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幸福
こんなにも静かな場所だと、自分の血液の巡る音まで聞こえてくるようだ。
心臓の鼓動と、鈍い音に支配された空間に、私は一人うずくまっていた。そして、ずきりと体と胸が痛むたび、自分の体が異形のものに変じているのがわかる。
まず、だんだん昔のことが思い出せなくなってきた。
次に、髪の毛の色や目の色が変になってきた。
最後に、これは現状だけれども、私の腕が変化していった。
動物の、特に爬虫類じみた手。
ヒレにも見える腕から生えた突起物。
人間でなくなっていく恐怖に、私は絶叫した。
科学者はそんな私の姿を見て、「実験成功」と高笑いした。
怖い。
逃げ出したい。
でも逃げられない。
永遠にも感じる苦痛と恐怖の最中、私は崩壊する自分の人間性に悲嘆していた。
助けて。だれか…………
何度目かわからないその言葉は、反響さえすることなく、沈黙に吸い込まれて消えた。
いつから気を失っていたのだろう。私は、見知らぬ部屋にいた。
暖かな布団、部屋は散らかっていて、ほんのり甘い匂いがする。ここはどこだろう。ためしに起き上がってみると、頭が痛んだ。
思わず声を上げて頭を抱えると、部屋のドアが開いた。
「起きたの?大丈夫?」
そこに立っていたのは、1人の女の子だった。白髪に青い瞳の綺麗な女の子。とても優しそうで可愛い。でも、油断はできない。
あの科学者の手先だろうか。アイツだったらやりかねない。人にぬか喜びさせて、もっともっと私を苦しめるようなことを平気でする。
私は痛む頭を無視して起き上がり、女の子に向かって唸り声をあげた。女の子はびっくりしたような顔をして、こちらを見つめた。その顔で、はっとした。
こんなの、人間のすることじゃない。
自分が人間で無くなったことを再認識すると、ふいに力が抜けて、すべてがどうでも良くなってしまった。そして、涙が零れてきた。
「いっそ殺してよ……どうしてこんな酷いことするの?私が何をしたの?何で……」
最後は、言葉にならなかった。
「私は、あなたに酷いことなんてしないよ。」
「ウソだ……」
「ウソじゃないよ。ねぇ、覚えてないの?私があなたをここに連れてきたの。」
ここに連れてきた……?
その瞬間、私の頭の中にあるワンシーンが展開した。
檻の中の私、目の前の女の子。
檻を壊して外に出してくれた、私の正体を知っても怖がらずに手を差し伸べてくれた優しい人……
「思い出してくれた?」
ひどい態度をとったことが申し訳ないのと胸がいっぱいで、私は何も言えず、首を縦に振ることで精一杯だった。
「白音お姉ちゃん……」
また、涙が溢れてきた。今度は、安堵と感謝の、暖かい涙。
お姉ちゃんは私を抱きしめた。
「お姉ちゃんっ、ダメだよ、怪我しちゃう……」
私の背や腕には、鋭いヒレがある。お姉ちゃんだけには、傷ついて欲しくない。でも、お姉ちゃんは私をさらに抱きしめた。
「もう何も怖くないよ……ハルちゃん。自分の腕、見てごらん。」
私は、自分の腕を見た。そこには……
「ない……ヒレ、無くなってる……」
「ハルちゃん、もうハルちゃんは誰も傷つけなくていいの。誰にも傷つけられなくていいの……」
私は、お姉ちゃんの細い体にすがり付いて泣いた。お姉ちゃんは、そんな私を嫌がることなく、受け止めてくれた。
「お姉ちゃん、あったかい……」
「ハルちゃんもだよ。」
もう、大丈夫なんだ。誰にも苦しめられない。私は自由なんだ。ずっと、お姉ちゃんと一緒なんだ。
今度は、私の番だね。何があっても、助けてあげるよ。
私の大好きなお姉ちゃん。
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