魔術師ルー&ヴィー
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第一章
Ⅴ
さて、女はヴィルベルトを連れて店に入ると、そこは紛れもなく立派な娼館であった。
「あらぁ、姉さん。そんな若い子連れて、これからお楽しみ?」
「馬鹿をお言いでないよ。この坊っちゃんはそっちの客じゃないんだよ。私は奥の部屋入るから、何かあったら呼んどくれ。」
「はいよ。後で飲みもんでも持ってかせるわね。」
「そうしとくれ。」
女は店にいた娘とそう話すと、ヴィルベルトを連れて奥へと歩いた。
奥へ行く最中、ヴィルベルトは何とはなしに店内を見回した。そこそこの広さがあり、二階にも幾つかの部屋があるようである。その中に何人もの女性が居り、歳は十代から三十代位だろうと考えられたが、ヴィルベルトはそれ以上考えることを断念した。
少し歩くと、店内にあった階段とは違う狭い階段があり、どうやら働いている者達専用の通路のようであった。そこには幾つか蝋燭が灯され、歩くにはさして不都合はない。
その階段を上がると直ぐ、廊下の一番手前の部屋へと二人は入った。その部屋は店内とは違い華美な装飾などはなく、至って質素な部屋であった。
「ここは…雰囲気が違いますね。」
「この部屋かい?この部屋ね、昔、ここが娼館じゃなかった頃の名残なんだよ。娼館たって仕事の一つで、それだけであいつら全員食わしてやれないからねぇ。商談やったりする部屋も必要だってんで、こうして残してあるってわけさ。」
「へぇ…そうなんですか。そうですよね。店は店ですから、そこで必要なものは他から調達しなくちゃならないですしね。」
「そう言うことだよ。そう言ゃ名乗ってなかったね。私はマルティナだ。一応この店のオーナーだよ。」
マルティナがそう言って自己紹介すると、ヴィルベルトは目を丸くしていった。
「オーナーだったんですか!?でも…なんで娼館なんて遣ろうと?他にも仕事はあるでしょうに。」
そう言われたマルティナは、苦笑いしながらヴィルベルトへと返した。
「そりゃあんた、儲かるからさ。」
何とも単純明快な答えであったが、ヴィルベルトはそこに裏があると直ぐに分かった。
マルティナはどう見ても二十代半ばである。そんな女性が娼館を始め、自らも娼婦として働いているのだから、何か理由があるはずである。
ヴィルベルトは躊躇しながらも、再度マルティナへと問うことにした。
「それだけじゃ…ないんですよね?」
すると、マルティナは今度は淋しげな笑みを浮かべ、問い掛けるヴィルベルトの頭をまるで弟の様に撫でながら言った。
「若いのに良く気付く子だよ。でもね、そんなこと気にしなくていいんだ。」
マルティナがそこまで言った時だった。突然部屋の扉が開かれ、そこから一人の男が入ってきた。
「何だい、ノックも無しに!」
マルティナは男を知っている様で、立ち上がって男へと怒鳴りつけた。
「マルティナ…えっと…」
その男は未だ若く、マルティナと同じ年頃であろうと思われた。
だがマルティナとは違い、何だかおどおどしている。顔はそこそこで背もあり、謂わば優男と言った風であるが、気が弱いのかマルティナの前で小さくなっていた。
「ダヴィッド。あんた…また何かやらかしたんじゃないだろうねぇ?」
マルティナはそう言って男を睨み付ける。一方、ダヴィッドと呼ばれた男は何をどう話したらよいか悩んでいる様で、額からは冷や汗が噴き出していた。
そんな二人を見ていたヴィルベルトは、不意に壁の向こうから聞こえた声に目を丸くした。
「阻みしものは廃れよ!」
その声が聞こえたかと思った瞬間、壁は見る間に崩壊して声の主が姿を見せた。
「師匠!何てことするんですかっ!」
「あ…ヴィー。お前、こんなとこで何してんだ?」
「何してるじゃありません!ここ、さっき会った女性のお店なんですよ!」
ヴィルベルトが怒ってそうルーファスを窘めていると、その後ろで埃を被ったマルティナがユラユラと立ち上がり、真っ赤なオーラを纏いつつ言った。
「てめぇら…店、ぶち壊してんじゃねぇよ…。」
まるで地獄の底から沸き上がるような低いトーンで言ったマルティナに、ヴィルベルトもルーファスも体を強張らせた。
ルーファスが恐る恐る振り返ると、悪魔の様な形相でマルティナが見ていた。
「おい…これ、どう始末つけてくれるんだい?そもそも、何で私の店がぶち壊されなきゃなんねぇんだ…。おら、言ってみろや。」
まるで街の不良よろしく、マルティナは額に青筋をクッキリ浮かび上がらせて言った。
ルーファスは、何とかマルティナの気を治めようと言った。
「まぁ…話せば分かる。話せば…。」
「なら言ってみろや。」
「えっと…俺とヴィルベルトがブリューヴルムを見ていた時にだな…そこにいる男が光の魔術なんぞ使ってブリューヴルムを追っ払っちまったんだ。そんで俺達が…」
ルーファスが最後まで言い切る前に、マルティナの怒りの矛先はダヴィッドへと移った。
「ダヴィッド?お前なぁ…!」
マルティナの形相にダヴィッドは顔を蒼白にし、その後はマルティナにボコボコにされてしまったのであった…。
ルーファスとヴィルベルトはそれを止めようとはしたが、あまりの殺気に手を出すことも躊躇われ、ただただ眺めてるしか出来なかった。
「汝、元ある形と成せ!」
マルティナの気が収まった頃、ルーファスは魔術で壁を修復した。
「何だ、直るんじゃないか。」
「まぁな。」
ルーファスは苦笑混じりにそう言うと、その横でボロボロになっている男へと問い掛けた。
「お前、なんだってあんなことしたんだ?」
問われたダヴィッドは黙りを通し、全く答えようとはしなかった。
ルーファスは尚も問い掛けてはみたが彼はやはり答える気はないらしく、仏頂面で外方を向いてしまっためルーファスは顔を引き攣らせて言った。
「マルティナ。こいつ、俺もぶちのめして良いか?」
「まぁ、死なない程度なら。」
マルティナはあっけらかんとそう返したため、ダヴィッドは顔を強張らせた。
「ちょっと待て!俺にだって言い分はある!」
ダヴィッドはそう言いながらも後退った。
そんなダヴィッドに、ルーファスは笑みを見せながら詰め寄った。
「それじゃ、言ってみろ。だがな…もし詰まらんこと言ったら…分かるよな?」
「師匠…それじゃ、何だかヤバい人って感じです。」
ヴィルベルトは横からルーファスへと冷やかに呟いた。ルーファスはそんな弟子の頭を軽く小突き、ダヴィッドから一歩退いて言った。
「で、何だ?」
再び問われたダヴィッドは、ルーファスの表情に戦慄を覚えた。
ルーファスは無駄な時間と労力を費やして彼を探した訳で、本来なら今頃は宿に帰って寛いでいたのである。それをぶち壊されたのだから、ルーファスはかなり苛立っていた。
それを理解したダヴィッドは、気力を振り絞って言った。
「腹が立ったんだよ!」
「はぁ?」
ダヴィッドの答えに、ルーファスは頭を傾げた。
「腹が立ったって…それだけで魔術使ったってか?」
「ああ、そうだよ!何がグリューヴルムだ!見に来たなんて言って、結局は好きな奴とイチャつきてぇだけじゃんかよ!」
これにはルーファスだけでなく、ヴィルベルトもマルティナも呆気にとられてしまったのであった。
ルーファスは半眼になり、一言だけ返した。
「別にいいじゃん。」
「良くない!こっちは大変な思いしてるってのに、何であんな奴等だけ…。」
ダヴィッドはグチグチと文句をいい始めたため、今度はヴィルベルトが溜め息混じりに言った。
「それって…逆恨みですよね?貴方だって一緒に見たい方がいらっしゃるのでは?」
「いるさ!だから殊更腹立たしいんだ!」
「…。」
何だか今一つ理解出来ないルーファスとヴィルベルト。そんな二人を前に、ダヴィッドは不貞腐れた様に胡座をかいて座っているが、その顔は真っ赤に染まっていた。
「ダヴィッド。あんた、一体何をしたんだい?」
マルティナはそう静かに問った。だが、ダヴィッドは外方を向いたまま答えようとはしないため、仕方無しにヴィルベルトが事の顛末を語った。
先にルーファスとダヴィッドの言葉で大方は理解してはいたが、ヴィルベルトが語ったことではっきりと分かったのであった。
「ダヴィッド…何のためにそんなことしたのさ。グリューヴルムはこの街の宝だよ?それを見たいがために、わざわざ遠方から来てくれる人もいるってのに…。」
「そんなん知ったこっちゃねぇ!ファルケル様は、あれはタダで見せて良いもんじゃないと仰っるから…。」
「ファルケルだって!?」
ダヴィッドの言った名に、ルーファスとヴィルベルトは驚きの余り声を上げた。
その声にダヴィッドは一瞬気圧されたものの、何とか気を持ち直して二人に言った。
「様を付けろ!あの御方は偉大なる老ファルケル様のお身内。あの御方の言うことに間違いはないのだ。」
そう胸を張って言い切ったダヴィッドに、三人は胡散臭さこの上無いと言った風な表情を見せていた。
「おいおい…ファルケル坊は新興宗教でも起こしたのか?」
「師匠…坊って付ける歳じゃないと思うんですけど。」
「そうだね。もう中年のオッサンって感じみたいだしさ。」
三人はダヴィッドを余所に、適当なことを言っているため、ダヴィッドはそんな三人に向かって叫んだ。
「だから、様を付けろ!ファルケル様だ!あの御方はな、我ら貧しき者を困窮から救い出して下さるのだ!」
興奮気味に言うダヴィッドに、ルーファスは深い溜め息を吐いて返した。
「あのなぁ…ファルケルの奴は、そんなこと微塵も考えちゃねぇよ。」
「嘘だ!」
「嘘言ってどうすんだ?正直、お前がどうなろうが知ったこっちゃねぇがよ。実を言えば俺ら、大神官殿に頼まれて甥のファルケルを探して旅してきたんだよ。」
「は?大神官様が…お前達に?そんは筈はない!お前達の様な下の者に、なぜ大神官様が頼み事をするのだ!」
ダヴィッドは怒りの余り立ち上がったが、次のルーファスの言葉によってその怒りは霧散することになる。
「俺がバーネヴィッツの縁者だからじゃね?」
ルーファスがそう言うと、ダヴィッドだけでなく、マルティナも顔を蒼くしてしまった。
「…お前…いや、貴方は…あの女公爵様のお身内…。」
「まさか…バーネヴィッツ公様の…。」
ダヴィッドとマルティナは慌ててルーファスの側から退き、壁際で小さくなってしまったのであった。
「なぁ、そんな小さくなんなくても良いっての。俺は俺で、叔母様とは違う。今は爵位も無ぇし、お前らと一緒じゃねぇか。」
本心を言えば、ルーファスはバーネヴィッツや自身の家のことは口にしたくはない。だが、ここはそれを言った方が話が早いと考え、ルーファスは仕方無いとそれを口にしたのだった。
横で師の言葉を聞いていたヴィルベルトは多少驚いたにせよ、直ぐにルーファスの考えが読めたため何も言わずに黙っていた。
「しかし…それでも、貴方の身分は貴族です。私達の無礼、どうか平に御容赦下さい。」
マルティナはそう言って深々と頭を下げると、ルーファスは些かムッとして返した。
「あのさぁ、俺はただの魔術師だ。そんで、ただ旅してる。時々こういう街で金稼いで旅費作って、そんでまた旅続けてんだ。それがもう十年位続いてる。今更さ、貴族だなんだなんて言われんのは、正直鬱陶しいだけだっつぅの。」
ルーファスがそう言ってニッと笑みを溢すと、そこにヴィルベルトが言葉を付け足した。
「師匠は貴族なんて柄じゃありませんよ。魔術の腕は一流でも、人として…」
「ヴィー。人として…何だ?」
「いえ…何でもありません…。」
ヴィルベルトは師の冷やかな視線を感じ、先を続けることを断念した。
しかし、そんな二人を見たマルティナとダヴィッドは、何だかホッとした表情になった。そしてマルティナが立ち上がり様に、ルーファスへと微笑みながら言った。
「分かったよ。それがあんたの領分ってことなんだね?」
「そう言うこった。別に畏まる必要なんざねぇんだ。」
ルーファスはそうマルティナに返したが、直ぐ様視線をダヴィッドへと向けて言った。
「でだ。ファルケルは今、何処に居るんだ?」
問われたダヴィッドは、今度は頭を下げて正直に答えた。
「今はフェライの村へ滞在していると聞いています。」
「奴は一体、何を遣ろうってんだ?」
ルーファスがそう問った時、ダヴィッドは少し間を置いた。どうやら、言って良いものかと考えている風であったが、彼は直ぐに口を開いた。
「国を…根底から変えると…。」
「根底から変える…だと?」
ルーファスはそれを聞くや、眉間に皺を寄せて腕を組んだ。
根底…とは、恐らくはこの貴族中心の社会のことを言っているのだと察しはつくが、それを覆すには革命以外に方法はない。
だが、今の状況で革命なぞ起こそうものなら、他の国の餌食になりかねない。
この時、各国は国を拡大するより、均衡を保って内側を安定させようと躍起になっていた。数十年経ったとはいえ、妖魔戦争によって大打撃を受けたこの大陸は、この時代にあってもその傷は癒えてはいなかった。
かの妖魔戦争終結後、七つの国は不可侵の条約を結んだ。そして国内を豊かにする方へと舵を取った訳であるが、ここで一つの国で革命なぞ起きれば何が起こるか知れたものではない。
要は、再び戦乱の時代へ逆戻りする可能性がある…というわけである。それだけは何としても避けなくてはならないのだ。
「ダヴィッド。それは…革命を起こすと言うことか?」
「私は具体的には分からないのですが、恐らくは…。勿論、ファルケル様が直に仰られたわけではないのですが、戦力を集めておられるので…そう考えてもよいかと…。」
そう答えたダヴィッドに、ルーファスは厳しい表情で問い掛けた。
「なぁ、ダヴィッド。革命ってのは、失敗したら関わった全ての者が大罪に問われる。それでも奴を信じるに足る理由は、一体何なんだ?」
力を集め、こうして民を信じ込ませるファルケル。一体何がそうさせているのか、ルーファスには未だ理解に苦しんでいた。
いかな神聖術とは言え、魔術と大差はない。過去には魔術師が宗教を起こそうとした例がないわけではないが、神聖術師が宗教を起こそうなどとは考えなかった。神聖術そのものが、もはや宗教的な意味合いを持っていたからである。
ルーファスが気にしたのは、先ずは未だ残る貧富の差だったが、それすら後数年もすればかなり改善される筈であった。この国…いや、この大陸の王や貴族は、決して民を見棄てることはしない。民がいなければ国そのものが成り立たないからであり、民がいてこその王や貴族なのである。民は宝と明言する王や貴族も少なくない。
だが、そこへ返ってきたダヴィッドの答えは、ルーファスに頭を抱えさせることとなった。
「愛です。ファルケル様は、我ら庶民を愛して下さり、そして新しい未来を創造する力を見せて下さったのです。」
「は?愛に…創造?」
これにはヴィルベルトもマルティナも首を傾げるしかなかった。
その微妙な雰囲気の中、一人火の点いたダヴィッドが続けて言った。
「そうです!ファルケル様は、我らの前で病に苦しむ者を癒し、傷を負いし者を治して下さいました!それはまさに奇跡です!」
「えっと…それって…。」
ルーファスは徐に短剣を抜き、それをファルケルに酔いしれているダヴィッドの手の甲に突き立てた。
「痛っ!!何を!」
ダヴィッドの文句を聞くより早く、ルーファスは短剣を引き抜いて言った。
「我が祈りし声に全て和らぎ。」
すると、傷は見る間に閉じて行き、その痕さえ残すことはなかった。
それを見たダヴィッドは直ぐ様ルーファスへと平伏し、マルティナも一歩下がって同様に平伏してしまった。が、ヴィルベルトだけは驚いて声を上げた。
「師匠!魔術では人体を癒すことを禁止しているじゃないですか!」
「うっせぇなぁ、ヴィー。そんなこたぁ分かってるって。でもよ、こうでもしねぇと証明出来ねぇだろ?」
「それは…そうですけど…。」
師からそう言われたものの、ヴィルベルトは未だ不服そうであった。しかし、マルティナとダヴィッドの態度を見れば、これも仕方無しと思うことにしたのであった。
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