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作者:日永よみ
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平穏

    ひとしきり泣いた後。お姉ちゃんは、ずっと私の背中を抱いていてくれた。小さい手。私よりも小さい手なのに、暖められる面積は、とても小さいはずなのに、背中のたった一部分の温もりが私の全てを満たしていく。

「あ、ハルちゃん、お腹すいてない?」
「あ……大丈夫……」

    迷惑を掛けたくなくて、「大丈夫」と言おうとした瞬間、私のお腹が大きく鳴った。恥ずかしくて、顔が真っ赤になる。

「あはは、分かった!何か作ってくるよ。苦手なものはある?」
「な、無いよ……」
「オッケー!お姉ちゃんが腕を奮っちゃうよー!」

    そう言うと、お姉ちゃんはキッチンの方に向かっていった。

    お姉ちゃんは、まるで太陽みたいな人だ。じめじめした私とは大違い。私は、私が前どんな子だったのか分からない。今と同じような、好意にも怯えるような子だったのか、それとも、お姉ちゃんみたいな、誰もかもを明るく照らすような子だったのか。

「お姉ちゃんみたいな子になりたいな……」

    安堵感と幸福感に満たされて、眠気が襲ってきた。もしかしたら、これは全部夢だったのかもしれない。目が覚めたら、檻の中かもしれない。でも……

    お姉ちゃんの手の温もりは、ぽわんと背中に残っている。

    私は、また眠ってしまった……


「ハルちゃーん、起きてー」

    かぶっていた布団が取り払われて、私は明るさに呻いた。    

「ご飯だよー」
「んにゅ……」

    意識がはっきりしてくると、今度は空腹感に襲われた。自分のことだけど、まったく忙しいことだと思う。

「ご飯だよー……」
「?」

    見れば、お姉ちゃんの顔と声に覇気が無い。何故か、目を合わせてくれない。

「お姉ちゃん……?どうかした?」
「な、何でもないよー……ご飯だよー……」

    何か理由を聞いてはいけない気がする。私は大人しく起き上がり、お姉ちゃんについて行った。

    テーブルにつくと、お姉ちゃんの態度の意味が分かった。

    そこには、さっきまで新鮮な卵だったものが辺り一面に転がっているお皿と、炭のようなものが大きいのと小さいの、一つずつ置いてあるお皿があった。

「ごめんね……美味しく作ろうと思ったんだけど……」

    お姉ちゃんが、泣きそうな声で言う。

    私は、スクランブルエッグらしきものを口に運んだ。

「あ、中は無事だ。」
「ほんとに?」
「うん」

    大きな炭……パンも、外が焦げすぎているだけで、焦げを削ぎ落とせば食べられる。小さな(おそらくベーコン)は完全に炭化していたので、申し訳ないけれど遠慮した。

   私はお姉ちゃんの愛情を噛み締めて、満たされた気持ちで一息ついた。

「ご馳走様でした。」

    お姉ちゃんがにっこり笑って、お粗末さまでした、と言う。よかった。やっぱりお姉ちゃんには笑顔が似合う。

「上手に作れなくてごめんね、明日は気をつけるから……」
「大丈夫。私も手伝うね。」

    明日。明日も、この優しい世界で暮らせるのかと思うと、私は胸が苦しくなるほど嬉しくなった。

「今何時?」
「えっとね、今は9時くらいだよ。」
「そっか。じゃあ、お昼は私が作るね。」
「えっ、ハルちゃん料理できるの?」

    正直なところ、分からない。でも、これで少しでも記憶を取り戻せたらいいと思うし、何より……

「朝ごはんのお返しがしたいの。下手だったらごめんね。」
「うん、わかった!」

    お姉ちゃんは私の気持ちを汲んで、快く頷いてくれた。

    ありがとうお姉ちゃん。



    場所は変わってショッピングモール。さっき着替えた時にお姉ちゃんの服を借りたのだけど、サイズが合わなかったから、私の服を買ってくれるみたい。

「いやー、腕が鳴るねー!ハルちゃんスタイルがいいから、何でも似合いそう!胸はないけど。」
「そ、そうかな。お姉ちゃんには言われたくない……」

    今は「さかな」という平仮名と、まな板の上に置かれた、どこか哀愁の漂う魚の絵が描かれているTシャツと、短パンを着ている。

「私これ結構好き。」
「どうかしてるってそのセンス。」

    お姉ちゃんに手を引かれて入ったのは、女の子らしいキラキラしたお洋服が沢山あるお店。

「さ、まずはここー。」

    お姉ちゃんは小さな体を洋服掛けに潜り込ませるようにして洋服を選んでいく。私も、何となく近くにあったワンピースを手に取る。ちらりと値札を見ると……

「ゼロがひぃ、ふぅ、みぃ、よ……」

    ダメなやつだ。

「お、お姉ちゃーん」
「何ー?」
「こことは違うところに行きたいな」
「どうして?あ、それよりハルちゃん、これどうかな!」

    お姉ちゃんが掲げて見せたのは、紺色のふわふわしたシフォンの可愛いワンピース。白く清楚な花柄の刺繍が裾にある。

「可愛い……」

    でしょ?とお姉ちゃんが笑う。可愛いと思うけど、高そうだ。

「さっそく試着しよー!」
「え、ええ……」

    あれよあれよと言ううちに、試着室に押し込められてしまう。

「着てみてね!」

    カーテンの向こう側から聞こえるお姉ちゃんの声は、とても弾んでいる。着ないのは申し訳ない。

「……あとで気がつくよね……」

    私は、少し照れくさいような、嬉しいような気持ちで、ワンピースに袖を通した。

「わぁ……」

    背後の鏡を見ると、自分が自分で無いような気がした。

「おーい、ハルちゃーん。着替え終わった?」
「う、うん……」

   カーテンが遠慮会釈なく開けられる。と……

「うっわぁああああ!!!!可愛いよー!!!!」
「お、お姉ちゃん、声が大きいよ……」

    何人か、変な目でこっちを見ている。いたたまれない……

「でも、ほんとに可愛いよー!ハルちゃん、これ気に入った?」
「ま、まあ……でも……」

    多分高い、という言葉は、お姉ちゃんの歓声にかき消されてしまった。

「これにしよ!!1着目はこれ!」

    よいしょー!と脱がされて、レジの方に持っていかれてしまう。私は慌てて「さかな」Tシャツを着ると、お姉ちゃんを追った。

「これください!」
「二万七千円です。」
「……」

   遅かったか。お姉ちゃんがコチコチになっている……ように見えたけど……

「お願いします」

    何のてらいもなく福沢諭吉を3人叩きつけた。

「ええ……」

    お姉ちゃんが、こちらにウインクした。


「いやぁ、黙っててごめんね。ハルちゃんのことは、何人かの人が知ってるんだよ。だから、今後の支援金を幾らか貰ってたんだー」
「そ、そうなんだ……」
「あ、大丈夫だよ!その人たちは、みんないい人だから!」

    その服屋さんから離れて、クレープのお店の前。一番人気のバナナストロベリーチョコクリームのクレープを食べながら、私達はおやつ休憩を取っていた。

「次はどこにいくの?」
「んー、もうちょっとお洋服みよっか。動きやすいのとかいるでしょ?」
「そうだね……」

    お姉ちゃんが、クレープの最後の一口を放り込む。もたもたしていられないと思って、私もクレープにかぶりつく。

「ぷは、ごちそうさまでした。」
「あはは、ハルちゃんったら、ほっぺたと口に付いてるよー」
「へ、あ……」

   お姉ちゃんが、ナプキンでぬぐってくれる。照れくさくなって、顔が赤くなる。

「はい、綺麗になったよー」
「あ、ありがとう……」
「どういたしまして。さ、行こっか。」

    お姉ちゃんに手を引かれて、今度は違うお店に向かう。スポーティーで、カッコイイ洋服が沢山ある。

「あ……」

    その中で、私の目を引いたものがある。黒の短パンに、黒のパーカー。そして、「ぴらにあ」という文字の下に、水槽の苔を齧るピラニアの絵……

「お姉ちゃん」
「え?」
「これがいい。」
「ええ!?」

    何で、と言いつつも、お姉ちゃんはその洋服一式を買ってくれた。

「好きだね、こういうの……」 
「えへへ……」
「よし、これで、用事は済んだねー。帰ろっか。」
「うん。」

ショッピングモールを出て、帰り道。ぽかぽかした日差しと、ちょっぴり冷たい風が心地良い日だ。

「春らしくていいねー」
「うん、花が綺麗。」

ふと、上を見上げると、ぽこぽこと薄いピンク色の可愛らしい蕾が木に付いていた。

「あれは……」
「桜だよ。」
「桜……」

知識はある。春に咲く花、しばしば命と例えられる花、散り様が美しい花……

けれど、見た思い出はない。ない、というか、おそらく覚えていないのだろう。

「ここの桜、咲くととっっても綺麗なんだ!ハルちゃんとお花見したいな〜!」
「お花見?」
「うん!お弁当とかお菓子とかたくさん持って、桜の木の下で遊んだりするの!」
「楽しそうだね。」
「すっごい楽しいよー!」

お花見。とっても楽しそうだ。そんな幸せが、これから先、たくさん待っているんだ。



まだ綻んでいない蕾の中に、一輪だけ開いた花を見つけた。  
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