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艦隊これくしょん 災厄に魅入られし少女

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第五話 不安の始まり

佐世保第十三鎮守府の執務室だった部屋で凰香達は提督代理と名乗る艦娘『金剛』と対峙していた。

「………歓迎しているのですか?」
「ハイ、もちろんデース」

凰香の問いに金剛は朗らかな笑みで返す。一見すれば友好的に見えるが、『凰香達に向けられている砲門』を見れば、それが嘘であるということが一目瞭然である。
さらに言えば、金剛が浮かべている笑顔も『作られた笑顔』である。それらから金剛が凰香達を歓迎していないのは明らかである。大方、先ほどの砲撃で凰香達を抹殺しようとでもしたのだろう。
だが、ここでそのことを指摘すればまた面倒なことになる可能性がある。
凰香はそのことを皮肉交じりに言った。

「挨拶代わりに砲撃とは、随分と過激な歓迎方法ですね。それとも、ここでは砲撃が挨拶なのですか?」
「それはアナタが紛らわしかっただけデース」

凰香の言葉に金剛がそう返す。金剛の言う通り凰香は提督が着る白色の制服ではなく、いつも通りの服装である。そのため、不審者と間違えられても仕方ないだろう。まあ時雨、榛名、夕立の三人がいる時点で軍関係の人間であることはわかるはずなのだが。

「とりあえず、今後ともよろしくお願いします」

凰香はそう言って手を差し出す。普段の凰香なら決して自分から手を差し出すようなことはしないが、『社交辞令は大切に』と海軍大学で凰香の教官役だった艦娘に散々言われたため、今回自分から手を差し出したのだ。表情はいつも通りなのだが。
それに今後世話になってくるので、早めに打ち解けられるなら打ち解けた方がいい。

「では、部屋に案内しマース」

しかし、金剛は凰香が差し出した手を見向きもせずにくるりと背を向け、先に執務室を出ていった。大方、凰香のことを『役立たずの小娘』とでも思っているのだろう。まあ、凰香は金剛の反応を見ても何も思っていないのだが。
凰香は手を引っ込めると、榛名と夕立をチラリと見た。榛名と夕立、特に榛名は金剛の様子が信じられないというような、悲しそうな表情を浮かべながら金剛の背を見ていた。

「やれやれ。ここまでくると逆に清々しいわね」

防空棲姫が金剛の背を見ながら苦笑いして言った。もちろん防空棲姫は凰香達にしか見えていないので、金剛に防空棲姫の声は聞こえていない。
凰香達は金剛の後を追って執務室を出る。
近すぎず遠すぎずの距離を保って、金剛の後ろについていく。その道中で様々な艦娘達を目にした。
学生服っぽい服を着た駆逐艦、女性用海兵服やOLのような制服を着た軽巡洋艦や重巡洋艦、弓道の道着に胴当てをつけた空母、戦闘員服のような服や和服を着た戦艦など様々な艦娘がいるが、共通しているのは凰香達に向ける目に友好的な雰囲気がないことだ。すきあらば、凰香を殺そうとしている艦娘もちらほらいる。そして凰香と共にいる時雨、榛名、夕立にもその目が向けられていた。時雨は微塵も気にしていないが、榛名と夕立は凄まじく居心地の悪そうな感じだった。

(これまた面倒ことになったわ)

凰香はそう思った。まあ、そのことは最初からわかっていたことなのだが。
すると前方を歩いていた金剛が立ち止まり、凰香達の方を振り向きながら横の扉を指差して言った。

「ここがアナタ達の部屋デース。必要なモノや本部からの荷物は昨日のうちに届いているので確認お願いしマース。あと艤装は工廠の方に置いてあるので、そちらも確認お願いしマース」
「ここの説明はないのかい?僕達、ここ初めてだから右もも左もわからないんだけど」

時雨がそう言うと、金剛があからさまに嫌そうな顔をする。少しは隠そうとした方がいいが、今はどうでもいい問題である。
すると金剛が面倒くさそうにため息を吐いてから言った。

「……その資料も中にありますので、読んでくださいネ?ではワタシは忙しいので、これで失礼しマース」

時雨の問いに金剛は冷たく返し、そのまま立ち去っていった。これ以上は何を言っても無駄だろう。時雨もそのことをわかっているようで、金剛に何も言わずに肩をすくめる。
金剛の姿が見えなくなると、凰香は部屋の扉を開けた。そして部屋の中を見た瞬間、凰香はつぶやいた。

「……へえ、なかなかおもしろいことをしてくれるね」

そう言って、部屋の中へと入っていく。時雨、榛名、夕立の三人は一瞬凰香の言葉が理解できなかったようだが、部屋の中を見て理解したようだ。

「………確かに、これはおもしろい真似をしてくれたね」
「そんな………!」
「こんな…ひどいことを………!」

榛名と夕立は目を見開いて驚愕し、時雨は冷静につぶやくが、その声には怒りが滲み出ていた。
部屋は結構広く、五人で生活するのに問題ない広さだ。二つの机に分厚い本が並べられた大きな本棚、両壁際に置かれた二つのベッドとクローゼットなど、最低限の準備はしてくれていた。しかし、部屋の中央には土や泥、木の葉などで派手に汚されたーーーー海原少将が送ってくれた荷物が散在していた。
近くに落ちていた本を手に取ってみると、中のページまで泥水を吸ってしまっているため、もう読むことができない。中にはビリビリに破かれている本もある。凰香が持ってきた本全てがその状態であった。
本のそばにある服を入れた段ボールの中には泥が詰め込まれていた。しかも、ご丁寧なことに服の一枚一枚に泥が塗りつけられている。
しかし、時雨、榛名、夕立の三人の荷物には一切土や泥、木の葉などの汚れは一切付いていない。そのことから、この汚れは凰香だけを標的に人為的に付けられたものだということがわかる。

「これをやったのは金剛かな?」

時雨がそう聞いてくる。凰香は時雨の方を向いて言った。

「わからない。でも、聞いてみる価値はあるね」
「なら、早速聞きに行ってみましょう」

防空棲姫がそう言ってくる。凰香は汚された服を一枚手に取って、金剛の元へ向かおうとした。


「待てよ」


凰香が金剛の元へ向かおうとしたとき、扉の前に二人の艦娘が立ち塞がっていた。一人は黒いブレザーに黒いスカート、青みがかった黒のセミロングに左眼に眼帯をつけた金色の右眼、そして頭の左右に龍の角のような機械が浮かんでいた。
もう一人は胸元が白色の黒いワンピースのような服に紫がかった黒のセミロング、紫色の瞳に左側の頬には泣き黒子が付いており、頭の上には円盤のような機械が浮かんでいた。おそらく、二人とも軽巡洋艦の艦娘だろう。

「誰ですか?」
「天龍型軽巡洋艦、一番艦の『天龍』」
「同じく天龍型軽巡洋艦、二番艦の『龍田』でーすぅ」

凰香が二人に聞くと、『天龍』と名乗った眼帯をつけた方は冷たい目を向け、『龍田』と名乗った泣き黒子のついた方は笑顔を浮かべているものの、眼は全く笑っておらず、それぞれ答えてきた。二人とも凰香に敵意を抱いていることは明らかである。
凰香は無表情のまま言った。

「すみません、そこを退いてくれませんか?」
「今から金剛の所に行くって言うのなら、尚更退けねえな」

そう言った天龍の眼が冷たいものから刃物のように鋭いものへと変わる。
別に凰香はこれが金剛の仕業とは一言も言っていない。ただ、これをやったのか?と金剛に確認しに行くだけだ。
凰香は天龍に言った。

「提督命令です。そこを退いてください」
「俺らはお前みたいなガキを提督なんぞと思っちゃいいねえ。だからその『懇願』を受ける気はねえ」

天龍が鼻を鳴らしてそう言ってくる。どうやら提督と思っていないものに従う義理はないらしい。
だが、ここで凰香も折れる気は微塵もない。

「あなた達がどう思うと勝手ですが、私があなた達の上司であることには変わりありません。従ってもらーーーー」
「お嬢ちゃーん」

凰香の言葉を、龍田の甘ったるい声によって遮られる。それと同時に、凰香の目の前を鋏の刃が掠める。

「あんまり我が儘言ってると、その舌切り落としちゃうわよぉ〜」

先ほどの笑顔から程遠い冷えきった表情の龍田が低い声で囁いてくる。凰香は黙って聞いているだけだ。

「……ね?」

龍田は最後にそう言い残し、壁に突き刺さっている鋏をさらに捩じ込みながら笑顔を向けてきた。表情をコロコロ変えられる辺り、このことに慣れている。
だが、残念ながら凰香にはその程度のことは一切通用しない。

「………なら私はあなたのその腕を握り潰しましょう」

凰香はそう言って壁に突き刺さっている鋏を右手で、文字通り『握り潰す』。鋏はいとも簡単に刃がひしゃげてしまい、一瞬にしてガラクタになってしまった。それを見た天龍と龍田が眼を見開いて驚愕する。

「これが最後です。そこを退いてください」

凰香がそう言うと、凰香の気配が異様なものへと変わる。それを感じ取ったのか、天龍と龍田が一歩後ずさった。
それもそうだ。凰香の身体の半分は姫級の深海棲艦、それも『災厄』と呼ばれている防空棲姫のものだ。当然艦娘は恐怖心を抱く。
凰香は金剛の元へ向かう為に、目の前にいる龍田をどかそうとした。

「っ?!てめぇ、龍田をーーーー」
「やめとけ」

凰香の行動に激昂した天龍が胸ぐらを摑もうとしたとき、天龍の後ろから声が聞こえてくる。
凰香が天龍の後ろを見ると、そこに左眼が隠れた長い前髪と地面につくほど長い赤色のリボンで結んだ黒色の長髪、青い瞳の右眼、胸元まで開いた変わったセーラー服と紺色のスカート、そしてその下には黒色の帯をさらしのように巻きつけ、お腹や太ももなどところどころ露出させた姿をした女性が立っていた。姿からして、おそらく重巡洋艦の艦娘だろう。
すると女性の姿を見た天龍が舌打ちして言った。

「……何の用だ、『加古』」
「一応あたしの方が年上なんだから、敬語くらい付けろっての」

天龍の言葉に『加古』と呼ばれた艦娘が頭を軽く掻きながら面倒くさそうに返す。
加古は天龍と龍田の間を通り、凰香の前に立つ。そして、懐から一枚の写真を取り出して凰香に見せてきた。
その写真には天龍と龍田、そして駆逐艦と思われる艦娘が凰香の荷物に泥水をかけている姿が写されていた。

「加古っ!!」
「これはこいつらが勝手にやった。金剛のやつは一切無関係だ」

天龍が手を伸ばして写真を奪い取ろうとするが、加古はスルリと避けてそのまま凰香の手に写真を握らせ、そのまま風のように立ち去っていった。
凰香は受け取った写真をひらひらさせながら天龍に言った。

「……それで、これがあなた達がやったっていう証拠ですが?」
「……行くぞ、龍田」

凰香がそう言うと天龍が背を向けて部屋を出ていき、その後ろを龍田がついていく。
二人の姿が見えなくなると、凰香はコートのポケットに写真をしまってから言った。

「………よく我慢したね、時雨」
「……加古って艦娘が来てくれなかったら、今頃あの二人は八つ裂きになっていたよ」

時雨はそう言って、『手に持っていたもう一本のコンバットナイフ』を太ももに付けている鞘に納めた。
実は時雨は龍田が鋏を振るって脅してきたときにはすでにコンバットナイフを抜いていた。もし龍田が鋏で凰香を傷つけたり、天龍が凰香の胸ぐらを摑んでいたら、二人は間違いなく時雨に殺されていただろう。だがそんなことをすれば凰香の立場が圧倒的に悪くなるので、時雨はずっと我慢していたのだ。
すると防空棲姫が言った。

「でも本当に我慢してたわよ。昔の時雨ちゃんだったら間違いなく手を出していたもの」
「そりゃ僕だって我慢強くなるさ」

防空棲姫にそう返す時雨。実際改二になる前の時雨だったら、間違いなく我慢せずに怒りに任せて暴れ回っていただろう。
そんな中、榛名が心配そうに凰香に聞いてきた。

「凰香さん、大丈夫ですか……?」
「ええ、大丈夫だよ。本はもう使い物にならないけどまた買い直せばいいし、服は洗えばいいからね。それよりも榛名達の荷物が汚されなくてよかったよ」
「よくありませんよ。凰香さんの荷物だけがめちゃくちゃにされたんですから」

凰香の言葉に夕立がムッとした表情でそう言ってくる。まあ気持ちはわからなくもないが、実際凰香はそこまで気にしていない。

「まあ榛名達の荷物はやられなかったけど、だからと言って艤装も弄られていないとは限らない。念のため、明日確認しに行こうか」
「そうね。ここの艦娘は人間を敵視してるけど、外から来た艦娘にはどう反応するかわからないからね。常に最悪の事態は想定しておかないと」

凰香の言葉に防空棲姫が同意する。今回の天龍と龍田の場合は凰香だけを標的にしていたが、他の艦娘はどうするかわからないため、常に警戒しておいた方がいいだろう。
そう考えていた凰香は思い出したように言った。

「ああそれと、他の艦娘がいるときは絶対に私のことを本名で呼ばないでね。一応今は『海原黒香』としてここに着任しているんだから」
「わかったよ、『黒香提督』」
「わかりました、『黒香提督』」
「はい、『黒香提督』」

凰香の言葉を聞いた時雨、榛名、夕立の三人がそう言って敬礼してくる。尚、防空棲姫は凰香達以外には姿が見えないため、凰香を偽名で呼ばなくても問題ない。

「ふぁ……」

すると凰香は大きなあくびを漏らす。そして眠そうな表情になった。
横須賀からここに来るまで一睡もしていないから、どうやら疲れが出てきたようだ。
それを見た防空棲姫が言った。

「とりあえず、今日はもう寝なさいな。私が見張ってるから」
「うん…そうする。ありがとう…防空姉」

凰香は眠そうにそう言うとコートとブーツを脱ぎ、右腕の籠手を外す。そして両壁際に置かれている二つのベッドのうち片方のベッドに寝転がる。その途端、急に瞼が重くなりすぐに閉じそうになった。

(部屋の…掃除も……しな……きゃ………)

凰香は最後にそう思うと、そのまま意識は闇の中へと落ちていった。


………
……



「うぁ………」

顔に降りかかる窓からの陽射しによって、凰香は目を覚ました。まだ回転の遅い頭で昨日のことを思い出す。

(えっと……確か天龍達がいなくなった後に時雨達と少し話して、それで眠くなったからそのまま寝ちゃったんだっけ……)

昨日のことを思い出した凰香は隣を見る。隣では時雨がいつもの服装のままで眠っており、胸元は緩んでいるため胸が見えそうになり、スカートはめくれ上がって下着が見えそうになっているなど、なかなかに際どい姿になっていた。
反対側のベッドでは榛名と夕立がいつもの服装のままでお互いに抱き合って眠っており、こちらも時雨と同じなかなかに際どい状態になっていた。
机には防空棲姫が座っており、うつらうつらと船を漕いでいた。どうやら夜通しで見張ってくれていたようだ。

「……ん……凰香、起きたのかい……?」

すると時雨がそう言いながらゆっくりと起き上がる。凰香は時雨に言った。

「うん。ごめんね。皆ご飯とか食べてないでしょ?」
「まあね。でも気にしなくていいよ。僕達もあの後すぐに寝ちゃったから」

時雨はそう言って、乱れている服を直す。どうやら時雨達もあの後すぐに寝たらしい。

ーーーーぐぅぅぅぅぅんーーーー

すると突然腹の虫が大きな音を上げる。凰香と時雨は同時に音の発生源ーーーー凰香自身のお腹を見た。

(……そういえば昨日ホテルで朝ごはんを食べてからずっと何も食べてないから、当たり前といえば当たり前か)

凰香はそう思うと、何事もなかったように時雨に言った。

「とりあえずご飯………の前に風呂に行こうと思ってるけど、時雨はどうする?」
「僕は凰香と同じでいいけど、他の皆はどうする?」

時雨がそう言って、今だに眠り続けている防空棲姫、榛名、夕立に視線を向ける。防空棲姫は夜通しで見張ってくれていたため疲れているだろうし、榛名と夕立は気持ちよさそうに眠っているため起こすのは気が引ける。
凰香は少し考えてから言った。

「3人ともそのまま寝かせておいて」
「わかった。じゃあ行こうか」

時雨がそう言って自分の着替えを持つ。凰香も昨日天龍達に泥だらけにされた服を持った。今日一日は昨日と同じこの服で生活しなければならないが、風呂に入るついでに手洗い場で泥を落とせば余計な手間が省ける。
凰香と時雨は物音を立てないようにこっそりと部屋から出て、風呂場を目指した。
昨日金剛が用意してくれた佐世保第十三鎮守府の見取り図によると、風呂場は大体執務室の反対側に位置しているようだ。

「……それにしても、この鎮守府はかなり広いね。旧泊地とは大違いだ」

見取り図を覗き込んでいた時雨がそうつぶやく。時雨の言う通り佐世保第十三鎮守府は見取り図を見た限りでも、少し前までいた海軍大学並に広い。
執務室がある本館を中心に艦娘が住まう宿舎が四つ、その近くに大きな食堂、さらに建物の中に入渠ドックとは別の風呂場が四つもある。宿舎から離れた場所には射撃演習場、トレーニングルーム、温水プール、巨大な工廠、そして甘味処などが完備されており、本館、小さい宿舎と工廠、そして入渠ドックしかない旧泊地とは段違いだ。まあ旧泊地の入渠ドックを兼ねた風呂場は露天風呂に改造されているので、それだけが唯一勝っている点である。
海軍大学にいた時のことを考えると異常なまでの好待遇だが、艦娘達の戦意向上のためと言われれば納得できる。好条件な職場に加え周りには女性しかいないので、男性の希望仕官先のほとんどが鎮守府だったというのも頷ける。それを知った凰香達はその日から演習において同期を全員慈悲もなくぶちのめすようになっていったのだが。
そんなことを思いながら歩いていると、バケツのような模様の暖簾が掛かった部屋にたどり着いた。旧泊地は普通の温泉マークなのだが、こちらはバケツのマークらしい。

「ここみたいだね」

時雨がそう言って入ろうとするが、凰香は暖簾の模様を見て首を傾げていた。
それに気がついた時雨が聞いてきた。

「凰香、どうしたんだい?」
「……この模様、何処かで見た覚えがあるんだよね」

凰香はそうつぶやく。何処かで見た覚えがあるのだが、何処で見たのかがどうしても思い出せない。

(……まあしばらくすれば思い出すでしょ)

凰香はそう思うと時雨の後を追って暖簾をくぐる。すると凰香の眼に飛び込んできたのは、高級旅館の脱衣場と見間違うほど立派な脱衣所だった。
艦娘の要望なのか、バスタオルや普通のタオル、ウォーターサーバー、ドライヤーやヘアアイロンまで完備している。使えるまでに修理したボロい脱衣所とは天と地の差である。 大方艦娘達の我儘か何かでここまで完備させたのだろう。

「うん?」

凰香が服を脱ごうとしたとき、脚を何かが触れる感触がした。凰香が足元を見ると、足元には足首ぐらいの背丈の小人が必死な形相で凰香の足を蹴ったり殴ったりしていた。

「確か……『妖精さん』だったよね?」

時雨も気がついたらしく、思い出すようにつぶやく。
妖精さんとは、深海棲艦が現れ始めた頃から確認されるようになった存在である。妖精さんは艦娘の建造や身の回りの世話から装備の生産や改修、空母の放つ艦載機の搭乗員、主砲などの指揮官、見張り員など艦娘の補助として幅広い分野で活躍しており、今の世界では欠かせない存在となっている。
そしてこれは最近の研究でわかったことだが、艦娘の建造の際に妖精さんがいるかいないかで大きな違いが現れるという。
建造に妖精さんがいる場合は建造された艦娘は妖精さんの言葉を理解できるが、建造に妖精さんがいない場合、その艦娘は妖精さんの姿を見ることはできても言葉を理解することができないことが判明した。そして、この時雨は凰香が一人で建造したため、妖精さんの言葉を理解することができないのである。

「ーーーー!ーーーーー!」

妖精さんはよくわからない言葉を叫びながら凰香の足を殴ったり蹴飛ばしたりしてくる。

「どうしたの?」

凰香は一人の妖精さんをつまみ上げ、同じ目線で問いかける。しかし妖精さんは相変わらず訳のわからない言葉を叫びながら足をジタバタさせるだけであった。まるで凰香に何かを伝えようとしているようだが、凰香は妖精さんの言葉が理解できないために伝わらない。

「時雨、何かわかる?」
「残念ながら、僕にもわからないよ」

時雨が首を左右に振る。凰香が再び妖精さんに問いかけようとしたときーーーー

「うるさいわね………どうしたのよ?」

ーーーー何処かで聞いたことのある声が聞こえ、後ろにある浴槽へと続く扉が開いた。その音に反応して、凰香と時雨は振り返る。
そこには、昨日出会った花の髪留めが特徴の艦娘『曙』が、タオル一枚の姿で固まっていた。
一応タオルで身体を隠しているものの、水を吸ったタオルが身体に張り付いているため、身体のラインが浮き出しているのであまり意味を成していない。
むしろタオル越しに見える防空棲姫や時雨、榛名や夕立ほどではないが程よく引き締まった身体のラインの方が艶かしく見えると言ってもいいだろう。

「何してんだこのクソ提督ゥゥゥゥゥウウウウウウウウ!!!!」

しかしその直後、顔を真っ赤にさせた曙が叫びながら凰香の顔面に向かってプラスチック製の風呂桶を投げつけてくる。まあ凰香がそれを受け止めたことは言うまでもないが。


………
……



ーーーー艦娘の整備方法。
深海棲艦との戦闘で傷ついた艦娘は、ドックに入って傷を治す。
かつての艦船なら工廠のドックでいいのだが、人間と同じ姿をしている艦娘は従来の方法では修復が不可能であった。
そこで艦娘のドックは人間が使う浴槽と同じ形にしたのだ。そして修復する際も特殊な薬液を溶かしたお湯で浴槽を満たすだけでいい。おまけに言うと本来の入浴にも使用できるので、入浴専用の設備を併設する必要はない。そもそも、凰香が榛名と夕立を助けたときも入渠ドックに入れていた。
つまり、鎮守府において入渠ドックと風呂場は同一であるということになってくるのだ。

(………海原少将がそんなことを言っていたような気がする)

そんなことを思っている凰香の目の前には、無表情の金剛が仁王立ちしている。その奥には脱衣所で鉢合わせした艦娘『曙』と、その艦娘を庇うように周りを囲むように立っていた。
あの後何も言わずに立っていた凰香と時雨、投げつけた風呂桶を受け止められて固まっていた曙が立っていると、騒ぎを聞きつけた艦娘達が凰香達の元へ駆けつけ、金剛の元へ突き出されたのだ。もちろん隣には同じく突き出された時雨が立っている。

「……まさか早くも本性を現すとは、呆れを通り越して幻滅しましたヨ」

金剛が呆れたようにそう言うのと同時に、凰香の腹部に金剛の拳が飛んでくる。鈍い衝撃に凰香は顔を顰めるが、咳き込んだりはしない。

「まさか着任2日目で艦娘……それも駆逐艦に手を出す………。テートク、いえ、女性といえど人としてあるまじき行為デース」

低い声の金剛の言葉とともに腹や背中に拳や蹴りが飛んでくる。だが凰香は反抗することもなくなされるがままである。時雨もまた金剛に襲いかかろうとせずに黙ったままである。

「………どうしたんデス?何か弁明があるなら聞きマスヨ?」
「……あるわけないじゃないですか」

素直に殴られたり蹴られたりすることに疑問に思った金剛の言葉に、凰香は金剛の顔を見つめながらそう言う。すると今までの中で一番重い衝撃が凰香の腹部に突き刺さった。それによって思わず咳き込みそうになるが、寸でのところで耐える。

「自分の罪を素直に認める、ということデスカ?」
「あれは事故です。他意があって入渠ドックに入ったわけじゃありません。ただ私達に全面的に非がある。それだけです」

凰香は金剛にそう言う。
あの暖簾のマークは艦娘達の入渠ドックを示していたのだ。凰香が見覚えがあったのは、横須賀第四鎮守府で見ていたからである。そのことをすっかり忘れていた凰香達の方が全面的に悪いのだ。さらに妖精さんが凰香の足を殴ったり蹴飛ばしたりしていたのは、『この中に艦娘がいる』ということを必死に伝えようとしていた。それを理解することができなかったのだから、今回の騒ぎが起きてしまったのだ。
つまるところ、『凰香達は自身が今いる鎮守府の常識を考えられていなかったのだ』。だから今回時雨も何もせずにいるのである。


「……だから、『罰を受けるのは道理』、ということデスカ?」
「そういうことです。それに………」

凰香はそう言って金剛から曙に目を向ける。凰香の視線に気がついた曙は睨み返すことなくプイッと顔を背けてしまう。
しかし、一瞬だけ見えた曙の眼には『恐怖』という感情が浮かんでいた。

「あの子に怖い思いをさせてしまったことが私達の………いえ、私の一番の非です。それに関しては、本当にすみませんでした」

凰香はそれだけ言うと、曙に向かって頭を下げる。すると、今まで黙っていた時雨が口を開いた。

「……黒香提督だけじゃない。君がいることに気がつけなかった僕にも責任はある。本当にごめんなさい」

時雨がそう言って曙に頭を下げた。時雨も同じように責任を感じている。
凰香と時雨が頭を下げると、上から息を呑むような音が聞こえてきた。

「………なるほど、わかりマーシタ……曙」
「っ!?」

金剛が曙に声をかけると、曙が小さく声を上げる。まさか自身に振られるとは思ってもいなかったのだろう。尚、凰香に対する低い声から何処か柔らかい感じになっているのは気にしない。

「今回の件、貴女に一任しマース」
「はあ!?な、なんであたしが!!」

金剛の言葉に曙が驚愕する。そして抗議するように金剛に詰め寄る。しかし金剛は表情を変えることなく言った。

「今回の件は許し難いこと。しかし、テートクも他意があったわけではないみたいデース。それにテートクと時雨は貴女に謝罪していマース。貴女に判断を委ねるのが道理だと思うのデスガ?」
「そ、そんな……あたしは………」
「駄目だよ曙ちゃん!!」

金剛の言葉に曙が口ごもると、曙と同じセーラー服に癖っ毛のある黒い長髪の艦娘がいきなり叫ぶ。背丈や顔立ち、曙と同じセーラー服から駆逐艦と思われるが、金剛や榛名に引けを取らないレベルの胸部装甲が一瞬だけ判断を鈍らせた。しかし、凰香はすぐに十中八九駆逐艦であると判断した。
そんな駆逐艦の艦娘は曙に詰め寄り、肩を持って必死の形相を向ける。

「あいつはあんなこと言ってたけど、全部嘘に決まってる!!初めから曙ちゃんの身体目当てに決まってるの!!女の人でも結局は男の人と同じことしか頭にないの!!人間なんて本能に赴くままに女の子を襲う醜い獣なんだからぁ!!」
「『潮』、落ち着くデース」

金剛が曙に詰め寄る『潮』という名の艦娘を引き剥がす。潮は引き剥がされても、なお口々に人間に対する暴言を吐き続けた。そのため、見かねた金剛が曙を囲んでいた艦娘に潮を落ち着かせるように言い、彼女達を部屋から退出させる。

「………さて、曙。どうしマスカ?」

凰香と時雨、金剛と曙の四人だけとなった部屋で、金剛が改めて曙に問いかける。その言葉を恐れるかのように曙が身体をビクッと震わせ、凰香と金剛を交互に見ながら俯いてしまう。

「………曙?」
「……ク、クソ提督!!」

金剛がそう問いかけた瞬間、曙がそう声を荒げながら顔を上げ、キィッと凰香を睨みつけてくる。そして大股で凰香の前に近づいてくると、大きく手を振り上げた。

ーーーーパァン!ーーーー

乾いた音が室内に響く。
それと同時に凰香の頬に鋭い痛みが走り、すぐに熱を帯び始める。曙は痛みに顔を顰めたが、すぐさま表情を戻し赤くなった手で凰香を指差してきた。

「今後こんなことをしたら容赦なく砲撃するから、覚悟しなさい!!」

曙はそれだけ吐き捨てると、逃げるように部屋を飛び出す。
彼女の足音が段々遠退いて聞こえなくなると、金剛が口を開いた。

「……曙に感謝することデース」

金剛はそれだけ言うと、凰香と時雨を残して部屋を出ていく。

「……なんかずっとど突かれるような感覚がすると思っていたら、大変だったみたいね」

凰香と時雨が何も言わずに部屋の中で立っていると、いつの間にか起きた防空棲姫が壁をすり抜けて部屋の中に入ってきた。それに続いて扉が開き、榛名と夕立も入ってくる。

「凰香さん、大丈夫ですか………?」

榛名が心配そうに聞いてくる。凰香は榛名に言った。

「……ええ。あの子の恐怖心に比べたらこれなんて軽いものよ」

凰香はそう言って自分の頬に触れる。
凰香の言う通り、無防備な状態の時にいきなり恐怖の存在である人間と鉢合わせしてしまった時の曙の恐怖心は計り知れない。それに比べたら凰香の傷なんて大したことはない。
すると防空棲姫が言った。

「まあ私は二人を責める気はないけど、これからは気をつけなさいよ」
「………うん。同じことを起こさないように気をつけるよ」

防空棲姫の言葉に時雨が頷く。それを聞いた防空棲姫が言った。

「………さて、いつまでもうじうじしていても仕方ないから、お風呂に入ってご飯を食べましょう」
「……そうだね、そうしよう」
「じ、じゃあ早速行きましょう!」

凰香の言葉を聞いた夕立が気を取り直すように言った。
風呂に入る前に凰香達は荷物を回収するためにドックへと向かったのだった。 
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