銀河英雄伝説~美しい夢~
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第二十三話 元帥杖授与式
帝国暦487年 4月 13日 オーディン 新無憂宮 黒真珠の間 エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク
「エーリッヒ、大丈夫か」
「大丈夫じゃない」
俺の応えにフェルナーが苦笑した。分かっている、こいつは心配する振りをして面白がっているだけだ。そういう奴なんだ。長い付き合いだから嫌と言うほど分かっている。
帝国軍人アントン・フェルナーは宇宙で一番根性悪のロクデナシなのだ。こいつのおかげで士官学校時代はえらい目に遭った。いや、正確にはえらい目に遭ったのはお人好しのキスリングで面倒見の良い俺はその尻拭い役だった。全然割が合わん。俺の性格に歪みが有るとすればそれは間違いなくこいつの所為だ、他には有り得ない。
「良く似合っているぞ」
「似合っていない」
何処が似合っているんだ、このボケ! ニタニタ笑うんじゃない! お前の目は節穴か、それともビー玉でも入っているのか。俺は断じてこんな服は着たくなかったんだ!
「もうすぐだ、もうすぐ陛下が御出座される。その後式部官が卿の名前を呼ぶから、そうしたら行くんだぞ」
「分かった」
「逃げるなよ、皆このために集まったんだ」
「別に集まってくれとは頼んでいない」
嫌味な野郎だな、肩を竦めやがった。言っておくが誰も居なくたって全然構わないぞ、俺は。式典なんぞ、大っ嫌いだ。大事な事だからもう一度言ってやる、式典なんぞ、大っ嫌いだ! 元帥杖など宅急便で送ってもらっても全然構わない。伝票には受け取りサインをちゃんとしてやる!
「じゃあ俺は行くからな」
「……」
「そんな仏頂面するな」
「してない」
「にこやかにとは言わないから、普通にな、普通にだぞ」
「普通だ」
フェルナーが苦笑を浮かべたまま控室から出て行った。普通になんて出来るか、この馬鹿たれが。不本意だ、俺はとっても不本意だ。この一週間、俺は不本意の神に支配され熱愛されまくっていたと言って良い。まったく碌でもない一週間だった。
帝国元帥、宇宙艦隊司令長官……、責任重大だよな。有難い事にミュッケンベルガーは”正規艦隊の司令官達は自分の退役と共に司令官職を退く、司令官達は既に説得済みだ”と言ってくれた。新しい司令長官には新しい司令官を起用する、それがミュッケンベルガーの考えだった。
本当に頭が下がるよ。まあ司令官達の中には俺みたいな成り上がりの若造に従えるか、そのくらいなら辞めてやる、そんな気持ちの奴も居たのかもしれないが、それでもミュッケンベルガーが説得してくれなければ辞めさせるのに俺が苦労しただろう。簡単に出来る事じゃない、ミュッケンベルガーには本当に感謝している。
新しい艦隊司令官をどうするか、フェザーンへの対策をどうするか、そんなこんなで悩んでいるのに俺の周りは全く関係無しだ。大公夫妻、エリザベート、シュトライト、アンスバッハ、フェルナー……、皆お祭り騒ぎで沸き立っている。婚約発表って一体何なんだよ。俺は全然納得できんぞ。
一応理由としては俺の立場を強化するためらしい。リヒテンラーデ侯達の話ではフェザーンの狙いは俺ではないかという事だった。帝国を混乱させるためには俺は邪魔か、まあ有り得ない話ではないな。そこでエリザベートとの婚約を発表する事で俺の立場を強化する……。なんでそうなる、他に方法は無いのか? 考え付かないのか?
そりゃ何時かはエリザベートと結婚するのは分かっているし納得もしている。エリザベートはそんな性格の悪い女の子じゃないからな。ごく普通の女の子で悪くないと思っているよ、どちらかと言えば好感を持っている。今のところ彼女に対して不満はない。
俺はラインハルトとは違うんだ。結婚相手にヒルダみたいな切れる女を期待しているわけじゃない、ごく普通の女の子で良いんだ、って言うかヒルダの場合はあれはどう見ても恋愛音痴で情緒なんて欠片も無いタイプだろう。政略方面にだけ能力が偏っている。あんなのに二十四時間側にいられたら気の休まる暇がない、過労死だ。
……そうか、ラインハルトの死因だがもしかするとそれかな……、皇帝病って言っているけどその真の原因はヒルダが傍に居る事による肉体的、精神的過労。戦争に行きたがったのもヒルダの傍から離れるため……。うーん、新しい仮説だな、誰にも話せないのが残念だ。皆で盛り上がれたのに……。
まあヒルダは車で言えば普通乗用車じゃなくてフォーミュラカーとかワールドラリーカーみたいなもんだからな。だから乗り手も普通乗用車じゃ満足できない特殊な人間になる。車を見れば女のタイプも分かるかもしれない、どっちも乗り物だし金がかかるのも似ている……。気に入らなければ乗り換えるのもだ。
普通で結構、考えてみれば公爵家の令嬢で普通ってのは結構希少かもしれない。でもな、だからって十五歳の女の子と婚約なんかしたいと思うか? 新公爵はロリコンだ、戦争に勝った御褒美に十五歳の少女と婚約した、皆がそう言うだろう。これからの俺は“あのロリコン公爵、ロリコン元帥”と呼ばれ、その度に笑われるに違いない。
婚約の本当の理由は分かっているんだ、エリザベートの焼き餅だって事はな。俺がアンネローゼを密かに想っている、アンネローゼも俺に好意を持っている、そう勘繰っているらしい。何考えてるんだよ、何処の世界に皇帝の寵姫に懸想する阿呆がいる。禁断の恋とかそんな事が有るわけないだろう。
だが貴族の令嬢達の間では俺とアンネローゼは密かに想い合う仲なんだそうだ。ベーネミュンデ侯爵夫人に俺がアンネローゼの事をべた褒めしたと広まっているらしい。震源地はリヒテンラーデ侯だな、あの場に居たのは爺と俺だけだ。
俺がいくらそんな事は無いと言っても信用しないんだからな。××伯爵家の××ちゃんが言っていたとか、○○子爵家の○○ちゃんも言っていたとか、エリザベートは泣きそうな顔で言い募る。女ってのはどうしてそんな阿呆な話を信じるんだ? 頭が痛いよ、俺の方が泣きたくなった……。
あのクソ爺、余計な事を言いやがる。おかげでブラウンシュバイク公爵邸はマグニチュード九クラスの大地震だ。俺は公爵邸を出て何処かへ緊急避難したくなったよ。爺の前世はナマズだな、大ナマズだ。これからはナマズジジイと呼んでやる。諸悪の根源よりはましだろう。
おまけに俺が宇宙艦隊司令長官になると知った馬鹿貴族共が正規艦隊司令官になりたいと騒ぎだしやがった。ここ最近勝ち戦が続いているからな、戦争なんて簡単に勝てると勘違いしたらしい。何処まで馬鹿で阿呆なのか……、ドーソン以下だな。
お前らみたいな阿呆で無責任な屑どもに艦隊司令官なんぞ出来るわけないだろうが! 一兵卒にして最前線で弾よけになら使ってやる。おまえらなんかダース単位、いや師団単位で戦死したって痛くも痒くもない、なんなら俺の手で磨り潰してやる。
“こんなはずじゃなかったー”とかお前らが泣き叫んでいる姿を見て大笑いしてやるぜ。録画して平民達に売り出してやる、飛ぶように売れるだろう。記録的な大ヒット商品だ。平民達の不満も大分収まるだろうな、俺の鬱憤も半分くらいは晴れるに違いない、ざまあみろだ、ケケケ。
あー、ウンザリだ。元帥杖の授与式が終わったら宮中主催の祝勝会、それからブラウンシュバイク公爵邸での祝勝会兼婚約発表会。それが終わったら宇宙艦隊司令長官の就任式……。どれも主役は俺だからな、訓練とか仕事が忙しいとか言って抜け出す事も出来ん。地獄だ……、生まれ変わったら養子にだけはならん、絶対にだ。
それにしても気が重いよ、元帥になったからマントとサッシュを付ける事になったんだけど白のマントって何だよ一体。爺様達はグレーのマントを身に付けている、そんなところに若造の俺が白なんて付けて行けるか! 大体白はラインハルトの色だろう、俺は黒が良いんだ、黒が!
おまけにこのサッシュの色……、ピンクだぜ、見る度に溜息が出る……。まあ変なピンクじゃなくて上品な朱鷺色って言うのかな、そういう落ち着いた色なのが救いだけどこんなの恥ずかしくて付けられないよ。
大公夫人もエリザベートも俺の希望は無視だ。黒は縁起が悪いだの、皆から怖がられるだとか言って白のマントと朱鷺色のサッシュにしてしまった。養子って本当に立場が弱いよな、涙が出てくる。俺が正装するとカワイイとか言い出す始末だ。可愛くて悪かったな! 俺は母親似で女顔なんだ、気にしてるんだぞ、これでも。宇宙艦隊司令長官がカワイイとか一体何の冗談だ!
落ち着け、とりあえず一週間だ。一週間この白のマントとピンクのサッシュを付けよう。その後は汚れるからと言ってサッシュを黒系統の色に変える。そして時間をおいてマントも黒に変更だ。少しずつ、少しずつ既成事実を積み上げるんだ。この手の問題は焦っては駄目だ、まして女相手にはな……。
式部官が何か声を張り上げてるな、フリードリヒ四世が来やがったか。どうせなら二日酔いでアンネローゼの所でひっくり返っていれば良いのに……。しょうがない、そろそろ準備するか……。
「ブラウンシュバイク公、エーリッヒ殿!」
分かった、分かった、今行くよ……。
帝国暦487年 4月 13日 オーディン 新無憂宮 黒真珠の間 ナイトハルト・ミュラー
古風なラッパの音が黒真珠の間に響く。その音とともに参列者は皆姿勢を正した。もちろん俺もだ、こんなところで不敬罪などで捕まりたくはない。
「全人類の支配者にして全宇宙の統治者、天界を統べる秩序と法則の保護
者、神聖にして不可侵なる銀河帝国フリードリヒ四世陛下の御入来」
式部官が声を張り上げると帝国国歌の荘重な音楽が黒真珠の間に流れた。そして参列者は皆深々と頭を下げる……。
そろそろ良いかな? 頭を下げたまま周囲を窺う。皆まだ頭を下げたままだ、もう少しか……。周囲が頭を上げ始めた。ゆっくりと俺も頭を上げると皇帝フリードリヒ四世が遠目にも豪奢な椅子に座っていた。あれ、どんな座り心地なんだろう……。
黒真珠の間には大勢の人間が集まっていた。皇帝の玉座に近い場所ほど帝国の実力者と言われる大貴族、高級文官、武官がたたずんでいる。彼らは幅六メートルの赤を基調とした絨緞をはさんで文官と武官に分かれて列を作って並んでいた。
一方の列には文官が並ぶ。国務尚書リヒテンラーデ侯、カストロプ財務尚書、フレーゲル内務尚書、ルンプ司法尚書、ウィルへルミ科学尚書、ノイケルン宮内尚書、キールマンゼク内閣書記官長。
反対側の列には武官が並ぶ。エーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、クラーゼン元帥、オフレッサー上級大将、ラムスドルフ上級大将。
ブラウンシュバイク大公は名目だけとは言え元帥位を得ている事から武官の側に並んでいる。そして今日、ブラウンシュバイク公爵家からもう一人帝国元帥が誕生する。エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク公爵だ。
「ブラウンシュバイク公、エーリッヒ殿!」
式部官の朗々たる声がエーリッヒの名を呼んだ。その声とともに絨毯を踏んで粛々とエーリッヒが陛下に近づいてくる。
黒の軍服に身を包み、元帥に昇進することから肩章、マント、サッシュを身に纏っている。マントの色は白だ。そして薄い上品なピンクのサッシュと金の肩章をつけている……。結構お洒落だな、軍人というよりは何処かの貴族の若様といった風情だ。華奢で小柄だし顔立ちも優しげだから若い娘達が騒ぐだろう。
アントンの話では本人は黒のマントと黒のサッシュを望んだそうだがそれだとちょっと地味だよな。大公夫人とフロイラインが反対したそうだがその気持ちは分からないでもない。まあピンクのサッシュは少し可愛らしすぎるが白のマントは良く似合っている。本人は白のマントを嫌がるかも知れんが誠実そうに見えるし清新な感じだ。
皆、居心地悪そうな表情をしているな。大勢の貴族達にとっては嘗ては敵対していたエーリッヒが自分達のトップになっているわけだから確かに表情に困るよな。軍人たちも同様だな、二十歳を過ぎたばかりのエーリッヒが元帥、宇宙艦隊司令長官だ、実力が有るのは認めているだろうが戸惑いもあるだろう。
エーリッヒが玉座の前に立った。そして恭しく片膝をつく。皇帝は少しの間エーリッヒを見ていた。
「ブラウンシュバイク公、このたびの武勲、まことに見事であった」
「臣一人の功ではありません。イゼルローン要塞駐留艦隊司令官、ゼークト大将を始め皆の協力の賜物であります」
「そうか、そちは謙虚じゃの」
「恐れ入ります」
「珍しい色のサッシュじゃ、……ピンクか」
「……」
普通返事をしないと不敬罪とか言われるけど、これは仕方ないよな。答えろっていうのは酷だろう。
「アマーリエとエリザベートの言う通りじゃの。よう似合っているぞ、なんとも可愛らしい事じゃ」
「……恐れ入ります」
皆、顔を見合わせているな。中には笑いを噛み殺している人間も居る。多分エーリッヒの顔は引き攣っているだろう。可愛いって言われるのを極端に嫌がるからな、暫くは傍に寄らないようにしよう。からかうなんてもってのほかだ。
ブラウンシュバイク公、元帥、宇宙艦隊司令長官、そのどれか一つでも怒らせるのは危険なのに今のエーリッヒは三つを兼ねているんだからな。怒らせるなんて自殺行為だ。俺はまだ死にたくない。クワバラ、クワバラ。
皇帝陛下は上機嫌で笑うと、式部官から渡された辞令書を読み始めた。
「イゼルローン回廊における反乱軍討伐の功績により、汝、エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク公爵を帝国元帥に任ず。帝国暦四百八十七年四月十三日、銀河帝国皇帝フリードリヒ四世」
エーリッヒは立ち上がって階を上ると最敬礼とともに辞令書を受け取った。ついで陛下から元帥杖を受け取りそのままの姿勢で後ろ向きに階を降りる。気をつけろよ、転ぶんじゃないぞ。階を降り終わると皇帝フリードリヒ四世に対して最敬礼をした。
その後数歩後ずさり華奢な体を翻す。身に纏う白のマントが微かにはためき、ピンクのサッシュが現れた。そのまま、ほんの数秒の間、エーリッヒは黒真珠の間を見渡した。怒ってるよな、多分。皆顔を伏せてエーリッヒを見ないようにしているんだから。大体肩が震えている奴もいる。
皇帝フリードリヒ四世を背後に黒真珠の間の廷臣を見渡す。廷臣達は皆顔を伏せエーリッヒの威に恐懼しているように見える……。音楽が流れ始めた、勲功ある武官を讃える歌、ワルキューレは汝の勇気を愛せり。その音楽とともにエーリッヒは歩み始めた。近づくにつれ彼の頬が引き攣っているのが分かった、当分近づかない事にしよう……。
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