ソードアート・オンライン 少年と贖罪の剣
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幕間の物語:スリーピング・ナイツ
第十八話:眠れる騎士団
前書き
お そ く な り ま し た 。
実生活が忙しすぎ、今後も更新が滞りがちになってしまいますが、まだまだ続けていきます……!
アルヴヘイム・オンライン。
一万もの人間を巻き込み、約四千の死者を出した茅場昌彦によるソードアート・オンライン事件を経て『絶対安全』と銘打たれた新ハード、アミュスフィアの代表的ソフトである。
それは妖精の世界。プレイヤーは九つの種族に分かれ、それぞれに大陸の中心に位置する『世界樹』の踏破を目指している。世界樹の頂点、幻の天空都市にたどり着いた種族は、あらゆる種族を超えた上位存在『アルフ』に生まれ変わることができるとされているからだ。
世界樹の攻略は単独では不可能なほどの難易度を誇っており、現状、未だ天空都市に到達し、『妖精王オベイロン』と謁見できたものはいない。また、『アルフ』へ転生できる種族は一種族のみという制限があるからか、各種族は基本的に己の種族だけで世界樹攻略を目指している。故に、この大陸では種族間の争いが勃発していた。各種族間での戦争、同盟、裏切り、まるで現実世界の縮図が形成されつつあった。
ただ、それには例外が存在した。
世界樹のある大陸の中心部。世界最大の都市『央都アルン』。ここは唯一の中立都市であり、種族に縛られず自由に冒険を楽しみたいプレイヤーがここに集まっているのだ。
その大都市アルンの北端に位置する宿屋の一室で、オレは目を覚ました。いや、その表現は妥当ではない。正確に言うなら、この世界でのオレの分身――アバターが目を覚ましたと言うべきか。
昨日共に寝付いた仲間は現実世界での予定があったオレとユウキを除いて全員で払っているらしい。恐らくは今日この後のための準備をしているのだろう。なにせこれからオレ達が行うのはこの世界最大の試みだ。準備に余念がないのは良いことだと言える。
横になっていたベッドから起き上がり、軽く腕を動かしてみる。
仮想世界の体は、現実世界で衰え切った自分の体よりも軽く感じた。二年間も仮想体で動き続けた結果か、このゲームにログインして日は浅いが動きのコツはもう習熟している。それを喜ぶべきか悲しむべきかは分からない。苦笑いしながら姿見の前に立つ。
この世界の分身たるアバターは、現実世界のオレのものとなんら変わりない。少し違うのは、昔のように髪が長いことくらいか。こればかりは仕方ない。アバターを作成する時、わが麗しの妹たちに昔みたいに髪を長くしてくれと仰せつかってしまったのだから。普段は邪魔だから髪を後ろで一つに縛っているが、今は寝起き(?)だから何も手を付けていない。そういえば、この姿を初めてレプラコーンの少年に見られた時は顔を真っ赤にしていたな。女に見間違えられたのだろうか。
アイテムストレージからゴムを取り出して、簡単に髪を纏める。なんだかどこかの侍みたいな姿だが、今更変更するのも面倒だ。
「ったぁ~~……」
背後から聞こえたうめき声に振り向くと、一番端にいたユウキがベッドから転げ落ちていた。何が何だか分からないが、手を差し伸べる。
「なにしてんだか。ほら」
「あ、ありがとー」
顔を真っ赤にしながら起き上がるユウキに笑みを返して、身支度に戻ることにする。
オレの選んだ種族は闇妖精のインプで、ユウキも同じ種族だ。種族毎にコンセプトとなる色があるらしく、インプは濃い紫で、オレの髪もユウキの髪も同じ色をしていた。
着替えといっても、この世界では装備を身に着けることで、それはボタンをタッチするだけで完了する。オレはまだまだ余裕のあるストレージから淀みなく装備を選んでいく。
大袈裟な燐光が弾けた後、黒の下着と簡素なズボンだった体には漆黒の軍服のような装備が現れていた。あの鉄城での装備より性能の高いものではないが、それでも一級品なんだそうだ。譲ってくれたサラマンダーの少年は自分には似合わないから、と言っていた。
完全にコスプレ状態の自分の姿を見て、ため息をつく。よく考えれば鉄城では二年間もコスプレだったのだが、それは考えないことにした。
「さて……」
こちらの準備は終わった。後は仲間たちが戻ってくるのを待つだけだが、このまま時間を無駄にするのはもったいない。
「ウォーミングアップでもするか?」
† †
リンク・スタート、と告げると真っ暗だった視界が白く染まり、次いで様々な色彩のラインが流れていった。
そして意識は覚醒し、目を開いた先には昨日見た天井が見える。ふと人の気配を感じそちらへ目を向ければ、ラフな格好の長髪の人が姿見の前へ歩いていくところだった。
見間違えるはずもない。あれは自分の兄だ。ボクと姉ちゃんの要望を聞き入れて昔のように長くした髪は女の人もかくや、というほどに艶やかだった。兄ちゃんは戦っているときに邪魔になると言っていたが、それでも髪型を変更しないのはボク達のお願いだからだろう。
なんてぼけっ、と考えていると、兄ちゃんは徐に髪を束ね始めた。ストレージから取り出した髪留めのゴムを口に咥え手際よく髪を纏めている。その後ろ姿になんとも言えないフェチズムを感じてしまい、顔が暑くなる。これ以上直視するのはダメだ、と直感的に悟り体を思い切り捩る、と、そこで体の下に感じていたベッドの感触が消えた。
しまった、なんて思ってももう遅い。今から翅を出しても意味がない。ボクは襲い来る痛みに備えて目をぎゅっと瞑った。
「…いっ、たぁ~…!」
痛い。剣で斬られた時の痛みとは別種の、鈍い痛みが背中に突き抜ける。
「なにやってんだか。ほら」
床で悶えていたボクに、兄ちゃんの手が差し伸べられる。先ほどまでの変態的な思考やらベッドから転げ落ちた羞恥心で更に悶えそうになりながら、なんとかその手を取る。
立ち上がったボクに苦笑いを向けて、兄ちゃんは身支度に戻っていった。
なんとなく、触れ合った手を眺める。
兄ちゃんがソードアート・オンラインから帰還してから二か月くらい。そしてボク達スリーピング・ナイツに加入してから一か月が経っていた。この一か月は本当に楽しかった。この時間が永遠に続けばいいと思ってしまう程に。
だけど、運命は残酷だった。
一週間前、姉ちゃんの容態が急変したのだ。
元々、兄ちゃんを除くボク達家族はHIVに感染している。ママがボク達双子を出産する時に必要とした輸血用血液製剤が汚染されていたことが原因だ。ママとパパは、AIDSが発症し、一年前に亡くなった。姉ちゃんもママ達とほぼ同時にAIDSが発症、今まで闘病を続けてきた。けれど、もう限界だったのだろう。主治医の倉橋医師が言うには、あと保って一週間。明日にはどうなっているか分からない、とても危険な状態だと。
姉ちゃんには、そのことは伝えてある。この仮想世界でにダイブしてきた倉橋医師を交えたスリーピング・ナイツの全員で聞いた。事実上の余命宣告に、姉ちゃんは納得したように微笑んでいた。きっと、予感はあったのだろう。ママとパパが天国へ行った後、姉ちゃんももう長くないって気づいていたはずだ。それでも今日まで懸命に闘病を続けてきたのは、きっと――。
「さて」
兄ちゃんの声にはっとして目線を彼に向ける。どこかの軍服のような装備を身にまとった兄ちゃんはニッと笑って言った。
「ウォーミングアップでもするか?」
† †
アルンから出て少しした草原。SAOと同じく圏内とされる場所ではHPに損害の出る攻撃はシステムに阻まれるという事で、オレとユウキは圏外に出てきていた。目の前で体を伸ばしているユウキを眺めながら、地面に突き刺した槍に寄り掛かり空を見上げる。
「そういえば、兄ちゃんってあっちでも槍を使ってたの?」
「いや、主に使っていたのは直剣だな。むしろ槍はあまり使ったことがない」
SAOでの話だ。『無限剣』なるスキルを持っていたオレは武器の切り替えが即座にできることを利用して、様々な武器を取っ替え引っ替え使っていた。初期から愛用していた片手用直剣は勿論、刀、両手用大剣、両手用斧などは粗方スキルレベルは上げきっていたはずだ。槍を使わなかった理由は、主にパーティーを組むことが多かったアイギスの中に一人槍使いがいたこと、そして攻略組プレイヤーに匹敵する実力を持っていたユメが使っていたこと、そして攻略組全体で槍使いの数が比較的多かったことから、パーティ全体のバランスを考えてのことだった。
「じゃあどうしてこっちでは槍を使ってるの?」
「そうだなぁ……」
槍を使いだしたのは、正直に言えばただの気まぐれだった。このゲームを始めるにあたって、スリーピング・ナイツのみんなから譲り受けた武器の中で一番性能が良かったのが槍だったというのもある。
「まあ、この世界は命がけってわけじゃないからな。いろいろな武器を試したって構わないだろう?」
ユウキの質問に答えながら、寄り掛かっていた槍を地面から引き抜き、適当に振り回してみせる。
「それに、ベッドから落ちるドジ娘にはコイツで十分さ」
「よし、ボクもう手加減しないからね」
安い挑発だが、ウォーミングアップだったらこのくらいが妥当だろう。ユウキを本気にさせるネタなら幾つかあるのだが、今回は見送ることにする。
「行くよ!」
ルールはアリアリ。地上戦は勿論、この世界最大のウリである翅による空中戦もアリ。空中戦に持っていかれたらユウキに一日の長がある。ならオレがすべきことは、ユウキを地面に縫い付けること。
「シッ」
地面を蹴って剣の間合いまで接近して来ようとするユウキへ、牽制を兼ねた突きを繰り出す。避けずらい人体の中心を狙った刺突は、ユウキの黒曜石の剣によって弾かれた。
オレの得物が槍であるのに対して、ユウキの得物は片手用直剣だ。槍使いと剣使いの戦いは如何に自らの間合いを保ち続けるかが焦点となる。ユウキはオレの間合いだと剣は届かないし、オレはユウキの間合いだと満足に槍を振るえない。
弾かれた槍を引き戻し、すぐさま次の行動へ移る。半歩下がりながらユウキの足元を薙ぎ、接近への牽制。足を止めた彼女へ更に二度三度と穂先を突き込む。
「よっ、ほっ、ハッ!」
「……!」
しかし、その全てが去なされる。
正直に言って、ユウキの戦闘能力はとてつもなく高い。あのSAOの攻略組プレイヤーと遜色ない剣筋をしていて、初めて手合わせをしたときは驚いたものだ。
「今度はボクから行くよ!」
先ほどのように足元を薙ぐ斬撃をジャンプで回避したユウキは、そのまま黒曜石の剣の切っ先を突き入れてくる。ここで大振りの斬撃ならカウンターを入れているところだが、無駄のない刺突では軌道を逸らすので精一杯だ。
細い槍の柄で切っ先を受け止め、そのまま角度を変え右へ受け流す。大抵のプレイヤーならこの受け流しで体勢が崩れていたところを、ユウキは左足で強く地面を踏みしめることで前につんのめるのを避けた。完全に、剣の間合いである。
「せやぁっ!」
右回転の遠心力を乗せた斬撃を槍で堰き止める。キリト程の重さはないが、彼にはなかった鋭さを感じる。言うなれば、キリトとアスナを足して二で割った結果がユウキの実力というところか。
「フゥッ」
力尽くで剣を押しのけ、剣の間合いから下がる。慌てて距離を詰めようとしたユウキの頭上を槍で薙ぎ払い、頭を下げて回避した彼女を蹴り飛ばす。槍を使っている以上、接近されすぎたときの対処は最初に潰しておくべき課題だ。オレはそれを槍を使ってではなく、体裁きと体術、主に蹴り技で補うことにした。槍を極めた武芸者なら巧みに接近を避けるのだろうが、流石にオレにはそんな芸当はできそうにない。
さて、今度はこちらから―――
「なーんか面白そうなことをやってんじゃん!」
「!?」
頭上から飛来した一撃を、なんとか槍で受け止めた瞬間、周囲を暴風が駆け抜けた。かなり上空から勢いをつけてきたのか、両手に痺れが駆け抜ける。顔を顰めながら奇襲の主を見やる。
「飛来する勢いを乗せた大剣とか最早ただの凶器だろ、ジュン……!」
「へへっ、それを受け止めるレンはやっぱおかしいぜ!」
小柄な身体に金属鎧を身に着けたサラマンダーの少年に文句を言うが、笑みと称賛で躱される。
その間も槍と大剣の鬩ぎ合いは続いているが、得物自体の重さ、そしてオレとジュンの位置関係のせいでもう間もなく押し負けるだろう。
それに――
「アタシも混ぜなぁ!」
威勢の良い声が背後から響く。振り返って確認する余裕はないが、今の声はスプリガンの『ノリ』だろう。全く、この二人は血気盛んで手に余る。
「まずは――」
鍔迫り合いに押されるフリをして、手の届く距離になった瞬間に左手を槍から離し大剣の柄を握る。そのまま思い切り身体を地面に倒し左手を引き寄せ、目を白黒させているジュンの腹部目がけて右足を突き刺した。
うめき声を上げて弾き飛ばされるジュンを見ることなく、すぐに起き上がり、今度は水平飛行で突っ込んでくる黒い影目がけて槍を振り払った。
「おおっと!」
だが、ノリはその斬撃を僅か上に上昇することで躱し切る。そのまま飛行の勢いは衰えず、オレとノリの体がすれ違う。内心驚愕しているのを悟られぬように槍を引き戻す。背後へ回られたのは痛手だが、あの勢いを瞬時に殺し切るのは無理だ。とは言っても、あまり猶予はない。
「そりゃあっ!」
僅かにホバリングしたまま、ノリが長棍を振り下ろしてくる。それを体を逸らすことで避け、反撃として強引に槍を振りぬく。距離が近いせいで槍の半ばでノリの脇腹を撃つことになったが、ホバリングしていて踏ん張れる地面のないノリは吹き飛んでいく。距離が離せればそれでいい。
「はああっ!」
「く……!」
今度は右側面から迫ってきたユウキの剣を屈んで避ける。その低い姿勢のまま足元を刈ろうと薙ぎ払う。だがそれは予測されていたのだろう。槍がユウキの足に届く前に黒曜石の剣に防がれた。
「今だよ、ジュン、ノリ!」
いつの間に連携を取っていたんだと問い詰めたくなるが、ユウキの突発的な思い付きに見事についてこれるのがスリーピング・ナイツだ。斜め左右後方からサラマンダーとスプリガンが地面スレスレの超低空飛行で接近してくる。
「もらったぁ!」
よく響くジュンの声を合図に、オレは槍を手放した。何事かと警戒するユウキに笑みを向け、背面飛びのように上空へジャンプする。そして未だに慣れない翅を肩甲骨辺りを意識して動かし、重力の力を減衰させる。空中で逆さまになったオレの鼻先を、大剣と長棍が通過した。そのまま翅に力を込めて、上空へ逃れていく。
「んなぁっ!?」
悔しげな声を聞きながら、まずは距離を取るべくただ上を目指す。ある程度のところまでたどり着いたら、左手を振り下ろしアイテムストレージを開いた。手放した槍はもう既にストレージの中に戻ってきていた。それを確認して、オレは今度は別の武器を手に取る。
それは槍でも直剣でもなく、オレの身長の半分程もある大太刀だった。元々、現実世界で武術をやっていたオレが最も得意としていたのは刀であり、次点で大太刀であった。ただ、SAOに大太刀のような剣はなかったため、ブランクは相当なものになる。
「師匠に会いに行くとなったら、そんなこと言ってられないんだろうけどな」
大きく息を吐きだす。鞘を左手に持ち、抜剣はまだせず右手を柄に添える。目を瞑り意識を集中させてから、オレは翅を一旦仕舞った。当然のように落下していく体。目を見開き、こちらへ昇ってくる三人を見据える。
「行くぞ!」
再び翅を展開し、思い切り風を押し出す。落下スピードが飛躍的に加速し視界に映っていた景色が超スピードで流れていく。三人の中で最もリーチが長いのはジュンで、最も突貫してくるのも彼だ。故に、オレが真っ先に落とすべきなのは――
「柳剣流――」
肩甲骨に力を籠め、最後の加速を行いジュンの横を通り抜ける。驚愕している彼を無視し、ユウキの眼前に躍り出た。
「津濤」
足場のない空中では踏ん張ることができない。そのため、下半身から力の伝達が必要になる居合切りは向かない。だから行ったのは、落下のスピードと渾身の力を込めたただの斬り下し。腰溜めの鞘から一気に上段まで振りかぶり、振り下ろす。
「うわぁっ!?」
対応が追い付かないユウキでは、この一撃は軌道を反らすこともできない。HPを削り切ってしまう前に、なんとか力を緩め衝撃を吸収する。一瞬目視したときはイエローゾーンで止まっていたから死にはしないだろうが、翅は維持できないらしい。
「こんにゃろう!」
長棍を振りかぶったノリが左から突っ込んでくるのを、鞘を突き出し牽制。動きが一瞬緩んだのを見て、踏み込む。
「チィっ」
なんとか逃れようと翅を動かすノリだったが、残念ながらもう遅い。剣先で首、心臓をなぞるように斬る。この世界にはデスペナルティがあるらしいから、なるべくHPを削り取ってしまわないように注意する。
「最後は――」
「おらぁっ!」
大剣の大振りの一撃を浮かび上がって避ける。背後で聞こえる風切り音に安堵を覚えながら、右回転の遠心力を乗せた薙ぎ払いをジュンの腕に叩き込む。この世界は現実とは違い、腕や足といった体の一部にも装備と同じく耐久値というものが設定されている。その耐久値がなくなれば部位欠損といった状態になるのだが、耐久値がまだ残っている状態では、幾らクリーンヒットしたとしても腕が切り落とされることはない。まあ、綺麗に決まれば決まるほど耐久値も減りやすいのだが。
「まだまだぁ!」
オレと同じ高度まで上がってくるなり、ジュンは翅と体全体を使って大剣を振り回し始める。その速度は武器の重さと相まって中々に危険だ。なんとか大剣の側面を鞘で殴りつけ軌道を変える。ジュンの攻勢が緩んだ隙に一度離脱しようとして、気づく。
「な」
かなりの上空で空中戦を繰り広げるオレとジュンの、更に上。
「に」
小柄な人影が、太陽の光を遮っていた。
「を」
ここまで来て、ジュンもその存在に気付いたのだろう。小さくやべっ、と声を上げた。
「しているんですかぁぁぁぁっ!!」
空に響く怒号。とてもよく聞き覚えのある声に、思わず冷や汗が流れる。右下の虚空に目を向けてみると、表示された時間は既に集合時間から大分経過してしまったいた。これでは、生真面目な彼女が怒るのも無理はない。
剣をぶつけ合ったジュンと視線が交わし、互いに苦笑いを浮かべた。
「戻るか」
「そうだなー」
当初の目的であったウォーミングアップは済んだことだし、これ以上続けても意味はないだろう。既に地上に降りていたユウキとノリは正座させられているようだ。これは長くなるかもしれないな、とため息と共に苦笑いが浮かんだ。
† †
「全くもう! 時間厳守で、と言ったはずですよ!」
空から降りていくと、先に地面に着いていた女の子らしい声がオレを出迎えた。こういうところは昔から変わらない。変に生真面目で、いつもやんちゃな盛りなユウキのストッパー役だった。
「兄さんはいつも私の言うことを聞いてくれないんですから
……」
不貞腐れたように頬をふくらませながら、彼女はぐしゃぐしゃとその鮮やかな紫髪を搔き乱した。
「そんな乱暴にすると、せっかくの髪型が台無しになるぞ」
ユウキよりも女の子らしい彼女だが、こういう仕草の一つ一つは本当に姉妹なんだな、と感じることがある。
ぴょこんと立ったアホ毛を手櫛で直してやる。
「ぁ、や、その……ありがとう、ございます」
「ひゅーひゅー! お熱いねぇお二人さん!」
途端にしおらしくなってしまった彼女に疑問符を浮かべていると、後ろからノリが冷やかしを入れてくる。全く、このお調子者はいったい何を言っているのか。
「ただの兄妹のスキンシップだろう? なにをそんなに囃し立てることがある」
「ええ……それ本気で言ってんの、レン?」
「? ああ、もちろん。な、ラン」
「ア、ハイ、ソウデスネ」
なぜか周りの気温が少しだけ下がったような気がする。というか、なぜノリはそんな目でオレを見てくるのだろうか。居心地の悪さを感じて、空気を変えるために大太刀を鞘に納める。
「準備はもう済んだのか?」
オレとユウキがウォーミングアップを始めたのは買い出しの間のスキマ時間を埋めるためだったのだが、ジュンやノリが参戦してきたということは買い出しは終わっているのだろう。ここで敢えて問いかけたのは、ここにいないメンバーがいるからだった。
「あ、はい。今はシウネー達が宿に買ったものを運び込んでるはずです」
「そうか。なら余計な時間を取らせてしまったらしい。すまないな、ラン」
「い、いえ。分かってくれたならいいのです!」
スリーピング・ナイツはとある理由を持つ人間たちが集まって作られたギルドだ。その理由は、構成メンバーのほとんどが重病を患っているという点にある。もともとはバーチャル・ホスピス『セリーン・ガーデン』で知り合い、ランが立ち上げたのだという。ユウキは未だAIDSの症状が発症していないが、結成当時から在籍しているらしい。なんの病も患っていないオレが彼らと行動を共にするようになったのは、今日の目的にのみ集約される。
「今日はがんばろうな」
「はい! なんと言っても、今日が最後の冒険ですから!」
今日は、スリーピング・ナイツ最後の日となる。
解散の理由は単純だ。ギルドリーダーであるランの容態が悪化し、そして他のメンバーもしばらくの間治療に専念することになるから。それ故に一旦スリーピング・ナイツは解散とする意向が、他でもないランやメンバーから提案された。オレとユウキが、なにか言えるはずもなかった。
ただ最後に皆で最大の思い出を作ろうということで、この妖精の世界最大の試みを、たった一つのギルドで行うことにしたのである。
「……藍子」
なにか言わなければと言葉を探すけれど、オレが口に出せたのは彼女の名前だけ。そんなオレに笑顔で振り向き、彼女は言うのだった。
「この世界では『ラン』ですよ、兄さん?」
「……そうだな、すまなかったよ『ラン』」
彼女は現実世界と仮想世界を区別したがる。どういう心境でそうしているのかは推測するしかないが、彼女はただ、この世界で必死に生きようとしているのではないだろうか。今際の際に立たされても尚、その生きようと必死に抗う姿は、疑いようもなく美しかった。
「ちなみに、この世界ではオレのことは『レン』と呼ぶんじゃなかったのか?」
「へっ? い、いや……あの、恥ずかしくてですね……」
† †
「うおい、帰ったぞぉ~!」
全身を伸ばしながら宿屋に入っていくノリに続き、レンは部屋に足を踏み入れる。すると中央に設置されているテーブルの上には数多くのアイテム類が綺麗に整頓されて並べられていた。
「お帰りなさい、ノリさん。あら、皆さんも一緒だったんですね」
「そりゃ、迎えに行ったんだからな」
ノリやジュンと会話をするのは薄青い髪を長く伸ばした嫋やかな女性だった。恐らくテーブル上のアイテムはこの人が整頓したのだろう。レンはSAOではあまり見慣れないアイテム群を眺めてみる。
「ユウキもレンさんも、こんにちは」
「ああ。こんにちは、シウネー」
「やっほー、お買い物ありがとうねシウネー」
彼女の名前は『シウネー』。支援系の魔法を得意とするウンディーネの女性で、平均年齢の低いスリーピング・ナイツの姉役といったところだ。ただ、見た目とは裏腹に好戦的なところもあるのがレンにとっては意外だった。
「レン、リハビリの方はどう?」
そう話しかけてきたのは巨漢の男。だがその眼差しは柔らかく、口調も非常にゆったりとしている。種族はノームで、この種族は耐久力と採掘に長けているらしい。名前は『テッチ』という。なにかとレンの体の調子を気にかけてくれる優しい男だ。
「ああ、筋肉は少しずつだけど戻ってきてるよ。事件前のようにはいかないけどな」
日々のリハビリのおかげか、レンの筋力はゆっくりとだが戻ってきている。もう日常生活に支障はないと言ってもいい。うっかり出かけた『退院』という言葉は飲み込んだ。彼らにとってこの言葉がどれだけ重いものなのかは理解しているつもりだ。例え彼らが気にしていないと言っても、レンは彼らに少しでも辛い思いをして欲しくはないのだ。
「あの、レンさんに後で教えてもらいたいところがあるのですが……」
そう背後からかけられた声に振り替えると、ほっそりとした少年がおずおずと立っていた。この遠慮されているような態度は、二日目にレンの寝起きを女だと勘違いしてちょっとした騒ぎになったからだろうが、まあ、こうやって話しかけてきてくれるだけ以前よりはマシになったのだろう。
「ああ、オレでよければいつでも力になるよ、タルケン」
このようにちょくちょく勉強を聞きにくるこの少年の名前は『タルケン』。いつか病気を克服して退院した時のために勉強しているそうだ。飲み込みは異様に早いので、レンが追い抜かれないように日々の学習時間を伸ばす羽目になった。
「……むぅ」
後で、といったくせにすぐにテキストを開こうとするタルケンの対応に追われ、レンは隣で不満気に頬を膨らませるユウキには気づかなかった。
「それでは、ミーティングを始めましょう!」
そのランの一言に、全員がラウンドテーブルの席に着く。レンが一番近かった席に座ると、対面にはランが、そして左隣にはユウキが座った。
「まずは、私が街で集めた情報を話しますね」
最初に手を挙げたのはレンの右隣に腰を降ろしたシウネーだった。彼女はその人当たりの良さで街で様々な情報を集めるのが得意らしく、今日の情報集めも積極的に行っていたという。
「とはいえ、皆さん挑戦したことのある方はほとんどいなくて、手に入れられたのは『敵の数が異様に多く、上へ登っていくにつれ増えていく』という一点でした」
「敵の数が多い、か」
そう無意識に呟くと、なにやら全員の眼差しが期待のこもったものに変わった。
どうやら、SAOでのレン知識を求めているようだったが、はて、レン自身がSAOの前線で戦っていた攻略組の一員であったと喋ったのは一人しかいない。対面のほうへ目を向けると、彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや謝るほどの事でもないんだが……そうだな。陣形を組んで全員で昇って行ったほうがいいんじゃないか?」
「それは何故です?」
そう聞いてきたのはタルケンだ。彼は一般的な勉強だけではなく、レンの持つ知識の全てを貪欲に吸収しようとしていた。
「数が多いとしか言わなかったのなら、恐らくは一体一体はそこまで強いわけではない。少なくとも、問題なのは個々の戦闘力よりも数であることは間違いない。だから、敵の全てを相手にすることはない。オレたちはただてっぺん目指して突き進んで行けばいい。謂わば一発の銃弾になるってことだな。倒すのは、邪魔な奴だけでいい」
グランド・クエストの情報は極端に少なく、それこそ、実際に挑んでみた体験談のようなものしかない。これまでの準備の期間中、レン自身も色々と聞き込みをしてみたが結果は芳しくなかった。
「具体的に陣形はどのようにするのですか?」
そう問いかけてきたのはランだ。彼女はギルドリーダーとしてこれまでの冒険で作戦立案の責任者を勤めていたそうだから、興味があるのだろう。
「陣形と言ってもそこまでガチガチに固めると行動の柔軟性が失われる。
――そうだな、支援型のシウネーを中心として、突破力のあるやつが先頭を、次に硬いやつがシウネーの周りに、そしてオールラウンダーとして最後尾に一人くらいはいたほうがいいかな」
「だとするなら、先頭は姉ちゃんがいいと思うな」
そう断言したのはユウキで、ランとレンを除く五人は納得したように頷いていた。本人は全力で首を横に振っていたが。
「妥当だな」
レンの一言により、ランはがっくりと項垂れた。
「じゃ、オールラウンダーはレンとユウキがいいんじゃねえ?」
「ボク?」
「おう。だって俺らの得物は重いからオールラウンドな働きはできないぜ?」
なるほど、最もな意見だった。
これまでは両手用槍を使っていたレンだが、グランドクエストでは模擬戦の最後に使った大太刀を使うことを告げてある。ユウキの得物は片手用直剣で、対するジュンは両手用大剣、テッチはタワーシールドとメイス、ノリは長棍、タルケンは両手用槍で、何れも小回りが利くとは言い難い。
「そうですね、それが最善だと思います。ただ先程、に…レ、レンが言っていた通り柔軟に、臨機応変に行きましょう。型に縛られては、私達の持ち味がなくなってしまいますから」
ランの言葉に、異論を挟む者は誰もいなかった。
To be continued
後書き
ランさんは全く情報がないので、ほぼオリキャラ状態に……。なにか情報があれば教えていただければありがたいです。
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