【掌編置場】コーナー・オブ・テキストレムナンツ
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レッドホワイト・バレンタイン
甘くて、余くて、ほんの一筋ほろ苦い。
甘さと余さは恋の味。
ほんのちょっとのその苦さは、きっと、愛の味。
***
地球、特に俺の故郷たる日本において、2月14日というのは重要な意味を持つ。別に祝日というワケではない。海外ではどうなのか知らないが、日本では別に休日でも何でもない。カレンダーは赤文字ではない。休日にしてくれればいいのによ畜生め。
まぁ、休日にしてしまったら『渡すものも渡せまい』という、国側の粋な計らいなのだろう。そもそも義務教育課程では基本的に『不要物』として『ソレ』の持ち込みが禁止されているということは考えないのだろうか。いや人数的には小中学生よりかは高校生以上の人のが多いんだろうけどさ。それだったら社畜国家日本でなら普通に社会人は休日にしても出勤ではないだろうか。
……話がそれた。
ともかく。2月14日というのは、俗に言う『バレンタインデー』という奴である。聖ウァレンティヌス祭。恋愛と結婚を司る聖人の日。
もともとは、かつてローマ帝国で、故郷に恋人を残してくると兵士の士気が下がるということで(あれだ。「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ」という奴である。もちろん直接の関係は無いが)、兵士の無許可での結婚を禁止していた折、ウァレンティヌスというキリスト教の司祭が秘密裏に兵士たちの結婚をプロデュースしていたのがばれて、2月15日に在った豊穣を祝う祭日(その行事の中には合コン的なモノも含まれていた)の前日、というあてつけの意味も込めて彼を2月14に処刑したことに端を発する。
兵士たちの自由な結婚を推奨した聖人に敬意を表する日。まぁ諸説あるが、もともとはそんなものである。男性は女性に、女性は男性に、日ごろの感謝と愛を込めて贈り物をする――そんな日である。
ところが、これを祭典好きかつ商魂たくましいごっちゃまぜ国家日本は目を輝かせて『改造』した。
2月14日、バレンタインデーは、『女の子が好きな男の子にチョコレートを贈る日である』、と。
お分かり頂けるだろうか。うら若き乙女たちから幼女、果ては奥様方に至るまで、愛する人や家族に向けてチョコを作るあるいは買う。最近では同性同士での『友チョコ』とやらも流行しはじめ、ますます日本人はこの日にチョコ(あるいは材料)を買う。おまけに近年では海外にまでこの文化が逆侵食し始めたというではないか。
まさしく、お菓子会社の陰謀である。
付け加えると――人類の間で、『格差』が浮き彫りになる日でもある。
世の中には、『モテる男』と『モテない男』がいる。バレンタインデーにおいて、前者は勝利者だ。大量のチョコレートと愛を受けとり、暫くの間間食に困らず、更には誇りと栄光を得ることができる。そのくせ奴らは「こんなに食べきれないよ」とか苦笑するなどと言うさらなるイケメンアピールらしきものを繰り出し大量の女を落としていく。
対して後者は、完全なる敗者だ。義理チョコすらもらうことは出来ない。家族からのチョコレートすらないことも多い。残るのは妙な敗北感と心の傷、あと自分で自分に渡すためのチョコを購入した代償として削れた財布の中身である。
結論から言おう。
クソ喰らえである。なぜ偉大なるローマは聖ウァレンティヌスなどという人物を生み出してしまったのか。そして何故日本はこのバレンタイン商戦をつくり上げ、聖菓戦争を開幕させたのか。考えた奴を小一時間ほど問い詰めてギロチンにかけたいまである。
――なぜ、そんなことを言うのか?
簡単である。俺は、地球にいた時、完全なる敗者だった。クラスメイトの女子からチョコをもらったこともなければ、家族や親戚からもらった事さえない。気になる女の子が目の前で嬉しそうにクラス一のイケメンにチョコを渡しているのを見たこともある。本当にクソだと思うよ。
ただ、まぁ。
そんな生活とも、既にお別れを告げている。
別に勝者になったわけではない。俺は今も相変わらず敗者だし、モテない男のさいたる者である。
ではなぜ、敗者生活に終わりが告げられたのか?
答えは簡単である。
――俺が今いるこの世界は、地球ではないからだ。日本ではないからだ。
何だか良く分からないが、どうやら俺は事故だか何かで死亡し、異世界転生とやらを果たしたらしい。何だったかな……幼女が道に落とした人形を救おうとしたらトラックにはねられたんだったか。テンプレ過ぎて草も生えない。
ともかく、俺は剣と魔法のファンタジー世界らしき世界に転生し、24歳の絶賛就職活動中の無職人間ではなく、17歳の魔法学校の生徒として新たなる生活を送っている。
送っているのだが。
「はぁ……まさかこっちにも似たような行事があるとかクソですわ……またあの地獄を眺めることになるのか……うぜぇ……腹立つ……」
2月14日は、この異世界にも、存在したのである。
***
俺こと、この世界での名前、ソレイユ・グノーシスは、基本的には『雑魚』である。
異世界転生を果たしたらなんかこうチートとか、有利な環境とかが揃ってそうなものだが、特にそんなことは無かった。
俗に言う憑依転生という奴で、死亡したソレイユ・グノーシス少年の代わりに、同じく死亡した俺の魂が装填され、一介の魔法学校生徒としての第二の人生を歩んでいる。
ソレイユ少年の学業成績は絶望的だったようで、ぎりぎり留年していないとかそこらだった。幸いにして肉体に引っ張られているのか大まかな知識の把握とか文字の読み書きとかは出来たのだが、その魔法知識は穴だらけ、加えてソレイユ少年の魔法使いとしての性能ははっきり言って産業廃棄物。むしろ何故魔法使いを目指したのかこいつは、というレベルであった。
火、水、風、土、光、闇という六つの属性、そのいずれにも低い適性しか示さず、系統外となる無属性魔法にすら適正なし。独自の魔法たるユニークマジックも有しておらず、魔力もほぼ最底辺。およそ魔術師として必要なあらゆる条件がたいしたことなく、全くのゼロ、というワケではないのが唯一の救いと言うかさらにしょっぱさに拍車をかけているというか。
おまけに剣術などの物理攻撃方面にも一切の才能は無く、体力も少ない。筋肉もなく体は細く、おまけに背が高いわけでもない。体格差も生かせない。
まぁどうあがいても産廃なのである。
顔立ちはファンタジー世界だから、前世の俺よりはまだましだ。が、黒髪黒目に何の変哲もない、西洋人とも東洋人ともつかない外見と言う、こう、悪くは無いんだけど別にいいわけでもないし、普通と呼ぶにはちょっと不細工というか、そんな顔であった。
どう神々がビルドエラーを引き起こせばこんなのが生まれるのか、と思えるレベルだ。
だから俺は、この世界でも『敗者』である。
忌々しき2月14日。この世界では『聖アンリエッタ祭』というらしい。
大昔、旧世界と呼ばれる時代に世界を救ったとされる勇者、『邪神の勇者アンリマユ』という人物がいた。彼の永遠の恋人とされるのが、『聖女アンリエッタ』である。
今やそんなことは無いが、昔はこの世界には定期的に『邪神』なる存在が降臨し、勇者達の手によって斃されていたらしい。
アンリエッタはアンリマユと当時の邪神との戦闘において、邪神の一撃からアンリマユを庇って亡くなったそうだ。その献身的な愛に敬意を表し、アンリマユが2月14日を彼女の記念日とした、とされる。ついでにチョコを送らせる文化も付け加えた。アンリマユの好物だったらしい。
――ただの惚気じゃねーか。と、何度思った事か。しかも実際にあった出来事なのかすら怪しい。そりゃバレンタインの話も実在の話しなのかよく知らないけど、『旧世界』の情報はほとんど今の時代には残っていない中での噂では、信ぴょう性はあってないようなものである。
ただし、当時のことを知る人間が、西の果ての山にまだ一人だけ生きているとかいないとか。信じられん。それこそ眉唾だ。旧世界は二千年以上前の時代のことだという。エルフの様に長命の種族がいない世界ではないが、最高齢のハイエルフですらたしか1300歳である。それより長いとなるとそろそろ意味が分からなくなり始める。
まぁ真偽のほどはともかく。
忌々しきチョコ商戦の日はこの世界にも存在し、俺はまた、その流れから取り残されていくわけである。あぁ、クソッタレ……。
などと思っていると。
「先輩」
後ろから声をかけられた。
振り向けば、そこにいたのは輝かんばかりの美少女。
雪のような白い髪、絹の如き肌。黒縁眼鏡に隠された、宝石に例えることも可能な深紅の瞳は、今俺だけを写している。
魔法学校の制服に身を包んだ彼女は、
「おはようございます、先輩」
「あ、ああ、エルシャか……おはよう……」
俺のキョドった挨拶にも嫌悪の表情を見せず、微笑を浮かべるだけ。
エルシャ・マルクト。この世界に転生してから最初に出会った人物であり、一学年下の後輩である。
俺は今二年生だが、彼女は一年生の中でもトップクラスの実力をもつという。全ての属性の魔法をまんべんなく操る実力、高い戦闘能力、尽きない体力、そして何より人間離れした可憐さ。
人々からの人気が無い訳が無い……と思われるのだが、実は彼女の評価は学園ではあまりよくない。
なぜかと言えば、その目の色である。
赤。深紅。ガーネットレッド。真紅色。
それは、邪神の証である。
かつてこの世界を襲った邪神たちは、皆一様にこのガーネットレッドの瞳を持っていた、らしい。邪神を斃した勇者の一人、その恋人を讃えるために、聖アンリエッタ祭なるものを開くくらいだ。この世界の人間は邪神に関してかなり病的なアレルギー反応を起こす。
エルシャはその赤い目故に、学内でも排斥される立場にある。彼女が生活していけるのは、ひとえにその圧倒的な戦闘能力故に。
全く、彼女と敵対していなくて本当に良かった――と、いつも思って仕方がない。
「先輩、今日のご予定は何かありますか? ……すみません、無いですよね」
「ねぇ君俺のこと馬鹿にしてるの!? 悪かったなぁ光の曜日にわざわざあるアンリ祭に何の予定もない哀しい男で!!」
くすくすと可愛らしく笑うエルシャに、思わず突っ込みを入れてしまう。くそっ、どいつもこいつも! いやこの学校で話し相手なんざ精々エルシャだけだから『どいつ&こいつ』がいないんですけどね!!
「じゃぁ――」
するとエルシャは、微笑を浮かべて、言った。
「放課後、私とデートしませんか」
……パードゥン?
***
この世界の七曜表は、前述の属性に対応して、火、水、風、土、闇、光、そして無属性の日である『空』、だ。空の日は安息日と呼ばれ、基本的には仕事は無い。地球におけるそれとは違って『働いてはならない』というものではなく、『働かなくてもいい』日である。万歳。
対して、光の曜日――地球における土曜日にあたるこの日は、午前中は労働をしなければならない。つまり、学業は午前放課ではあるが存在するのである。俺が登校していたのはこれが理由で、エルシャが放課後、と言ったのは、午後がまるまる空いているからである。
……まるまるである。くりかえす。まるまる空いているのである。まるまる空いているのである。大切な事なので何回でもいう。
さすがにずっと一緒に行動するなんてことはあり得ないと思われるが……。
「……いや、確かにエルシャと友達なのなんて俺くらいだとは思うけどさ……」
町の中心にある広場、その噴水の淵にテンプレートにも腰かけ、俺は天を仰いで独りごちる。
デート。女の子と二人でお出かけ。フィクションの中でだけ起こり得るものだと思っていた。何着ていけばいいのか良く分からなかったのでてきとーに持ってる服の中で悪くなさそうなやつを選んだ。私服センスはねぇんだよ悪いか、あぁん?
ともかく、女の子と二人で、プライベートに出かけるのは、前世含めてこれが初めてである。
そもそもどうしてまたこんなことが起こったのかがまず理解できない。
エルシャと俺が初めて出会ったのは、今年の五月……俺がソレイユ少年に憑依したのは去年の三月の事なので、転生してから二か月後の話である。
魔法学校では毎年五月に、近隣のダンジョンに出かけてタイムアタックをしかける『攻略祭』というものをやる。地球で言えば運動会のようなもので、ここでもまた格差が露見するのだがまぁ危険度は段違いだ。
パーティを組んで参加するのが義務なのだが、残念ながらクソザコナメクジの俺と手を組もうなどと言う生徒は誰もおらず。しかして参加もまた強制という、なんともまぁぼっちに優しくないシステムである。ソレイユ少年は去年どうやってしのいだのだろうか……などと途方に暮れていると、一人だけ、パーティを組むあてがないのか、うろうろしている無表情な少女を見つけた。それがエルシャである。
お互いにパートナーが見つからないということで、互いの戦闘力は期待しないことを条件にコンビを組むと、俺達はダンジョンに突撃。……結果として、エルシャ一人でその圧倒的な戦闘能力で行く手を阻むモンスター達を殺戮し、そこそこのタイムでゴールした。
以後、エルシャは徐々に俺に話しかけることが多くなり、二月である現在では大分親しい間柄になった、のではあるが。
それとこれとは話が別である。
まさか異性として見られているなどと言うことはあるまい。強さ、顔の良さ、金の量がモテ度の基準となるこの世界に於いて、俺及びソレイユ少年は最底辺である。雑魚い、やや不細工寄りのフツメン、没落した商人の家の出で金もなく、農業にいそしんだわけでもないから無駄にステータスが低い。そんなビルドエラーの賜物である俺に、いくら迫害を受けているとはいえ、エルシャのような美少女が好意を抱く要素があるだろうかいやない反語。豈有好意抱要素也、である。漢文は苦手だったので合ってるのか分からん。
そんなことを考えて悶絶していると。
「あ……先輩!」
エルシャがやって来た。
卒倒しかける。
彼女は普段は束ねて流している純白の髪を太い三つ編みにして、制服ではなくこれまた白っぽい、レースのついたカーディガンとスカート。赤い瞳を蓋う眼鏡は、黒ではなく赤になっている。走って来たのか。頬は上気し、瞳は潤み、男を殺しに来ている。
か、可愛過ぎやで……。
「おまたせしました」
「お、おう……いや、大丈夫。あんまり待ってないし……」
俺がどもりながらそう答えると、彼女は笑って返した。
「ふふっ……ありがとうございます。じゃぁ、行きましょう。午前中ずっと、楽しみにしてたんですから」
そう言って、彼女は俺の手をとる。
まてまてまてやばいやばいやばい。
――どうなってるんだ……。
心の中で呟かざるを得なかった。
***
エルシャ・マルクトにとって、ソレイユ・グノーシスという男性は、一学年上の先輩であり、人生はじめての、即ちたった一人の友人であり、そして――初恋の相手である。
エルシャは邪神の血を引いていた。勇者アンリマユと聖アンリエッタの子孫である。
人類は知らない。聖アンリエッタが邪神であるということを。
人類は知らない。勇者アンリマユもまた、邪神であるということを。
エルシャの身体に流れる邪神の血は濃い。彼女は邪神として覚醒こそせねど、邪神の証たる深紅の瞳と、世界を破壊する魔法――【壊滅具】の顕現を行う力を持って生まれ落ちた。
生まれた時から、迫害されてきた。邪神の子、と罵られた。優しくしてくれた人なんて、一人もいなかった。人間ではなく異種族でも。それどころか、ダンジョンに住まう凶暴なモンスターでさえ、エルシャを恐れて逃げ惑う。
一人だった。誰もいなかった。エルシャの世界にはエルシャだけしかいなかった。
踏み込んできたのは、一人の青年だった。人ごみの中に埋没したら分からなくなってしまうほど特徴のない、黒髪黒目の青年。学園の攻略祭の折に話しかけてきた、彼。
『その……パーティ組む人がいないんすけど……よろしければ組みません?』
唐突にそう言った。うわ何言ってんだ俺気持ち悪……などとぼそぼそと呟く青年。
攻略祭は安全面の問題で、最低でも二人で挑む必要があり、加えて参加は強制だった。
しかしエルシャには組む理由が無かった。学園側も彼女を排除したいのか。危険なダンジョンの中で力尽きることを願っていたのか、エルシャは一人でダンジョンに潜ることが許されていた。だから、本当は、承諾する必要は無かった。
『わかりました』
でも、した。何故だかは分からない。多分、気まぐれ。
ぱぁ、と、安心した様に顔を輝かせる青年。その姿に、少しだけ、胸が痛くなって。
『よ、よかったぁ……あの、俺、二年の……グノーシス。ソレイユ・グノーシス。よろしくおねがいします』
『はぁ……一年の、エルシャ・マルクトです』
自己紹介を終えて。二人で、ダンジョンに向かって。怯えるモンスター達を一方的に虐殺して、最深部へと向かった。
正直な話、ソレイユは役に立たなかった。彼は非常に弱く、最弱のモンスターの一つであるアグロゴブリン一体に苦戦するありさまだった。
けれど、一生懸命で。
『お疲れ様です』
『うへぇ……疲れた……あ、ありがとう。エルシャみたいにすぐ倒せなくてごめんな』
何故か、誰もが怯える、エルシャの力にまるで怯えていなくて。
『エルシャは強いなぁ。羨ましいぜ』
『……いいことばっかりじゃありません。この邪神の力も……』
『邪神の力だぁ? やだ……何それ厨二……超カッコいいんですけど……』
どうしてなのか、こともあろうに『カッコいい』などと言い放って。
攻略祭が終わった後も、少し彼のことが心に引っ掛かって、何度も何度も彼に話しかけた。話せば話すほど面白い人で。この世界の価値観にとらわれていない、というか、発想が柔軟なひとだった。俺の心は異世界から来た――などと訳の分からないことを時々言うけれど、そんな所も、楽しくて。
気が付いたら、彼を目で追う様になっていた。彼と、知らない女性が話しているだけで、胸の奥がずきずきするようになって。毎晩、寝る前に彼のことばかり考えるようになって。
恋をしているのだ、と気が付くまでには、時間はかからなかった。初めての感情で、戸惑いを隠せなかったけど。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、ソレイユにも、好きになってもらえるようにがんばって。
それで、今日、此処にいる。
「ひ、人ごみが……チクショウ……何でまた人類はこんな日を作ったのか……」
手を繋いで隣を歩く彼は、ちょっと人間嫌いだから、商店街のにぎやかな雰囲気は苦手な様だった。
「どこか、休憩できるところに行きましょう」
提案する。ぱぁ、と輝く彼の顔。分かりやすい。なんというか、子どもっぽい。
でも、そんな所も――好き。
きっと、自分に最初に優しくしたのが、彼でなかったら、その『別の人』のことを好きになって等いない。彼だから。ソレイユ・グノーシスという、彼だからこそ好きになった。恋をした。
やって来たのは個室のある喫茶店だった。取り敢えず飲み物を頼む。ソレイユは苦い飲み物が苦手だ、と言っていたので、コーヒーを頼むのは止めた。
……本当は、これから渡すものはとても甘いので、ギャップみたいなものを作りたかったのだけど。
でも、致し方ない。
想いの丈に、変わりは無い。
エルシャは、運ばれてきたジュースをずるずると何の色気もなく啜るソレイユの姿に、くすっ、と笑う。
「……どうした?」
「いえ。可愛いなぁ、と」
「……うっせー」
そっぽを向いてしまう彼。ああ、怒らせたかな。でも知っている。彼は、冗談で、怒っているようなふりをしているだけだ、と。
だから。
「先輩――」
言う。
「貰ってください」
カバンから取り出した、包装紙に包まれた『ソレ』を、同時に渡す。
彼は訝しげにそれを受け取ると、疑問の表情で箱を見た。
「……何だ、これ」
「チョコレートです」
固まった。ソレイユの動きが、完全に停止した。
「……えっ?」
呆けたような表情の彼に。
とどめを刺す。
「先輩――好きです。私とお付き合いしてください」
***
さて。状況を整理しようか。
俺は一介の日本の無職。バレンタインの敗者である。ある日トラックに轢かれて憑依転生を果たし、異世界の魔法学校生徒、ソレイユ・グノーシス少年と融合した。産廃も良い所な彼のステータスに翻弄されつつ一年近くを過ごし、まさかの異世界にもお菓子会社の陰謀たる『聖アンリエッタ祭』があることを知り絶望。するとなぜか後輩の女の子にデートに誘われ、半日一緒に過ごし、休憩がてら喫茶店に入ってオレンジジュースらしきなにかを呑んでいたら。
告白された。何を? 愛を。
……大事な事なのでもう一回言う。告白されたのである。
……は?
「……え?」
思わず間抜けな声が口をついて出た。後輩――エルシャは、出会った頃にはまるで見せてくれなかった、しかし最近はよく見せてくれる、優しい微笑を浮かべたまま。可愛らしく、美しい彼女。邪神の特徴を受け継いでいるというただそれだけで迫害されてきた彼女。強い娘。俺なんかよりも、ずっと、優秀な子。
それが何で――俺みたいな前世も現世も産業廃棄物な男が、好き?
「……どうした、エルシャ……なんか悪いモノでも食べたのか?」
続けて俺の口からこぼれたのは、そんな言葉。とらえようによっては大層失礼だが、でも、そんな言葉しか出なかった。
でも彼女は苦笑して、
「いいえ。私は、いたって正気ですよ?」
答える。なら――
「じゃぁ、何か罰ゲームでも課せられてるのか。いじめられてるのか? なら俺よわっちいけど、全力でそいつら叩き潰すぞ?」
「それも、違います」
あれれー? おっかしいぞぉ~? などと、体は子供頭脳は大人な名探偵の名言を脳内で再生しながら、再度フリーズ。
そんな俺を溶かすように。あるいは、更にフリーズさせるかのように。
エルシャは、彼女から渡された箱(彼女曰くチョコレートが入っているらしい。どういうことなの)を持ったままの、俺の手を握ると、赤い瞳で俺を見つめて、美しい唇から、鈴の音のような声で紡いだ。
「私は、先輩に、恋をしています」
「私は、先輩が、好きです」
「ずっと。ずっと。――初めて、私に話しかけてくれたあの日から、きっと」
それは嘘だ。欺瞞だ。偽りだ。だって俺に、君に好きになってもらえる要素なんて、何処にもない。
「俺以外の人間が、それをしたかもしれないじゃないか……」
「そうだとしても、私はきっとあなたが好きになっていました」
一度、どこかで、その姿を見て、声を交わしたならば、なおさら。と、彼女は続ける。
「でも、俺……俺のどこに、そんな……俺は君の役には立たないぞ……?」
「そんなこと関係ないです。私は、先輩自身のことが好きなんです。先輩がどういうひとかなんて関係ないです」
でも、と彼女は切る。もっと信頼してほしいから続けます、と。
「先輩の、魂のあり方が、って言ったら、どう思いますか?」
「……君が、悪魔かなにかなんかなんじゃないかと思うぜ……小悪魔だとしても問題ねぇ可愛さだからな……」
絞り出した解答は最硬に気持ち悪かったが、エルシャは可愛い、という言葉に顔を真っ赤にして、あたふたとうつむいた。
「えっと……その……そういうことじゃ、なくて。先輩の、接し方と言うか。先輩の心の奥底、きっと意識していない所にある、基準みたいなものが。私を、支えてくれたんです。一人ぼっちじゃない、って」
***
先輩。
先輩は、自分は大したことない魔法使いだ、って、何回も何回も言いますよね。
先輩が、自己評価の低い人だって、知ってます。それに実際、先輩より、私の方が強いですし。
でも。そこじゃないんです。
先輩が、昔住んでた世界にこんな言葉があった、って、言いましたよね。
――愛は全てに打ち勝つ。愛は全てを凌駕する。
私、きっと、それが……それが、先輩のことを好きな理由。
あなたの、ありかた。同じ在り方をしているひとは、世界中にあなただけ。
それならきっと、あなたは魔法使い。
そこにいて、会話をして、ふれあうだけで。いつか、人を、幸せにしてくれる――そんな魔法使い。
愛の魔法。
「あーっと……その……悪い、ちょっと混乱してる……」
「はい。私も突然告白しましたから。混乱させるつもりで」
「ひでぇや」
笑う。私も。貴方も。
「その……今はちょっとわからん、と言うのが正直な解答だ」
「はい」
「エルシャは可愛いし、優しいし、信じがたいことだが俺のことを好きでいてくれるらしい。つまりは理想の女性像と考えていいわけだけども。……俺が、エルシャのことが好きなのかは、分からん。好きか嫌いかで言われたら間違いなく好きだけども……」
そう返されることは、なんとなく予想がついていた。
だって、恋はした方が負け、なんていう言葉があるくらい、らしいから。
でも先輩がそう言った、その理由も、やっぱり。
「……妥協、したくない。ちゃんと、俺も君が好きだ、って思えるようになりたい。それまで、俺のことを、好きでいて、くれるならだけど……」
そのとおりに。
「――はい。何時までも待っています。先輩」
大好きだから。
***
俺の最初で最後、唯一無二の『勝利』の記録。
赤くて白い少女からの、恋と愛の贈り物。
この先どうなっていくかは良く分からない。彼女が何かの拍子に俺を嫌いになる可能性だってある。
だから。その前に、好きになる。
きっと。
だって予想は出来ている。恐らく俺は――
――もうすでに、エルシャが好きだ。
後書き
だって男は単純だから。
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