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SAO-銀ノ月-

作者:蓮夜
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鋭二

 晩春の空は薄い青色で染められていた、などと気取った言い回しをしたくなるほどの絶好の空模様。ゴールデンウィークも残すところしばしという時期に、ARアイドルによる世界初のライブが始まろうとしていた。その熱気は《オーディナル・スケール》の人気もあってかなりのもので、ドームは立ち見席まで満員になるほどだったようだ。

「ちょっとトイレ行ってくる」

 とはいえ、俺とキリトはそんな華やかな場所とは正反対の場所に向かうことになりそうで、ライブに集まった他の友人たちにはそんな見え見えの嘘をついてライブ会場を離席する。エイジに指定された場所は《オーグマー》に表示されていて、どうやらエレベーターでしか行けないドームの地下であるようだ。

『パパ……』

「ユイ……どうした?」

 すると移動中、キリトの《オーグマー》にデータを連動させているユイが、見慣れた妖精姿で俺たちの前に現れた。その表情には困惑の感情が見てとれていて、目的の場所まで歩きながらユイの話を聞くと。

『エイジという人が、ママたちの記憶を奪った敵だというのは事実で、理解できます。ですが、ショウキさんの話を聞いて、エイジという方が敵だとどうしても思えないんです……』

「ユイ……」

『パパやママ、みんながいなくなってしまって、蘇らせる手段があるのなら……私も、あの人と同じ道を選んでしまうんじゃないかと……』

 間違っていることは理解できているけれど、どうしてもエイジへの同情の念が捨てきれない。あの《SAO》で死んだ悠那という少女を、実質的に蘇らせようとしている、という俺の仮説をキリトとともに聞いて、ユイはそう思ってしまったらしい。

「……そう思うのは、間違ってないんじゃないか」

『え?』

 ユイは自らの考えを否定して欲しそうな視線を向けていたが、俺の口から放たれた言葉は正反対の言葉だった。たどり着いたエレベーターを呼び出すボタンを押しながら、キリトに視線を向けてみれば、困ったように手を首に置いていて。

「ユイ。俺もショウキも、あいつと同じようなことをしたことがあるんだ」

『パパたちが、ですか?』

 信じられない、とばかりの口振りと表情のユイに、俺とキリトもばつの悪い表情になりながら。地下に行くエレベーターを待つついでに、かいつまんでユイにあのアイテムのことを、というよりアイテムにまつわる話をしていく。

「……俺もショウキも、誰を殺そうがそのアイテムを手にいれるつもりだった」

 《SAO》唯一の蘇生アイテム、《還魂の聖晶石》。もちろん死んだ人間を蘇らせる機能などあるはずもなく、HPが0になってから数十秒のみが効果時間という代物だったが、そんなことを当時の俺たちに分かる筈もなく。

「その時はまったく聞く耳を持たなかったけど、クラインが止めようとしてくれて」

 蘇生アイテムで自らの大切な人を蘇らせる為に、実際に俺とキリトはモンスターも交えた殺しあいにまで発展した。それは今のエイジが、ユナを蘇らせようと取っている行動と、何ら変わりはなく。さらに俺たちにとってのクラインのように、止めてくれる大事な人がいるにもかかわらず、エイジはまるで止まる気はない。

「だから、今度はクラインの代わりに。間違ったことをしてる奴を止めてやりたい」

「……俺はそんな風には思えない。アスナたちの記憶を取り戻すだけだ」

 ユナからの頼みを聞いたかどうかもあり、もちろん俺とキリトで考えていることに差はあるものの、どちらもエイジが自分たちがたどってきた道を進んでいると感じていることに間違いはなく。到着したエレベーターに乗り込みながら、キリトは一息吐いてユイに向き直った。

「大切な人を取り戻そうと思うことは間違っちゃいない。でも、それが誰かを犠牲にするようなら、ユイもそれを止めてあげてくれ」

『……はい! 頑張ってください、パパ! ショウキさん!』

 力強く頷いたユイの表情には、もはや先程までの憂いがこもった感情はなく。そうしてユイはキリトの《オーグマー》の中に戻っていくと、同じタイミングでエレベーターは目的地へと到着する。どうやら《オーディナル・スケール》での戦いの邪魔にならないように判断したらしく、ユイの声援を心に刻み込みながらエレベーターを降りた。

 そうして広がっていた景色は、充分な広さのある地下駐車場。とはいえ今は使われていない場所なのか、ドームに現れた人間の数や華やかさと反比例するように、ジメジメとした湿気が漂う薄暗い場所だった。旧式の電灯だけでも点いているのが幸いといったところか、ひとまず視界が悪いということはなく。

「ノーチラス……!」

 俺たちをここに呼んだ張本人。キリトが怒りとともに呼び掛けた、柱にもたれかかって精神統一でもしているかのような、ノーチラス――エイジがゆっくりと目を開けた。そうして柱からゆっくりと歩き出して、俺たちと適度な距離を取って対面する。

「……今の俺はエイジだ」

「そんなことはどうでもいい。返してもらうぞ、みんなの記憶!」

「……おい」

 落ち着け、という意味を込めてキリトの肩を掴むと、キリトの代わりにエイジの前に立つ。能面のように無表情なエイジからは、まるで感情というものが読み取れない――というより、無理やり感情を圧し殺しているようだった。

「止められないのか? 前も言った通り……」

「止める気なんてない。前も言ったはずですが」

「……」

 悠那からエイジを止めて欲しいと伝えられた手前、キリトのように敵意を剥き出しにする訳にもいかず、返答が分かりきった問いかけをしてみるものの。わざとらしい慇懃無礼な口調での予想通りの返答に、確かにエイジは止める気はなさそうだと確信する。もはや感情を荒げることもせず、悠那を蘇らせるための機械になったかのようだった。

「……もういいだろ、ショウキ」

「……ああ」

 ……聞くまでもないことだったな、と一歩下がりながら。今更の説得など意味などなく、キリトにうながされて《オーディナル・スケール》の端末を握る。もはやエイジを止めることが出来るのは、死んでしまった悠那だけだろう……その悠那に託された願いを果たすことが出来ないのは心苦しいが、こちらにもエイジと同様に譲れないものがある。

『オーディナル・スケール、起動!』

 地下駐車場に三者三様の起動音が響き渡り、世界が拡張現実によって塗り潰されていく。とはいえボス戦の時のようにドローンの支援はないため、風景は寂れた今までいた地下駐車場のままだったが、俺達の格好は確かに《オーディナル・スケール》の制服に変わっていた。端末が変化した日本刀《銀ノ月》を鞘から抜き放つと、キリトから離れながら油断なくエイジに刀を向ける。

「どうしました? 俺が怖いんですか?」

 キリトも同じようにして、エイジを取り囲むように剣を構えつつ移動する。そんな俺たちの様子を余裕ぶって眺めるエイジは、まるで構える様子はなく。《オーディナル・スケール》をプレイすれば、《SAO》の記憶を失うというのは嫌でも分かっているつもりだが、こちらにはまだその仕掛けが分かっていない。レインは不明、リズは俺がボスにやられそうになるのを見て、アスナはシリカを庇ってHPが0になってと、分かっているだけでも条件はバラバラだ。

「なっ――」

 故に慎重にならざるを得ない。そんな状況を打破するかのように、キリトの側面の壁が粉々に破壊されたかと思えば、そこから現れた白い巨体がキリトの身体を飲み込んでいた。

「キリト!?」

 その『白』の正体は、巨大な骨。骨が幾重にも重なってムカデのような形状をなしていて、死神が持つような二対の鎌が腕と呼ぶべき部分にはあ
り、この地下駐車場にギリギリ入るサイズで蠢いている。その姿は忘れもしない、俺たちが最後に戦った《SAO》の第七十五層ボス《The Sukull Reaper》に間違えようもなく、キリトを助けに行こうとした俺の目の前に剣閃が走る。

「随分と余裕だな!」

「くっ!」

 そんな隙をエイジが見逃すわけもなく。顔面に振るわれたエイジの片手剣を、すんでのところで日本刀《銀ノ月》で防いだものの、反撃する間もなくエイジはバックステップしてこちらから離れて。そのままギリギリ目で追い付けるほどの速度でこちらの周囲をを走り、やはり人間離れした動きを見せつけていく。

「どうした? 来ないのか?」

 どうやらその機動性の差を活かしたヒットアンドアウェイによって、こちらのスタミナを削る魂胆らしいが、わざわざ相手の土俵に乗るようなことはなく。挑発にも乗らずに、次に向かってきた時にカウンターを決めてやると、その場に立ち止まって日本刀《銀ノ月》を構えたものの。

「動かなければ死ぬだけだ!」

 そんな俺の眼前に、スカルリーパーの鎌が迫る。まるでエイジに操られているかのごとく、スカルリーパーの鎌は俺の体勢を崩すように鎌を振るう。もちろん避けなければ死ぬだけだが、横っ飛びしたその場所には――

「くらえ!」

 こちらをかく乱していたエイジが振るう刃が、俺が避けた場所を予知したかのように、こちらへ走り抜けながら放たれる。スカルリーパーの攻撃で体勢を崩した俺にその一撃を避ける術はなく、よくて相討ち狙いのカウンターか、というところに、エイジの側面からキリトが飛び込んでくる。

「ショウキ!」

「くっ……」

「せやっ!」

 側面から放たれたキリトからの文字通りのタックルに、エイジもたまらずコンクリートの大地を転がると、そこに俺の追撃の日本刀が振るわれた。それはすぐさま起き上がったもののエイジの肩口を斬り裂き、追撃は叶わないものの確かなダメージを与えていた。

「キリト!」

「ああ!」

 そのまま後方に跳んで逃げるエイジを追撃しようとした俺たちの前に、やはりエイジを庇うようにスカルリーパーが立ちはだかる。どうしても最後の戦いがフラッシュバックしてしまい、恐怖にすくみそうになる足を無理やり動かし、キリトよりも前に出てスカルリーパーと単身で対峙する。

「ッ――!」

「スイッチ!」

 確かにアレは恐怖の対象であり、今でもあの最後の戦いを忘れたことはない。しかしてそれ故に、あの悪魔のような鎌の軌道も俺の目に焼き付いていた。スカルリーパーから振るわれた二対の鎌を弾くように斬り払いしてみせると、俺の背後で待機していたキリトがその隙にスカルリーパーの懐に飛び込み、一太刀でその首を斬り落としてみせた。

「な……」

「こんな小細工は止めた方がいいぜ」

 断末魔の声すらあげることもなく、斬り落とされた首から残った身体という順で、スカルリーパーはポリゴン片と化していた。その一瞬の出来事を見ていたであろうエイジが、俺たちに聞こえるように驚愕してしまうほどの速度だったらしい。そこから放たれたキリトの挑発めいた言葉に、エイジの表情は歪んでいく。

「……お前らは怖くないのか? あの《SAO》のボスと戦って」

「何?」

 怒りで拳を握り締めながらも、何とか理性を保とうというように、エイジはこちらに問いを投げかけてくる。さらにこちらが答えを返すより早く、さらにエイジの怒声は続いていく。

「僕は怖かったさ。大好きな人が目の前で死ぬときに、足がすくんで動けなくなるぐらいにはな! お前らに、その気持ちはわからないだろう!」

 もはやこちらへの問いかけや、挑発という体もなしていない悲痛な叫び。握っていた拳も気づけば解かれていて、敵である俺たちを前にしているにもかかわらず、脱力したエイジは構えを解いていってしまう。そんな心の闇をさらけ出したエイジの言葉に、こちらも我慢できずに言い返していた。

「……分からないわけが……ないだろう……!」

「……何?」

 エイジに負けじと、という訳ではないが。その物言いに我慢できずに、今度はこちらが怒声をあげてしまう番だった。死んでしまう人を目の前にして足が動かなかった、などと――相手を助けられる場所にいただけ幸せだったろうと、暗い感情がエイジに芽生えてしまうのを、すんでのところで抑え込めながら。

「俺は……助けられた側なんだぞ……」

「……苦しんだのがお前だけだと思うなよ」

 あの日。《笑う棺桶》の前身を率いていたあの男に他のギルドメンバーを殺され、戦ったものの太刀打ちも出来ずに、リーダーだった彼女に無理やり転移されて俺だけが生き残った……生き残らされた。間違いなく今の自分を形作っている、忘れられない記憶に吐き気を催しながらも、絞り出すように言葉を紡ぎだす。隣のキリトも今の自分と恐らくは似たような表情をしていて、苦い記憶が心中を支配しているのだろう、普段らしからぬ怨嗟の声が呟かれた。

「……だったら、なおさらだ。そんなクソゲーの記憶、貰ったっていいじゃないか!」

 そうして小休止を終えるかのように、エイジは風のごとくこちらに斬り込んできた。なんとかその一撃はこちらも日本刀《銀ノ月》で対抗したものの、そちらは囮だったということにすぐ気づかされた。左腕が剣と同時に突き出されており、懐に飛び込んだエイジの左腕がこちらの首を絞めながら、そのまま俺を地下駐車場の床へと押し倒した。

「がっ……!」

「ショウキ……ッ!」

 硬いコンクリートに背中を強打して、痛みとともに吸っていた息が全て吐き出された。首は絞められた状態から解放されたものの、トドメとばかりに片手剣を振り下ろそうとするエイジに、キリトが背後から襲いかかった。しかして背後にも目がついているように、エイジはキリトの腹に回し蹴りを打ち込んでみせた。

「ぐっ……!」

「このっ!」

 腹を抑えながら後退するキリトには悪いが、その隙でもってエイジに日本刀《銀ノ月》を振るいながら、なんとか押し倒された状態から脱することに成功する。ただしエイジはこちらの一振りを跳んで避けつつも、天井や床を叩いて土煙を発生させていき、地下駐車場に充満した土煙はエイジの姿をかき消していた。

「大丈夫か?」

「ああ……でも」

 キリトと背中合わせに武器を構えて、どこからでもエイジが来てもいいように備えながら、キリトは小声でこちらに語りかけてきた。打ち付けられた背中が痛みはするものの、問題はエイジの人間離れした動きとその速度。なんとかエイジの片手剣による一撃は受けていないため、《オーディナル・スケール》におけるHPが減っているわけではないが、このままでは時間の問題だろう。

「俺に考えがある。任せていいか」

「……いつものことだ、任せろよ」

 対抗策はキリトに任せながら、俺は囮を務めるべく背中合わせのキリトから離れていく。白煙のなかに一瞬だけ見えたエイジの姿を捉え、高速移動術《縮地》でエイジへと即座に接近して日本刀《銀ノ月》を振るった。

「ッ!?」

 エイジの表情が驚愕に包まれたものの、脳天から斬り裂かんと振るわれた日本刀《銀ノ月》は、ギリギリのところで受け止められてしまう。そのままエイジの片手剣とこちらの日本刀、二対の剣がつばぜり合いを起こしているような状況となり、エイジの血走った目が眼前に迫り来る。

「さっさと倒れろよ……お前たちの記憶を奪えば、ユナは蘇るんだからなぁ!」

「ユナがそれを望んでないのは、お前が一番分かってる筈だろう!?」

「ふざけるなぁ!」

 死んだ人間はそんなことを望んでいない、なんて分かる筈もない答えを語っているわけではなく。今なお実質的に蘇りかけているユナは、確かにエイジたちにそのメッセージを届けているはずだった。他の人間を犠牲にしてまで蘇りたくはない、今すぐこの計画を止めてほしい――と。

「言ったはずだ! アレは自己保存プログラムが言わせてるだけに過ぎないんだ!」

「アレがプログラムかどうか、お前なら俺より分かるだろう!?」

「ユナが蘇るのを望んでないなんて……そんなことがあるかぁ!」

 ジリジリとこちらが押し込まれるつばぜり合いの最中、先日と同様の問答が繰り広げられた。詳しいこともユナのことも知らない俺にすら、ただのプログラムの言葉ではないと確信できるというのに。こちらというよりも、エイジは自らに言い聞かせるように、ユナの存在を否定して声高に叫ぶ。

「俺に伝言を託すなんて行動まで、全部プログラムだって言うのか?」

「もう喋るなぁぁぁぁ!」

「っ……!」

 裂帛の気合いが込められたエイジの一撃は、怒りに任せた隙だらけの攻撃にすぎなかった。つばぜり合いを無理やり押し込もうとしたタイミングに、むしろこちらから引いてやれば、相手はバランスを一時期にせよ崩してしまう。

 その隙を見逃すことはない。しかしてエイジも苦々しげな表情を見せながらも、せめて相討ちにしてやろうと片手剣を持ち直し、すぐさま体勢を整えようとする。そんなエイジに対して、俺は――

「な……ッ!?」

 ――思いっきり、日本刀《銀ノ月》を空中に放り投げた。敵の目の前で隙を突いて自らの武器を放り投げる、そんな常軌を逸した行動を目の当たりにして、エイジの意識はどうしても空中を回る日本刀《銀ノ月》へと向いてしまう。

「お前の強さの正体はこれかぁぁぁっ!」

 それが罠だとも知らずに。エイジが空中に放り投げられた日本刀《銀ノ月》に集中してしまった本当の隙に、側面から接近していたキリトがエイジの首筋を掴むと、何やら機械のパーツのようなものを奪い取っていた。

「ぐ……!?」

「ランク2位の報酬か、あの教授に作って貰ったかは知らないが、もう頼みのそれは動かないぜ」

 驚愕しながらもエイジは俺たちから距離を取るが、明らかにその動きは先程までの人間離れしたものとは違っていた。奪い取ったパーツをつまらなそうに投げ捨てるキリトの発言を察するに、エイジは何かの機械で自らの動きを増幅させていた、ということらしい。それなら今までの動きや先読みも説明がつき、エイジ本人も動揺を隠せていない。

「う……あああああっ!」

「ハァッ!」

 そうして破れかぶれの突撃。先程までの動きはもはやどこにもなく、軽々と避けながらキリトは胸部に斬撃のカウンターを放ってみせる。さらにその衝撃に倒れ伏したエイジへと、空中から落下してきた日本刀《銀ノ月》を回収しながら、その首筋へと刃を添わせていた。

「……動くなよ」

「……」

 もはや抵抗する術はないということか、エイジは観念して《オーディナル・スケール》を解除する。エイジが握っていた片手剣が消えるのを確認すると、こちらも意味はないと日本刀《銀ノ月》を首筋から外すと、代わりにキリトがエイジの胸ぐらを掴みあげた。

「アスナたちの記憶を返してもらう!」

「……その前に、頼む。聞かせてくれないか」

「……なんだ」

 先程までの怒りに満ちたものとは違う、真摯な瞳がエイジから俺に向けられて。日本刀《銀ノ月》を鞘にしまいながら、今にもエイジに殴りかかりそうなキリトの肩に手を置きつつ、エイジからの問いを促すと。

「ユナは……なんて?」

「『エーくん……エイジとお父さんを、止めて』って」

 あの日の公園で、ユナの伝言として白い少女から聞いた伝言。一字一句間違えるものかと伝えたそれを聞いた瞬間、エイジの身体から力が抜けていき、キリトが胸ぐらを掴む腕で支える形となってしまう。

「お、おい!?」

「エーくん……だなんて呼ぶのは、ユナしか、悠那しかいないじゃないか……そんなこと、最初から分かってたはずなのに……」

 キリトの心配する声をよそに、エイジはうわごとのような呟きを、誰にとも言うことなく放っていた。その瞳には涙が止めどなく溢れていて、キリトはそっと胸ぐらから手を離すと、エイジの身体はゆっくりとコンクリートに倒れていった。完全に戦意を喪失したその様子を見てか、キリトも先程までとは違う優しい声色で話しかける。

 いや、正確には、話しかけようとしていた。

「ん……?」

 もはやこの場に起こるはずのない殺気を感じて振り向けば、地下駐車場の中央に炎で出来た魔法陣のようなものが広がっていた。明らかにただならぬものが起きようとしている前触れに、そちらを警戒しながらも、コンクリートに尻餅を着いたエイジを見ると。

「お前、まだ――」

「ち、違う! 僕じゃない!」

 信じられないような表情で後ろに下がるエイジを見るに、先のスカルリーパーのようにエイジが用意したものではないらしいが。そうしているうちに魔法陣からは更なる炎が噴出するとともに、炎の渦の中から漆黒の竜がいななきとともに現出する。

「まさか教授、僕の記憶まで……!?」

『パパ! アレは第九十三層のフロアボスに予定されていた、《ドルセル・ザ・カオスドレイク》です!』

 おののくエイジとユイの警告、そしてこちらに攻撃目標を合わせたカオスドレイクに、俺とキリトは一瞬だけアイコンタクトを交わす。この狭い場所で九十三層のフロアボスと二人で戦っても、勝てるわけもない上に意味はなく、エイジの記憶を奪われるわけにもいかず。ならばと、俺はブレス攻撃を放とうとするカオスドレイクに向かって注意を惹き、その隙にキリトがエイジの腕を掴みエレベーターへと走っていく。

「なにを……」

「お前が記憶を失ったら、アスナたちの記憶を取り戻せなくなるだろうが!」

 キリトの怒鳴りつけるような声を遠くに聞きながら、俺はカオスドレイクの闇属性のブレスを身をかかんで避けて。懐に潜り込みながら足に一太刀浴びせるが、その強固な鱗にはまるで通用することはなく。しかもそれだけでなく、鱗に日本刀《銀ノ月》の刃が引っ掛かってしまい、抜くのに多大な隙を晒してしまう。

「ぐあっ!」

 返す刀ならぬ返す爪による一撃に、《オーディナル・スケール》の制服に傷が刻まれる。流石は第九十三層のフロアボスといったところか、追撃の闇ブレスを後ろに思いっきり跳ぶことで何とか避けながら、その威力に戦慄して気を引き締め直す。

「せぃっ!」

『逃げてください、ショウキさん!』

 すると背後から近づいていたキリトが、勢いのついた斬撃でカオスドレイクの翼に傷をつけてみせる。恐らくは切り落とすたつもりだったのだろうが、ヘイトを分散してくれただけでありがたい。さらにキリトとは違う場所からユイの声が響き渡り、視界の端にエレベーターに乗るエイジとユイの姿が見えた。

「キリト!」

「ああ!」

 そうしてもう一太刀、今度は鱗に阻まれないようにカオスドレイクに日本刀《銀ノ月》を突き刺した後、キリトとともにエレベーターに走り出した。追撃の闇ブレスが背後から放たれるものの、キリトが《SAO》のソードスキルを模倣した、剣を回転させる技によって何とかブレスを四散させる。

『来ます!』

 ブレスは通用しないとAIが学んでしまったのか、ユイの警告とともにカオスドレイクの突進攻撃が始まった。こちらとは文字通り桁違いの歩幅、体格、質量に、あっという間に距離が詰められてしまう。さらに爪による一撃を与えんと手を伸ばしたカオスドレイクに対し、俺たちは揃って前方に向かって飛び込んだ。

「ッ――!」

「あ……ありがとう、ユイ。助かった」

 ユイのタイミングを合わせたエレベーターの開閉により、カオスドレイクの爪が届く前にエレベーターに飛び乗ることに成功した。流石にエレベーターまでは《オーディナル・スケール》のエリア対象外らしく、カオスドレイクの追撃はなく安心して息を整えていく。

『はい。ですが、大変なんです! ママたちが!』

「……アスナたちが?」

 ただし危機を脱したにしてはユイの表情は険しいもので、キリトも息を絶え絶えになりながら聞き返す。するとユイは厳しい表情を崩すことはないまま、隣で所在なさげに立っていたエイジへと視線を向けた。

『今、エイジさんに聞いた話なんですが……』

「……これからすぐ、ステージで《オーグマー》による一斉情報スキャンが行われる」

 涙を拭いたエイジが顔を伏せながら語りだす。ユナのライブには《SAO》のボスを出すシステムが準備されており、そこでSAO生還者の記憶を刺激した後に、一斉に《SAO》の記憶ごとユナの記憶を奪うことが出来ると。しかしてそんなことをされれば、記憶スキャンをされた人物の脳は耐えられず、《SAO》の記憶を奪われる程度ではすまないだろうと。

「お前らはっ……!」

『なら《オーグマー》を外せばいいのでは?』

「無理だろうな……!」

 場違いなエレベーターの到着音とともに、今度はライブ会場へと走り出す。恨み言をぶつけようとしたキリトだったが、事態を説明しながら共にライブ会場に向かうエイジを見て、今はそれどころではないと口を閉ざした。するとユイから至極まっとうな意見が発せられるが、あまり効果的ではないだろうと首を振る。

「今まで《SAO》のボスをイベントで倒してきたんだ、ただのライブの余興だとみんな思う!」

「このっ!」

 これまでのレイドイベントによって、《オーディナル・スケール》のプレイヤーからすれば、《SAO》のボスはただのイベント限定のボスだ。ライブ会場に突如として現れたとしても、そういった余興だと判断して、いくら《オーグマー》を外せと言っても聞かないだろう。そうしてライブ会場の入口をキリトが蹴破って、そこに広がっていた景色は。

「どうやらそうみたいだな……!」

 キリトが忌々しげに吐き捨てた通りに、ライブ会場は残念ながら俺の予想していた通り、《SAO》のボスとプレイヤーたちが戦っていた。誰もが『ライブの余興』に熱中しているようで、この状況で《オーグマー》を外せと言っても誰も聞くまいと、俺は顔面を蒼白にしたエイジに向き直った。

「……エイジ。なら、どうすればいい? ユナの言葉通りに、この事態を終わらせるためには!」

「それは……」

「――アスナ!」

 エイジが震える唇を動かすより早く、キリトが椅子を踏み台にして跳んでいってしまう。そのまま着地点にいたSAOボスの胴体を切り裂いてみせたが、座席に向かって落下して倒れこんでいった。

『パパ!』

「大丈夫か!」

「……大丈夫か、アスナ」

「キリトくん……」

 血相を変えてキリトの落下地点に行ってみれば、そこは本来なら俺たちがライブを見ているはずの席で。痛みにうめきながらも起き上がったキリトの隣には、キリトに守られたように怯えたアスナが座っていた

「お兄ちゃん!」

「ちょっと、どうなってんのよコレは!」

 最も被弾する確率が高い場所にいて手傷だらけのエギルや、椅子に座って縮こまったままのアスナとリズなど、気にならないわけではなかったが。そこに全員いたライブにともに来た友人たちを見て、無事だったかとホッとするとともに、全員でアスナとリズを守っているようにしていることが気にかかる。怯えたリズに話しかけようとする前に、肩で息をしていたルクスが、そっと俺の耳元へ伝えてくれていた。

「SAOボスを見てから、アスナさんとリズの様子がおかしいんだ。失った記憶の副作用かもしれない。それより……」

「あなた……!」

 ルクスの視線を追ってみれば、そこにはいたたまれない様子のエイジが、痛ましい表情のままで立っていた。ルクスだけでなく、敵として居合わせたことのあるシリカに直葉は、エイジに敵意を隠そうともしなかったが――そんなエイジと彼女たちの間に、飛翔したユイが割ってはいっていた。

『会場が危ないって教えてくれたのは、このエイジさんなんてす!』

「だが敵だったんだろ? それが、何だっていきなり?」

「……分からない。でも、頼まれたんだ、ユナに。この計画を止めてくれ、って……」

 エギルのもっともな質問に対して、エイジはゆっくりと首を振った後、その充血した瞳で真摯に答えを返した。アレは自己保存プログラムの言葉ではなく、まさしく悠那の言葉だったと認められたかのような発言とその態度に、俺はどこか信じられるような予感を感じて。

「みんな、信じられないだろうけど……」

「解決策をそいつしか知らないんじゃ仕方ないでしょ。さっさと話しなさい」

「……ああ。まず、この《オーディナル・スケール》は、大部分をあの《SAO》から流用してる」

 シノンの吐き捨てるような一言に促されて、エイジはこの事態を収集するための手段を語りだした。周りの《オーディナル・スケール》のボスとして表れるSAOボスを見ても、そのエイジが語る前提条件は理解できる。

「だから同じなんだ。最終ボスを倒すことが出来れば、《オーディナル・スケール》もクリアされ、この事態を納めることが出来る」

 エイジの言葉から脳裏に浮かぶのは、ヒースクリフという管理者を失ったことで、自主的に崩壊する浮遊城《アインクラッド》の姿。ゲームである以上は必ずや終わりはあり、《SAO》にとっての終焉はラスボスであるヒースクリフを倒すことだった。 それと同様のリソースを使っている《オーディナル・スケール》も、ボスを倒せば終焉を迎えるのだという。

「……つまり?」

「今からSAOの百層ボスのところへ送る。そこでボスを倒して、もう一度……もう一度、《SAO》をクリアしてくれ!」

「……でも、どうやって?」

 そうして告げられた方法は、俺たちが二重の意味で拝むことのなかった《SAO》本来のラスボス、ヒースクリフではない百層ボスの撃破。ステージ内のすべてのボスを倒す、などと言われなかっただけありがたいが、直葉の率直な疑問はその通りだった。まさか今から浮遊城を百層までプレイし直せ、という訳でもあるまいが。

「《オーグマー》は《ナーヴギア》の機能縮小版でしかない! ダイブ先の座標と解除コードによるアンロックがあれば、限定的ならフルダイブは出来る!」

『……はい! 任せてください!』

 恐らくは百層の座標と解除コードとやらは知っているエイジが、チラリと目の前を飛ぶユイの姿を見る。実際に《オーグマー》の解除コードを入力出来るのは、この場ではユイだけだというエイジの視線を理解し、ユイはエイジの《オーグマー》からデータを収集していく。

「アインクラッド、百層ボス……」

「相手にとって不足はないじゃない。もちろん、SAO生還者じゃなくても行けるんでしょうね?」

「あ、ああ……」

「私たちが倒してやりますから!」

 あのデスゲームの本来のボスと聞いて、緊張が走るメンバーとは対照的に、シノンはエイジに念押しするほどの余裕さを見せてみせて。同じくSAO生還者でない直葉の調子でもって、残るメンバーからの緊張が抜けていく。各々が軽口を叩きつつもフルダイブに備えて座席に座るのを見て、俺は震えるリズの隣に座ると彼女の肩を掴む。

「リズ……」

「……ったく、情けないわね。こんな震えちゃって」

 《SAO》の記憶を失ったにもかかわらず、目の前でSAOボスがプレイヤーを蹂躙するのが記憶を刺激するのか。詳しいメカニズムも分からない以上、俺にはリズの恐怖をどうにかすることは出来ないが、せめてもとその震える手を握っていた。凍えるように冷えたリズの手は、俺の手のひらの中で小刻みに震えていたものの、温度が伝わっていくとともに収まっていく。

「アスナを頼む。守ってやってくれ」

「……任せなさいっての」

『皆さん、フルダイブの準備が出来ました!』

 リズが小さいながらもいつも通りに笑っているのを見て、こちらも自然と頬が緩んで笑い返してしまう。それと同時にユイの声が響き渡り、リズの手を惜しみながら放すとその言葉を放つ。全てを始めさせた言葉であり、全てを終わらせる言葉でもあるその言葉――

『――リンク・スタート!』
 
 

 
後書き
 いつぞや、オーディナル・スケールをゲーム病に感染する某クロニクルに例えましたが、AIとしてユナを蘇らせる計画と、データとなって保存されている私は不滅だ私は不滅だ私は不滅だって思えば似てますね。ユナもいつか、奇声を発しながら土管から復活したり、その奇声がベルト音声になったりする新ユナになるのでしょうか。

 全く関係ありませんが翌日はゴルフです。
 
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