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霊群の杜

作者:たにゃお
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青頭巾



「机は、その棚の間だ。間違えるな」
炬燵に肩まで浸った状態の奉が、気怠く指示を出してきた。俺はもう、わざと机を轟音を立てて置く。夏すら、涼しい書の洞は凍てつくような岩壁のせいか、毎年刺さるような冷気に満たされる。一応、エアコンは設置しているが、洞は奥の方で多岐に分かれている上に、それぞれから冷気が立ち昇ってくるので家庭用エアコンなどでは太刀打ちできない。
「模様替えは、体調が戻ってからにしたらどうだ」
俺が顎でこき使われている現状に甘んじているのは理由がある。
きじとらさんが呪法の贄として拉致された際、奉が『呪い』を受けてしまい、それが奉の体を相当に蝕んだらしいのだ。
結局、その呪いは持主に返ったのだが、神殺しを目論んだ男への『罰』は想像を絶するものとなり、酸鼻極める結果を呼んだ…らしい。現場に居合わせたきじとらさんは何も語らないし、俺も聞けないでいる。
で、奉は事件以来、ほぼ寝たきり…というかコタツムリと化しているくせに、何故か模様替えを始めるというのだ。
「馬鹿め。この洞は一度呪いの『標的』にされているんだ。一刻の猶予もできるか」
まぁ、気休めみたいなもんだがねぇ…と力なく呟き、奉は広げた本の上に突っ伏した。
「猫鬼の呪法に関しては、実は俺もよく知らないんでねぇ。きじとらが攫われたのはここではないけれど、この洞も既に這入られているかもしれんだろう。だから配置を完全に変えて、同じ術を使えないようにする」
「術者は死んでるだろ」
――お前が、殺しただろう。
「呪いを依頼した奴が残っているだろう」
「また、拝み屋を雇うと?」
「…そうだねぇ。そうやって拝み屋を次々、使い捨てる。元々人の命など、ちり芥程度にすら思っていない男だ。目を見れば分かる。…一人の拝み屋が俺に与えるダメージは致命的でなくてもいい。少しずつ、少しずつ俺を削り取ればいい」
ぞくり、と背筋が寒くなった。そうじゃなくても物理的に寒いというのに。
呪い返しに反動があることを、今回の件で初めて知った。それだけ甚大な呪いが奉の身に降りかかったのだ。依頼主が、金にあかせてなりふり構わず術者を使い捨て、奉を呪い続けるのならば、いつか奉の体力が切れて本当に呪いに斃れることもあるかもしれない。
「ていうかおい、今…『目を見れば分かる』といったな」
「玄関のマットレス見るのと寸分違わん目で見られたねぇ…」
「そうじゃねぇよ!お前、依頼主知ってんじゃないか!?犯人知ってんなら何とかしろよ!!」
奉は少し考え込むと、ふいと顔を上げた。
「つまりお前は、俺にこれから病院に『あ、あんた俺に呪いをかけただろう!?マクンバをかけただろう!?』と血相変えて怒鳴り込めというのか?」
何だよマクンバって。
「――捕まるな」
「それな」
呪いが絡むと、被害を訴えた方がおかしい奴だと思われるのだ。ならば、奉はなす術なく呪いを食らい続けるしかないのか。
移動させた本棚に古書を詰め、冷えた掌をすり合わせた。
「…寒いなぁ、今年も」
「…こたえるねぇ」
元々、ぼそぼそ喋る男だが、更に声に張りがない。暖かい茶を盆に乗せて入って来たきじとらさんが、盆を炬燵の上に置いて毛布のようなものを奉に掛けた。全身かじかんでぎこちない動きになっている俺達とは違い、きじとらさんは滑らかに動く。優雅な仕草で置かれた茶がほわりと湯気を揺らめかせた。
「この時期はすぐに冷めますから」
云われるまでもなく、俺は炬燵に入り込んで茶を手に取った。かじかんだ手には湯呑の熱が灼けつくようだ。だがそれがいい。茶をすするついでに俺が持ってきた安物の饅頭を頬張っていると、奉も饅頭を手に取った。食欲は少し戻って来たようだ。
「まぁ…手詰まりなのは、向こうも同じなんだよねぇ」
饅頭を一口で頬張って飲み下すと、奉は湯呑を手に取り一気に呷った。きじとらさんが云ったとおり、茶はこの短い時間ですっかりぬるくなっていた。
「拝み屋の世界は、非常に狭くてねぇ。今回のことが拝み屋連中に知れ渡るのは、時間の問題なんだよ」
猫鬼のような邪法に手を出した報い…奴ら自身の戒めとしてねぇ…と、ぼそぼそ呟いて奉は顎を炬燵に乗せた。
「この近辺で代わりの拝み屋を探しても、もう見つかるまいよ。よそ者の拝み屋を呼ぶことは出来ようが…同じことの繰り返しだねぇ」
やはり俺は考えが表に出やすいのだろうか。俺の懸念を読み取ったかのように、奉はにやりと笑った。
「簡単に殺せないよ、俺は」


それでも。ぎりぎり死ななかったとしても、奉を屠る試みは終わらないのじゃないか。


「あの地下室の奥に、特別に敬意を払われた水槽がある」
奉の声に、はっと我に返った。
「――敬意」
さっと記憶を探ったが、思い出せない。そもそも俺はあの水槽を直視していない。
「円筒型の綺麗に磨かれた水槽に、美しい母親と」
―――天使が、へその緒を繋いだまま浮かんでいる。
「天使」
「奇形児だねぇ。翼のような肩甲骨の奇形と羽毛と見まがう体毛。随分と『やり過ぎ』なくらいの奇形だったよ」
「お前もよくそんな…」
「ありゃ、異種交配だ」
「は!?」
「土地神に娘を捧げる風習が、この地域には根強く残っている。…この件の始まりはだな結貴、ある『邪恋』なのだよ」


奉は奇妙な昔話を始めた。
俺も『地方の昔話』程度の知識はあるが、この地には山の神に娘を『花嫁』として捧げる風習がある。とはいえ俺が知っている限りでは、それは今や祭りの一種みたいなもので、年に一回『花嫁』役の綺麗な子を花の神輿に乗せて近所を練り歩くくらいのそれこそ地方のミニ祭事レベルのものだが。
そんなお遊びのような祭事で、本当に見染められてしまった娘が居た。
娘は忽然と神輿から消え、数日後、山中で発見された。…何者かの子を孕んだ状態で。


「それが、始まりの邪恋か?」
「馬鹿め。真似事の祭事だろうが何だろうがこれは正式な婚姻だ。『邪恋』は、その後だよ」


孕んだ娘の帰還は周囲に波乱を巻き起こした。両親は必死で相手を問い質したが、娘は『山の神』としか語らない。その件はひっそりと事情を知る人間達により黙秘され、その胎児も葬り去られるはずだったが、娘は頑なにそれを許さなかった。
腹の子は驚くべき短期間で臨月を迎え、やがて娘は秘密裏に例の病院に担ぎ込まれた。


「そして、母子ともに死産。俺が辿れたのはここまでだ。娘の両親が秘密裏に腹の子供を葬ろうとしたのか、そもそも生まれることの出来ない子供だったのか。ただ腹の子の死に引っ張られるように、母も死んだ。母の死は純粋な事故だ。それだけは間違いなさそうだねぇ」
「邪恋どこいったコラ」
「ここから始まるんだよ。…ぞっとする邪恋だろう?」


死んだ娘の腹から出て来た胎児は、思わず息を呑むような奇形だった。異様な形に突き出し、変形した巨大な肩甲骨に、血の混じる羊水に濡れた羽毛がびっしりと生えている。顔も左右非対称に、叫ぶように歪んでいた。両親は娘を亡くした悲しみも忘れ、思わず呟いたという。
「あいつ、何の子を産もうとしたんだ…?」
ここからは若干、俺の推測も入っているんだが…と前置きをして、奉は語る。


本当は子供は、産声をあげたのではないか、と。


そしてそれは『屠られた』。恐らく知能の遅れを伴うであろう奇形を抱えて生きていくその子の今後を憐れんだのか、嫌悪感に耐えられなかったのかは分からない。だが、胎児は『死んだ』。そして母子の体は孫殺しの事実を葬る交換条件として『献体』されたのではないのか。…そうでなければ、可愛がって育てた美しい娘を、胎児もろとも献体する理由が分からない。


「ドナー登録してたんじゃないのか」
「この『始まりの母子』に関してだけは、ドナー登録は無いんだよねぇ。ただ、貴重な医学的なサンプルとして病院側が遺族に頼み込んだらしきことしか…母親はともかく、あの奇妙な胎児にはその理由はある」


今回の件は、飛縁魔に調べさせたらしいのだが…
始まりの母子を担当したのは、その後例の病院を継ぐ予定の若い医師だったという。
どうにも昼行燈で、何を考えているのかよく分からないその医師は、始まりの母子には異様な執着を見せた。同僚の医師達は言葉に出来ない気味悪さを感じたらしいが、将来総合病院を継ぐ若い医師に、何も意見する者はいなかった。医師達の間では、地下室の献体に関しては半ば都市伝説的に知れ渡っている。誰も表立っては口にしない、公然の秘密だ。


「そんなトップシークレットを飛縁魔はどうやって…」
「ターゲットの医師に、愛人と思い込ませて近づいたらしいねぇ。怖い女だよ」
「全くだな」
「…そしてこれが『邪恋』の正体だ」


死体を愛好する『ネクロフィリア』という性的嗜好があるが、それを更に歪めた『母と胎児の遺体』への性的衝動こそが、彼の邪恋だった。そして更に、その歪んだ欲求は性交渉によって満たされるものではなかった。
その欲求は恐らく、胎児を食らうことで満たされる類のものだった。


「待て」
「ん?」
「飛縁魔が取り入った医者は、そんなディープなとこまで把握してたのか!?」
「いや。…俺が、飛縁魔が拾って来た噂話をもとに、地下室の献体を検めた」
「胎児が食われていたのか?」
「地下室の胎児はそのほとんどが、臨月の状態で死亡している。体の状態はちょっと早産の赤子と全く違わないんだが」
全部、心臓を抜かれているんだよねぇ。そう云って奉はくっくっく…と低く笑った。
「あとはそうだねぇ…自己申告」
「自己申告!?誰が!?」
「地下室の子供達がねぇ…」
云いかけて、奉はふと口を噤んだ。


地鳴りのような音を立てて、岩戸が開き始めていた。


俺は立ち上がって身構えた。あの岩戸の音は縁ちゃんではない。縁ちゃんは小さい頃から書の洞に関わってきたので、この岩戸の癖を知り尽くしている。こんな轟音は絶対に立てない。
続いて、かつ、かつと革靴で岩肌を踏みしめるような、ゆっくりと刻む足音が、洞内を満たした。…鴫崎でもない。あいつはスニーカーでバタバタ足音を立ててやって来る。
「おい、来たかこれ」
「…早かったねぇ」
気のせいだろうか。奉の額に小さな汗の玉が浮いている。奉の『冷や汗』など、俺は見たことがあっただろうか。
「…鎌鼬を出すなよ。ここで死人を出せないぞ」
無意識に意識を背中に集中させていたことに気が付き、慌てて緊張を解いた。…最近俺は、鎌鼬に頼り過ぎている。
やがて、足音は本棚の影でぴたりと止まった。


「ごきげんよう…と、声を掛けたら良いのかな」


ぐっ…と声が詰まった。
俺は心のうちに狂気を秘めたその医師を、その外見を、映画で見るような極端なサイコパスのように勝手に想定していた。
しかしこの、本棚の影に立っている男を俺は知っている。
鴫崎の嫁が臨月の時、頼み込まれてその病室に詰めていたときに診察に来た人のよさそうな若い医師だ。俺はこの医師に当たり前のように接し、軽い世間話までしていたではないか。
「…だから鎌鼬を出すなというのに」
―――しまった、また無意識に鎌鼬に頼ってしまっていた。俺は再び、ゆっくり緊張を解いた。
「この洞には限られた人間しか出入りをしていないし、知る人間すら両手に余る程度だ」
思っていたより、すらすらと言葉が出てきた。俺はさりげなく奉の前に出ると、肩を緊張させた。奉はここで死人を出せないと云ったが、この男の目的が分からない限り、撃鉄から手を放すわけにはいけない。
「そこに勝手に入ってきたってことは…目的は『そういうこと』でいいんだな」
若い医師はくい、と首を傾げて、腹が立つ程誠実そうな顔で俺の目を覗き込んだ。俺より頭一つ分近く低い視線で、文字通り覗き込んでくる。その表情に、何の悪気もない。


―――気持ち悪い。


「先に、こちらの領域に踏み込んできたのは、そちらの」
ちらり、と奥の奉に視線を移した。
「玉群の御曹司でしょう?」
「違いないねぇ」
奉がにやりと笑い、眼鏡の位置を直した。…煙色の眼鏡で、表情は見えない。
「…騙されるか!あんたが鴫崎の子に何をしようとしたのか俺達は!」
「証拠は?」
ぐっ…と喉を詰まらせるしかない。俺たちはこの件では1から10までほぼ憶測と噂話で動いている。地下室にある献体も、表向きは正当な手続きを経て病院所有になった『献体』だ。
「よしましょう、この話は。お互い、無傷で済む話ではない」
「構わないんだがねぇ、訴えてもらっても。俺も大声で云わせてもらうよ。『病院の地下で偶然見つけた胎児と妊婦のホルマリン漬け30体が安置された部屋に忍び込んですみませんでしたー!!』てねぇ」


―――心底楽しそうだなてめぇ。


「困った人だなぁ」
医師も、くっくっと肩を震わせて笑った。
何故、笑えるんだ。こいつも奉も…。おかしいのか、こいつらは。
「で、あんたは何をしに来たのかねぇ。手土産持って俺達と談笑しに来たわけじゃないだろう?」
口元から笑いを消して、奉は体の前で指を組んだ。
「休戦を、申し込もうと思いまして」
「ほう」
ほう、じゃねぇよ…こいつ今、さらっと自分の犯罪行為を認めやがったぞ!?
「こっちは最初からコトを構える気はないねぇ。ただ、条件を一つだけ」
「何を?」
「聞きたいだけよ、興味本位で」


―――どういう、道理だ?奉は医師を見つめ、ぽつりと呟いた。


「……道理?」
「どの遺体も、とても丁寧に解剖されていた。そして母子は全てへその緒で繋がっていた。資料とするなら、切断した方が都合がよいだろうに。そして無くなった心臓をあんたがどうしたのかは…ある『手段』で知った」
「………それで?」
「正邪は置いといて。…あんたの中には、何か『道理』があるんだろう?変態性欲とは別に。俺はそれが気になって夜も眠れない。ここしばらくずっと睡眠不足でねぇ。それさえ聞けたら、あとのことはどうでもいい。あんたは腕のいい医師だ」
―――なんて取引だ。人の命を何だと思っているんだ。俺に云わせれば奉もこの医者も、どっちも人外だ。


「……美しい、と思ったんですよ」


人の良い医師の微笑を崩さず、こいつは云い放った。
「己の命をへその緒を通じて子供に流し込む慈愛、目に見える絆。だがこれは有限の絆です。腹に宿り、産まれるまでの」
―――何、云ってんだこいつ…。
「彼女が腹に子を抱えたまま亡くなった時、私は気がついたんです。この母子はこれで永遠なのだと」
「…永遠?」
奉が低く呟いた。他人には分からない程度だが俺には分かる。この声色は、笑いを噛み殺している時のそれだ。
「産まれ落ちた瞬間、その絆は断ち切られる。その時から、子の受難は始まるのではないですか?僕はその受難から彼女らを守り、そして『家族』として共に在りたいと思った」
「あんたの子じゃないだろう」
「私の子ですよ」
彼はふと目を上げた。その双眸に宿る異様な輝きを見た瞬間、何というのか…ぞっとした。
俺は今、同じ言語を話すのに、言葉が通じない不思議な生き物を目の前にしている。怒りよりも、困惑が先に立つ。
「あの子達の心臓は、僕の血肉となって共に在ります。…血が、繋がっているのですよ」
何を…?つまりこいつは…母子との血の繋がりの為に、胎児の心臓を…?
「はははは…」
聞いた事がないようなフラットな声で、奉が笑った。そして手近にあった青いニット帽を雑に掴むと、小柄な医師の頭にぽんと被せた。
「何です?これは」
「道理は聞かせてもらった。十分だ。もう行け」
「―――青頭巾、呼ばわりですか」
突然被せられた青いニット帽を、彼はそっと外して奉に返した。
「…止める気は、ないと」
「ならば証明してください、僕が間違っていると。快庵上人も、そうしたでしょう?」
ふむ…と奉は呟き、肩をすくめた。
「あんたを調伏する気などないよ。へその緒などに絆は宿らんがね」
「つまらない。それだけですか」
「あいつらの『絆』というのはな、もっと根深く、気味悪さすら感じる頑強なものでねぇ」
「産まれ落ちてからお互い育んでいくとかいう綺麗ごとですか?」
ならばなぜ不幸な子供が存在するのですか?と微笑を保ったまま、医師は云った。応じるように、奉はにやりと笑った。
「そうだねぇ、あんたに教えてやる義理はないねぇ。…あ、でも一つだけ教えておいてやろうか」
奉は、すっと右手を上げて医師を指さした。


「地下室の連中、全員、あんたを恨んでいるよ」


刹那、医師の表情が強張った。
「証拠があるのか?とでも云いたいか?ならば俺が今すぐあんたを殺して、あんたの心臓を食らってやろうか?」
「………」
「そうしたら、あんたは俺の家族か。俺はさっきの昼飯でニワトリが一羽、家族になったわけか」
二人は数秒、虚ろな目で視線を交わしていた。
「……信じませんよ。彼女らだけは、僕の家族だ」
医師が、すっと踵を返した。
言語は同じなのに言葉が通じない青頭巾は、岩戸閉めることなく出て行った。


「あぁきもい、あの医者きもい、きじとら!塩撒いておけ!!…きじとら?」
奉がせわしく洞の中をウロウロし始めた。普段から他人への関心が薄い奉にここまでの嫌悪感を抱かせた相手だ。…俺だって鳥肌が立つ程気持ち悪い。…きじとらさんは、何処にいるのだろうか。ともかく、塩撒いたところでああいう手合いは来るときは来るし、撒く意義が全く見いだせないので、きじとらさんが出てくるまで冷え切った体を炬燵で暖めることに
「………いたい」
炬燵に足を突っ込むと、ぎゅむっと柔らかいものを踏みつけた。
「ぬ!?」
ばっと炬燵を捲ると、端っこのほうできじとらさんが丸くなっていた。…信じられん、頭すら出てない全部入りだ。猫か。
ああ、猫だった。
「今日は冷えるからねぇ」
奉は事もなげに、自ら塩の壺を掴むと中身をオーバースローで洞の外に撒き始めた。


本当に、苦手なタイプだったらしい。


きじとらさんは捲りあげたこたつ布団を丁寧に戻すと、再び軽い寝息を立て始めた。
…なんだ、ここでも寝るようになったのか。
安堵によく似た、軽い痛みが走った。あの医師に気付かなかったのならば、本当に良かった。


―――なあ奉よ、本当に休戦でいいのか。
俺はあの医師の、屈託のない微笑を思い出した。
それは俺が初めて見る、シリアルキラーの微笑だった。

 
 

 
後書き

現在不定期連載中です。 
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