侵し、脳を蝕む。
ふたたび虚ろな表情を浮かべ、うなだれる。
「……ごめん、秋芳君。僕はやっぱり君がうらやましい。君の力がうらやましい。僕は君みたいな力が欲しいんだ。ごめん、ごめん、ごめん、ごめんごめんごめんごめんごめんごめん――――」
謝罪の言葉を連呼する天馬の身体に妖気が満ち、みるみる巨大化していく。身につけた朱金色の衣冠束帯にラグが走ったかと思うと、それは豪華な衣装から一転、武士の甲冑へと変わった。
やせていた少年の身体は三メートル近い巨躯へと変貌した。
「どうじゃ? 頭の中をいじるとは、このようなことを言う」
「うそ、でしょ……?」
「……人の心には誰しも陽と陰がある。風の流れや川のせせらぎなど、この世界を形造る森羅万象にも同じように陽と陰がある。その陰に見入られた者は外道に堕ちると言われている。人ならざる、異形の存在へ。その法は外法と呼ばれ、人の世に今もなお密やかに受け継げられている。果心居士はそれを使ったんだ」
「もとに、戻せるの?」
「戻すさ、絶対にな」
『凄い力だ……!』
なんともいびつで不自然なことに、巨漢と化した肩の上。そこには依然と変わらぬ天馬の童顔があった。その口から野太い声が響く。
『こんな凄い力があればなんだってできる気がする。……ねぇ、秋芳君。僕と、戦って』
「天馬!?」
「悪い京子、少し下がっていてくれ。天馬のことは俺にまかせろ」
「でも……」
「頼む」
「……わかったわ」
「さて、天馬……。つうかまたえらい格好になっちまったな。秀頼っていうか『戦国BASARA』の秀吉だぞ、そのガタイは」
『最初に会った時から僕はずっと秋芳君に憧れてたんだ。僕にはない力を持った秋芳君に。僕は今、凄い力がある。秋芳君と戦いたいんだ』
憧れの感情。
それは秋芳にとって縁のないものだった。今までその霊力のため恐れられたことはあっても、憧れの目で見られたことはない。
「俺と戦いたいって言ったが、ダメだ。術くらべもいい、組み手もいい。だがこんな形での戦いなんてまっぴらだ。そんなかりそめの力で戦っても嬉しくないだろ? つまらないだろ?」
『なんであれ力は力だよ、いやだと言っても僕はやめないからねっ!』
巌のようになった拳を握り、高く掲げて威嚇する。
「そんな手で殴られたらぶっ潰されちまうかもな。天馬、おまえはそんな無意味で理不尽な暴力を振るうようなやつじゃない」
『うるさい、うるさい、うるさい!』
言うやいなや天馬は拳をふるい、秋芳の胴に重たい一撃を喰らわせた。
壁際まで大きく吹き飛ばされ、床にころがる秋芳。
「え、うそ……、なんで、なんで避けないのさ?」
「……天馬なら殴らないからだ。おまえは、そんなことはしないって」
金臭い。口の中を切ったようだ。
「そんなこと、そんなことないよ。そんなこと……」
「俺は戦わないよ、天馬。こんなこと、もうよそう。俺はおまえに、俺を殺させたくない」
肉がひしゃげ、骨がきしむ。人を殴った嫌な感触の残るみずからの拳を見下ろす天馬。
そう、自分は友達を殴ってしまったのだ。
その事実を認識するとともに、酩酊していたような高揚感は消え去り、後悔の念が胸に満ちる。
全身から力が抜け落ち、妖気も霧消していく。甲冑にラグが走り消え失せ、部屋にいた時に着ていた服の姿になった。
糸の切れた操り人形のようにくずれ落ちそうになるのを駆け寄って抱きとめる秋芳。
「京子、ちょっと天馬を頼む。俺はこのじいさんと話をつける」
「口から血が出てるじゃない。あたしが代わりに…」
「いや、俺がやる。君はこんな妖怪じじいと因縁を生じさせる必要はない。それよりも気をつけろ。俺が相手をしている間にも、妙なちょっかいを出してきそうだ」
「……ん、わかった。天馬のことはあたしにまかせて」
「それと、とびきり頑丈な結界を張っておくんだ。大技を使う」
「そんなに手強い相手なの?」
「ああ、強い」
御座の間の中央。果心居士と対峙する秋芳。
「ようやっとその気になったようじゃの。良し良し! しかし実にあっけない。あの小僧め、おぬしと一戦するかと思いきや、儂の与えた力をろくに振るいもせずに退くとは……」
「天馬はあんたが思ってるほど馬鹿じゃないってこった」
「ふむ、ところで今さっき小僧に殴られたおり、おぬしはなにか術を使ったはずじゃ。そうでなければあの勢いで殴られて無事ではすむまい。いったいどのような術をもちいたのじゃ?」
硬功夫。あるいは鉄布衫功と呼ばれる気功術。体内の気を張り廻らせて肉体を鉄のように硬化させる術。長続きするものではないが、上手く呼吸を合わせれば小口径の銃弾くらいは防ぐことが可能だ。
思わずそのようなことを口にしようとして、とどまった。
なぜそんなことを今から戦う相手に教えなければならないのか?
「あー、なんもしてないね。あのシチュエーションでこっそり防御するとか、かっこ悪いだろ? そんなことしないって。黙って普通に素直に殴られたからね、俺は。……つうか今の甲種言霊か。つくづく人の頭をいじるのが好きなじじいだな」
「ふむ、さすがに効かぬか」
「あたり前だ」
秋芳はふと思う、能力バトルもの作品に登場するキャラクターの中には、戦いの最中にもかかわらず、自分の能力についてベラベラと説明する者がいるが、どうしてそんな種明かしをするのだろう?
勝ってもいない相手に手の内をさらすなど愚の骨頂ではないか。
視聴者や読者に能力について説明したければ、ナレーションを入れるか、心中のモノローグで言わせればいいのに、と。
「では、ゆくぞ。――近ごろはこう言うのだったな、急急如律令」
果心居士が手にした杖を無造作に放り出した。杖は中空で大きな音を立てて砕け散り。その木片が無数の杭となって襲いくる。
「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、前、行!」
臨む兵、闘う者、皆陣を列べて前を行く。秋芳は神仙系の早九字を高速で結印し、格子状をした呪力の防壁が出現。飛来する杭をすべて防いだ。
「まだじゃ」
食い止められた杭が蛇に変化し、呪壁を食い破ろうとうごめく。
「花淵善兵衛通りゃんせ!」
岩手県の民間伝承に伝わる蛇除けのまじない言葉。秋芳はそれに呪力をくわえることで本物の『呪』に仕立て上げた。以前にもちいた雷除けの『くわばら』同様、たんなる力づくの甲種言霊ではない精巧にして玄妙な言霊術。
蛇たちはいっせいに動きを止め、床に落ち、煙を上げて木片に戻った
「まだじゃまだじゃ」
果心居士が結印し念を凝らすと、木片が一つにかたまり一匹の竜と化して牙を剥く。だが秋芳はそれには目をくれず地面に向けて刀印を切る。
「PIGYAAAッ!」
いつの間にそこにいたのか、奇怪な声を上げて卒倒したのは双頭のねずみだった。
竜は目くらましの幻術。地を走るねずみの姿をした呪詛式こそ本身の攻撃と察し、それを祓ったのだ。
「珍しき蛇除けの呪。そして幻術に惑わされぬその眼力。良し良し! さぁ、次はおぬしからくるがよい」
「そうさせてもらおう。京子」
「なに?」
「俺の上着に入ってる五行符。全部打ち出せ」
もはや理由は訊かない。京子は言われた通りに自分の着ている、秋芳の上着に入っていた木火土金水の五行符をすべて打ち放った。
桜吹雪のごとく呪符が舞い散る。
「東方太歳星君、南方荧惑星君、西方太白星君、北方辰星君、中央鎮星君。陰陽五行の太極に位置する陽中の陰と陰中の陽の星々、つどいて散り、散りてつどえ。急急如律令!」
木気は火気を生み、火気は土気を生み、金気は水気を生み、水気は木気を生む――。
陰陽道の根柢を成す五行思想にもとづいた相生相克を利用した呪術。
相生を重ねるごとに威力を倍加させた呪力が純然たる破壊の力を生じて荒れ狂い、御座の間を吹き飛ばす。
「やりおるわ! オン・マリシ・エイ・ソワカ」
果心居士は摩利支天の真言を唱え、結界を展開。怒涛の勢いでせまりくる呪力の波を防ぐのではなくすり抜けた。陽炎を神格化した天尊である摩利支天は穏形を司る象徴だ。
たわめた人差し指を親指で弾く弾指を三度おこない、さらに摩利支天の真言を唱える。
「サラティ・サラティ・ソワカ――オン・マリシ・エイ・ソワカ」
調伏相手を打擲する摩利支天の神鞭法。呪力の鞭がうなりを上げて秋芳を打つ。
「苦哉大聖尊、入真加太速、諸天猶決定、天人追感得、痛哉天中天、入真如加滅。急急如律令」
あらゆる厄災から身を守る道教の呪文。呪力による堅固な盾が生じ神鞭を防ぐが、その衝撃までは消せなかった。衝撃が貫通し秋芳の全身の霊気を、霊体を打ち据える。痺れをともなう痛みが身体中に走る。
やはり、強い。
秋芳はあらためてそう思う。先ほどの五行方陣の術式に隙がったとは思えない。それを摩利支天の隠形法をもちいたとはいえ回避するのは、この果心居士と称する怪老がそれだけの実力をそなえているからに他ならない。
(だが摩利支天の穏形術。そうそう連発できるものでも持続できる術ではないはずだ。仮にできたとしても、貫く!)
あえて一枚ずつ残した五行符に気を凝らし、素早く結印する。
「東に少陽青龍、南に老陽朱雀、西に少陰白虎、北に老陰玄武、中央に太極黄龍。陰陽五行の印もって相応の地の理を示さん。急急如律令!」
さきほど使用した五行方陣に匹敵する威力を持つも術式の異なる呪術が炸裂。四神を象った呪力が生じて荒れ狂い、呪術の嵐がふたたび吹き荒れる。
秋芳と果心居士の戦い、術くらべは終わる気配を見せない。
「凄い……、これが、呪術。これが対人呪術戦……」
秋芳との訓練でそれなりに力と知識を得たと自負していた京子だが、それは思い上がりだったと痛感した。
不動金縛り、符術、セーマンドーマンの呪壁、甲種言霊、幻術、火界咒、兎歩、雷法、厭魅、蠱毒、持禁――。
千変万化の呪。古今に知られた数多ある練達の技。ありとあらゆる呪術の応酬。
その中には京子がいまだ見たこともない呪術もあった。霊気が渦巻き呪力が交差する。秋芳と果心居士、二種の力が激しく入り交じり、熱気とも冷気とも知れない霊風が吹きすさぶ。
まるで戦う二人を中心に、竜巻が荒れ狂っているかのように。
激しい、あまりにも激しい呪術戦の余波を受け、御座の間は天守閣のある御殿ごと崩壊した。それでもなお周囲にあるかがり火と月明かりの光の下で、なお両者は術をくり出し続ける。
京子があらかじめ堅固な結界を展開していなければ霊圧にさらされ、こちらの身もただではすまなかっただろう。それでもなお身体が、霊体が焙られているようだ。
「オン・ビシビシ・カラカラ・シバリ・ソワカ」
秋芳が不動金縛りとともに苦無を象った簡易式を打つ。だがそのどちらも狙いは微妙にはずれ、果心居士にはとどかない。
「クツクツ、手元が狂ったかの? そろそろ疲れが――ッ!?」
困惑の表情を浮かべ身を固める。
「こ、これはどうしたものか? なにゆえ身体が動かぬ!? 今のぬしの金縛りは不発に終わったはず……、はっ!」
視線を落としてそれを見た瞬間、その表情は困惑から驚愕に変わった。
金色の月光に照らされて落とすおのれの影に苦無が刺さっている。
「こ、これは影縫い! ううむ、さしもの儂もこのような忍びの術は門外漢よ、返しかたは知らぬ」
「そうか、なら詰みだな。今の状態では印も結べず、ほとんどの術は使用できないだろ。負けを認めてもらおうか」
「なんのまだまだ、無粋を承知で力業にいかせてもらおう!」
「はぁ?」
「喝―ッ!」
叫びとともに怪老の矮躯から途方もない霊力が爆発的にあふれ出た。
完全に『かかった』術を力づくで解除する。圧倒的な霊力呪力があるからこそ可能な力業。影に刺さった苦無は地面から押し出されるように抜け落ち、そのまま影に飲み込まれた。
秋芳の影縫いは高い完成度で発動したが、果心居士の霊力呪力にくらべると、それでもまだ差があった。技術ではなく総量の差。圧倒的なパワーの差だ。
「おぬしの呪、倍にして返すぞ!」
影が大きく伸び、うねり、漆黒の竜と化す。その咢には秋芳の苦無が牙となってならんでいた。
影の竜が猛烈な勢いで秋芳を喰らわんと迫る。それはまるで黒い瀑布のよう。
「オン・ロホウニュタ・ソワカ」
一千もの光明を発することによって天下を照らし、その光により諸苦の根源たる無明の闇や悪鬼邪気を滅尽するという日光菩薩の真言。
眩い閃光が奔り、影の竜はあっけなく消滅した。秋芳の簡易式符のみがたゆたう。
「なんと、光か」
「そうだ、光だ」
秋芳は自分の簡易式符を回収しつつ、うんざりした顔で応える。
「なるほど、まんべんなく光をあてれば影は消える。その手があったか」
あと真っ暗闇にして影そのものを消すことでも影縫いから逃れられるけどな。そう胸中で思うもけっして口にはしない秋芳。
「愉快、愉快、ぬしとの術くらべ。まことに面白し。さぁ、続きじゃ」
「……いや、勝負あっただろ」
「なにを言う。儂はこのとおり健在ぞ」
「完全にかかった術を術理にもとづき解くのではなく、力づくでどうこうした時点で、この術くらべ。呪術勝負はあんたの反則負けだろ、じいさん」
「否。力業もまた技なり。呪術者が目的のためにもちいるのなら、それがなんであっても呪ぞ」
ビキリ。
これがコミックだったらこめかみに怒筋マークでも浮かんでいたことだろう。さんざん術くらべ術くらべとごねたから、しぶしぶ『術』限定で相手をしてやって、なおこのようなもの言いをする。
年寄りだろうと人ならざる存在だろうと、もはや加減はいらぬ。秋芳はそう決めた。
「……そうかい、なら俺のこれも呪だな」
すっ、と歩を進める。次の瞬間、果心居士は両腕をつかまれていた。
「ぬっ?」
「ふんっ」
投げた。
相手の両腕を肘が下になるよう逆に交差させて極め、そのまま背負い投げたのだ。受身を封じるどころか投げた瞬間に両肘の関節を破壊し、脳天から地面に叩き落す。実にえげつない殺し技だ。
いやな音を立てて地面に激突、その体にさらにストンピングのかかと落としを放つ。顔面が眼鏡ともども打ち砕かれ、血に染まる。
白髪をむんずとつかみ、持ち上げたあと、思いきり下に引き落としながら右膝を蹴り上げる。鼻の軟骨が内側に陥没する感触。さらに――。
蹴る、殴る、蹴る、殴る、蹴る、殴る、蹴る、蹴る、蹴る、殴る、蹴る、蹴る、殴る、殴る、殴る、蹴る、蹴る、蹴る、蹴る、殴る、蹴る、殴る、蹴る、殴る、殴る、蹴る。
さらに、蹴る。
そして、殴る。
また、蹴る。
一方的に振るわれる暴力の前になすすべもなく、老人の矮躯はボロ雑巾のようにわやくちゃにされ、地面をころがる。
「うっ」
その光景に思わず目を背ける京子。こんな暴力を目のあたりにしたのは、始めてだ。
霊災が人を襲い、喰らう。酸鼻極まる場面は以前にいやというほど見たことがある。だがその種の暴力と今の暴力では質がちがう。
生身の人間が、生身の人間を容赦なく痛めつける。それも痛めつけているのは他ならない自分の恋人なのだ。
それが怖かった、悲しかった、自然に涙があふれてきた。
「もう、やめて、やめて。もうやめてあげて! 秋芳君、お願い。その人死んじゃうわ……」
ひっ、えぐっ、としゃくり上がる嗚咽をこらえて。そう懇願する京子の声を耳にして、ピタリと動きを止める秋芳。
「……安心しろ、京子。こいつは最初から生きてはいない」
「どういうこと……?」
「ひゅひゅひゅ、やはり気づいておったか。しかしこの仕打ちは惨い!」
首があらぬ方を向き破壊された喉からすき間風のような声が漏れ出す。
四肢は不自然にねじ曲がっている。顔はまるでザクロのように裂け、もはや容貌の判別ができないほどだ。
だがそれでも、それでも一滴の血も流れ出ていない。
そこにあったのは死体。老人の骸だ。ろくに流血がないということは、心臓が停止してからそれなりの時間が経っているはず。
骸がつつつ、と起き上がる。まるで頭頂部に糸のついた人形が上から引っぱられて立ち上がるような、不自然な起きかた。人の身体はそのような動きはしない。しないはずだ。
もとより異様な老人だったが、さらに異様だ。
京子は見鬼を凝らし、視た。
老人からにじみ出る霊気は、ほとんど減退していない。満身創痍の身体から――いや、身体があるあたりの空間から霊気がわき出ている。
身体が霊気をおびているのではない。
霊気が体に宿っている。
霊気が主であり、人の身が従。従たる人が死んでいるにもかかわらず、主たる霊気はいまだ健在なのだ。
「動的霊災……」
「ぬしらの基準で言うと、そうなるのかの」
「タイプ・スペクター……、いや、タイプ・オーガ。尸解仙か?」
尸解仙。
道教における仙人になる方法の一つ。晋の葛洪が記した抱朴子という方術書には現世の肉体のまま仙境に至り天へと昇るのを天仙。天へ昇ることなく地にいて名山に遊ぶのを地仙。いったん死んだ後で蟬が殻から脱け出すようにして仙人になるのが尸解仙とし、尸解仙を下位としている。
だが、不老不死を達成するために本来の肉体をいったん死なせ、黄泉還るのは並の術者にできる芸当ではない。死を超越した呪術師。それが尸解仙なのだ。
「ふむ。まぁ、あたらずとも遠からず。といったとこか。外法の賜物という点では似たようなものよ。しかしよう傷めつけてくれたものよ。この身体、もはや使い物にならぬわ」
「自業自得だろ、自分から粉を吹っかけたんだ。悪く思うな」
「頭で納得できても心が許さぬこともある」
「難儀なじいさんだな~、まだやろうってのか?」
「然り。ただもう術からべなどとは言わぬ」
「ほう? じゃあなんだブチ切れたから全力でケンカでもしようってか?」
「さような散文的な言いようは好かぬ。存分に死合おうぞ!」
「死合うって、中二かよ!」
果心居士の両腕が、折れたはずの腕が流れるように空中に呪印を描く。幾重にも幾重にも――。
「積層型呪印とは大仰な…。京子!」
「は、はい!」
「動かなくていいから、ちょいと力を貸してくれ。その場から援護を頼む。やり方はおまかせだ」
「わかったわ、まかせてちょうだい!」
彼と一緒に戦える。彼の手伝いができる。彼の背中を守れる……。喜びが胸の奥から生じ、さきほどの怖さ、悲しさはいっぺんに吹き飛んだ。
積層型立体呪印。禍々しい紋様をしたそれが脈動し、そのたびに大きく膨らむ。そして、爆ぜた。
黒い奔流がほとばしる、それらはたがいに絡まり密集し、異形の姿を形作る。
一体、二体、三体……。たくさん。
「かの鵺殺しの源頼政とて、平氏の大軍の前には敗れた。さぁ、おぬしはこの数にどう対抗する?」
累々たる物の怪が、式神とも動的霊災ともわからぬ化け物どもが現れた。
ひとつ目の大入道、脚が一本しかない犬、ふたつ首の女、足のある蛇、手足の生えた琵琶、角ひとつあるもの、角ふたつあるもの、牛ほどもある蝦蟇、馬の首をしたもの、這うもの、踊るもの、顔のないもの。
口だけのもの、後ろに顔のあるもの、首だけで宙を飛ぶもの、ぬるぬるとしたもの、長きもの、短きもの、翼あるもの、足で歩く壺、絵より抜け出した薄き女、足なくして這う狼、腕四本あるもの。
目玉手に持ちながらゆくもの、身体中に乳房ぶらさげたる女、数知れぬ蟲、手足のある目玉、髪の毛だけのもの、腐りしもの、骨だけのもの、肉だけのもの、得体の知れぬものども……。
同じ形状のものは一体としていないが、全体としての印象は似通っている。それらは現代の霊災ではなく、はるか昔の平安の夜をうごめき、跳梁跋扈していた妖怪変化の群れ。百鬼夜行を彷彿とさせる。いや、百鬼夜行そのものだった。
まぼろしの城を照らす蒼い月光の下、百鬼夜行が牙を剥く――。
「東海の神、名は阿明。西海の神、名は祝良。南海の神、名は巨乗。北海の神、名は禺強。四海の大神、百鬼を避け、凶災を蕩う。急急如律令!」
京子の打った五行符が光を放ち、呪符同士を結びつけ、光の呪印セーマンが煌めいた。その燦然たる破魔の霊気に照らされ、式神たちが絶叫しながら目を覆い、退散する。中にはそのまま消滅してしまうものさえいた。
汎式ではない、夜光の作り上げた帝国式陰陽術にある百鬼夜行を避けるとされる秘術。
「なんと! 非凡な霊力と思うていたが、これほどとは!」
望めば望むだけ霊力があふれてくる。これが京子の持つ如来眼の力だ。
大海から押しよせる海嘯のごとき霊力が式神らを駆逐し、果心居士の動きすら止める。
秋芳はその隙に金色をした最上級の紙幣。冥銭を取り出し剣指にはさむと、念を凝らし口訣を唱える。
「玉帝有勅、三昧真火神勅、形状精光、上列九星。急急如律令!」
冥銭が燃えて火球と化し。赤、青、白と熱が上がるごとにその色を変え、巨大化する。完全なる赤色をした純然たる火。三昧真火が完成すると、それを果心居士目がけて投げつける。
「三昧真火!? それは反則じゃ!」
水剋火。それを防がんとありったけの水行符を投げ打つ。吹雪さながらに宙を乱舞する呪符。そのどれもに並々ならぬ呪力が込められているも、そのことごとくを三昧真火は焼き払う。
「タニヤタ・ウダカダイバナ・エンケイエンケイ・ソワカ!」
龍索印を結印し、仏教の護法神である天部の諸尊。十二天のひとつ水天の真言を詠唱。
「ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バルナヤ・ソワカ!」
錐のような水滴が、銃弾のような雨が、大砲のような水流が火の勢いを消そうと渦巻き、霧の壁が、水の楯が、氷の砦が火を防ごうと展開するも、そのすべてが焼き払われる。高熱の水蒸気が吹き荒れ、まるで灼熱地獄がこの世に顕現したかのような有様。
いまだ勢いの衰えぬ三昧真火。あたってはたまらぬと、無数の式神とそれを吐き出し続ける呪印ごと楯にしてぶつける。強大な呪力と呪力とが正面衝突し、轟音がとどろき空間が震える。それでやっと三昧真火を相殺することができた。
「動きが止まってがら空きだ。京子、合体呪文で修祓するぞ、気を合わせろ」
「了解!」
「「――奇一奇一たちまち雲霞を結ぶ、宇内八方ごほうちょうなん、たちまちきゅうせんを貫き、玄都に達し、太一真君に感ず、奇一奇一たちまち感通――天御中主神の威を以って、これなる邪気、瘴気を一掃せん」」
秋芳と京子の打った呪符が光り輝き、列をなして宙を舞う。
秋芳からは黒曜石のような、京子からは真珠のような色をした呪力の軌跡が伸び、果心居士を囲む美しい環を成す。
虹色の霊気が京子を彩り、その美しさをいっそう際立たせる。亜麻色の髪が宙にたゆたい、手にした呪符が一枚、また一枚と蝶のように羽ばたいて果心居士を囲む光の環にくわわる。そして最後の一枚がくわわり――。
「急急如律令!」
「疾く!」
刀印を結び、振り下ろす。
修祓呪術、太一真君の呪法が発動。白と黒、光と闇、剛と柔、男と女、陰陽双つの気に満ちた呪符の光環がたわめ、内側に向かい収斂。巨大なプリズムの万華鏡をのぞいたかのような光の洪水が奔り、清冽清浄な霊気があふれ、果心居士という名の動的霊災を祓い清めた。
妖しき怪老は、消滅した。
「終わった、のよね……」
「ああ、じじいの企んだくだらん茶番はおしまいさ」
激しい戦いのあおりを受けて、周りはメチャクチャだ。もはや聚楽第は瓦礫の山と化していた。
「これ、だいじょうぶなのかしら? 外に出たら模型が壊れてたりして……」
「んー、出てみなきゃわからん。あー、疲れた! 眠い! 眠る!」
「キャッ!?」
秋芳は京子に倒れ込むように抱きしめ、その豊かな胸に顔をうずめ、頬ずりをした。
「あ~、ふかふかだ。すべすべむちむちのマシュマロボディ。天使の褥ってのはこういうのを言うんだろう、な……?」
京子の身体が緊張してるかのように強張っている。ふと見上げれば、その顔に怯えの色が浮かんでいるではないか。
この子は俺に怯えている。秋芳は京子から離れようとするが、そのことに気づいた京子はハッとなって秋芳が離れぬよう抱きしめる。
「ごめんなさい、あたしそんなつもりじゃ……」
「さっきのことか」
「ええ、あなたのあんな姿、始めて見たから、その、怖くって……」
「いいんだよ、女の子はそれで。女性ってのはリアル暴力にはドン引きするもんさ。血を見て嬉々となるほうがおかしい」
「よくないわよ。あたし、少しは強くなった気でいたけど、全然だったわ。まだまだね、こんなんじゃ陰陽庁のトップになんかなれない。ああいうのにも慣れなくちゃ」
「いいよ、そんなのに慣れるな」
「だめよ」
「殴るのも殴られるのもまっぴらだ。手に残る感触、骨の折れる音、金臭い血の臭い、不快極まりない。……なぁ、京子。呪捜官は銃を使うし、祓魔官の中には刀を使う人もいるよな」
「ええ、神通剣の木暮さんとかがそうよね」
「あのじじいの言葉にも一理ある、陰陽師がもちいるものはなんであれ呪と言えなくもない。刀で斬られるのは殴られるよりも痛いし、銃で撃たれるのはもっと痛い。それは暴力だ。呪術は、暴力だ」
そうだ、暴力だ。あたしはいままでそうと知らずに呪術を使っていた。こくりと無言でうなずく京子。
「暴力によって生じる傷の痛みには、それを越える覚悟と気迫で耐えればいい。武の道、呪の道を歩む者ならそれがあたりまえだ。だけどそれに『慣れ』てしまうと、他の人にまでその痛みを当然と強いるようになってしまう。人々の上に立つ人間がこれじゃあだめだ。慣れるのではなく、耐えれるようになってくれ」
「……ねぇ」
秋芳君は人を殺したことがあるの?
口まで出かかったその言葉を寸前で飲み込む。あたしはなんてことを訊こうとするのだろう!?
「なんだ?」
「……ねぇ、秋芳君。あたしあなたのことが好き」
「俺もだ」
どちらともなくそっと唇を交わす。今日の口づけはいつもよりも少し情熱的だった。
天馬を自室のベッドに寝かそうと横にしたさい、その目がうっすらと開いた。
「お、目が覚めたか」
「秋芳君? 僕、寝ちゃってたの?」
「ああ、そうだ」
「……なんだろう、すごく変な夢を見ていたような気がするけど……、思い出せないや」
「夢を無理に思い出そうとするのは心に悪いぞ」
「……ちがう、あれは夢なんかじゃない。あれは――」
「先に言っておくぞ天馬。あやまるな落ち込むな気にしても気に病むな」
三人は落ち着いてひと息入れてから模型内で起きたことについて、あれやこれと話をする。煌びやかな造りに幻術を多用した罠。めったにできる経験ではない。過ぎてしまえば良い思い出だ。
誰ともなく座卓の上の聚楽第をまじまじと見る。もはや妖しい気配はしない。異界における果心居士との戦いで模型も破損しているかと思ったが、そのようなこともないようだ。
「あー、でも今日はほんとうに疲れたわね」
「そうだな。て、まだこれしか経ってないのか」
「え? うそ! あれだけいたのに一時間も経ってないの?」
ベッドの近くに置いてある目覚まし時計の針は、いまだ正午を指していた。
他の方法で時間を確かめようとTVをつける。すると――。
『あなたの、TVに、時価ネットたなか~。み・ん・な・の、欲の友♪ ハァ~イ、こちら時価ネット。時価ネットたなかでございます。生放送でお届けする噂のショッピング番組時価ネットたなか。良い物をつねに適正価格でお届け、う~ん、目が離せない。さぁ~て本日紹介する商品はこちら! マジカルビキニ、ドルフィンスイムウェア、レインボーパレオら【渚の女神】セットでございます。こちらにさらに鞍馬山にある千年の霊木を削って作った木刀までおまけにつけちゃいます。さらにさらに! 今回時価ネットからお申し込みいただいた方だけへのサプライズ。ご好評にお応えして〇〇社制オリジナル幻の城シリーズ・城之崎城の模型をプレゼントします! かの徳川家康が駿河を手に入れる為に築城したものの、先に武田信玄に駿河を取られてしまい、逆に攻められ易いので浜松城に居城を変えてしまって、遠江の主城になり損ねたどころか完成さえしなかった残念なお城です。こちらの模型、先着十名様まで限定でございます。さてこの商品、気になるお値段は――。ぜひお早めにご注文ください。ご注文はインターネットとお電話で、ごらんのアドレスと電話番号から時価ネットに連絡してください――』
「またこの番組……、もう秋なのに水着って、てゆうか木刀? 模型? ほんとありえない……」
「――あ、もしもし時価ネットさんですか? 【渚の女神】セット一つお願いします」
「もう、いい加減にしなさい!」
バシッ、と京子の呪符ハリセンが秋芳の顔面に炸裂。
「え、え~と。ここは『もう模型はこりごりだよ~』て締めなくちゃだめなのかな?」
「そんなお約束の締めかたしなくていい! ていうかいつの時代のアニメのオチよ、それ」
闇よりも暗い気配を漂わすマンションの一室。座椅子に深く腰掛けていた老人の身体がビクリと震えた。
羽毛のような白髪を後ろになでつけ、首から下は漆黒の着物。そして血のように赤いサングラスをした、異様な風体の老人。姿形に若干の差異があるものの。それはさきほど秋芳らが修祓した果心居士に似た特徴をそなえていた。
「やだ、ジャーキング? 幼女のは可愛いけど、じじいのはキモい」
床に座り、なにやら難しげば書を読んでいた小柄な少女がそれを見て辛辣な言葉をつぶやく。
「……儂の〝影〟が修祓された」
「あ、そう」
「応仁の頃より使いし影。いささか『くどい』ところがあれど、あそこまで強力な影は他になし。自由に泳がせておったそれが祓われたのよ」
作業に、読書に没頭する少女になんの反応もない。老人の言葉になぞ無関心。馬耳東風のようだ。
「たしか秋芳、と言うたな。あの鬼一法眼や司仙院興仙に勝るとも劣らぬ験力を、呪と武の力を兼ね備えし者。今の世に珍しき逸材。儂に術くらべで勝った褒美をくれてやらねばな……」
クツクツクツ、老人は心底嬉しそうに笑い、思案をめぐらせていた。
なにを与えればあの若者は喜ぶのだろう、と――。
ページ上へ戻る