Fate/Flood myth
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第二話『幽玄の奏者』
「……、ぐ、……ぁ……」
『目は覚めたか、マスター』
兆仕は胸元に残る痛みの残滓に顔を歪め、ゆっくりと目を開ける。
そこは工房内に置いてあった寝室で、一応は実家が金持ちな為に豪華な作りだ。柔らかなベッドに包まれてぼんやりとした思考を無理矢理叩き起こし、現状を正しく認識する。
一体何が起きたのか――そう、あの魔術師はサーヴァントの召喚に成功はしたものの、サーヴァントを従える事には失敗した。憎き魔術師は己が呼び出した筈の彼女に殺され、そして何の気まぐれか、この歪兆仕は彼女に気に入られたらしい。サーヴァントを使役する存在、マスターとなったのだ。
それが夢でなかった事は、この腕に刻まれた真紅の聖刻――令呪が証明している。
「……聖杯、戦争」
七人の魔術師たちの殺し合い。万能の願望器を奪い合う、醜く歪んだ魔術戦争。それが、兆仕の中での聖杯戦争の事前知識だった。
剣の英霊、『セイバー』
弓の英霊、『アーチャー』
槍の英霊、『ランサー』
騎乗兵の英霊、『ライダー』
魔術師の英霊、『キャスター』
暗殺者の英霊、『アサシン』
――そして、狂戦士の英霊、『バーサーカー』。
基本的にはその七騎により闘争が行われ、その頂点を競い合う。が、しかし、ごく稀に聖杯戦争そのものにイレギュラーが混じる時がある。それを諌める為の存在が、エクストラクラス。裁定者の英霊、『ルーラー』であり、そのイレギュラーに含まれるのが同じくエクストラクラス、復讐者の英霊――『アヴェンジャー』なのだ。
彼女は自身を、バーサーカーでありアヴェンジャーだと言った。しかし、アヴェンジャーは本来召喚されることの無いサーヴァントであり、そもそも一人のサーヴァントに二つのクラスが重複するなど聞いた事もない。
『前例が無ければ出来ないという事でもあるまいよ。元よりアヴェンジャーは定義が曖昧だ、元となった英霊が復讐を求めんとするものであれば故、復讐者のクラスとして召喚される事もある』
「……あぁ、そういえばサーヴァントとマスターの間では念話が可能、だったか。人の思考を勝手に覗き見るなよ、バーサーカー」
『クハハッ、許せよマスター。なぁに、共に茨生い茂る嵐の道を行こうと言うのだ、相方が何も知らぬ迷子の仔犬であれば、懇切丁寧に説明してやるのも必要経費というものだろうよ』
微妙に癪に触るその言い回しに舌打ちし、痛む身体を無視してベッドから降りる。が、不意に全身の傷跡が痛み、足に入る力が緩んだ。足元から崩れ落ちると同時に、ふわりと甘い香りが届く。衝撃に備えて塞いだ目を開けば、眼前を紅い髪が包み隠していた。
いつの間にか実体化し、その優美な着物姿を晒したバーサーカーが、兆仕の体を支えていた為だ。
「――まだ傷が痛むか、仕方あるまい。致命の傷を自ら広げるような真似をしたのだ、寧ろその程度の影響で済んで僥倖と言うべきだろうよ」
「……よくもまあ、そんな状況からここまで持ち直したものだと、僕は自分を褒めてやりたいね」
「阿呆。我ら人外のような存在でもあるまいに、一日や二日で致命の傷が自然回復するものか。その治癒は、我が力の一端よ」
呆れたように言うバーサーカーはその尊大な言葉と裏腹に、丁寧に兆仕をベッドに下ろす。やなり異端とはいえサーヴァントと言うべきか、か細い男一人の体重程度、いとも簡単に支えられるらしい。
召喚当時は持っていた鉄剣も、今は持ち合わせていないらしい。霊体になれるのだから同然といえば当然なのだが、剣は消しているのだろう。
「……先に言っておくけど、僕は本来聖杯戦争に参加するつもりは無かった。聖杯戦争についてなんて、人並みにしか知らない」
「とうに知っておるわ。あの状況から察せぬ方が愚かしいというものよ、対策も考えておる。監督役に会えばよい」
聖杯戦争にはそれぞれ、それを監視する役目を担う監督役が一人派遣される。その原則は如何に本来『起こり得るはずのない』聖杯戦争といえども揺らぐことは無く、きちんと存在している。
京都市伏見区、伏見稲荷神社。その本殿に、この第八次聖杯戦争の監督役に任命された者が配属されている筈だ。
「お前、本当にバーサーカーかよ。狂戦士には見えないぞ」
「狂戦士のクラスではあるが、何も知性が無い訳ではない。我にとっての正気――それは汝ら人間の観点から見た場合の狂気なのだからな。お前達人間によって創られたこの戦争に於いて、我が『狂っている』と断ざれるも道理よ」
「成る程……人間からすれば、人間じゃないお前の言動は狂っている、と。そういう解釈も出来るのか」
「あぁ、傲慢な事だ」
忌々しげに呟くバーサーカーから視線を外し、付けっ放しにされていた腕時計を確認する。召喚の儀式が行われたのは深夜4時だった筈なので、18時と言う事は……約14時間。半日以上眠っていた訳か。
窓から外を見れば、夕日が美しい京都の街並みを照らし、今にも山の向こうへと落ちてこうとする。茜色の輝きに目を細め、それでも尚強烈な陽光に堪らず手で両目を覆い隠した。
カーテンを閉めて、部屋に視線を戻す。この工房の主人たる魔術師は、既にバーサーカーによって葬られた。この工房に住む者は今や、兆仕とバーサーカーのみ。
「……支度をする、手を貸せ」
「クハハッ!お前も物怖じせぬな、我を小間使い扱いか。かつての神々が今の我が身を見れば、なんと言うことやら」
口ではそう言いながらも、バーサーカーは兆仕の差し出した手を取り、彼に肩を貸す。しっかりと兆仕の怪我の具合を把握しつつ歩幅を調整している辺り根は親切なのだろうが、素直ではないらしい。
……魔術師は嫌いだ。聖杯戦争など、なんて無意味な闘争なのだろう。そう思っていた。
しかし今は、この聖杯戦争を組み上げた始まりの御三家に感謝せねばならない。お陰で――
――お前達を皆殺しにする希望が見えた。
ニィと、バーサーカーの口元に笑みが浮かんだのを、視界の端で捉えた気がした。
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「……窮屈なものだな、なんだこの奇妙な衣装は」
「仕方ないだろうが。僕が一人では動けない以上、お前に物理的に支えてもらうしか無いんだし、あの服だと目立ち過ぎる」
「世界がこれほど面倒になっていようとは……」
「尻尾は隠せるとはいえ、その髪でただでさえ目立つんだ。それぐらい我慢してくれ」
松葉杖を片手にバーサーカーに支えられ辿り着いたのは、伏見稲荷神社の大鳥居。数多の参拝客が行き来するその表参道の中心を歩くバーサーカーは、普段の着物姿ではなく、白いシャツの上からモッズコートを羽織っている。本来ならジーンズでも履かせるつもりだったのだが、『動き難くてかなわんわ!』とお叱りを受けた事により、妥協してホットパンツにした。
冬も進んだこの時期にホットパンツなど見ているこちらが寒いほどだと言うのに、当のバーサーカーは全く気にした様子もない。サーヴァントなのだから当然かもしれないが、それでも兆仕としては少しばかり腑に落ちない。
真っ白な息を吐きながら、冷たい風の流れる参道を登っていく。階段を登り、楼門を抜け、外拝殿を迂回し、本殿へと。
――近付こうとした所で、不意にバーサーカーが足を止めた。
「サーヴァント避けの結界か。……我が同行出来るのは此処までだ、その足でもこの程度の距離ならば辿り着けるだろう」
「サーヴァント避けの結界……?面倒なものを……」
「此処は、聖杯戦争を放棄した者のための中立地帯の役割もある。サーヴァントを寄せ付けぬよう結界を張るのも道理だ」
「……そうかよ。じゃあ、行ってくる」
バーサーカーが離れ、松葉杖で自身の体重を支える。よろよろとした足取りながらもなんとか歩行と言えるであろうものを成立させ、本殿に登り、案内を待つ。
手順は、魔術教会から送られてきた手紙通りに。
本殿では参拝せず、真正面に立って魔力を発する。すると幻覚の魔術に一時的な綻びが生じ、隠されていた扉を同封の鍵によって解錠、中に入る。後は道に従って進むのみだ、そのまま歩いていれば神社の地下に相当する場所に辿り着き、その最奥である部屋に、監督役は居を構える。
扉を開けれは、そこに居たのは一人の男であった。白髪ではあるが若く、アルビノ体質なのかと思えばしかしその目は黄金。外見だけ見れば、18か20そこらに見える。監督役として派遣されたからには、まあ違うのだろうが。
長袖のコートに覆い隠されてはいるが、その裾の端からチラリと令呪のストックが見えている。幾重にも絡み合った無数の譲渡可能令呪は、監督役が持つ特権の一つだ。
男がこちらの視線に気付き、ニッと何処か食えない笑顔を浮かべる。
「おや?早いね、リタイア希望かい?」
「……不測の事態により、マスターとして聖杯戦争に参加する事になった。聖杯戦争の詳しいルールを教えろ」
「……成程、バーサーカーのマスターか……いや、これは……成る程、面白いね。いいだろう、そこに座るといい」
男は面白そうに一つ笑みを浮かべると、その腕を捲る。刻まれさ無数の令呪を惜しげも無く晒した監督役の男が、その令呪の一角に魔力を込め始める。何のつもりだと声を発する前に、男はその令呪を起動してしまった。
暴力的なまでの魔力がその刻印から発生し、彼の言葉と同化して絶対命令が行われる。
「『裁定者』の名の下に、令呪を以って命ずる――此処に来い、"バーサーカー"」
「なっ……!?」
令呪に乗り舞い上がったその言霊は、次元を超える魔法級の力となり、サーヴァントを瞬間的に転移させる。それは令呪によってのみ可能な、奇跡に等しい術式。しかし聖杯戦争に参加するマスターならば、その権限を三回まで許されている。無論ながら、『監督役には』令呪を行使する権限など、認められていない。
令呪に従い、赤髪の狂戦士が現れる。サーヴァント避けの結界はいつの間にか剥がれ、サーヴァントも出入りが可能になったらしい。彼女は己を呼んだ存在を視認すると、一つ小さな溜息を吐いた。
……サーヴァントに対する絶対命令権を認められるのは、マスターである魔術師。または、異例の聖杯戦争にのみ召喚され、聖杯戦争を在るべき姿へと戻す為派遣されるサーヴァント――『裁定者』のみ。
つまり。
「――裁定者が居ようとはな。どうやら、嵐の道は更に過酷になりそうだ」
この聖杯戦争には、何かが在る。
――いったい、何が起こっているんだろう。
「この冬空に、遥かな我が星は輝かぬ」
いつも通りの日常だった筈だ、いつも通り学校に通って、いつも通り買い物をして、いつも通り家に帰る。そんな何気無い日常。非日常なんてものとは無縁で、これからもずっと平和に暮らしたいと思っていた。
確かに、少し人と違うところはあるかも知れない。多少霊感?のようなものがあったり、孤児だったところを今のお母さんに拾ってもらったり、人と違う境遇ではあったかもしれない。でもだからって、こんな光景とは少なくとも無縁だった筈だ。
『――未だ才咲かぬマスター。申し訳在りませんが……その才、花開く前に枯れて頂きます』
突然に現れた、漆黒の肌をした髑髏の面の女。突然に訳の分からない事を言った彼女は流れるように、その懐から短刀を抜いた。
何故、それを躱せたのかは分からない。何か体に妙な脱力感が襲ってきている事と、何か関係があるのかもしれない。けれど、逃げても逃げても、髑髏面は追いかけて来た。私が一体何をしたというのか、私が一体何だと言うのか。何故、私が命を狙われなければならないのか。
この、右手に輝く紅い紋様は何なのか。
「しかし、しかし。我が最期、我が救いの恩義とし、人として、神として、成すべき仁義は忘れまい。であればこそ、私は貴女を護り、貴女を癒す音色となろう」
疑問はいくつもある、理不尽に対する嘆きはいくつもある。けれど、今は目の前に在る不思議な光景にただただ目を奪われていた――否、心を奪われていた。
私を殺さんとして迫った髑髏面の女は、今は私の視線の先で警戒しているかのように構えている。その警戒の相手は、勿論ながら私ではない。私と彼女の間を阻むように現れた、この不思議な雰囲気を纏った青年である。
肩よりも少し長く伸ばされた藍色の髪、真っ白なローブに包まれたしなやかな体。そして何よりも特徴的なのは、その体を半分を覆うかと言うほどの巨大な『竪琴』。
その美しい音色が冷たいソラに響くと同時に、髑髏面が投げる短刀が悉く弾かれていくのだ。
まるで癒しが、新たな傷を拒むかのように。まるで華やかな音色が、無粋な金切り音を弾き出すように。
彼は、謳う──。
「――サーヴァント、キャスター。貴女の助けの声を標べとし、此処に。我が音、我が謳を、貴女に捧げよう、マスター」
──幽玄の奏者は、今此処に。
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