魔術師ルー&ヴィー
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第一章
XⅣ
ルーファスらはその後、村を出て更に先へと歩みを進めた。
あの村人達であるが、ルーファスがミストデモンの毒に冒された男たちを救ったことと、焼けた家々を魔術で復元したことで掌を返す様に友好的となった。そのため、ルーファスらが出発する際には水と食料すら用意して送り出したのであった。
その村を出て数日後のこと。
「あれか…。」
ルーファスらは遂に、目的地であるグリュネの村へと辿り着いたのであった。
皆は直ぐに村の中へと足を踏み入れたが、そこには全く生活感が無かった。と言うより、そこに人の姿を見い出せなかったのである。
その様な村をルーファスらは暫く歩いていたが、村の奥、丁度森の入り口付近に小さな教会を見つけ、皆はその中へと入った。
「誰か居るか?」
ルーファスは入って直ぐに大声で言ってはみたものの、やはり答える者は居なかった。正直に言えば、最初から期待などしてはいなかったが…。
「師匠…誰も居ないみたいですね。」
「そうだな…。長い間使われてねぇみてぇだしな。」
そこはよく見れば埃が積り、机や椅子もあちらこちら壊れている。祭壇さえ蜘蛛の巣がかかっている有り様であり、司祭が居なくなって久しいことが窺えた。
ルーファスらは中を少しばかり歩くと、女公爵が何かに気付いて口を開いた。
「ここは…異教の教会ではないか…。」
「異教?」
その言葉にヴィルベルトが首を傾げて返した。
「あの薔薇の浮き彫り…東の大陸にはあるが、この大陸にはないものだ。確か大地の女神を奉ずるもので、ヴァイス教とか言ったか…。」
「叔母上、何でんなこと知ってんだ?東の大陸にでも行ったことあんのか?」
ルーファスは半眼になって問った。如何にもどうでも良いと言った風である。
「あるぞ。ほんの一年程な。先の戦の前だが。」
それを聞くや、皆は目を丸くした。
この時代、大陸間を往き来することは困難で、船旅でも行くだけで一年近く掛かる。途中で多くの島々に立ち寄り、時には船の修理で長い時を島で過ごすことにもなる。沈没することもあるため、かなり過酷な旅と言えるのである。その上、乗る船は商船しかなく、旅行者専用の船などない時代であった。
「叔母上…無茶し過ぎだっつぅの…。」
「昔の話だ。ま、良い勉強にはなったがな。お前も行ってみろ。あちらには魔術師は居ないからもてやされるやも知れんぞ?」
「遠慮しとく…。」
ルーファスがそう溜め息混じりに返した時、奥の部屋から物音が聞こえたため、皆は体を強張らせた。
「誰だ!?」
ウイツは問った。彼が一番近くに立っていたからである。
暫く沈黙が続いたが、その後、奥の部屋から一人の青年が姿を見せた。
青年がはっきりと姿を見せると、ルーファスは思わず声を上げた。
「お前…サリエスじゃねぇか!」
「一度しかお会いしたことはありませんでしたが、覚えていて下さっていたのですね。」
サリエスと言われた青年は、そう言って安堵の表情を浮かべた。そしてルーファスらの前に歩み寄り、膝を付いて礼を取って言った。
「高き御方々の前にこの身を晒すのは誠にお恥ずかしい限りですが、兄の命により此方へと参りました。」
そのサリエスの言葉に、女公爵は些か不思議そうに彼へと問った。
「お前はミルイシアと共に執務をしている筈だ。何故にこの様な場へ参る必要があったのだ?」
「バーネヴィッツ公様、それは先に申しました通りに御座います。暫し前にアーネスト兄上が見付かったと聞き及び、ミルイシア兄上が私に状況の確認、出来れば連れ戻してほしいと言われ、直ぐにこちらへと馬を跳ばした次第に御座います。」
「何も…お前でなくとも良かったではないか。」
女公爵は渋い顔をしてサリエスへと言った。
サリエスはこの時、ミルイシアと共に家を守っていた。王家との通信役としても重要な人物であり、女公爵はそれをよく知っていたのであった。そのため、サリエス自身がここへ来たことを内心不遜とも受け取っていたのである。謂わば役職放棄とも受け取れるためである。
だが、それよりも問題があった。連れ戻してほしいと言われたアーネスト自身のことである。彼は今、妖魔に支配されて別人と成り果てているわけで、それをどう伝えるべきか…女公爵だけでなく、ウイツやヴィルベルトは勿論、ルーファスでさえ言葉に詰まっていたのであった。無論、宝玉の中の大神官も然りである。
そこで困っていたウイツは、未だ礼を取るサリエスへと問い掛けた。
「サリエスと言ったか…その情報、一体どこから入ったんだ?」
その問いに、サリエスは直ぐ様返した。
「シュテンダー侯爵家より書簡が届き、その中へ記されていたとミルイシア兄上より伺っております。ですが、その内容が余りにも突飛なものゆえ、初めは揶揄われていると思ったそうです。ですが侯爵印も紙の透かしも本物で、代筆者の執事、ユーリシア・カルバス殿の筆跡も確実に本物だとのことで、ミルイシア兄上も事実確認がしたかったのでしょう。グリュネまで来ていれば、遅かれ早かれ皆様方にお会い出来ると考え、恥を忍んで参った次第に御座います。」
サリエスがそこまで言った時であった。ルーファスらがいた教会が何の前触れもなく、轟音と共に崩れ出した。
「風よ、我が前に逆巻きて防壁となせ!」
ルーファスは直ぐに魔術を展開し、崩れゆく教会から皆を守った。
暫くし、完全に教会が崩れて後にルーファスが魔術を解くと、未だ土埃の舞う中に大勢の人影を見た。
「何だ?」
ルーファスは眉を潜めて辺りを見回すと、そこには武器を持った人々と、アーネスト…いや、あの妖魔の姿があったのであった。
「どういうつもりだ!」
ルーファスは怒鳴った。すると、妖魔はニタリと笑みを溢して返した。
「もう止められない…私はそう申した筈。故に、貴殿方にはこの場にて死んで頂く他ありません。」
そう言って妖魔は一歩前へと踏み出したため、ルーファスも前へと踏み出した。その時、ルーファスはウイツに「防御結界の準備しとけ。」と小声で言い、ウイツはそれに頷いた。
「何故ここまでやる。」
ルーファスは妖魔を睨んでそう言うと、妖魔はさも不思議なことを聞くと言う風に肩を竦めて返した。
「何故?その様な解りきったことを言わせないで頂きたいものです。この世界に、貴族も王も必要ないのです。権力は人間そのものを喰らって大きくなった。故に、その力を人々に返すのは道理。」
妖魔がそこまで言った時、ルーファスの背後からサリエスが叫んだ。
「兄上!もうお止め下さい!」
その声に、妖魔はあからさまに顔を顰めた。
「ギルベルト家の末子か。未だ知らされていない様だが、私はアーネストと呼ばれていた男ではない。」
「何を言っておられるのです!?兄上、この様な場でご冗談を…。」
「冗談?」
サリエスの言葉に、妖魔は不愉快そうに顔を歪めて手を突き出して空を握った。すると、直ぐ様サリエスが地に倒れて苦しみ出したのであった。
「サリエス殿!」
もがき苦しむサリエスをウイツが抱え起こすと、サリエス「アーネスト…兄上…」とその名を呼び続けていた。
妖魔は苦しむサリエスを見てもあの厭らしい笑みを浮かべ、その力を緩める気はないようであった。そしてその力を更に強めようとした時、不意に妖魔の表情が変化した。
「な…っ!?」
妖魔はまるで何か恐ろしいものでも見たかのような顔になり、その顔から血の気が失せたのである。そして体を震わせて膝をついたのであった。
「どうなっておるのだ…?」
ルーファスの後ろより女公爵が呟くと、それに対し腕輪の宝玉から言葉が返された。
「恐らくじゃが…アーネストの精神が未だ残っておるのじゃろう。どれ、わしが出るとしようかのぅ。」
そうして言葉を切ったかと思うや、その場に大神官老ファルケルが姿を現したのであった。
周囲は騒然となった。と言ってもファルケルの部下共だけだが、どうやら老ファルケルの死を知らされていたらしく、恐れ戦くものも見受けられた。
だが大神官はそれをどうするでもなく、一言だけ妖魔へと言い放った。
「そは汝の体ではなし、直ちに出て行くが良い!」
その刹那、辺りは眩いばかりの光が満ち溢れ、光が消え去る頃には大神官の姿も消え去っていた。
「おい、ファル!これは一体何なのだ!?」
余りの事に女公爵が問うと、大神官は宝玉の中より答えた。」
「妖魔は一応出て行った。精神が全て破壊されとれば救えなんだが、ここにはラファエルの涙も有る故にな。」
「だが、ファル。どうやって追うと言うのだ。見えぬではないか。」
女公爵は訝し気に大神官へと返した。相手は謂わば気体同然故に、その場にあっても分からないのである。
「侯爵の息子が居るじゃろうが。あやつであれば追える。わしは少しばかり力を使い過ぎたでな、暫し休むとしよう。」
「おい…ファル!」
女公爵が呼べど、もう大神官は返事をすることはなかった。
ふと顔を上げれば、倒れているアーネストの体へとサリエスが向かっており、そしてその体を抱え起こしていた。ファルケルの部下共は、その時でさえ乱れ惑っていた。
「兄上!」
サリエスは兄の体を揺さぶって声をかけ続けると、アーネストは意識を取り戻してその目を開いたのであった。
「ここは…どこだ…?」
何も分からないと言った風に周囲を見回すと、目の前のサリエスへと言った。
「何故この様な場へ?私は一体…何をしていた?」
「兄上…帰ってきて下さったのですね。今は何も考える必要などありません。さぁ、家に帰りましょう。」
サリエスはそう言ってアーネストと共に立ち上がったのであった。
サリエスはアーネストを支えて歩き出すと、不意にそれを何者かが静止させた。
「待て。」
二人は驚いて振り返ると、そこにはあのファルケルが悠然と立っていたのであった。その声も表情も怒りに満ちており、サリエスは気圧されながらもファルケルへと言った。
「何用です。貴殿が欲したのは妖魔の力…今の兄上は無用の筈です。」
「いいや…用ならある。」
ファルケルはそう言うや手を降り下ろした。それは攻撃の合図であり、二人へと無数の矢が放たれた。
「風よ、ここに集いて盾となれ!」
全てを見ていたルーファスは、ファルケルが手を降り下ろすと同時に二人へと防御の魔術を展開させた。それは放たれた矢を四散させ、二人には一本も届くことはなかったのであった。
「ったく、用が無くなりゃ後始末か?」
ルーファスは眉間に皺を寄せ、ファルケルへと大声で言った。それに対し、ファルケルも彼を睨み付けて返した。
「当たり前のことだ。我が尊き計画の枷となるならば、我はどの様な者も切り捨てよう。我は…」
そこまで言った時、ファルケルの声を掻き消して怒鳴る声が響いた。
「この大馬鹿もんが!散々放蕩した挙げ句に、なに偉そうなこと抜かしとるんじゃ!」
余りの大声に、その場にいた全ての者が呆気に取られた。
ルーファスらが声のする方を見るとそこには老女が居り、その老女はずかずかとファルケルの前に歩み寄ってその頬を思い切りひっぱたいて言った。
「罰当たりなことを言いおって!一人で大人にでもなったつもりか!」
「痛っ!何をするか!」
「何をするだと?わしゃお前を迎えに来たんじゃ!放蕩息子を母が迎えに来て何が悪いんじゃ!」
そこに現れた老女とは…大神官の妹であった。ルーファスとヴィルベルトはファルの街で会っていたが、この様に怒りを露にする人物とは思いもよらなかった。
「む…迎えに来ただと!?この無礼者が!」
「無礼はお前じゃ!若い時分にゃ家ん金持ち出して、酒や女に使っとったんは一体誰じゃ!そんでまともな仕事一つせなんだろうがね!」
その母の言葉に、ファルケルは一瞬たじろいだ。が、直ぐに表情を戻して言った。
「それ故、我はこうして世を正そうとしているではないか!何故に邪魔立てするか!」
「お前が間違っとるからじゃ!早ぅ目ぇ覚まさんか!」
そう言われたファルケルは、憤怒の形相で母を怒鳴り付けた。
「この我に意見するとは!我に親などおらん!」
そう言うや、ファルケルは持っていた樫の杖を母へと降り下ろそうとした。
だがその時、辺りを再び光が走り、ファルケルはその杖を落としてしまった。
その光とは無論、大神官が放ったものである。大神官は直ぐに姿を現し、そしてファルケルを怒鳴り付けた。
「親に手を上げるとは、一体何様のつもりじゃ!今、お前がやっていることは、天に弓をひいておると同じだと何故に分からんのじゃ!お前の亡き父は、お前を守るために命を落としたと言うに、今のお前にその価値など無いではないか!」
その大神官の言葉に、ファルケルはその目を見開いた。
「父は…旅先で死んだ筈…。」
「確かに、そうじゃ。じゃがな、そこには幼子のお前も居ったんじゃ。お前が健やかに育つよう、父はわしの所へ祈願しに来たのじゃよ。その時、わしはベズーフのとある大聖堂へマルクアーンと共に居ってな、そこへわざわざお前を連れて来たんじゃ。じゃが、その帰り道に崖崩れに巻き込まれ、お前を守ってその身を犠牲にしたんじゃ。」
それを聞き、ファルケルは信じられぬと言った風に首を振りながら後退した。
「そんな…そんな筈はない!その様な話…」
「せぬ様にと妹…お前の母に言ったのはわしじゃ。お前が苦しまぬ様にのぅ。じゃが、今のお前はどうじゃ…この様に放蕩の限りを尽くしたかと思えば、妖魔の甘言に踊らされおって…嘆かわしいのぅ。」
そこまで言うや、大神官はとある聖文を唱えた。
「大いなる神、正しき御方よ。その慈愛もて我が祈りを聞き入れたまえ。大いなる神、正しき御方よ。卑しき者より光を取り去りて、全き路に横たえたまえ。大いなる神、正しき御方よ。汝の赦し在りし時、再びこの者に光を与えんことを乞い願う。」
女公爵はその聖文に聞き覚えがあった。大神官らと共に妖魔退治をしていた時、ただ一度だけ同じ力を大神官が行使したことがあったのである。
「ファル!それは…」
女公爵がそれを止めようとしたが、その力は行使された。ウイツもヴィルベルトもそれが何なのか分からない様であったが、ルーファスは女公爵と同じように険しい顔つきになっていた。
聖文が完成するや、ファルケルの体から淡い光が零れる様に天へと昇って行く。それと同時に、大神官の姿をも薄らぎ始めたのであった。
「ファル、その力を何故使った!」
女公爵は大神官へと問うと、大神官は穏やかな笑みを見せて言った。
「これで良いのじゃよ。これでのぅ。」
「何が良いのだ!これでは…お前が消えてしまうではないか!」
女公爵はそう大神官へと叫んだ。
ルーファスは気付いていた。この神聖術が…その命を削るものだということを。
「師匠…何でですか…?」
ルーファスの隣まで来てヴィルベルトが問うと、ルーファスは呟く様に返した。
「この術はな、神聖術者が相手の力を神へと強制的に返還させるもんなんだ。だが、かけた術者もまた代価を払わなきゃなんねぇ。人生で二度は使えねぇ術…そうコアイギス師匠が教えてくれたことがあった…。」
それを聞き、ヴィルベルトだけでなく、ウイツもギルベルト兄弟も目を見開いた。
だが、大神官だけは違った。その様な中で、彼だけは一人微笑んでいたのであった。
「わしは充分生きた。本来ならば、もうこの世にはおらんのじゃから、一体何を嘆こうものぞ。済まんが、不出来な甥を宜しく頼む。」
そう言うや、大神官の姿は淡雪の融けるが如く、ただ空へと消え去って逝ったのであった。
「馬鹿者が…。」
女公爵は一人、去ってしまった友人へとそう呟いた。
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