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髪切り

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第二章

 そうして長谷部と少し離れてそのうえで夜の江戸の街を歩く。暫く歩いて柳のところに通り掛かると。
「あっ」
「むっ?」
 一瞬だった。半次が声をあげた瞬間にだ。
 髪、鬘のそれが切られていた。まさに一瞬だった。
 長谷部も出ようと思ったがその時もなかった。鬘の毛は無残に道に落ちていた。
 その落ちた髪を広いあげて切り口を見てだ。長谷部は唸る様に言った。
「見事な切り口じゃな」
「あの、姿も気配も」
「見えなかったし感じなかったか」
「はい、全く」
 こう言うのだった。
「感じませんでした」
「ふむ。わしもずっと見ておったが」
 離れた場所でだ。ずっとそうしていたのだ。もう目は夜に慣れていた。
 だがそれでもだった。彼も見えなかったのだ。全くだ。
 それでだ。長谷部は首を捻りながらまた言った。
「誰もおらんかった」
「それでどうして切られたんでしょうか」
「柳か」
 半次は丁度柳の傍を通り掛かったところを切られた。長谷部はその柳を見た。
 見れば実に細い。とても人が隠れるとは思えない。
 柳の向こうには川がある。しかしその川もだった。
「若し川に隠れるなり飛び込んで隠れるなりしてもじゃ」
「音がしますね。水の中に出入りする」
「そうじゃ。だからそれもない」
 川の中に隠れたりすることもできなかった。どう見てもだ。
「音なぞ全くしなかったわ」
「そうでやんすね」
「ううむ。あるのは柳だけじゃ」
 また柳を見る。どう見ても普通の柳だ。
「どういうことじゃ。下手人は何処から出て来て何処に隠れた」
「何もかもがわからないでやんすね」
「とりあえずじゃ」
 切られたその鬘の黒髪を見てだ。長谷部はだ。
 翌日その切られた髪と鬘を大岡に見せた。大岡は髪のその切り口を見てこう言った。
「これは刀で切ったものではないな」
「違いますか」
「うむ。かといって包丁の類でもない」
 それも違うというのだ。
「刀や包丁で髪を切ろうと思えば存外難しい」
「そういえば打ち首の時も髪はどけさせますね」
「そうじゃ。髪は案外強いものじゃ」108
 切りにくいというのだ。細いがそれでも束になっていてだ。
「そうは切れぬ」
「では何で切ったのでしょうか」
「鋏じゃな」
 大岡はその髪を己の手に取っていた。そしてその切り口を見てまじまじと言ったのである。
「それじゃな」
「鋏ですか」
「それであろう」
 こう言ったのである。
「これはな。しかしじゃ」
「その様なものを持った者は誰も」
「おらんかったな」
「それがしも半次も見ませんでした」
 そうだったとだ。正直に言った。
「何も誰もおりませんでした」
「あるのは柳だけか」
「それだけでございます」
「では長谷部よ」 
 大岡は髪の切り口を見ながら長谷部に告げた。
「今度はその柳を見よ」
「柳をですか」
「そこに何かあるやも知れぬ」
 こう告げるのだった。 
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