SNOW ROSE
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廃墟の章
Ⅳ
翌朝のことである。この宿より四人の人物が、広大な森の中へと旅立った。
「お気を付けて。何かありましたら、直ぐに引き返して下さいね。」
ハインツが出発する四人へと、少し心配そうに言った。四人とは、レヴィン夫妻とマーガレット、そしてミヒャエルである。マーガレットとミヒャエルは、レヴィン夫妻に半ば強引に頼み込み、この旅路に同行させてもらうことにしたのである。四人は近くの農家よりラバを借り、そのラバに荷物を積んでフォルスタの街を立ったのであった。
目的地とする廃墟の街は舗装とはゆかないまでも旧道跡が残されており、歩く分にはさして苦はなかった。しかし、廃れてからの年月は長いため、木々の枝が長く伸び、少し脇に逸れれば人の丈程もある草が生い茂っていたのであった。それを一々短剣で刈りながらの旅路は、道が良い悪い云々とは別物であり、到着までに二十日を計画していたが、未だ廃墟の気配すら感じられない有り様であった。
「こりゃ…困ったなぁ…。」
ミヒャエルが、目の前にあるものを見て溜め息を洩らした。そこにあったものとは、落雷で倒れたらしい大木であり、それが彼等の旅路を妨げているのである。
「迂回…ってもなぁ…。こう草木が生い茂ってちゃ、まともに道なんて無ぇしな…。だからと言って、こいつを動かすのは…。」
ミヒャエルだけでなく、マーガレットもレヴィン夫妻も、この大木を動かす知恵など持ち合わせてはなく、暫くは四人であれこれと考えを出していた。
「仕方ありませんわね…。日も傾きかけて参りましたし、今日はここで休みましょう。少しずつ切ってゆけば、数日でどうにかなりましょうから…。」
ここでジタバタしても仕様がないと言った風に、エディアが苦笑混じりに言った。マーガレットもそれに賛同し、同じくヨゼフも妻の提案に賛成した。そして、ミヒャエルはそんな三人を見ながら、目の前の忌々しい大木を蹴って溜め息を吐いたのであった。
しかし、この人の丈程もある大木を如何にしたものか、皆途方に暮れているのが実状なのである。これを退かさない限り、この先へと歩みを進めることは出来ないのであるのだから。
日は遥か遠くへとその姿を沈め、代わりに星々を統べる雄大な月が姿を顕にした。
一行は横たわる大木の前より動くことが出来ないため、野宿の段取りを調えていた。枯れた小枝を拾い集め、そして竈を組んで火を起こしたのであった。皆旅慣れているため、こうしたことは手馴れていた。レヴィン夫妻はもとより、マーガレットとミヒャエルも長い間旅をしていたため、この旅でもその経験が大いに役立っていたのであった。だが、大木を退けた経験などあるはずもなく、これをどう乗り越えるかが今最大の難事であった。
その夜のこと。皆火の周りで寝静まり、火の番を一人ずつ交代でやっていた。暫くは何事もなく、周囲の森も小動物などが時々活動している他は、特に気に止める程のことはなかった。
それがミヒャエルの番となった時である。暫くは火の爆ぜる音と、森から聞こえる風などの微かな音だけが響いていた。
しかし突如、近くの茂みから大きな音が聞こえてきたためミヒャエルはそれに驚き、短剣に手を掛けて茂みを警戒したのであった。
「誰だっ!」
小さいながらも鋭い声で、ミヒャエルは茂みへと声を掛けた。獣であるならばミヒャエルにでも分かるが、その音は獣のそれとは全く異なり、明らかに人間のものであったのである。そのため、ミヒャエルは精神を研ぎ澄まし、茂みから何か応答がないかを待った。
どれ程の時が経ったであろうか、暫くして一人の男が茂みから現れた。その男の風貌は、誰が見ても一目でそれと解るもので、ミヒャエルは男を見て自らの目を疑ったのであった。
「な…何故に神父がこのような場所に…!?」
驚きのあまりミヒャエルは声を上げてしまい、その声に皆が目を覚ましてしまった。そして、目の前に立つ見知らぬ男を見て、何事が起こったのかと目を瞬かせたのであった。
さて、その神父服の男は、さも済まなさそうな様子で火の前に立ち、その素顔を明らかにしてから言ったのであった。
「驚かせてしまったようで、大変申し訳ない。」
そう言う男を見ると、その顔は無精髭で覆われ、服もかなり傷んでいた。その事から、この男も旅人であることが窺えたが、何故このような寂しい場所に、それもこのような時間に一人きりで居るのかを、皆は理解に苦しんだのであった。
その男は、皆が訝しんでいるのを知りつつも、暫くはただ佇んでいるだけであった。四人が男を警戒しながら観察して見ているのと同じく、男もまた四人を観察している様子であったが、男は不意に口を開いて名を明かしたのであった。
「私はロレンツォと申します。このような身形で心苦しいのですが、何分、廃墟暮らしで儘ならぬことも多く、今は薬草を採りに出ておりました。」
ロレンツォと名乗った男の話をそこまで聞くや、四人が四人とも絶句したのであった。
それもそうであろう…例の目的地である廃墟である。人が離れて久しいその街に、一体誰が人が住まうなど考えようか。そこで好奇心旺盛なマーガレットが、ロレンツォへ何故にその様なことをしているのか問い掛けたのであった。
その問い掛けに、ロレンツォは静かにこう答えたのである。
「ある時、聖エフィーリア様が私のところへと姿をお顕しになり、神託をお告げになったのです。私はその神託を守るよう申し付けられたのです。聖エフィーリア様は私に、こう告げられたのです。」
そう言うとロレンツォは、まるでその時を思い出すかのように目を閉じて、聖エフィーリアからの神託を語り出したのであった。
「汝、かの地に在りし過ぎ去りし街、人々の捨て去った街へと赴き、その街を訪れし者等に原初の神の御言葉を述べ伝えよ。そうして後、街を訪れし者等の中に、王国を統べる者現れん。その時、神は汝に更なる御言葉を授けられるであろう。汝よ、その時まで堪え忍び、如何なることがあろうとその地を出てはならない。全て述べ伝えた時、汝は幸いの花園へと招かれるであろう。雪の如く純白なる白き薔薇咲き誇る園へと…。」
歌うように紡ぎ出された神託の言葉は、四人の旅人を驚嘆させるには充分だと言えた。特に、白薔薇の伝説は有名であり、別名「雪薔薇」としても長らく語り継がれてきていたのである。
しかし、時の王リグレットを奉じたリーテ教を国教にした際、この伝説は異端とみなされてしまい、それらを記した世俗の書物は皆、リーテ教信者によって焼かれてしまった時代があった。それ故、聖文書以外の編纂されなかった古文書の大半は、この時代に失われてしまい、一部はこうして口伝によって受け継がれてきたのである。
「しかし…聖エフィーリアがこのような時代に神託を下すとは…。」
衝撃のあまり皆口を鉗んでいたのだが、ミヒャエルはそんな静寂の中、ボソッと呟いたのであった。
彼の疑問は尤もなことと言えるだろう。この王暦の晩年とも言える時代、宗教はその意味に於て、既に衰退の一途を辿っていたのである。宗教がその精神を残せていられたのは、もはや音楽や絵画などといった芸術分野の中だけであったのである。
それについては、音楽家であるレヴィン夫妻はよく理解していたであろう。それ故、エディアはその細やかな問い掛けに、伝承の言葉を用いて答えたのであった。
「ヴァール伝原書によれば、“人の心、原初の神より冷め離れし時、必ず新たな律法もて邪なりし者らを律さん”とありますわ…。私達は恐らく、神の御心から遠く離れてしまったのかも知れませんわねぇ…。」
エディアが感慨深げにそう言うと、マーガレットはそれに答えるかのように言葉を継いだ。
「私も、その伝承は知っているわ。レヴィン兄弟や女神の騎士の伝説も、それに由来しているようだけど…。でも、もしそうだとしたら、今がその時と言うことなのかしら…?」
ロレンツォとの出会いが街中であったなら、恐らく四人の対応は違っていたであろう。しかし、レヴィン夫妻は祖先の墓、それも伝説となったジョージとケインの墓を探そうと旅してきたのである。マーガレットとミヒャエルにしても小説のためではあるが、古文書や遺跡などを調査する旅をしてきたのであるから、皆ある種、伝説を追う旅をしてきたとも言えよう。その点からみて、この森でロレンツォと出会ったというのは、偶然というよりむしろ必然と言った方が良いのかも知れない。
「しかし…現在の国教はリーテ教で、時の王リグレットを奉じている。何故ヴァール教で奉じている聖エフィーリアが神託を下したのか…?」
後方で腕組みをしながら、ヨゼフは不思議そうにロレンツォへと尋ねた。
「そうですねぇ。先ず言えることは、元来、原初の神を崇拝するシオン教が二つに分裂したこと。そして、時の王と大地の女神は夫婦であることが挙げられます。人々や自然に関連した神託を下されるのは、大地を統べよと命ぜられた聖エフィーリア様が下すのは、しごく当然とも言えましょう。」
ここで語られた「シオン教」とは、聖文書大典の編纂以前の古宗教であり、純粋に原初の神を崇め、その戒律を頑なに守っていた宗教である。現在、その教えは完全に失われており、失われた切っ掛けはプレトリス王国誕生の際に起きた大戦が原因とされていた。この大戦の最中に、時の王と大地の女神の伝説が生まれたため、人々はこの二人の聖人を頂点として二つの宗教を興したと考えられているのである。余談ではあるが、ヴァールもリーテも聖文書の著者である。ヴァールは大地の女神エフィーリアを中心に著し、リーテは時の王リグレットを中心に著したために、分かれた二つの宗教には彼らの名が付けられたのである。
「そう深く考えないで下さい。私も未だ、この神託の本当の意味を理解しかねているのですから…。そうだ、宜しければ別の道をお教えします。この大木を退けて進めずにここへ留まっているとお見受けしますので…。」
ロレンツォがそう言うと、四人は目をキョトンと丸くしてしまったのであった。その中で、ミヒャエルは「他に道があるのか」とロレンツォへ尋ね返したのである。
「はい。私はそちらの道を通りここまで薬草を採りにきたのです。まぁ、草や小さな木を刈らねばなりませんが、すぐ隣に位置してますし、そう時間も掛からないでしょう。日が昇ったら始めましょうか。」
ロレンツォにそう言われ、四人は一先ず安心したのであった。このままでは、いつになったら出発出来るのか解らなかったからである。
そうして後、ロレンツォはそのまま四人の元へ留まり、共に朝陽が昇るのをまったのである。彼ら四人を廃墟へと案内する役も引き受けてくれたため、レヴィン夫妻は喜んだのであるが、マーガレットはロレンツォのことを俄には信用出来ず、それを露骨に態度へ出すことがあってミヒャエルに諌められることもあった。
しかし、そんなマーガレットに対しても、ロレンツォは寛容に許していたと言われている。これもまた必然なのか、それとも神の気紛れなのか…。
それが解るのは、少し先のことである。
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