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Dragon Quest外伝 ~虹の彼方へ~

作者:読名斉
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Lv40 ヴィザーク・ラヴァナ執政区(i)

   [Ⅰ]


 翌日の朝食後、俺はヴァロムさんの指示を実行する為、ウォーレンさんの屋敷を後にした。
 屋敷を出た俺はフードを深く被り、顔を隠す。
 そして、ラヴァナ・ヴィザーク地区へと向かい、移動を開始したのである。
 ちなみにだが、ウォーレンさんには一応、屋敷を出る際に「王都の街をゆっくりと見てみたいので、これからラヴァナに出掛けてきます」と伝えておいた。
 ウォーレンさんは、「ミロンは俺の使いで外に出ているから、今はいないんだよ。どうする? 誰か他の者を案内人として付けようか?」と訊いてきたが、今回の指示は誰にも知られてはならない事な為、俺は「適当に見てくるつもりなので、別に案内人はいいですよ。夕刻までには帰りますから」とだけ告げ、屋敷を後にしたのである。
 ウォーレンさんもそれで納得していたので、不審に思うなんて事はない筈だ。
 それからアーシャさんには、ヴァロムさんから秘密の指示があるので、少し出かけてくるとだけ伝えておいた。
 するとアーシャさんは、少し心配そうな表情で「……気を付けてくださいね。あまり御無理をなさらずに」と言って、俺を静かに送り出してくれたのである。
 少しゴネるかと思ったが、ヴァロムさんの名前を出したのが効いたのだろう。アーシャさんも流石に察してくれたみたいだ。
 とまぁそんなわけで、今の俺はようやく自由に出歩けるようになったのだが、ここで1つ問題が出てくるのである。
 それは何かというと、ラヴァナ・ヴィザーク地区は、ウォーレンさんの屋敷から結構離れているという事だ。そう……徒歩で行くような距離ではないのである。
 というわけで、今日の移動手段は、馬車タクシーである辻馬車を利用する事にしたのであった。
 ラティの話だと、王都ではよく利用されている交通機関なので、大きな通りを歩いていればすぐに停留所が見つかるそうだ。
 だがとはいうものの、この辻馬車も1つ問題があるのだ。
 それは、アリシュナの辻馬車はラヴァナには行かないという事であった。
 その為、俺はとりあえず、ウォーレンさんの屋敷から一番近い城塞南門まではアリシュナの辻馬車で行き、そこからは徒歩で、ラヴァナへと向かったのである。
 ちなみにだが、アリシュナの馬車料金は100Gであった。高いと思ったのは言うまでもない。
 まぁそれはさておき、魔導騎士が屯する城塞南門を抜けてラヴァナを暫く進むと、前方に辻馬車の停留所が見えてきた。
 つーわけで、俺はそこで馬車を探す事にしたのである。

 停留所にやって来たところで、俺は周囲を見回した。
 空港や駅のタクシー乗り場みたいに、道の端に停めてある数台の馬車が視界に入ってくる。
 だが、どの馬車も今は客と交渉中であった。
(空いてる馬車がなさそうだな。少し待たないと駄目か……ン?)
 と、そこで、客がいない1台の小さな馬車に目が止まったのである。
 見た感じだと、人力車を少し大きくしたような馬車で、定員にしてギリ2名といったところだろうか。
 周囲の馬車と比べると、かなり小さい部類である。
 御者席に目を向けると、暇そうにパイプをふかす、カウボーイみたいな格好をしたオッサンがいた。オッサンは今、パイプをふかしながら、前の通りをぼんやりと眺めているところだ。
(……モロに客待ちって感じだな。少し小さい馬車だけど、どうせ俺1人だけだし、あれでいいか。とりあえず、あの馬車と交渉してみよう……)
 俺は馬車に近寄り、オッサンに声をかけた。
「あの、すんません。ヴィザーク地区までお願いしたいんですけど、出せますかね?」
 オッサンは驚いたのか、パイプを落としそうになりながら、慌ててこちらに振り返った。
「おわッ!? おととと、きゃっ、客か。悪い悪い。で、どこに行くんだって?」
「ヴィザーク地区です」
「ン、ヴィザークですか。……ここからだと少し遠いんで、料金は15ゴールドになりやすが、それでもいいですかい?」
(安っ……やっぱアリシュナは高いなぁ。まぁ馬車自体が高級感あるし、しゃあないか)
 まぁそれさておき、俺は返事をした。
「ええ、構いませんよ」
「なら交渉成立だ。乗ってくんな」
「ではお願いします」
 馬車に乗り込んだところで、俺はオッサンに言った。
「出してもらえますか」
「では行きやすぜ、出発進行~、ハイヤッ!」
 そして馬車は、オッサンの陽気な声と共に、静かに動き始めたのである。

 馬車が動き始めたところで、俺は王都の見取り図を広げ、自分の現在地を確認することにした。
 ちなみにこの見取り図は、ヴァロムさんの指南書に同封されていた物を、俺が日本語で書き直した物だ。

(……もう少し進むと、アーウェン商業区へと続く大通りの交差点に出るな。そこを右折して、あとはラヴァナ環状通りを暫く進めば、ヴィザーク地区か……。問題はどの辺りで馬車を降りるかだが、ルグエンという代書屋はヴィザーク地区の少し外れた位置に居を構えていると、ヴァロムさんの指南書に書いてあった。ここは用心の為、その少し手前辺りで降りた方がいいか……)
 ふとそんな事を考えていると、御者席にいるオッサンが俺に話しかけてきた。
「ところで旦那、ヴィザークには何の用ですかい?」
(だ、旦那……。そんな風に言われたの初めてやわ。まぁそれはともかく、適当に流しとこう)
「野暮用です」
「へへへ、やっぱり、野暮用ですかい」
「やっぱり?」
 意味が分からん。
「へい。あの辺りは、ラヴァナの執政区になりますんでね。あそこに用がある者と言えば、お上にお伺いを立てに行く者か、イシュラナ大神殿に用がある者と相場が決まっておりますんでさぁ」
「ふぅん……なるほどね」
 そういえば指南書にも、ヴィザーク地区はラヴァナ執政区だと書いてあった。
 まぁ早い話が、役所関連の施設が多い区域なのだろう。
 これから想像するに、この国の代書屋も、日本で言う行政書士や司法書士みたいな仕事をしてるに違いない。
 そういえば以前、ヴァロムさんも言っていた。文字の読み書きが出来ない者も、結構いるみたいな事を……。
 もしかすると、この国の識字率は低いのかもしれない。
 まぁ中世のヨーロッパも、かなり識字率が低かったらしいから、案外、それが普通なのだろう。

 その後、馬車は通りを右折し、ラヴァナ環状通りを真っ直ぐ進んで行った。
 俺は暫しの間、流れ行くラヴァナの街並みをぼんやりと眺め続ける。その間、俺達は無言であった。
 視界に入ってくるラヴァナの街並みは、朝だというのにかなり活気に溢れていた。貴族のように着飾った者はいないので、アリシュナのように品のある雰囲気ではないが、こういう庶民的な雰囲気も捨てたもんじゃないなと俺は思った。
 そんな街の様子を眺めていると、御者席からまた声が聞こえてきた。
「旦那、この辺りからヴィザークになりますが、どの辺りまで行きますかい?」
 俺はそこで見取り図に目を落とした。
「そうですね……では、もう少し進んでくれますか。目的の場所に近づいたら、指示しますんで」
「へい、わかりやした。って、あらら……こりゃまた、面倒な時に来ちまったもんだ」
 オッサンはそういうや否や、馬車のスピードを弱めたのである。
「どうしたんです。何かあったんですか?」
「すいやせん。少しの間辛抱してくだせぇ。どうやら、今丁度、イシュラナ大神殿にアズライル猊下が降りてきているみたいなんです。なもんで、西の大通り交差点は、一時的に通行止めになってるんでさぁ」
「猊下が?」
「へい。横の窓から顔を出してもらえば見えますぜ。あそこでさぁな。今、馬車から手を振っている方が猊下ですぜ」
 俺は車窓から顔を出し、御者の指さす方向に視線を向けた。
 すると、沿道に詰めかけた住民達に見守られながら進む、イシュラナの神官達の大行進が視界に入ってきたのである。
 大半は白い神官服の者達であったが、赤や緑や青といった高位の神官服を纏う者達の姿も確認できた。
 そして、それらの行列の中に、煌びやかな金色の馬車が通るのを俺の目は捉えたのである。パッと見は、霊柩車かと思うくらい金ピカであった。
 また、その馬車の窓からは、美しい顔立ちをした銀髪の美青年が顔を出しており、今は沿道の住民達に向かって、爽やかに微笑みながら、手を振っているところであった。
(へぇ、あれがアズライル教皇か……思ったより若いな。おまけに爽やかな美丈夫ときたもんだ。チッ……なんか納得いかねぇ……。宗教のトップは、ジジイじゃねぇとしまんねぇだろ!)
 などと思っていると、そこで、御者のオッサンの声が聞こえてきた。
「ここ最近、魔炎公の件があってからというもの、こういう事が多いんでさぁ」
「投獄されたって話の事ですか?」
「へい。これも多分、それ絡みだと思いますぜ。今日もまた、イシュマリア司法院側とイシュラナ大神殿側とで、異端審問の採択を巡る継続審議をするんじゃないですかね」
 イシュマリア司法院……。
 ヴァロムさんの指南書に出てきた名前だが、ニュアンス的に、多分、日本の法務省にあたるところだろう。
「へぇ、そうなのですか。イシュラナ大神殿も色々とバタバタしてるんですね」
「そうでさぁ。ですが、それも、もうそろそろ終わるって話ですぜ」
「終わり? なぜですか?」
「いやね、あっしも噂で聞いたんですが、司法院側と大神殿側の継続審議も、そろそろ大詰めを迎えるって話なんでさぁ。しかも、火炙りの刑ってことで9割がた結論が出ているみたいですぜ」
 火炙りの刑……つまり殺されるって事だ。
 事の真偽はわからないが、急いだ方がいいかもしれない。
「じゃあ、近いうちに、刑が執行されるかもしれないってことですか」
「かもしれやせんね。まぁ噂では、ヴォルケン法院長が首を縦に振れば、もう決まりって話ですぜ」
「法院長が了解すれば?」
「へい。この間、チラッと耳にしたんですが、イシュマリア司法院を統括するヴォルケン法院長が、それに難色を示してるらしいんでさぁ。なもんで、ヴォルケン法院長が了承すれば、もう刑は執行されるとみていいんじゃないですかね」
「それは初めて聞きました。なるほど」
 ヴォルケン法院長……ここでこの名前が出てきたか。
 この人もヴァロムさんの指南書に出てきた名前だが……とりあえず、今は知らんフリをしておこう。
「でも、法院長がいくら反対したところで、イシュラナ神殿側の決定を覆すのは難しいんじゃないのですか?」
「しかし、旦那。この国に仕える有力貴族の断罪は、イシュマリア司法院が最終判決を下すことになってるんでさぁ。なもんで、イシュラナ神殿側もそこは尊重してるみたいですぜ。まぁそうはいっても、ヴォルケン法院長を含む4名の法務官の内、2名が、イシュラナ神殿側の決定に従う姿勢を見せてますんで、判決が下されるのは時間の問題だと言われてまさぁね」
「ふぅん……。じゃあ、ヴォルケン法院長の権限で、辛うじて踏みとどまっている状態ってことか」
「みたいですぜ」
 なるほどね……なんとなく今の状態がわかってきた。
 どうやら、このイシュマリア司法院だけが、イシュラナ神殿側の決定に抗える、唯一の機関なのだろう。
(つまり……ヴァロムさんの命は、首の皮一枚で繋がっているって事か。だがこれも、ヴァロムさんにとっては想定の範囲内なんだろう……)
 御者のオッサンは話を続ける。
「まぁそんなわけで、今もイシュマリア司法院とイシュラナ神殿側で話し合いが続いている真っ最中らしいんでさぁ」
「じゃあ、もう時間の問題って事ですかね」
「と思いやすぜ。ですが……あっしはねぇ、魔炎公ヴァロム様が王家と神殿に対し、不敬を働いたって話が、今でも信じられねぇんでさぁ」
「信じられない?」
「へい。あの方はですね、アズラムド王の親友でもあり、全幅の信頼を寄せる稀代の宮廷魔導師と云われるほどの御仁って聞きます。なもんで、そんな事を本当にあの方がなさったのかと、今でも下々の民は首を傾げているんでさぁ。旦那も、そう思いやせんか?」
(そういやヴァロムさんは、不敬罪で地下牢に入れられてるんだったか。本当のところはどうなんだろ……。でも、有力貴族を適当な理由で拘束したとも思えないから、本当に不敬を働いた可能性があるんだよな。ヴァロムさんなら、その辺は計算づくでやりそうだし……。まぁいいや。とりあえず、今は置いておこう……)
 俺は適当に話を合わせておいた。
「まぁ確かに、少し首を捻りたくなる話ですね」
「そうでさぁね。それに、ここ最近は陛下の御様子も変だって噂ですし、あっしは妙な胸騒ぎがしてならねぇんです。おまけに街の外じゃあ、凶悪な魔物も増えてるっていうじゃねぇですか。皆、顔には出さねぇですが、あっし等、下々の民は、不安でしょうがないんでさぁ。このままじゃあ、ラミナスみたいな事になりそうで……」
 御者の男はそう言うと、大きく溜め息を吐いた。
 恐らく、これがラヴァナの住民達の本音なのだろう。
 大半の住民達が、不安の中で生活してるに違いない。
 俺はそこで、前方にいる沿道に詰めかけた住民達に視線を向けた。
 遠目で見ているので表情まではよくわからないが、住民達は皆、イシュラナの紋章を空に切り、両手を組んで必死に祈り続けていた。
 住民達は今、すがるような気持ちで、女神に祈りを捧げているのかもしれない――


   [Ⅱ]


 ヴィザーク地区の中央にある大通りの交差点付近で馬車を降りた俺は、ラヴァナ環状通りをガヴェール工業区方面へと向かって歩き続けた。
 古びた石造りの建物が沢山軒を連ねる環状通りを暫く進んでゆくと、目的の建物らしきモノが見えてきたので、俺はその建物の前で立ち止まった。
 そこは、やや薄汚れた茶色い建物で、玄関扉の横には小さな木の看板が掛かっていた。
 看板にはこの国の文字でこう書かれている『イシュマリア司法院認可・司法代書人 ルグエン・シーバス』と……。
 ちなみに2階建ての四角い石造りの建物で、それほど大きくはない。というか、小さい。日本でも時々見かける小さめのキューブ型住宅程度の大きさである。 
(ヴァロムさんの指示だと、確か、場所はこの辺てなってたから、多分、ここがそうなんだろう。さて……それじゃあ、行ってみるとするか)
 俺は玄関扉を開いた。
 玄関を潜ると、雑然とした事務所を思わせる空間が広がっていた。
 20畳程度の床面積で、入ってすぐの所に受付カウンターがあり、そこには逆三角形の眼鏡をかけた金髪の若い女性が1人いた。
 ちなみに女性は今、訪問客である俺の方へと視線を向けているところだ。
 歳は20代後半くらいだろうか。眼鏡の形が逆三角形だからか、少し性格がキツそうに見える。
 だが、上に着ているベージュ色のチュニックみたいな服が、それを少し和らげているので、そこまでキツイ雰囲気ではない。キツイというよりも、仕事が出来そうな感じの女性であった。
 その奥に目を向けると、書斎机があり、そこには頭頂部だけが禿た50歳くらいの男がいた。
 男は今、机の上に足を投げ出してイビキをかきながら昼寝をしている最中であり、おまけに服装が草臥(くたび)れているのもあってか、酷くだらしない風貌となっていた。ちなみに服装は、色褪せた灰色のローブ姿である。パッと見は、ねずみ男みたいなオッサンであった。
 机の上に目を移すと、書類などが乱雑に積み上げられており、筆記用具みたいな物が所狭しと散らかっていた。
 そして、男がイビキをかく書斎机の周囲には幾つもの棚があり、そこにも乱雑に積み上げられた書類等が置かれているのだ。
 この男の性格が、モロに分かる光景であった。
 つまり、ほぼ間違いなく……ものぐさ太郎って事である。
(しかしまぁ、えらく散らかった事務所だな。本当にここなんだろうか……。多分、あそこでイビキかいてるオッサンが、ここの主だと思うが……まぁいいや、確認すればわかるか……)
 と、そこで、カウンターの女性が俺に話しかけてきた。
「あの……どちら様でしょうか?」
 女性は明らかに、不審者を見るような目であった。
 多分、俺がフードを深く被って、顔を隠しているからだろう。
 つーわけで、俺はフードを捲りあげ、要件を告げたのである。
「あのぉ……代書人のルグエン・シーバスさんはおられますか?」
 女性は居眠りしている男をチラ見する。
「おりますが……どういったご用件でしょうか?」
「クリーストの件で相談があると伝えてもらえますでしょうか? 多分、こう言えば分かると思います」
 ちなみにだが、クリーストとはヴァロムさんの事だ。
 知っている者にしか分からない、暗号みたいなものである。
「……わかりました。少々お待ちください」
 女性は男の方へと移動し、激しく肩を揺さぶった。
「先生、お客さんよ」
 オッサンは慌てふためきながら目を覚ました。
「おわぁッ!? な、何だ? じ、地震かッ!?」
「違います。お客さんがお見えになってます」
「客?」
 そこで女性は俺を指さした。
「あの方が、用があるそうですよ。何でも、クリーストの件で相談があると仰ってますが」
「クリーストの件!?」
 オッサンはハッとした表情になる。
 その直後、オッサンは慌てて襟を正し、俺の方へと近づいてきたのだ。
「お見苦しいところをお見せてしまい、大変申し訳ありませんでした。私がルグエン・シーバスになります。ええっと、クリーストの件で相談があると今聞きましたが、間違いないですかな?」
 俺は頷くと、ヴァロムさんの指示にあった言葉を告げる事にした。
「実はですね、祖父の余命がもう僅かだと医者から言われたのです。父から、ルグエンさんにクリーストの件について相談して来いと言われたので、今日はお伺いさせてもらった次第であります。今、お時間の方はよろしいでしょうか?」
「そうですか……。では立ち話でもなんですので、上で話を聞きましょうか。こちらです」――

 俺は2階のとある扉の前に案内された。
 ルグエンさんは早速、その扉を開く。
 するとその先は、真っ暗な空間となっていた。
「では少々お待ちください。今、明かりを灯しますんで」
 ルグエンさんはそう言って、ラングと呼ばれる火を起こす道具を取り出した。

 話は変わるが、この国で火を起こす方法は、このラングが一般的みたいだ。
 形状を簡単にいうと、ZIPPOライターを大きくしたようなもので、原理的にはオイルライターと呼べる代物だ。
 魔法の使えない者でも、簡単に火を起こせるので、ここでは生活必需品だそうである。
 というわけで話を戻そう。

 ラングの明かりを頼りに、ルグエンさんは部屋の中へ入り、中央のテーブルにある燭台に火をつけた。
 その瞬間、部屋の様相が露わになる。
 そこは木製の四角いテーブルと4脚の椅子だけという、飾りっ気のない質素な部屋であった。
 おまけに窓も無い。多分、人に聞かれたくない話をする為の部屋なのだろう。
 ルグエンさんは明かりを灯すと、テーブルの椅子を引き、俺に座るよう促してきた。
「さて、それでは、こちらにお掛けになってもらえますかな」
「では失礼します」
 俺が椅子に座ったところで、ルグエンさんは入口の扉を閉め、対面に腰を下ろす。
 そしてトーンを少し下げ、静かに話し始めたのである。
「クラウス様から話は聞いております……。クリーストの件について相談に来る者が現れたら、すぐにクラウス様の元にお連れするようにと」
「ではお願いできますか?」
 するとルグエンさんは、少し渋った表情になったのである。
「そうしたいのは山々なんですが、実はですね、クラウス様は今、ラヴァナ執政院にはおられないのです。ですから、少し待ってもらいたいんです」
「いない?」
「はい……今日はヴァロム様の異端審問決議の採択をめぐる継続審議の日なので、オヴェリウスにいる4名の法務官は今、イシュラナ大神殿にいるんですよ。なので、それが終わるまで少し待っていてもらいたいのです」
(クラウスって人は法務官なのか? ヴァロムさんの指示では、確か、ラヴァナ執政官となっていた気がするが……まぁいい、確認してみよう)
「あのつかぬ事をお訊きしますが、クラウス様は法務官なのですか? 執政官と聞いたのですが」
「ン、もしや王都は初めてですか?」
「はい、ついこの間来たばかりです」
「そうですか。なら、知らないのも無理はありませんな。実はですね、このオヴェリウスでは、3つの階層の執政官が法務官職も兼ねるのですよ。そして、その最高責任者がヴォルケン法院長なんです」
「ああ、そういう事ですか。なるほど……」
 俺の知らない制度が、まだまだこの国にはあるようだ。
「ところで、クラウス様がお帰りになる時間帯ってわかりますかね?」
「それは流石にわかりません。ですが、今までの流れからいくと、恐らく、夕刻近くになるのではないでしょうか。いつもそのくらいまで審議をしていると、聞いた事があるものですから」
「夕刻ですか……」
 話を聞いた感じだと、かなり時間が掛かりそうだ。
(はぁ……タイミング悪いなぁ。仕方ない……ここで待つのもアレだから、街で時間を潰すとするか)
「じゃあ、出直す事にしましょう。日が沈みかける頃、また顔を出す事にします」
「すいません。お手数かけます」
 ルグエンさんはそう言って、申し訳なさそうに頭を下げた。
 とまぁそんなわけで、俺は暫くの間、街で時間を潰す事となったのである。


   [Ⅲ]


 フードを深く被り、ルグエンさんの事務所を出た俺は、そこで太陽の位置を確認した。
 すると、太陽はまだ昇りきっておらず、現代風に言うならば、午前10時頃の陽射しといった感じであった。
 昼飯というには、まだ早い時間帯だ。
(さて、どうやって時間を潰すかな。あまり、適当にうろつき回ると、迷子になる可能性があるし……。そういえば、来る途中、広場みたいな所があったな。とりあえず、あそこまで行ってから考えるか)
 というわけで、俺は今来た道を戻る事にしたのである。

 それから程なくして、広場にやって来た俺は、誰も座ってない石のベンチに腰掛け、少し休むことにした。
 見たところ、結構大きな広場で、美しい花を咲かせた花壇や木々等もある為、気分的にも落ち着く静かな所であった。
 のんびりとベンチで寛ぐ人々の姿や、地べたに寝転がって日向ぼっこをする猫もいるので、余計にそう感じるのかもしれない。見てるだけで眠くなる光景だ。
(さて……これからどうするかな……夕刻までかなり時間があるし……ン?)
 と、そこで、広場の向こうに『武具専門店・ギルダス』という看板を掲げた建物が、俺の視界に入ってきたのである。
 人の出入りも多く、繁盛していそうな大きい店であった。
 ちなみにだが、そこに出入りする客の中には、場数を踏んでそうな冒険者や衛兵みたいな格好の者もいたので、もしかすると、品揃えの良い店なのかもしれない。
(へぇ、こんな所にも武器屋があったんだな。暇つぶしに、あの店でも覗いてみるか。ン? ……あれは……)
 すると、丁度そこで、見た事ある2人組がその店へと入って行ったのである。
 それは、ラッセルさんとマチルダさんであった。
(ゼーレ洞窟に向けての買い出しだろうか? まぁいいや、ここで時間潰すのもアレだし、俺も行ってみるか)――

 武器屋の中は沢山の客で賑わっていた。
 店内は結構広く、重装備コーナーや軽装備コーナーといった風に、幾つかのブースが設けられていた。
 奥には精算するカウンターがあり、そこには、髭を生やし、厳つい顔をしたスキンヘッドのオッサンが、腕を組みながら店内を見回しているところであった。
 ちなみにだが、そのオッサンは腕っぷしの強そうなムキムキの体型なので、凄い威圧感を放っていた。このオッサンを見て万引きする奴は、そうそういないに違いない。
 まぁそれはさておき、俺はとりあえず、2人の姿を探す事にした。
 店内が広い上、結構人も多かったので、探すのに時間がかかりそうであった。が、しかし、予想外にも2人はすぐに見つかったのである。
 ラッセルさん達は今、重装備のブースで武器を手に取り、品定めをしているところであった。
(お、いたいた。さて、それじゃあ、挨拶でもしてくるか)
 俺は2人に近づき、声を掛けた。
「こんにちわ、ラッセルさんにマチルダさん。一昨日はどうも御馳走様でした」
 2人はそこで俺に振り返る。
 だがその直後、2人は眉根を寄せ、怪訝な表情になったのである。
 マチルダさんが探るように訊いてくる。
「……あの、誰ですか?」
(そういや、フードを被ったままだった)
 俺はフードを捲り、もう一度挨拶をした。
「ああ、これじゃあ、わかりませんね。すいません。一昨日はどうもありがとうございました」
「誰かと思ったら、コータローさんじゃないですか!」
「おどかさないでよ、コータローさん……ビックリしたじゃない。ところで、コータローさんもお買い物?」
 俺は頭を振る。
「いえ、違いますよ。向こうの広場で休んでいたら、ここに入っていく2人の姿が見えたものですから、来てみただけです。ところで、今日はお買い物ですか?」
「ええ。討伐に向かうには、準備をしっかり整えないといけませんからね」と、ラッセルさん。
「そ、そうっスか」
 行く気満々である。
 とりあえず、話題を変えよう。
「ラッセルさん達は、この武器屋をよく利用するんですか?」
「そうですよ。ここは、ラヴァナで唯一、高位武具の販売を許された店ですからね。その辺の武器屋とは品揃えが違うんです。まぁとはいっても、金の階級のパーティじゃないと、そういった武具は買えませんが」
「へぇ、そうなんですか」
 という事は、俺の場合、向こうの方に陳列されている銅の剣程度しか買えないのかも……。
 などと考えていると、マチルダさんが訊いてきた。
「それはそうと、コータローさん。もう決心はついたの? って、ごめんなさい。返事は明後日だったわね」
 すぐこの話題になるな。
 まぁいいや、今は適当に答えとこう。
「はは……それについてはまだ考え中です。ところで、仮に俺が行かないと決断した場合、ラッセルさん達はどうされるのですか? 他に仲間を見つけて行かれるのですかね?」
「まぁその時は4人で行き、バルジ達のパーティと共同で事に当たるつもりでいます。バルジ達はこの王都でも1、2を争う冒険者のパーティですからね。彼等と共に行動すれば、そう滅多な事にはならないと思いますから」
「ン? という事は、バルジさん達は白金の階級なんですか?」
「ええ、そうですよ。バルジ達は数多くの危険な依頼を達成してきましたからね」
 この口ぶりを聞く限り、バルジさん達のパーティは相当優秀なようだ。
「へぇ、なるほど……」
「それはそうと、コータローさん。返事を聞くのは2日後ですが、我々も無理強いはしませんので、嫌だったら断ってくださっても構いませんよ。とはいえ、来て頂けるとありがたいのは、正直なところですが……」
 俺の推察が正しければ、あの依頼は恐らく……いや、今考えるのはやめておこう。
 それよりも、あの依頼の不自然な点を、2人に話しておいた方がいいかもしれない。
 だが、ここで話すのは流石に不味いので、場所を変えて話すとしよう。
「ラッセルさんにマチルダさん……お2人に話しておきたいことがあるのですが、今、お時間いいですかね?」
「まぁ時間は大丈夫ですが……どうしたんですか? 急に改まって」
「もしかして、大事な話?」
「ええ、大事なお話です」
 2人は顔を見合わせる。
 微妙な表情をしていたが、2人は首を縦に振ってくれた。
「わかりました」
「わかったわ」
「では、ここじゃなんですので、外に行きましょうか」――

 武器屋を出た俺は、2人を向かいの広場へと案内した。
 そして、誰もいない静かなベンチの所へ行き、俺は2人に話を切り出したのである。
「買い物の途中に申し訳ありません。お2人に、どうしても話しておきたかった事があったので」
「それは構いませんが、話しておきたい事とは、一体何ですか?」
「では単刀直入に、お2人にお伺いします。一昨日あったバルジさんの話なんですが、少しおかしいと思いませんでしたか?」
「……おかしいとは思わなかったけど、それがどうかしたの?」と、マチルダさん。
「俺もマチルダと同じです。特に何も思いませんでしたね。コータローさんは納得いかない部分があったのですか?」
 どうやら、全く不信に思ってないようだ。
 仕方ない。話すとしよう。
「そうですか、お2人は思いませんでしたか……。ですが、あの依頼……冷静になって考えると、おかしなところだらけなんですよ」
「おかしなところだらけ?」とラッセルさん。
「ええ。なぜなら――」

 というわけで、俺は少し時間をかけ、2人に疑問点を幾つか話したのである。
 話した内容はこんな感じだ。
 生還した冒険者は、なぜ、離れた所にあるイシュラナ大神殿に運び込まれたのか?
 本当に冒険者はゼーレ洞窟から帰って来たのだろうか?
 イシュラナ神殿側は、なぜ、こんなに早く討伐依頼を決断できたのか?
 突如降って湧いた幻の財宝の話は本当なのだろうか? etc……。
 これらの事を大雑把にだが、俺は2人に告げたのである。

 一通り話したところで、俺は2人の意見を聞いてみる事にした。
「――っと、俺は思うんですが、2人はどう思いますかね?」
 ラッセルさんとマチルダさんは、何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
「……幾らなんでも、考えすぎなんじゃないですか、コータローさん。まぁ確かに、報酬が高額なので、そう思われるのもわかるのですが、現に魔物も増えてますからね」
「私もそう思うわ。それに、コータローさんの口振りだと、イシュラナ神殿がまるで、何かを企んでいるかのようじゃない。そんな事、幾らなんでもあり得ないわよ」
 どうやら2人は、あまり疑問に思わないようだ。
 ウォーレンさんも昨日言ってたが、イシュラナ神殿について、悪い方へは中々考えられないのかもしれない。
「ですが、そこまで高額な報酬を払うとなると、普通、ちゃんとした確証を得てからなんじゃないでしょうか。その確認をイシュラナ神殿側がしているのなら問題ないのですが、たった半日程度で、オヴェール湿原にある洞窟へ確認に行くなんて事は至難の業だと思うんです。いや、ハッキリ言って無理だと俺は思うんですよ。だから俺は腑に落ちないんです」
 2人は互いに顔を見合わせ、渋い表情になった。
 ラッセルさんが訊いてくる。
「コータローさんはどう考えているのですか? あの依頼は罠だとでも?」
「ええ、恐らくは」
「一体何の為に? イシュラナ神殿が冒険者に罠を張っていると言いたいのですか? それは幾らなんでも、話が飛躍しすぎなんじゃ……」
「イシュラナ神殿が黒幕なのかどうかは、俺にもわかりません。もしかすると、魔物と通じる神官がいる可能性もありますからね。ですが、もしそうならば、あの依頼は全く逆の意味合いを持つことになるんですよ」
 マチルダさんは首を傾げた。
「逆の意味合いって、どういう事?」
「あの依頼は魔物の討伐ではなく、優秀な冒険者の討伐という事です」
「ぼ、冒険者の討伐ですってッ!?」
「コータローさん、幾らなんでもそれはないんじゃ……」
「でもコータローさん、貴方はさっき確証がないと言ったけど、それだって確証がないじゃない。結局、同じ事よ。どっちも証拠なんてないんだから」
 ここを突かれると俺も痛いところである。
(さて、どうしよ……説得は諦めるか。でもなぁ、見殺しにするみたいな気がして嫌なんだよな。はぁ……何かいい方法がないだろうか。実際に洞窟へ行って調査でもすれば、ハッキリするんだろうけど、ライオンヘッドがうろついてるような所に行くのは自殺行為だしな。おまけに、実態の調査となると、気づかれずに行かなきゃならないし……。魔物でもない限り、そんな事は無理だろう。打つ手なしか。ン……魔物でもない限り……)
 と、そこで、あるアイテムの事が、俺の脳裏に過ぎったのである。
(そういえば、アレがあったな……アレを使えば、洞窟の中に行けるかもしれない。ゲームでも敵地潜入によく使ったし。だがそうなると、俺も行かなきゃならないしな……ああもう、どうしよう……)
 などと考えていると、ラッセルさんは勝手に総括し始めたのであった。
「マチルダの言う事も一理あるな。今は何も確証がないから、結局は同じ事なんだよ。だから、行けばハッキリするんだ。コータローさん……俺達はとりあえず行ってみる事にするよ。貴方がたとえ断ったとしてもね」
(う~ん、こういう考え方は嫌いじゃないけど、今回に限っては、自殺行為な気がするんだよな。ハァ……仕方ない。あまり気が進まんが、手を貸すとするか。ヴァロムさんの指南書だと、次の行動に移るまで少し日数があった筈だ。それに、アレを使えば、戦闘もかなり避けれるかもしれないし……)
 というわけで、俺はある提案を2人にしたのである。
「ラッセルさんにマチルダさん……明日ですが、俺と一緒に、ゼーレ洞窟へ確認しに行きませんか? それから判断しても遅くはないでしょう」
「え? それはどういう……」
「どうもこうも、言葉通りの意味です」
「ちょっとコータローさんッ、何を言ってるのか分かってるのッ!? オヴェール湿原の魔物が強力なのは貴方だって知っているでしょう? 私達だけで行ったら、それこそ全滅だわッ」 
「ええ、勿論わかってますよ。ですが、それを回避する良い方法があるんです」
 ラッセルさんが眉根を寄せて訊いてくる。
「良い方法だって……一体どういう方法なんですか?」
「今は言えません。ですが、この方法ならば、魔物と戦わずに洞窟の内部にも入れるかもしれません……とだけ言っておきましょう。で、どうします? 調査に行ってみませんか?」
「そんな事が可能なのですか?」とラッセルさん。
「ええ上手くいけば……。ですが、絶対大丈夫というものでもありませんよ。なので、危なくなったらすぐに撤収するつもりです」
 2人は半信半疑といった表情で顔を見合わせた。
「コータローさん、マチルダと向こうで少し話をしたい。待っていてくれるだろうか?」
「構いませんよ。ですが、2つばかり付け足す事があります」
「付け足し?」
「はい。まず1つ目ですが、調査に行くのは3名から4名程度にしておいて下さい。あまり大人数では行きたくないので。それと2つ目ですが、この事は他言無用でお願いします。非常に難しい問題を孕んでますので、これは必ず守って頂きたいのです。いいですかね?」
「……わかりました。では少し待っていてください」
 そしてラッセルさんとマチルダさんは、少し離れたところでミーティングを始めたのである。

 で、話し合いの結果だが、2人はとりあえず、俺の提案を承諾してくれた。
 出発は明日の朝、イシュラナの鐘が鳴る頃で、集合場所はラヴァナ東門の前となった。
 そして、調査に行くメンバーや、移動手段等の打ち合わせをしたところで、俺達は別れたのである。
 とまぁそんなわけで、俺はまたもや、想定外のイヴェントをこなす事になったのだ。


   [Ⅳ]


 西の空が赤く染まり始めた頃、俺はルグエンさんと共に、ラヴァナ執政院へと向かった。
 ルグエンさんの話によると、今回の協議は早めに終わったらしく、もう既にクラウス執政官は戻っているとの事であった。
 まぁそんなわけで、ルグエンさんの事務所について早々に、俺は出掛ける事となったのである。
 ラヴァナ執政院は、環状通り交差点をアリシュナ側に暫く進むと見えてくるようになる。
 建物の形状はイシュラナ神殿に少し似ているが、俺からすると、日本の国会議事堂みたいな造りの建造物であった。だが、よくよく考えてみると、あれも若干古代ローマ風の建物なので、仮に、この国に存在してたとしてもそれほど違和感なかっただろう。
 ラヴァナ執政院の周囲は、青々とした芝生が広がる美しい庭園となっていた。
 執政院へと続く石畳の道には、女神イシュラナの石像に加え、剣を掲げた厳かな人物の石像等が飾られている。
 そして、執政院の入り口付近に視線を向ければ、剣や槍を装備した衛兵が何十人もおり、今は出入りする者を静かに監視しているところなのであった。
 見るからに厳戒体制といった感じである。
 もしかすると、ミロン君が言っていた、イシュマリア魔導連盟とかいう団体に目を光らせているのかもしれない。
 まぁそれはさておき、執政院の敷地内に入ったところで、ルグエンさんは立ち止まり、俺に振り返った。
「では、少々お待ちいただけますかな。クラウス様の秘書に話を通して参りますので」
「わかりました」
 そしてルグエンさんは、執政院の中へと入っていったのである。

 それから20分程経過したところで、ルグエンさんは白いローブ姿の若い男と共に、俺の前へとやって来た。
 歳は20代半ばといったところで、若いのと眼鏡をかけている事以外、取り立てて特徴のない男であった。恐らくこの男が秘書なのだろう。
 ルグエンさんは男に言った。
「この方がクリーストの件について相談に来られた方でございます」
 すると、男はそこで、俺に質問をしてきたのである。
「不躾な質問をさせて頂きますが、貴殿は真実を見抜く神を御存じであろうか?」
 俺は指南書の通り答えておいた。
「太陽神の事ですかな」
 すると男は、そこでルグエンさんに振り返り、白い巾着袋を差し出したのである。
 ジャラッという金属音が聞こえてきたので、多分、中身はゴールドだろう。謝礼ってやつに違いない。
「ご苦労でした。ではこれを」
 ルグエンさんはその袋を受け取ると、男に深々と頭を下げる。
 そして役目は終えたとばかりに「私はこれで」とだけ告げ、この場から足早に立ち去ったのである。

 ルグエンさんの姿が見えなくなったところで、男は口を開いた。
「……では参りましょう。こちらです」
 男は執政院の表の入り口ではなく、裏にある勝手口へと俺を案内する。
 ちなみにそこは、警備の衛兵がいない所であった。
 そして、その勝手口から、俺達は執政院の中へと入ったのである。
 今の俺はフードを深く被る怪しい姿なので、流石に表から堂々と入るわけにはいかなかったのだろう。
 俺は男の後に続き、人通りのない赤い絨毯が敷かれた通路を無言で進んで行く。
 すると、程なくして男は、イシュマリア王家の紋章が彫りこまれた厳かな扉の前で立ち止まったのであった。
 佇まいを見る限り、ここがクラウス執政官のいる執務室なのかもしれない。
 だが、そう思うと同時に、俺は少し違和感を覚えた。なぜなら、こういう立派な扉につきものの、ある存在が見当たらないからだ。
 俺はそこで床へ視線を向ける。すると思った通りであった。
 床に敷かれた柔らかい絨毯の上には、2人分の足跡が残っていたのである。
 足跡は扉の両脇に立つような感じであった。ここから推察するに、恐らく、警備する衛兵のモノだろう。ついさっきまで、ここに立って警備していたに違いない。
(途中、誰とも擦れ違わなかったので不思議だったんだよな。多分、人払いをしたんだろう……)
 まぁそれはさておき、男はそこで扉を「コンコン」とノックした。
 中から、低い男の声が聞こえてくる。
「誰だ?」
「クラウス様。スロンでございます。クリーストの使者をお連れ致しました」
「お通ししろ」
「ハッ」
 男は丁寧な所作で扉を開き、俺に中へ入るよう促してきた。
「さぁどうぞ、中へ」
「では失礼します」――

 俺が部屋の中へと入ったところで、扉はゆっくりと閉められた。  
 そこで俺は室内をサッと見回す。
 すると中は青い絨毯が敷かれた、落ち着いた感じの部屋であった。
 広さは20畳程度で、壁際には本棚や絵画、壺等の美術品が飾られている。それらは何れも派手さはないが、落ち着いた感じの気品ある品々ばかりであった。
 部屋の奥に目を移すと、そこには黒塗りの立派な書斎机があり、その手前には来客用と思われる白いソファー2脚と、磨き抜かれた大理石の四角いテーブルが置かれていた。
 書斎机には、青と白の法衣を身に纏う、白髪混じりの長い髪の男が1人おり、今は書類のようなモノに目を通しているところであった。
 見た感じだと、歳は50代から60代といったところだろうか。
 体型は中肉中背で、口元や顎に白い髭を生やしており、額や目尻には幾つかの皺が刻まれている。穏やかな目付きをしており、パッと見は、人の良さそうな雰囲気を持つ男であった。
 物静かな政治家。それがこの男から受ける、俺の第一印象であった。

 俺が執務室の中へと入ったところで、男は手を休め、こちらへと視線を向けた。
「では、まず、そなたの顔を見せてもらおうか。確認をしたいのでな」
 俺はローブのフードに手をかけ、ゆっくりと捲り上げた。
 素顔を晒したところで、男は上から下へと目を這わす。
 すると、男は笑みを浮かべ、静かに口を開いたのである。
「どうやら間違いないようだ。失礼した」
「どういう意味でございますか?」
「事前に使者の特徴を聞いていたので、それを確認させてもらったのだよ。ヴォルケン法院長からは、アマツの民のような外見の若い男が、使者として訪れると聞いていたのでな」
「なるほど、そういうことでしたか」
 どうやらヴォルケン法院長という方は、ヴァロムさんから粗方の説明は受けているのだろう。
 もしかすると、ヴァロムさんが何をしようとしているのか、知っているのかもしれない。
 ふとそんな事を考えていると、男は自己紹介をしてきた。
「さて、では名乗らせてもらおう。我が名はクラウス・インバルト・モードヴェン。ラヴァナを統括する執政官である」
「私はコータローと申します。クリーストの使者としてこちらに参りました。よろしくお願い致します、クラウス閣下」
「うむ、こちらこそよろしく頼む。では、そこの長椅子に掛けられよ。私もそこで話すとしよう」
「ではお言葉に甘えまして」
 俺はソファーに腰かけた。
 続いてクラウス閣下も俺の対面に腰を下ろす。
 そして俺達は密談を開始したのである。

 クラウス閣下は周囲を少し気にしながら、小声で話し始めた。
「さて、では本題に入ろう。まず、クリースト殿の現状だが……非常に不味い事になっている。貴殿も既に聞き及んでいるかもしれぬが、このままいくと、もう刑は免れぬであろう。今はヴォルケン法院長と私で、なんとか採決を遅らしているが、それも次の審議で最後になるかもしれない。10日後にある次の審議では、採択を迫られる可能性が高いのだ。つまり、もう逃げの一手は打てない情勢になりつつあるのだよ」
「そうですか……もう時間がないのですね。では一刻も早く、私はヴォルケン法院長に会わねばなりません。そちらの手筈はどうなってますでしょうか?」
「うむ。そこでだ、貴殿には7日後の夕刻、ヴォルケン法院長に会えるよう、私がこれから調整する。だからその間に、貴殿の方も準備をしておいてもらいたいのだ。もう後戻りは出来ぬ故な……」
「ええ、わかっております……」―― 
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