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SAO-銀ノ月-

作者:蓮夜
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心中

「ふふふ。どう? ショウキくん。あたしも成長してね、コーヒーを砂糖抜きで飲めるようになったわよ!」

 リズベット武具店の工房にて、どこかから用意していたミルク八割のミルクコーヒーを飲みながら、セブンがそうして自信満々な表情を見せてみせる。いつもならそこの割合にもツッコミを入れてあげるところだが、あいにくと今はそんな余裕もなく苦笑いを返すと、セブンが身体を小さくして謝った。

「……ごめんなさい。それどころじゃないみたいね」

「いや……」

「ところでセブン、アメリカに行ってたんじゃないのか?」

 セブンもこちらを元気づけようとしてくれているのは分かっていたが、先の戦闘の影響でとにかく体調が悪い。未だに手に残る嫌な感覚と吐き気に苦しむ俺の代わりに、キリトが助け船を出してくれた。

「ええ。向こうで仕事をしてたんだけど、この《ALO》の運営から急な仕事が入ってね」

「もしかして……あのデジタルドラッグのこと?」

「正解よ、リズ」

 セブンは世界的に有名なアイドルでもありながら、あの茅場にも匹敵するVR空間に対する専門家という顔も持っている。やはり《ALO》の運営もあのデジタルドラッグ騒ぎを真摯に受け止めていたのか、この世界に流通するより早くセブンを呼びつけていたらしい……結果的には、間に合わなかったようであるが。

「急な依頼だったものだから、アメリカの仕事は全部スメラギに押し付けて、あたしだけね」

「じゃあ、スメラギは来てないのか?」

「え、ええ」

「そうか……」

 そんなセブンの助手であるスメラギは、はっきり言ってPvPの腕前ならばこの世界でも有数だ。もちろんデジタルドラッグの服用者たちへトドメを刺させるわけにはいかないが、正直、セブンを見てからその戦力を当てにしていなかったと言えば嘘になる。目に見えて落胆する俺の様子を見て、セブンは何か得心がいったように頷いた。

「そろそろ、何があったか聞かせてくれるかしら」

「あたしから説明するわ。死銃事件……って知ってるわよね?」

「ええ、仮想現実で起きた殺人事件のことよね?」

 体調が芳しくない俺に途中参加のキリトを抑えて、最初からあの踊り子に出会っていたリズが今回の事件のことを語りだした。まずはセブンの知る死銃事件の裏側で起きた、俺にキリト、シノンとSAO生還者であった死銃たちの戦いを。逮捕された死銃の実行犯ではなく、俺に不自然なまでに執着した踊り子の話を特に重点的に。

「…………」

「まあ、そいつの目的は分かんないけど……もう気にしなくてもいいわよね」

「どういうことだ?」

 その話を真剣に聞くセブンをよそに、語り手であったリズはあっけらかんと言ってのける。これまでの経緯を語り終えたリズの手には、いつの間にやら撮影用の《記録結晶》が握られていて、問いかけたキリトへニッコリと笑い返した。 恐らくは戦闘中に撮影したリーベの姿が収められているのだろうその《記録結晶》で、シノンが発案した計画を実行に移そうとしているのだろう。

「あいつがデジタルドラッグの密売人だってことは自分で認めてるんだし、あとはセブンから運営に報告して貰えばいいじゃない」

「……難しいわね」

 デジタルドラッグの密売人としてリーベを告発し、運営によるアカウントの削除を行ってもらおうという、リーベが何を狙っていようが全て無為に出来る安全策……この世界に限れば。もちろん俺からすれば不完全燃焼にも程がある終わり方だが、リズからすればそれが最も望む結末であろう。しかして肝心の運営とのパイプ役であるセブンは、あからさまな険しい表情を作り上げていた。

「え……どういうことよ」

「実はデジタルドラッグを使ってるプレイヤーは、もうリストアップ出来ているの。波長が他のプレイヤーと違うから」

 問いかけるリズへの答えとして返ってきたのは、何やらプレイヤーの名前が書かれたリストだった。波長というのはキリト以外には分からない専門用語だったが、どうやらそのリストアップされた一覧は、デジタルドラッグを使っているプレイヤーだ、ということぐらいは分かる。問題は、どうしてそんなリストをこちらに渡してきたかだが、不審げながら数はあまり多くないリストに目を通してみれば。

「ちょっと……」

「俺の……名前……?」

 ……そのリストの中に表示されていた一覧には、ショウキという名前がしかと刻まれていた。当然ながら他人の空似という訳でもなく、名前とともに表示されているIDは俺のものと変わりはない。つまり、俺はデジタルドラッグを使用しているプレイヤー、という扱いになっている……らしい。

「一応、聞いておくけど……使ってないわよね?」

「当たり前でしょ!」

「……リズ。ああ、使った覚えはない」

「……もしかして、《SAO》の時のバグか……?」

 恐らくはこのことの確認について、セブンはここで待っていたのだろう。そんなセブンの問いについつい熱くなってしまったリズをたしなめながら、記憶を思い返すもののデジタルドラッグなどに関わった覚えはない。そもそもデジタルドラッグの存在を知ったのも、先日あった、グウェンからの忠告が始めてだ。どこからか迷いこんだかと思えば、キリトから思いもよらぬ意見が放たれた。

「……ごめんなさい」

「リズ……ううん。あたしも無神経だったわ。それと……ええ。あたしもそう思う」

「…………」

 セブンの肯定とともに、恐る恐るこちらを振り向くリズに頷いて――自身のアバターの心臓部に触れる。そこに例のバグがあるわけではないが、自然とそんな行動を取っていたことを自嘲しながら、そのバグのことを思い返す。そもそも、そこから俺はVR世界に関わることになったのだから。

 ――俺が《SAO》を始めた切っ掛けは、茅場晶彦からナーヴギアと《SAO》を送りつけられたことにある。しかしてそのデータにはソードスキルが使えない、というゲームの根幹を揺るがすほどのバグが意図的に仕組まれており、俺はソードスキルでなく自らが得てきた武術でデスゲームを生き抜くことを強要されてきた。その理由は、キリトが得ていたユニークスキルと同様に、茅場がアインクラッドに自らが予想もできない未知の要素を込めるため、と推測しているが……それは今は関係のない話だ。

 とにかく、《SAO》のデータを引き継いでいる、今のアバターにもそのバグは適用されていることであるが、この《ALO》でそれはあまり困ることではなく。正直に言えば忘れてしまうこともあったが、今になってまた苦しめられるとは思いもよらず。そのデジタルドラッグを使っているプレイヤーのリストに、同様の波長が感じられる俺の名前も表示されている、ということは。

「俺の……いや、なんでもない」

 ――俺のアカウントも削除されるのか? などと、沈鬱な表情のセブンに聞きそうになった口を無理やり閉じる。セブンの仕事はあくまで調査した結果を運営に報告することであり、アカウント削除の決定権などあるはずもなく。よしんば口添え出来る立場にあったとしても、友人を一人だけ特別扱いしてほしいなどと、VRの専門家である彼女が言える訳もなく。

「……ねぇ、ショウキくん。一週間……ううん、三日でいいわ。あたしにそのデータを預けてくれれば、解析して――」

「……いや。そもそも、そんなバグを抱えてプレイしてた、俺の方がおかしいんだ」

 それでも、それでも自分に出来るせめてものことを、と思ったのだろうが、そんなセブンからの申し出は悩むこともなく断った。ともに《SAO》を生き抜いたアバターと、その引き継いだステータスやスキルのために、このバグがあるデータを使ってきたが……改めて考えてみれば、わざわざバグがあるデータでプレイしている方がおかしいのだ。

「それに預けてる間、俺は《ALO》にログインは出来ないんだろう?」

「……うん」

 そしてこちらの方が重要な話だが――そのデータをセブンに預けてしまえば、俺はリーベと相対することが出来なくなる……当然だ、この世界にログイン出来るアバターごとセブンに預ける必要があるのだから。セブンを信用していない訳ではないが、あのデスゲームを引き起こした男が直々に仕組んだバグを、わずか三日程度で解析できるとはとても思えず。そしてデータの解析がよしんば出来たとするならば、俺という枷がなくなったためにリーベたちデジタルドラッグの服用者たちは、すぐさまアカウントを削除されてしまうことだろう。

 ……ただのアカウント削除では、彼女を止めることは出来ない。それではただ、この世界から彼女を追い出すだけに過ぎないからだ。

「ちょうどいい機会なんだ。俺は……いや、『ショウキ』は、死ぬべきなんだ」

「でも、それじゃ……」

「もちろん、その前にリーベは止める。セブン……その三日、あいつを止めるために使わせてくれ」

 リーベを始めとするプレイヤーたちを運営の手で消そうとすれば、連動してデジタルドラッグと同じ反応を示す俺も共に消されてしまう。それをリーベが何を想定して仕組んだかは分からないが、心中するならば上等だとばかりに、抗弁しようとしたリズに先んじてセブンに語りかけた。『死銃』をあのデスゲームにまだ囚われている亡霊などと評したが、それはあの時のアバターを使っている俺もまた、リーベと同じく同様に亡霊だったらしく。

「……頼む」

「セブン、俺からも頼む」

「……分かったわよ。ううん、正直に言えばよく分からないけど……三日後に、このデータは運営に渡すから」

「ああ……」

 亡霊ならば亡霊どうし、せいぜい心中程度は役に立てるだろうと。すでに《SAO》の時のアバターを削除しているキリトは何か思うところがあったのか、キリトとともにセブンに重ねて頼み込めば、彼女は観念したかのように呟いた。ただしリーベたちの解決に動くということは、セブンがデータを解析する時間はなくなるということであり、俺のデータの死は避けられない。そう言外に問いかけてきたセブンの問いに、頷きとともに礼を言おうとすれば。

「分からないわよ!」

「リズ……」

「約束したじゃない。一緒にリンダースに帰ろう、って……なんでそれが、あんな奴のために……!」

 ――痛烈な言葉がリズから放たれる。彼女の言葉は一から十まで正論であり、本当ならこの世界までストーカーしてきた、あの狂った踊り子を相手にする必要などない。セブンにデータの解析を頼んでバグを解除してもらい、悠々とデジタルドラッグに関わる俺以外のプレイヤーを運営に削除してもらえば、それだけでハッピーエンドに違いない。

「俺があいつを止められなかったせいで、他の人間が死んだんだ……!」

「ッ――」

 しかし、それでも。あの死銃事件の折りに《GGO》で彼女を止められなかったばかりに、死銃の被害は拡大してしまったのは事実で。その被害者の為にも、俺にはリーベを止める義務があるのだ――と、反射的に立ち上がりながらリズを怒鳴りつけてしまう。すると視界には彼女の泣き顔が入って、ばつが悪くなってすぐさま視線を逸らしてしまう。

「……悪い。でも……ごめん」

「謝りすぎてワケが分かんなくなってるわよ。でもね、こっちこそ……わがまま言っちゃって、ごめん」

「はいはい。解決したのはいいけど、実際そのデジタルドラッグを使ったプレイヤーはどうするの? 聞いた話じゃ、ショウキくんでも手こずって、倒しても……その、なんでしょう?」

 髪をグシャグシャと掻いて頭を冷やしながら、意を決してリズの方を振り向いてみれば、次に視界に入ったのは呆れたような笑いだった。……今回もリズには、無理やり納得させてしまったと後悔するまでもなく、セブンが話をまとめようと拍手を打つ。言い分は分かったが、現実的にどうする気なのかと、こう見えて大人の世界に生きるセブンらしい真を突いた言葉に、俺は何も答えることは出来なかったが。

「デジタルドラッグの服用者は俺に考えがあるんだ。ショウキは、リーベについて考えてくれればいい」

「キリト……」

 その返答は俺には思いもよらぬ場所から、頼りになると確信できる揺るがない言葉として、他ならぬキリトから響き渡る。人間離れした反応速度と伝達速度を与えられ、好戦的に仕上げられてリーベに従う、デジタルドラッグを服用したプレイヤーたち。もちろん相対する敵としても脅威的だが、それ以上に厄介なのはデジタルドラッグに仕組まれたペイン・アブソーバーだ。ダメージを現実的な痛みに変換するその機能は、本来ならばただのデメリットにすぎず、現にデジタルドラッグの服用者たちも苦痛に身動きを止めていた。

 ただし今まで《SAO》で兄がどんな風に死んだか、『死』そのものを追いかけてきたというリーベが調整したそれは、こちらに『人間を殺した感覚』を再現させるというものだった。それは恐怖から殺人の記憶を自ら封じ込めた俺でさえ、その感覚から感じる気持ち悪さに戦闘を続行することが出来なくなるほどで、複数人を斬っていたらどうなっていたか――想像するも難しい。

「それで、ショウキは? さっき会ったばかりで言うのもなんだけど、生半可な手段で止まる相手とも思えないわ」

 しかしてキリトが考えがある、などとまで言ってのけたのだ。それらデジタルドラッグの服用者はキリトに任せるとして、肝心のリーベに対してどうするか、という問いがリズがもたらされる。もちろんそれは彼女を止めるなどと大口を叩いた俺の仕事であるが、リズの言った通りに生半可な方法で止まるとも思えない。

 ならば、俺が取るべき手段は。

「ああ。俺は――」

 ――そうして今日は、リーベの足取りも掴めず、また彼女たちから何をしてくるでもなく終わり。セブンはデジタルドラッグの解析からの解決の糸口を、リズはデジタルドラッグの影響を受けたシノンの見舞いに、キリトはデジタルドラッグの対抗策を実行に移すべく、明くる日にそれぞれ行動していった。さらに他のメンバーへの説明も、リズがシノンの見舞いの後に説明してくれるそうだ。

「……もしもし」

 そうして俺はというと、電車をいくつか乗り継いで見知らぬ土地を訪れていた。最近、ようやく新しい物に買い換えた携帯端末を握り締め、機械的なコール音の後に聞き慣れた声が聞こえてきた。とはいえ電話のシステム上、聞き慣れた本人の声ではないというのは、もはやトリビアにすらならない話だが。

『もしもし、一条くん。現地には着いたかい?』

「はい、菊岡さん」

 アバターの名前が名前のために、もはや呼ばれることも少なくなった一条という名字に、一瞬だけ面食らいつつも目の前にそびえ立つマンションを見上げる。よくある集合住宅といった趣の建物であり……以前、リーベが暮らしていた一室があるという。

 現状、彼女を止める手段は分からない。ならばと菊岡さんに連絡を取り、何かの手がかりがないかと、彼女の住居を訪ねる運びとなったのだ。

『しかし、すまないね。本当なら、後始末はこっちの仕事のはずなんだが……』

「いや、また終わったら頼みます。それで……?」

『ああ。管理の方には話を通してある。我々も一度は調べたから、目新しいものはないだろうけどね……まあいい。思う存分頼むよ』

「ありがとうございます」

 もはや《死銃事件》とは違う仕事の担当になっていたらしいが、幸いなごとに菊岡さんもこちらのわがままを二つ返事で聞いてくれて。必要以上に荒らさないことを条件に、リーベが暮らしていた家に手がかりを探すことを許してくれた。さらに止めた後の自分ではどうしようもないことも頼んで、お礼とともに通話を打ち切ると、マンションの中に入っていく。

「すいません……ええと、一条さんですか?」

「はい。今日はすいませんがよろしくお願いします」

 ほどなくオートロックの玄関に行く手を阻まれるものの、すぐに横から声をかけられる。初老の物腰の柔らかそうな男性で、菊岡さんが話を通してくれているという管理人の方だろうと、ペコリと一礼する。すると行く手を阻んでいた自動ドアが開き、管理人の方に誘導されながらマンションの中に足を踏み入れていく。

「そういえば……まだ部屋が残っているということは、まだリー……彼女から家賃は支払われているんですか?」

「いいえ。ですが、まあ……遠くで働いてる親戚の方から入金はありまして。あの子は行方知らずですよ」

 二人でエレベーターを待ちながら、ふと気になっていたことを管理人さんに聞いてみれば、あまり言いたくはなさそうに口を開く。それも当然だ……要するに、その家賃を払っている親戚とやらは、リーベが行方不明になっていることにも気づいていない、ということなのだから。彼女に興味がないのか知らないが、そこまで管理人さんに聞くのは筋違いというものだろう。

 ほどなくエレベーターは到着し、行き先を管理人さんに任せている間に、菊岡さんから添付されてきたファイルを《オーグマー》を装着して確認する。かつて菊岡さんが《死銃事件》に関わった時に、容疑者の現実世界についての詳細が纏められたファイルの一部であり、そこにはリーベのアバターが写っていて、それは彼女のリアルのことが記されている証明だった。

「……田山、愛」

「え?」

「あ、いえ、なんでも」

 田山愛。そんな目に飛び込んできた彼女の名前を、無意識に呟いていた言葉が管理人さんの耳に届き、慌てて何でもないと取り繕う。そうしてファイルに目を通していくが、本名や自分より年下だった年齢などが出来の悪い履歴書のように載っているのみで、彼女を止める手がかりとなるような情報はない。菊岡さん側からすれば、そんな情報に必要性がないのは当然だが。

「あの……」

「はい?」

 マンションと言えども高層ビルという訳ではなく、すぐにエレベーターは目的の階層へと到達する。あまり人の気配のない通路を歩いていると、聞きづらそうにしながらも管理人さんが話しかけてきた。

「その、愛ちゃんはどうかしたんですか? 色々な目にあってもあんな明るい良い子が……?」

「リー……田山さんと個人的に親しかったんですか?」

「え? ええ、はい。手前勝手ながら、親代わりだったと思っていました」

 詳しい事情を知らないらしい管理人さんに何かを語るのがはばかられ、無礼を承知で質問に質問を返すと、少しばかり呆気に取られた表情をしながらも答えてくれる。その返答には、本当に彼女のことを娘のように思っている心配の念が見て取れて、『良い人』なのだろうと確信できる。

「彼女がどうしたのか、調べるためにここに来ました」

「そうですか……愛ちゃんがいなくなってそのままですので、あまり荒らさないようにお願いします」

 そんな娘のように思っている者の帰ってくる場所を、俺のような縁もゆかりもない……なかった筈の者に踏み荒らされて気持ちの良い訳もなく、せめて態度だけは真摯に接していく。その甲斐あって何とか悪意はないというのを示せたのか、管理人さんのホッと息を吐く音とともに、目的地であった『田山』と表札が提げられた一室へと到着する。

「私は管理人室で待ってますので、終わったら鍵を返しに来てください」

「はい。ありがとうございます」

 預けられたマスターキーで解錠されたドアを開き、去っていく管理人さんの背を見ながらも、その一室へと足を踏み入れた。《死銃事件》から帰っていないということで、やはり家の中はホコリまみれになっていたが、素人が入れないほどではなく。ゴミや生物は流石に管理人さんが片付けたのか、そういった異臭がすることがないのは幸いだった。一瞬だけ躊躇したものの、土足のまま家に上がると、脇目も降らずに目的の場所を探していく。

 手がかりがあるとすれば、リビングや生活スペースではない。彼女が暮らしていた自室だと目をつけていて、広くはない廊下を進んでいけばほどなく見つかった。扉に『愛の部屋』と手作りの表札が掲示されたその一室は、まるで子供時に作ったものをそのままにしているかのようで、隣の部屋には同じものが掲げられていた。

『おにいちゃんの部屋』

 ……どうやら隣は《SAO》で死んだという兄の部屋らしかったが、ひとまずはこちらが先だとリーベの部屋の扉を開ける。換気されていない部屋特有の湿った空気とホコリの匂いとともに、部屋の中身が俺の瞳に飛び込んでくると――反射的に、その光景に吐き気を催してしまう。

「っ……」

 その部屋にあったものは、一面《SAO》だった。事件の後に回収されたはずの浮遊城のポスターは、天井も壁も構わずにところ狭しと貼られていて、床には文献や雑誌が足の踏み場もないほどに転がっている。それは事件が発生する前の物や、事件が発生した後のデスゲームについて記された物、果てにはVRゲームを構成するフルダイブに関しての学術書まで、《SAO》に関わることを全て集めたかのような、直視したくない 狂気的な空間だった。部屋の主が不在になった為の荒廃が、その印象をさらに上書きしていた。

「あれは……」

 一刻も早くこの空間から出たいと思ってしまったが、それではこの家に来ていた意味がない。何か手がかりになるものがないかと、部屋の中を詳しく見てみれば、すぐに不自然なスペースの空いた机が目についた。綺麗にその場所が空いているにもかかわらず、雑誌が転がっているわけでもないその机に何とか近づいてみれば、その疑問はすぐに解決された。

 その近くには電子機器が転がっており、どうやら本格的なパソコンが置かれていた机らしかったが、本体はどこにも見当たらない。持ち出したのはリーベ本人か、それとも菊岡さんたちかは知らないが、とにかく情報が満載されたパソコンを置いていくような真似をするわけもない。

 ――代わりに、新たな疑問が俺に提示されていた。

「…………」

 確かに以前までは机の上にパソコンが置かれていた形跡があるが、今は新たに日記帳のような物が置かれていた。それだけ聞けば別に不思議ではないが、その日記帳は一切のホコリが付着していなかった……つまり、つい最近になって、誰かの手によってこの机に置かれたことになる。

 ……いや、このタイミングで誰か、などと不明瞭な言い方をする必要などない。まるで監視されているかのような不気味さを覚えながらも、何か目的があるなら乗ってやるとばかりに、その日記帳を開いていくと――

 ――そこに記されていたのは、彼女の半生だった。
 
 

 
後書き
 田山愛……たやマ……なぜそこで愛!? ……うっ頭が

 真面目に言うと、リズの尻に敷かれた座布団(ショウキ)を奪いに来た山田くん、という謎の感想をいただいたので、ちょっと入れ換えたら何故かシンフォギアの装者みたいになりました。しかし座布団呼ばわりされる主人公も珍しいのではないでしょうか、でもリズの尻の下ならご褒美また次回 
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