真田十勇士
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巻ノ七十六 治部の動きその九
「それはせぬ」
「だからこそ」
「そうじゃ、お拾様についてもな」
「既にですな」
「考えておる、ではじゃ」
「これより」
「全ての手を打つぞ」
こう本多に言ってだ、実際にだった。
家康は次々と彼の手を打ちだした、有力な大名達に次々と声をかけそのうえで自身の手の者達としていった。
その中でだ、前田利家は遂にだった。
誰が見ても余命幾許もない状況となった、その状況で周りの者達に言った。
「後はまつに任せよ」
「以前お話された通りに」
「その様に」
「家を守るのじゃ」
こう言うのだった。
「よいな」
「やはりまずはですな」
「家になりますな」
「何といっても」
「そうじゃ、家を守ることじゃ」
これが前田が第一に考えていることだった。
「それ故にあ奴に任せよ」
「おまつ様なら」
「あの方ならば」
「何とかしてくれる、それにじゃ」
前田は達観した顔でこうも言った。
「内府殿ならお拾様も無下にはされぬ」
「何があろうとも」
「決してですか」
「豊臣家が相当誤らぬ限りはな」
安泰だというのだ、豊臣家自身は。
「茶々殿が問題じゃな」
「あの方ですか」
「とかく世間知らずな方ですな」
「しかも思い込みが非常に強く」
「勘気の塊の様な方です」
「あの方を抑えられればな」
それが出来ればというのだ。
「豊臣家は安泰じゃ」
「では、ですな」
「あの方を抑えられる方が豊臣家には必要ですな」
「それが誰か」
「このことが肝心ですか」
「治部や刑部といったところか」
その茶々即ち淀殿を抑えられる者はというのだ。秀頼を産んだことにより淀城を与えられたので俗にこう呼ばれることもあるのだ。
「そして五奉行か」
「大野殿は」
家臣の一人がこの者の名を出した。
「三兄弟の長兄の」
「あの者か」
「はい、茶々殿と共に育ってこられましたし」
彼の母が淀殿の乳母だった、このことから大野三兄弟の長兄である大野治長は淀殿と共に育ってきて絆も深いのだ。
「あの方は」
「あの者はいかん」
前田は大野についてこう言い捨てた。
「豊臣家の切り盛りは出来る、しかしな」
「それだけの御仁ですか」
「それ以上のものはない」
大野、彼にはというのだ。
「茶々殿を止めることは絶対に出来ぬ」
「そうなのですか」
「むしろ茶々殿の言うことならばな」
「どの様なことでも」
「聞いてしまう」
それが大野という者だというのだ。
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