婆娑羅絵巻
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閑話
初戀と轍
前書き
五か月前:安土城~天守閣~
青年は短く揃えた錆色の髪を揺らし、キシキシと軋む木製の階段を登っていく。
階段を登り続ける足元をまるで自分ではない何かが身体を動かしているかのような、そんな錯覚に陥りながら目的の場所である楼閣へ登っていく。
____壁掛けの南蛮鉄で出来た燭台から漏れ出る頼りなげで、不安定な光に照らされる青年の影は青年の姿形とは全く異なる鎧武者の形を象っている。
武者から発せられる漆黒の炎は青年の身を包み青年が今まで溜め込んできた孤独や怨み辛みを燃やし尽くすように火柱を上げている。
だが、不思議なことにその炎が他の物に燃え移ることは無いのだった。
青年の名は織田、あるいは神戸 信孝(おだ/かんべ のぶたか)、第六天魔王・織田 信長の三男である。
彼は幼少期から織田家の繁栄の為に神戸家に養子入りしていた。
無論、そこに本人の意思は存在しない。
全ては織田家の為という意思より、当時男子の居なかった神戸家を乗っ取る為に養子に出されたのである。
養子入りしてまもない頃、信孝は畏怖されては居たものの特に不快な思いをするような事はなかった。
だが成長し、この『影』を引き連れ戦場に出陣するようになってから明らかに周りの目は畏怖と共に嫌悪の視線を向けるようになった。
それ以来、食事に毒を混ぜられたり鷹狩の最中に刺客を送り込まれたりするなど明らかに神戸家は信孝の命を狙う様になる。
その度に彼はその下手人を始末してきた、男女関係なく平等に。
そして何があろうとも彼は平然と何事も無かったかのように振る舞った。
此処で喚き散らそうが味方は誰一人居ない、更にそんなことをすれば気が狂ったのではないかと嘲られ織田家に戻されるのがオチである。
だから敢えて、平然としていた。
自分の居場所を荒らされることがないように、そして何より神戸家の人々を刺激しないように。
だが信孝の今までの苦労を裏切るかのように先日、事件が起きた。
神戸家当主であり信孝の養父であった神戸 具盛(かんべ とももり)が幽閉されていた寺で何者かに暗殺されたのだ。
神戸家中の者は皆、声を揃えて具盛暗殺を命じたのは信孝と言った。
それもその筈、具盛が幽閉されたのは信孝を冷遇したことに怒った信長による命によってなのだから。
しかも具盛が幽閉された後、神戸家の実権を握ったのは信孝である。
その後も信孝は神戸家の実権を握って居たものの当然ながら、神戸家の一族や家中の者は『具盛を殺した張本人が政を行うとは何事だ』と猛反対したものが殆どであった……が、今は反対するものなど誰一人居ない。
強大な力に抵抗した者の末路を見れば嫌でも従わなければ、命はないということを実感したためだろう。
_____神戸一族や一部の反対した家中の者らとその一族は皆殺し、男らの首は老若関係なく晒し首となり城下の大橋の周辺は凄惨な光景が広がった。
女子供は男共より先に殺され、無造作に塚に埋められたという。
中には捕えられていた際に織田兵から辱めを受け、処刑される前に自ら自害した女らも居たそうだ。
当然ながら男らは自らの娘や妻が辱めを受け、惨めに死んでいったのを見聞きしたのだから穏やかに逝ける訳が無い。
死に際に、ある者は織田家の行く末を呪いながら、ある者は全てを諦めた無の表情をし、またある者はこのような苛烈な事をして何になると織田家を哀れみ死んで逝き、城下に晒された沢山の首は死に顔とは到底思えないなような生々しく、重苦しい表情を浮かべていたという。
その反対に、信孝の許にはあれほど待ち焦がれていた平穏の日々が訪れた、……表向きには。
今まで養父や養母に冷たく扱われ、家中の者らには陰口を叩かれるわ命を狙われるわで居場所のなかった信孝に、まるで追い討ちをかけるように後に残った後悔と罪悪感が重くのしかかっていた。
____他に方法は無かったのか
こんな惨事となるのなら、自分が養子入りする前に潰していた方が神戸の家の者達は後悔も残さず自分の大切な
人と死ねるような、マシな死に方だったのではないか?
そう考えるほどに無惨だったのだ、神戸一族の最期は。
最近はあまり眠れていない、寝ても悪夢に魘されて起きてしまい結局は起きたまま、いつの間にか朝日が照らし始める。
最近、ずっと聲が聞こえるのだ、自分を責め立てる神戸一族の聲が。
___お前のせいで我が一族は亡んだのだ…___________
____全てお前のせいだ…お前のせいで我が一族は…____
今だってそう、延々と耳元で呪い続けている。
酷い時は1人でいる時に『奴ら』が現れ、同じ闇へ引き摺り込もうと足元に黒い『沼』の様に拡がり足を引っ張ってくるのだ。
その度に僕は恩師から貰ったロザリオを握りしめて祈り目を瞑る。
それを合図にと傍にいる『鎧武者』が剣を『沼』に突き立てる。
そうすると『沼』は男にも女のようにも聞こえる奇妙な…気味の悪い叫び声を挙げ消え去っていく。
そして沼が消え去り、落ち着きを取り戻すと何故か、遠い昔の初戀の記憶を思い出すのだ。
生涯、忘れることはないであろうあの情景。
……あれは僕がまだ十二歳の、神戸家に行く前夜のことだ。
_______朱色の舞台の上で車前草紋の千早を纏った『菫色』の眼の可憐な少女が神楽鈴と五色布を用いて舞う姿。
彼女の愛らしい桃の花弁のような唇から紡がれる祝詞が辺りに響き、五色布と共にくるくる廻れば季節外れの花が咲き乱れていく。
咲き乱れる花の真ん中で神々を讃える詩を謳い舞う少女のあまりの美しさに、まるで自分と少女だけが流れる時から置いてけぼりにされた空間に封じられたようにさえ思った。
そして、ふと自分はこの舞を何処かで見たことがあるように感じたのだ。
________誰か、自分の愛しい人が何処かの同じような舞台で舞い続け、自分はその舞に併せて竜笛を吹きながら彼女の舞に見蕩れている。
そして彼女は舞い終わると此方に駆け寄り自分は彼女を抱き寄せ、愛おしげにその頬を撫でていた。________
そんな幸せな男女の睦みあう姿が脳裏を過ぎっていった。
その『彼女』が目の前で舞っている少女に面影が重なるのだ。
別に目の前の少女が運命の人とか、そういう風に感じたわけじゃあない。
だが、少女が舞う度にその『彼女』の面影がどんどん濃くなっていくのに目を離すことが出来なかった。
_____気が付けば僕は欄干にから身を乗り出し、必死に少女を目で追っていた。
傍に居た父は一瞥しただけで叱咤するどころか注意もせず自分も少女の舞に視線を戻し、少女の舞を見続けていたのは覚えている。
だが、あの日叱咤されていたとしても僕は欄干から身を乗り出すのをやめなかったと思う、自分の求める何かが少女から発せられているように感じたのだ。
恐らく僕にとって、これが初戀だろう。
所謂、淡くて思ゐ出になるだけの儚い戀ではなく、炎々と燃え盛り年々想いが降り積もっていくような戀。
その舞を見た後日、間もなく僕は神戸家に養子入りし地獄のような毎日を送ることとなった。
そんな地獄のような日々を幼かった自分が送ってこれたのはこの初戀の記憶を糧に生きる希望を生み出していたからだろう。
……いつか自分があの娘に再会し、願わくばこの想いが報われることを願い続けた。
だが、その希望という名の願いはある日唐突に砕け散った。
養子入りしてから約一年後、織田に戻り父と謁見した時のことだ。
父に神戸家の動向を告げていた時、父が目線を僕の後ろに移した。
僕も釣られて振り返ると
そこにはあの日の少女が立っていた。
あの時がこれ迄の人生の中で激しい喜びを感じた時であろう。
父は再び口を開くとこう言った。
……少女、巡音は我が娘となったのだと。
父の娘。
即ち僕からすれば【妹】、そう皮肉な事に僕らは文字通り【妹背】になった。
激しい喜びを感じたと同時に、深い絶望を感じるとは神も皮肉なことをするものだ。
僕は兄弟の【妹背】だと、願わなかったのに。
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