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雲は遠くて

作者:いっぺい
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125章 中島みゆきを語る信也や詩織や美樹や真央たち

125章 中島みゆきを語る信也や詩織や美樹や真央たち

 6月3日の土曜日、よく晴れた気温26度ほどの夏日の、正午(しょうご)を過ぎたころ。

 信也と詩織、美樹と陽斗(はると)、真央と(つばさ)の、カップル、6人が、
モワ カフェ(mois cafe)の2階席のテーブルをかこんでいる。

 下北沢駅南口から、人でにぎわう商店街の小道を入って、
静かな住宅街の裏路地にあるモアカフェは、駅から2、3分。
築40年の民家を改装した 一軒家で、高い天井(てんじょう)の屋根を支えている(はり)に、
古民家らしい風情(ふぜい)もある。玄関左手には赤松の木がそびえる。
おしゃれで落ちつける、リノベーション・カフェの、客席は40席ある。

 窓から陽の光がはいる2階の部屋のテーブルで、6人はゆったりと(くつろ)いでいる。

 川口信也は、1990年2月23日生まれ、27歳。
2012年の春、早瀬田大学商学部を卒業後、外食産業のモリカワ本部で課長をしている。
ロックバンド、クラッシュ・ビートのギターとヴォーカルもやっている。

 信也と交際中の大沢詩織は、1994年6月3日生まれ、22歳。明日からは23歳。
今年の2017年の春、早瀬田大学、文化構想学部を卒業後、モリカワ本部に入社したばかり。
ロックバンド、グレイス・ガールズの、ギターとヴォーカルもしている。

 清原美樹は、1992年10月13日生まれ、24歳。
2015年の春、早瀬田大学、教育学部卒業後、モリカワ本部に入社している。
グレイス・ガールズのリーダーで、キーボードとヴォーカルをしていている。

 小川真央は、1992年12月7日生まれ、24歳。
2015年の春、早瀬田大学、教育学部卒業後、モリカワ本部に入社している。

 美樹と交際している松下陽斗は、1993年2月1日生まれ、24歳。
2016年の春、東京芸術大学の音楽学部、ピアノ専攻を卒業と同時に、
ソロ活動を開始して、その卓越したテクニックと音楽的センスで、
クラシック界やポップス界から注目されている人気の若手ピアニストだ。

 真央の交際相手の、野口(つばさ)は、1993年4月3日生まれ、24歳。
2016年の春、早瀬田大学、理工学部を卒業後、モリカワ本部に入社して、
IT・情報技術関係の仕事をしている。
翼と真央は、早瀬田大学の音楽サークル、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)で親しくなり、
翼から真央は、ギターを(おそ)わった。

「ではでは、明日(あした)から23歳になる詩織ちゃんの健康と幸せを祈願しまして、
詩織ちゃん!お誕生日、おめでとうございます!では、みなさま!かんぱーい!」

 信也が笑顔でそう言って、乾杯の音頭(おんど)をとった。

 6人は、テーブルにあるボリューム満点の肉料理にもピッタリの、
よく冷えたカールスバーグ生ビールのグラスで乾杯をした。

 みんなは楽しい雑談や、気さくなジョークに大笑いしたりしながら、
先月の5月4日のライヴで、信也がカヴァーした、中島みゆきの『恋文』に関するあの話になった。

「ねえ、しんちゃん!あなたが、中1の3学期のときに、ニッポン放送気付けにして、
中島みゆきさん()てに送ったという短編小説って、どんな物語だったのかしら?うっふふ」

 美樹が、悪戯(いたずら)っぽい瞳で微笑(ほほえ)みながら、やさしい声で信也に聞いた。

「あっははは。あれね、あれはいま読み返しても、ぼくの生涯1度っきりの名作なんですよ。
書いたと当時は、名作だという意識はまったくなかったんですけどね。
でもね、文学少女のみゆきさんが、ぼくの小説を読んでくれていないはずはないって、
いまは確信しているんですよ。
それで、その感想と、おれへの返事が『恋文』に違いないと思うんです。あっははは。
おれも、ある意味、アホというか、バカですよね。何もそれを実証する証拠もないのに、
そう確信してしまっているんですから。あっははは。
まあ、ぼくのその短篇小説は、反響も多いので、
近いうち、未熟な部分とかを推敲(すいこう)して、
みんな誰もが読めるように、ネットで公開しちゃおうと思ってます。あっははは」

「わたしにも、まだ見せてくれないのよ!しんちゃんってば!」

 詩織が、かわいく、ほっぺたをふくらませて、信也を見る。

「あっははは。詩織ちゃん、真っ先に、公開するときは、詩織ちゃんに見てもらいますから。
なんか、非常に、今となっては、おれもいいオトナだし、作品を見せるのって、
()れるんですよね。中1のときと違って。あっははは。
えーと、物語はですね。シズオっていう名前の音楽大好きな少年が、山梨県の親元を離れて、
東京の定時制高校へ通いながら、深夜営業もやる音楽のライヴもできるカフェバーで、
バイトしたりする、そんな日常の物語って感じなんですよ。
そこに、若い男女の恋愛やちょtっとした事件もあったりするんです。
あと、中1の水準ですけど、魂とかの哲学的な考察もちょっと出てきたりします。あっははは。
あと、これは偶然なんですけど、ぼくの小説には、ちょいの間だけど、犬が出てくるんですよ。
みゆきさんも大好きなワンちゃんが。それも、みゆきさん、気に入ってくれてるのかな?あっははは」

「へーえ。すごいわ!しんちゃん、中1で、そんな物語を書いたのね!尊敬しちゃうな!わたし!」

 そう言って、ほんとうに尊敬のまなざしになって、笑顔で信也を見る、真央。

「あっははは。おれって、生まれたときから、オタクだからね。スポーツも好きだけど。
マンガやアニメの影響なおのか、誰にも邪魔されることもなく、
自分の空想の世界を楽しんだり、構築することに、幸せを感じるタイプの人間で、
物心がつく小学4年生くらいから、そんなオタクなんですよ。おれの記憶する限りでは。
でも、そんな、揺るぎのない自分の世界を持てるというオタクな考え方で生きているって、
けっこう、たくましく生きて行ける、絶好の秘訣か持って、最近、見直しているんですよ。
こんなふうな、価値観の多様化や混迷の時代ですからね。あっははは」

「そうですよ。しんちゃんって、やっぱり、すごいと思います。
おれも、アーティスト的な視点からも、しんやんって、尊敬しちゃいますね!
おれは、クラシック音楽コンクールとかで、いくつも、第1位とか取らせていただきましたけど、
プロのピアニストとして、何が最も重要かと言えば、
個性とといいますか、オリジナリティーなんですよ。
いかにして独自の世界観やイメージを持てるかが、創造には大切なんですよね。
ごく普通のありふれたエリートのような技能や能力だけでは、
他者を感動させたりできないんですよね、しんちゃん。
だから、おれ、しんちゃんや、中島みゆきさんのようなアーティストを尊敬します!」

 陽斗(はると)は、信也に親しみと尊敬を込めた笑顔で、そう言った。

「まあ、オタクのおれが、みゆきさんの歌とかを聴き込んで、
やっとわかったようなこともあるんですよね。
みゆきさんの新潮文庫の歌集には『愛が好きです』というのがあるじゃないですか。
みゆきさんは、ほんとうに、『愛』を大切に思ってでですよね。
みゆきさんの歌では、愛をテーマとした歌が、
『愛だけを残せ』とか『愛と云わないラブレター』とか『I love you 答えてくれ』とか、
おれが知るだけでも10曲以上はあります。
どの歌も、おれは好きなんですよ。中には、あっ、これも、おれのことを歌ってくれているのかな!?
なんて思えてきてね。でも、そんな、うぬぼれの強い男は、みゆきさん、きっと嫌いなんですよね。
みゆきさんには、絶対に嫌われたくないですよ。あっははは」

「そうですよね、しんちゃん、ラブ&ピースなんて、軽く言えば、笑われるような社会ですけど、
人間から、『愛』を削除したしまったら、
地球上で、1番に、獰猛(どうも)野蛮(やばん)な生き物になってしまうのでしょうね」

 容姿からして、繊細な理系な雰囲気の(つばさ)が、そう言って信也に微笑(ほほえ)む。

「まあ、みゆきさんって、『愛』について、どんなふうに考えているのかっていうのは、
ぼくにとっても大きな(なぞ)であり疑問なんですけど。
最近、いろいろと調べているうちに理解できた気になったんでよ。
『夜会vol.4金環蝕』という本の中にある、
『北の国から』などで知られる倉本聰(くらもとそう)との対談で、
みゆきさんはこんなことを言っているんです。
こんなふうなことを・・・。
≪『夜会』はね、みんなが楽しくなってくれればいいと思っているのね。
たとえば、見に来てくれているお客さんが、冬の中にいるとするでしょう。
でも、その人の中に絶対に種子(しゅし)はあるのね。
水をやればきっと、根や芽を出すのよ。
『夜会』に来て、ほんのちょっぴりでも、
根や芽を出す種子を持っている気分で帰って欲しいと思うの。≫
こんなことを言っているわけです。
これって、みゆきさん特有のサービス精神の(あらわ)れでしょうし。
このサービス精神は、別名をみゆきさんの好きな『愛の表現』と、
言ってもいいのだと思いますよね。
『恋文』の歌詞にしたって、
みゆきさんは、ぼくの中の『種子』から、
芽や根が出て、育つように、サービスしてくれたんだなって、今は思っているんです。
つまり、みゆきさんは、きっと、おれに向けて、
「あなたも、夢を追いかけて生きてください!」って言っているような気がします。
それだけでも、おれはうれしいですよ。
ぼくも、そんな、みゆきさんの『愛』をしっかりと受けとめて、
これからも、夢を追っていきたいと思っています。
夢を見失っちゃうと、つまらないですもんね!
・・・まあ、中2のときに出会った『恋文』の歌詞には、ほんとうに、びっくりしたんですよ。
歌詞の始めの、
(さぐる)るような目で恋したりしない
あなたの味方にどんな時だってなれる
(ため)すような目で恋したりしない
あなたのすべてが宝物だった≫
というところなんですけど。
これって、恋文を書いている、おれの目が、
探るような目だったり、試すような目だってことなんですよね。
みゆきさん自身の目のことじゃないんです。
こんな詞を書けるところが、みゆきさんって、驚くほど、するどいんですよ。
確かに、あのとき、おれは、たぶん、ほとんど、未知の世界のみゆきさんですから、
探るような目や試すような目になりながら、それでも、熱い恋心をいだきながら、
恋文というかラブレターを、みゆきさんに書いていたんだと思う。
まあ、その歌詞の次に来る、あなたの味方にどんな時だってなれる、
あなたのすべてが宝物だった、は、そんなおれへのメッセージだと、
おれは感じて、そう考えています。おれには、もったいないほどの、
とてもありがたい言葉で、うれしくって、夢見てるような気持ちになってしまいます。
あっははは。
勇気や力がわいてくる言葉で、『愛』のある言葉って、
こんな不思議なパワーがあるんだと実感するんですけどね。!
みなさん。あっははは」

「なるほどね。よかったわね!しんちゃん。
きっと、みゆきさんは、しんちゃんに向かって、
しんちゃんの種子が元気良く育つようにと、『恋文』を書いてくれたんだわ!」

 詩織がそう言った。みんなは、明るく笑った。

☆参考・文献・資料☆

1.夜会vol.4金環蝕 中島みゆき 角川書店
2.中島みゆき最新歌集 1987~2003 (朝日文庫) 文庫

≪つづく≫ --- 125章 おわり ----
 
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