| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

東京レイヴンズ 異符録 俺の京子がメインヒロイン!

作者:織部
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

憑獣街 1

 新宿御苑の一角。

「うん、悪くなかったわ。あなたの言うとおり音楽とダンスのシーンが素敵だったわね」

 映画館から出た後。人、人、人。人のごった返す雑踏を抜け、都内でも屈指の大庭園で息抜きをする秋芳、笑狸、京子の姿があった。

「そうか、退屈しないですんだのなら良かったよ」
「主役の子、アレックスてば凄いわよね。昼は工場で、夜はバーで働きながらプロを目指してるなんて、バイタリティあり過ぎ。あたしも負けてられないわ」
「でもあの子ってエロっ子だよね~。レストランのシーンのアレとかさ」
「もう、笑狸ちゃんてば、どこに注目してるのよ」
「秋芳はああいうの好き?」
「俺は服を着たままブラを外すシーンにグッと来たな」
「変態!」
「変態!」

 芝の広がるイギリス風景式庭園。バラの花壇とプラナタス並木を中心とするフランス式整形庭園。和の気品あふれる日本庭園――。
 水と緑のあふれる庭園を三人でぶらぶらとそぞろ歩く。
 そう、三人で。

笑狸(こいつ)以外の誰かとこうして話しながら歩くのはひょっとすると始めてなのかもな。なんだか不思議な気分だ)
「……ねぇ、あたし新宿御苑て始めて来たんだけど、ここってとっても良い気が満ちてるのね。すごく綺麗」
 陰陽師の見る世界は常人が見ることのできる世界とは異なる様相をもつ。
 見鬼の力を持つ京子には、あたりに満ちる気が清らかで澄んだものとして「視」えた。

「さもありなん。なにせここは四神相応の地に通じる造りをしているからな」
「え? そうなの?」
 
 東に川(青竜)
 西に大きな道(白虎)
 南に大きな池や溝(朱雀)
 北に山(玄武)
 御苑の中央休憩所から見た場合、東には川ではないが上ノ池。西には御苑で唯一の駐車場。北にはツツジ山とモミジ山。南には京都の朱雀門を想起させる旧新宿門衛所がある。
 かならずしも場所や地形が一致するわけではないが、見立てや連想といった〝呪〟をもちいればそう見える。
 また北東・鬼門に位置する菊栽培所は立ち入り禁止区域になっており、裏鬼門・南西には玉藻池という、有名な妖怪を連想させる池が広がるのも、なにやら意味深で面白い。

「どうりで気持ちが良いわけね。ここになら一日中いてもいいくらい」
「いるだけで身心が清められるような気がするしな」

 しばらく散策し、軽く食事をした後、帰る途中の街中。

「あれ? 夏目君!? キャー、どうしたの、こんなところで?」
 
 声を上げる京子。
 見ればそこには夏目に春虎、冬児、天馬。それともう一人、秋芳の見知らぬ少女の姿があった。
 なぜか額に札を貼られ、冬児に背負われている天馬。なにかの罰ゲームだろうか?

「倉橋っ?」
「冬児? 天馬もなにしてるのよ? あ、そういえばメール来てたっけ。返信するの忘れてたわ」

 あっけらかんとみんなの顔を見まわすと、少女に声をかける。

「あら珍しい、木ノ下先輩? またそんな格好して……。まさか夏目君にちょっかいだそうって言うんじゃないでしょうね? ダメですよ。夏目君は純粋なんだから、いつものノリで惑わしちゃ!」

 木ノ下先輩と呼ばれた少女。肩のあたりでそろえられた柔らかな質感の茶髪に、派手にならず、それでいてしっかりとメイクされた目元。シンプルなデザインの白いコートと黒いレギンスが清潔そうな雰囲気を出している。

(笑狸に似てるな)

 笑狸がいつも化けている定番の姿。秋芳はそれに似た印象を受けた。

「きょ、京子ちゃん!?」

 びくぅ!

 漫画のように身を震わせ、不思議なほどの動揺を見せる木ノ下。

「おまえら知り合いなのか?」 

 と、驚きの声をあげたのは冬児だ。

「先輩? まあね。化粧品の相談とか乗ってあげてるの。だからほら、すっごく可愛いでしょ? 男とは思えなくない?」
(なんだ、男だったのか。しかし確かに可愛いな。綺麗・美人というよりは可愛い・可憐。そんなタイプだ。これで巨乳の女だったら良かったのに)
(秋芳はおっぱいが大きければそれだけでいいんでしょ)
(人の心を勝手に読むんじゃない)

 そんなやり取りをする二人をよそに、春虎、冬児、夏目らが呆然としてた表情で声をもらす。

「「「は……?」」」

 場に妙な空気が流れ、一瞬の沈黙が走る。

「な、なによ」

 それを破ったのは少女。否、木ノ下先輩と呼ばれた少年だ。

「なによ、なによ、なによっ!? なによ! 悪い!? いまや『男の娘』は、社会権を得てるんだからね! 誰かのことを好きになったっていいじゃない。非難されるいわれなんかないんだから!」

 木ノ下少年が唾を飛ばして主張する中、茫然自失とする春虎。虚脱状態の夏目。放心した冬児が背負ってい天馬を落とし、いつの間にか穏形を解いたコンが主と同じような表情を浮かべ、立ち尽くしている。
 どうも京子はこの場で言ってはならないことを口にしてしまったようだ。

「あ……、あら~」
 
 そうと気づいて思わず自らの口元を押さえる。

「……なによ……なによ!? いいじゃない、男でも! こんだけカワイけりゃ文句なんかないでしょ!? そうよね、そうよね! 春虎君!? ねぇっ!」

 木ノ下少年が春虎に詰め寄るも、まだ衝撃から覚めず、ただの屍のようになっている。
 ふたたび沈黙が支配する。

(ふぅむ、これはあの少年が女子と偽り春虎と良い仲になろうとしていたところ、京子が真実を告げてしまったクチか)
(人間は不便だよね~、ボクみたいに完璧かつ自由に男女に変化できなくて。……て、あれ? あれれ?)
(どうした?)
(夏目っちの匂いが、前とちがうような……。これって……)

 動物系使役式の嗅覚は鋭い。においで様々な情報を得ることができる。

「木ノ下先輩。いままで……すみませんでした」

 その夏目が潤んだ瞳で木の下に語りかける。

「……わかります。とてもよくわかります。ぼく、先輩のこと誤解してました。まさか先輩も『同じ』だったなんて……。木ノ下先輩。ぼく、感動しました! まさか先輩にもそんな事情があったなんて! いままでのことは謝ります。先輩の友達にしてください!」
「は? は、はぁっ!? 冗談じゃないわ! 私は、私よりも綺麗な子なんかと仲良くしたくないの!」
「そんなこと言わずに!」
「いやよ、いやったらいや! 春虎君、助けて!」
「え、え~っと」

 いまいち事態をのみ込めない京子が人差し指を軽くおとがいにあてて冬児に問いかける。

「どうしたの、これ?」
「帰る」

 天馬を担ぎ直した冬児の口からは、ただひと言。それだけだった。





 木ノ下純は怒っていた。涙が出るくらい、怒っていた。
 なによ悪い! いまや男の娘は、社会権を得てるんだからね!
 男の娘が男の子を好きになったっていいじゃない!
 誰かに非難されるいわれなんかないんだから!
 木ノ下純は悲しかった。涙が止まらないくらい、悲しかった。
 最初はあんなに嬉しそうだったのに、男だとわかったら態度が変わるのはなんで?
 男の娘だと好きになってくれないの?
 なんで男の娘だとダメなの?
 木ノ下純は怒り、悲しんだ。
 ちがう。
 そうじゃない。
 わかってる。
 私が男の娘じゃなくても春虎君は――でも女の子だったら――土御門夏目――私より綺麗で可愛い男子――私が本物の女の子だったら――夏目君――土御門の天才――私だって――私が――だったら――春虎君だって――私が――だったら――が――……。
 変わりたい。
 なりたい。
 なんで私は――じゃないの?

(なら変えてやろう)

「え?」

 声が、聞こえた。

(変えてやろう)
 
 ぜー ぜー ひゅー ぜー ぜー ひゅー

 生臭い、獣の息遣いがただよう。
 路地裏の奥から、ふたたび声が響く。

(変えてやろう)

 ぜー ぜー ひゅー ぜー ぜー ひゅー

 路地裏? なんで私、こんな所に……。いつ来たの?
 あの後、春虎君たちと……。
 そう。そうだ。春虎君「ごめん」て言った。ごめん、て……。
 私じゃあ……、今の私じゃあダメだなんだ……

(変えてやろう――)

 ぜー ぜー ひゅー ぜー ぜー ひゅー

 声が、響いた。
 頭の中で。
 木ノ下純の頭の中に、なにかが入った瞬間だった。

 ぜー ぜー ひゅー ぜー ぜー ひゅー

 獣の気配が、あたりに満ちた――。





 薄暗い部屋の中。
 あきらかに屋内にもかかわらず土がむき出しになっている。
 その地面から首が生えてた。
 人の首ではない。獣の、犬の首だ。
 体を土中に埋められているのだ。

 ぜーぜー、ひゅーひゅー、ぜーぜー、ひゅーひゅー。

 目を血走らせ、荒々しくも弱々しい呼吸を凝り返す。
 弱っているのだ。
 何日も食事を与えられず、死が迫っている。
 一人の男が歩いてきた。齢は三十前後。背広姿の、どこにでもいる企業勤めのサラリーマン。といったいでたちだが、服からのぞく顔と手にある生々しい火傷の痕が痛々しい。「ちょうどいい塩梅だな」
 衰弱しきった犬の姿を見て、火傷だらけの顔に満足そうな笑みを浮かべる。
 男は一度部屋から出ると、すぐに戻ってきた。手には血のしたたる生肉とノコギリが握られていた。
 生肉を犬の前に置く。

 ぜーぜー! ひゅー! ぜーぜー! ひゅー!
 
 犬の首が大きく動く。目の前の肉塊に食らいつこうと何度も歯を噛み合わせる。
 最後の力を振り絞り、飢えを満たそうとする犬の首に男がノコギリの刃をあて――。
 引いた。

 ぜー! ぜー!

 引いた。

 ぜー! ひゅー! ぜー!

 引いた。

 ぜー ぜー ぜー ひゅー

 男は無言でノコギリの柄を握り、引き続ける。
 刃が肉を裂き、血が飛沫をあげる。その一回一回ごとに犬の声が弱くなる。
 やがて犬の声も聞こえなくなり、ノコギリを引く手が止まる。その瞬間、犬の首が生肉目がけて飛んだ。
 切断面からはおびただしい量の血が、否。黒い霧のようなものが、瘴気が吹き出ている。
 恐ろしい形相で肉に食らいつき、息絶えた犬の首からあふれる瘴気。
 霊災だ。その段階はすでにフェーズ2の域まで達している。
 男はみずからの手で霊災を作り上げたのだ。

「……準備はできた。陰陽師どもめ、次はおまえらの首を刈ってやる」

 ニヤリと、男がふたたび笑みを浮かべた。口が、耳元まで裂け、異様に発達した犬歯がのぞく。
「かつては国家の存亡をも操ったというわが犬神筋の力。それを〝外法〟呼ばわりし、排した愚かさを悔やむがいい。そしてわが犬神筋の復興に役立てることに、感謝するがいい」

 男はそう言いながら瘴気をまき散らす犬の、犬だったモノを両手でつかみ、強く抱きしめた。

「まずは陰陽塾。忌々しい陰陽師どもの卵から、たいらげよう――」





 陰陽塾。
 テストの終了を告げるチャイムが鳴ると、塾生たちのため息がいっせいにもれ、張りつめていた教室内の空気がたちまち弛緩する。
 笑いと私語。喧騒に包まれる中で、机に突っ伏して燃え尽きる生徒が一人。土御門春虎だ。

「抜き打ちテストとか、聞いてねーぞ……」
「そりゃあ事前に知らせたら抜き打ちじゃなくなるじゃないか」
そう答えたのは隣の席のもう一人の土御門。艶やかで美しい黒髪と白皙の美貌があいまって、まるで美少女のような美少年。土御門夏目だ。
「春虎、今のテスト――」
「言うな、聞くな、見るな!」
「どこのお猿さんだよ、もう……。ねぇ、どこがわからなかったの?」
「だから聞くなって」
「じゃあ、いくつわからなかったの?」
「ぜ、ぜんぶ……」
「は、春虎~」

 春虎の情けない返事に、夏目まで情けない声を出す。

「いいかい春虎、テストの問題なんてのは授業で教えた範囲内からしか出さないものなんだよ。きちんと授業を聞いて要点さえ記憶していれば、あとはそれを応用するだけ。テストなんて要領さえ良ければ、いくらでも得点できるんだからね!?」
「ぐはぁっ」
「とどめのひと言だな、優等生」

 はたから二人のやり取りを見て、そう苦笑するのは阿刀冬児。こちらはテストの結果にはそれなりに自信がありそうだ。
 そして夏目と双璧をなすもう一人の優等生、倉橋京子が賀茂秋芳に声をかける。

「……バカ虎はあいかわらずね。あなたはどう? 陰陽塾(うち)のテストは始めてでしょ、どうだったかしら?」
「ああ、話には聞いていたが、問題文というのは本当に偉そうな文章なんだな」

 塵も積もれば山となる。一文字一文字のインク代もバカにはできない。
 『~を解け』『~を解いてください』『~を解いていただけませんでしょうか、よろしくお願いします』では全然ちがう。

「だから環境やコストのことを考えれば、ああいう文章になるのはしかたがないとはいえ、いい気はしないな」
「……それで内容のほうはどうだったのよ?」
「ん~、まぁ、だいたい合ってると思うよ」
「ふぅん、じゃあ軽く答え合わせしてみましょう。あたしも少し不安なところがあるから」
「ああ、つき合おう」
「卜占の問〇〇、式盤をもちいた六壬神課の手順を次の番号の中から正しい順番通りに選び、並べよ」
「順に5、7、2、6、9、4。関係ないものが四つも混ざってて、まぎらわしかったが、まず時刻の十二支から天地盤を、続いて四課を出し、天地盤と四課から三伝――、てのをおぼえときゃ、間違わないはずだ」
「あたしも同じね、あと厭魅の問〇〇――」
「それぞれ人形を矢で射抜く仙法(そまほう)、鈍器で叩く天神法、針や釘で刺す針法」
「巫蠱の問〇〇――」
「ええと、金蚕蠱(きんさんこ)
「風水の問〇〇――」
「んー、演禽風水?」
「え? 河洛風水じゃ……」
「む、どっちだ? 俺も不安になってきた」
「じゃあ最後の陰陽道について自由に書けってやつ、なに書いたの?」
「風水的見地から見た新宿の地相について」
「奇遇ね。あたしは渋谷について似たようなの書いたわ」
「おい! そこの! 二人! イヤミかこのヤローッ!」
「なによ、うるさいわねバカ虎。自分が勉強不足で赤点確実だからって『できる人』たちにあたらないでくれる」
「ぐぬぬ…」
「あはは、春虎君おちついて、おちついて」

 割って入ったのは眼鏡の好男子、天馬だ。

「今日の午後の授業は実技だけだし、そこで汚名返上しようよ。ね?」
「お、おう。そうだな天馬」

 秋芳が入塾して一週間と少し。土御門夏目、春虎、阿刀冬児、百枝天馬。そして倉橋京子。これらのメンツとはすっかりなじみとなった。
 彼ら以外のクラスメイトとはあまり接点がないが、そのへんの溝は笑狸が埋めてくれている。なんだかんだで頼りになる伙伴(パートナー)なのだ。





 地下呪練場。
 スタジアムを彷彿とさせる造りで、中央の競技場を囲むように観覧席が並んでいる。奥に設置されてある祭壇には様々な呪的機能があるという。
 競技場内で蒼いツバメのような外見をした式神が大量に飛び交っている。
 『モデルWAI・スワローウィップ』ウィッチクラフト社製の捕縛式だ。
 捕縛式といっても今はその機能はOFFにされて、ただ中空を漂うのみ。これらに呪符をあてるというのが授業内容だ。

「みんな午前中の抜き打ちテストで疲れたやろ? 午後の授業は息抜きや。レクリエーションだと思って、きばるなり休むなり、好きにしたらええで~」

 という講師の言葉に甘んじて、観覧席で見学に徹している生徒の姿も多い。
 飛び回る的に矢継ぎ早に呪符を投げ打つ春虎。全弾命中。とまではいかないが、三回に二回はあてている。なにより、符を打つのが速い。

「お、速いじゃないか。どこでおぼえたんだ、そんな芸当」
「へへへ~、自己流さ。でも様になってるだろ?」
「ああ、確かに様に――おおッ!?」
「ん、どうした秋芳?」
「見てみろ、天馬の打ち方。なんだ、あの角度は、かっこいいじゃないか」
「え? あ、ほんとだ……。なにあの後ろ向きからの呪符打ち。スタイリッシュ!」
「スタイリッシュ!」
「よし、俺もちょっと試しにジョン・ウー映画っぽい感じで打ってみるか……」

 秋芳、両手に呪符を持ち、交互に投擲するのだが……。

「う~ん、イマイチだな」
「なにかが足りないよな」
「白い鳩……、いや違う。横っ跳びだ!」
「横っ跳び?」
「そうだ春虎。俺と同時に横っ跳びして呪符を打ってくれ」
「お、おう」
 秋芳と春虎。二丁拳銃ならぬ二丁呪符をかまえて横っ跳びに呪符を打つ。
「お、今のは良い感じゃないか?」
「イテテ…、でもこれだと地面に横腹から落ちていてぇよ」
「ちゃんと受け身をとればいい」
「この体勢じゃできねぇよ! つかなんでアンタはそんな簡単に着地できるんだよ!」
「いや、俺はちゃんと体術の修行もしてるから。だがたしかに万人向けじゃないな」
「もっと普通にかっこよく打とうぜ」
「あっ」
「ん?」
「今ふと思いついたんだが『男たちの挽歌3 アゲイン/明日への誓い』のあのシーンみたく、ジャンプしつつ足に隠し持った呪符を抜いて打つってのはどうだ?」
「いや、あのシーンて言われても。おれその映画知らないし……。でもそれかっこよさそうだな」
「ええとだな、こう呪符を足んとこに仕込んで……」
「こらぁッ! バカ虎」

 突如割って入って来たのは京子だ。

「あんたなに秋芳君にバカなことさせてるのよ!」
「え、おれっ!? おれのせいなのっ!? なんでおれが秋芳にやらせてるように見えてたのっ!? おかしいよね?」

 春虎の言葉を無視して競技場のすみにまで秋芳を引きずって行く。

「まったく、あいつのペースに合わせてバカやることなんてないのよ」
「いや、今のはむしろ俺のほうがバカなことにつき合わせていたと思うが…」
「じゃあ今度はあたしに真面目につき合ってちょうだい。呪符の打ち方について教えて」
「そうだな……」

 呪符の多くは紙で作られており、これは物理的に投げても飛距離が限られる。呪力をもちいて飛ばす、いわば呪力射撃とでもいうべきスキルが必要だ。
 呪術の使用では結果をイメージする力が重要とされるが、現実ではボールもまっすぐに投げられないような者が、ただ想像力だけで補うには限度がある。実際の投擲術を身につけ。
 『こういうふうに投げれば上手く飛ぶ』『普通に投げても命中する。まして呪力を込めたのだから百発百中』
 そのような考えを頭になじませる。これが呪術射撃の第一歩だ。

「――というのが賀茂の教えにあり、まず最初に印字打ちを習ったものだが、陰陽塾ではそういう教えはないみたいだな『呪力を込めて投げる』純粋にそれだけだ。実に無駄がない」
「でも、そっちの教え方にも一理あるわよね」
「一理だけね。アレをする前にコレをおぼえとくと良い。アレを学ぶならコレも必須だ。そういう前提条件なんて言い出せばきりがないし、前に大友先生の言っていた『無駄のないカリキュラム』には必要ないんだろうな」

 秋芳が陰陽塾に通い始めて一週間と少し、ここの教え。土御門夜光の創ったこんにちの陰陽術は実に洗練されていると実感している。

 俗にてっとり早くケンカで強くなるにはボクシングが一番とされる。
 手技ひとつを集中して学ぶため、蹴り技、関節技や投げ技など。おぼえることの多い総合格闘技や、型稽古にも時間を割く空手などにくらべ格段に上達が早いからだ。
 ケンカなんて相手の顔面をぶん殴ればそれだけでけりがつく。顔は鍛えようがないし、普通の人間は鼻が潰されたり歯を折られれば、それだけで戦意を失くす。
 人の上手な殴り方を一つおぼえれば、百の技など修得する必要はないのだ。
 そういう意味ではボクシングというのは実に洗練されたケンカ技術といえる。
 悪い例え方かも知れないし、見当違いな考えなのかも知れないが、陰陽塾の教えには、そのような理屈に通じるものがあると思う秋芳だ。

閑話休題。

「じゃあ呪力を込めて投げて、的に上手くあてるコツは?」
「集中あるのみ。いまさら君に教えることなんてないよ、じゅうぶん上手に投げてるじゃないか」

 京子は幼い頃から塾長を始め、プロの陰陽師たちから日常的に呪術の手ほどきを受けて育った、いわば陰陽師のサラブレッドなのだ。

「そう…。ねぇ、じゃあどっちが多くあてられるか、勝負しましょう。制限時間は五分ね」

 そう言って壁にある時計を指さす。

「よし、わかった」

 おたがいに手持ちの符を構えて周囲を見渡すと、秋芳の視界に夏目の姿が映る。

(そういえば笑狸が気になることを言っていたな)

 きのうのデートの帰りの時だ。夏目の体から女の子の匂いがする、と――。
 化け狸の嗅覚は鋭い。その鋭敏な鼻をして、夏目は男のにおいの時と女のにおいの時がある。そう言っていたのだ。
 不思議なことにそう言われると夏目という人物が女子に思えるようになった。
 いや、女の子にしか見えない。
 華奢な身体に艶やかな黒髪と桜色の唇。白皙の美貌やどこか高く柔らかな声といい、あれで男子というのは無理がある。
 あまりにも無理がある。
 なぜ今まで疑問に感じなかったのか?

(奇妙な話だ。どれ、少々強めに見鬼()て、気を探ってみるか)

 男性は陽の、女性は陰の気をおびている。見鬼により男女を見分けることが可能だ。
 京子との呪符投げ勝負を続けつつ、片目をつむり見鬼を凝らす。ちなみに呪禁術においては目をもちいる呪を総称して営目と呼ぶ。
 見ることは見られること。
 視線を感じる。という言葉があるが、それはまさに相手を意識して見ることで、こちらの気も視線を通じて向こうに伝わってしまっているのだ。
 呪術になじみのない一般人でもそのような経験はあるはずだ。まして呪術の心得のある者の気を気づかれず探るというのは、なかなか難しい。
 穏形して視る。あるいは今のような場の喧騒にまぎれて視れば気づかれにくいと判断し、改めて見鬼たわけだが――。

(陰の、それもずいぶんと大きな気に包まれているが……、竜か! 竜の護法式とは、さすが土御門。豪勢だなぁ。…う~ん、こうして見ると夏目自身も陰の気を帯びた女にしか見えないのだが、奇妙なことだ)
 
 どこか釈然としない。
 ついでに周りも見渡して見る。

(京子の近くに気配が二つ。これは白桜と黒楓だな)
(春虎のやつ、霊力だけはアホみたいにあふれてるなぁ。ダダ漏れじゃないか、もったいない。こんど制御する方法を教えてやるか)
(冬児は身の内になにか潜ませているな。憑依型の式神か? あいつもなかなかどうして、秘密があるみたいだな)
(あ、眼鏡が浮いている……。天馬か)

 生徒たちにくらべて講師たちはさすがに高い霊力を持っている。だがその中でひときわ異彩をはなつ人物が一人。

(……大友陣。あるかなしかのわずかな霊気しか感じないが、故意に、それでいて自然体で隠してやがるな。素でこうなら穏形したらまさに闇夜にカラス、雪にサギ。見つけるのは困難だ)

 講師の大友陣。聞けばもと呪捜官だったそうだが、それにしても気を隠すのが上手い。秋芳が現場で「すれ違った」ことのある祓魔官や呪捜官にも、ここまで巧みな者はいなかった。

 そうこうしているうちに手持ちの符が尽きた。と同時に周りから拍手が起こる。

「二人とも凄いコンビネーション!」
「まるでペアダンスみたいだった!」
「あっという間に射ち落としちゃっじゃない!」

 二人で競っていた呪符投げだが、どうも外野には連携して呪符を投げていたように見えたらしい。
たしかに京子が射ち損じたのを、秋芳がすかさず討ち、その逆のパターンもあったので、はたから見たら、そう見えなくもない。

「…なんか、今の動き、良い感じだったわ。なにかがつかめそう」

 京子は京子で感じ入るところがあるようだ。
「おー、秋芳クンも京子クンも巧みやないの。よっしゃ、ほなせっかく捕縛式を用意したんやし、お次は穏形の実技でもしてみよか? みんな上手く隠れるんやで~」

 こうして大友の提案で時間いっぱいまで穏形の訓練がなされ、その日の授業は幕を閉じた。





 倉橋家は陰陽道の名門、土御門家の分家であり、主家である土御門家が没落してからは土御門家に代わり呪術界を牽引する役割を担ってきた。
 前当主は多数の陰陽師を世に輩出し続けている陰陽塾の塾長、倉橋美代。
 現当主は陰陽庁の長官と祓魔局の局長を兼任している倉橋源司。
 倉橋家の存在は極めて大きく、こんにちの日本呪術界を代表する一門だ。
 そう、倉橋京子は名門のご令嬢、貴婦人、姫、公主――。
 つまりはお嬢様なのである。
 そんな京子が供もつけずに夜の街を早足に歩いていた。
 時刻は八時前。こんな時間に一人で出歩くことなど珍しい。
 夜間にふらふら出歩くような子ではない京子には、最初から門限などいうものはない。そんなものをわざわざ作る必要などないのだ。
 ちなみに京子は毎朝祖母と共に車で陰陽塾へ通い、帰りも家の車で帰宅し、習い事など外出のさいにもほとんど車で移動する。
 京子としては電車で移動するほうが気軽なのだが、その立場上、防犯面の理由で車による移動がどうしても多い。
 ではなぜ今夜に限ってこうして夜歩きしているかというと、愛読している少女向けコミックがゲーム化し、それが発売されたからだ。
 普段はゲームなどさして興味のない京子だが、原作者自らの手によるイラストとシナリオ。それの画集つき限定版とあっては話は別。
 人に頼むのも気が引けたため自身の手で購入し、帰路についているところだ。
 ちなみにこの少女向けコミック。京子の祖母もお気に入りで、読んで『年甲斐もなくちょっとドギマギしてしまった』そうだ。

「おい、ケンカだケンカ」

 周りからそんな声が耳に入る。

(やーね、酔っ払いかしら)

 どうせすぐに警察がきて取り押さえられる。無視して歩を進めようとした京子だが、妙な気配が彼女の後ろ髪を引いた。
 ふり返ると路地裏へ抜ける道の前に人だかりが、野次馬の群れが見える。
妙な気配はその路地裏。乱闘現場から漂ってくる
 京子の第六感が、この気配は呪術がらみだと告げている。

「すみません、ちょっと通して」

 遠巻きにしている野次馬の間を抜けて路地裏に入る。意外に広い。
 見ると一人の女性を五人の男たちが取り囲んでいる。新宿や渋谷にならどこにでもいそうなストリートファッションの若者たちだが、驚いたことにさらに五人の男らが地面に横たわっていた。あの女性が倒したのだろうか?

「木ノ下先輩!?」

 女性の姿を見た京子の口から思わず言葉がもれた。
 木ノ下純。ついきのう春虎のデート騒動で会ったばかりだ。
 彼女、いや彼はなにかの包みのような物を大事そうにかかえている。

「京子ちゃん!?」

 向こうも京子の姿に気づく。
「あなたたち、なにしてるの! すぐに警察が来るわよ!」

 京子が声を上げるが、男たちはまったくの無反応で純に襲いかかる。
「ちょっと! ああ、もうっ。邪魔っ」

 どうしよう?
 こんな連中蹴散らすのは簡単だが、街中で陰陽術を軽々しく使うわけにはいかない。
 現代呪術の代名詞である『汎式陰陽術』の使用はプロの陰陽師にしかゆるされない。
 陰陽塾の塾生はこの点が免除されているのだが、だからといって無条件で使うわけにはいかないのだ。
 まして白桜や黒楓といった式神を一般人相手に使用するなどもってのほかだ。
 京子が逡巡していると、純の口から呪文が漏れる。

「臨、兵、闘、者、皆、陣、裂、在、前」

 九星九宮の早九字を唱え、刀印を結んだ指先が宙を切る。
 縦に四回、 横に五回。直線で九字を切る、ドーマンと呼ばれる陰陽術だ。
 籠の目状の光が男たちの間を走ると、彼らはまるで電気に打たれたかのように体をびくりと震わせ、次々と地に倒れる。
 京子はまず純が陰陽塾を使ったことに驚き、次に早九字で男たちが昏倒したことに疑問をおぼえた。あれは邪を退け、魔を祓う。霊災修祓の術であり、生身の人間にはなんの効果もないはずだ。そう、生身の人間には……。

「京子ちゃん。お願い、来ないで!」

 そう叫び、脱兎のごとく走り去る純。
 なんだなんだと言う野次馬たちの喧騒の中には、純の使った呪術に言及する声は聞こえない。彼らにはなにが起こったか理解できないのだろう。
 見鬼の力を持たない者には、ドーマンを行使した時の光も見えてないはずだ。

「もうっ、ほうっておけるわけないじゃない……」

 もとより世話好きのお姉さん気質だ。
 京子は純の後を追いかけた。
 その直後。地面に横たわる十人の体から、立ち上る瘴気に気づくことのできた人間は、この場にいなかった――。





 路地裏のさらに奥の奥。
 京子はようやく純に追いつけた。
 これでも運動神経や体力は同世代の女子にくらべて高いほうであり、走るのも自信がある。倉橋の家に生まれたからには、文武両道をたしなまなければいけないからだ。

「京子ちゃん……」
「もう、なにがあったんです? あいつらいったい……、木ノ下先輩……。だいじょうぶですか?」

 落ちくぼんだ目、げっそりとした頬、荒い息。あきらかに憔悴している。
 化粧も落ちたその顔はしかし、精悍で普段のガーリーな装いとは別のワイルドな魅力が感じられた。

(やだ、木ノ下先輩って、かっこよかったんだ…)

 こんな状況にもかかわらず、思わずそんな考えが頭に浮かぶ京子だった。

「京子ちゃんを巻き込むわけにはいかないわ。ほうっておいて」
「もうじゅうぶん巻き込まれてます」
「でも、これ以上はもう私に関わらないほうがいいわ」

 そう告げる純の姿は、まるで追いつめられた獣のように見えた。
 怯えや不安の色がありありと見え、発言とは裏腹に助けを求める気配が濃厚だ。
 もうちょっとで説得できる。

「わけありの塾生を見捨てることなんかできません。……それ、呪術がらみですよね?」

 純のかかえる包みを指差す。

「う…」

 純が胸にしっかりと抱きかかえている包み。
 そこからはなにか得体の知れない、怪しげな気配。まさに妖気がひしひしと伝わってくる。

「それを狙われてるんですか?」
「…………」
「木ノ下先輩!」

 グルルルルルル――
 
 !?

 グルルルルルル――
 キィーッ キイキィキィーッ
 カァーカァーッ カァーッ
 ナァァァァー ナァァァァー


 突然あたりから響く、獣の鳴き声。漂う獣臭。

「な、なに?」
「そんな、ちゃんと祓えなかったの?」

 風を切って何かが二人の横を飛び抜けた。思わずそちらに目がむかう。
 首だ。
 人ではない。犬の首が空を飛んでいる。不自然に発達し、顎が閉じられないくらい肥大化した牙の間からひゅーひゅーと生臭い息が漏れている。
 一つ、二つ、三つ……。十体ほどの獣の首が周りを飛び交い、瘴気をまき散らす。
 犬だけではなく、巨大な嘴をもった鳥や、ナイフのような牙を生やした猫の首まであった。
 実体化した瘴気。フェーズ3の動的霊災の群れだ。

「やだ……、なによ、なんなのよ。これ」
 あまりにも異様な光景に血の気が引いて蒼白になった顔の京子が思わず後ずさろうとして固まった。
囲まれているのだ。逃げ場などない。

「動かないで京子ちゃん。私が、なんとかするから…」

 そう言う純の声も恐怖に震えている。
 ごうっ。
 飛び交う首の一体が牙を剥き、二人に襲いかかる。
 思わず目をつぶる京子。九字を切ろうと身がまえる純。だが――。
 間に合わない。
 獣の牙が京子の白い喉を食い破ろうと迫る。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧