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慈忍

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第三章

「仕方ないわ」
「学問や修行に励もう」
「僧らしくな」
 こうしてだ、比叡山で遊んだり怠けたりする僧侶はいなくなった。全ては一旦死んでも山に留まった慈忍のお陰だった。
 しかしだ、ここで一つ謎があった。その謎は何かというと。
「何故一つ目なのだ」
「入滅されず山に残られた慈忍殿は」
「どうして目が二つのままではなかった」
「一つ目になられた」
「顔の真ん中に大きな目が一つだけになられたのだ」
 このことがどうしてもわからなかった。
 だが慈忍の学友だった和尚がだ、こう言った。
「その目で凝視するということか」
「我等が遊んでいたり怠けているか」
「そのことをですか」
「そうではなかろうか」
 他の僧侶達に話した。
「一つの目に力を入れてな」
「そしてそのうえで」
「我等がじっと見てですか」
「注意する」
「そうされたいが為に」
「そうではないか」 
 これがこの和尚の考えだった。
「そうも思うが」
「左様ですか」
「一つ目の妖怪も多いですが」
「ひでり神や一つ目小僧等」
「そうした妖怪に似ていますが」
「慈忍殿の場合はそちらの理由ですか」
「一つ目の妖怪もそうである理由がある」
 そのひでり神にしても一つ目小僧にしてもというのだ。
「しかし慈忍殿はな」
「そうした理由で、ですか」
「一つ目であられる」
「そうなのですか」
「そうやも知れぬ、そしてその一つ目で今もな」
 まさにというのだ。
「山で我等が遊んでいないか怠けていないかとな」
「見られて注意される」
「そうしておられるのですな」
「そうであるなら素晴らしい、やはり僧侶は学び修行をしてな」
 和尚はさらに言った。
「人を救うべきじゃ」
「それを忘れて遊んで怠けてはならぬ」
「そういうことですな」
「慈忍殿は一つ目でそうされておるのじゃ、有り難いことに」
 和尚は学友のその行いを素直に感嘆した、そのうえで彼に深く感謝しつつ自身も学問や修行に励むのだった。
 この話は古くから比叡山にある話の一つだ、一読すると妖怪の様であるが決してそうではない。位の高い霊の話であろう。慈忍は今も山にいるかも知れない。山の僧侶達が真面目に学問や修行に励んでいるかを見て注意する為に。


慈忍   完


                           2017・2・21 
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